2015年09月

Awaiting your reply.という英語(続)

ad昨日の記事の末尾あたりで紹介したin anticipationという慣用句だが、これもin advance同様、Thanking you in anticipation.のように使う。だが、これに対して、大型英和辞典Aは「まずはお願いまで」という訳を、また大型英和辞典Bは「(以上のことを前もってお願いいたします」という訳を、それぞれ付けている。さらに、大型英和辞典Cは「前もって御礼申し上げます、まずはお願いまで」と訳文を並べている。この中で正しいのは辞典Cの「前もって御礼申し上げます」の部分だけであるそれに後続する訳文は悪訳だが。あくまでも、Thanking you in advance.と同じで、「前もってお礼を申し(あげ)ますということだ。「まずはお願いまで」という訳をあげた辞典Aと辞典Cは、《日本語の手紙ならそれに相当する場面で用いる表現だから》と考えたのだろうが、それは考え過ぎというものだ。日本語の「まずはお願いまで」という表現は、「お願いを聞き届けてくださったら、あとで改めてお礼を申します」という含みを残しているものだ。繰り返すが、英語が言っていることは「前もってお礼を申しあげます」という意味以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。一番悪い訳は辞典Bの「(以上のことを前もってお願いいたします」だ。意味不明だ分かる人がいたら教えてほしい。我が国の三大型英和辞典が揃ってこれでははなはだ困る。これら3点の大型辞典は市販の電子辞書のいずれかに搭載されている…(嗚呼!)

辞典編纂者としての自戒の言葉:
  The plea of ignorance will never take away our responsibilities.―J. Ruskin
                         (知らぬとの口実は決して吾人の責任を消滅せしめず―J.ラスキン)

Awaiting your reply.という英語

先日、英語圏ではない某国の男性から、私が勤務した大学の大学院応用言語学研究科に関する問い合わせのメールをもらった。そのメールの末尾にAwaiting your reply.とあった(古風な言い方だと思う)。「お返事をお待ちしております」のつもりだったのだろう。英語圏の人からもらうメールや手紙にも時々見かけることがある。

 だが、私はこの表現を好きになれない。 その理由はと言えば、「身勝手」(selfish)かつ「押しつけがましい」(pushy) 感じがするからだ。相手の都合で勝手に書いて来たメールである。それにAwaiting your reply.とは何事だ!という気持ちにさせられるというのが正直な気持ちだ。早く返事が欲しくても、自分のほうからの一方的な要求や依頼のメールや手紙には、じっと待っているのが礼儀だろう。かなりの月日が経っても何の返事もないのであれば、様子をうかがうメールや手紙を出すことは構わないと思うが…。と怒りながらも、《折角だから》とさっさと返事を書くところが私のよいところ―自画自賛

 もう1つ、私が嫌いな英語表現がある。Thanking you in advance. だ。「前もって感謝(致)します」、「先に感謝しておきます」のつもりだろうが、丁寧に見えて、実は大いに「横着」(lazy)かつ「手抜き」(corner-cutting)の表現だ。今は亡き、我が同僚・L.G. Perkins名誉教授は生前、「こんな表現は使うな」と強調していた。氏の説明によれば、この英語からは、「こちらがお願いしたとおりのことを、あなたはやってくれますよね。」と言っているような無礼な感じがするそうだ鈴木進・L.G.パーキンズ共著『英文ビジネスライティングの技法』アルク刊、p.42。この場合、相手からの反応があって初めて心からの礼を言うのが《常識》というものだろう。ちなみに、昔、 in advance の代わりに in anticipation と書いた手紙をもらったこともある。同義だと考えて差し支えない。と怒りながらも、これにも、《折角だから》とさっさと返事を書く…

 ただし、Looking forward to hearing from you.という表現は好きだ。「あなたからのお返事を楽しみに待っています。」という意味だから、「謙虚な」(humble)感じがあって好感が持てる。 

今夜は「スーパームーン」? 

m今日の昼、NHKテレビの天気予報を見ていたら、予報士が「今夜はスーパームーンが見られます。」と言っていた。「スーパームーン」? こちらにも「昨夜の『中秋の名月』に続き、今夜はスーパームーンが見られます。」とある。いったい誰のために、何のためにカタカナ《占星術》用語を使うのだろう? 言っていることは、「月が地球に最も接近した状態の満月」ということだろうが、「満月の中の満月ではいけないのか!?
 日本語には、「寒月(冷たく冴えた冬の月)」、「閑月(冬の農閑期の月)」、「漢月(天の川と名月)」、「観月(名月鑑賞)」といった素晴らしい慣用語がある(全て「かんげつ」と読む)。 「スーパームーン」などという《借り物》を使うくらいなら、「完月(月が地球に最も接近した状態の満月;満月の中の満月)というような言葉を生み出すぐらいの努力あるいは工夫をしてもらいたいものだ。「中秋の名月」というようないかにも日本的な表現のあとに、「スーパームーン」などというカタカナ語は似合わない。それでは上が紋付羽織で下が(袴ならぬ)ジーパンといった感じにしか思えない。

従位接続詞becauseの単独用法のこと。

t従位接続詞として用いるbecause は、英和辞典ではたいてい、「(原因・理由を表す副詞節を導いて) なぜなら…, …だから(…である)」などの説明と、その適切な用例を掲載している。例:I memorized the poem because it touched me deeply.(その詩に痛く感動したので私はそれを暗記した。)

 英作文の授業の時にそんな話をしたついでに、「諸君はそういう《原因・理由を表す副詞節》を一切言わないで、というよりも省略して単にBecuase.とだけ言う用例に出合ったことがありますか?」と聞いたことがあった。「えっ、そんな使い方があるんですか?」、「初めて聞きました。」という反応ばかりだった。と言うことで私は次のような自分の経験を話した。

昔、ロンドン留学の際、私はメゾネットという形式の借家を借りたんだけど、2軒先のうちに小学校に通っている女の子と幼稚園に通っている妹さんがいてね。その子たちが何か悪いことをした時、そのお母さんがときどきBecause.とだけ言ってたね。状況は、どちらかの女の子が"Why?"(どうして?)と、叱られる理由などをお母さんに尋ねる時だったね。 たぶん、Because I said so.(お母さんがそう言ったのだから。)、Because I told you not to. (お母さんがだめだって言ったのだから)のI said soやI told you not toが省略されていると考えると分かりやすいかな。

 この説明でよかっただろうと思っているが、最初、その表現を聞いた時、まだ何か言うのかなと思ったのだが、何も言わなかったから、上記のような解釈に至ったものだ。何となく、親の《威厳》というものが感じられる語法に思えた。これだから言葉は面白い。

翁長雄志沖縄知事の詭弁、我那覇真子さんの正論

沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事は、スイスで開かれた国連人権理事会で、アメリカ軍普天間基地の移設計画を巡り、次のような内容のスピーチを行った。
沖縄には在日アメリカ軍専用施設の73.8%が存在し、人権がないがしろにされている。沖縄は日本の0.6%の面積しかないが、日本にあるアメリカ軍専用施設の73.8%が存在している。戦後70年間、アメリカ軍基地は、沖縄で多くの事件・事故や環境問題を引き起こしていて、われわれの自決権と人権がないがしろにされている。自国民の自由、平等、人権、民主主義を保証しておらず、そんな国が、ほかの国々とその価値観を共有できるのか。日本政府は現在、新たなる基地を、美しい海を埋め立ててでも辺野古に建設しようとしている。過去1年間、すべての選挙で沖縄の県民は繰り返し基地建設に反対の意思を示してきた。私はこの新しい基地建設に対し、あらゆる手法で阻止する覚悟である。
 いっぽう、ジュネーブ国際機関日本政府代表部の嘉治美佐子大使は、政府側の答弁権を行使して、次のように述べて翁長知事の演説に反論した。
日本政府は、沖縄の基地負担軽減に最大限取り組んでいる。普天間基地の辺野古への移設は、アメリカ軍の抑止力の維持と、危険性の除去を実現する、唯一の解決策だ。日本政府は、おととし、仲井真前知事から埋め立ての承認を得て、関係法令に基づき移設を進めている。沖縄県には、引き続き説明をしながら理解を得ていきたい。
 だが、忘れてならないことは、沖縄県民の一人であり、ジュネーブ国連派遣団団長、若き我那覇真子(がなは・まさこ)さん(26)が同人権委員会で、翁長知事の演説に真っ向から反対する実に立派な演説を行ったことだ。

翁長知事の発言は間違っており、沖縄には政府による人権侵害など存在しない。沖縄は日本の他の地域と同様に人権がよく守られている。知事は中国の脅威を無視している。プロパガンダを信じてはいけない。沖縄が先住民の土地だと主張することで沖縄を独立に導こうとする人たち、それを支持する中国こそが地域の平和と安定を脅かし、人権への脅威となっている。また、中国が東シナ海と南シナ海でみせている深刻な挑戦行為を国連のだれもが認識することが重要である。


 翁長というご仁は沖縄県民を《先住民》と決めつけるようなことを主張し、「沖縄は日本のものでも、米国のものでもない」などとうそぶいているようだが、その独立を画策している背景には支那の陰がちらついている。翁長氏は平素から、「日本は敗戦時に沖縄だけを切り捨てた。」とか「沖縄県民は被害者で多大な犠牲を被った。」などと、過剰な被害者的発言をしているが、それでは、日本本土の主要都市で米軍の空爆で亡くなった何十万という無辜の市民、また広島と長崎で原爆投下によって《殺害》された多くの市民たちのことをどう考えるのか。どこが、「沖縄だけが被害者」なのか!? まことに 憫笑を禁じ得ない。
 国連人権委員会でのスピーチに先立ち、石垣市議会が翁長知事に対し国連演説では中国が尖閣近海を連日のように領海侵犯している事実に言及するよう議会決議していたにも拘わらず、翁長知事はそれを無視して、何の言及もしなかった。ただし、我那覇さんは 砥板(といた)芳行・石垣市議の書面を紹介し、賛成派の意見が無視されていることを示唆した。また、翁長知事は沖縄基地が「米軍に《強制接収》されてできた」と繰り返しているが、沖縄県民が基地敷地の賃貸料などから利益を得ており、単なる《強制接収》ではないことには一切触れなかった

 知事と言えば一県の代表ではないか! その知事の見解は上に示したごとく、偏り具合が激し過ぎる。沖縄県民はこんな知事を選出したことをどう思っているのだろう。また、我が国のマスコミ(巷間言うところの《マスゴミ》)は我那覇さんのような存在を意図的に無視するが、我が国のマスコミ(産経新聞など一部を除き)は自らの偏った報道姿勢を大いに恥じるべきである。

