2015年01月

夫婦円満の秘けつは“ファーストネーム”で―NHKの勘違い

今朝、NHKテレビ“おはよう日本”で「夫婦円満の秘けつは“ファーストネーム”で」と題した番組を放映していた(こちらこちらも参照)。NHKは相変わらず「氏名」の「名」を“ファーストネーム”と呼んで憚(はばか)らない。昨年の5月10日にも、本ブログで「名=first nameではない!」と題した記事(こちら)を書いたが、その要所を次に転載しておく。

これは英語のfisrt name family name」の語順(たとえば、「John (first name) +Kennedy (family name)」の語順)の連想から生まれたものだ。だが、これは英語あるいはこの順序を採る言語に言えるものであって、日本語には当てはまらない。日本人にとってのfirst name とはまさに「姓名」の「姓」であって、「姓名」の「名」のほうを英語で敢えて言えばgiven name でなければならない。

 
救われたのは、その番組が終わり、次のコーナー(“オハスポ”=おはよう、スポーツ?)に移ろうとした時、先に担当していた男性アナウンサーがそのコーナーの担当者(男性)に、「〜さんは、奥さんをどう呼びますか」と聞き、それに対してその担当者が、「下の名で呼びます」と答えてくれた時だ。それが“日本語”での答え方というものだ! NHKよ、他のマスメディアよ、そして全ての日本人よ、いびつな“英語脳”にならないことだ!

「味わう」、「味遭う」、「味合う」、「味あう」

坂本竜馬に関する某ブログの記事を読んでいたら、次のような1文が出て来た。

脱藩編は高知から愛媛県長浜までの「脱藩の道」177キロを自分の足で歩いてみた。
山を越え山中を歩く困難な長距離だったが、龍馬の気持ちを十分味遭うことができた。

 私が興味を引かれたのは末尾近くに出て来る「味遭う」という言い方だ。これはもちろん、「味わう」でなければならない。ところが、“味遭う”をGoogle検索に掛けると実例はいくらでも出て来る。「味合う」、「味あう」も同様に誤りだ。以下にその例の一部を列挙する。

※実際に陽太郎がはじめて味遭う甘さだった。
※丸々とした柿の果実を味遭うには、あと8年。
※小樽と同じ港待ちのにおい。味遭い深い街だ。
※アタシの『BF(ブラックフェザー)』の速度、身を以て味遭いな!
※翁長、城間氏の当選に久々の歓喜を味遭うことができました。
※打合せや接待なら間違い無くここがいいでしょう。 味遭いに行くのも博多ならここがいいでしょう。間違いないお店です。

※本物を味合う - 甲府湯村温泉
※1人旅のんびり ヘルシー豚味噌鍋を味合う♪ 
※珍しい日本酒をちょっとずつ飲んで味合う洋食

※名水と味あうのどごしそば
※日本で味あうハワイの料理
※オフロードの気分を味あうために国道341号線を走ってきました^^

【質問】あなたは「味わう」の使役形として、「味わわせる」、「味わあせる」、「味わせる」、「味遭わせる」、「味合わせる」、「味あわせる」のいずれ(の表記)が正しいか、知っていますか。また日常的には、いずれを使っていますか。

各地方議会の「ヘイトスピーチ」に反対する浅薄な意見書

ここに、奈良県議会が昨年10月6日に、衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、内閣官房長官、法務大臣に対して提出した、「ヘイトスピーチ」への規制を求める意見書の写しがある。以下のとおりだ。

********************************
ヘイト・スピーチ(憎悪表現)に反対しその根絶のため法規制を求める意見書

 さる7月8日、大阪高等裁判所は、在日コリアンの子どもらが通学する京都朝鮮第一初級学校の付近に於いて「朝鮮人を保健所で処分しろ」、「スパイの子ども」、「日本からたたき出せ」、「ゴキブリ、ウジムシ、朝鮮半島へ帰れ」等大音量で連呼して、在日コリアンに対するいわゆるヘイト・スピーチを行った団体及びその構成員らに対し、これらの行為を差し止める判決を一審に引き続いて言い渡した。
 このようなヘイト・スピーチは、近年、特に社会問題化しているところである。
 奈良県においても平成23年、御所市の水平社博物館前において、差別用語を用いて被差別部落の住民や出身者を差別・侮辱する街頭宣伝行為を行ったことに対し、奈良地方裁判所はこれを差別と認め、損害賠償を命じる判決を言い渡している。そのような社会的状況の中、大阪高裁判決は、ヘイト・スピーチが憲法及び我が国も批准する人種差別撤廃条約の趣旨に照らして許されないと、はじめて明確に判断を出している。
 一方、国連人種差別撤廃委員会は8月29日、異なる人種や少数民族に対する差別をあおるヘイト・スピーチを行った個人や団体に対して、「捜査を行い、必要な場合に起訴するべきだ」と日本政府に対して勧告したことを公表した。
 よって、政府におかれてはヘイト・スピーチに対し毅然とした立場で臨み、ヘイト・スピーチ根絶のための国内法の整備を進めるよう強く求める。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

 平成26年10月6日
         奈 良 県 議 会
********************************

 他の多くの地方議会が国に対して提出した意見書も、内容的には上記のものと大差ない。だが、何度も書いたように、この種の意見書には、「ヘイト・スピーチに対し毅然とした立場で臨み、ヘイト・スピーチ根絶のための国内法の整備を進めるよう強く求める」という“表面的・皮相的”なことは書いてあっても、“ヘイトスピーチ”が起きると思われる理由や、それを根本的に解決するには、何をどうすべきかということへの言及・提案が一切書かれていない。したがって、問題の根本解決に結びつく“糸口”さえ見つからない。くどいほど書いて来たことだが、クラスの“いじめっ子”だけを叱り、監視し、場合によっては学校から追放しても、“いじめ”はなくならない。なぜなら、“いじめっ子”が抱える、あるいは訴えようとする問題点の解決が為されていないからだ。第一の“いじめっ子”を押さえつけても、第二、第三の“いじめっ子”が生まれ出る。“いじめの原因”を根治しない限り、“いじめ”がなくなることはないのだ。そんなことも解からずに、日本の多くの自治体では国に対して意見書なるものを提出している。浅薄だとしか言いようがない。

【付記】次も参照→「ヘイトスピーチ対策を求める意見書を地方議会が相次ぎ採択‐24自治体に」
                          「千葉市議会が「ヘイトスピーチ根絶強化を求める意見書」を否決 自民・公明が反対

朝日集団訴訟原告1万人突破!

