2012年06月

fashionableとtrendy

学生諸君に、「流行の服を着る」を英語で言えばどうなるかと聞くと、たいていはwear fashionable clothes だと答える。形容詞にtrendyを用いる学生はほとんどいない。これはfashionable が日本語としての「ファッショナブルな」になっているからだろうが、実際の英語ではfashionble よりもtrendy のほうが一般的だ。ただし、「彼女はいつも流行の服を着ている」を英語にすれば、She always wears fashonable clothes. と言うよりも She is always fashionably dressed.とか、She always wears the latest fashions.のようになるだろう。
 ちなみに、英語の a fashonable lady は「上流婦人」という意味だが、これは階級制度が明確だった19世紀的な表現で、現代英語では a tredny ladyまたはa fashion-conscious lady の意味に解されるだろう。したがって、「上流婦人」と言いたければ、たとえば an upper-calss lady とか a society lady のような言い方がいいだろう。言葉は難しい…。

「ジャケット(jacket)」と「小作人(peasant)」

j背広などのズボン[パンツ]に対する丈の短い上着を「ジャケット」と言い、英語のjacket から来た語であることを知る人は多いだろう。だが、なぜそう呼ぶようになったのかという、その由来を知る人は少ないかも知れない。一説には、この英語は古代フランス語のjacque (小作人=peasant)に由来するもので、jacque たちが日常的に着用していた丈の短い上着をjaquet と俗称するようになったところからと言われる。
 そのためか、この英語はカジュアルなものを指すことが多く、フォーマルなものは suit coatmorning coat のように coat を用いる。

男性と女性と教養。

b亀井勝一郎が昭和26[1951]年発行の『芸術・教養・人生』(雲井書店)の中で次のように書いている。

 

今日(こんにち)の若い男性は教養程度が低くなったので、目立つものにしか心をひかれない。発見する能力を失ったのだ。女性もまた教養程度が低くなったので、目立つようにしか化粧しない。

 

 昭和26年と言えば、私が小学校に上がった年だ。私は同書を大学1年生の頃、大学の図書館で見つけて通読し、その箇所が印象深かったので、手元の手帳に書き写して、今でも覚えている一節だ。私にも当て嵌まるかなり“痛烈で批判的な言葉”に思えたが、的を射たものだとも思った。


 その後、私が地味な英語学や言語学、その後は英語の辞書編纂を志すようになったのには、亀井の上記の言葉が陰に陽に影響したと言ってもよいだろう。お陰で様々なものを“発見”し、辞書作りに生かすことができた。それが、私が関係した和英辞典、英和辞典の“根幹”を成している。


 女性に関する指摘の妥当性についてはここでは具体例には触れないが、やはり正鵠を射たものだという印象が強かった。ちなみに、亀井は『現代女性論』だったかどこかで、「美しい言葉から美人は生まれる」と断言していたのを今でもよく覚えている。

 若い時に良書に触れ、それらを熟読することが大事だ。とりわけ、「古典」と呼ばれる“時というフィルター”を通って来たものがそうだ。

「…など」とand so on

…など」に、文脈を無視してand so on を当てる学生が多い。つい先日の授業でも、 “I'm interested in baseball, soccer and so on.”と書いた学生や、“In Australia, I wanted to see koalas and so on.”と書いた学生がいた。このいずれのand so on も英語では誤用だ。前者の「…など」には and other sports を当て、後者の「…など」にはand other animals を当てるほうが良い。 

 日本人英語学習者は「…など=and so on, and so forth」と覚える傾向が強いようだが、これははなはだまずい覚え方だ。第一、and so on, and so forth には、「うんざり」というイメージが付きまとうことが少なくないので要注意の慣用句だ。 たとえば、In the email, she mentioned X, Y, Z and so on [and so forth]. のような書き方の場合、しばしばそうしたイメージが付きまとう。 ちなみに、ある学生は「…など」にand the like を用いたが、これはかなり堅い句だから、それなりの文脈で用いる必要がある。【付記】こちらも参照。

「腸(はらわた)が煮えくり返る」、「腹が煮えくり返る」、「腹が煮える」

(はらわた)が煮えくり返るほど」と言うべきところを、「(はら)が煮えくり返るほど」と言う人がいる。そうかと思うと、さらに短く「腹が煮えるほど」と言う人もいる。下にそれぞれの実例を3例ずつ挙げる。

 

腹が煮えくり返るほど不愉快極まりない。

※伊藤良一教育長が「腹が煮えくり返るほど怒っている。 何らかの措置を検討しなければ」 「市教委として(起立状況を)調査をする」と答弁した。

※さて、いつもフリーダウンロードに対しては腹が煮えくり返るほど怒っており、「あの泥棒野郎たちのせいで俺たちはいまだに貧乏バンドだ」と憤慨しているアンディは今日ツイートで「みんなはどう思う?」って意見を募っていました。

 

※以上の出来事に腹が煮えるほど若くはないが、脱力感を覚えたのは確かだった。

※その場面を実際に見たわけではないけど「もし自分だったら。」と考えると冷静に見ようと頑張っていても想像するだけで腹が煮えるほど怒りが生まれてきてしまいます。

※カーッと怒りを発したら、腰の痛みが吹っ飛んだ。 何故?アドレナリン?アドレナリンなのか? 腹が煮えるほど怒るのもたまにならよいということかしら。

「おやりになりますか」という表現

某塾のホームページを見ていて、次のような一文があるのに気付いた。

 

 お子様は塾の宿題を、いつおやりになりますか? ほとんどのお子さんが、塾に行く直前に、チャチャっとやりますよね?!そのような宿題に、何か意味はありましょうか?

