2013年11月

『スーパー・アンカー英和/和英辞典』等の改訂協力者を募る。(続)

『スーパー・アンカー』あるいは『コズミカ』を使ってくださっている方々は日本中に大勢おられるはずです。高校生・大学生、一般社会人・家庭人、英語の先生・研究者など、数えきれないほど多くの方たちが同辞典を使ってくださっていると思います。そういう方たちのご意見・ご感想に学ぶところは多いと思います。一般的意味でのアンカーファン、コズミカファンによるご意見・ご感想を披露してくださってもかまいません。専門的見地からの発案でもかまいません。学研教育出版発行の英語辞書(場合によっては国語辞書)を“熱く語り”、少しでも良い辞書作りの実現にお力をお貸しくださいませんか? 学閥・先輩後輩・年齢・性別などという世間の枠に囚われず、自由闊達な意見を出し合って、この国の文化的発展に貢献しませんか? 英語好きの家庭の主婦が、「アンカー英和・和英の料理用語について」というスレッドを立てて、同辞典の料理用語を検討してくださってもかまいません。私が提唱している“辞書用例学”の観点から、「用例の質」を論じてくださってもかまいません。「“英語文化のキーワード”を増補する」と題して、キリスト教と英語との関係を実例に基づいて敷衍してくださってもかまいません。「アンカーに出てくる酒類に関する記述」についてスレッドを立ててくださり、その記述を改訂してくださってもかまいません。「コズミカの誤植について」ご指摘くださってもかまいません。「アンカー、コズミカの文法的説明に関する一考察」と題して、専門的論考を披露してくださってもかまいません。それこそ、ありとあらゆる事柄が記述・論述の対象になります。その中から、改訂協力者・原稿執筆者・(特に優秀な方は)編集陣・監修者などを正式に選抜し、学研教育出版辞書編集部に私から責任をもってご推薦申し上げたいと思っております。

 使用者の立場から改良・改善者の立場へ、使用者という受動的立場から先導者という能動的立場へ自らを変え、私と共に辞書作りに貢献してみませんか? 私は来年で古稀になりますが、それでも内村鑑三の情熱に圧倒され奮い立ちます。鑑三は次のように言っています。

 何か一つ事業を成し遂げて、
   出来るならば 我々の生まれた時よりも

       此日本を少しなりとも善くして
      逝
(ゆ)きたいではありませんか。

 
 本掲示板を訪れて下さる方々には、内村鑑三のその“熱き想い”にご賛同くださる方々はいらっしゃると思います。その“熱き想い”“熱き血潮の冷めぬ間に”私にご連絡ください。新たな時代に、新たな辞書作りを発案しましょう。愛する我が国の英語教育のために…。

Ce sont les passions qui font et qui defont tout.― Fontenelle
  何事を為すも為さざるも情熱次第なり。―フォントネル  

【付言】『アンカー英和辞典』の編集主幹・柴田徹士先生(大阪大学名誉教授)は、それまで交流の無かった私に、辞書学に関する私の学問的業績だけを頼りに私を全面的にご信頼くださって、先生の全権をご委譲くださいました。私もそのうち、どなたか極めて優れた方に、同じように私の全権を委譲したいと思っております。まだあと10年やそこらは大丈夫そうですが、いよいよ肉体的・精神的に自由が利かなくなってからでは遅すぎますので、今からその準備をしておきたいと思います。                 

「しじま」という語

私のゼミに所属する男子学生がゼミ専用掲示板に、私への質問として次のようなことを書いた。

とある歌手の歌謡曲を聴いていた際に、「夜のしじま」という語があり、今まで聞いたことのない表現であったため調べましたが、「しじま」は「黙」「静寂」と書き、夜、静まりかえっているという意味であると知りました。逆に「昼のしじま」といった表現がございますでしょうか。

 私など「しじま」という語を聞くと、すぐに「冬の星座」という歌の「ものみな憩(いこ)える しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる」 という箇所を思い出す。「しじま」とは「しじ [しず](=静寂)+(=時間)」ということだ(語源説は他にもあるが、私はこの解釈を採る)。したがって、静寂の得難い昼間に「しじま」はないことが多いが、昼間でもそういう形容の出来る場所や時はあるだろう。ちなみに、前阪洋子作の俳句に「秋篠の昼のしじまや雪婆」というのがある(俳句通信200101)し、大正時代から昭和時代にかけて活躍した浮世絵師で版画家の笠松紫浪(かさまつしろう)の作品にも「昼のしじま」と題したものがある。

『スーパー・アンカー英和/和英辞典』等の改訂協力者を募る。

SA4『スーパー・アンカー英和辞典』、『スーパー・アンカー和英辞典』、『アンカーコズミカ英和辞典』等の改訂・改良のための協力者を募ります。


 日本全国におられる上記辞典ファンの皆さんへのお願いです。私は長年にわたって上記辞典の編集主幹を務めて来ましたが、日本全国には、英語辞書好きな先生方(学校・塾を問わず)、英語研究者(学者・大学院生・学部生を問わず)、英語雑誌関係者、一般社会人・家庭人が大勢おられることを知っています。そこで上記辞典のファン・理解者・協力者を広く一般に求め、意見・感想、改良・改善策(独創的論文を含む)を中心に、様々な考え方や一般的意見を自由闊達に交換していただく場を設けようと思い立ちました(「学研教育出版英語辞書応援用掲示板」と命名。第一の目的は上記辞典の改訂に有益な情報を得ることですが、第二に、そしてこれがその第一の目的と密接に関係していますが、今後上記辞典を改訂する際にご協力いただける方を発掘したいと思っております。私の提案に対する学研教育出版辞書編集部の了承はすでに取ってありますので優れた見解・英語力・原稿執筆力をお持ちの方々が発掘できれば、私が責任を持って同編集部にご紹介申し上げますその後、私と共に上記辞典の改訂に関係していただくつもりです。その際、特に優秀な方々には、監修・編集委員としての処遇も考えています条件は以下の通りです。

saje・ハンドルネーム等は一切不可であって、全員の方々に「氏名・年齢(執筆者選びのバランスを取るために必要な情報)・住所・最終学歴・学位(学部以上)・勤務先(大学院生などは学年)・職位(Teaching Assistant, Research Assistantを含む)・主要業績(学部卒論・修士論文・博士論文を含む)・メールアドレス・英検/TOEIC/TOEFL/IELTS等の成績(開示は強制ではないが、自己宣伝として有益)・上記辞典との関わり(日常的使用者でも可)」を必ず明記していただきます。

応募者の年齢・性別・国籍は問いませんが(ただし外国人の場合は英語を母語とする方で日本語が流暢な方に限ります;出身国のバランスを取るために国籍明記)、長続きのする方で、我が国の英和・和英辞典(国語辞典を含めてもかまいません)の発展を心から願う、熱意と誠実みのある方。ただし、ここでは上記した英語辞典(及び学研教育出版は発行の国語辞典)が中心です。したがって、他社の英語辞典関係者(編集陣・執筆者で当該辞書に名前が記されている方)には原則としてご遠慮いただきます。

同掲示板(パスワードで入場;一般公開無し)では誹謗中傷等は決して行わず、他辞典の記述に言及する場合は常に客観的・建設的な書き方をし、必ず代案を示す。これを順守して頂けない場合は会員登録を即、抹消致します。

会員登録は第一段階としては私へのメールで行ってください(下記)。その際、のプロフィールを全コズミカAmazon用お教えください。私からの了承(パスワード付き)を待って、同掲示板をご利用くださり、話題別にスレッドを立てて、自由にご意見をお述べください(会員登録をいただいた方のプロフィールは私がそのまま掲示場に転写させていただきます)。なお、職場その他、自宅以外のパソコンを使用する場合、使用後は必ず「ログアウト」してください。