 
 
 
 
  「朝日新聞を糺す国民会議」が中心となって、朝日新聞集団訴訟の原告を募集していたが、それが何と1万人を突破したという! 戦後のあまりの長い年月を、日本と日本国民、とりわけ、祖国のために戦い、散華なさった無数の英霊を“鬼畜”のごとくに貶(おとし)め、あまつさえ植村隆という、“加害者”でありながら“被害者”を装う記者を生み出した朝日新聞に対する全国草莽(そうもう)の怒りの表れだといえる。
 何度も書いて来たように、本多勝一、松井やより、植村隆等々の元朝日新聞記者たちが、どれほど我が国益を損ない、その名誉を毀損したか、法廷で明らかにすべきだ。また、裁判官たちは、そうした事実を冷徹な目で見て、正しい判決を下すべきだ。 

 私は半世紀近くの長き教員生活をいよいよ来る3月末日をもって終える。その長きにわたって、朝日新聞の記事の内容を信じ、それを教室で学生たちや生徒たちに話して聞かせて来た。今にして思えば、まことに、詫びても詫びても詫び切れないほどの“罪”を犯していた。したがって、朝日新聞にはその責任を取ってもらいたい。そういう思いで、私も原告団の一人に加わった。

 朝日新聞は自分たちの読者私もその一人だったに対しては詫びの真似事は行ったが、自分たちの罪過については、日本国民、とりわけ英霊に対してはいまだ正式には謝罪していないし、現在、世界中に居て、たとえば“慰安婦像”のせいで辛く悲しい思いをさせられている日本人全てに対しても謝罪していない。さらに、自分たちの誤報や捏造記事のせいで、世界の人々が日本の軍人・兵士たちを“セックスアニマル”だと見做すようになったことについても謝罪はしていない。したがって、やはり、裁判に訴えるしか方法はないのだ。それにしても、原告人が1万人を超えたとは驚嘆に値する。

【付記】朝日新聞の“責任”の取り方(の1つ)については、下の動画(01:57-06:22)の中で渡部昇一・上智大学名誉教授が明確に述べておられる。

I'm a doctor at the city hospital. と I'm a doctor.

ある大学の試験問題に次のようなものがあった。(   )内に入る表現を選ぶものだ。

A: Nice to meet you, Sam. So (     )?
B: I'm a university student. How about you?
A: I'm a doctor at the city hospital.

1. how are you doing
2. how do you do
3. what do you do
4. what do you think about his party


 答えは当然 3. what do you doだ。だが、私が疑問に感じたのは、最後の I'm a doctor at the city hospital. という言い方だ。人によっても異なるだろうが、英語を母語とする人たちのいったいどれくらいが、a doctor at the city hospital と、自分が勤務している病院まで明らかにするだろうかこれは日本語の場合でも同様で、私は市大病院の医師ですなどと“親切に”勤務先まで明らかにする日本人がどれくらいいるだろう)。私は、I'm a doctor. と応えるだけで十分だと思う。読者諸氏の周辺におられる英語国出身者に確認してみてほしい。

「びっこを引く」を差別表現とすること。

“一茶のおじさん”としてして知られる小林一茶のことを調べていたら、偶然、ラップユニット・DA PUMPのISSA(37)の名に行き着き、同氏が“差別表現”を使ったことに言及する記事にぶつかった。昨年の11月7日放送のラジオ「たまむすび」(TBSラジオ)で、ISSAが、「そっからまあ、ちょっとした後にみんなが入ったので。でも、最初のみんなと踊ったステージの時は、もう俺、足、全然びっこ引いてて…」と発言したそうで、同番組の小林悠なるアナウンサーが「先週の『その筋の話』の中で『びっこを引く』という表現がありましたが、これは、足が不自由なことに対する差別表現とされるもので『足を引きずる』と表現すべきでした。訂正してお詫びいたします」と謝罪したそうだ。

 こういう事例に行き当たるたびに、私は“言葉狩り”の“行き過ぎ”“やり過ぎ”を思わざるを得ない。誰かに向かって、その人を“差別”し“傷つける”目的で使ったものでもない言葉を“差別語句”だ“差別表現だ”と過剰反応する昨今の風潮をいつも苦々しく思っている。「びっこを引く」と「足を引きずる」とがかなり異なった動作だということは、ちょっと語感の鋭い日本人ならすぐに解かるはずだ。昨日も書いたように、「この世に存在してはいけないという言葉などあるはずがない」のだ。「びっこ」を別の語、1語で言い換えるとすれば「跛行(はこう)」となるだろうが、これは専門用語であって、一般人が日常的に使う語ではない。だからと言って、「片方、時に両足に故障があって、歩く時に釣り合いがとれないこと」とすれば、いかにも長たらしくなる。実際には、「びっこ」の治療を専門にする人たちの中には、その語を用いている人がいる(例:こちらこちら)。「びっこを引く」に対して、「足を引きずる」とは「地面・床などの表面をするようにして足を引いて行く」という意味であり、「びっこを引く」とは似て非なる動作だ専門的にはこれも「跛行」と呼ぶのかも知れない。人を貶(おとし)める目的で、悪意と共に用いる言葉は、どんな言葉であっても差別語句・表現になり得ることを認識すべきだ【後刻記】を参照

 ちなみに、私が関係した和英辞典の最新版には「びっこ」の収録はない。1991年の初版には収録されていたが、その後、出版社の強い希望で、その新版からは削除された。私個人はその削除には今もって反対しているのだが、出版社にとっては世間の非難を浴びるような“危険”は避けたいようだ。官公庁、出版社、雑誌社、新聞社、テレビ・ラジオ局、学校等々では「臭い物には蓋(ふた)」をすれば好いと考えているようだが、それは浅はかな考えだ。
 大切なことは、特定の語句・表現を差別語句・表現だとして排除するのではなく、その語句・表現が対象としている人々に対して、周辺の人たちが差別意識をなくし、深く大きな理解と寛容の精神を持って接することだ。それが出来た時、差別語句・表現だと思っていたものが、何の変哲もない普通の語句・表現になっていることを実感するだろう。

【付記1】こちらのYahoo知恵袋の質問とそれへの回答を参照。
【付記2】戦後間もない頃、つまり私が幼かった頃、私の周辺の日本人のほとんどは、「〜人」という、某民族敢えて言及しないを指す普通の語を口にすることが出来なかった。「きみ、アメリカ人 [フランス人、オランダ人、台湾人、インド人、etc.]?」とは聞けても、「きみ、〜人?」とは聞けなかった。それはその語に曰く言い難い“偏見”がまとわり着いていたからだ。つまり、どんなに普通の語句であっても、それを使用する側の人間に、その語句が指し示す対象への“偏見”があれば、それは“立派な差別語句”になり得るということなのだ。
【付記3】次も参照→「乙武洋匡氏、『障がい者』表記に違和感『字面を変えることには意味が無い』」 

【後刻記】Yahoo知恵袋に次のような1文があった(こちら参照)。何の変哲もない普通の日本語で書かれているが、伊集院光なる人物に言及した明らかな“差別表現”だ!
 
