2015年11月

Yesterday wouldn't be too soon.という慣用表現

かつkataて私のアメリカ人の同僚W.W.氏は、私との会話でしばしば表題のYesterday wouldn't be too soon.使った。文字通りには、「昨日でも早過ぎないだろう」ということだ。たとえば、私が、「試験問題はいつ必要ですか」というつもりで、W, when am I supposed to finish the exam questions? と聞くと、氏はYesterday wouldn't be too soon.と応えた。要するに、「もう遅いぐらいだから、すぐに(immediately)終えてくれ」ということだ。時制は違うが、別のアメリカ人女性講師はYesterday woudn't have been too soon.(文字通りには、「昨日でも早過ぎなかっただろう」)という言い方と、I need it yesterday. (文字通りには、「昨日必要だ」)という言い方をしたことがある。三者とも、いかにも英語的な表現だと思った次第だ。日常的に英語圏出身者と仕事をしていると、さまざまな英語表現を教わる。退職した今も同様だ。

go Dutchとう言い方 ― ネイティヴとは言うけれど

先日、散歩の折り、久しぶりに近所の本屋に立ち寄った。うずたかく積まれた某単語帳の「学校英語では教えてくれない、話すための英単語」という宣伝文句に引かれて、同書を手に取り、あちこちをパラパラめくってみた。著者はW大学のアメリカ人教授だ。初版第1刷は2013年9月30日となっており、私が見たのは2014年4月15日の第6刷だ。売れているらしい。

 その中に、「定型表現」と題した頁があって、そこに「Let's go Dutch. 割り勘にしよう。という1文が掲載hしてあるのが私の目に入ってきた。決まり文句ですから、使う場面をイメージしながら、そのまま覚えてしまいましょう。会話でもよく使います。とある。確かに、Let's go Dutch. という慣用表現は「割り勘にしよう。」という意味でよく用いる私は《用いた》と言いたい。だが、この英語表現は、オランダ人に遠慮して、あるいは差別的観点から言って、避けられる傾向が強くなってから久しい。同教授がそういうことを知らないとは思えないのだが、これを日本人英語学習者に向かって、決まり文句ですから、使う場面をイメージしながら、そのまま覚えてしまいましょう。会話でもよく使います。と断言するのはどんなものだろう。時代錯誤的ではないか? あるいは同教授の《語感》の問題か?

 私なら、学習者には、Let's go Dutch.Dutch treatのような慣用句抱える問題点を説明した上で、Let's have separate checks.各自持ちの場合とか、Let's split the check [bill]. 各人が均等に負担する場合とか、Let's go fifty fifty.二人の場合のように言うだろうし、またそのように教えるだろう。いずれにせよ、go Dutch という慣用表現は人種差別的であるだけでなく意味的にも曖昧な部分があり、日本人学習者に決まり文句ですから、使う場面をイメージしながら、そのまま覚えてしまいましょう。会話でもよく使います。と勧められるような類いのものではないと私は思う。
 

女優の原節子さんが亡くなった…

h女優の原節子さんが去る9月5日に亡くなっていた。95歳のご長命だった。日本に女優多しといえども、おそらく原さんほど《高貴な女優さん》はいないだろう。かつて女優の司葉子さんが、原さんの一番の魅力を「清潔感」と指摘したことがあるが、もちろんその一言で足りるような女優さんではない。ありとあらゆる讃美の声を上げたいほどの人だった。それが高じたためだろうが(尾籠な話で恐縮だが)、「原節子はトイレに行かないらしい[オナラをしないらしい]」などといったとんでもない《伝説》さえ生まれたことがある。「永遠の処女」という言葉も彼女のためにあった。

 私は原さんの日本語が大好きだった。脚本家によって用意された台詞ではあっても、ひとたび原さんの口から発せられると、その妙(たえ)なる音の響きや抑揚の美はまことに素晴らしかった。持って生まれたものだろう。オードリ・ヘプバーンに比する日本人女優だ。
 私も、亡き妻も、また亡き両親・兄姉の誰もが原節子さんの大ファンであり、その映画のほとんどを観た。『安城家の舞踏会』、『お嬢さん乾杯』、『青い山脈』、『続・青い山脈』、『晩春』、『麦秋』、『めし』、『東京物語』、『ノンちゃん雲に乗る』、『智恵子抄』、『路傍の石』、『秋日和』、『小早川家の秋』、『娘と私』等々、みな秀作だった。