私は将来性豊かな人材を発掘することを目的として掲示板に入場しますので、書き込みは出来るだけ少なくします。したがって、また、私への個人的質問・問い合わせ等はご遠慮ください。


 以上です。それでは、ご応募をお待ちしております。私の連絡先は@yahoo.co.jpyamakatsueiを前置したものです。平成25[2013]1129日 山岸 勝榮

【後日記】現在、募集は締め切っております。ご協力をありがとうございました。平成26[2014年6月9日 山岸 勝榮

忘れられていく日本文化―“五葉の松”の場合

m先日、私は宮城県民謡「お立ち酒」を英訳した(こちら)。これを見た我がゼミ生諸君にとって、1番から5番まで、まず日本語の意味からして不可解なものらしかった。一人の女子学生がゼミ専用掲示板に書いた。「恥ずかしながら『五葉の松』の意味を取ることができず、調べた際に『御用の』とあったことから商売繁盛といった意味でとってしまいました」と。

 五葉の松、または五葉松(または姫小松)は、黒松や赤松の針葉が2本であるのに対して、その2.5倍の5本から成るところからその名がある。松は日本文化を象徴する木だ。雌雄同株で仲が良く、「吉祥木」と呼ばれる所以だ。能でも歌舞伎でも松抜きには成り立たない。「吉祥木」の仲間の梅、竹、と共に松は“松竹梅”を形成する。また、しっかりと根を張り(=子孫繁栄)、常緑(=不老、若々しさ)だ。こういう、昔なら日本人のほとんど誰もが知っていた知識(cf.後出のknowledgeに関する説明)を今の若者たちはまるで教えられていないその親の世代の多くも同じだろう

 母語たる日本語の意味がよく理解できなければ、それを英語に直すなどという“高尚なこと”が出来るはずがない。また、そういうことが分からなければ、英語が話せても“日本文化”は発信できない。英語学習やよし。だが、その何倍も自国文化を勉強しておきたいものだ。英検1級合格者で、通訳案内業国家資格を持っている私のゼミ生K君にしても、日本の民謡・童謡・唱歌を英訳することに大きな困難を感じているのだから…。

 実は先日ゼミ生諸君に出した宿題、「knowledge≠知識」の答えがここにある。つまり、日本語の「知識」が「ある物事について知っていることがら」(『スーパー大辞林』、「知ること。認識・理解すること」(『デジタル大辞泉』)とだけ定義されるのに対して、英語のknowledge経験(experience)を通して、学び身に付け(learning)、よく理解していること(understanding)」を言うのだ。上記の例で言うなら、「松」という木を日本人がどのように捉え、それを「吉祥木」とし、その情報(information)を日常的にどのように活用しているかをよく理解していることが、英語で言うknowledgeなのだ。だから、日本語で言う、「ある物事について知っていることがら」とか「知ること。認識・理解すること」という抽象的・表層的な定義だけには終わらない。

来年度はゼミ生ゼロだ!

be我が英米語学科では毎年11月中旬に「来年度ゼミ説明会」を実施し、その日から各教員が自分のゼミへの受講希望者の受付を開始する。一応、各ゼミの定員は15名ということになっている。TOEIC関連のゼミは大人気のようで、某教授など、希望者が5、60名もいると聞いた。選抜も大変だろう。
 私は主に翻訳関連のゼミを実施しており、履修希望者は、多い時で34、5名、少ない時で7、8名というところだ。何年か前、条件を厳しくした年、希望者は1名(女子学生)だけだった。条件と言うのは、「英検準一級以上、TOEIC700点以上」というものだ。それ以下の英語力で翻訳をやろうなどという大それた願いなど持たない方が本人の身のためだと思うからだ。人間、努力だけではどうしようもない分野がある。
 今年もその条件をゼミ説明会で学生諸君に伝えた。予想されたことだが、私のゼミへは一名の応募者もなかった。つまり来年は“開店休業”だ。英米語学科に赴任して以来、しかも退職の年に、初めての“ゼミ生無”だ。本年度のゼミ生の中に一人だけ英検一級・通訳案内業(国家)試験合格者が、また、特修生の中に我が英米語学科卒業後、カナダの大学で言語学を学んだ大学院生が一人おり、両者とも来年度は特修生として私の下で翻訳の勉強を続けるが、ほかにも三名、今年のゼミ生諸君が引き続き残るので、その諸君を我が大学での私の最後のゼミ生とするつもりだ。英検一級・通訳案内業(国家)試験合格者のK君も、大学院生のO君も私の下で学びたいと言う明確な意思を持って、多数の大学の中から我が明海大学を選んでくれた諸君だ。二人とも期待の持てる存在だ。

知識とknowledgeの違いは?

日本語で「知識」と言えば、たいていの人が「ある物事について知っていることがら」(『スーパー大辞林』、「知ること。認識・理解すること」(『デジタル大辞泉』)と定義するだろう。要するに、ある物事について認識・理解していることをいう語だ。その日本語に相当する英語は?と尋ねられれば、これまたたいていの英語学習者がknowledgeと答えるだろう。本当にそれで十分か? いつものように私のゼミ生・特修生(および一般読者)への宿題としておくので、いろいろと調べてみてほしい。「知識knowledge」と単純に直結できない部分が分かれば立派だ。

小学校時代の“マドンナ”への“弔辞”

mアメリカのジャーナリスト・プロデューサー・作家であったAndy Frost (1919-2011)が面白いことを言ったことがある。I’ve learned that life is like a roll of toilet paper; the closer you get to the end, the faster it goes.(私はこれまでに人生はトイレのロールペーパーのようなものだということを学んだ。終わりになればなるほど、無くなる速度が増すのだ。


 フロストの言葉には首肯せざるを得ない。ついこの前まで、自分の年齢などあまり気にしたことはなかった。だが、大学の関係者を含めた周りの人たちが、私の退職まではあと1年数か月だということ、したがって、私は古稀に近い年齢になっているということを嫌でも気づかせてくれる。

 そんな私に過日、私の小学校6年生の時に席を隣り合わせたMSさんからメールをもらった。可愛くて、聡明で、絵画の得意な女の子だった。私が通った小学校ではまさに“マドンナ”だった。私は密かに憧れていたが“幼な恋”で終わった。近づきがたい存在だったからだ。その後、私は上京し、彼女とは全く別の人生を歩いた。彼女はと言えば、学校卒業後、結婚し、数人の子供さんに恵まれたが、36歳の時に離婚、その後、神戸の某著名ホテル今上陛下が皇太子時代にご宿泊になったホテルに就職し、最後はそこの取締役総支配人まで務めて、今は故郷に戻っている。お孫さんにも恵まれて、“悠々自適”のおばあちゃんだ。

 その“マドンナ”が来年初夏の70歳の誕生日に“生前葬”を執り行うので、私に“友人代表”として“弔辞”を読んでほしいと言って来た。じつは彼女とは中学2年を終えて上京して以来、一度も会ったことがない。一昨年だったか、たまたま、故郷の市役所のホームページに“懐かしい名前”があったので、好奇心と懐かしさとから連絡してみた。そうしたら、予想どおり、ご当人だった。離婚後、旧姓に戻っていたから判明したことだった。だからもう55年も会ったことがない。それ以来“メル友”を続けている(と言っても、ほんの時たまだが)。

 できれば“葬儀”に参列して“弔辞”を読み上げてもらいたいが、おばあちゃんになっての再会は恥ずかしいので、代読させるのでメールででもそれを送って欲しいと言う。私はそれを書くことにした。