【後刻記1】翁長雄志氏をWikipediaで見ていたら、学歴の欄に「1975年(昭和50年) - 法政大学法学部法律学科卒業」とあるではないか! うむむ…。 学部こそ異なれ、わが8年後輩ではないか! と突然《先輩風》を吹かせて一言。 「こら、後輩! お前の政治姿勢はよくないぞ! 公人たる者の採る態度ではないだろう! 反省しろ!」(笑い)。

【後刻記2】必見→【我那覇真子】9.25 国連人権理事会における「沖縄問題」の展開 帰国記者会見[桜H27/9/28] ●我那覇真子さんはまだ26歳だという。沖縄が必要とする、時代が要請する若い女性の出現だ。翁長知事の影がかすむほどの存在感である。期待できる、素晴らしい存在だ。人間の《格》の違いを見せつけられた思いがしたもちろん若き我那覇さんのほうがはるかに格上だ。ただし、同動画の説明文に国連で、反日宣伝をしてきた翁長知事のカウンターを行ってきた我那覇真子女史の、報告-記者会見の模様をお送りします。」とあって、その中に《 我那覇真子女史》とあるが、この《女史》という敬称はやめたほうがよい。我那覇さんは普通の26歳の女性であり、《女史》などという大げさな敬称を付けられることに赤面なさるだろう。一般論で言っても、もうこの敬称は廃語にすべきものだ。マザー・テレサに向かって「テレサ女史」とは言えないだろうテレサは修道名

【後刻記3】 翁長知事は、《沖縄独立》を画策し、《沖縄先住民》説を唱えているようだが、本土の日本人と沖縄県民とのDNAの近似性についてはすでに琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛氏、木村亮介氏、それに北里大学統計数理研究所の共同研究チームの解析によって、昨年9月、証明されている(こちらこちらを参照)。翁長知事の作為的虚偽が証明された形だ。

明日9月27日(日)は《中秋の名月》だ。

jugoya明日9月27日(日)は《中秋の名月》、十五夜だ。ただし、満月はその翌日だ。近所の町内会用の掲示板に左のイラストに類似のものが貼ってあった。それを見つけた5、6歳の女の子が、「ママ、これナニ?」と言って、ススキと団子を順に指さした。《ママ》は「これはススキ、これはお団子。」と答えた。すると女の子はまた、聞いた。「どうしてススキとオダンゴなの?」 《ママ》は「そうねェ。どうしてススキなのかな? お団子は《お月さま食べて》って言ってるのかな?」と答えた。女の子は「ふ〜ん。」と分かったような分からなったような返事をした。犬の散歩に出ていた私はその光景を微笑ましく見ていた。

 おそらく大抵の日本人は《中秋の名月》、十五夜に用意するススキと団子については、曖昧な知識しか持ち合わせないだろう。結構な《物知り》なら、「米の収穫を月に感謝して、満ちた月の形に似せて作った15個の米の団子を供える」、「ススキは月の神を招く依代(よりしろ)で、稲穂のない時季の代用品」、「ほかの収穫物としてはサトイモ(など丸い物)を供える」などと答えられるだろう。

 ススキは穀物の神である月の中の霊魂を呼び寄せるための依代あるいは招代(おぎしろ)であり、団子(その他、サトイモのような丸い収穫物)はそれを《閉じ込める》ためのものである。酒は月への感謝の印しであり、《清め》に使うためのものでもある。昔の日本人にとって、月はまた死んだ人たちの永久(とわ)の安息所であったから、名月の日に、穀物の神と共にそこに住む自分たちの祖霊たちが下って来ると信じられたのだ。「竹取物語」のかぐや姫の出現も日本人の《月神(がっしん)信仰》が生みだしたものだ。次第に消えてゆく貴重な風習だ。だが、日本人が神話の世界を粗末にする時、それは日本人が自らの終焉に近づいていることを意味することになるだろう。なぜなら、日本という国は神話と共に始まったからだ。

「げんもん橋」って?

skyt数か月前、クルーザー10隻で2班に分かれて隅田川をさかのぼり、スカイツリーの近くまで行って来た。厩(うまや)橋、駒形橋、吾妻橋を過ぎると、在原業平が詠んだ「名にし負はば いざ こと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」で有名な言問橋に差し掛かる。その橋を目前にした時、今から四半世紀前に私のクラスにいたF君のことを思い出した。ある日、同君が私の研究室に遊びに来た。

先生、僕、先週引っ越しました。
「ああ、そう。それで、どこに?」
隅田川の《げんもん橋》のすぐ近くです。叔母さんが経営するアパートです。」
「ああそう、でも《げんもん橋》って聞いたことがない橋だけど、どういう字を書くの?」
言語学の《げん》に、問題の《もん》です。」
「ああ、《こととい橋》ね!」
えぇ? それって《こととい橋》って読むんですか。初めて知りました。
「ああ、そう。僕も《げんもん橋》って読む人に出会ったの初めてだよ。」(二人とも大笑い…)

 
半世紀にわたる長い大学教員生活の中で、本当にいろいろな学生に出会った。そうした例を挙げ出せば、それこそ切りがないが、この学生のことは今でもよく覚えている。

 「言問」は「ことどい」とも読むが、「ものを言い掛けて相手の反応をみること」の意味である。謡曲「隅田川」に出て来る梅若丸が遺した「尋ねきて 問はば 答へよ 都鳥 隅田川原の 露と消えぬと」という歌は聞く人たちの哀れを誘うだろう。

【追記】私の世代の人なら、石本美由紀作詞でこまどり姉妹が歌った「浅草姉妹」(遠藤実作曲)の1番の文句を覚えているだろう。「なにも 言うまい 言問橋の 水に流した あの頃は 鐘が 鳴ります 浅草月夜 化粧なおして  えー 化粧 なおして 流し唄

女優の川島なお美さんが亡くなった。

kawa女優の川島なお美さん(54)が肝内胆管がんで亡くなった。色即是空を痛感する。今年1月の手術前には、「思い残すことがないように」と遺書を書いたそうだ。夫のパティシエ・鎧塚俊彦氏さん(49)には「一緒のお墓に入りたいから、できれば再婚しないでね」とメッセージをしてあったそうだ。鎧塚さんへの川島さんの愛の深さが分かるエピソードで、こちらの胸が痛む。愛犬の世話のことなど、事細かにつづっていたと聞く。手術が終了した際には、復帰を願ってその遺書は破棄したそうだが、「一緒のお墓に入りたいから、できれば再婚しないでね」という言葉は本音だっただろう。こんな美人に、そこまで言わせ、願われた鎧塚さんは男として幸せな人だと思う。享年54歳、若過ぎる死だ。まだまだ活躍して欲しかった女優さんの一人だった。合掌。 Amor sitis uniti. (愛に結合せよ)―古諺

きのうはちょっと釣りに行って来た。

fishing昨日、連休最後の日、午後1時半頃から2時間半ほど、息子たちに誘われて、近くの《お気に入りの釣り場》にキス釣りに行って来た。天気も良いし、海も穏やかだし、絶好の釣り日和だった。我が愛艇を泊めてあるバース(berth)から20分ほどで釣り場に到着する。釣れる魚種は季節によって異なるし、釣りたい魚種によって《仕掛け》も異なるが、これまで同じ釣り場で、クロダイ、マダイ、スミイカ、スズキ、アジ、イイダコ、マダコ、カワハギ、ヒイラギ、マゴチ、ハゼ、アナゴ、メジナ、ボラ、シマダイ、サヨリなど様々なものを釣り上げたがエイやサメも掛けた!、そこは今の季節は何と言ってもキスとイイダコが豊富だ。《引き》あるいは《当たり》は魚種によってそれぞれだし、いつ《合わせる》かも魚種によってそれぞれだが、それがまた釣り好きにはたまらない。

 昨日は2時間半ほどでキスを14匹、小型のマダイを3匹、イイダコを8杯釣り上げた(家族でだが…)。私が釣り上げたキスは右下写真にあるとおり、結構大型だった(約24,5センチ)。

 何度も書いたことだが、海に出ると本当に気がせいせいする。頭の中がスカーっとする。帰宅して、机に戻ると「さあ、また頑張るぞ!」という気になる。そのfishing2爽快さが忘れられずに、時間を見つけては釣りに出かける。妻が生きていた頃は、私と息子が釣って帰ったマダイ・クロダイの10センチ前後の子供は背開きにして天日干しにしておいしく食べさせてくれた。アジの背開きもよく作ってくれた。手間を惜しまない家族思いの妻だった。専用バースに船を戻してから、携帯電話で、「これから帰るからね。」と言うのが私が釣りに出かけた時の《決まり事》だった。

 帰宅してから、キスを天ぷらにしてもらって食べた。抜群の味だった。イイダコもうまく味付けしてもらってこれも食べた。魚たちの《命》をいただく時に、日本人は。《海の幸》と言うが、本当にそうだと思う。時間を見つけてまた出かけようと思う。

【付記】私は14、5年前から高血圧(と高血糖)に悩んでおり、掛かり付けの医師から朝夕に飲むようにと薬を5種類も出してもらっているが、不思議なことに、海から帰って血圧を測ると、薬を飲んで保っている数字よりもさらに10〜20は下の数字を記録する。息子からは、「じゃあ、もっと頻繁に釣りに行けば」と言われるが、それができるほど《暇人》ではないところが嬉し、悲しだ…。

「言いたい放題―(山岸先生の巻)」

wa 書斎を整理していたら、私がイギリス留学から帰国した年昭和57[1982]年の学年末に、渡辺某君夜間部英文学科3年生が書いたレポートが出て来た。正確に言えば、今は亡き三浦徳弘教授ロビンソン・ジェファーズの研究者で、私の学生時代の時事英語クラスの担任でもあったが、渡辺君が僕に提出したレポートの中に、君について書いたものがあるから、君にあげるよ。と言って渡してくださったものだ。面映ゆいところもあるが、記録として残しておこうと決めたので、以下にそれを転写する。