   質問した人からのコメント 2009/3/15 21:28:15
 どうでもいいけど、あの中卒が言ってたのですね。「伊集院光」が。

私は「釣りキチ」だ!―“キチ”という語

t釣りキチ」の「キチ」は“気違い”の「キチ」だから差別用語だ、したがって「釣りマニア」と言えというのが昨今のメディアのようだ。だが、この件に関しては2つの問題がある。第一は、「マニア」も語源的には「キチ」と五十歩百歩だということ、第二は「釣りキチ」と「釣りマニア」とではイメージがかなりに違うということだ。後者に関して言えば、私はもう65年以上も釣りをやっており、小学生になった頃から紛れもない「釣りキチ」だったが、自分のことを「釣りマニア」だと思ったことはない。

 雨の日も、風の日も、春夏秋冬に関係なく、それこそ一晩中でも堤防の上を歩き回り、テトラポットあるいは釣り船の上で釣り糸を垂らしていられる。空腹や寒さ・暑さなど何のその…大人になってからは、秋から冬にかけての寒い日などはウイスキーを飲んで体を温めながら糸を垂らすことも頻繁だ。乗り合い船に乗る時には、それこそ何時間も前から、釣り船宿の前に並び、一番に乗船させてもらい、理想的な釣り場所を確保できるように涙ぐましい努力をする。間(ま)が悪ければ、釣り船から堤防に移る時に、足を踏み外して、海に転落することさえある。

 よく釣れる餌は何々だと言われれば、それを求めて、それこそどこへでも出かけて行く。川釣りを専門とする「釣りキチ」も海釣りを専門とする者たちと大差ない。どこそこで売っている何という釣竿が好いと聞けば、自分の給料の額を無視してでも“高級竿”を買い込んでは、毎日のようにそれを眺め、磨き、身内の者にも触れさせようとはしない…「釣りキチ」とはそういう釣り好きをいう。これを「釣りマニア」と言ったのでは、その“すさまじさ”“馬鹿さ加減”は消えてしまう。「釣りキチ」が10段階の10なら、「釣りマニア」は6か7ぐらいだ。第一、「マニア」は釣り師のイメージが綺麗過ぎていけない。前記したように、私は自分では「釣りキチ」だと思っているので(昨今は仕事で忙しくそうでもないが)、「釣りマニア」と言われても少しも嬉しくない。「山岸さんは、本物の“釣りキチ”ですね」と言われると大いに嬉しくなる。そう呼ばれることを嫌がる釣り好きはいないはずだ。なぜなら、それはその人に対する“勲章”にも等しいからだ。

 矢口高雄さんの有名な『釣りキチ三平』は(画像→こちら)、かつて、その題名に「キチ」が付いているからというだけの理由でいわゆる“言葉狩り”に遭ったことがあるが、あれは「釣りキチ」だから好いのであって、あれを「釣りマニア三平」と称したのでは、それこそ“噴飯物”だ。昨今の「言葉狩り」を見ていると、あまりにも表層的であって、物事の本質を捉えていないと思わざるを得ない。「気違いと呼ばれることで悲しむ人たちがいる以上、そういう言葉は使うべきではない」と言う人がいるが、そう言う気持ちも分からないではない。だが、人に向かって「気違い」という言葉を浴びせることと、「釣りキチ(三平)」のように慣用的に用いることとは異なった言語現象・言語使用だ。大切なことは「言葉・表現を消すこと」ではなく、その言葉で言及される病人や病気に対する人々や社会全体の偏見・思い込みを解消・軽減したり、社会保障など、言葉以外の取り組みを充実させることだ。それを先行させるべきだ。「この世に存在してはいけないという言葉などあるはずがない。」 私はそう思う。

【参照】拙文→「病名としての『らい(病)』と『ハンセン氏病」

「最終講義」は行わず…(続)

hasu今から40数年も昔、私が法政大学の専任講師になった頃、当時、大学のある要職に就いておられた某教授のご母堂が亡くなった。その教授は陰で“天皇”と揶揄される人だったから、ご母堂の葬儀は盛大に執り行われた。500人から600人の参列者があっただろう。その側近からは「葬儀と告別式がいっしょだから、授業をキャンセルしてでも今日中にお悔やみに行くように」と言われた。「授業をキャンセルしてでも」というところに大いに反意を抱いたが、同僚の誰もが参列したし、私は専任講師に成り立てだったから、黙ってその指示に従った。

 その時に強く思った。「私の父母や身内の者が死んだ時には、他人を私のために煩わせまい」と。そして、父母が死んだ時にも、妻に先立たれた時にも、職務上、大学にその死を知らせはしたが、大学関係者の誰にも迷惑を掛けなかった。そしてその判断は間違っていなかったと思っている。私の同僚の誰も私の父母に会ったこともなければ話をしたこともない。私の妻にしたところで同じだ。そんな“無関係の人間”の葬儀に出るとすれば、「山岸が同僚だから」、「山岸に多少世話になったから」という社交的理由だけだ。

 人は皆、「浮世の義理」で動いている。「本当は行きたくはないが、行かないと義理が立たないから」だの「こちらにも都合があるけど、いちおう同僚だった[世話になった]から行っておこう」だのといった理由を付けて葬儀などに参列する人たちが世の中には多い。もちろん、本当に心を通じ合わせた関係者であれば、心底からの哀悼の意を表するために葬儀・告別式に出向くという人も多い。だが、私が知る多くの人たちは「浮世の義理」派だった。