 小津安二郎監督が亡くなった1963[昭和38] 年暮あたりを最後に、原さんは永遠に銀幕から姿を消した稲垣浩監督の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(1962年)が最後の作品。巷では「小津さんの死に殉じた」と噂した。だが、それから半世紀以上が経過したにも拘わらず原さんの人気は衰h2えていない。それだけ、近づきがたくも大きな魅力の持ち主だったのだ。私は大学院生だった頃、鎌倉を歩いていて、偶然、原さんを見かけたことがある。たぶん原さんが50歳前後だったろう。その凛とした立ち姿と、全体的な美しさ・優雅さに、思わず息をのんだことを覚えている。

 命あるものは全て終わりを迎えなければならないが、原節子という大女優が我が国の映画界に燦然と輝き、日本人の誰をも魅了したことは、これからも長くその歴史に残るだろう。「原節子さん、素晴らしい映画をほんとうにありがとうございました。」 そう言って、心の底から合掌したい。

他よりも優秀なる能力と
      優良なる性質とをもって生まるるにあらざれば
             何人といえども高貴ならず ― セネカ

【参考】●原節子 名場面や予告編・貴重映像など。動画まとめ
          ●原節子さん追悼 気高きが罪

「まずったよ」を英語で言えば…

n昨日言及した卒業生から聞かれたもう1つの質問は「まずった」だ。たとえば、「テスト、どうだった?」「まずったよ。 」、「(自動車運転免許の)路上試験、どうだった?」「まずったよ。」という時のそれだ。卒業生はネットから「テストでまずった. I did poorly in the test.」を引いてきたが、本人もこの英語には「まずった」が持つ《俗語っぽさ》がないと言う。私もそう思う。ちょっと考えて次のように応えた。
「英語の期末テスト、どうだった?」「まずったよ。」、「(自動車運転免許の)路上試験、どうだった?」「まずったよ。」という時の俗っぽい「まずった」は、私なら I blew it. とします。したがって、"How did you do on the final English test [the road test]? "―" I blew it. ”となります。blow は「しくじる」の意味の砕けた語ですから、きみが知りたい表現に適当でしょう。ちなみに、「まずっ!(=まずい!)」っという感じの間投詞としてBlew it! と言うこともできます。

「めっちゃ…」を英語で言えば…

この3月末日をもって、長かった大学教員生活を終えたが、かつての教え子たちへの《アフターサービス》はその後も続いている。昨夕もその一人から次のようなメールをもらった。要点だけを引用する。
僕たち若者は日常的によく「めっちゃ」という言い方をします。きちんとした場面では使うのはためらわれますが、砕けた会話ではよく使います。それで先生に教えていただきたいのですが、「めっちゃ雨が降ってる!」という場合の「めっちゃ」の感じを出して訳すにはどうしたらいいでしょうか。ネットで探すと、その日本語に対して、It's raining so heavily outside! とIt's raining cat and dogs !というのが見つかりましたが、どちらもだいぶ感じが違うように思います。教えていただけますか。電子辞書を含め、市販の和英辞典にはまだこの語は収録されていません。
 このメールをもらったのだが、私は砕けたというか、slangっぽいというか、方言的(?)というか、そういう類いの「めっちゃ…」というr語の存在はもちろん知っている。だが、私の長い人生で一度も日常的に使ったことはない。また、これからも使うことはないと思う言い方だが、英語の辞書に関わる人間としては、「知らない」では済まされない。そこで考えてみた。

 ちょっと考えてみたが、「めっちゃ…」という言い方に相当するものとしては all get out という俗語副詞を充てるのがよいかも知れない。したがって、It's raining like all get out ! のようになる。「最終バスに乗ろうとめっちゃ走った」なら I ran like all get out to catch the last bus home. となる。この副詞はこの場合のように like が先行するのが特徴だasでもよい。ほかに、さらに適当なものがあるかも知れないが、私としてはこの言い方を同君への回答とした。