 私の瞼の裏には、今から55年も昔の、それはそれは“キュートな”MSさんしかないのだ。そのMSさんと、二度と会うことはないだろうが、席を隣り合わせて、勉強などまるで手につかないほど、ドキドキ、もじもじした半世紀以上も昔の想い出に決着をつける日が来る。もちろん、私が終生愛し続け、尊敬し続けたのは、ほかならぬ亡き妻・小夜子だけだ。だが、正直なところ、そのMSさんへの“弔辞”が書けることを内心、“悲しんで”ではなく、“喜んで”いる。小学校時代の“マドンナ”が彼女の人生の締め括りに“友人代表”として、ほかならぬこの私を選んでくれたからだ。亡き妻が“静”の女性なら、MSさんは“動”の女性だった。

唱歌「汽車」を英訳した。

今日のゼミでは先週から課題曲として出しておいた文部省唱歌「汽車」を取り扱った。曲のテンポが速いので、それに乗る英語を考え出すのに、ゼミ生諸君はみな苦労したようだ。私の英訳はこちらに掲げておいた。

1.
今は山中 今は浜
今は鉄橋(てっきょう)渡るぞと
思う間も無く トンネルの
(やみ)を通って広野原(ひろのはら)

2.
遠くに見える村の屋根
近くに見える町の軒
森や林や田や畑
(あと)へ後へと飛んで行く

3.
(まわ)り灯籠(とうろう)の画(え)の様(よう)
(かわ)る景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くも過ぎる幾十里(いくじゅうり)

    
来週は土井晩翠作詞・瀧廉太郎の「荒城の月」を取り扱う。「春高楼の花の宴…」で始まる、かの名曲だ。

日中・日韓関係に関する外交世論調査の結果

内閣府が去る9月26日から10月6日まで、全国の成人男女3,000人を対象に個別面接方式で、外交世論調査(有効回収率は61.6%)を行ったが、それによれば、中国に「親しみを感じない」と答えた日本人は80.7もいたそうだ。また、日中関係については910が「良好だと思わない」と答えたという。さらに、韓国に関しては、580が「親しみを感じない」と答え、日韓関係については760が「良好だとは思わない」と答えたという。

 いっぽう、米国との関係については83.8の日本人が「良好だと思う」と答え、83.1が「親しみを感じる」と答えている。東南アジア諸国に対しても60.4の日本人は「親しみを感じる」と答えており、過去最高になったそうだ。安倍晋三首相は首相就任以来、約11か月間で東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10か国全てを歴訪し、ASEAN重視の姿勢を貫いて来ている。

 私に言わせれば、この数字は極めて自然だ。時間が経てばさらに数字は大きくなるかも知れない。インターネット時代になり、上記特亜2国が我が国に対して取って来た外交姿勢(尖閣諸島、竹島問題)・歴史捏造(南京“大虐殺”、“従軍慰安婦”問題)等の出鱈目ぶりが、これまで“自虐史観”に基づいた教育を施され、騙されて来た一般日本人の知るところとなり始めた結果だと言ってよい。(出典は産経ニュース2013.11.23 17:00)。

「せめて」の意味と用法

私のゼミに所属する3年生の一人が、大学院生のOK君に言及して、ゼミ専用掲示板に次のように書いた。OK君は37歳で、明海大学とカナダの大学の2か所を卒業している優秀な大学院生だ。

全ては山岸先生の「親心」があってこそ、このような素晴らしい環境がございますことを忘れずに、勉学に対する積極性な姿勢、一つひとつ丁寧に、そしてせめてOKさんほどの考察が出来るようわたくし自身の怠惰な心に負けないよう努めて参ります。

 問題は「せめてOKさんほどの考察が出来るよう」という箇所の「せめて」という副詞だここでは「積極性な姿勢」という表現その他の不自然さには言及しないでおく。語感の鋭い読者諸氏にはすぐに私の意図がお分かりかも知れないが、この用法は現役の3年生が37歳の優秀な先輩に言及して用いるものとしては不適切だ。この副詞は「十分ではないが少なくとも」、「満足ではないが最低でも」、「最低のところ」という意味である。したがって、後輩の大学3年生が17、8歳も年齢の違う先輩に言及して上記のような用い方をするのは失礼の感を免れない。不遜と言い換えてもよい。このままでは、「最低限 [最小限]OKさんの考察ができるようになりたい」という意味になり、OK君の研究のレベルに接近することはさほど難しいことではないという含みが出てしまうからだ。「せめてOKさんの足元に及ぶぐらいの考察ができるようになりたい」と言うのなら問題はない。

【後刻記】上記した3年生の学生が、その後、ゼミ専用掲示板に次のように書いた。
 先生のブログを拝見しまして、「せめて」という語にどのような響きが含まれているのかを知りました。OKさんへとても失礼な物言いをしていたと気づき、まことに情けなく思っています。こうした一つひとつの言葉が、時に受け手へ嫌な思いをさせてしまうということを考えますと、常に言葉に敏感でなければならないと存じます。

宮城県民謡「お立ち酒」を英訳

宮城県民謡の1つに「おたち酒」という名の美しい民謡がある。以下に示すように、嫁入りして行く若い女性を祝福し、実家との縁切りを宣言するための唄だ。どの文句をとっても、日本語の美しさと奥ゆかしさを感じる。宮城県を応援する意味で英訳した(こちら)。

おまえお立ちか  お名残りおしい
名残り情けの くゝみ酒


またも来るから
  身を大切に

はやり風邪など 引かぬように

今日は日もよし
  天気もよいし

七福神の お酒盛り

目出度うれしや
  思うこと叶うた

末は鶴亀 五葉の松

目出度めでたの
  若松さまよ

枝も栄える 葉も繁る


pittance という語のこと。

「わずかな金、はした金、“すずめの涙”」のことを英語では a mere pittance と言う(ほかにもいろいろな言い方があるが…)。pittance (←ラテン語 pitātem =pity) とは、現代英語では、「(通例軽蔑して)わずかな報酬[手当て、収入]」の意味で用いるが、もともと「(修道院などへの寄進」すなわち pious donation の意味だった。昔のヨーロッパでは、人は自分の死に際して、修道院などに自分の遺産を寄進した。それを受けたほうでは、死者、すなわち寄進者の、主に周年祭や、修道院の諸活動の費用として消費したが、当然のことながら、回を重ねるごとに、残高は減少していく。それが最終的には現代の意味に“落ちぶれて”しまったのだ。

Let the cobbler stick to his last.の意味・用法

昨日の諺Time and tide wait for no man.に続いて、日本語に訳すと突然用法が不明になる諺を紹介しよう。手元の電子辞書でcobblerを見ると、Let the cobbler stick to his last.という諺に「《諺》靴屋は靴型から離れさせるな《自分の仕事[本分]に専念せよ》」という訳文と注釈が付いている。だが、この訳文では、その諺の日常的な用法が分からない。これをMcGraw-Hill Dictionary of American Idioms and Phrasal Verbs でその用例を見ると、Do not advise someone in matters outside your area of expertise. (自分の専門以外のことで他人に忠告するな)とあり、Whenever Ted, who is a lawyer, tried to give Bob suggestions about how to write his novel, Bob would say, "Let the cobbler stick to his last.  Bill: I don't think you should put so much oregano in the spaghetti sauce. Nancy: You're a construction worker, not a chef. Let the cobbler stick to his last.2例が収録されている。これを日本語に直せば、「弁護士のテッドがボブが書く小説にあれこれ意見を言う時はいつも、ボブは“餅は餅屋に任せておけ”と言った。 ビル:「スパゲティーソースにはそんなにオレガノを入れないほうがいいと思うけど」、ナンシー:「あなたは建築屋さんでしょ、シェフじゃなくて。“餅屋は餅屋に任して”おいて」)のようになる。この2例から分かるように、上記辞典にある「靴屋は靴型から離れさせるな《自分の仕事[本分]に専念せよ》」では何のことか分からない。このようにして、日本人英語学習者が触れる英語辞書の中の諺の多くは、実際の英語の用法とは似ても似つかない意味や用法として長年、紹介・収録されて来たのだ。それが私が『スーパー・アンカー英和辞典』を編纂した時に「ことわざの極意」というコーナーを設けて、諺の各例を短い対話形式の中で分かり易く示そうとした理由だ。

山口県民謡「男なら」を英訳

私の故郷である山口県の民謡「男なら」を英訳した(こちら)。以下のように、結構、英訳の難しそうな日本語表現が何か所も出て来る。3番には「男なら 三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」という、高杉晋作が作ったと言われる都々逸の文句が出て来る。

1.

