2017年07月

✖「襟元を正す」、⦿「襟を正す」

ある内親王を扱った動画を興味本位で見ていたら、その題名に「*さま 激やせの本当の真相 に襟元を正す」と出て来た。「襟を正す」という言い方には馴染みがあるが、「襟元を正す」という言い方には馴染みはない。
 「襟を正す」は「姿勢・服装の乱れを整え、きちんとすること」の意味から、比喩的 に「心を引き締めること」を意味するようになったものだ。つまり、「襟を正す」の形で慣用句として認められるものだ。ネット上には非慣用的な「襟元を正す」の例も少なくない。以下に5例だけ挙げておく。
*麻布十番は大人の遊び場であり、襟元を正すべき街でもある。
*子供の生徒さんもそうだが、 年齢の近い、日本人女性の生徒さんたちには本当に襟元を正す想いすることがある。
*だから会社の社長や政治家などが、日々の行動を反省し、襟元を正すための言葉としては大切ですが、目標をあきらめたり、向上心を捨てたりする事 …
*慈父のような三国の言葉に虎仙は頭を下げて礼を言い、「アジアでも充分な注意が必要でしょうか」と襟元を正すように質問した。
*イギリス海軍の制服の色が紺色だったことから、“navy”という言葉は濃い紺色を指すようになりました。深い海を思わせる落ち着きと襟元を正すような凛々しさと。

日本人英語の1つの特徴… so / and の用法

英語母語話者が 接続詞の and を用いるところを、日本人英語学習者は接続詞の so を用いる傾向があると教えてくださったのは、英語教育の泰斗Louis George Alexander (1932-2002) 先生だ。1975年の暮れのロンドンでの事だった。大勢の日本人(特に日本人英語教師)に英語を教えてみての感想だったようだ。
 先生が示されたのは、たしか My father asked me to help him move the fridge, so I did. のような文だったと記憶する。日本語で言えば、「父が冷蔵庫を動かすのを手伝ってくれと言ったので手伝った。」というところだ。
  先生は、「これで文法的には問題がないし、その英文でもよい、だが、より自然な英語では My father asked me to help him move the fridge, and I did.となる。so I did の so は少々弱い感じがする。and I did とすれば力強い英語になる。」というように仰った。おそらく、日本人は「手伝ってくれと言ったので」の「ので」があるために so が適当だと思うのだろう。だが、and を使うほうが力強く、より英語的だというのがAlexander先生のご指摘だった。そのことを日本の学校では教えてくれない(はずだ)。
k1 同じことが、Meg studied Maths hard, so she got a good grade.のような英文にも言えるそうだ。この英文も日本人が書いたのなら、当人は「メグは数学の勉強をがんばったのでいい成績を取った。」という日本語に影響された結果だろう。たしかに、日本人英語学習者はそのように書く可能性が高い。これも「ので」に影響されたと考えられるからだ。だが、語感の優れた英語母語話者にはやはり弱々しい表現法に響くらしい。この場合も and のほうが好いということだった。ただし、より力強く言うには Meg got a good grade in Maths because  she studied it hard.となるそうだ。
 英語らしい英語を身につけるには、こうした言語的事実を1つ1つ丁寧に学習し、実際に繰り返し使ってみる以外に良策はないだろう。

「真摯に受け止める」(その後)

g今から5年半前(2012年01月19日)、私は「『真摯に受け止める』という表現」と題する記事を書いて、「真摯に受け止める」という言い方に対する私の違和感を述べた。その違和感はその後消滅するどころか、以前よりも大きく感じられるようになった。そこでもう一度その問題に言及しておきたい。

 いつだったか、著名な公人・某氏が、報道関係者のインタビューに対して、「いろいろご批判がありまして、真摯に受け止めまして、(公用車は)原則的には利用しないということに…」と言ったことがある。その後も、気を付けて聴いていると、自分の行動に言及して「真摯に受け止める」と言っている人がじつに多い。「真摯」は、中国語の「(まこと)」+「(至る、極まる)」が語源で、日本語では「心がまっすぐで真面目なこと[さま]」、「ひたむきで嘘、偽りがないこと[さま]」、「他事を顧みず、一生懸命やること[さま]」、「真面目でひたむきなこと[さま]」、「真面目で熱心なこと[さま]」などという意味で理解されている。ネット上でもこの例はいくらでも拾える。以下に5例だけ挙げておく。
批判があることには首相として真摯に受け止めたい
一喜一憂することはないと考えるが、真摯に受け止めていきたい
当金庫は、当金庫の事業運営に関してお客様よりいただく「不満足の表明」を真摯に受け止めます
私たちは、お客様のあらゆる声を積極的に受け止め、特に「ご不満・ご要望」に対しては、真摯に受け止め、お客様サービスの向上・業務改善に活かします。
ご意見、ご要望を一つひとつ大切に、また真摯に受け止め、今までより一層お客様にご満足していただける、信頼していただける店づくりに役立たせていただき、「心地よいお店、信頼される平和堂」の実現に精進してまいりたいと思います。
 この用法を悪いとは言わないし、それに対する(悪意的)批判はしない。きわめて一般的な語法だからだ。だが、私の語感では、この語は上位者が自分以外の人(同位者・下位者)に対して使うのが好ましいような気がするのだ。もっとも、上の用例の1つに《首相》が用いている例があるが、使用者が社会の(極めて)高位にある人なら私の語感もかなり容認・受容的なものになる(理想的には別の言い方のほうが好ましいと思えるが)。
 私が抱く違和感は何に起因するのだろう。たぶん、「真摯」という語に「真面目」とか「熱心」とか「ひたむき」とか「いつわりがない」とかの意味が含まれていることと関係しているだろう。そういう意味の言葉(評価語)は他人から掛けられるものであって、自分の言動に対して自分が積極的に用いるものではないと思うのだ。