付記:こちらの豪雨を映した動画(0.41あたり)でも聞くことが出来る。また、こちら(Yahoo Answers)、こちら(English Language and Usage)などでも話題になっている。
後記:読者の某氏から、like hell とか like crazy のほうがよいのでは、というご意見をいただいた。もちろん、この言い方も知っているし、「めっちゃ」の感じが出るだろう。だが、この二者は slang と言うよりも、informal もしくはcolloquial のラベルが適当だろう。いずれにせよ、追加したい慣用句だ。
【後刻記】like hellで思い出したが、(as) 〜as hellの形式もよいだろう。It's as hot as hell outside.(そとはめっちゃ暑いよ)のように言える。

「take a mental health day(メンタルヘルスの日を取る)」という表現

rose red我が国では、一般にはまだあまり知られていないようだし、人々の意識も高くないようだが、先月の10日はWorld Mental Health Day世界メンタルヘルスデー; Wikipedia英語版同日本語版)だった。1992年以降、毎年10月10日に世界精神衛生連盟World Federation for Mental Health)によって記念行事とされている。要するに、「精神面における健康」に関する世間の意識や関心を高め、心の健康を保つための記念日である。今はWHO(世界保健機構)の《お墨付き》もある記念日のようだ。

 この日が制定されて以降かどうかはまだ調べていないが、英語には take a mental health day メンタルヘルスの日を取る)という表現が出来ている。ちょっとおどけた感じの表現で、たとえばAfter these stressful weeks, I'm taking a mental health day tomorrow.(ここ何週間か、ストレスの溜まる日々だったから、あしたは1日メンタルヘルスの日を取ってのんびりするよ)のように言う。退職後の私にとっては「毎日がメンタルヘルスの日」(Everyday is my mental health day. ) だ…。

very expensive と really expensive

東京・お7新橋の某和風レストランでアルバイトをしていた、私のTranslation Skillsクラスの女子学生Sさんが、ある日、私にこんな質問をした。

先生、私は今、新橋近くの和風レストランでアルバイトをしているんですけど、結構値段が高いお店なんです。それをホームステイしたことのあるニュージーランドの友だちにメールでThe restaurant I work for is very expensive.って書いたんですけど、このvery は really と書き換えても同じ意味ですか。意味かニュアンスに違いはありますか。


 この質問を受けた私は、「『スーパー・アンカー英和』の really の項を読んでくれる?」と言うこともできたが、授業料を払った受講生なので、専任教員の《義務》として、次のように丁寧に応えた。

もちろん言い換えることはできるよ。だけどニュアンスに違いがあるね。very だと、「値段がとても高い」と、事実を言っているのに対して、really だと、「(だから私にはそこでの食事は無理」という含みが出ることが多いね。外国人に向かって不用意に言うと、「あなたには無理でしょう」と解釈される恐れがあるだろうね。だから、たとえば、「夕食に連れて行ってもらったところには驚いたね。すごく高いんだ。」をI can't get over where they took us for dinner! It was so expensive.と訳せば、聞く人には、あなたが「私には(高くて)行けない」と言っているように響くだろうね。要注意の副詞だと言えるね。

 

「うごめく」を漢字交じりで書くと?

i「日本語・英語辞書(1,000,000,000訳語検索)」と銘打った Linguee なるサイトを見ていたら動めく squirm / crawl like wormとあるのに気づいた(こちら)。うごめくを漢字交じりで書いているのだが、これは間違いだ。正しくは「蠢く」と書く。「絶え間なく小刻みに動く」という意味で、難しく言えば「蠢動(しゅんどう)する」となる。残念ながら、この動めくという間違いの例はインターネット上に無数にある。次に、6例だけ挙げておく。

※夜に動めく影の正体は!?
※暗闇で動めく2匹の蛍???
※リードのテーマ ― 闇に動めく暗い影
※目を閉じてしばらくすると、いつもではありませんが、動めく光のようなものを見ることがあります。
※春風に動めく毛先軽やかにふんわりショート 
※これは見る角度で組子が動めくように見せる匠の遊び書院欄間の斜線障子格子に斜線のデザインを取り入れた書院欄間が印象深い。

「仕事を続けながら子育てをする」の英訳

wシングルマザー”になったかつての私の教え子(不動産学部の学生だった)から英語表現に関する質問のメールが届いた。離婚をしたあと、女性ばかりが割を食う”必要はないのだが、今はそのことには触れないでおく。彼女のメールには、「メル友になったばかりのオーストラリア人の女性に、『仕事を続けながら子育てをするのは大変です』と言いたいのですが、どうもうまく言えません。教えていただけますか。」とあった。以下は私の返事だ(要点のみ記す)。