 「他人を私のために煩わせまい」という考え方は、私が還暦を迎えた時にも、古稀を迎えた時にも生きた。したがって、退職する時に、「最終講義は行わず」と考えても不思議はないはずだ。前回も述べたが、「教師は教室が全て、学生・受講生が全て」だ。期末試験が終了し、学生も来なくなった大学で、《形だけの最終講義》を行うことにどれだけの意義があるのか。それを行うには準備が必要であり、そのためには同僚諸氏の協力が必要になる。

 私という人間は生まれてから死ぬまで《偏屈》、《変わり者》、《天邪鬼》らしい。だが、それを後悔などしていない。大学院時代に非常勤講師として中学、高校で教えた時期を入れれば、約半世紀の長きにわたって教壇に立ってきて、私は生徒・学生の授業評価で100点満点中、一度も90点を下ったことがない。その評価が私の全てを物語っているはずだ。あとは何をかいわんや、だ。もちろん、私がこの世を去る時(そう遠くない将来だろうが)、私の死は誰にも知らせるつもりはない。私の小さな家族にだけ看取られればそれで十分だ。そしてその準備は妻に先立たれた時から始まっている。

「最終講義」は行わず…

昨日、私が所属する学科の主任から、「最終講義」を行ってほしい旨の書状をいただいた。昨年末に、それを“不要”と考えるとお応えしておいたのだが、「再考願いたい」と書いてこられた。以下はそれに対する私の回答だ。

********************************
T学科主任
 ご丁寧な文面に恐縮致しました。ありがとうございました。私の記憶に間違いがなければ「最終講義」を行うという習慣は早稲田大学のシェイクスピア学者として著名であった坪内逍遥が昭和2年(1927年)に大隈講堂で行ったのが嚆矢であり、それ以来、我が国の伝統となっているものだと思います。
 ご存じだと思いますが、英語圏の大学(全てかどうかは分かりません)にはそういう習慣はなく、むしろ「就任講義」(inaugural lectures) という形式で、“未来”を語ります。私はそれでよいと思っています。先にS、K、Y の三氏が就任時に行ったものにやや近いと思います。
 私が「最終講義」を行ったところで、どれだけの有益性が見込めるでしょう。持てる力は全て教室で受講生に対して出し切りましたから、あとは何も思い残すことはありません。教師は教室が全てです。
 「最終講義」の意義を誰も疑いませんが、単なる習慣として受け継ぐ人が多いような気がします。私は、マッカーサー元帥がその就任中に最善・最大の努力をし、去る時に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die; they just fade away.)という言葉で締め括った“いさぎよさ”を見習いたいと思います。
 せっかくの主任の仰せ越しですが、私の気持としては、「最終講義」は不要だと思っています。学部長にもその旨をお伝えください。「英米語学科だけ『最終講義』を行う人がいない」とお悩みになる必要はないと思います。その習慣を守りたい者だけが守ればよいのではないでしょうか。
 以上、お尋ねに対するご返事と致します。
1月22日朝 (大学にて) 山岸 勝榮
********************************
【追記1】 「葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者の為に煩わさるべからず」を遺言として逝った、「男はつらいよ」の“たこ社長”こと太宰久雄氏の生き方に倣えば、「残る者(=現役教員)は去る者(=山岸)の為に煩わさるべからず」ということになるこの言葉は大正・昭和期の洋画家・梅原龍三郎が初めて言ったもののようだ「静かにいなくなりたい」、これが私の願いだ。
【追記2】 こちらも参照。

「カタツムリ、デンデンムシ、マイマイ、蝸牛」の語源

kataWikipediaでは「カタツムリ」の呼称と語源との関係を次のように書いている(写真は同所より借用)。語源説に関してはフリーランス雑学ライダーズ編著 『あて字のおもしろ雑学 意外な驚き・知的な楽しさ』(永岡書店、1988年9月)に基づいて書いているようだ。

***************
日本語における名称としてはカタツムリの他に、デンデンムシ、マイマイ、蝸牛(かぎゅう)などがある。語源については諸説がある。

カタツムリ

   笠つぶり説、潟つぶり説、片角振り説など諸説ある。なお、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。
デンデンムシ
  子供たちが殻から出ろ出ろとはやし立てた「出ん出ん虫」(「出ん」は出ようの意)であるとの説がある。
マイマイ
  「デンデンムシ」と同様に子供たちが舞え舞えとはやし立てたことに由来するとの説がある。
蝸牛
  語源については動作や頭の角がウシを連想させたためとみる説がある。

***************

 私は上記の語源説の最初の2件については少々異見を持っている。
 まず「(笠)つぶり」の「つぶり」を古語の「つび海螺)」だとしているが、私は「つぶり」は“円形”という意味の古語ではないかと思っている。「つぶな瞳」という時の「円ら」と同起源だということだ。「カタツムリ」の「カタ」が「カサ(笠)」に由来すると考えるのはそのままで好いだろう。
 次に「デンデンムシ」の「デンデン」は「出ん出ん虫」(「出ん」は出ようの意)という説だが、これもこれで好いだろうが、私はこれは「(つの)出い出いムシ」に由来するのではないかと思っている。「マイマイ」と「蝸牛」についてはこれでよいだろう。

walk under a ladder(はしごの下を歩く)ということ

ladder2英語圏には、「はしご梯子の下を歩く」(walk under a ladder)と不運に見舞われるという迷信があるが、現代人はこの迷信から、「はしごの下を歩くと、その上でペンキを塗っていたペンキ屋がペンキ缶を落としたり、大工仕事をしていた大工が使っていた道具を落としたりして、危険だから」という“理由”を思いつくかもしれないこちらのイラスト・写真を参照。たまたま某氏の英語ブログを見ていたら、それとは異なる、次のような説が目に付いた。

Don't walk under a ladder. 「はしごの下を通ってはいけなーい!」 これは「当然危な
から」というそこそこ現実的な理由が見え隠れする言葉ですが、 迷信としての根拠が
面白いのでご紹介しますね。
はしごは通常、壁のような面に立てかけて使うため、横か
ら見ると三角形が出来上がります。これがキリスト教の三位一体「父なる神、子なる神、
聖霊なる神」と重なるようTyburnです。神聖な神格が形成されているところを横切ったりしたら、そりゃ〜ダメでしょ、ということ。