 私の語感がすっきりと受け入れることのできる用例を作文すれば、たとえば、次のようなものだ。いずれも上位者が同位者・下位者に言及したり、上位者から受けた批判に言及したりするものばかりだ。
大槻文彦君は真摯なる学究の徒でありまして、その前途も大いに有望なる青年であります。
吉田松陰は幼い頃から何事にも真摯な態度でのぞみ、それらに真面目に取り組む長州人の一人であった。
きみは今回の問題を当初からもっと真摯に受け止めておくべきだった。
「批判を真摯に受け止めよ」というお叱り、ご注意は深く心に留めて、こういうことを繰り返さないよう努めます。
彼のその後の言動から、彼が自分に対する周囲からの批判や非難を真摯に受け止めたことがよく理解できる。

妻 [夫] が夫 [妻] を「お父さん [Father] / お母さん [Mother]」と呼ぶこと

f我が国では、その年齢にかかわらず、妻が夫を、夫が妻を「お父さん」「お母さん」(あるいは「パパ」、「ママ」)と呼びかけることはごく普通だ。これは間違いなく、我が子の立場を中心に《我が子目線》で相手を見ていることの証しだ。ほとんどの場合、その文脈で、「お父さん」「お母さん」(あるいは「パパ」、「ママ」)と呼びかけられているのが夫のほうか妻のほうか、あるいは親子関係にある者なのかは判断できるが、時に紛らわしいこともある。

(例1) 先日、テレビ番組の「各駅停車の旅」を見ていたら、某民家の内部を見せてほしいという《旅人》に対して、聞かれた男性(60代後半)は、家の中にいたお連れ合いに向かって、「お母さ〜ん!」と呼びかけた。

(例2) また、夫・砂川啓介さん(享年80歳)と斎場で最後の対面をした時、妻の大山のぶ代さん(83歳)は「棺で眠る砂川さんに『お父さん!』と呼びかけていた」そうだ。認知症を患っている大山さんにも生涯を共に歩んだ砂川さんのことが一瞬認識できたのだろう。

(例3) いっぽう、学校法人森友学園(大阪市)による補助金不正受給事件で最近注目されている籠池(かごいけ)泰典・前理事長(64)とお連れ合いで塚本幼稚園前副園長・諄子さん(60)のところに大阪地検特捜部から出頭命令があったことは周知の事実だが、それを報じているテレビニュースを見ていたら、お連れ合いが籠池氏に呼びかけて「お父さ〜ん!」と言われた。

 私は言葉に興味があるから、この3例を耳にして、本ブログに記事を書いておきたくなった次第だ。この用法は英語にもある。だが、日英語間にはかなり明確な意味差(特に“含み”の違い)がある。それではそれはどんなこと[もの]だろう。いつものように旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので考えてみてほしい。

今日はハッピーの16歳の誕生日だ。

h2今日は我が家の愛犬で、プリルの夫、ネロと(亡き)マロンの父であるハッピーの16歳の誕生日だ。平成13年 [2001年] の今日、生まれ、我が家には生後2か月の時に来た。毎年書くことだが、幼い頃のハッピーはケンネルコフに悩まされたり、回虫に悩まされたりと、亡き妻の手を煩わせた。だが、その病弱だったハッピーが16歳にもなった。

 これまで我が家の愛犬たちの年齢を人間のそれに換算する場合、小型柴犬のそれで換算していたが、我が家の愛犬たちは《中型》のそれで換算するほうが好いそうだ。その換算表を見ると、小型だとハッピーは80だが、中型として見直すと、なんと93にもなる。改めて驚いた。

 昨年からはっきりして来たことだが、ハッピーは耳と目の機能が著しく衰え、感情の表出も乏しい。歩行もふらふらしながらのそれだ。大小便の始末も私たち家族の者たちが気を配っている。

 昨年の今頃は毎晩のように夜鳴きした。私の書斎はハッピーのすぐ隣にあるので、ハッピーが鳴くたびに、寝床まで見に行った。たぶん、今まで見えていたもの、聞こえていたものが見えなくなり、聞こえなくなって行く、その不安から鳴き続けていたのだろう。悲しそうな、寂しそうな鳴き声だった。h1いつの頃からか、その鳴き声もほとんど聞こえなくなった。おそらく視力・聴力が衰えて来たことに諦めというか、慣れというか、そういう心境になっているのだろう。

 背中も曲がり、ずいぶん《弱々しい姿》になった。だが、私はそのハッピーが愛(いと)おしくてたまらない。大小便の世話を含めて、出来ることは全てやってやるつもりだ。まさに《老老介護》だ。ありがたいことに、息子夫婦がいつも何くれとなくハッピーの世話をしてくれる。

 老体のハッピーの近影を掲載するのにハッピーはきっと反対するだろう。だから、元気一杯だった頃の写真を2葉掲載しておく。ハッピーと出合えて私は本当に幸せだったと思っている。いろいろなことをハッピーの日常を通して学ぶことも出来た。ちなみに、初代のハッピーは15歳(と1か月)でこの世を去った。
 ハッピー、16歳(93歳)の誕生日、本当におめでとう。今日はごちそうをたくさん食べようね。

墓石とheadstone

headstone私が関係した和英辞典の「(はか)」の項の複合語の1つに「墓石(はかいし)」がある。それには gravestonetombstone の2語が添えられているのだが、これにheadstone を加えてはどうかという提案をN氏よりいただいた。その3語を収録することも悪くはないが、headstone を採録するには footstoneへの言及があったほうがよいかと思っている。
 headstone は左の写真が示すとおり、土中に埋葬された遺体の頭部と足部の方向を明示するためにheadstone(頭部石)とfootstone(足部石)を設置する。近年は墓地の経済性のために=場所を取るために、こういう作り方をする人は少なくなったようだが、headstoneという語だけは、「墓石」の意味で、gravestonetombstoneと並んで普通に用いられている。
 ちなみに、gravestone とtombstone の本来の違いは grave と tomb の違いが分かればすぐに納得がいくものだ。旧山岸ゼミ生諸君にはいつものように調べてみてほしい。

アル・カポネの「スカーフェイス」が《向こう傷》?