 私があなたなら、 It's difficult to hold down a job and raise a child at the same time.と表現しますね子供の人数によってtwo children, three childrenなどとなります。hold down には「がんばって続ける」というニュアンスがありますから、あなたにはこの慣用句が《お勧め》です。

「片棒」、「肩棒」、それとも「方棒」?

k二人一組でかつぐ駕籠や(もっこ)を担当することを「(かたぼう)を担(かつ)」と言い、慣用句としては「(何かの、通例は悪い計画に関わる」ことを指すが、その「」のことを「」と書く人が少なくない左の写真はWikipediaから借用。「」に担ぐところからの連想による間違いだろう。この間違いを国語の塾かどこかの漢字問題の《正解》の中にも見つけた。それには次のようにある。

《慣用表現の空欄に漢字を書き入れる》  解答
 ●次の各文の(   )に当てはまる漢字一文字を書き入れてください。

  (1) 老いた世代のみが守る伝統など、彼らが
(  )籍に入るとともに消滅する。
  (2) 努力のかいあって、今年の文化祭の展示作品は出(  )のできだ。
  (3) 二人のけんかには片方の( 肩 )棒をかつぐ。
  (4) 右手だ左手だというバスガイドの指図に虫酸が( 走 )った。
  以下の問題と解答は省略(山岸)

 この(3)にある「」は当然「」でなければならない。たまたま誤記したものかどうかは不明だが、大いにまずい解答例だと思う。以下に、間違いの例を5例だけ挙げておく。

※「サツだって、同じ人間だ。悪事の肩棒をかつぐヤツだっていても不思議じゃねえ」
※ 武田先生には「CCC-武雄の肩棒をかつぐ」意図はないんじゃないかなあ。
※インナーサークル、極秘セミナーを開催する点には、 ナ・ッ・ト・ク・ インフォトップ公式なので、 詐欺の肩棒をかつぐことはないと思いますが、、。
※彼は救世主の肩棒をかつぐ、ただし救世主は夢サイドの神である。
※木垣幸二は世界中から舞いこむテレックスや電文の翻訳をしながら、これでは国家権力の肩棒をかつぐことになると思い悩みます。

 ちなみに、「」と表記している例にも出くわした。

「英語が生かせる職業につきたい」の英訳

in表題の日本語を英訳した私の「英作文クラス」の諸君のほとんどがI want a job where I can use my (knowledge of) English. / I want to get a job where I can make good use of my English.のような英訳を行なった。手元の和英辞典(電子辞書搭載)に収録してあったものを使ったらしい。私なら、たとえば、次のような英訳も思いつく。

※I want to get a job where I can use my English ability.
※I want to get a job where English is required.
※I want to get a job that requires English.

「他人事」は何と読む?

eye初めて和英辞典を編纂した頃、一人の学生が私の研究室にやって来て、「先生の和英辞典に《たにんごと》がありません。」と言った。こういう質問や疑問には慣れているから、「きみが言いたいのは《ひとごと》でしょう? そちらで引いてごらん。出ているから。」と応えた。

 いつの頃からか、「他人事」を「ひとごと」と読まずに「たにんごと」と文字通りに読んでしまう人たちが増えて来た。
そんなわけで、現行版では、「たにんごと」をカラ見出しにして「ひとごと」を引かせるようにしてある。

 繰り返し言って来たように、「誤用法 みんなが使えば 正用法」なのである。「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」と言ってもよい。ちなみに、「ひとごと」は「人事」と表記することもできるその場合は「じんじ」ではない

「泣くだけ泣いた」の英訳

昨年教えた学生の一人から質問のメールをもらった。しっかり勉強をしているようで嬉しかった。以下がその要点だ。

 「泣くだけ泣いた」を英訳するとどうなりますか。手元の和英辞典には適当なものが見当たりません。「水を飲めるだけ飲んだ I drank as much water as I could.」という用例があり、それが使えるかなと思いましたが、応用できません。どういう言い方をするのがよいか教えていただけないでしょうか。