 確かに、この考え方もにも一理ある。だが、逆に、「三位一体」を形成する場所に出くわすことは幸運だという考え方も成り立つだろう。私が知っている、もっと説得力のある、この迷信の起源説を紹介しておこう。それは次のようなものだ。

 昔、英国ロンドンのタイバーン (Tyburn;現在のHyde ParkのMarble Arch付近)に死刑執行場があった頃、そこには執行人用の高いはしごが設置されていた(上写真)。執行人はそれを登って死刑を執行した。このはしごはあくまでも執行人のためのものだが、死刑囚はこの真下で絞首される。そこから、「はしごの下を歩く」(walk under a ladder) と 間もなく死が訪れる、不運が待ち構えている という意味に解釈され、現代のような迷信として残っている。

「貢(みつぐ)」という語

今から60年以上も昔、私がまだ小学3年生だった頃、同じクラスに“三好 (みよし・みつぐ)”という名の男子がいた。当人に向かい「って、いい名前だね」正確には、方言で「って、ええ名前じゃのぉ」と言った記憶がある。その時、同君がなんと応えたかは覚えていないが、「ありがとぉ」「が」に強勢を置くと言ったように思う。その後、歴史の授業で「朝貢(ちょうこう)」という語があることを学んだ。「外国の使者が来て、朝廷に貢ぎ物を差し出すこと」という意味だった。その後、高校生、大学生になり、「若い女が好きな男に金を貢ぐ」だの「自分の息子ほどの歳の男に生活費・遊興費などを貢がせる悪女」だのといった“けしからぬ”用法も覚えた。

 だが、語源的に見た場合、私は「みつぐ」という日本語が、“三好貢”君と同級生になって以来、大好きだ。「」とは美称であり、「つぐ」は「(血筋を)継ぐ」という意味だからだ。両親の死後、跡継ぎの長男が幼少の頃、何の報酬も見返りもないにも拘わらず、その“後見人”となり、その幼い長男の成人まで面倒を見、奉仕をすることを言ったところから出た語だ。現代人が忘れ、欠いてしまった心は「みつぐ」心だ。私はそう思う。他人のために何かをする時、そこに何らからの“報い”を求めようとする時、それはもう「みつぐ」こととは無関係だ。“三好”君は今ごろ、どこでどうしているだろう。

【後刻記】上智大学名誉教授・渡部昇一氏が『歴史の鉄則』の中で「『みつぐ』は『公共のものを支える』ということ」と題して「貢」の語源に触れておられる(→こちら)。

future dream, future plan のような言い方

大学2、3年の頃だったろうか、英作文の時間にMy future dream is...と書いた。返却された解答用紙には担当教授(アメリカ人)の赤が入っていて、"future" is needless だったか、"dream" is inevitably for the futureだったかのように書かれていた。要するに"dream" は未来のことだから"future"は不要だということのようだった。指摘されてみて初めて分かったが、我々は日本語でも同じことをやっている。「私の将来の夢は…」という類いのものだ。また別の時に、うっかりMy future plan is...と書いたことがあった。これも"future"は不要だということだった。日本語でも「私の将来計画は…」というから何の違和感もなくそう書いたのだろう。その後、英語母語話者が書く英語を見ていると、彼らもやはりfuture dream, future plan と書いている。強調表現の一種だと思って、あまり神経質になることはないだろうが、適宜、dream, plan とだけ書いたり言ったりするようにしている。

「挙句の果てまで」?

最後の最後には」、「とどのつまり」といった意味の慣用句に「挙句の果て)」がある。たとえば、「暴走族同士の小競り合いが続いていたが、挙句の果て、激しい暴力沙汰となった」とか「山中さんはヨットが好きで好きで、挙句の果てに自分でもそれを作ってしまった」とかのような用い方をする。ところが、これに似た、面白い用法を見つけた。「挙句[あげく]の果てまで」というものだ。私は聞いたことも、使ったこともない、従って書き手の“真意”を推し量りかねる、まことに珍しい用法だ。5例を挙げる。

※連れてって、挙句の果てまで トーキョーより、福井のほうが暖かい。
  ●(「地の果てまで(も)」のつもり?)
※先のブログの食堂のお問い合わせから釣り方法、あげくの果てまで進路相談のご相談までさまざま。
  ●(「挙句の果て」、「最後には」のつもり?)
※現代人の悪の巣窟、象徴、あげくの果てまでええ 歳こいたおっさんまで参加する時代・・・。嫌な世の中やね。
  ●(「挙句の果てに(は)」のつもり?)
※オンラインゲームをしていたら自分の個人情報が漏れているような感じがするのですが、自分の悪口とか書かれてあげくの果てまで自分の家族の事とか一致してるんです!
  ●(「挙句の果てには」のつもり?)
※日々のやりがいはありました、ただオーナー企業であり、商品開発からパッケージや中身に至るまでチェックもある、挙句の果てまで売価ライン迄すべて口をだし、社員が意見を伝えても...」など、ジャパンギャルズの評判・評価・社風のクチコミ ...
  ●(「最後には」のつもり?)

Prime Minister、 prime minister、「首相」

Abe英作文の時間に、一人の学生から「首相」に相当する英語であるPrime Ministerprime minister に関して質問を受けた。「Prime Ministerの頭文字はいつでも prime ministerのように小文字で書いていいのですか」というものだった。「一般的に言えば、現役の首相に言及する場合はThe Prime Minister made a wonderful speech yesterday. / Prime Minister Abeのように大文字で書き、退任したり辞任したりした元首相の場合はa former prime ministerのように小文字で書くといいね。」答えておいた。

「救急車 (ambulance)」は速いか?