 

 第一文にある「おやりになりますか」が引っ掛かるやる」の連想も悪い。やはり、「なさいますか」と言うほうが良いだろう。ただし、そこを丁寧に言えば、あとも加除修正が必要となるが、今はその書き換えを省略する。以下にGoogleで拾った「おやりになりますか」の例を5例だけ挙げておく。そのいずれも私にとっては不自然な日本語だ。

 

※カメラとかおやりになりますか

※下記の手続きをご自分でおやりになりますか

※あなたは自分でも,器楽や合唱などをおやりになりますか

※あの、不躾で失礼ですけど、TVゲームなんか、おやりになりますか?」

※「目黒のさんま」は師匠がご自分でおやりになりますか?それともどなたかを‥‥

「偶然落ち合う」という言い方

約束しておいて、1つところでそれぞれが一緒になる」ことを「落ち合う」という。たとえば、「彼女とは午後6時に駅前の書店で落ち合うことになっている」、「昨夕は大学時代の仲間がその蕎麦屋で落ち合った」などのように用いる。ところが、この「落ち合う」を「偶然落ち合う」のように用いる人がいる。ウェブ上にも「偶然落ち合った」の例が2,000件近くヒットする。中には、斎藤秀三郎の『大和英』からの例も交じる。「五六の旧友が偶然落ち合った Some old friends happened to meet.」がそうだ。国語辞典(たとえば、『大修館・明鏡国語辞典』)にも、「落ち合う」を定義して、「ある場所でいっしょになる」のような書き方をしているものがあるが、これは国語辞典としては不明瞭だろう。この定義だと、「偶然落ち合う」という言い方が正しいものになる恐れがある。やはり、この語には「約束しておいて」という意味は不可欠のものだ。「偶然落ち合った」の例を5例だけ挙げておく(そのいずれの場合も、「(偶然) 出あった」「(偶然行きあった」、「(偶然) 出くわした」なら意味が通じるのだが…)。

 

※彼等は前にも一度、偶然落ち合ったことがあった。

※ヒデと信子が偶然落ち合った先は、偽装売春クラブだった。

※一応電話番号は交換したが、たいていはスナックの前で偶然落ち合った

偶然落ち合った一人の女、ひげの無い男、髭のある男の三人の一夜の会話。

※亀屋という旅人宿(はたごや)で偶然落ち合った無名の文学者大津弁二郎と無名の画家秋山松之助。

「孤島のサル 悲しき運命」で済ませられるのか!?

昨夕の朝日新聞に、「孤島のサル 悲しき運命」と題された記事が載っていた。それによれば、1960年代、静岡・伊豆半島南端の無人島・大根島(外周約1キロ;写真)に20匹ほどのタイワンザルが放たれ、“観光の呼び物として地元の遊覧船会社や遊覧客たちが餌づけを続けてきたそうだ。

 それが、2005年には、国はニホンザルとの交雑や農作物被害を防ぐため、外来生物法を施行し、タイワンザルを特定外来生物に指定。飼育には環境相の許可が必要となった。

 島は岩場ばかりで、サルの餌になるような植物はないから、2007年に遊覧船事業を譲り受けた伊豆クルーズは環境相から許可を受けずに、客が投げ込むサツマイモで養っていたと説明する。

 ところが、外来生物法を施行以降、環境省から改善指導を受けたのちのここ数年は客による餌やりも中止。10匹足らずになったサルたちには、船長だけが餌やりを続けて来たという。遊覧業者は言っているそうだ。「無許可飼育で数が減ったこともあり、自然な死滅を待ちたかった。他の施設への譲渡も考えたが、環境の激変でサルに過酷な生活を強いることなどから薬殺処分にすることにした。」と。

 人間の“ご都合”で国内に連れて来られて、面白がられ、その後、特定外来生物に指定され、挙句は“殺処分”されるサルたちの身になってもらいたいものだ…。サルなら良い、鳥なら良い、犬・猫なら良い、人間なら悪い…などというものではないだろう。「自分たち(=人間)がされて嫌なこと」なら動物に対してそれを行ってはならないのだ。「環境の激変でサルに過酷な生活を強いることなどから薬殺処分にすることにした。」 いかにも“身勝手な人間サマ”たちの言いそうなことだ。(こちらの動画・記事も参考になる。)

なんにも悪いことをやらないでいてもよ。まるで悪いことをやった報いみたいにして、ひどい目に遭うことがあるのね。―武田泰淳『富士』

【参考】川本芳著「ニホンザルをめぐる移入種問題」

There, but for the grace of God.という慣用句

YouTubeで東日本大震災の動画を見ていたら、その1つに、「There but for the Grace of God go we―日本では放送できない 報道できない 震災の裏側 2」と題したものがあった。日本人が掲載したものかどうかは分からない。その動画の内容の深刻さと悲惨さには今は敢えて言及しないとして、私が興味を引かれたのは、そこに添えられた英語のタイトル“There but for the Grace of God go we”だ。
 この英語から私はすぐに、“There, but for the grace of God, goes John Bradford."神の恩寵なくば、ジョン・ブラッドフォードも同じ道を歩んでいた)を思い出す。これは、16世紀のイングランド教会(St. Paul寺院)の聖職者であったJohn Bradford (c.1510-1555)が、カトリック信者だった女王Mary1世のプロテスタント迫害を受けてロンドン塔に投獄された際、処刑場に引かれて行く死刑囚たちの姿を見て言った言葉とされる(ちなみに、Bradfordはその後、火刑に処された)

 現在では、John BradfordI(私)や、上掲のYouTubeの動画の場合のようにwe(我々)に変えて、“There, but for the grace of God, go I [we].のように言うことが多い。時には、“There, but for the grace of God.とだけ言うこともある。日常的には、「今回は全く運が良かったが、同じことは私[我々]の身にも起こる」、「明日は我が身かも知れない」の意味で用いる。

【後日記】あとで思い出したのだが、かの Sir Winston Churchill は Sir Richard Stafford Cripps の政治姿勢に言及して、“There, but for the grace of God, goes God.” とからかったそうだ。

教会と活字・記号

たまたまYahoo知恵袋を見ていたら、「† ←この記号は何と読むのでしょうか?かっこいい記号だなぁ…と思いつつ、読み方が...」という質問が私の目に飛び込んで来た。それへの回答は正解だが、それで思い出したことがあるので書いておく。

 この“十字”(実際には“”)の形をした記号は「ダガー」(dagger)と呼ばれるもので、これはかつては胸に十字を切る場所を司祭に教える印しだった(「聖歌の楽譜の中の小休止を示すのに用いられたのが起源」だとするもある)。