男なら お槍担いで お中間となって 

付いて行きたや 下関
国の大事と聞くからは  

女ながらも武士の妻 

まさかの時には 締め襷

神功皇后さんの 雄々しい姿が

鑑じゃないかな 

(オーシャリシャリ)


2.

女なら 京の祗園か長門の萩よ

目もと千両で鈴をはる
と云うて国に事あらば  

島田くずして若衆髷
紋付袴に身をやつし

神功皇后のはちまき姿が

鑑じゃないかな 
(オーシャリシャリ)


3.
男なら 三千世界の鴉を殺し
主と朝寝がしてみたい
酔えば美人の膝枕  
醒めりゃ天下を手で握り
咲かす長州桜花 
高杉晋作さんは男の男じゃ 
傑いじゃないかな 
(オーシャリシャリ)

Time and tide wait for no man. (歳月人を待たず)の意味・用法

ある人のブログ記事を読んでいたら、次のような個所が私の目に飛び込んで来た。


私立中学、私立大学の入試がはじまる21日まで160日。
県立高校入試の214日まで173日です。
Time and tide wait for no man.


 末尾の英語 Time and tide wait for no man.は「歳月人を待たず」の意味で使っていることは明らかだ。「だから時間を無駄にしないで(頑張って)!」というメッセージが込められている。

 また、某ことわざ辞典の「歳月人を待たず」の項の用例は次のようになっている。


夏休みだからといって毎日テレビばかり見ていてはだめよ。あっという間に社会に出る時が来るのだから、その時のために今から勉強や運動をしておかないと。歳月人を待たずよ


 この例の場合も、日本語の「歳月人を待たず」にはやはり、「だから時間を無駄にしないで(頑張って)!」というメッセージが込められている。


 だが、Hurry up or we'll miss the bus! Time and tide wait for no man. (McGraw-Hill Dictionary of American Idioms and Phrasal Verbs)の例文が示すように、この慣用表現を「歳月人を待たず」という日本語に直結させるのは不適当だ。この例文を日本語で「急いでよ、バスに乗り遅れちゃうから! 歳月人を待たずよ。」などと訳せるかと言えば、それは出来ない。つまり、英語のTime and tide wait for no man.にはIf an opportunity is neglected it may not come again for a long time.(いちど機会を逃すと、二度目はなかなかやって来ないかも知れない)とか、Use an opportunity when you have it, since it may not recur.(機会が巡って来た時はそれを使え、二度と巡って来ないかも知れないから)という含みがはなはだ強いものだ。だから、日本のに訳す時には、その点を考慮して訳す必要がある。


【付記1】Use an opportunity when you have it, since it may not recur.という英文の末尾の動詞(自動詞)recurで思い出したが、某学習英和辞典はこの動詞に「(よくないことが)再び起きる」と定義し、a recurring nightmare(繰り返してみる悪夢)という用例を上げているが、この動詞は「よくないこと」ばかりの繰り返しをいうわけではない。私が書いたその英文の場合や、Leap years recur every four years.(うるう年は4年ごとにやって来る)という例のように、日常的には“無色の動詞”としていくらでも用いられる。

【付記2】アメリカの詩人Robert Frost (1874-1963)がこの
Time and tide wait for no man に、傑作な文句を続けている。Time and Tide wait for no man, but time always stands still for a woman of thirty. の如しだ。和訳はあえてしないでおこう。“涙ぐましい努力”を続けている女性たちに気の毒だから…。

慶應義塾大学准教授にまでなって…

以前、私が非常勤講師を務めていた大学で、私と同じく、非常勤講師として英語を担当していた某氏が“児童買春・ポルノ禁止法違反」で逮捕されたことに言及した(こちら)。ほかにも、教師による多くの不祥事について書いた(こちら)。一昨日はまたまた、慶應義塾大学SFCに勤務する准教授(43)某が中学生に猥褻行為をしたということで愛知県警西署に逮捕された。インターネットのメル友掲示板で知り合った女子中学生と名古屋市内のホテルに行ったそうだ。
 Wikipedia、慶應義塾大学ホームページ等によると、容疑者実名は公表されているが、ここでは敢えてそれに言及しないは建築設計事務所まで持つ、建築家としては著名な人物だ。開成高等学校、東京芸術大学、東京大学大学院に学び、東京大学から博士号(環境学)まで授与されている、いわゆるエリートだ。だが、Wikipediaの経歴の最後にはすでに「県青少年保護育成条例違反の疑いで逮捕」と書き込まれている。

 こういう事件を起こし、逮捕される人たちの存在を知るにつけ思う。同准教授が今日の地位を築くまでに、いったいどれだけ弛まない努力が払われ、天賦の才能が活かされ、かつ周囲の人たちの協力と愛情とが注ぎ込まれただろうかと。ほとんどの人にとって、望んでも叶うべくもないエリートコースに乗って、順風満帆の大洋を航行するかに見えていたはずだ。それにも拘わらず、今回こうした“暴風雨”に巻き込まれ、船もろともに海底に沈んでしまった。

 こういう事件を起こすたびに大人、とりわけ著名人だけが徹底的に社会的制裁を受ける。今回の場合もそうだが、相手あってのことだ。しかも今の中学生・高校生の中には、最初から売春目的でインターネットなどの特殊掲示板を使う者たちがきわめて多い。そういう“魔天使”たちは少年法によって氏名の公表などは回避される。これは問題だ。保護者の責任も含めて、“喧嘩両成敗”よろしく、両方の氏名を“さらす”べきだ。この点では人によって意見は異なるだろうが、今回の場合もそうだが、相手の中学生・高校生は未成年者だとは言っても、善悪の判断力は十分にある年齢の者たちであり、一般成人が考えるよりもはるかに“大人”だ。そういう少女たちを“買った”人間だけを罰するというのは不公平だ。
 
 しかし、今後、その問題がどう取り扱われるかは知らないが、現時点では“買った”人間だけが裁かれるのであれば、そういう“愚かな”人間にならないようにするしかない。よく言われるように、「自分の最大の敵は自分自身」(Your greatest enemy is yourself.) なのだ。慶應義塾大学という著名大学の名も汚されることになるが、この人物は、そうした、「年少者を買って捕まればどうなるか」という先を考えて行動する力を蓄えて来なかった、憐れなエリートだとしか思えない。壊れた鏡はもとには戻らない…。