救急車」を英語でambulance”と言うことは今では日本の子供でも知っている。その「救急車」という語から、普通、我々が連想するのは“速いクルマ”ということだろう。だが、語源的には狢い”どころか“歩く”ということだ。この語はラテン語のambulare  (=walk)に由来する。これが19世紀初頭にはhospital ambulant (=walking hospital;“歩く病院”、移動野戦病院)という意味になって、そこから20世紀初頭に現在の「救急車」という意味になったのだ。

more preferable thanという言い方

英語圏のサイトを眺めているとしばしばmore preferable thanという言い方を目にする。「〜より(いっそう)望ましい」という意味だ。だが、preferableという語自体にmoreの意味が含まれているから、伝統的に言えば、この語は不要だ。それにpreferablethanではなく to を従える。したがって、This is more preferable than that.ではなくThis is preferable to that.が伝統的な正用法ということになる。ただし、much [far] preferable toは容認語法だ。

leave home とleave one's house

学生諸君に「朝何時に家を出ますか」 「7時半頃です」という短い対話を英訳してもらうと、多くの諸君は“What time do you leave home in the morning?” “Usually around [about] 7:30. ”と訳す。問題は質問文のほうだ。これでも通じるが、 leave home という言い方には「家出をする」という意味もあるから、誤解を生じる恐れがある。それを避けるためには leave your  house とすれば好い。これだと「(家から)出かける」という意味しかないので誤解されることがない。

"die in harness"のharness

「英辞郎on the WEB」(こちら)を見ていたら、
     in harness
        1.〔馬が〕馬具をつけて
       2.仕事中で
と出て来た。またその下を見ると、
     die in harness
       殉職する、職務[服務]中に亡くなる
とあった。もちろんこの意味で好いのだが、この die in harness という慣用句とその訳語を見た日本人は、おそらkく、 in harness が「〔馬が〕馬具をつけて→仕事中で」という意味であるところから、「〔馬が〕馬具をつけて→仕事中で」→「〔馬が〕馬具をつけた状態で死ぬ→仕事中に死ぬ、殉職する」という意味に発展したのだと思うだろう。そう思ってしまうのは、それらの訳語を見ている限り当然のことだ。
 だが、実際にはdie in harnessという場合のharnessは“馬”ではなく、昔の“騎士”たちが身に着けた“甲冑(かっちゅう)”のことだ。「甲冑を身に着けたまま死ぬ→殉職する」と発展したと考えるのが自然なのだ。ちなみに、W. ShakespeareのMacbeth (第5幕、第5場)にはAt least we'll die with harness on our back.の形で出て来ている。

松葉遊びのこと

Yahoo知恵袋を見ていたら、次のような質問をしている人がいた。

の形をした葉っぱをクロスさせて引っ張り合って切れたほうが負けになる遊び
なんていうんですか? あと、なんという植物の葉を使うんでしたっけ?

 これに対する回答は以下のものだった。

◆わたしは松葉相撲か、ひっぱりっこと呼んでいた気がします。
◆オオバコの茎を使う場合は「草ずもう」って言っていたと思います。
  ですが、Vの字ということですので、マツの葉っぱ(松葉ずもう)の方でしょうか。

 私も幼い頃、今から半世紀以上も昔、幼友達とよくこの松葉遊び、あるいは松葉相撲をした。ほかにオヒシバ(またはメヒシバ)、オオバコスミレなどを使うこともあった。インターネットでこの遊びのことを調べると、見た限りでは、みな「子供の遊び」といった考え方で言及されている。たしかに、「遊び」ではあるが、昔の日本人はこれを“神の意志の現れ”と考えた。引っ張り合いに勝てば、《神の加護がある、《願いが叶うと考えたものだ。

【付記】松葉遊び・松葉相撲などの画像(こちら)。

“brick”と「頼りになる奴」の意

brick]英語の古い口語の1つに“brick”がある。「頼りになる奴」という意味だ。“brick”は文字通りには「レンガの1つ)」と言うことだが、どうしてこれが「頼りになる奴」という意味になったのか。

 それを知るには古代ギリシャにまで時を遡(さかのぼ)る必要がある。古代国家エピルス(Epirus;ギリシャ北西部とアルバニア南部にあった)の特使が古代ギリシャのスパルタ国に赴(おもむ)いた時、同国の防壁(walls)が十分に強固でないのを目撃して、同国の立法者・リクルゴス (Lycurgus)に向かって、「貴国ではどうしてこんなに防壁が不十分なのですか。」と尋ねた。その時には応えはなかった。翌朝、エピルスの特使が起きて目にしたものは、兵士たちが隊列を成した立派な勇姿だった。リクルゴスは特使に言った。「これがわが国スパルタ国の防壁であり、一人ひとりが“レンガ”のごとく強固なのです。」と。

 この“レンガ”の話が英語に入って、“brick”に「頼りになる奴」という意味が生じたのだ。それを広めたのは古代ギリシャの伝記作家・歴史家のプルターク (Plutarch)だ。

【付記】リクルゴスの言葉から、武田信玄が残した「人は石垣、人は城」という言葉を思い出した。

「ますますのご活躍を…」という社交辞令

私が来る3月末日をもって教壇を去ることを知っている、あるいは知った後輩・教え子諸君の何人もが年賀状や年賀メールで「(今後ますますのご活躍をお祈り申し上げます」とか「一層のご活躍を祈念致します」などと書いてきた。正直なところこの1文は私にとって嬉しくもあり、嬉しくもなしと言ったものだ。書いた本人はどういう気持ちで書いたのか知らないが、こういう定型化した社交辞令は私のような年齢の者には避けたほうが無難だろう。なぜなら、古稀を過ぎた人間が(絶対に無いとは言わないし、言えないが)、「ますます(=一層、はなはだしく)活躍」することなど考えにくいからだ。第一、日本の大学は(米国のそれと異なり)“定年”を設けていて、私のように十分に働ける者を“無理やり”辞めさせるのが社会的慣習だから、“ますます活躍”したくとも出来ないようになっている仕事の種類を変えれば話は別だろうが、年齢的にそれも難しい
 話を戻すが、「活躍」とは「注目を浴びるような素晴らしい活動をして成果や業績を上げること」という意味だから、私のように(自画自讃になるが)すでにかなりの成果や業績を上げている者に対して用いる語としては控えたほうが好いだろう。「ますます活躍」すべきはむしろ、後輩・教え子諸君のほうだ。したがって、受け取り手によっては、それが後輩・教え子諸君から言われているということで、何か“皮肉”を言われていると解釈するかも知れない。私が古稀を過ぎた先輩や恩師に賀状で書くとすれば、たとえば、

◆ご自愛くださり、今後ともわたくしども後輩[学生]をお導きくさい。
◆ご自愛くださり、傘寿、米寿、卒寿、白寿…とお迎え下さい。
◆お体を大切になさり、いつまでもお元気でいらして下さい。 