 じつは、この「ダガー」を初め、印刷用の活字や記号には、教会と関係があるものが少なくない。たとえば、8ポイントの「ブレビア(活字)」 (brevier) は「聖務日課表」(breviaries) を印刷する時に用いた語だ。これは元々、英国の教会における聖務案内を印刷する時の活字の大きさを言ったもので、英国初の印刷所が修道院内にあったことと関係がある。あるいは、「ロング・プリマ(活字)」(long primer) は「プリマ」(primer) と呼ばれる「小祈祷書」(small prayer book) を印刷する同一型活字一揃いの呼称だったものだ。現代的には10ポイントの活字に相当する。

聖書とhelpmate, helpmeetという語

Bible英語に“helpmate”という語がある。「援助者」とか「連れ合い(特に妻)」という意味だ。古くは“helpmeet”と言った。この語から私はいつも聖書の『創世記』(Genesis)の2章18節を思い出す。Jerusalem Bibleには“I will make him a helpmate.”とあるし、King James Versionには“I will make a help meet for him.”2語である点に注意とある。
  この“helpmate”およびその前の“helpmeet”という語は、元はKing James Versionにあるように、“help meet”と別々の離れた語であり、“meet”の意味は「〜に向く」、「〜にふさわしい」、すなわち“fit”の意味の形容詞だった。それを“helpmeet”と誤解した人たち恐らく写字生たちが、のちに“helpmate”と更に誤解して、最終的にはJerusalem Bibleにあるような1語にしたものだ。

2章18節のAnd the Lord God said, 'It is not good that the man should be alone; I will make him a help meet for him."を訳せば、「また主なる神は言われた、人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう。』」となる。

silver powerという語

Kotobankの「シルバーパワー」の項は次のように書かれている。
 

()silverpower》高齢者の勢力。高齢者たちが自分たちの権利などを主張すること。◆英語ではgray power

 

 これだけの情報から判断すると、まず「シルバーパワー」と言う語は和製英語の“silverpower から出来た“日本語”であって、英語では正しくはgray powerとなるということだ。日本語としての「シルバーパワー」は具体的には「団塊の世代」以上の年齢層を指していると考えてよいだろう。

 

 だが、silverpower は「和製」だというのはミスリーディングだ。意味は多少異なるが、これも立派な英語だからだ。英語(特にイギリス英語)ではyoung silver power older silver powerとに分けに考えるが、前者は「4歳以下の子供を持つ既婚者」を指し、後者は「5歳以上18歳未満の子供を持つ既婚者」という意味に解している。すなわち、silverpower はれっきとした英語なのだ。

hiccup, hiccough (しゃっくり)の発音

しゃっくり」のことを英語では“hiccup”と言う。平仮名で書けば「カップ」となる。英語では“hiccough”とも綴るが、こちらの綴りはやや古風だ。発音は前者と同じ。

 ところが後者の綴りに影響されたためだろうが、これを「ヒカゥフ」と発音する英語母語話者がいる。 

 ちなみに、The Macmillan Good English Handbook (1997; p.192)には、Even though some dictionaries show hiccough as an alternative spelling, there is no point in spelling it any other way than hiccup.(一部の辞書には代替の綴り字としてhiccough を挙げているものもあるが、hiccup と綴る以外は無意味だ。)とある。

 なお、「しゃっくりが出る」を英語ではhave [get] the hiccups と言い、イギリス英語ではthe を省略することがある。また、「しゃっくりが止まった」はMy hiccups are gone.と言う。

「スカイマーク サービスコンセプト」なるもの(続)

スカイマーク サービスコンセプト」の改訂版が出た。それを一読したのだが、表現が多少柔らかくなった箇所はあるものの、肝心な“問題点”にスカイマーク側が気づいていないようで、残念ながら、前回同様、少々失望してしまった問題点についてはこちらも参照いただきたい。以下は、その新版と私の“意地悪コメント”だ。

スカイマークでは従来の航空会社とは異なるスタイルで機内のサービスをしております。「より安全に、より安く」旅客輸送をするための新しい航空会社の形態です。つきましては皆さまに以下の点をご理解頂きますようお願い申し上げます。
 →旧版に同じ。第3文の「ご理解頂きますよう」という言い方に高圧的な感じを受ける。
 
1. お客様の荷物はお客様の責任においてご自身で収納をお願いいたします。収納が困難と思われる荷物はチェックインカウンターにて事前にお預けください。
 →表現が多少柔らかくなったが、健常者を対象とした言い方に思える。

2. お客様に対しては従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けておりません。客室乗務員の裁量に任せております。安全管理のために時には厳しい口調で注意をさせていただくこともあります。
 →第1文を読んで、「じゃあ、どんな日本語で客に接しているの?」と勘繰りたくなった。「安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもあります」だったものが、「安全管理のために時には厳しい口調で注意をさせていただくこともあります 」になったが、まあ、「厳しい口調で注意」を受けなければならない乗客が混じるのが現実なのだろう…。

3. 客室乗務員のメイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては「自由」にしております。
 →旧版に同じ。「自由」をカギ括弧で括っているところが“ミソ”だ!

4. 客室乗務員の服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレイカーの着用だけを義務付けており、それ以外は「自由」にしております。
 →旧版に同じ。ここも「自由」をカギ括弧で括っているところが“ミソ”だ!