【付記】そう言えば、今朝のNHKテレビが「リベンジポルノ」の問題を取り扱っていた。要するに、恋人同士の時に“気軽に”撮った“そのものズバリ”の写真やビデオを、後日、振られた男性が、その恨み(リベンジ)から、インターネット上にそれらを“曝(さら)す”ことをいう。今朝の番組では、その後、別の男性と結婚した女性が、結婚前の恋人と撮った“あられもない姿”を曝されていることに気付き、関係機関に相談したという話が例の1つとして放映されていた。そういう例の中には、「自業自得」と評してもよいようなものが多く混じる。「かくすればかくなること」を想像できることが人間には必須なのだ。

みのもんた氏の「刺し違える」という表現

人の揚げ足を取るようで恐縮だが、かのみのもんた氏が、氏の次男が起こした問題で、記者たちに「奥さんだったら何と言っていると思うか。」と尋ねられて、「女房だったら、せがれと刺し違えてでも責任を取っていたんじゃないか。(涙声で)女房に申し訳ない…」と答えている(出典こちら)。みの氏の発言にはときどき“ドキッと”させられることがある。それをリストアップすることは容易だが、今はやめておく。
 「刺し違える」は、日常的には確かに、「自分を犠牲にして相手に損害を与える」(『デジタル大辞林』)という比喩的な意味で用いることも多い。だが、この語は伝統的に見るなら、「互いに刃物で刺し合う [ 刺]し合って死ぬ] 」のイメージがきわめて強い語だ。だから、言葉づかいに慎重な人は使用を避けるはずだ。ちなみに、私は長い人生で、日常的にこの語を自分に関係したことで使用したことは一度もない。
 しかし、たとえ比喩的な意味で用いたとしても、相手は「何をされても手出しをせずに沈黙を保つ」ということはあり得ない。原義ゆえにだ。
 したがって、こういうふうな表現で言い表されるお連れ合い(故人)が気の毒に思える。みの氏にしてみれば、「自分が腹を痛めて産んだ子だから、母親としての強い責任感から…」というつもりだっただろうが、私に言わせれば、お連れ合いならそうするだろうと言うのは、父親として無責任だ。本当に「刺し違える」つもりがあるなら、優しい母親だったに違いないお連れ合いではなく、父親たるみの氏こそが、それを実行に移すべきではないか。我が子を「うちのせがれもバカ。大バカです。」と非難し、「ばかやろう!」と罵声を浴びせているが、そういう“大バカ”を育てた一番の責任者はお連れ合いではなく、私は、一家の“総大将”たるみの氏自身だったと思う。“欠陥商品”は、早めに回収して、急ぎ改善・改良を加える必要が“製作者”の側にはある。言葉を使うことを仕事とする人の比喩表現としては感心できない例だ。

Rose Lesser 先生のこと。

私が高校生の頃(昭和35〜8年)の英会話の先生はドイツ人女性で、英語も自由な方だった。おそらく40歳を越えた頃だっただろう。美しく、気高い、まことに凛とした先生という印象を持った。その名をRose Lesser ローゼ・レッサー(1908−2002)と言われた。Lafcadio Hearn(小泉八雲)の描く古い日本に憧れて、21歳で単身、ドイツのベルリンから来日し、京都大学理学部講師だった植物地理学者・高橋健治博士(1903−47)と恋に落ち、結婚。私が英会話を、私の妻が法政大学でタイプライター使用法(古い!)を教わった頃には、すでに博士を病気で亡くしておられた。ローゼ先生ご自身は、平成14年、93歳で他界なさったが、73年間という長い年月をひたすら日本を愛し、日本人を愛した方だった。

 先生は授業中、よくMankind has only two kinds of enemies: Ignorance and indifference, at home and abroad.(人類には敵は2種類のみ:「無知」と「無関心」、自国にあれど、他国にあれど)とよく言われた。その先生がある日の英会話の時間に、「ドイツには面白い迷信があって、妻を亡くした夫が再婚する時、その先妻の霊が結婚式に参列して、後妻の“品定め”をし、良い後妻であれば再婚の二人の行く末を祝福するけれども、不合格の後妻であれば、二人の上にいろいろな災難をもたらすのよ。」というようなことを言われた。私はなぜかその説明が面白く、一人で笑った記憶がある。ローゼ先生は私を見て微笑んで下さった。高校時代、私は多くの英語弁論大会に出場したが、いつも原稿はローゼ先生に見ていただいた。

 私が死んだら

    赤いバラを2本持たせてください。1本は私の為に、もう1本は健治のために。 

 ローゼ先生は生前、こう仰ったそうだ。先生が如何にご夫君を愛し、尊敬なさっていたががよく判る。生涯を日本と日本人のために尽くされ、高橋博士を愛されたローゼ先生、その素晴らしい先生に若き日の私と、私の亡き妻とがお世話になったことを有り難く、かつ誇りに思っている。
   最近、世界の迷信に興味を持って調べているうちに、ドイツの迷信にそいういうことがあることを発見して、今から半世紀以上も昔の高校時代のローゼ先生から伺った同じ迷信のことを思い出した。インターネットで調べてみると、先生に関係する以下のようなサイトや記事が見つかった。
 

【Rose Lesser先生関連のサイト】
http://jac.or.jp/images/rokusokai-121-8-9.pdf(若き日のローゼ先生とご夫君の写真がある)
http://de.wikipedia.org/wiki/Rose_Lesser(Wikipedia)
http://www.das-japanische-gedaechtnis.de/lebensbilder-a-z/lesser-rose-1908-2002.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mako2050/61687272.html
http://ameblo.jp/6682754/entry-11435201177.html
http://jac.or.jp/images/rokuso-120go.pdf
http://www.city.agano.niigata.jp/machidukuri_jyourei/090808_gakusyu/sekigawa.pdf
http://www.city.agano.niigata.jp/machidukuri_jyourei/090808_gakusyu/kaigiroku.pdf
http://blogs.yahoo.co.jp/akihiko8015/63925176.html(ローゼ先生のご息女からの手紙)
http://blogs.yahoo.co.jp/akihiko8015/61492235.html
【付記】ローゼ先生に関するシンポジウムがあったそうだ(出典こちら)。

「むすんで ひらいて」を英訳した。

今日のゼミ授業では「むすんで ひらいて」を取り扱った。これはほとんどの部分が同じ文句の繰り返しだから、ゼミ生諸君にとっては英訳は易しかったようだ。面白かったのは、「その手を上[]」の個所に訳し方の違いが見られたことだ。ある学生 Put your hands up over your head  [under your knees] と訳し、別の学生は Your hands up on your head [on your knees]、さらに別の学生は Put up your hands over your head [under your knees] としたりPut our hands up to the sky [down to the ground] と訳したりした。私の英訳はこちらに掲載しておいた。「その手を上[]」の「上に」「下に」という表現にご注目いただきたい。
 来週は「今は山中 今は浜 今は鉄橋 渡るぞと」で始まる文部省唱歌「汽車」を取り上げる。

【付記】こちらに昔書いた「むすん でひらいて」に関する面白い記事がある。

リスのシッポが長太くて毛がふさふさしているワケ

risu学校帰りの近所の小学2、3年生の女の子が、洗車をしていた私のそばを通りかかった。一緒に歩いていた母親に訊いた。「ママ、きょうねネェ、学校でネェ、このまえ動物園で見たリスの絵かいたんだァ。でもリスってどうしてシッポがあんなにふさふさしてて大きいの? 」 お母さん、しばし沈黙。その後、そのお母さんが、娘に対してどんな答え方をしたのかは知らないが、子供とは本当に面白い質問をするものだと思った。そういう好奇心が育って、将来の職業や研究に繋がるかも知れないし、「大人はどうせ答えてくれないから、訊いても仕方がない」という諦めの境地が芽生えるかも知れない。