◆御身をおいとい下さり、幾久しくお幸せでいらして下さい。

のように書いて、「ますます活躍してほしい」というようなことは書かないだろう。どうしても「活躍」という語を用いたいということであれば、たとえば「幾久しくご活躍下さり、わたくしども後輩[学生]をお導き下さい。」のような言い方なら許容度が上がるだろう。「今後ますますのご成功をお祈り致します。」という言い方も抵抗感が少ないだろう。

「恒例」と「好例」

政治色の濃い某掲示板を読んでいたら、次のような1文が出て来た。

わたしは駿河湾からのぼる初日の出が拝める温泉で朝湯につかりながら、平成27年の正月元旦をむかえました。すでに10年以上の元旦の好例になっております。

 そこに「好例」とあるが、これが「恒例」の誤変換であろうことは容易に推測がつく。だが、書いた人の中にはこの誤変換に気づかない人が意外と多いようだこの「意外」という語もよく「以外」と誤変換される。次にGoogleから5例だけ拾ってみる。

好例になっている年末の「大間本まぐろ解体セール」の残品目当て。
●しばらくすると、赤ちゃん達がきて、我が家で好例になっている亀ごっこをしました。
●毎年好例になっている整骨院での年越し☆ 合計9人集まり、お酒を飲みながら過ごし ました。

●このイベントでは、BRAND Xの矢田店長が各バンドを呼び入れてトークを行っていくこと が好例になっている。
●昨日、11月20日(11月の第三木曜日)はボジョレーヌーボーの解禁日でした! 千年園 では毎年好例になっているのですが、…

 ********************

好例」…適切な例、適例
恒例」…《古くは「ごうれい」とも》いつも決まって行われること。多く、儀式や行事にいう。また、その儀式や行事。
(共に『デジタル大辞泉』より)

「やぶさか」の意味と用法

 

 

1993年から2008年12月20日まで日本テレビで放送された報道番組『報道特捜プロジェクト』の動画をインターネット上で今でも見ることができる。おそらく一番の“人気者”は同社の報道記者“イマイ”氏で、圧巻は同氏がハガキによる詐欺集団や架空請求業者に執拗に電話をかけ、その手口を取材するところだろう。『イマイと申します。―詐欺を追いつめる報道記者』という単行本まで出ている。その動画の1つに「イマイ記者 融資保証金詐欺」と題されたものがある。私が興味深く思ったのはその2(左に転載)の中のに出て来た07:32−09:57あたりの次の会話部分だ。

(前略)
イマイ:ATMに行けとか言わないでくださいね。
詐欺師:え?じゃ行かないつもりですか?
イマイ:いや、行くのはやぶさかじゃないですけども。
詐欺師:ふふふ、イマイさん。そういうとき使うことばじゃないですから。やぶさかっていうのは。
イマイ:え?どういうとき使うんですか?
詐欺師:それは辞書調べて勉強してください。今は別にそれが問題じゃないですから。いいですか?
イマイ:こういうときに使わないでどういうときに使うんですか?
詐欺師:やぶさかっていうのは気持ちよく判断ができないことをいうんですよ。思いっきりが悪いことを言うんですよ。
イマイ:そうすると僕がこの間「銀行に行くのはやぶさかではない」って言ったと思うんですけども。
詐欺師:それは言い方を変えるんであれば「銀行に行くのはやぶさかではない」じゃなくて、「銀行に行くのは行かないことはないですけれども」っていう答えが正解です。「やぶさかではない」って言ってるんですから、“No!”って言ってるわけですからその時点で否定的な言葉なんですよ。
イマイ:結局否定の否定で肯定的な意味だという気がするんですよ。「銀行に行くのはやぶさかだ」だと「気持ちよく銀行には行かない」ってことだと思うんですけども。
詐欺師:あのー、イマイさんね、「教えてください」って言ってわたくしあのーちゃんとね 教えるんですからそれをまた否定したんじゃ教える意味もないですから。
イマイ:一応オオタさんがそういうふうにおっしゃるんで広辞苑調べてみたんですよ。
詐欺師:ウン、じゃーそれでいいですから。あのーイマイさん自分で調べてわかりました? その言葉っていうのは結構むかしの言葉なんですよ。もう50年前、60年前に使うような言葉なんですよ。わたくし共はまだそういう年齢ではないのでそれは心配していただかなくても大丈夫です。
イマイ:じゃいくつくらいになったら「やぶさかではない」って使ってもいいってことなんですか?
詐欺師:イマイさーん、なんでそんなにね「やぶさか」にね10分も20分もかけるんですか? あのー、いいかげんにしてもらえます? 
(後略)

 
やぶさかではない」の正用法の例はもちろんイマイ氏のもので、詐欺師が垂れている“講釈”は間違いだ。イマイ氏がその正用法を知っていなければまあ、そんなことは職業上、無いとは思うが、口のうまいこの詐欺師の言うことが正しいと思ったかも知れない。
 国語辞典を引けば分かるとおり、「やぶさ」は「やぶさかでない」の形で、「…する努力を惜しまない」「いとわず…する」の意味で使う。上のイマイ氏のもの以外に例を挙げれば、たとえば、「わが社としてはその事業に協力するにやぶさかで(は)ない。」のようなものが考えられる。

 ただし、この語は、距離を置いて話さなければならないような相手たとえば、自分が支社の社長で相手が本社の社長、あるいは自分が大学院生で相手が学位論文の指導教授に対して使うと、不遜あるいは尊大に響くことも多いから、使用に当たっては十分な注意が必要だ。

次のアメリカ英語の文をイギリス英語の文に書き換えてください。

30年ほど前、私がまだ法政大学教授だった頃に使っていた英米語比較ノートが出て来た。私の訳編著である『えい・べい語考現学―どこがどう違う?』(こびあん書房)を教科書に使っていた頃のものだ。学生への課題の1つとして、次のようなことが書いてある頁があった。読者諸氏にも興味深いだろうと思い、ここに転載する。取り組んでみてほしい。70点以上取れれば=計14問以上に正解を出せれば英米語比較に関する知識という点では一応合格だと言える。

次の英文はいずれもアメリカ英語に多く見られるものです(あくまでも「傾向」を言っているのであって、アメリカ英語では常にこう言うという意味ではありません)。これをイギリス英語で言い表せばどんな英語になるでしょうか。主に語句の問題です。正解1問につき5点、計100点。

 1.  They are going overseas on their vacation.
 2.  She put the rest of her dinner in the garbage can.
 3.  In the fall the leaves fall off the trees.
 4.  Mr. James is the principal of the local school.
 5.  He gets average grades in school.
 6.  Paul's good at math but bad at science.
 7.  The dog barked at the mailman.
 8.  The children hid behind the drapes.
 9.  Do you want me to make breakfast?
10. Can you get my car filled up at the gas station?
11.  Don't bother your mother―she's resting.
12.  The roof needs to be repaired―the rain's coming in.
13.  I want to reserve a room for three nights.
14.  We share a bathroom with the apartment next door.
15.  Keep going straight until you come to the post office.
16.  I'll race you to the candy store.
17.  John's taking tennis lessons.
18.  A small car is ideal for shoping downtown.
19.  She especially likes chocolates.
20.  Do you have enough money to pay the bill?