5. 客室乗務員の私語について苦情を頂くことがありますが、客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置付けております。お客様に直接関わりのない苦情についてはお受け致しかねます。
 →旧版に同じ。この文が持つ“問題点”にまるで気づいていないようだ。

6. 幼児の泣き声等に関してはご容認をお願いいたします。航空機とは密封された空間でさまざまなお客様が乗っている乗り物であることをご理解の上で搭乗いただきますようお願いします。
 →「幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません」だったものが「幼児の泣き声等に関してはご容認をお願いいたします」になったが、「ご容認をお願いいたします」の主体が、相変わらずまるで分からない。スカイマークの乗務員たちは泣き声を発する幼児を連れて乗務しているのかも…とさえ思える。第2文など不要だ。まあ、こんな指示を受けなければならない乗客が混じるのが現実なのだろうが…。


7. 地上係員の説明と異なる内容のことをお願いすることがありますが、そのような場合には客室乗務員の指示に従っていただきます。
 →旧版に同じ。こんな指示を受けなければならない乗客が混じるのが現実なのだろう…。

8. 機内での苦情は運航に影響が出る可能性がある場合はお受けできません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様はスカイマークお客様相談センター(03-5708-8235)に連絡されますようお願いいたします。
 →表現が多少柔らかくなり、「消費生活センター」云々の個所が削除されたが、こんなことを書かれなければならない乗客が混じるということなのだ…。それと「ご理解いただけないお客様には」だの、「退出いただきます」だの、「ご不満のあるお客様は」だの、「…に連絡されますよう」だのという表現が持つ“高圧性”に気づいていないようだ。

 以上、“天邪鬼”が失望させられた改訂版を紹介した。

「〜を英語では何と言いますか」の英語

「『金星』は英語で何と言いますか」を英語で言えば、How do you say "kinsei" in English?/ What do you call "kinsei" in English?/ What is the English (word) for "kinsei"?のようになる。最後のWhat is the English (word) for "kinsei"?はやや改まった言い方で、専門分野(たとえば天文学)の話をしているようなイメージのあるものだ。日本語で言えば、「『金星』に対する英語は何でしょうか。」に近い。
  「『金星』は英語で何と言いますか」『金星』は英語で何と呼ばれますか」と換言すれば、What is "kinsei" called in English?とすることも可能だ。

experimentの用法と発音

ある英語圏出身の留学生が私のクラスの1つで「実験を行う」の意味で“try an experiment”と言った。英語母語話者でもこの“間違い”を時々犯す。“experiment”自体が「実験(=trial)」の意味だから、これを“try”で受けるのは不自然なのだ。 ところが、Googleに掛けてみると、何と約1,000,000 件もヒットする。また、動詞をdo (約1,270,000 件) /make ( 約367,000 件 )/ carry out (約271,000 件)、多少堅い言い方ではperform(約 1,650,000 件)/ conduct (約1,170,000件)と換えて行くが、tryに勝るのは do, perform, conduct の3語だ。

 ちなみに、英語母語話者の中には、experimentを /ɪkˈsperɪmənt/ではなく、 /ɪkˈspɪrimənt/と言ったり/ɪkˈspɪərimənt/と言ったりする人もいるようだ。

「憚(はばか)られる」、「憚(はばか)れる」

ある人のYouTube動画を見ていたら、その人が「言うのもはばかれますが」と言った。それを言うなら、「はばかられますが」でしょう?と思いつつ、いつものようにGoogle検索で“はばかれる”を観てみた。その結果、何と、約308,000件もがヒットした。私に馴染みのある“はばかられる”だと、約351,000 件だから、ほぼ互角の勢いのあるものだ。
 「はばかられる」はラ行五段活用の動詞「はばか(憚)る」の未然形「はばか(憚)ら」に、受身・尊敬・可能などの助動詞「れる」が付いた形だ。ちなみに、weblio辞書には次のようにある。

「はばかられる」(憚られる)の誤用。「憚られる」は「憚る」に自発の「れる」が付いた形で、遠慮する気持ちが起こるさまなどを意味する表現。

【付記】こんな面白い記事を見つけた。

精神分裂症の一症状?

ハンガリー生まれのアメリカ人心理学者Thomas Szasz (1920- )がThe Second Sin (1973)の中で面白いことを言っている。

If you talk to God, you are praying; if God talks to you, you have schizophrenia.(もしあなたが神に話し掛けるなら、あなたは祈っているのだ;もし神があなたに話しかけるなら、あなたは精神分裂症なのだ。)

 さすがに著名な心理学者だけのことはあって、なかなか味のあることを言うものだ。世の中には、「我は神の化身なり」だとか、「我は仏が地上に下生した者なり」だとか謳っている“人間サマ”もいるようだが、上記サースの言葉のほうを私は信じる。

 サースはまた、同書の中でこうも言っている。

The stupid neither forgive nor forget; the naїve forgive and forget; the wise forgive but do not forget.(愚か者は許すことも忘れることもしない;ナイーブな人は許しもするし忘れもする;賢者は許すけれども忘れはしない。)

 これもまた味のある言葉だ。確かにそうだと思う。ただし、こちらの文の最後の forgive but do not forget
の部分を本当に理解するためには、英語ののforgive と日本語の「許す」との違いを知らなければならない(『アンカーコズミカ英和辞典』の“forgiveness”の項に付した「英語文化のキーワード」を参照)。

その身は独り死ななければならぬ。

s泣いて貰っても、悲しんで貰っても、慰めて貰っても、要するに、その身は独り死ななければならぬ。」と言ったのは、かの田山花袋だ。花袋は、死を迎える老母の孤独をそんな言葉にした。『生』(明治41年)でのことだ。

 原口庄輔教授の急逝からすでに5日が経過した。大学での私の研究室は研究棟の7階にあり、原口教授の研究室は6階にある。教室棟に向かうには、1階下へ降りて、原口教授の研究室の前を通って、渡り廊下を渡らなければならないから、昨日の授業の際にもそこを通った。「原口庄輔」というネームプレートが心なしか寂しく見えた。「どう、山岸さん、ヘルニアは? 」と、いつもの笑顔で声を掛けて下さるような気がした。大きな存在の方だった。

 先日の「お別れ会」は、多くの人々に敬愛された原口教授らしい、立派な会だった。だが、どれほど多くの人たちの涙と共に見送られようとも、教授は「独り」で逝ってしまわれた。世の習いだ。年齢的には、教授は私よりも1歳上だった。つまり私のほうが少しだけ若い。だが、私にもいつなんどき、何が起きるか分からない。後に残った者たちが、困ることのないように、少しずつ身辺整理をしておくべきだろうと思う。
 百歳まで生きて亡くなった名監督・新藤兼人氏や、百歳を超えてなお現役の医師であり続ける日野原重明氏のような長生きをしてみたくもあるが、適当なところでこの世に“おさらば”するのが良いかなとも思う。死ぬことを怖いとは思わない。
 だが、原口教授の急逝は我が国の英語学界、言語学界にとっては、あまりにも大きな損失だ。惜しんでも惜しみ切れないほどの方だった。