 同じ疑問を持つ人がいるようだ。インターネットで検索してみると、「リスのしっぽってなんで、あんなに太くて長くて、上に伸びているんですか?理由は...」、「リスってふわふわのしっぽしてますけど生物学上どういう理由であんなしっぽしてる...」などといった質問がYahoo知恵袋に出ているのが分かった。だが、私には、両者とも質問者の質問の答えにはなっていないように思える。「だから、どうして“リスだけ”がそうなのか」が、いまひとつよく分からないからだ。「リスのふさふさの尻尾の意外な役目」という記事があって、これを読むと、かなり専門的な意見だという印象を受けるが、やはりこれも「どうして“リスだけ”なの?」という疑問が残って、消化不良の感を否めない。

  専門的には、何らかの説得力のある答えが出せるのかも知れない是非ご教示いただきたい。だが、幼い子供に言って聞かせる理由としては次のようなものがいちばん“教育的”だと思う。私が、幼かった日のわが娘や息子(あるいは将来の孫?)から、同じ質問を受けたら、たぶんそう言うだろう。

 それはね、昔々、アダムとイヴという男の人と女の人がいてね。神様から食べてはいけないよって言われてた果物を食べちゃってね。リンゴだって言われてるけどね。ところがそれを見ていたリスがね―昔のリスのシッポは短くて小っちゃかったんだけどね―それを一生懸命に自分の目の所まで伸ばして、神さまがしてはいけないって言っていたことをしているアダムとイヴ を見ないようにしたんだね。それを見た神さまが、お前はいい子だ、でもシッポが短くて細いから、ご褒美にもっと長くて太くてふさふさした毛のシッポをあげようね。と言って、そのリスに今のような立派なシッポを与えたんだよ。だからリスのシッポは長太くて毛がふさふさして、しかも上に向かってピンと立ってるんだよ…。

副詞のregretfullyとregrettablyのこと

最近、英語を母語とする人の英語に、「残念そうに」の意味の副詞 regretfully (=in a regretful manner) と、「残念ながら」の意味の regrettably (=to be regretted) とが混同して使われている例をしばしば見かける。すでに英和辞典でも、その点を反映した訳語を添えているものも多い。だが、言葉に敏感な人たちは、両者は使い分けるべきだと主張する。

 たとえば、私が見かけた例に Regretfully, we cannot ship to P. O. Boxes and we apologize for any inconvenience this may cause.(出典こちら)というのや、Regretfully, freight and return shipping fees are not refundable.(出典こちら)というのがあるが、この例の場合も regretfully ではなく、regrettably のほうが望ましい。
 形容詞としてのregret もfeeling or showing regret ということであり、regrettable は (of events or conduct)undesirable, unwelcome, deserving censure ということで、両者はやはり区別されるほうが好ましい。だが、いつも言うように、国民の多くが誤用を誤用と知らずに、普通に使い出せば、それはいつの間にか誤用ではなくなる。だが、日本人英語学習者としては、たとえば、次のように用いるのが好いと私は思う。

●regretfully ⇒ Mary shook her head regreftully. (メアリーは残念そうに首を振った)

●regrettablyRegrettably, Mary can't join us today. (残念ながら、メアリーは今日は我々に加われない)

 言葉とはそういうものだ。日本語で言えば、正用法だった「押しも押されもせぬ」が、誤用法だった「押しも押されぬ」にその場を奪われてしまっているのに似ている両者をGoogle検索に掛ければ、ヒット数は誤用法のほうが圧倒的に多いことが分かるだろう。それはインターネットを使用する世代が、そうでない世代よりも圧倒的に多く、しかも若い世代のほうが、そうでない世代よりも日本語の正用法に無頓着であるからだろうと私は思っている

「もう1つケーキを食べてもいいですか」の英訳

手元も電子辞書搭載の某和英辞典で「もうひとつ」を引くと次のようにある。,世韻魄用する。

もうひとつ【もう一つ】
,気蕕烹韻   one more...
‣もう一つケーキをたべてもいいですか
   May I have another piece of cake?


 残念ながら、この和英辞典の表記は非常に悪い書き方だ。なぜなら、「さらに1つ one more」と定義しておいて、用例はanother を用いたものを挙げているからだ。英語でanother (piece of) は最初の一切れを食べ終わってから「もう1つ」、すなわち2切れ目と言う場合に用いるものであり、3切れ目を所望する場合にone more を用いるのだ。したがって、私が関係した『スーパー・アンカー和英辞典』では次のように書いた。

‣もう1つケーキを食べていいですか May I have another [one more] piece of cake?(♦anotherは2切れ目、one moreはそれ以上を暗示する。)

 
私自身が長年辞書編纂に携わって来ているから、仲間の悪口を言うようで嫌だが、こんな“欠陥商品”を作った出版社と、いつまでもそれを搭載している電子辞書会社は大きな社会的責任を感じるべきだ。本ブログで採り上げた同和英辞典の誤訳・珍訳はもう5、60例を優に超えるだろう。

「花嫁人形」を英訳した。

「金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめながら花嫁御寮(ごりょう)は なぜ泣くのだろ」で始まる、童謡「花嫁人形」を英訳した(→こちら)。英訳作業は結構難しかった。
襴緞子
(きんらんどんす)
の 帯しめながら 
花嫁御寮
(ごりょう)は なぜ泣くのだろ

今日はマロンとネロの10歳の誕生日だ!

74e76bd3-s.jpg今日は我が家の柴犬マロンとネロの10歳の誕生日だ。平成15[2003]年の今日生れた。妻(故人)は京都に華道の勉強に出掛けていて留守だった。息子と私の二人が母犬・プリルの出産に立ち合った。四匹生まれたが二匹しか育たなかった。最初は誰かに貰って貰おうかと思ったが、生まれて来たのを見て、それは止めた。可愛くて仕方がなかった。二匹の性格はまるで違う。マロンは小太りで外出が大好き、ネロは小柄で外出は大嫌い。食べ物の好き嫌いもだいぶ違う。前者が食べないもの(クラッカーや煎餅)を後者は好んで食べる。言ってみれば二匹は双子だ。それでも性格はかなり違うから、その点は人間の兄弟姉妹と同じだ。同じ親から、同じ環境の下に生れて来ても性格や趣味嗜好はかなり違う。犬たちを五匹も飼っていると、日常的にいろいろなことに気付かされる。これから“高齢”に向かう五匹の柴犬たちの面倒を最後まで見てやらねばならない。そのためには私が先に逝くわけには行かない。今日は私も忙しいが、夜には二匹の誕生日を開いてやるつもりだ。マロン、ネロ、10歳の誕生日、おめでとう! 【写真は生後56日のマロン(右)とネロ(左)】

「エチケットとしてガムを噛む」を英語にすると?