 「君たちの中に、英語で論文を書く人は居ますか」、これは11月11日(木)の三時限目の授業中に山岸先生が言われた言葉です。教室は静まりかえっていました。卒論の書式についての授業でしたので、これには先生も失望された様で、「それじゃ僕が、こんなに説明しても何もならないじゃないですか」、そして、次の言葉が又憎いのです。「でもまあ、僕は必ず(英語で)書いてくれる人が居ることを信じていますから…。」
 「ジーン」と来ました。胸が”キュン”と鳴ると言いますが、まさにそれでした。こんなに感動したのは、矢野先生の
The Red Pony 以来のことでした。「後について来るものを信じて…」 ― 美しい言葉です。山岸先生が御存じだったかどうかわかりませんが、この文句は確か「雲の墓標」に出て来るものだったと記憶しています。
 自身はどのようであっても、他の人に「信じています」と言われれば、友人であれ恋人であれ父親であれ、それなりに心に期するものがあるのは皆同じでしょう。ただそれをどれだけ持続できるか、それは個人によって違ってくるのでしょう。右の耳で聞いて左の耳から出してしまう人、帰り道で水たまりを飛び越えた拍子に忘れてしまう人、街を行く綺麗な女性を見る度に忘我し忘却してしまう人等々。でも僕にとっては忘れられない言葉になりそうです。
 三限目の授業は、受講生にとってはもちろん、話し手にとってもつらい時間帯なのですが、僕のこの鋭敏な感覚をもってしても、これまでに一度もそのようなあら(粗)を甘受することはできませんでした。(ハハァ、この子がいつもジーッと授業を聞いているのは、それが目的なんだなァと思われる節があるかも知れませんが、それはとんでもないお門違いです。僕はそんなに味も素っ気もない人間ではありません。悪しからず。) 自分の時間・役目をよく弁えている人とお見受けしました。他の先生方の授業とは異なり、とても個性的なイメージと印象を僕は感じます。何故でしょうか。若いからでしょうか―いえ、若さというのは気持の問題で、自分が感じるものではなく相手が感じ取るものなのです。言葉遣いの違いでしょうか―いえいえ、言葉遣いの上手な先生、丁寧な先生はほかにたくさんおられます。それに、急に敬語を使い始めたりしようものならば、「先生、夕べ夫婦喧嘩でもしたのかしら。」「そうねェ、きっとお酒が足りなかったんだワ。」 という秘め事が聞こえてくることでしょう。外見の違いでしょうか―いえ、そうではありません。諸先生方とそう大差はないし、人に誇れるものではありません(冗句です)。心の違いでしょうか―いえいえいえ。やさしさ・思いやり・情愛の深い先生方ばかりです。
 では一体何処が違うのでしょうか。先生はどうお感じになりますか。僕は、「山岸先生と諸先生方との決定的な違いは、授業に対する《熱中度の差にある》と思います。山岸先生の授業はいつも《熱っぽい》のです。情熱が感じられるのです。この情熱が先生の心・体・技を通して学生に接するとき、強烈なイメージを生むのです。それが個性として僕の心の焼き付いているのです。
 同じ授業をやるにしても他の先生方のはなぜか《冷めている》のです。冷え切っているのです。もう一つ、あと一押しなのですが、燃え切らないのです。身も心も擦り切れ窶(やつ)れ果ててしまったのでしょうか―いえいえ、未だ未だ若くて向学心に燃えている先生方ばかりなのです、学生の責任でしょうか ― これは考えられるかも知れません。しかし同じ学生を受け持っておられるのですから、この相異は解せません。それに学生というものを「こうだ」と決めつけてしまっては、それこそ教育者としては恥ずべきことです(言い過ぎてしまいました)。(中略) 
 「熱っぽい授業」、「情熱を感じる授業」、それはやろうと思って直ぐ様できるものでもなければ、あれこれ思い悩むほどのものでもないと思います。僕は「その気になれば小谷ゼミにしろ、三浦ゼミにしろ、或いは野村ゼミ・伊藤ゼミ・三宅ゼミ・泉谷ゼミにしろ、今までより以上に、山岸ゼミ以上に、否、足元にも及ばぬほどに、それぞれ強烈な個性を持った独創性に溢れる内容をもった講義を展開することができると思います。そのような自信を十分にお持ちであろうことは確信しています。ぜひ一度考えてみていただきたいと願う次第です。(中略)
 最後に、分際も弁えずに好き勝手を申し上げましたことを深くお詫びする次第です。腹立たしい箇所もございましょうが平にお許しください。

think
 たった一人の授業評だが、また私に提出せずに、別の教授へ提出したものだが、それだけに同君が客観的に私の授業を評価してくれたことが嬉しかった。同君は同クラスでトップ3人に入る優秀な学生だった。若い私は、同君のこの評を胸に刻み、それに恥じないように、その後の長い大学教員生活を誠実に送って来た。長い教員生活が大過なく送れたのは、ひとえに、法政大学大学院に非常勤講師として来ておられた大和資雄先生からいただいた、「自分が勉強して、まずしくとも手本を示さなければ、教える資格はない」というお言葉を私の「座右の銘」として教室に臨んだからだ。英和辞典・和英辞典の改善・改良に人生のほとんどを費やしてきたのも、やはりその「座右の銘」のお陰だ。ほかに、田部重治先生前島儀一郎先生桂田利吉先生岡本成蹊先生細入藤太郎先生ほか、幾人もの偉大な先生方がいつも私を叱咤激励したくださった。まことにありがたいことであった。

71歳の誕生日を迎えた。

z2今日は私の71歳の誕生日だ。「もうそんな歳になったのか…」と我ながら少々驚いている。私はけっこう早い時期から、英語雑誌・英字新聞等に寄稿しその点数は1,042点にのぼる、英語教材の監修や和英辞典・英和辞典の編集に関係していたから、40代の頃には、私のことを直接的に知らない人たちからは、6、70代の先生だと思われていた。
 ある県の高等学校英語教育研究大会・講演会に招かれた時、空港で、私を《老人》だとばかり思って探しておられた出迎えの先生方が、「山岸先生がこんなにお若い方だったとは思いもしませんでした。」とやや驚嘆なさったことがある。別の県でも似たような経験をした。法政大学教授から明海大学教授に移籍したのが43歳の時だ。その時初めてお会いした鈴木進教授初代の外国語学部長;故人も、「いやあ、山岸先生がこんなにお若い方だとは露ほども思いませんでした。書いてらっしゃるものに《風格》がおありだったので、60代後半の方だとばかり思っていました。」と言われた。《風格》の意味を解しかねたが、こういう評はその後、何度ももらった。だが、あれから四半世紀以上が経過して、紛れもなく、本物の(前期)高齢者になった。《年金生活者》でもある。

 書き出せば、思い出せば、それこそその材料には事欠かない。いつも書くように、私の人生の最大の悲しみ・苦しみと言えば、40年を共に生活した妻の死だ。人生の大抵の困難には歯を食いしばってでも打ち勝って来たが、6年が経過して、ようやく事実を事実として認められる程度の回復力しかない。思いもしなかった私の《弱さ》を露呈した形だ。妻と長年の交流があった女性陣からは、「そんなに愛されてる小夜子さんが羨ましいわ〜。」とよく言っていただく。ありがたいことだが、何のことはない、私が《未練たらしい男》、《潔くない夫》だいうことを示すに過ぎない。

z1 先日、法政大学にいた頃の同僚諸氏のことが急に懐かしくなり、インターネットであちこち調べてみて愕然とした。共に働き、談笑し、未来や教育を語り合った、同年代の同僚の半数近くの諸氏がすでに他界しているではないか。「A教授追悼論文集」、「B先生追悼文集」、「C先生の想い出」などが何点か見つかった。Aさんとは、酔っ払って《チークダンス》を踊ったことがある。Bさんからはよくフランス人哲学者の話をしてもらった。CさんとはJR飯田橋駅近くの喫茶店でよく英語学・言語学の話をした。中には私が明海大学に移ってまもなく、若くして亡くなった同僚もいる。みなさん、Captain J. Brownが言ったTake more care to end life well than to live long.(長生きすることに気を使うよりも立派に人生を終えることのほうにいっそう気を使いなさい。を実行されたのかも知れない。まことに色即是空、「さよならだけが人生よ」ということを実感せざるを得ないことだったが、いつかは分からないがそのうちに近いうちかも知れないし、もう少し先かも知れない私の番が来る。この世を去ることに何の未練も恐れもないし、《ゼロになって死のう》と覚悟を決めてはいるものの、辞書のことなど、心残りがないと言えばウソになる。だが、それさえも、聖書のDo not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself. Each day has enough trouble of its own.明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である;マタイ伝6章25-34という教えに従って、死後の心配はしないことにした。

 嬉しいことがあった。昨日の午後、私が法政大学の専任講師になって最初に担任として受け持ったクラスのTH君から電話があった右下写真は同君の結婚式の日のもの;私は後列右から3番目;若かった!。「僕はもう還暦を過ぎて、長男は30を過ぎましたよ。」と言っていた。そのTH君が元気な声で、「明日は先生のお誕生日ですね。僕の手帳に書いてありますから、忘れません。」と言ってくれた。44、th5年も前に教えた学生が、還暦を過ぎてなお私の誕生日を手帳に書いてくれているとは、まさに《教師冥利》尽きると言えよう。クラスの諸君の近況を聞いたり、こちらの近況を話したりで、小1時間楽しくおしゃべりをしただろう。遠い昔のことが、まるで走馬灯のように次々と思い出された。

 先ほど(午前1時過ぎ)私のHPに設置してある「山岸ゼミ卒業生専用掲示板」を見たら、1昨年、昨年と面倒を見た諸君が、今日の午前中に到着の予定で誕生日祝いの胡蝶蘭を贈りましたと祝辞と共に書いてくれているのに気づいた。嬉しいものだ。楽しみに待っていよう。(午前2時25分記)【後刻記:右上に掲載】

若者よ、本当の歴史を見る眼を養え!(続)

イギリスの政治思想家・政治家・哲学者として活躍したエドマンド・バーク(Edmund Burke; 1729-1797)は言った。Education is the cheap defense of nations.(教育は廉価なる国防なり。)と。戦勝国となった英国も米国も、当然のことながら、この言葉の意味するところをよく知っていた。