All that lives must die, / Passing through nature to eternity.―Hamlet
  全て生あるものは死なねばならぬ。生は永遠への通り道―『ハムレット』

In Memoriam″とIn Memorium″

In Memoriam″という語からアルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson; 1809-1892)を連想できる人は相当な牘冓験惺イ″だと言えよう。彼が、学友のハラム(Arthur Henry Hallam)の急死に出合い、強い衝撃を受けて書いた長詩(追憶の詩)だ。正確にはIn Memoriam A.H.H.と言う。今、それを読み直しているところだ。この詩には、故・入江 直祐(いりえ・なおすけ)氏の名訳がある。

 ところで、このIn Memoriam″というラテン語起源の語(=in memory (of))だが、これをIn Memorium″と綴る人が多い。Google検索に掛けると、何と約 440,000件がヒットする。正しい綴り字のIn Memoriam″は約 9,960,000 件だ。間違いがいかに多いかがよく分かる数字だ。

訃報・原口庄輔教授(続々)

英語の古い諺の1つにSickness is every man's master.(病気は人の主人である)というのがある。要するに、「病気には勝てない」という意味だ。私自身、長年連れ添った妻を病気で亡くし、今回は長年の学問の友であった原口庄輔教授に急なお別れをした。その間にも、何人かの友人・先輩等を病気で亡くした。

 今日も富士市内の式場まで教授にお別れをしに行きたかったのだが、先々月来の椎間板ヘルニアの具合が悪く、昨日の明海大学関係者対象の「お別れ会」だけで今日はお許しを願った。椎間板ヘルニアの痛さは相当なものだが、幸いなことに命に別状はないので、自宅で安静にして、これを書いているところだ。

 我が国の生成音韻論・生成文法を初め、いくつかの言語学分野の発展は原口教授の貢献を抜きに語ることはできない。まことに、米国の詩人・ロングフェロー(H.W. Longfellow; 1807-82)が言ったとおり、The heights by great men reached and kept / Were not attained by sudden flights, / But they, while the companions slept, / Were toiling upward in the night.(偉人等が到達して保持したる高峰は一躍にて得られしものに非ず、彼は他の眠れる夜の間に努力して登攀したるなりだと思う。つまり、原口教授の全業績は全て原口教授の弛まざる“登攀”の賜物だ。その意味で私は教授の偉業には心から敬服する。改めて合掌。

訃報・原口庄輔教授(続)

今日(小雨)、昼過ぎから我が大学の関東地区教育懇談会が開催され、私は午後150分から数名の学生について、その保護者との面談を行った。終了後は、保護者と出席教職員との懇親会が予定されていたのだが、私は原口庄輔教授の「お別れ会」に伺うことにして、そちらは失礼した。


 富士市内のメモリアルホール鈴由会館には午後6時5分前に到着した。
私が到着した時には、式場の席の7割近くはすでに埋まっており、多くの学会関係・大学関係を初め、個人の方々からの供花も並んでいた。笑顔の原口教授の遺影と、壁に所狭しと張られた、在りし日の原口教授の様々な折の写真が印象的だった。

 式は宗派に囚われない「お別れ会」の形を採って行われ、明海大学副学長、同外国語学部・大学院応用言語学研究科長、同僚米国人教授、教え子代表の“お別れの言葉”が続き、参列者の献花、ご遺族のご挨拶と進み、午後7時10分頃、明海大学関係者対象の「お別れ会」が終了した。

 “お別れの言葉”を聞きながら、また突然の訃報に驚愕して日本全国から式場に馳せ参じた多くの方々や諸学会・諸団体からの供花を拝見しながら、原口教授がいかに多くの方々の尊敬を勝ち得ておられたかを痛感した次第である。

 献花の際、教授のお顔を拝見させていただいた。まことに穏やかな、神々しいほどのお顔だった。その時、私は、「人は生きたように死んで行くものだ」と強く思った。午後10時半頃、帰宅した。

死というものは全く予感のないときに、生きてゆきたい人間の意志を無視して、にわかにわれわれに落ちかかってくる。―吉行淳之介『谷間』

訃報・原口庄輔教授

h昨日午後の外国語学部教授会の席で、我が同僚であり、よき学問仲間であった原口庄輔教授(左写真;享年68歳)が、同日午前11時44分に急逝なさったことを知った。大きな衝撃だった。つい先日(6月4日、月曜日)、ご自分の研究室で具合が悪くなられ、そのまま浦安市内の順天堂大学附属病院に搬送、治療を受けておられるということは学科主任からのメールで知っていた。お見舞いその他はしばらく遠慮して欲しい言われていたから、私も心配していた。先週の土曜日(6月2日)には、北海道の北見工業大学で開催された日本英語音声学会で「英語学と英語教育」について講演をなさったばかりだった。
 昨日の外国語学部教授会およびそのあとの大学院応用言語学研究科委員会では、急逝された原口教授に対して黙祷が捧げられた。

 原口教授とは、明治学院大学から新設・筑波大学に移って行かれた故・郡司利男先生を通じて、昭和53 [1978]年頃にお知り合いになった。したがって、30年以上のお付き合いになる。富士見言語文化研究会当初は「ふじみの会」という、郡司先生を顧問にいただく研究会にもよくお顔を出してくださり、筑波大学をご退職後は我が明海大学に移って来られ、私の後を継いで学科主任に、4年前からこの3月末までは外国語学部長、大学院研究科長の要職に就いておられた。「明海大学から話があった時、明海大学に山岸さんがいるから行こうと思ったのも大きな理由ですよ。」と仰っておられたのが、つい昨日のようだ。それが平成12[2000]年のことだから、あれからもう12年以上が経過したことになる。

 いつもニコニコと穏やかな笑みをたたえておられ、他人との争いごとを好まない方だった(ただし、学問は別だった)。周りの人たちは教授のことを「ガマン教の教祖」とよく言っていた。学生・院生の面倒見のよい教授としても有名な方だった。順天堂大学附属病院でも、最後まで学生・院生諸君のことを気にしておられたと聞いた。いかにも原口教授らしい。