 以下はそれに対する私の応答文だ。

 確かに「〜だけ〜した」に相当する用例を収録している和英辞典は、手元にある何点かを見ましたが、ありませんね。私なら I cried my head off. と表現するでしょう。one's head off は元の意味は「気が変になるほど」ということですが、口語では「猛烈に、ひどく」の意味で使います。「食べるだけ食べた」なら I ate my head off.、「笑うだけ笑った」なら I laughed my head off. となります。この慣用句を使うとよいでしょう。

「芥子(けし)」と「枡(ます)」と「纏(まとい)」の話

keshi
我が家のすぐ近くに町内会の掲示板がある。そこはまた、某私立幼稚園が児童用送迎バスを停車するところでもある。そのために、若いお母さんたちがよく立ち話をしている。先日、愛犬たちを散歩させていた私の耳に次のような会話が飛び込んで来た。

A: 「消防団の団員を募集してるんだね。これなんて言うんだっけ?」
B: 「え、どれ? ああ、それ、《纏(まとい)》って言うんじゃなかったっけ?」
A: 「ああ、そうだね。でも、このてっぺんのマークってどういう意味だろう?」
B:  「どれ? ああ、そうね。それなんだろう? 地球儀みたいだし、凧(たこ)みたいだし。何だろう。」

 近所の顔なじみの女性たちだったので、私は口を挟んだで次のように言った。

私:「横から口を挟んで悪いけど、それは丸が『芥子(けし)』の実を、四角がコメなどを量る時に使う『枡(ます)』をデザイン化したものじゃあないですか。それで「芥子枡(けします)」になるでしょう。つまり、「(火を)消します」っていう洒落だと思いますよ。」
A:「へー、そうなんですか。知りませんでした。1つ賢くなりました。ありがとうございます。」
B:「私も初めて聞きました。そうなんですか。」
私:「たぶんそうだと思いますよ。」

 ちなみに、上の写真の図案では芥子と枡とが1つに描かれているように見えるが、上部に丸い形の芥子を、そのすぐ下部に四角い枡を取り付けた纏もあったはずだ。

箸はちゃんと使えますか?

men行きつけの日本蕎麦屋に全国麺類生活衛生同業組合連合会全麺生連というところの宣伝があって、「麺を食べる《いい表情》コンテスト」を実施するので、作品を送ってほしい旨が書いてあった。そこに掲載されている、小学2、3年生の女の子の《いい表情》のサンプル写真が可愛かった。だが、よく見ると、その子の《》の持ち方が変だ。「蕎麦がおいしく食べられればそれでいい」と言えなくもないが、《いい表情》の一部として、《箸のいい握り方》も審査対象にしたほうがいいのではないか? そんなことを思った。

 昨今の子供たちは、大学生を含めて、幼い時からフォーク、スプーンで食事をすることが多くなったせいか、あるいはまたその親の世代がすでにそうだからかも知れないが、箸の持ち方がきちんとできないという子供たちや若者たちがきわめて多い。この事実は、私が勤めていた大学の学生食堂で27年間の長きにわたって意識的に観察し、確認したから間違いない。写真にあるような箸の持ち方では、蕎麦のおいしさも減じるのではないかと、少々心配になった…。

Good advice may be given, but manners not.―A Turkish Proverb
   良い忠告は与えることは出来るが、行儀作法はこれが出来ない。―トルコの諺

マロンとネロが12歳になった。

MN1平成15年[2003年]の今日、マロン(茶色)とネロ(黒色)が生まれた。時の経つのは早いもので、2頭は今日で12歳だ写真は3枚とも今朝撮ったもの。現在我が家には父親のハッピー(14歳)を頭に、5頭の柴犬がいるが、5頭ともまるで性格が違うことに驚かされる。人間と同じだ。
 犬を飼うといろいろなことが学べる。まず、犬は、人間と異なり、「ホンネ」と「タテマエ」を使い分けないということ、つまり、「ホンネ」だけで生きているから、飼い主の都合通りには動いてくれない。こちらが呼んでも、「嫌な時は嫌」だという気持ちを表して、来てくれない。そんな中で、人間が犬の信頼を得るには、掛値なしの《愛情》を注がなければならない。これしかない。犬に健康でいてもらうには、人間と同じように、普段から細心の注意を払っていてやらなければならないということなど、いろいろある。