 先の記事でも言及したように、米国は卑怯な原爆という、それまでの人類が考えもしなかったような殺戮兵器を製造し、それを広島・長崎に投下し、また国内のあちこちの都市に焼夷弾を雨あられのように浴びせ、無辜の日本人を何十万人も殺戮した。同国は、「自分たちの《罪悪感》を覆い隠し、自分たちの《正義》と《正当性》を世界に訴えるためには、どうしても日本人には《悪者》になってもらわなくては困るのだ」。そこで、それまでの日本を強くしていた憲法を《骨抜き》にして、自分たちが作文した新憲法を押しつけ、政治・法律・教育等々、我が国の全ての事柄に徹底的な弾圧を加えた。バークが言った「教育は廉価なる国防なり」を自己流に解釈したかのように、日本の大学(とりわけ旧帝大)の教授で「日本の素晴らしさを説く人々」を公職から追放し、そのことに言及した書物は全て、自分たちが《飼い慣らせそうな教授たち》に選ばせて《焚書(ふんしょ)》とさせた。
 他方、戦後の米国はガリオア・プログラム(GARIOA/Government And Relief In Occupied Areas)や、その後のフルブライト・プログラムを用意し、「世界平和を達成するためには人と人との交流が最も有効である」と喧伝(けんでん)して来た。だが穿(うが)った見方をすれば、そうしたプログラムは、バークの言うことを逆利用したとも解釈できる。つまり、日本人に(も)膨大な奨学金を提供し、《アメリカ礼賛者》を多く造り上げることで、米国の《悪口》を封じ込めると考えたとも言えるのだ。それを裏付けるかのように、そのプログラムで留学した学者たちには圧倒的に《親米派》、《米国礼賛者》が多い。

 戦後の我が国では、自国の《悪口雑言》を言う教師が「良い教師」であり、自国を称賛する教師が「悪い教師」であり続けた。日教組は全体的に見て今もって前者に属する。そしてそういう《自虐史観》を抜け出せない、抜け出すつもりのない教師たちが94%も存在し、今もって、いわゆる「《南京大虐殺》は実在した」派が制作した教科書を使っているのだ。教科書採択は4年に一度だが、前回、96%だった数字が2%だけ下がったものの、我が国の公民教育はそうした歪んだ事実に染め抜かれた人々によって行われているのだ。まさに、米国(GHQ)を初めとする戦勝国が、日本国・日本人・日本文化を骨抜きにするために教育の場を徹底的に《利用》したわけである
  
 英語の古い諺にまた言う。An evil lesson is soon learned.(悪い教えはすぐ学ばれる)と。戦後からこれまでの70年という長きにわたって、この諺は我が国に生きている。諺ついでに言えば、Better untaught than ill taught.(邪悪なる教育よりも無教育やよし)だ。戦後の日本は国家を挙げてその逆を進まねばならなかった。安倍首相の言う、「戦後レジームからの脱却」はまだ、あまりにもその道は遠い。100歩のうちの6歩を歩いたのみだ。

若者よ、本当の歴史を見る眼を養え!

江戸時代の日本人の道徳観・倫理観は世界で群を抜いて立派だったと言われる。そういう国民が創り上げた明治という時代に、大国・ロシアを破り、世界にその《脅威》を見せつけたのだ。それまで自分たちが何百年にもわたってむさぼって来たアジア大陸での利権を脅かし始めた日本を《目障り》だと思ったのが欧米先進諸国だ。特に、アメリカ合衆国(GHQ)は敗戦後の日本を追い打ちをかけて《壊滅》することを狙った。日本人の道徳観・倫理観を崩壊させ、二度と自分たちに逆らわないように目論んだ。一方では《親しい友人》を装い、他方では特亜三国を焚き付けて日本人に《認罪意識》を持ち続けさせたのもアメリカ合衆国(GHQ)だ。戦中に自分たちが広島・長崎に投下した非人道的な原爆、日本の主要都市東京・名古屋・大阪・神戸・京都などに焼夷弾を無数に投下して多数の無辜の日本人を殺害した自分たちの《罪悪感》を覆い隠し、自分たちの《正義》と《正当性》を世界に訴えるためには、どうしても日本人には《悪者》になってもらわなくては困るのだ

 今もって《南京大虐殺》があったと信じると言うよりも信じさせられている日本人教師のほうが圧倒的に多い。それは、《南京大虐殺》などなかった支那の捏造だという客観的証拠をもって作った教科書がほとんど採用されないでわずか6%、《南京大虐殺》はあったという前提で書かれた教科書が日本全国で圧倒的に採択されている現状を見てもよくわかる
全国の学校の94%。まさに《自虐史観》蔓延の我が国である。戦後70年も経っていながら、このありさまである。学校の教師たちはGHQ主導による《洗脳教育》の犠牲者集団なのだ。戦後彼らは《認罪意識》を植え付けられたまま、《思考停止》状態なのだ。自国の歴史の「是々非々」さえ分からない、分かろうとしない教師たちがほとんどとなってしまっている。これは若い世代の教師たちも全く同じ状態だ。そしてそういう人々が教壇に立って毎日の教育(?)に従事しているのだ。私は戦後70年以上を《いびつな国》に生きて来て、なお、我が国を深く愛する。残された(限られた)人生を「心ある日本人」を育てる手伝いをしたいと思っている。「本当の歴史を見る眼を養え」と若い人たちに強く訴えたい…

■迷うて 返らざる者は 惑いなり。「素書」

■まことに 日に新たに、日に日に 新たに、また日に 新たなれ。「大学」

《必見動画》【吉本貞昭】世界から見た日清・日露・大東亜戦争[桜H27/9/15] 
                  【田沼たかし】教科書採択の結果を振り返る[桜H27/9/19]          

馬鹿正直な新設学部申請書…

ニュース・サーフィンをしていたら、「中学生もビックリ!大学授業のレベルの低さ 文科省に名指しされた大学側の言い分とは」題した記事に行き当った(こちら)。その記事の一部を引用する。
「大学教育水準とは見受けられない」「学士課程に相応しい授業内容となるよう見直す」――。文部科学省が大学の新設学部、学科を対象に行った調査報告に厳しい文言が並んだ。
   指摘を受けた各校のシラバスを見ると、be動詞や分数表現など中学で学習する内容が英語や数学の基礎科目の学習内容として書かれており、文科省からは早急に是正するよう求められている。
(中略) 対象となった502校のうち、授業のレベルに関して指摘を受けたのは千葉科学大(千葉県銚子市)、つくば国際大(茨城県土浦市)、東京福祉大(東京都豊島区)の3校だ。(中略)
  千葉科学大危機管理学部のシラバスを見ると、「英語 I 」ではbe動詞や一般動詞過去形など「英文法の基礎を確認した上で、英語で書かれた文章を読み解くトレーニングを行う」、「基礎数学」では分数表現や不等式、比例・反比例など、中学で学習する内容が授業計画として記されている。(以下省略)
 さて、私が興味を引かれたのは、「千葉科学大危機管理学部のシラバスを見ると、『英語 I 』ではbe動詞や一般動詞過去形など『英文法の基礎を確認した上で、英語で書かれた文章を読み解くトレーニングを行う』」という箇所だ。文科省からみれば、「大学の英語の授業でありながら、『be動詞や一般動詞過去形』とは何事だ」ということであろう。同大学の申請書は《正直》過ぎたのだ。《正直》の前にもう2文字付け加えてもよい。

 私は過去50年間、すなわち半世紀の長きにわたって我が国の英語教育に携わって来たから分かるが、昨今の大学生の英語レベルの低さ、劣悪さは目を覆うばかりなのだ不定冠詞・定冠詞の意味も使い方もわからない大学生は無数に存在する。もちろん、「be動詞一般動詞過去形」が理解できていない大学生も同様に数え切れないほどいる。大学生たちが高校時代にどんな英語教育(?)を受けて来たか推測がつく(嗚呼!)。

 たとえば、かつて私は英米語学科1年生30名に「ニューヨークは面白い街だ」を英訳させたことがあるが、New York is an interesting [exciting] city.のように不定冠詞のan を正しく使えた学生は、何と、30名中わずか2名だけだった(あと2名aを使った!)。
 また、私が非常勤講師として教えていた別の大学の英米文学科1年生のクラス(54名)では、英和辞典の《約束事》である[C][U]の意味を知っていた諸君は、何と半数以下の24名(44.44%)しかおらず、30名(55.55%)は、それが何を指すものか理解できていなかった! 正しく理解出来ていなかった諸君には、これらの記号を次のような意味だと解した諸君が混じる出るのは溜め息ばかりなり!

  [C] →形容詞; 補語; 発音; 所有格; 複数形; 他動詞の意味。
  [U] →副詞; 名詞; 形容詞; 単数形; 自動詞の意味。

 これが英米語学科、英米文学科の現実である「お前が教えた大学のレベルが低過ぎるのだ」と誹謗されそうだが、その非難が当を得ているのは一部だけだ。私は世間で言う超一流大学”でも長年教えた経験を持つが、英語力全体で言えば我が国の英語教育が成功しているとは言い難い諸君に多く出会った。繰り返すが、千葉科学大危機管理学部が文科省に提出した新設学部用シラバスは《正直》過ぎたのだ…。

《慰め》は海からやって来る!

e(なぐさ)」という語がある。「慰める」、「慰められる」と共に、日常的に頻繁に用いられる。語源は、いかにも四海の国・日本に生まれたと思えるものだ。  風や波がおさまり、海上が静かになることを「(な)」と言うが、「慰め」という語はこの語に由来する。「心がなぐ」と言うがその「なぐ」にも「」という漢字をあてる。

 私が物心ついた頃、我が家は山口県宇部市で農園をやっており、それは目の前が海で、美しい松林があるところにあった。したがって、いつも潮騒(しおさい)を聞きながら幼年時代を過ごしたもちろん、台風時季の海の恐ろしさも知っている。《凪いだ海》の素晴らしさを知っているせいだろうが、今でも海が大好きで、一番の趣味と言えば海釣りだ。ひたすら《当たり》を待ち続けるには相当な忍耐力が必要だが、それはその頃に養われたものだと思う。
 しばらくは堤防からの《落とし込み》に夢中になった。我が国に和英辞典多しと言えども、クロダイ釣りの際に使う《落とし込む》という動詞を和英辞典に収録したのは『スーパー・アンカー和英辞典』だけだろう。昨今では《落とし込む》と言えば、「文書をファイルに落とし込む」というふうに使うのが普通だが、もちろんそれも収録してある。
 
 
その後、十数年前だが、小型船舶の操縦免許を取得し 
、小さな釣り船・兼・プレジャーボートを所有するに至ったこちらがわが《愛艇》。仕事に行き詰まったり、イライラが続いたりするような時にはいつdayも海に出かけている。とりわけ《凪ぎ》の日には、その語源どおり、心が「凪ぐ」。海は「産み」に繋がり、人間の故郷(ふるさと)・本貫地(おさと)だから、神経が参ったり、イライラが募ったりした時は、一日、《凪ぎ》の海を見て、オゾンを胸いっぱい吸い込むようにしているのだ。そうすると、また良い考えを《産む》ことが可能になる。