アメリカで最も有名なギャングと言えばアル・カポネ(Al Capone; 1899-1947)だ。そのアル・カポネのことを調べていたら、日本版 Wikipedia に次のような説明があるのに気付いた。
スカーフェイス事件
ハーヴァード・インで働いて1年ほどたったある夜、店にいた若い女性客にひわいな言葉を言った。すると、女性客の兄のフランク・ガルチョが妹を侮辱された事に怒ってアルを1発殴り、更にナイフで左頬と首筋を切りつけ、店から逃走した。このとき顔に傷がついたことで「スカーフェイス(向こう傷)」という異名がついた。この後、アルはガルチョを探し復讐しようとしていた。そのため、ガルチョは知り合いを通じて、サルヴァトーレ・ルカーニア(後のラッキー・ルチアーノ)にこの事件を話した。このことでアル、ルカニーア、ガルチョ、そしてイェールで正式な話し合いをした。その結果、ガルチョの妹を侮辱したアルがガルチョに謝罪することになった(資料によってはルチアーノではなくジュゼッペ・マッセリアとするものもある)。
ten  私が気になったのは「スカーフェイス」に「向こう傷」という語を添えていten2ることだ。私の年代の者にとって、「向こう傷」と言えば、旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)・早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)の額に出来た刀傷(かたなきず)だ。これは、原作(小説家・佐々木味津三の時代小説)では長州藩の悪侍たち7人と正面から斬り合った際に受けた三日月型の刀傷で、その後、主水之介(名優親子・市川右太衛門【左写真】と北大路欣也【右写真】の当たり役)のトレードマーク、「天下御免の向こう傷」になる。ちなみに、右太衛門の後援会名は「三日月党」だった。「向こう傷」に“誇り”を抱いている証拠だ。

 「向こう傷」を「敵と戦って、からだの前面に受けた傷」(『デジタル大辞泉』)と定義する国語辞典もあるが、これだと、顎・胸・腹に受けた傷も「向こう」と称してもよいことになる。「敵に正面から立ち向かい体の前面に受けた傷。特に,眉間(みけん)や額に受けた傷」(『大辞林』)、あるいは「(敵などと争って)正面から顔や額などに受けた傷(『学研国語大辞典』)あたりの定義に共感するのが私の年代の者のはずだ。

 アル・カポネの傷は左頬と首筋と計3か所だが、これは上の説明にある通り、女性客をからかったことが発端で、その兄からナイフ を凶器として加えられた、むしろ《不名誉》の傷だそれが理由だろうが、本人も「スカーフェイス」と渾名されることを嫌っていたようだ。つまり、それは「切創(せっそう)」、簡単に言えば「切り傷(きりきず)」だ。したがって、これを「向こう傷」と形容することに私などは大いに抵抗を感じる。

【付記】こちらにアル・カポネの左頬・首に残る傷跡が分かる横顔の写真がある。

【後刻記】Weblio の例文では、Scarfaceを「切られ与三」と訳しているが、「向こう傷」に比べれば、こちらのほうがアルカ・ポネにふさわしい。

北海道民謡「ソーラン節」を英訳した。

j2今年の春先のことだったが、近所の小学校の体育館から、北海道民謡「ソーラン節」が聞こえて来た。子供たちがそれに合わせて踊っていた。たしか昨年もそうだった。運動会の準備のためだったのだろう。北は本場の北海道から、南は沖縄まで、まさに日本全国、あちこちの(保育園・幼稚園・)小・中・高で盛んに踊られているようだ(こちらに小学生による踊りの動画がある)おそらくそれが《体全体を動かせること》《威勢が良い》ことなどから好まれるのだろうが、そのきっかけはたぶん、武田鉄也主演の「3年B組 金八先生」で、中学生たちが踊ったロック調のソーラン節だっただろうただし、ロック調のソーラン節の動きを、当時のニシン船上の漁師たちの動きに当てはめるわけにはいかない。 
 いずれにせよ私はこの民謡が大好きだ。そこでこれを英訳してみることにした。この唄が持つ、あるいは感じさせる雰囲気を英語に移し替えるのはさほど容易ではなかった。散歩の途中、東京湾の水が流れ込む《舟溜まり》(左上写真)のベンチに腰掛けて、あれこれ考えながら出来上がったのがこちらだ。いつも言うように、私が英訳するものは全てがメロディーに合わせて唄えるものばかりだ。唄ってみていただきたい。

regardless of とirregardless of

〜に(も)かかわらず」を英語では regardless of 〜と言うが、これを irregardless of 〜というネイティブスピーカーが少なくない。これは regardless irrespective とが混交した語のようだ。20世紀初頭からアメリカの方言として使われ出したらしい。今は普通のアメリカ英語にも表れる(ただし、きちんとした英語だと認める人は少ないはずだ)。実際の例を以下に引用しておく。
*Use words correctly, irregardless of  how others use them. 
*Amen! I'm a damn good woman irregardless of  what people say!
*Let's show the industry what great companies can do irregardless of  size.
*…they were even more surprised by the novel bill of fare than by the extravagant decorations which had been lavished irregardless of  expense.
* IQ or intelligent quotient is supposed to test intelligence irregardless of  age or environmental factors, yet numerous studies show that environmental factors can strongly influence IQ. 