 いつだったか、筑波大学附属病院に入院なさった教授をお見舞いしたことがある。たしか、脳出血で倒れられたのではなかったかと思う。昨年末にも一度、具合が悪くなられたと伺ったが、私が知る限りでは、今回が三度目になる(最後は脳梗塞だと聞いた)。

 ご葬儀その他に関してはこれから詳細が分かるだろうfが、教授の急逝を心から残念に思う。教授ご自身も、「学部長・研究科長を二期務めたので少し疲れました。退職までのあと2年間はのんびりと研究に費やしたい。」と言っておられただけに、このような形での急逝をさぞや残念に思っておられるのではなかろうか。

 我が国の英語学界、言語学界では、まさに「巨星墜つ」というところだ。教授がこの世に残された学問的業績はあまりにも大きい私の手元には、たとえば こんな業績表がある。教授のご冥福を心からお祈りする。合掌。

【後刻記1】庶務課を通じて次のことが分かった。
通夜:明日(6月9日) 18:00〜19:00
  静岡県富士市中央町3−9−26 メモリアルホール鈴由会館
    筺0545−57−5711
本葬:6月10日(日)  13:00〜14:00 

同所へのアクセス:
 〇最寄駅:新幹線・新富士駅 (タクシー10分)
 〇クルマ:東名高速・富士インターから5分
 〇その他:富士中央図書館前

【後刻記2】通夜・本葬共に「お別れ会」の形式で執り行われるそうだ。
 

「スカイマーク サービスコンセプト」なるもの

スカイマーク株式会社による「スカイマーク サービスコンセプト」なるものを見て、ただただ驚いた。と同時に、天邪鬼たる私など、「無神経で、傲慢な、こんな日本語しか書けない航空会社の飛行機などに乗ってやるものか」という気になってしまった(正直な感想)。以下はそのコンセプトと私の“意地悪なコメント”だ。

 

●スカイマークでは従来の航空会社とは異なるスタイルで機内のサービスをしております。「より安全に、より安く」旅客輸送をするための新しい航空会社の形態です。つきましては皆さまに以下の点をご理解頂きますようお願い申し上げます。

  →へえー、「より安く」ねえー。次のようなコンセプトを並べるようじゃあ、「より快適に」がなくなるわけですね…。
 

1. お客様の荷物はお客様の責任において収納をお願いいたします。客室乗務員は収納の援助をいたしません。

→身体に不具合のある人に対してもなの? まさか!! この文だと、「全ての客に対して」…と解釈できる。私のような“年寄り”には乗務員の援助ははなはだ有難いものなんですけどね…。

 

2. お客様に対しては従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けておりません。客室乗務員の裁量に任せております。安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもあります。

→第1、第2文の意味がよく分からない。挑戦的で無礼な感じさえする。第3文だが、こんなことを書く必要などないだろうに…

3. 客室乗務員のメイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては「自由」にしております。

→「自由」=「放任」ではあるまい…。

 

4. 客室乗務員の服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレイカーの着用だけを義務付けており、それ以外は「自由」にしております。

→ここも3.に付したものと同じ。

 

5. 客室乗務員の私語等について苦情を頂くことがありますが、客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置づけております。お客様に直接関わりのない苦情についてはお受けいたしかねます。

→へえ、スカイマークって、客室乗務員の“私語”は許されてるんだ! だって、業務上の会話なら“私語”とは言わないでしょ!? それと、「客室乗務員は保安要員」であって、「接客は補助的なものと位置づけられて」いるんだ?? 寡聞にして、そのことを今日まで知らなかった。「お客様に直接関わりのない苦情についてはお受けいたしかねます」とは、まあまあ、やけに高圧的・挑戦的ですねえ…。

 

6.幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません。航空機とは密封された空間でさまざまなお客様が乗っている乗り物であることをご理解の上で搭乗いただきますようお願いします。

→程度問題でしょう? やはり、泣き声等の発生時間やその程度によっては、苦情を受け付けてくださいよ! 客が他の客に文句を言えば角が立つんじゃない…? 「航空機とは密封された空間でさまざまなお客様が乗っている乗り物であることをご理解の上で搭乗いただきますようお願いします。」 この文など完全な“逃げ”にしか響かない…。

 

7. 地上係員の説明と異なる内容のことをお願いすることがありますが、そのような場合には客室乗務員の指示に従っていただきます。

→事と次第によってはですよね…。あまり、地上と異なることを言わないでね…。第一、こんなことを書く必要などあるの?

 

8. 機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は「スカイマークお客様相談センター」あるいは「消費生活センター」等に連絡されますようお願いいたします。

→第1文はずいぶん無礼ですね。第2文はまるで脅しですね。第3文も第2文同様ですが、「消費生活センター」云々の個所が社会問題になったことは周知の通り…。この航空会社は、客への「サービス」よりも 「自分たちの我」を通すほうが大事なんだな…

以上、「スカイマーク サービスコンセプト」に対する私の正直なコメント…。最後に、スカイマーク株式会社には、「敬は請に賢(まさ)」と、「敬は身の基なり」という古い言葉を贈ろう。不景気な時ほど大切な事だ…。

【付記1】後日改訂版が出るそうだが、どんな日本語のものになるのやら…。それにしても、スカイマークはバカな「コンセプト」を出したものだと思う…。
【付記2】このコンセプトに対して、74%の人たちが「理解できないと判断」したそうだ(こちらを参照)。

kindergarten, kindergarden, kindygarten, kindygarden

「幼稚園」と言う語は、ドイツ人のFriedrich Fröbel (1782–1852) が創ったkindergarten″の翻訳だが、Fröbelの功績を称えて、英語でもkindergarten″という語を用いる。ただし、これを英語に直訳すればchildren garden となることもあって、kindergarden″とあ綴る人も多い。
 実際には、kindygarten″(またはkindy garten″)、kindygarden″(またはkindy garden″)などと綴ることもある。ドイツ語のkinder″をkindy″と捉え、garten″をgarden″と捉えた結果だろう。以下にその例を5例ずつ挙げておく。

kindygarten
http://heatherandevan.blogspot.jp/2011/06/kindygarten.html
http://www.angelfire.com/nc/caveofthecodemaster/kindygarten.html
http://www.bluecollardaughter.org/3/post/2010/08/kindygarten-prep.html
http://www.oldfriends.co.nz/Institution.aspx?id=87674
http://cheezburger.com/5718110208

kindygarden
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=kindygarden
http://www.gumtree.com.au/s-ad/fairfield-east/teaching-childcare/kindygarden-grade-6-student-tutoring-expert/1002252743
http://www.beagoodmom.com/8975/kindygarden/
http://www.etsy.com/shop/kindygarden
http://kindygarden.blogspot.jp/

日本語が通じない?!