 鬱(うつ)気味の人、小さなことにクヨクヨばかりしている人、むしゃくしゃした気持ちが続く人などには、関東地方であれば、たとえば、城ケ島、江の島などの崖淵に寝ころんで海を眺めることを勧める。「海は広いな 大きいな 月がのぼるし 日が沈む」と大声で歌っているうちに、きっと涙が出て来る。それは心が洗われていく証拠なのだ。小さなことにこだわっている自分が馬鹿らしく感じられても来るだろう。子育て中の親ならば、なおさら、自分の子供たちをその将来のために、海に連れて行ってほしい。きっと、石原裕次郎加山雄三のようなスケールの大きな、《大らかな人間》に育つことだろう。

水死体と大漁・豊漁

最近、関東地方を見舞った大雨の被害を見ていて、あることを思い出した。それは次のようなことだ。

 最近はライフジャケットがあるので、船から落水しても、よほどの悪天候でもない限り、落水者は救助されることが多くなったただし、漁師たちの多くは、着用が作業上面倒だからか、実際にはライフジャケットを身に着けていないようだ。今から60年以上も昔、まだ私が小学生だった頃、私の故郷では漁師や船釣りをしていて落水し、水死する人は珍しくなかった。水死者を船に引き上げる現場を幼い頃、何度も目撃した。船が水死体を船に引き上げる時、必ず守っていたのが、水死体を「取舵とりかじ」すなわち「左舷さげん」から引き上げるということだった。決して「面舵おもかじ」すなわち「右舷うげん」からは引き上げなかった。

 現代人の多くは、「水死体を引き上げる」というと、なにやら不気味なもののように思うであろうが、漁師など、海で働く者たちはそれを《大漁》、《豊漁》の《奇瑞きずい》と考え、「めでたいことの前兆として現れる不思議なしるし」と捉えたのだ。推測を交えて言えば、水死体を忌避すれば、かえって死者の亡霊に祟(たた)られると考えた漁師たちが、その死者を《奇瑞》と捉え、丁寧に取り扱い、弔(とむら)うことで、逆の効果、すなわち大漁、豊漁を願ったのではないだろうか。あるいは、死者が一度、海の向こうの「常世(とこよ)」の国、すなわち「神の国」に行っているので、その国の幸いをもたらしてくれると考えたのかも知れない。本音は《死に対する恐怖》であっただろうが、それを《奇瑞》と捉ええるところに漁師たちの思いの深さ、大自然への恐怖心・畏敬(いけい)の念が読み取れる。

「国の雇われマダムに過ぎない政治家たち」はないだろう。

fall昨日の国会における参議院特別委員会・中央公聴会で、公述人の小林節・慶應義塾大学名誉教授(憲法学)が、安全保障関連法案に関して使った比喩が大いに気になった。氏は次のように言った。
 
憲法というのは、国が、ある意味、主権者たる国民が、権力担当者に課した制約であるわけです。それを権力担当者が預かっているだけに過ぎない。表現は悪いけれども国の雇われマダムに過ぎない政治家たちがですねえ、憲法を無視するということは、今後何でもできますよ〜、独裁政治の始まりなんですねぇ。

 比喩を用いるのに事欠いて「国の雇われマダムに過ぎない政治家たち」はないだろう。自分でも一応、「表現は悪いけれども」と断ってはいるものの、そう思ったのなら、場所もあろうに、中央公聴会でそんな比喩を口にすべきではないはずだ。第一、こういう言い方は「主権者たる国民」に対してはなはだ無礼である。有権者たちは政治家を、たとえ比喩だとしても、「雇われマダム」のつもりで選出したわけではない。また、実際に存在する「雇われマダム」に対しても大いに失礼だ。こういう、言葉遣い1つで人間性の奥底が垣間見えてしまう。ゆめゆめ《肩書》に眩惑されることなかれ!

【追記】昨今の《憲法学者》なる人たちの中には、平和国家の大原則”の何たるかも分からずに平和ボケして《憲法》を論じている人が多く、嘆かわしい。

古伝説に見る日本の母の姿

wikipediaこちらが報じるところによると、「13日午前9時頃、埼玉県羽生市のゴミ集積場で、生後間もないとみられる女児の遺体をゴミ回収業者が見つけ、110番した。」そうだ。 羽生署の発表によると、「遺体は白い袋に入れられていた。身長約50センチ、体重約2600グラム。へその緒がついたままだった。目立った外傷はなく、同署は司法解剖して死因を調べる。」そうだ。昨今、こういった殺伐とした事件がじつに多くなった。

 日本古来の考え方では、「母と子」は絶対に切り離せなかった。古伝説からもそのことがうかがえる。私は幼い時に、死んだ妊婦が地中に埋められてから赤子を産み、毎夜、飴屋に行き水飴を買ってその子に舐(な)めさせた、という話を母から聞かされたことがある話の内容・筋には地方差がある;左の画像はWikipediaより借用。母は幼い私に言った。「お母さんというのはね、赤子を生んだ以上、自分が死んでもその子を育てなければいけない宿命なのよ。」と。私はこの話を古希を過ぎた今でも、昨日聞いたことのようによく覚えている。私がこの歳になるまで人ひとり殺(あや)めずに来られたのは全て、信仰心の篤かった母のお陰である。今、しみじみと母のありがたさを思う。次のような古伝説もある。

 妻を亡くして嘆き悲しんでいたある男のところに美しい若い女がやって来ました。子を宿して、産屋(うぶや)に入ったのだけれど、入る時に、決して中をのぞかないでくださいね。と言い残しました。男は、見るなと言われれば余計に見たくなって、ついその中をのぞいてしまいました。すると中には恐ろしい大蛇がとぐろを巻いて赤子を産んでいました。正体を見られた女は生まれたばかりの男の子を残して山の沼へと消えて行きました。去って行く時に、女は男にこう言いました。この子がおなかをすかせて泣いたら、これを舐(な)めさせてやってください。 そう言って、女は自分の片目をくりぬいて男に渡しました。その赤子はそれを舐めながらすくすくと大きくなりました。でも、片目だけでは足りなくなりましたので、男は山の沼に《母》を尋ねて、事情を話しました。大蛇はそれを聞いて、もう片方の自分の目もくり向いて、それを男にわたしました。大蛇は見えない目で沼の底へと消えて行きました。

 我が国にはこういう、悲しいが、心温まる話がいくらでも残っている。それが我が国の「母」の姿であり宿命であったのだ。こういう話を聞いて育った子供が、親になった時、子育てを放棄するとは思えない。ましてや、産まれたばかりの赤子を《ゴミ》のように捨てるはずがない。戦後の我が国の教育は、根幹において腐ってしまったかに見える。そして、それを仕組んだのが戦勝国・アメリカのGHQであり、それに手を貸したのが戦後に《日教組》だ。こういう古伝説を含め、《日本的なるもの》を書いた書物を焚書(ふんしょ)にするように命じたのも同じくGHQだ。それを実行したのは、特に旧帝大の一部の教授たちだ彼らはGHQの言いなりになって、その後我が国の学界の重鎮”になった。悲しいことだが、それが敗戦国・日本の実情だ。

(たたみ)けめ 
  牟良自(むらじ)が磯の 
          離(はな)り磯(そ)の 
           母を離れて 
                行くが悲しき
    
                                      (万葉集、防人の歌)

What's the magic word?(続)

pWhat's the magic word?magic wordとはじつは"please”という副詞だthank youの場合もある。私が目撃した場面は、女の子が(たしか)Can I go to the toilet?と言った時だったと記憶する。アメリカ英語と違いイギリス英語ではtoiletという語は普通に使うから、その子もそう言ったのだが、先生はすかさずWhat's the magic word?と言った。すると、その子は、Please, Mrs. Wrighton, can I go to the toilet?と言い換えた。pleaseというmagic word先生の名前まで引き出したのだ。先生は、Yes, you can.だったか Yes, you can go.だったか、とにかくそんなふうに応えた。
 それから気を付けて聞いていると、私の周囲の親や学校の教諭たちは、ときどきDon't forget the magic word.とか Always remember to say the magic word.とかという言い方をしていた。なかなか洒落た言い方ではないか。

What's the magic word?

girl昔、ロンドン大学に留学していた頃に書いたメモが出て来た。それには、「娘が通う小学校の担任が女子児童の一人に向かってWhat's the magic word?と言っていた。印象的な表現だ。」と書いてあった。別に小学校の教諭だけが使う表現ではない。その後、大学に行くバスの中でも、若い母親が小さな男の子に向かって、What's the magic word?と言っていた。それではmagic word”とは何のことだろう。読者諸氏への宿題としよう。

「酒盛り」と共飲文化(追記)

f現代日本語で「おごる」と言えば、「自分のカネで人にごちそうすること」を言う。「昼飯をおごる」、「お茶をおごる」、「タクシー[映画]代をおごる」、「一杯おごる」などがその例だ。この例の中で、一番《正統》と言うか、一番《古い》言い方はどれかと言えば、最後の「一杯おごる」だろう。なぜなら、「おごる」という動詞はもともと「おもる」が語源だからだ(異説あり)。漢字で書けば「御盛る」ではないかと思っているがあくまでも推測、やはり共飲文化の名残りだろう。
 「おごる」対象は常に「」であって、それ以外の用法(タクシー代、映画代など)は後日にできたものだと思われる。とにかく日本文化から「酒」、飲酒(行為)」を除けば日本文化でなくなると言ってよい。福岡県民謡黒田節酒は呑め呑め 呑むならば ひのもといちのこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞまことの黒田武士)、秋田県の「酒屋歌」(酒はよいもの ヤーエー 気の晴れるもの ヤーエー 飲んだ心地は ヤーエー アリャ  富士の山ヨー)や「新タント節」(ハァー酒は良いもの 気が勇むもの 呑んだ心地は 富士の山 富士の山  誰が何と言っても 呑んだ方が得だねなど、数多い岡本圭司作詞日本全国酒飲み音頭」などは1月から12月まで、日本全国で酒を飲む歌である。要するに、我が国の伝統文化では、酒の飲めない者は肩身を狭くせざるを得なかったのだ。

「酒盛り」と共飲文化(続々)

tokuri今から10年ほど前の新学期のある日のことである。某著名大学の非常勤講師室でお茶を飲んでいた私の耳に、若手の女性教員(あとで博士号所有者だと分かった)の声が聞こえてきた。曰く、