 昨年からの1年間、マロンにはいろいろあった。まず昨年の春あたりから、臀部(でんぶ)から腹部に掛けて毛が抜け落ち出し、色素沈着を起こし始めた。長年お世話になっている獣医師の話だとホルモンバランスを崩しているとのこと。結果的には、子宮全摘出となった。入院が必要だったのだが、「鳴いてうちに帰りたがって困る」とmn2いうことで、《エリザベスカラー》を付けたまま、その日のうちに帰宅させられた。図体が大きい割にはひどく寂しがり屋なのがマロンだ。
 マロンはまた、今年の夏ごろから右肩あたりに大きな腫瘍ができた。痛がる様子もないので放置しておいたら、どんどん腫れて、ある日、《爆発》してしまった。これは大変だということで獣医師に手術してもらい、札幌にある研究所で細胞を調べてもらったところ皮膚癌の軽度のものだということが分かった。今もまだ、手術痕が痛々しい。

 一方、ネロはmn3食べ物アレルギーがある点を除けば、体が一番小さい割には元気である。法定の諸注射を受けることを除けば、一度も通院・入院したことがない。横顔が可愛い。

 5頭の犬たちの《余生》のために、約1か月を費やして、裏庭に職人を入れて《ドッグラン》を作ってやった。人間の子供や孫のために、親はできるだけのことをしてやるだろう。その気持ちは犬に対しても同じでありたいという私の想いからだ。その根源は、仏陀の「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」の御教えにある(こちら参照)。今夜は2頭の誕生祝いをしてやるつもりだ。

「it is +形容詞+ doing」構文のこと

インドのITC Newsを読んでいた時、

 If you ask me whether it is easy doing  business in Bangladesh, I would say no.

という英文に出くわした。現代英語ではごく普通に見かける構文だ。ちょっとGoogle検索すれば用例は枚挙にいとまがない(例:But I would be lying if I said it is easy doing this work.)。だが、この「it is +形容詞+ doing構文は英語史的には許容されなかった。なぜなら、「it is +形容詞+ to不定詞」構文と「Doing is+形容詞構文の混交だと考えられたからだ。したがって、 It is dangerous doing it that way, but most people do it anyway.とかThe branches may be forded at low water, but it is dangerous doing it.の用例も昔なら受け入れられなかった。しつこいほど書いて来たことだが、言葉は変化する(Language is subject to cange.) ということの証拠だ。

【追記】こちらで類似のことを書いた。

「 I have much pleasure to+動詞」構文について

EINA.アインシュタインのことを調べていたら、アインシュタインが書いた手紙文の中に、

Please accept my sincere thanks for your kind invitation, which I have much pleasure to accept.

という1文があるのに気づいた。この「 I have much pleasure to+動詞」構文は現在では普通のものになっており、その用例は無数にあるが、英語史的に言えば、これは I have much pleasure in -ing.」構文と◆It gives me much pleasure to+動詞」構文の混交であり、本来は容認されないものだった。言い方を変えれば、いつも言うように、「誤用法、みんなが犯せば、正用法」なのである。言語(用法)は変化するのだ。

例:
1) I have much pleasure to call on him to give the first lecture of this morning's session.
2)Madam Speaker, I have much pleasure to commend the 2015 Budget to the Parliament and I do so with the concurrence of Cabinet.
3)I have much pleasure to attend this function in the context of the MIE/UNESCO Participation Programme.
4)I have much pleasure to strongly recommend them for good material supplied, moderate charges and satisfactory manner of the work done.
5)Dear Lord Rothschild. I have much pleasure to convey to you, on behalf of His Majesty's Government, the following declaration of sympathy with Jewish Zionist aspirations {hopes} which has been submitted to, and approved by, the Cabinet.

「光るもの必ずしも金ならず」の英訳

あなたは、「光るもの必ずしも金ならず」という諺に対する英語をAll that glitters is not gold. と覚えているだろうか。それともAll is not gold that glitters.だろうか。現在は両者とも正しいとされるが、英語史的には前者正しくWilliam Shakespeare の The Merchant of Venice にはこの形で出て来る後者誤りとされた。Google検索をすると分かるが、それを証明するように、後者は前者の十分の一程度のヒット数しかない。ちなみに動詞のglittersをshinesで代用する人もいる。

for both body and mindと both for body and mind

日本人が英語で書いたブログ記事の中に、次のような箇所があった。

Physical exercise is good both for body and mind.
Have a nice evening.