上の例の場合、全てregardless of でよく、語頭の ir- は不要だ(ただし、これを「regardless の強調形」だと捉える人たちも多いようだ)。こういう語法に慣れた人は、他人からそれを指摘されたり、自分から語感を磨く努力をしていたりしなければ、普通はそのまま使い続けるだろう。
 irregardless という語に言及した興味深い動画があったので、左に借用しておく。Merriam-Webster 社の辞書編集者・Kory Stamperさんが解説している(彼女の話し方には、現代の若い人の特徴として挙げられる"uptalk" な口調が混じっている⇒こちらも参照)。この解説が現在のこの irregardless に対する一番穏当な考え方を示していると言えるだろう。結論を言えば、irregardless という語は 《nonstandard(非標準)語》だということになる。

"do it like so"という言い方

Fatman D & Boxer Banton が 歌っているレゲエの曲に We do it like so という題名のものがある(こちら)。まだ調査していないが、いつの頃からか、伝統語法では "do it like this" "do it this way" "do it so"とかのような言い方をするところを、砕けた英語では、その曲名のように "do it like so"と言うようになっている。5例だけ実例をあげておく。

*So instead of counting all the way to five you’ll do it like so : 1 2 1 2 3 or 1 2 3 1 2. 
*Well, I suppose you could put it close, based on personal preference. But I'll do it like so :
*We can do it like so, using our new friend forEach:
let fruitNames = [];
collection.forEach((item, index) => {
fruitNames.push(item.name);
});
*We want to have a new array containing all the names. We can do it like so, using our new friend forEach :
let fruitNames = [];
collection.forEach((item, index) => {
    fruitNames.push(item.name);
});
*For embeddable social media videos like YoutTube, Vimeo etc, you can do it like so:
<iframe class="mejs__player" width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/frdj1zb9sMY?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 日本人英語学習者はよほど英語に慣れたり、親しい間柄になった英語母語話者に対して用いるのでなければ、日常的には真似をしないのが賢明な語法だと思う。

「ご健勝」と書くことが憚(はばか)られる場合。

*先生にはご健勝にて何よりと存じます。
*山岸先生にはその後ますますご健勝のことと存じます。
*先生におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
*先生には、その後、お元気でお過ごしの事と存じます。
*【文末で】先生のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

f
 上の文例 はいずれも私が昨年夏から最近までに受け取った葉書き、メールなどで出合ったものだ送り手は学会・研究会・同窓会の類いが多い。まず間違いなく、私の健康状態を知らない人たちが世間一般の常套句を用いて書いたものだろう。つまり、あくまでも《社交辞令》で書いただけだと考えられる。したがって、書く方に《悪気》はなかったはずだ。

 「健勝」とは、国語の辞書を引くまでもなく、「健康で元気なこと」の意味だ。通例は手紙・葉書き・メールなどで用いる。だが、私のように大手術後、「健勝」「元気」という言葉の不似合いな人間もいる。

hx 私は《個人》に宛てた手紙・葉書き・メールなどにこの慣用句を用いるのは、「健勝」「元気」が確認できている場合に限るべきだと思っている。「お祈り申し上げます」などという社交辞令がある場合、余計、不愉快に感じる受け手もいるずだ。ほかにもっと適切な言い方がいくらでもあるし、またそちらの方が《人間的温かみ》が感じられて好ましいと思う。たとえば、次のような言い方だ。

*先生には、その後、いかがお過しでいらっしゃいますか。お伺い申し上げます。
*先生には、その後、ご健康にお変わりはございませんか。お伺い申し上げます。
*先生には、その後、ご壮健にてお過しでいらっしゃいましょうか。お伺い申し上げます。
*【文末で】暑中、くれぐれもご自愛下さいますようにお祈り申し上げます

 
私は冒頭で示したような《心の感じられない言葉》を用いて書かれた手紙・葉書き・メールなどには、返事を出さないか、出すとしても最低限の言葉で要点を事務的に応えるだけにしている。言葉とは「思想が衣(ころも)を着たもの」だからだ。

have の意味の possess のこと

アメリカ手話協会が出しているThe Perigee Visual Dictionary of Signing  (1995) を見ていたら、p.210のhave の項に同義語としての possess の例があがっていて、それにはExamples: Kevin has  measles.  / We possess  two cars. の2例がその意味を示す手話と共に示してあった。
 それを見ていて思い出したことがある。かつての私のアメリカ人の同僚 Dr. W. West は、have の意味でpossess を用いる場合、その目的語が、そこにあるような car とか、bicycle とか、日常的なものの場合、それは大いに「大げさ、誇張した言い方」(stilted) だと言って嫌っておられた。日本語で言えば、「2台の車を所有する」と言ったところだろう。have two cars なら「2台の車を持っている」といった感じになるとも言っておられた。私は、「たしかに、中古の国産車を2台購入して、『私は2台の車を所有している』と言ったのでは大いに"stilted”な言い方に響くでしょうね」と言って笑った記憶がある。
 Several nations possess  chemical and biological weapons.(生物化学兵器を所有する国がある)のような場合なら自然だということだった。残念ながら、日本の学校の英語学習ではこういうことをきちんと教わることが滅多にない(=教えられる教師が極端に少ない)。

「コロコロ」って英語で何と言う?

lc最寄りの私鉄駅の近くにある100円ショップは某高校の生徒たちが学校からの帰り道によく立ち寄っている店だ。先日、そこで私がクリップを買おうとしていたら、そばにいた女子高生2人が、「このコロコロって、かわいいね。」「うん、そうだね。コロコロって英語でなんて言うの?」「う〜ん、そうだね。なんて言うのかな?」と言っているのが私の耳に入って来た。

lint brush 私の職業病が頭をもたげた。「それ、英語では lint cleaner って言えばいいんじゃない。lint remover でもいいかなlint って l-i-n-t って綴るんだけど、《糸くず、綿くず》って意味だよ。」 そう言うと、2人が声をそろえて「へ〜。そうなんですか。」と感心したように言った。「右隣りにある"エチケットブラシ”みたいなのが lint brush だね。こっちも  lint cleaner でも lint remover でも通じると思うよ。」「へ〜。」と繰り返した。「ありがとうございました。」一人の生徒が礼を言った。日本語の「コロコロ(クリーナー)」「コロコロローラー」という名称も聞いたことがあるは誰が言い出したものかは知らないが、面白い命名だと思う。製作所・会社での商品名については未詳。

二通りに解釈できる英文

中学生でも知っているような単純な英語文が、文脈がなければ、実は二通りに解釈できるという場合がある。次にその例を5例だけ挙げよう。いつものように、旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題とするので、各文のどの部分が多義的であるかを考えながら解答してほしい。
1) What is he crying for?  
2) It was a partial survey. 
3) Susan is a meticulous housekeeper.   
4) What did you sell your motorcycle for?   
5) When the sniper came face to face with the terrorist he shot him.  