日本の男性って、酒の席には《女がいないとダメ》みたいな顔をして、平気で女性に酒を注がせるんですよね。去年の忘年会の席でも、私に酒を注いでもらいたいみたいな男性がいっぱいいて、本当に嫌でしたね。どうして日本の男性ってああなのかしら。私、そういうの嫌いだから、黙って無視してましたよ。そんなわけで男性教員の間では、私、不人気みたいです(笑い)。

 正確な文字起こしはできないが、ほぼこの通りの言い方だった。戦後、とりわwomen's liberation(ウーマンリブ)とやらが米国からやって来て、我が国の女性の心に《差別》の1字が入り込み、酒宴・酒席での女性の言動に大きな変化が出て来た。ほとんどの男性もまた、女性に酒を注いでくれと言わなくなった。日本の《フェミニスト》学者たちも上記の女性と同様の考え方をしている(ようだ)。

 だが、この考え方は外来のものであって、日本の伝統的な考え方に基づくものではない。現代では「酒造り」といえば《男の仕事》、酒を造る人のことを《杜氏(とうじ)》と言うが、杜氏、あるいは《刀自(とじ)》とは歴史的には女性をいった。我が国の酒造りは神に感謝を捧げる酒、すなわち《お神酒(みき)》に始まる。日本の酒はルーツとしては女性が造り、それを管理した。だから、「(杜氏・刀自から)酒をもらう」ことを「酒盛り」と言った。女性の許可が出なければ、あるいは女性が注いでくれなければ「酒盛り」とは言わなかったし、女性のいない酒宴・酒席など日本にはなかったのだ。酒を器になみなみと注いで、こちらかあちらが「おっとっと」と言うのが礼儀だったのである。「おっとっと」とは「おお尊し」という意味である。今では、《酔っ払い》の常套句のように思われがちだが、きわめて神聖な表現なのだ。酒とは「栄水(さかえみず)」のことであり、昔の日本人は飲めば神に近づけると信じていた。今は《酒乱》は常にマイナスイメージの語だが、昔はそう呼ばれる人の言動でさえ《奇瑞(きずい)》と呼ばれて「めでたいことの前兆として現れる不思議なしるし」とみなされるのが普通であった。

 今でも、酒宴・酒席への遅刻者に対して、「駆け付 三盃(さんばい)三杯(さんばい)」と言って、無理やりにでも酒を飲ませようとするが、これも昔の三献(さんこん) と言って、参加者全員に三巡させたことに由来する。その三巡を遅刻のために実行しなかったのだから「駆け付三盃・三杯」ということになるのだ。また、今でも、(年配者に多いが)「それでは一献(いっこん)」と言って他人の器に酒を注ぐ。

 とにかく、我が国では酒は《女の手》に収まっていたものであって、男はそれを「もらう」のが伝統的なのだ。気の遠くなるような時の流れの中で、《酒盛り》の意味が忘れられて、外国(とりわけ戦後の米国)から入ってきた価値観で日本古来の価値観・伝統を破壊してきているのが現状だ。本当に賢い、《撫子(なでしこ)博士》なら上の会話はたぶん以下のように運んだだろう。 

日本の男性って、酒の席には女が必要なことを日本人としてのDNAで理解しているみたいですね。女性に酒を「盛って」もらいたがりますから。去年の忘年会の席でも、私に酒を「盛って」もらいたいという男性がいっぱいいて、私は女性としての面目を施しましたよ。日本の男性ってみな愛すべき存在ですね。私、そういう席に出るたびに昔の杜氏[刀自]になった気分を味わいますよ。「ありがたく召し上がれ。おっとっと!」なんて言いながら。ウフフ。私が男性教員に人気があるのは、私が女性だからですね、きっと。ウフフ。 

 
今、こんな会話のできる女性たちが日本にどのくらいいるだろう。おそらく、鳥取砂丘、いや琵琶湖で、そこに落としたブローチを探すのと同じぐらい難しいだろう。まあ、上記のような女性に《説得力》のある説明ができる男性もまた、昨今、稀有になってしまっているが…。嗚呼。

「酒盛り」と共飲文化(続)

昨日、「酒盛り」の《盛り》の語源に言及したが、それに付言しておきたい。《盛り》という語はきわめて日本的なものだ。この語は《共飲文化》の”だと言ってよい。神の存在を信じて、酒を飲み合って結束を固める行為は、我が国の《共食文化》と共通の考え方を表している。今では一宿一飯の恩義”という言葉は時代劇でしか、あるいは冗談半分でしか、聞けなくなっているが、一宿一飯”も、同じ「火の神」の力を借りて作った食べ物を《もらった》時に感じる恩義である。周知のように(たいら)一門には”という字が付く名前が多い。たとえば、平資盛、平清盛、平重盛、平忠盛、平正盛、平貞盛、平行盛、平有盛、平家盛、平教盛、平頼盛、平経盛といった具合である。民俗学の祖・柳田国男はどこかで、「このモリは神の名前ではないか」というようなことを書いていたように記憶するが、そうかも知れないし、私が言うように、「共に栄えるように」という願いを込めて《盛り合った》すなわち神からの《》や《食べ物》を《もらい合った》ことと関係があるのかも知れない。詳細をご存じの方からのご教示を待つ。

「酒盛り」と共飲文化

大学院の「辞書学研究特論」の授業の際、勉強家のSさんが面白い質問をしてくれた。「先生、国語辞典を見ていましたら、某辞典は『酒盛り』を《人々が集まり、酒を飲み合って楽しむこと》と定義してありましたけど、別の国語辞典は《人々があつまり、酒を酌み交わして楽しむこと》とあります。《酒を飲み合って》と《酒を酌み交わして》とではイメージがだいぶ違いますが、どちらが適切な定義でしょうか。」 
 毎週、授業の最初の10分間を、院生諸君にこの種の質問を1つか2つ作ってきてもらっては、院生同士で話し合い、最終的に私が話をまとめるようにしていたから出た質問だ。以下がその時の私の回答だ。

酒盛りの「盛り」は器に酒を一杯にするという意味の「盛り」ではなく、「もらう」に由来するもので、1つの器の酒をお互
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いが《もらい合う》という《共飲文化》に由来するもののようですよ。あなたが先に引用した国語辞典がそこまでわかっていて《酒を飲み合って》としているのか、現代感覚で、単に座を同じくして各人が酒を飲んでいるのかはわかりませんね。後者の国語辞典の《酒を酌み交わして》は明らかに今日的な意味での《酌み交わす》に思えますね。結論としては、両方とも正しい定義だとも、両方とも言葉足らずの定義だとも言えるでしょう。

 ちなみに、現代では宴会などでの《酒の強制》は嫌われるが、昔は勧められた酒を断ることはできなかった。なぜなら、《共飲文化》にあっては、これは信仰行事の一部、すなわち《お神酒(みき)》をいただく神聖な行為であったからだ。だから体質的に飲めない人たちは、相手から酒を勧められたら「それでは形だけ(ですが)」と言って、酒の入った器を必ず受け取った。現代のように、「私は飲めませんから」というような断り方はしなかった。ともするとギスギスした感じになりがちな今日的な断り方は日本の伝統的な《共飲文化》からすると後代のもののはずである。

Maker = メーカー?

昔、英語教員の数が足りないということで、不動産学部の英語のクラスを1クラスだけ受け持ったことがある。テキストを読んでいた男子学生の一人が、「彼女はメーカーに会いに行きました」と訳した。「メーカー?」 原文はShe's gone to meet her Maker.だった。このMakerは「創造主、神」のことなのだ。「いくら君たちが不動産学部の学生だからと言って、文脈を無視して、 《Maker = メーカー》は単純すぎるでしょ?」と私が言っても、当の学生はキョトンとした顔をしている。そこで辞書を引かせて、Makerの意味を教えた次第。長い教員生活には、本当に面白い経験をした。これもみな学生諸君のお陰だ(皮肉ではない)。

A. Bierceのdictionaryの定義(続々)

昨日掲載した写真は昭和 56 [1981]年初春に、法政大学近くの私学会館(現在のアルカディア市ヶ谷)で、私が家族を伴ってイギリス留学を決めた時、「山岸君を励ます会」を催していただいた折りに撮った1枚だ。郡司先生の向かって右側に、同じく、今は亡き、堀口俊一先生のお姿が見える。
 当時、堀口先生は東京学芸大学教授でいらっしゃったが、先生がまだ同大の助教授でいらっしゃった昭和48 [1973]年に、『英語の文型練習と言語活動』(1〜3年生;正進社)を出版なさり、私もお手伝いさせていただいた。私の《デビュー作》であった。私は不遜にも、執筆にいちばん苦労するはずの1年生の部を自ら申し出て、それを担当させていただいた。冷や汗の出る、まことに未熟な仕事であったが、堀口先生は何もおっしゃらずに私が用意した原稿を真っ赤にしてくださった。終始、ニコニコなさっていた。これが契機で、ものを書くことの厳しさと楽しさとを学ぶことができた。私が自分では気づかないところで先生に対して失礼な言動をしたと思うのだが、先生は決して私を叱責なさるようなことはなかった。明海大学で教職課程の授業を担当しておられ、私と同時に退職なさった某教授が、「山岸先生は学生を叱りませんね。」と言われたが、それは私が堀口先生から教えていただいた《教授法》の一部だ。ただし、「(学生を)叱らない」こと、即、「(学生を)甘やかすこと」ではない。学生の評判では、私は「明海大学で一番厳しい先生」だったそうだ。
 堀口先生は、また、私が学会で発表する時には、いつも会場においでになってご意見をくださった。さらに、私が書物を出版し、それを先生のお手元にお送りすると、いつも我が事のように喜んでくださり、詳しい書評をお寄せくださった。
 それと、先生に対して、私がいつも感動したのは、毎年、年賀はがき、暑中見舞いはがきを差し上げると、誰よりも早く、つまりいつも一番にご返事を下さった。それは先生が亡くなるまで続いた。不遜な言い方だが、先生の教師としての姿勢にはいつも深く教えられた。今、思い出しても、有難さに身が引き締まる。私は多くの指導者に恵まれたとしみじみ思う。改めて堀口先生のご冥福をお祈りする。合掌。