「盛り下がる」?

若手政治家の某氏(自民党)があるYouTubeの動画で次のように言った。

 大義なき解散総選挙であるとか、あるいはもう結果が見えている選挙であったということで行かなかった人が多かったのであろうと言われているんですけれども、われわれがこの世代で情報交換の媒体にしているこのインターネットの世界においてはそう盛り下がってたわけではないと思うんですね。

 問題はそこに出て来る「盛り下がって」という言い方だ。これは当然、「盛り上がる」の反対語として使われているのだが、「盛り下がる」というのは理屈から言っても変だ。「盛り」と「下がる」との2語が反意語だから自己矛盾を起こしていることになる。その反意語となるものを探せば、たとえば「落ち窪(くぼ)」、「落ち込む」、「衰える」、「へこむ」などが考えられる。上記の例で言えば、私なら、「インターネットの世界においてはひどく低調だったというわけではないと思うんですね。」、「インターネットの世界においてはそうひどく落ち込んでいたというわけではないと思うんですね。」、「インターネットの世界においてはそう落ち込みが激しいというわけではないと思うんですね。」などと言うだろう。

「大姉」、「だいし、たいし」、「おおあね」

ある人のブログを、暇にあかせて何気なく読んでいたら、

成人された皆様、おめでとうございます。我が家の大姉様、みーちゃんも。本日。無事成人式を迎えました〜〜パチパチパチパチ……☆」

と書かれた1文が目に入って来た。「大姉」?? たぶん、「おおあね」と読ませて「最年長の姉」という意味で用いているのだろうあるいは「たいし」と言っているかも知れないし、「おおねえ」と言っているのかも知れない。「おおあね」は実際に『広辞苑』にも収録されている。Googleを利用して用例を見てみると、人間の場合もあれば、自分が飼っているイヌ・ネコ・小鳥などに言及して用いている場合もある。次に6例だけ挙げておく。

●顔アイコン. 私も見ましたよ色んなアイデァが一杯ですよね  くるみパン我が家の大姉が大好きなんですよ.
●私はと言えば、あまりの寒さに頭とお腹が痛くなりました  汗  風邪を引く前に撤収させて頂きました [みんな:01] 私が居なくても、お祭り女の(水谷さん命名w) 我が大姉が完璧に仕切ってくれるので、本当に助かります。
●まぁ、これはきっかけにすぎず、嫁に行ってから料理の腕がメキメキと上がった我が大姉君やら、昔から台所に立つ機会の多かった小姉君やら、台所に立ってる姿をほとんど記憶していなかったはずの母君やらから手ほどきをうけ、今では様々な料理を身に着けました。
●猫って油断すると焦げますよね〜 昔、我が家の大姉(ヒマラヤン)も大胆に焦げたなぁと、ちょっと懐かしい(;^^)ヘ..(我が家はそれ以降ストーブ撤廃で、エアコンとこたつ限定です)
●女の子同士はあまり、過激じゃないけど 我が家の大姉桃子さまは男であろうが女子であろうが桃の場所をとったりすると強烈パンチしてます(笑)
●今ではベランダまでかけはし でトイレに行きやはりニュートリはお医者さんでも病人食に 食べさせているようです、アラレちゃんは我が家の大姉です。

 だが、私は「大姉」という文字を日常的に、生きている女性や動物・鳥類(のメス)に当てはめることはない。自分の「一番上の姉」に言及する場合は「長姉ちょうし」という語を用いることにしている。私にとっての「大姉(だいし」または「たいしは、常に「(仏教で女性の戒名[法名]の下に添える称号」の意味だ。読者諸氏のこの語に対する反応が知りたいものだ。

謹賀新年

Fuji

謹賀新年

本年も宜しくお願い申し上げます。

 皇紀2675年
平成27 [西暦2015] 年
元旦

山岸 勝榮

ご注意
無断転載禁止 HOME (C)
山岸勝榮英語辞書・教育研究室
記事検索
書籍
.后璽僉次Ε▲鵐ー和英辞典[第3版]
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惴Χ軌藹佝


.▲鵐ーコズミカ英和辞典
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー英和辞典
[第4版]
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー英和辞典
[第3版] (CD付き)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー英和辞典
 [第3版] (CD無し)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー和英辞典
 [第2版] (CD付き)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社

.后璽僉次Ε▲鵐ー和英辞典
 [第2版] (CD無し)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社

ヽ擇靴犲典スーパー・アンカー英和辞典[CD-ROM]―for Windows
学研電子辞典シリーズ
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社
書籍
|姥貲郢
一番知りたい暮らしの英語
∋慨濔+
小学館


,垢阿砲任る
海外インターネット活用事典
[監修]山岸勝榮
 [執筆]関根紳太郎
小学館


100語で学ぶ英語のこころ
 日本人の気づかない意味の世界
∋慨濔+董Υ愃紳太郎
8Φ羲


.好圈璽舛里燭瓩離罅璽皀英語
∋慨濔+董L.G.パーキンズ
4歔吋薀ぅ屮薀蝓


 ̄儻豢軌蕕伴書
∋慨濔+
三省堂

 ̄儻譴砲覆蠅砲い日本語をこう訳す
∋慨濔+
8Φ羲匳佝

仝世┐修Δ埜世┐覆け儻
∋慨濔+
8Φ羲匳佝

 ̄儻譴量ね
D.Graddol著・山岸勝榮訳
8Φ羲匳佝

.罅璽皀英語のすすめ
∋慨濔+
4歔吋薀ぅ屮薀蝓
Archives
  • ライブドアブログ