 問題は both for body and mindという箇所だ(冒頭のphysicalは《あらずもがな》だ。これはfor both body and mindでなくてはならない。この間違いは英語を母語とする人々も時々犯している。たとえば、Yes, it's cold out, but exercise is good both for body and mind.のような例だ。
 both for を使いたければ、Exercise is good both for body and for mind.としなければならない。

『スーパー・アンカー英和辞典』第5版(全面改訂版)発売!

SA英和第5版2『スーパー・アンカー英和辞典』第5版全面改訂版が来月中旬に全国一斉に発売されます。詳細は私のホームページ(「山岸勝榮英語辞書・教育研究室」)の表紙ページを通じ、PowerPointでご覧になれます。

 柴田徹士先生(大阪大学名誉教授;故人)から全権委譲を受けて、『ニューアンカー英和辞典』初版名は『アンカー英和辞典』『スーパー・アンカー英和辞典』と名を改めてその編集主幹の任に就いたのが1993〜4年頃でした。同辞典の初版は1996年となっています。それから第2版(2001年)、第3版(2003年)、第4版(2009年)と順調に版を重ね、今回の全面改訂・第5版となりました。

 それを可能にしてくださったのは、全国の高等学校を中心とする多くの英語教員・生徒のみなさんです。もちろん、大学生・一般社会人にも多くの《SAファン》がいらっしゃり、いつも叱咤激励を下さいました。学研という立派な出版社、とりわけ辞典編集部の部員諸氏歴代編集長・大井光隆氏、今井淳二氏、阿部武志氏の絶大なご支援と、優れた力量を持つ編集陣とりわけ、日本語に通暁しておられる監修者としてのEdwin L. Carty氏のご協力があったからこそ今日を迎えられたのだと、主幹として心から感謝しています。また、今回からLago言語研究所の赤瀬川史郎氏が監修者の一人に加わってくださり、膨大な大学入試問題コーパス高校教科書コーパスを作成・分析してくださったことは、力強い味方を得たことになり、本当にありがたく思っています。つまり、英語の授業はもちろんのこと、大学入試対策で必要な単語や表現をこれまで以上に丁寧に収録しているということです。もちろん、TOEIC・英検対策にも役立つように万全を期しました。
 
 私が初版からその「まえがき」の表題にしている言葉は「さらなる『理想の英和辞典』をめざしてSAE_5というものです下記【私の想いと願い】も参照。今回の全面改訂でその理想にまた一歩、大きく近づいただろうと思います。どうか、ご愛用くださり、ご意見・ご要望を従前のようにお寄せください。私の命のある限り、正確に言えば、私の頭脳が正常に働く限り、本辞典を理想の英和辞典に近づける努力を怠らないように努めます。
平成27年[2015年]11月6日 山岸勝榮

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【私の想いと願い】
辞書作りには《理念》が必要
  「理念」とは…言葉は文化を背負っていることを常に意識し、それをつかもうと努力すること。言葉を学ぶことは背景にある文化やその言語を使う人々の考え方を学ぶこと。
  「引くたびに新たなる発見」…発見の喜びと驚きのない学習は《つまらない》。単に、「引く」辞書ではなく、あちこちをのぞいて見て、《楽しい》と感じられる辞書。それが私の願いです。
 ◎「英語文化のキーワード」欄、「日・英比較」欄、「英作の落とし穴」欄、「解説」欄、「参考」欄などは私のこの「想い」と「願い」を実現するために精魂込めて準備したものです。