A. Bierceのdictionaryの定義(続)

私は先に、「この『悪魔の辞典』の翻訳は郡司利男訳以外は使用・参照しないことを勧める。あまりにも誤訳が多いからである。と書いた。その点を先生ご自身が同書の「あとがき」で説明しておられるから、少々長いが関係個所だけ引用させていただく(訳者名だけはイニシャルに変えた)。
The Devil's Dictionaryを訳してみようなどとは、考えたこともなかった。一昨(1972)年、三人の先生方による本邦初訳の「完訳」に目を通すまでは。その年、もう夏も終わりに近かったと思う。『英語教育』に載った上野景福氏による書評に導かれて、購入したままになっていた同書を、どういう風の吹きまわしか、ソファーに寝ころんだまま読み始めた。本書の最初のページを読んで、申し訳ないが、いきなりおかしいという気がした。
 昼寝のつもりが、妙に胸騒ぎを覚えて、書斎にとって返し、あちこち念のために原文と比べてみた。わたしは怒りに身体がふるえた。こんなことがあってよいものだろうか。ビアスがいきていてこれを知ったら、とんできて訳者たちの首根っこ子を押さえつけたであろう。(中略) 三人の「訳業は実に難業した」とある。わたしには信じられないことである。それまでわたしは、だれでもビアスの『悪魔の辞典』くらいは楽しんでいるものとばかり思っていた。英語の教師でこの本を読めない人がいようなどとは夢にも考えたことがなかった。翻訳されたと聞いても。ごくろうなことだと思ったくらいである。ところが、Bierce のThe Devil's Dictionary は、きわめて難解な書物であるために、それまでだれも全訳できなかったものである、という。そんなばかなことがあるものか。それにしても、かりにそれほど難解であれば、そもそもなにを好んで、英文解釈もろくにできない力量で、わざわざこれを翻訳、出版するのであろうか。(中略) なにやら大人げなかったかと後悔していた。ところが、三人の代表ということでO.S.氏はこれを不満とし、同誌【研究社刊『英語青年』誌;山岸注】4月号に反論を寄せられた。こと志しと違ってしまった。
 こうなっては、お三方の訳を「高校生程度」(大学の英文科の学生であれば犯さぬであろう誤りが多いという意味)と公けに評したわたしに立証の責任がある。わたしは急遽、本書の発行日をさらに大幅に遅らすことの了承を、こびあん書房に乞い、進行中の註釈を全面的に組みかえてこれを別冊とし、O氏ほかの誤訳、愚訳、珍訳、脱落の大部分を指摘して世に問う決意をした。(以下略)
 まだ27、7歳だった、法政大学専任講師に成り立ての私は、先生のこの「あとがき」を読みながら、自分が厳責を受けているような思いでGあった。じつは私自身、『悪魔の辞典』のゲラを読ませていただく前に、すでにいちど先生から叱責を受けていた。法政大学の某教授を通じて、郡司先生とお会いし、辞書の仕事を始めることになって間もなく、私は自分の力量不足から、先生に訳出上の教えを乞うた。言葉の使い方やお願いの仕方が悪かったのだろう。先生はご立腹になって、「これはねえ、山岸君、君の仕事だよ。こんなことがわからないようなら大学の教師になどなるのはやめたらどうかね。君が置いていった訳出例の5分の1程度は目を通したけど、あとは目を通す価値なしだね。」と言われた。私はショックを受け、明治学院から中野区の自宅マンションまで帰る道すがら、悔し涙を流した。と同時に誓った。まことに不遜の謗(そし)りを免れないことだが、「ようし、将来、必ず、郡司先生以上の力量を付けてやる。」と。だが、これは結果的に私の《虚勢》に終わり、古希を過ぎてなお、あの頃50歳か51歳だった先生の実力には遠く及ばない。先生は本当に偉大な方だった。そして私は多くの大学者を師とすることができた。「山岸君、君は果報者だね。」 英文学の恩師で、私たち夫婦のお仲人、桂田利吉先生はいつも私にそう言ってくださった。
 だが、そういう厳しい先生にご指導いただいたからこそ、『小学館ランダムハウス英語大辞典』(郡司先生がご紹介くださった)の仕事を皮切りに、多くの英語辞書の仕事をさせていただけるようになったのだと思う。「訓導して厳ならざるは師の惰(おこた)りなり。」 私はこの言葉を思い出すたびに郡司先生の学問的厳格さと人間的寛容さとを思い出す。合掌。

「抗日戦争勝利70年記念式典」と村山富市元首相(続々)

抗日戦争勝利70周年記念行事」に出席するということで支那入りした村山富市元首相だったが、体調不良を訴えて現地の病院に入院したそうだ(出典こちら)。「現政権の意向に反してまで、《軍事パレード》《閲兵式》に参列する必要を認めない」という神の思し召しではないのか…「靖国の英霊のバチがあたった」という人もいる)。

 前回述べたことだが、
支那共産党が画策して日本軍蒋介石率いる国民党軍と戦わせ、戦争勃発後は日本の度重なる和平への努力《不拡大方針》をことごとく妨害して、結果的に《漁夫の利》を得たことは今では明々白々になりつつある。支那共産党は自分たちの唾棄すべき狡猾な策略で《盧溝橋事件》を勃発させ、それを日本軍のせいにし、連合軍の《一員》として《戦勝国》になり今日に至っているのだ蒋介石・国民党軍はその後、現在の台湾に逃れたが、蒋介石は日本との和平を常に念頭に置き、戦争の拡大を恐れた人だと言われている。それが李登輝前総統にそのまま受け継がれ、台湾の親日傾向は綿々と続いていると考えて差し支えないだろう。先の東日本大震災の際、世界で最も多額の援助金を申し出てくれたのは周知のごとく、その台湾である。我が国よりも小さな国家が、世界のどこよりも篤い友情を示してくれたのである。しかも、朝鮮同様、かつて日本が統治した国であるただし、現在の馬英九総統は支那寄りの政治家として知られ、台湾の若者たちを中心に《馬離れ》が進行している

 戦後のGHQを初めとする連合国軍の策略による日本人への《自虐史観》《認罪意識》の醸成は100%以上も成功した。その犠牲者が戦後歴代の総理大臣、とりわけ宮沢喜一、村山富市、鳩山由紀夫、管直人、野田佳彦といった人たちであり、河野談話”の河野洋平元官房長官、田辺誠・元社会党委員長である。その他、朝日新聞(の本多勝一、植村隆など多数の元記者)を初め多くのマスコミ関係者、多数の左翼政治家・大学教授、日教組教員たちだ。また、日本人の《自虐史観》《認罪意識をうまく利用し、《飯のタネ》にして、我が国を大混乱に陥れて、いわれもない《従軍慰安婦》問題に繋げてしまったのが、かの吉田清治著『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房、1983)だ。漫画『はだしのゲン』の内容、とりわけ日本軍が支那で行ったという《残忍・残虐行為》の描き方にも漫画家としての中沢啓治氏がその犠牲者であったことが十二分に伺われる。

  支那共産党が、またそれに呼応するように韓国が、我が国を貶めるために、「是々非々の精神」などどこ吹く風と、歴史的捏造・虚偽具体的には《南京大虐殺》、《従軍慰安婦問題を世界に拡散する努力を惜しまなかったことも現在では次第に世界の良心的国家・国民たちには分かり始めている。

 こういう大問題の原因のほとんど全てはGHQ(その後のアメリカ政府)の策の下に生まれて来たもので、《知らぬは《お花畑》の日本人だけだったということに日本人は気づくべきだ結果的に、ほとんどの日本人は戦後、アメリカ、アメリカ…とアメリカ(的なるもの全て)を礼賛するように仕向けられて来た。もちろん日本人英語・英米文学者・英語教師たちもその一翼を確実に担って来た。

 しつこいほど書いて来たことだが、現代人は物事を「是々非々」で行くべきだ。支那人・韓国人にこの精神があるなら、日本との関係ははるかに良くなっていただろう。それを、ありもしない歴史的捏造・偽造を繰り返して、本来なら最隣国として友情・信義を育むべき間柄でありながら、その友好関係を台無しにして来ている。しかもその責任の全てが、あたかも日本にだけあるかのように声高に叫び続けながら…
 
  日本の政治家たちを初め全ての日本人は、戦中・戦後の日本と日本人に寄せる、多くのアジア諸国の(人々の)信頼と感謝と友情の実状をもっともっと知るべきであった。知ろうとすべきであった。そうすれば、日本軍将兵が支那で、《南京大虐殺》のような非道・残忍なことを本当に行ったかどうかも推測が付いただろう。特亜国以外のアジア諸国から感謝され、親愛の情を示され続けている日本軍将兵が、どうして支那でだけは蛮行に走ったと考えられるだろう。どうしてそんなことに思いが及ばなかったのだろう。将校の中にはおかしな者もいただろう。だが、軍律の厳しさでは日本軍は世界で群を抜いていたこともよく知られている。《天皇の赤子(せきし)》としての日本軍将兵が一般的に言って悪辣非道なことなどするはずがない。軍律がそれを放置するはずはない。そういう《絶対的信頼》を欠いていたから、戦後の日本人は、日本軍将兵が《大虐殺》だの《性奴隷狩り》だのを実行したと容易・安易に信じ込んでしまったのだ。もちろん、そのように仕向けたのは何度も言うようにGHQだったのだが…。 日本人が「友だち」だと信じて疑わなかったアメリカ合衆国が実は日本の最大の敵であったのだ(し、今もそうなのだ)。
  
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「日本人はこの裁判(=極東国際軍事裁判;山岸注)の正体を正しく批判し、彼ら(=連合軍側;山岸注)の戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。日本よ!日本人は連合国から与えられた『戦犯』の観念を頭から一掃せよ。」 ―田中正明著『パール博士のことば』より。左写真はラダ・ビノード・パール判事;インドの法学者・裁判官・コルカタ大学教授・国際連合国際法委員長;極東国際軍事裁判でたった一人だけ正義を貫いた稀有の裁判官であり、我が国最高の恩人である。

あれから6年が経った―妻の命日に

fl1今から6年前の今日も木曜日だった。正確には、平成21[2009]年9月3日木曜日だ。午前1時20分、京都・山科の某病院において、妻は息子に看取られながら62年の生涯を終えた。 あれから丸6年、仏式で言えば今日は妻の《7回忌》になるが、妻の遺言により法要などはいっさい執り行わない。
 私はその6年間、一日たりとも妻のことを忘れたことはなかった。 本ブログの記事として、その後の私の胸中や心情はあらかた書いたつもりだった。だが、書いても書いても書き切れないほどの思い出が、月日の経過と共に蘇(よみがえ)ってくる。
 最初の1、2年間はとりわけ苦しかった。授業中、悲しい顔を学生・院生諸君に見せるのは還暦を過ぎた《教育のプロ》としては恥ずかしいから、精一杯感情を抑えて、よい授業ができるように努めた。だが、授業が終わって研究室に戻り、そこに飾ってある笑顔の妻の写真を見るとS1、恥ずかしながら涙があふれて来てどうしようもなかった。
 食事はほとんどいつも砂を噛む”ようなものだった。当然のこと、体重はどんどん落ちていった。10数キロは痩せただろう。
 そんな、どうしようもない自分の気持ちを何とか抑えることができたのは、正直なところW. シェイクスピアのお陰だ。『ロミオとジュリエット』(Romeo and Juliet)の3幕5場で、ジュリエットの母であるキャピュレット夫人(Lady Capulet)が言っている。

「悲しむのは愛情の深いことを証明するけれど、あんまり悲しむのは、いつでも知恵の足りない証拠ですよ。」
(Some grief shows much of love, But much of grief shows still some want of wit.)