口臭がしていそうな時には、僕はエチケットとしてガムを噛む」を英語にするとどうなるかと学生諸君に尋ねると、100%の諸君が、多少の語句選択の違いはあるが、I chew gum for etiquette when I may have bad breath.と書く。文法的には全く問題はない。あるとすれば、英語を母語とする人たちは、こういう言い方は普通はしていないということだ。
 英語母語話者の英語をよく聞いていると、大抵は、I chew gum to avoid offending others when I think I may have  bad breath.のような言い方をしている。つまり、「エチケットとしてガムを噛む」=chew gum for etiquette とは発想せずに、「他人を不愉快にしないようにする」=avoid offending others のように発想する。「エチケットとしてガムを噛む」=chew gum for etiquette という発想とその英語表現は和製だと言ってよいだろう。ちなみに、英語のetiquette は「礼儀作法」のことだが、日常的にはmanners ほどには使われない語だ。特に、人の行儀の良さや悪さを言う時には後者の語のほうがよく用いられる。

「ちゃっきり節」を英訳

「唄はちゃっきぶし 男は次郎長」で始まる北原白秋作詞「ちゃっきり節」を英訳した(こちら)。作曲は町田嘉章(通称:町田佳声だ。静岡県民謡と思われているが、実際にはいわゆる“新民謡”の1つ。英訳はさほど難しいものではなかったが、方言が出て来るので、多少戸惑った。

「琵琶湖周航の歌」の英訳のこと;「泊火(とまりび)」の意味

昨日のゼミ授業で取り扱った「琵琶湖周航の歌」には、滋賀県公認(?)の英語版がある(こちらYoutubeの動画が、またこちらに英語版の解説がある)。日系アメリカ人のPhilbert Ono 氏が英訳したものだ。ゼミ授業でこの歌の英訳を済ませるまで、英語版が存在することは知っていたが、私も同氏によるその版は見なかった。授業が終わったあと、具体的には昨夕、初めてじっくりと見てみた。

上記のYoutube 版の歌唱はアメリカ合衆国イリノイ州出身の双子の姉妹Jamie Thompson さんと Megan Thompsonさん(現在、日本在住)とが行っているとのこと。

 日本語の原詞とOno 氏に英訳を逐一比較すると、私にはいろいろと疑問に思えるところが出て来るが、「これは“誤訳”ではないか」と思った箇所の1つが3番に出て来る「赤い泊火(とまりび) 懐かしrみ」という個所の「赤い泊火」の英訳だ。Ono 氏はこの個所をOn shore we see red fire, brings back memories.と訳し、「たき火か灯火かはっきりしていませんが、この英語だとたき火と想像する人が多いと思います」と解説を加えている(こちら)。だが、これは違うだろう。この場合の「泊火」とは舟泊まり[船着き場]か桟橋か、いずれかに設置されている“航行灯”のはずだ。私は船釣りが好きで、操縦免許も所持しているが、「泊火」の「(とまり)」とは、今言った「舟泊まり」か「船着き場」かの意味で用いている。第一、ここは文脈から言っても、湖岸の“たき火”と解釈して、On shore we see red fire, brings back memories.湖岸に赤い火が見れると、思い出が浮かぶ;Ono 氏の日本語のまま)とするのは不自然だ。この点、もう少し調査してみたいと思っているが、私がもっとも不自然だと思ったのはこの個所だ。その他、違和感を覚える個所は何か所もある。1番の「旅にしあれば しみじみと」を「この旅で私の心は、凄い幸せいっぱいです」と解釈してThis journey fills my heart with, intense happiness.としていること、「のぼる狭霧や さざなみの」を「のぼる霧が蒸発したり、さざ波が来て去って行く」と解釈して、Rising mist evaporates, ripples come and goとしていること、等々、かなりの個所に疑問を感じる。だが、Ono 氏本人も「決してパーフェクトで正式な英語版とは言えません。元の歌詞の意味が不確かなところがあったり、私の個人の解釈による英語訳も入れたり、曲に合わせるためにもいろいろな限界もありました」と書いて、不完全性を認めているただし、そのあとすぐに、「しかし、完成度は高く反響も良く、自信を持って個人でついに2007年にCD」と書いて、英訳への“自信”を覗かせている!

 私は英語の母語話者ではないので、私の英語がOno 氏のものよりも優れているなどとは思いもしないが、私の英訳と同氏のものとを比較すれば、どちらが“原詞の意味により近いか”は判断できるだろう。

【付記】「愛唱歌の魅力を翻訳 英語版・琵琶湖周航の歌 =日系2世・オノさんが英訳=」

【後刻記】赤い泊火」が“たき火”ではなく、“航路灯”だとする私の直感を裏付ける記事を見つけた(→こちらの記事の中に「赤い泊火(トマリビ)なつかしみ」と題して書かれた文章がある)。

「琵琶湖周航の歌」を英訳した。

b間に大学祭が入って、1週間、ゼミ授業が出来なかったので、実際には2週間の時間的余裕があり、今日、いつものゼミ授業を行なった。2週間前に出した英訳課題曲は「琵琶湖周航の歌」だった。ゼミ生の全員がその意味を取るのに大いに苦労したようだ。中には、琵琶湖関連の施設に連絡を取って、その意味を訊いたゼミ生もいた。この歌にはすでに公認(?)の英訳があったが(こちら)、ゼミ生諸君にはそれを絶対に見ないように、自分の頭で考えて訳すようにと言っておいたのだが、その点は守られたようだ。私の英訳はこちらに掲載しておいた。来週は「むすんでひらいて」を取り扱う。平易な童謡だが、さてその英訳はどうだろう。

1.
むすんで ひらいて
手を うって むすんで
また ひらいて
手を うって
その手を うえに
むすんで ひらいて
手を うって むすんで


2.
むすんで ひらいて
手を うって むすんで
また ひらいて
手を うって
その手を したに
むすんで ひらいて
手を うって むすんで

学校の「文化部」はculture clubではない…(続)

先刻、中学・高校・大学など、学校の「文化部」をculture club と表現するのは適切ではないことを書いた(こちら)。そのあとで、あちこちの学校の「文化部」を英語では何と表現しているかと思って、ウェブ検索をしてみると、調べた限りのところがやはりculture clubだった。誤った情報を与えているサイトもある(たとえば、こちら; 「学生のいわゆる『文化部』て英語でなんて言うのでしょうか?『運動部』についても教えて下さい!」という質問に答えたものだ)。中に、「ラオス文化研究会 Lao Culture Club of Japan」と言う使い方があったが、これがculture club の正しい使い方だと思う。これだと「日本にとっては異文化であるラオスの文化を研究する会」という意味になるからだ。

学校の「文化部」はculture clubではない…

cわたしは高校時代、文化部に入っていました」を学生に訳させると、たいていはWhen I was in high school, I belonged to the culture club.と書く。前半の文はいろいろだが、「文化部」を the culture clubと書くのは全員一致している。その理由を諸君に尋ねると、“電子辞書”の和英辞典で「文化部」を引くとこの語が出て来るという。受講生の一人にその電子辞書を見せてもらうと、確かに、「文化部 culture [cultrual] club [C]」と出て来る(私が持っている電子辞書の1つにも同じ書き方をしたものがあった! だが、この書き方はミスリーディングだ。なぜなら、culture [cultrual] club と言えば、“異文化を研究するクラブ”というイメージになる可能性のほうが高いと思うからだ。高校あたりにある「文化部」はむしろ、an academic [non-athletic] clubのように言うほうがよいだろう。

翻訳とはしょせん誤解である(続)

本稿は去る4日に書いた「翻訳とはしょせん誤解である」の続編である。昨日、私のゼミに所属する、社会人であり学生でもあるK君が、ゼミ専用掲示板に次のように書いた(高校名の変更と赤字は山岸)。

わたくしの出身高校(埼玉県立K高校)は県内では最もリベラルな校風を誇り制服は廃止し私服通学でございました。そして日の丸君が代に関しては徹底反対の立場を教員も生徒も取っておりました京都大学出身の教師が多く共産党員で日教組に加入しておりました。その様な環境で愛国心の育てようがございません。今考えますと先生からの御指導を頂くまでの20年間余り盲目的にも出身高校の教員の言うことを信じてきたように存じます。今その偏見から初めて脱することが出来たことを実感しております。