昨日、私が担当する女子学生の一人からメールをもらった。その文面には次のようにあった(本人の氏名だけは仮名にした)。

山岸先生こんにちは。
明海の別科に来てる留学生がIESという会社を通じて明海に来ていて、明海の学生に留学生が日本に来る前からEメール交換をして連絡を取ってサポートをするボランティアをいつも前の学期の終わりに募集をしていて、私そのボランティアをやっているんです。今IESが東京オリンピックセンターで別のサマープログラムを行っていて、明日アメリカ人の学生と一緒に英語でJapanese pop cultureの講義を午後から聞けることになったので、3限のコミュニケーション特講の授業を休みます。すみません。アメリカ人の学生と一緒に授業が受けれる滅多にない機会ですので講義への参加を決めました。来週からまた授業に参加します。
明海花子

以上の通りだが、一度読んだだけでは、私にはこの文章が何を言いたいのかよく分からなかった。再読・推測してようやく何とかそれが理解できた。そこで、私は、同学生に、せっかくの機会を十分に活用するようにと伝えた。

最近の大学生が書く日本語は、正直に言って、一読では「何が言いたいのかよく分からない」ものが少なくない。自分では分かっている(つもりな)のだろうが、読み手であるこちら側にその意味するところが正確に伝わって来ない文章が少なくないのだ。いつも言うことだが、英語学習や良し、だが教育現場には、母語たる日本語をきちんと話し書けるような日本人を増やすための抜本的方策が必要だ。 

●正しく思考されたものなら、それは必ず明晰な表現をとる。―ボワロー

Carnegieの発音

スコットランド生まれのアメリカ人実業家Andrew Carnegie (1835-1919) の名を知らない人はいないだろう。だが、その姓であるCarnegie を何と発音するかという点になると途端にその数は少なくなるのではないか。なぜなら、これはアメリカ人を含めてだが、普通は/ˈkɑrnɨɡi/ とか、人によっては /kɑrˈnɛɡi/ と発音するからだ。その点はWikipedia が記している通りだ。だが正しくは、(それもWikipedia が記している通り)/kɑrˈnɡi/ となる。この点は、Carnegie自身が自分の名を/kɑrˈnɡi/ と発音していたそうだから間違いない(こちら参照)。

【付記】ただし、Carnegie Hallその他の複合語の場合のCarnegieの強勢は/ˈkɑrnɨɡi/ となる。

arthritis(関節炎)のこと

今年、大学で読んでいるFrederick Forsythの短篇Money with Menaces(「ゆすり」)に次のような一文が出て来る。

Lettice was Mrs Nutkin. She was mainly confined to her bed, she claimed by severe arthritis and a weak heart, while Dr Bulstrode opined it was a severe dose of hypochondria.
(レティスとはナトキン夫人のことだった。彼女はほとんどを寝て過ごしたが、自分ではひどい関節炎と心臓虚弱が理由だと言った。ところが主治医のブルストロード先生に言わせれば、それは憂鬱症のひどい症状だった。)

 このarthritis /ɑ:ͬӨráıţıs/という語を見るたびに、昔、イギリスで暮らした頃のことを思い出す。多くの高齢者、とりわけ女性たちがこれを患って苦しんでいた。と同時に、Arthur Itis または Arthur Itus という語を思い出す。

 病名としてのarthritisは3音節だ。これが言いにくいと感じたり、面白おかしく響かせたいと感じたりする人たちがArthur ItisまたはArthur Itusと擬人化するようだ、中にはUncle Arthurと言う人もいるようだ。Arthur Itisと題した薬も存在する(こちら参照)。

【付記】椎間板ヘルニア(slipped disk)に悩む私としてはarthritis も他人事ではない…。

Enough is as good as a feast.(続々)

以前二度にわたって、Enough is as good as a feast.という諺に言及した(こちらこちら)。ここでそれをもう少し詳しく取り扱っておきたい。  この諺は基本的には、「空腹を満たしてくれる十分な食事なら、それは大ごちそうを食べたことと同じ」ということ。含みとしては、「ごちそうはつい食べ過ぎてしまい、かえって体を壊してしまいがちだ」ということがある。過食したがる子に向かって、親などが「空腹を満たせれば、それはごちそうを食べたことと同じですよ」と諭す時などによく用いる。比喩的には、「物事要求はほどほどに」という意味である。  たとえば、次のような用い方をする。

Sandra: I wish I could offer you more lavish hospitality. 
Jane: Don't be silly. Enough is as good as a feast.
サンドラ:「もっと豪華なもてなしができればいいんだけど。」 
ジェーン:「バカ言わないで。十分はごちそうと同じって言うでしょう。」)―NTC's Dictionary of Proverbs and Cliches, 1994

We have enough money to live on and enough is as good as a feast.(うちには生活できるだけのお金はあるんだし、それで十分ならうちはお金持ち同然だね。)―NTC's English Idioms Dictionary, 1993.  