「よい」と「よろしい」の意味の違い?

気分のよい時は《断捨離》をしている。先日、残っていた古い大学ノートを数十冊分処分した。中に、大学1年次に必修科目として履修した「文学講読」のノートが1冊あった。「文学」は英米文学、日本文学を問わず好きな学科だったから、「英語学」、「言語学」同様、結構真面目にノートを取っていた(ようだ)。
 その1頁に興味深いことが書いてあった。「よし⇒100%完全」、「よろしい⇒まあまあよい」 私のノートだから、私がメモしたことはたしかだ。だが、どういう状況の中で、そういう説明をノートしたかについては記憶にない。いずれにせよ、その記述は、「よし」と「よろしい」とは意味が少し違うということだ。
 現代の国語辞典で「よろしい」を引くと「よいの改まった言い方」とある。半世紀以上も昔のことなので、よく思い出せないが、面白いことなのでそのうち詳しく調べてみようと思っている。

その後の「知ってか知らずか」という言い方

owl産経デジタルニュース (iza)を見ていて、松居一代に『バイアグラ不倫』疑われた女性が訴訟へ 巨額賠償金支払いの可能性も」 という長い見出しのニュース記事があるのに気づいた(こちら)。興味本位に読み進んでいると、そんな動きを知ってか知らずか、松居は8日未明に新たな動画を公開。船越のことを『ヤツ』と呼びながら、バッグに入っているバイアグラについて問い詰めた一部始終を改めて説明。という個所が出て来た。

 私の注意を引いたのは、「知ってか知らずか」という言い方だ。これについては今から11年近く前(2006年11月19日)に「『知ってか知らずか』という言い方」と題して、それまで非慣用的だったその言い方が日常的になり、慣用的だった「知ってか知らずでか」の影が薄くなっていることを指摘した(こちら)。その時(11月19日午前零時現在)に行ったGoogle検索(粗数字)では、「知ってか知らずでか」のヒット数がわずか約6,060件であったのに対して、「知ってか知らずか」のヒット数は何と約314,000件にも上った。それから約11年後の昨日(2017年7月15日午前2時半)に行った検索では「知ってか知らずでか」のヒット数がわずか約1,500件、それに対して「知ってか知らずか」のヒット数が何と約405,000 件だった。非慣用的表現がさらに一般的 になり、それまでの慣用的表現を駆逐しつつある。ちなみに、同じく正用法とされた「知ってか知らでか」のヒット数は約 3,350 件だった。こちらも現代日本語では一般的な言い方ではなくなりつつある。

97940a29.jpg こういう状態が言語のあるがままの姿だということは私も認める。だが、身に付いた言語習慣というものはそう簡単には払拭できない。私は今でも「知ってか知らずでか」あるいは「知ってか知らでか」のほうを好んでいる。これは「押しも押されぬ」(約 527,000 件)が伝統的な「押しも押されもせぬ」(約 168,000 件)よりも日常的 になってしまった今日でも、後者を好んでいる現状と軌を一にする。

Haivaiianという綴り字

hのんびりと散歩をしていると、さまざまな横文字が目に飛び込んで来る。つい先日も左の写真のような看板を見つけた。Haivaiian...これはHawaiian のつもりだろう。Hawaiiという名詞は(したがって、その形容詞も)よく誤って綴られている。たとえば、Hawai、Howaii、Hawii、Hawaai 、Hawiia、Hawwai、Hawiaa などだ。Hawaii の発音もまたさまざまだ。たとえば、hawai-i、hawa-i、havai-i、hava-i などが聞かれる。-va-の音は原住島民たちの間で聞かれるようだ(まだ確証は得ていない)。 
 したがって、Havaiian の綴り字は可能性もあるが、Haivaiian の綴りには馴染みがない。ネット検索をしてみると、Haivaiian の綴りの例が散見される。以下に7例だけ挙げておく。

(D) authorizing Native Haivaiian representation on the National Commission on American Indian, Alaska Native, and Native Hawaiian Housing under Public ...
Native Haivaiian early education and care system to provide a continuum of services for Native Haivaiian children from the prenatal period of the children ...
Haivaiian language at the University of Hawaii 
Haivaiian literature & place (Noio, Honolulu, 1999)
The term 'Hawaiian home lands' means all lands given the status of Haivaiian home lands under 
section 204 of the Haivaiian ...

✖「前習へ」、 ⦿「右に[右へ]倣え」

Yahooニュースを見ていたら、「『小池チルドレン』のポンコツ議員たち」というタイトルと、下着の“パンツ”を頭から被った、奇を衒(てら)ったかに見える女性の写真が目に付いた(こちら)。
 今月2日の「東京都議選によって誕生した、55人の“小池チルドレン”。だが、中には相当数の『ポンコツ』議員が含まれているようだ」とあって、南多摩選挙区で初当選を果たした斎藤礼伊奈氏(38)がその最初 に採り上げられている(他の当選者についてはここでは省略)。斎藤氏 にはレゲエシンガー“lecca”としての顔もあるそうだが、その斎藤氏が自分のブログに書いた言葉として「日本政府がアメリカに前習えでなんであんなにガンジャに目くじら立ててるのか分からない」という言葉が引用されている(ガンジャは大麻のことで我が国では指定危険薬物の1つ)。

rd 私が気になったのは彼女がブログに書いたというその「アメリカに前習え」という日本語だ。「アメリカに右に [右へ] 倣え(を)して」と言うのなら分かるが、「アメリカに前習え」という日本語は私には不自然だ(小学生などには「前へ倣え!」と号令するが)。「前習え」の「習え」という字は誤字だ。の人の意見や行動に無条件に同調することを言うのだから「前倣え」(「前習え」ではない)と言えそうだが、「右に[右へ]倣え」は軍隊で横列の隊列を整える時の号令から出たものであり、慣用的なものであるから「右に [右へ倣え」と言わなければならない。彼女が東京都の教育関係の役職に就かないことを願っている。

【付記1】インターネットには、彼女が大麻推進派(か?)というような情報が多数掲載されているが、私は彼女の名前も存在も知らなかったので、その人となりには興味はない。あくまでも日本語の問題に興味を引かれただけだ。
【付記2】上の写真はこちらから拝借しました。

「天に召された小林麻央さん」?