 ここに“リベラル”という英語由来の語がある。これは政治的な意味というよりも、「社会の決まりや権威にとらわれない」という比喩的で一般的な意味で用いていると考えられる。だが、文脈から判断するに、同君の学校は日の丸・君が代に関する限り、英語で言う liberal な学校では決してない。なぜなら、英語のliberal willing to understand and respect other (people’s) opinions, ideas and feelings他人の意見・考え・感情を理解し、それを重んじる)という含みの濃い語だし、日常的にはその含みで用いているからだ。同君の高校は、私に言わせれば、単なる“自虐史観に染まった教師”の多い高校だとしか言いようがない。「京都大学出身の教師が多く共産党員で日教組に加入しておりました」という言葉も私の推測の正統性を裏付ける。
 同君の言う“リベラル”が英語の含みまで理解されて日本語になったものなら、「日の丸君が代に関しては徹底反対の立場を教員も生徒も取っておりました」となるはずがないからだ。教師の政治的・歴史的偏見を生徒たちに押し付けて、生徒たちはそれを鵜呑みにしただけだ。本物の“リベラル”とは、日の丸・君が代に敬意を払う生徒たちやその保護者達がいる場合いないはずはない、その意見も取り入れて、一番良い形でその問題を解決し、「徹底反対の立場」など取らないはずだからだ。結局は同君の“リベラル”という語の理解も「しょせん誤解」に過ぎないのだ。日本人の使うカタカナ語には、こうした“日本人的誤解”が混在していることがはなはだ多い…。

【後刻記】同君はその後、私が書いた「リベラル」の説明文を読み、自分がその語を「自由放任」と誤解していたとゼミ専用掲示板で告白した。やはり、「翻訳とはしょせん誤解である」の思いを強くする…。

「お高くとまる」と put on airs

put on手元の電子辞書に搭載されている某和英辞典で「お高くとまる」を引くと、 put on airs が最初に出て来る。だが、この処理は適切ではない。日本人にはこの慣用句をよく使う学習者がいるが、これは会話では一般的ではない。この辞書を使った初級・中級学習者はまず間違いなく、たとえば、「お高くとまるなよ」のような砕けた日本語をDon't put on airs.とするだろう。だか、会話ではDon't be stuck up.と言うほうが普通だ。「お高くとまるものではない」という、少々固い感じなら 、同辞典がput on airs 一緒に載せている give oneself airs を使ってDon't give yourself airs.と言えばよいだろう。同辞典にはassume airsも載せてあるが、堅い言い方だから、ここでは不適当な語だ。その意味で、この和英辞典の表記には問題が何点もある。
 ちなみに、女性が「(私は簡単には落ちませんよ」というふうな気取った態度でいる場合の「お高くとまるなよ」は、Don't play hard to get.と言えばよい。
 最初のput on airsは、会話と言うよりも、たとえば、「彼はお高くとまらない[気取らない]性格なのでみんなに好かれる」Everyboday likes him because he doesn't put on airs.というような普通の文の英訳として用いられる。

島倉千代子さんが亡くなった。

歌手の島倉千代子さん(75)が亡くなった(こちら)。丁目こそ違ったが、私が中学3年生の頃に住んでいた東京都品川区豊町に、島倉さんが通った日本音楽高等学校があったことから、何となく身近に感じて、いつも応援していた。品川区公会堂で行なわれたコンサートにも行った。透き通るような声で、「東京だョおっ母さん」、「この世の花」、「からたち日記」、「りんどう峠」、「人生いろいろ」など、多くのヒット曲を歌った。私生活では大変な苦労があったようだが、島倉さんの歌に、自分の青春を重ね合わせる私の世代のファンは多いはずだ。乳癌を患い、最後は肝臓癌に苦しんだという。癌と聞けば、他人事ではない。人々からどれほどもてはやされ、名声を博した人でも、この世を去る時は、何も持たずにたった独りで去って行かなければならない。まことに色即是空だ。島倉さんのご冥福を心からお祈りする。合掌。

「いい奥さんになる」とbecome a good wife

彼女はいい奥さんになるだろう」を英訳させた時のことだ。25人ほどのクラスの半数近くの受講生がShe will become a good wife.と書いた。正解はShe will be a good wife.だ。「なるbecome」と覚えていたためにそう書いたのだろうと思っていたが、受講生の一人に、「どうしてbecomeを使ったの?」と訊いてみると、案の定、「この電子辞書にあります」と答えた。実際には「彼女は彼のよいお嫁さんになるだろう」という日本語の例文で、それに対する英文はShe will make him a good bride.= She will make a good bride to him. = She will become a good bride to him.だったが、自分は一番馴染みのある単語(=become)を使った3番目の用例を借用してShe will become a good wife.と書いたと言った。
 その電子辞書にある用例の場合のbecomeは正用法だが、私が出した「彼女はいい奥さんになるだろう」という日本語の場合にbecomeを使うのは不適切だ。なぜなら、これを使ってShe will become a good wife.と書けば、それは「(今は良くない妻だがそのうちに良い妻になるだろう」という意味になるからだ。becomeとは「徐々になる」ということで、この場合は「今は良くない」という含みを持つ。She will make a good wife.も正用法だ。

婚外子のこと。

今朝の朝日新聞「天声人語」(“天声”などと、不遜とも形容すべき名称だ!)に、婚外子の相続の現状を“差別”と判断した最高裁の判決を支持する記事が出ていた。曰く、

(前略) 安倍氏が率いる自民党の中にそれを認めたくない政治家が多いようだ。婚外子に対する相続差別の解消をめぐる議論がずいぶん迷走した。最高裁が差別は憲法違反だと判断したにもかかわらずである ‣反対派の主張はこうだ。結婚した夫婦の子と同じだけの遺産相続を婚外子に認めたら、結果として不倫を助長し、一夫一婦制を危うくし、結婚制度の意味を失わせ、家族の崩壊につながる ― ‣意図してのことかどうか、大きな見落としがある。当の婚外子の視点なり思いなりが顧みられていない。子は親を選べない。最高裁も指摘していた。婚外子は「自ら選択ないし修正する余地のない事柄」で不利益を被る。(以下省略)

 一見、まことしやかな論だ。だが、すでに指摘した(こちらこちらこちら)ように、最高裁も朝日新聞も大事なことがわかっていない。それに、最高裁が決めたことは法制度の下では最終決定ではあるが、最高裁の裁判官が常に正しいなどということは絶対に言えない。思想的・政治的偏向の見られる人々である可能性も大だ。「意図してのことかどうか、大きな見落としがある」と言うが、それはそのまま、最高裁、朝日新聞にも言える。また、「子は親を選べない」とここでも言うが、この伝で行くなら、前にも書いたことだが、私のような戦後の自虐的教育をまともに受けた日本人は、好んでこの国に生まれたわけではない。それにも拘わらず、なぜ特亜諸国(支那・韓国・北朝鮮)に“懺悔”し“謝罪”を繰り返さなくてはならないのか。戦争を始めたのは我々ではないし、朝日新聞の好きな言葉“A級戦犯”とは無関係だ。朝日新聞の書くことには、そうした“無関係の戦後の日本人”の「視点なり思いなりが顧みられていない」。常々書くように、戦後、そうした“ハイエナ”のごとき特亜諸国(支那・韓国・北朝鮮)の“歴史的捏造”を許した張本人の一人は朝日新聞ではないか。そのことへの検証も反省もないまま、戦後の日本人を誘導して来た朝日新聞の体質がインターネット時代の今日、毎日のように明らかにされている。だから、朝日新聞が上掲のような“まことしやかなこと”をいくら書いても、“覚醒”した現代の日本人は騙されないだろう。もはや、日本人は、朝日新聞、NHKを初め、我が国のマスコミ(最近は“マスゴミ”と揶揄されることが多い)からのみニュースを得る時代ではない。その事実を全てのマスコミはよく承知しておくべきだ。
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