 その通りだと思った。だが、同じシェイクスピアが『ヘンリー6世』第3部(Henry Part3;2.1)では次のようにも言っている。

「泣くと悲しみの深さが軽くなる。」
(To weep is to make less the depth of grief.)

 この6年間、私はこの2つの文句の間を行きつ戻りつしながらやって来た。告白すれば、同じ『ヘンリー6世』第3部(4.3)に出てくるエドワード王の
aa7
「運命の課するものを人間は忍ばねばならぬ。」
(What fates impose, that men must needs abide.)

という言葉も私の自制心を正常に保ってくれた。シェイクスピアという人は、いったい、どれほど深く、広く人間というものを観察した人なのだろう。私たちの日常生活でぶつかる喜怒哀楽に関しては、まず間違いなく全て、何らかの言及をしている。汲めど尽きせぬ知識と情報と《救い》の宝庫である。昔、わが英文学の師・桂田利吉先生のご指導の下にS.T. コールリッジのBiographia Literaria (『文学評伝』)の訳出をお手伝いをした際、コールリッジが、「千万の心を持つシェイクスピア」(Our myriad-minded Shakespeare)と言っているのに出くわしたことがあったが、まさにその通りだと思う。ちなみに、私はシェイクスピア学者ではないが、その全作品を読み、芝居は昔、ロンドンでそのほとんどを鑑賞した。

 ちょど4年が過ぎた頃から、私の心構えに変化が生じ始めた。私の教え子だったcar5女性と、全くの偶然から息子が出会い、愛し合い、結婚をしてくれたからだ。おそらく二人は運命の赤い糸で結ばれていたのだろう。妻の意志が働いたのかも知れない。長年Cathay PasificのCAを務めていたにもかかわらず、さっさとその職場を辞めて息子のところに来てくれた。
 私には息子が、私の教え子、それも私のゼミ生、しかも私が「こういう子を息子の嫁にしたいものだ」と思っていた女性と出会ってくれたことが、奇跡のように思えて、無性に嬉しかった。そんな気持ちが私を前向きにしてくれ、残りの人生を明るく生きていこうと思うようになった。
 
 著名な作家・城山三郎さん、国立がんセンター名誉総長・垣添忠生さん、その他多くの著名人も、私と同じように、お連れ合いを癌で亡くされ、苦しい毎日を送って来られた。垣添さんはご自身が著名な癌専門医でありながら、「もう生きていてもしようがないな。」とまで思い詰められたそうだ。評論家・江藤淳さんのように、お連れ合いを亡くされたあと、実際に、自らの命を絶った方もいる。ご本人は遺書に「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。」と書いておられたが、察するにお連れ合いをS2亡くされたあとの江藤氏はもう生きる希望も気力もなくされていたに違いない江藤ご夫妻は、私たち夫婦と同じで、大学生時代から相思相愛の仲だったと聞いている。みなさんの気持ちが痛いほどよくわかる。私も同じ苦しみ、悲しみ、喪失感を味わい、そういった感情に打ちのめされ続けたからだ。

 だが、もうあれから6年経った。だから、未来ある若い人たちの足手まといにならないように、残された人生を前向きに積極的に生きて行こうと思っている。それでも確かなことが1つ。私が生きている限り、私は妻のことは1日たりとも忘れないだろう。
妻は私の人生そのものであったし、最高の友であり相棒であり私の理解者であったし、闇の中の一条の光であったし、未来に向けての大きな希望と夢とであったし、絶望の中の確かな救いであったし、忘れたくとも忘れられない存在だったから…。

ついにゆく 道とは かねて 知りながら きのうきょうとは 思わざりしを―伊勢物語

【後刻記】この一文を書いたあと、午前中に、出版社、親戚、教え子たちから次々と供華(くげ) が寄せられた。妻のことをいつまでも忘れないでくださっていることに、私は心の底からありがたいと思っている。人間、忘れ去られることがきっと一番寂しいことではないかと思う。

A. Bierceのdictionaryの定義

sかのAmbrose Bierce (1842-?1914) のThe Devil's Dictionary ( (1911)は何度読んでも面白い。と同時に、《そらおそろしくなる》こともしばしばある。
 若き日、私はこの辞書を、その続編と共に、当時明治学院大学教授で、すぐに、新設の筑波大学に移籍なさった郡司利男先生のご下命により、全訳ゲラを全頁にわたって、数度、まさに克明に読んだから、余計、その面白さと《そらおそろしさ》を知っているつもりだ。先生のおかげで、どんな英語でも「前から」訳すことができるようになった。ありがたかった。

 そのビアスの辞書のdictionary(「辞書」)の定義を読んだ時、すでに辞書の仕事をし始めていた私はいっきに両方の感情を抱いた。それには次のようにあった。

DICTIONARY, n. A malevolent literary device for cramping the growth of a language and making it hard and inelastic. This dictionary, however, is a most useful work.

辞書 〔名〕 一つの言語が自由に成長しているのを妨げ、弾力のない固定したものにしようとして悪意をもった文人が案出した工夫。本辞典は、しかしながら、きわめて有用な著作である。(郡司利男訳)


  A malevolent literary device for cramping the growth of a language and making it hard and inelastic. (一つの言語が自由に成長しているのを妨げ、弾力のない固定したものにしようとして悪意をもった文人が案出した工夫。)という定義は、辞書の原稿を書く人間には大いなる皮肉である。だが、当時、27、8歳だった私は《ぞっと》した。ところが、ビアスはすぐそのあとで This dictionary, however, is a most useful work.(本辞典は、しかしながら、きわめて有用な著作である。)と読者を微笑ませる。これぞまさにビアス流である。
 ちなみに、この『悪魔の辞典』の翻訳は郡司利男訳以外は使用・参照しないことを勧める。あまりにも誤訳が多いからである。

国連女子差別撤廃委員会からの質問状

去る7月30日付で、日本政府に対して国連女子差別撤廃委員会から質問状が届いたそうだ(動画参照)。

The Committee is informed of recent public statements that "there was no evidence that proved the forcible taken away [of "comfort women"]". Please comment this information.(委員会は最近の公式声明から「慰安婦”の強制連行を証明するものは無かった」との報告を受けた。これについて見解を述べてください。)

この質問状が我が国政府に寄せられるようになった大きな力は「なでしこアクション」という名の、日本女性(なでしこ)たちの組織だ。動画ではその代表者である山本優美子さんの姿を見ることができる。
 動画でも多少言及しているが、日本国および日本軍将兵のために有利な、そして明々白々になった歴史的事実を国連を初めとする世界各国に知らしめる阻害要因は河野洋平元官房長官が出した事実誤認に基づくいわゆる『河野談話』と、村山富市元首相が出した、同じく事実誤認に基づく『村山談話』(特に前者)だ。

 動画にもある通り、外務省ではそうした談話が出ている以上、及び腰にならざるを得ない。役人とは昔からそういうものだ。だから、安倍晋三首相が率先してその問題に関与しなければ何もならない。だが、周知のごとく、最近の『安部談話』でも慰安婦問題”はうまく避けてしまっている。政治家たちはほとんどみな自分と自党(派閥)が可愛いく、また心配なのだ。今問題となっている、いわゆる『南京大虐殺』と『従軍慰安婦』問題に真正面から取り組んでいるのは政党では「次世代の党」に所属する政治家たちだけだ。ところが、先の衆院選では、中山成彬氏、西村眞悟氏、杉田澪氏など、心ある政治家のほとんど全てが落選してしまった。正義を訴えても世間では通用しないのだ。我が国の戦後がどれほど、強固なGHQ自縛で身動きが取れなくなっているかをよく示している。換言すれば、戦後の日本人の多くは《被虐嗜好性》を帯びてしまっているのだ戦後、GHQが日本国民に植え込んだ自虐史観、認罪意識が今もって余熱を持ち続けていると言ってもよい

 あちこちで言ったり書いたりして来たことだが、そしてそれは私の70年の生涯を通じての父譲りの信念だが、政治家を含め、人々に影響力を持つ者は、まず「是々非々」を通すべきだ。 私は辞書編纂家として、常にそれを胸に刻んでいる。私が辞書に書いたことが真実でなかったら、そしてそれがそうではないと客観的に認められた、私はいつでもその記述を改めるそれがいやしくも多くの英語学習者に対して、辞書編纂家が負っている大きな責任だと信じるからだ。それはまた、今から17、8年前に、私を信じてその全権を委譲してくださった前編集主幹・柴田徹士先生に対する、辞書編纂家として、また人としての私の責務である。
 残念ながら、河野洋平氏、村山富市氏、その他、結果的に反日的言動を是正できない政治家たちが多過ぎるというのが我が国の悲しい現実だ。

 シェイクスピア作『ヴェニスの商人』(4.1)でポーシャが言っている。「慈悲と言うものは静かな雨が地上に落ちて来るように降るものだ。それはいちばん偉い人が行なう時に一番偉大となる。」と。だから現在の日本の舵取りは安倍晋三首相が行って、慈雨を降らせるのが、汚名を着せられたまま死んでいった無数の日本軍将兵には一番の供養となるのだ。天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である以上、首相の責任は計り知れぬほど重く大きい。

【追記】くどいが、私は「是々非々を貫け」と言っているのであって、日本軍が実際に犯したと判明した行動(=悪行)に関してはきちんと謝罪しなければならないと思っているとは言え、歴史的・政治的にはほとんど全ての問題は解決済みのはずだ
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