Yahooニュースを見ていたら、先ごろ亡くなった小林麻央さんに言及したニュースがあった(こちら)。題して、「小林麻央さん、標準治療を受け入れず… 命を奪った忌わしき『民間療法』(上)」。その記事は次のように始まっていた。

乳がんとの2年8カ月の闘いの末、天に召された小林麻央さん(享年34)。病院での再検査を急ぎ、標準治療を受け入れ、命を奪うことになる忌わしき「民間療法」を拒絶すべきだったのだが……。

私が気になったのは「天に召された」という表現だ。私の理解しているところでは、「天に召される」とはキリスト教、とりわけプロテスタントの世界で、信者が召天(しょうてん)、すなわち「天に召される」ことを言う。
 周知のごとく、麻央さんの夫である市川海老蔵さんは麻央さんの葬儀を《神式》でなさった。「」には違いないが、唯一絶対の神のGodではなく、あくまでも日本の伝統的神道の神のことだ。
 日本人は宗教心が薄かったり、宗教意識が希薄であったりするところから、非キリスト教徒の日本人が非キリスト教徒の日本人の死に言及する場合にも、「天に召される」、「天国に行く」、「神に召される」などと表現することが多い。たぶん、そのほうが《抹香臭くなく》、なんとなく《洒落た感じ》に響くためかも知れない。しかし、宗教用語はやはりきちんと使いたいものだ。

日本人英語と付加疑問(文)

tearoom「察しの文化」と言われる日本人の文化では、「〜ですね」と相手に同調したり、相手からの同調を求めたりすることが多い。
 先日、散歩の途中で立寄ったタリーズ店で、近所の某私立大学か某公立大学か、いずれかの大学の男子学生4人が、交換留学生らしい、英語圏からの男子学生1人と何やら話していた。耳をそばだてると、1人の日本人学生が It's very hot today, isn't it ?(今日は本当に暑いですね)と言った。続けて、一緒にいた別の学生が We're a little tired, aren't we ?(少し疲れましたね)と言ったその後、その留学生が口にした英語の発音から推して、彼はアメリカ人かカナダ人。後者を聞いた彼は、少しいぶかしげに、Mmm.と、口ごもったような、言葉にならない音を発した。
 さて、ここで旧山岸ゼミ生諸君および一般読者諸氏への宿題だが、We're a little tired, aren't we ? と言われた時に、それにMmm.と応えた外国人はなぜそういう反応を示したのだろう。It's very hot today, isn't it ? には問題は無かっただろうか。

今日はパールの10歳の誕生日だ。

p今日は我が家の白柴・パール(♀)の10歳の誕生日だ。平成19 [2007] 年の今日生まれた。じつは、今日の誕生日、パールは自宅 にいない。息子の妻の実家である釧路まで、息子たちと出かけている。しかもクルマに乗ってだ。1週間前の5日の昼過ぎに横浜の我が家を出て、仙台、大間と経由して青森までで丸2日かかったそうだ。その間、パールはとても行儀よくクルマに乗っていたようだ釧路到着まで3日間だそうだ。左の写真は車内から窓の外を眺めているパールの後ろ姿。シートベルトを締め、可愛いスカートも履いている。クルマの後部座席には専用の席も用意されている。息子夫婦にいかに“溺愛”されているかがよく分かるだろう。クルマはポルシェ・カイエン・ターボだから載っていてもゆったりとPearl2していて、パールも満足ではないかと思う。

 パールは、我が家のほかの柴犬たち同様、とても頭がよい。ちょっと気が強いところがあるが、性格は全体的にはとても可愛らしく、家族の皆から愛される資質を十分に持っている。購入が決まって、息子に抱かれた時の、ちょっと不安そうなパールのことを思い出すと、私の胸は熱くなる(右写真)。亡き妻はパールとは約2年間、共に居た。

 ちなみに、犬の10歳は人間の歳に換算すると56歳になるそうだ。我が家で一番元気な、愛すべき白柴だ。パール、10歳の誕生日、おめでとう! 北海道から気を付けて帰っておいで。

「勤(いそ)しむ」という語の含み

北朝鮮の『撮影禁止区域』で隠し撮りした闇深い画像集!! 闇に包まれている内部の実態が明らかに!!」と題された動画を見ていたら、そのテロップに次の2文が出て来た。写真はフランス人写真家のエリック・ラフォルグ氏によって撮影されたらしい。
*幼くして過酷な肉体労働に勤しむ子供達、その一方で裕福な暮らしを満喫する特権階級の人々など、北朝鮮の生々しい実態を撮影した写真集をご紹介。
*北朝鮮の軍人は、武器を手に取り戦うよりも地味な肉体労働に勤しむ必要があります。
 私の注意を引いたのは、そこに出て来る「勤しむ」という動詞だ。私にとって、「勤しむ」とは「勉学に勤しむ」、「読書に勤しむ」、「仕事に勤しむ」「ピアノの稽古に勤しむ」などのように、「熱心に勤め励む」、「精を出す」ということで、含みとしては、「自らの意思で」、「進んで」、「楽しんで」、「積極的に」、「せっせと」などというプラス評価のものだ。したがって、上記の例のような「過酷な肉体労働に勤しむ」「地味な肉体労働に勤しむ」という表現法には違和感を覚える。それは、そこに添えられた、栄養失調の痩せ細った裸の子供たち4人のうつろな目 (0:08辺り)や、材木を運ぶ1人の少年兵の無表情な顔(2:00辺り)から感じられる《負》のイメージと、「勤しむ」という動詞が持つ《正》のイメージとが衝突するからだろう。