なお、英語圏の人々には、この諺が、P. L. Travers: Marry Poppins (1934)やその映画化されたもの(1964)の一場面と結び付いている人が少なくないようだ。その点はウェブ上の数多くのサイトがそこに言及しているところからもよく分かる。以下はその諺が出て来る箇所だ。

Michael: I don't want an outing. I want to tidy up the nursery again.
Mary Poppins: Enough is as good as a feast. Come along, please. Let me look at you. Well, you're not as well turned out as I'd like. Still, there's time. There's time. Spit spot! And off we go.
マイケル:出掛けるのなんかいやだ。僕はもういちど(魔法で)子供部屋を片づけたいんだ。
メアリー・ポピンズ:物事はほどほどにって言うでしょ。さあ、出掛けましょう。ちょっとこっちを向いて。うーん、どうもあなたの格好が気に入らないわね。まだ時間があるわよ。時間があるからちゃんとしてらっしゃい。そしたら出発するわよ。

「長文です」のこと。

長文」をキーワードに、ネットサーフィンをしていたところ、「長文です」という注釈が付いた一文に出合った(こちらこちら)。すでに何回か書いたことだが()、私にとってはこの程度(約500字と約530字)のものは「長文」とはおおよそ呼べないものだ。携帯電話のメールで数十字程度の長さの文(?)を書くことに慣れている若年層から中年層の人たちにとっては“530字にもなる文”は「長文」なのかも知れないし、それを否定するつもりは毛頭ない。

  「長文です」をGoogle検索に掛けると何と約 4,020,000件もヒットする。こちらは約620字、こちらは約680字、こちらは約770字だ。やはり私の考える「長文」の部類には入らない。こちらは約2,200字で、こちらは約3,500字だ。この二者なら「長文です」とあるのも一応頷ける…。物事に対する感じ方や物事の受け止め方は各人が生きる時代や各人の日常的文章作法その他で異なるものだと言うことを痛感する。

入れ墨とタトゥー(tattoo)

今朝の朝日新聞の「声」欄に、「入れ墨しただけでいけないの?」と題した、73歳の男性による投書が掲載されていた。それには次のようにあった。

橋下徹大阪市長が、入れ墨があると答えた職員の配置転換や、調査を拒否した職員を昇進させない方針を示しているという。私の年代では、入れ墨はアウトローというイメージがあり、今の社会でも全面的に認知されているとは思わない。ただ、若い世代では1つのファッションとして定着しており、スポーツの国際試合や大リーグの中継などを見ても、入れ墨をしている外国人選手は珍しくない。(中略) 入れ墨が人目に触れないように職務についていればそれで済むことだ。
 橋下市長は職員の不祥事や規則違反の徹底調査と処分の厳格化を掲げているが、そもそも仕事に直接関係のないことで命令に従え、というのはおかしくはないか。「君が代」斉唱時の起立義務付けなど、思想や生き方、趣味の問題に命令はそぐわない。


 この意見にも一理ある。だが、これには整理が必要だ。まず、「入れ墨はアウトローというイメージがあり、今の社会でも全面的に認知されているとは思わない」と書いている点だ。この点は大事だ。「アウトロー」などというカタカナ語を使ってはいるが、要するにヤクザ、暴力団のような人々を指しているはずだ。それに入れ墨は江戸時代の刑罰の1つであって、「入れ墨者」という語が示すように、「入れ墨の刑に処せられた前科者」というイメージが今でも強い語だ。それほど古い時代にまで遡らなくとも、私の幼い頃まで(昭和23[1948]年)、我が国における入れ墨は“非合法の存在”だった。
 格好よく言えば「彫り物」、「刺青(しせい)」(後者は谷崎潤一郎の小説名)となるが、上記投稿者は終始「入れ墨」という語を使っているから、私などもその語から「アウトロー」を思い出す。そういうイメージにぴったりの人たちが公務員だというのはやはりまずいだろうし、人によっては橋下市長が行っているような対応が必要だと思う。
 投稿者が書いている「若い世代では1つのファッションとして定着しており」云々という個所は、確かに行為自体は「入れ墨」だが、昨今の日本語で言えば「タトゥー」だ(tattooの歴史は今ここでは触れない)。確かに、スポーツ選手、芸能人などにはこの「タトゥー」をしている人たちが少なくない。だが、これさえも“程度もの”だと私などは思う。さりげなく行われた、オシャレの一部としての「タトゥー」をとやかく言うつもりはないが、「アウトロー」たちの入れ墨と見紛うようなものとなるとそうはいかない。だから、私は「入れ墨」(および「タトゥー」)の入れ方やその場所によっては、「そもそも仕事に直接関係のないことで命令に従え、というのはおかしくはないか」というふうには思わない…。

True statesmenship is the art of changing a nation from what it is into what it ought to be.― W.R. Alger
     真の経綸(けいりん)は国家をそのあるがまままよりあらざるべからざるものに変ずる術なり―W. R. アルジャー

【後日記】ウェブ上の別の個所に朝日新聞デジタルの記事として「刺青文化、長く深く浸透 魔除け・愛の誓い・絵柄の美…」と題したものがあることを知った。そこには、熊本保健科学大学の小野友道学長(皮膚科学)の意見単純化には意味がない。若いときに悩んで入れ、苦労してようやく正業に就けたのが市職員、というケースもあろう。今、糾弾する意味があるのだろうか。いれずみは人間の弱さの象徴。私は、入れてしまった人の側に立ちたいや、ケンブリッジ大図書館日本部長の小山騰(のぼる)氏の声今の英国でも知られていないと思うが、たとえ知ったとしてもそんなに驚かないのでは。いれずみを入れる、入れないはまったく個人のこと。公務員がいれずみを入れているかどうかで大騒ぎするのは大人げないの意見が掲載されており、朝日新聞記者の意見として米国でも軍人や警察官などのいれずみは珍しくない。橋下氏のもう一つの得意技、〈グローバル化〉の中で考えると、いれずみ調査自体が相当異質だろうという言葉が紹介されているが、私個人はこうした意見は「ミソと**の混合」のような気がする。

【後日記】2012[平成24]年8月25日の夕刻、NHKテレビでアメリカの公務員(警官や軍隊)における「タトゥー」の実態を報告していた。見た限りのアメリカ人の「タトゥー」は、昔、私が子供の頃に流行った“写し絵”(転写シール?)の類いで、私が考える“彫り物”とは似ても似つかないものだった。伝統・文化・美意識の差を感じた次第。ただし、アメリカでも公務員は、あくまでも“趣味”で彫るように、他人の目に晒(さら)さないようにという傾向が強くなっているということも報告していたのが印象的だった。

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