My reason for〜living is because ...という構文

私は高校生の頃、一時、カントリー・ウエスタンに凝ったことがある。Hank Williams (1923-1953), Ferlin Husky(1925-2011) などが 好きな歌手だった。そのハスキーの歌った歌にMy reason for livingという題名のものがあるが、その歌詞の中にMy reason for living is because you love me. という1行がある。My reason for〜living is because ...という構文はこのその歌で覚えた。今、この構文の中のbecauseは文法的には間違っているなどという英語母語話者 はどのくらいいるだろう。だが、歴史的・語法的にはこれはthatが好ましい。My reason for living is because you love me. という言い方は、My reason for living is for the reason that you love me.と言っているようで、冗長的で不自然に響く。そう教えてくださったのは、応用言語学の泰斗Peter Strevens 先生(故人)だ。日常会話でなら 構わないが、きちんとした英文や論文では使わないのが無難だと、今から30数年前に、ケンブリッジのベル教育財団理事長室で教えてくださった。今は懐かしい語法だ。

too offended to と too much offended to

日本人が時に誤った日本語を書いたり話したりするように、英語を母語とする人たちの英語にも非文法的な英語が混じることがある。もちろん、いつも言うように、《誤用法》も多くの人々が普通に用いるようになれば、それはそれで《正用法》となる。本ブログにはそういう実例に多く言及している。もう1例付け加えておきたいが、それはたとえば、次のような例である(全てインターネット上で拾ったもの)。

※I was too offended to even continue.
※As you can see, I was too offended to be witty.
※I was too offended to answer and I just disabled my account.
※Although I was too offended to add on, I thought the exact same thing.
※I was too offended to really say anything at that point so I left the room and walked downstairs.


 問題は too offended to という言い方だ。この場合、正用法は too much offended toのように副詞の much を必要とする。同じことは

※But he was too provoked to make any particular connections.
※Sasha noticed the results of her handiwork but she was too provoked to apologise.


 のような場合にも言える。これも too much provoked to とするのが伝統的な用法である。

「彼は神経質だ」の英訳

asa彼は神経質だ」を大学生に訳させると、多くの諸君はHe is nervous. / He is a nervous person.などとする。日本語の「ナーバスな」から英語の nervous を連想するのだろうし、諸君が持っている和英辞典(ただし電子辞書)を引くと、「神経質な」に nervous しか与えていない例がある事実とも関係しているだろう。我が国の英語教育学・英語辞書学の貧弱さを痛感する例である

 だが、日本語の「神経質だ」は当人の《性格をいうが、英語の nervous は「一時的に緊張したり、落ち着かなくなっていたりする」ことをいう語だ。性格的に神経質だ」という場合はしたがって、別の表現をしなくてはならない。そういう場合は、「神経過敏だ」と考えて He is overly sensitive. と訳すとよい。また、「翁長(おなが)先生の髪の毛のことは言わないこと。すごく神経質になるから。」を英訳する場合、Don't mention Mr. Onaga's hair―he's very nervous about it.ではなく、he's very sensitive about it とする必要がある。

ニワトリを呼ぶ時の「とーととととー」の語源

to映画音楽のことを調べていたら、たまたま以下のような疑問を持っている人のブログ記事に出くわした(こちら)。

ニワトリを呼ぶとき、どうして「とーととととー」って言うんだろう。1ヶ月くらい前に帰省した時、父になんでだろね、と聞いてみたところ、「…なんでだ?」といって首をかしげてました。いまだにナゾ。誰かご存知の方は教えてください。


 興味本位で調べてみると、ほかでも同じ疑問を持っている人の記事を見つけた(こちら)。

ちなみに、ニワトリを呼ぶ時は?
とーとととと とーとととと
なんで?なんだろうねぇ。
 

 ニワトリを呼ぶ時は上記のようにとーとととと」が代表的なものであるが、別にこれでなくてはならないということはない。「とっとっとっ」、「とーとと」、とーとーとーと」などでもよい。問題は最初の「」である。これはまず間違いなく「」から来ている。「疾風しっぷう」という時の「」でもある。意味は「速い」、「速く」だ。たとえば、「仰げば尊し」という歌の文句に「思えばいと(と)」(=思えば、時の経つのは早いものだなあ)と出て来るそれである。

 昔の日本人はその語を用いて、「疾っ、疾っ、疾っ」、「疾ー、疾、疾、疾、疾
」などと呼びかけてニワトリを呼んでいたのだろう。ちなみに、「こーこーこーこ)」のような呼び方もあるが、これは「来い来い…」の崩れた形だと思われる。

【参考】映画「緑の故郷」(1946)の中で英(はなぶさ)百合子が、自宅の鶏にエサを与えようとして、「とーとーとーとーとー〜」と繰り返して言っているところがある(26:57あたりから)。
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