【後刻記】上掲の動画は、その後、削除されたようだ。

I was a former student of yours. という言い方

卒業生の一人がくれた英語のメールの書き出しに I was a former student of yours. とあった。おそらく初級・中級英語学習者にはこの文の問題点が分からないのではないか。「問題がある」と言っているのだから、それが何か探すだろう。
 答えは wasformer とが同義だということだ。したがって、was を生かしたいのなら I was a student of yours.となるし、former を生かしたいのなら I am a former student of yours. となる。こういうことは他人から指摘されないとなかなか気付かない[気付けない]ものだ。インターネット上には“ネイティブスピーカー”による同類の用例がいくらでも書き込まれている。以下に5例だけ引用しておく。

* I was a former client of yours and you did excellent work for us (at my last company).
* I was a former client of hess kennedy law firm (otherwise known as consumer law offices). 
* I was a former student of River Valley Primary School and would like to thank Ms Kathleen Lee for teaching me Math. 
* I was a former customer of Knology, which offered great services and I never had any problems until this company took over. 
* I was a former student of the Performing Arts Department there in Hilo, and now am employed as a performer at Aulani a Disney Resort and...

place a COD order の訳の思い出

cod学生と英語を読んでいると、時々、面白い“誤訳”にぶつかることがある。もう30年も前のことだ。夜間部で使っていた英語講読の教科書に、主語が何だったかはよく覚えていないが、placed a COD order という表現が出て来た表記はC.O.Dだったかも知れない。学生の一人が、それを「CODを1冊注文した」と訳した。私は当時、教室 にConcise Oxford Dictionary を携行して、「COD によれば〜という意味になる」、「COD には〜のように書いてある」などと頻繁に言っていたから、受講生にとっても COD という頭文字語は馴染みのものだった。学生が「COD を1冊注文した」と訳したのには、そういう事情もあったのかも知れない。
 私は笑いをこらえて、「そのCODってConcise Oxford Dictionary のこと?」と聞くと、「そうです」
と答えた。もちろんこの COD は Cash [Collect] On Delivery代金引き換えで)の頭文字だ。こういう《豪傑訳》の思い出はいくらでもある。今は懐かしいエピソードの1つだ。

✖「ご出席してくださいます」、⦿「ご出席くださいます」

インターネット上にある「**状 [書] の書き方」と題した各種のサイトを見ていて、時々、そこで使われている日本語の用法・語法 に落胆・失望することがある。先日も某ウェブ頁を見ていたら、次のようなクラス会の案内状の例文が目に付いた。要所だけを引用する。
当日は恩師の□□先生もご出席されます。現在は退職し、◯◯市にご在住ですが、
泊りがけでご出席してくださいます。時間を忘れるくらい、じっくりと語り合いましょう。
(中略)ぜひとも万障お繰り合わせの上、ご参加下さいますようお願い申し上げます。
 最近、「ご出席されます」、「ご出席してくださいます」という表現をよく見かける。だが、これは「ご出席くださいます」が伝統的で慣用的な言い方だ。某旧帝大の物理学科関係者が書いた文章 にも「次回(4/17)から講義の 20分前から前回の講義に関する質問を受け付けますので関心のある方は早起きしてご出席してください」と出て来る。その他、使用例 は枚挙にいとまがない。

 ちなみに、上に引用した文章中の「現在は退職し」という個所は敬意不足だ(たとえば、「ご退職後」)。そのあとすぐに「ご在住ですが」と言っているのだから…。また、文末の「ぜひとも万障お繰り合わせの上」の「ぜひとも万障…」は冗語的でおかしい。「万障」とは読んで字のごとしで、「あらゆる差支え」という意味だから、「ぜひとも」はあらずもがなということになる。ビジネス関係の種々の模範文と題したものの中にも、類似の傑作な文例・用例が少なくない。困ったことだと思うが、悪しき例を模倣しないためには、各人が自らの《語感》を磨くほかはない。

【付記】こちらの記事(「こんな日本語のメールで本当にいいんですか―『プレジデント』 誌の特集に思う。」)も参照。

say nothing と don't say a thing の違い

m英作文の授業の際、受講生の一人から、「『彼女は会議では何も言わなかった』はShe said nothing at the meeting. ですが、これをShe didn't say a thing at the meeting. のように訳してもいいですか。」と聞かれたことがある。もちろん、両者とも正しい訳文だが、ちょっとした違いがある。そのことに気づいている学生は滅多にいない。前者は「何も言わなかった」という“事実”を言っているのに対して、後者の言い方からは話者の“驚き”“意外感”などが読み取れることが少なくない。つまり、後者のような表現法のほうがやや強調的だと言える。

each other と「おたがい(に)」の品詞の違い

最近は英語の授業を英語だけで行う傾向が出てきている。これは好ましいことである。教師が多少の英語の間違いを犯すことも別に気にすることではない。日本人が日本語で話していても、日本語の間違いを犯すのだから、外国語となればなおさらのことだ。だが、基本的な間違いに気づかずにそれを使って授業を進めることは、学習者もまた間違った英語を覚えて使う可能性が高くなるという点で好ましいことではない。
 何県かの中学校の英語の授業が動画としてインターネット上に公開されているので、暇があると私もそれらを見るのだが、英語教師が基本的な語句の意味と用法を身につけていない例にぶつかることが少なくない。特に多いのが、each otherof course、 please の用法上の間違いだ。

 最初の each other の例を採ってみよう。某県の某国立大学付属中学校2年生の授業で、担当の教師が生徒たちに向かって何度かDo janken each other.と言っている。スキットを作り状況が伝わるように発表するために生徒間で誰が最初にやるかを決めさせようというのだ。「おたがい)じゃんけんしてください」という意味でDo janken each other.と言っていることは容易に分かるのだが、これはDo janken with each other.と前置詞の with が必須の例だ。なぜなら、日本語の「おたがい)」は副詞だが、英語の each other は副詞ではなく代名詞だ。したがって、with each otherと言う必要がある。つまり、「おたがい)じゃんけんしてください」、「おたがい()じゃんけんで決めましょう」は、Do [Play] janken with each other. / Let's decide by janken.だ。英語式に、play rock-paper-scissors with each other のように言ってもよい。of course, please の日英語差については、各自、英和辞典で確認してほしい。

「ことわざ」(諺)と「しわざ」(仕業)

k今、キーボードで「ことわざ」を漢字に変換しようとするとまず間違いなく「」と出て来る。また「しわざ」だと「仕業」と出て来る。だが、「ことわざ」は「」の「わざ」(あるいは「」)ということで、昔の人は「わざ」には《神意》が宿ると考えた。「」という漢字は中国語起源で「(化粧する)」から出来た語だ。
 また、「しわざ」は現代語では「多く人にとがめられるような行為についていう」(『デジタル大辞泉』)。たとえば、「これはきっとあいつのしわざだ」という時がそうだ。だが、本来は「」から出来たもので、下に書くように、他人を祝福することを目的として「行ったこと」という意味だ。

 日本語の「ことわざ」は言葉の霊力を誘い出し、お互いを祝福しようという思いのものだ。だから、「言葉を化粧する」と考えるよりも私は好きだ。そうした「お互いを祝福しよう」という思いを行動に移したものが「しわざ」だ。だから、他人から非難されるような行為という含みは後世の人間が考え出したものに違いない。いつも書くように、言葉の語法や意味は時代と共に変化するが、その変化はそれを使う人々が生きている時代を映す鏡でもある。

「そろいもそろって」に続くマイナス評価の表現

昨日、言及した「迎え火」に続いて、次のような意見もあった。

「そろう」:1の(慣用表現)「うちの子はそろいもそろって足が速い」... a farst runner. にすると、「慈書」の証にもなろうかと思われます。

「慈書」とは、「辞書は慈書(=言葉を慈しむことを学ぶ書物)たれ。」という私ruの辞書作りのモットーの中の1語だが、それを実現するためには《否定的な用例》よりも《肯定的な用例》が多いほうがよいということで、こういう提案をしてくれているのだ。

 もとの文は「うちの子はそろいもそろって足が遅い Each (and every) one of our children is a slow runner. / Withoour exceptions, our kids are slow in running.」となっている。それを肯定的な内容のものに変えるほうがよいのではという提案だ。

 だが、この提案を受け入れることはできない。なぜなら、「そろいもそろって」という慣用句は好ましくない条件のものが揃っていることをいうのが普通で、話者の《飽きれた様子》を示す時に使うものだ。つまり、「そろいもそろって」のあとにはマイナス評価を表す言葉が続く。たとえば、上の用例にあるように「うちの子はそろいもそろって足が遅い 」といった具合だ。「今年の新入社員はそろいもそろって《イェスマン》だ。」、「うちの亭主の兄弟はそろいもそろって変わり者だ」などの例も適例だ。肯定的に用いられる例は、あるにはあるだろうが、日常性は極めて低いはずだ。少なくとも私は「うちの子はそろいもそろって足が速い」、「今年の新入社員はそろいもそろって優秀だ」、「あの人のうちの娘さんたちはそろいもそろって美人だ」などとは言わない。そういう場合は、「そろって〜」、「全員〜」、「例外なく〜」など、別の言い方をする(これらはマイナス評価、プラス評価のいずれにも用いられる)。

「迎え火」は ceremonial bonfire?

b2将来の全面改訂を念頭に置いて、現在、私が編集主幹を務める和英辞典を何人かの知人・友人に全頁に目を通して貰っていることはすでに何回か述べた。先日、「迎え火」について次のような意見が出た。現在の英語表記は次のようになっている。
a mukaebi ; a fire lit on the first evening of the Bon Festival to welcome dearted 
souls (▶ 説明的な訳)
b 知人の意見は現在の fire ceremonial bonfire にしてはどうかというものだった。だが、ceremonial はよいとして bonfire は不適切だ。なぜなら、 bonfire は a large fire that is made outside to burn unwanted things, or for pleasure (Cambridge Advanced Learner's Dict. ) / a large outdoor fire, either for burning waste or for a party (Longman Dict. of Contemporary English ) ということであって、通例、規模的には迎え火」とは比較にならないこちらに“迎え火”の、またこちらに“bonfire”の画像が多数掲載されているので比較してほしい;「お焚き上げ」なら同語でもよいが…。改訂ということで手を加えるなら、たとえば a (small ceremonal) fire...とするのがよかろう。

  ちなみに、手元の大型和英辞典にも中型和英辞典にも bonfire という名詞が使われているが、上記したような理由から、同語は不適切だといえよう。

「お馬」、「お猿」の接頭辞「お」のこと

暇に飽かして教えて!gooを拾い読みしていたら、面白い質問に出くわした(こちら)。題して、「馬と猿だけに接頭語『お』がつくのはなぜでしょう」。そこの質問を引用する。 

********************************************************************************

くだらない質問かもしれませんが、「お馬さん」、「お猿さん」とは言いますが、「お猫さん」、「お熊さん」、「お猪さん」、「お豚さん」、「お狐さん」とは言いません。馬と猿だけに接頭語「お」がつくのはなぜでしょうか?
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 これに対する一般からの回答が8通あった。以下に転載する。質問に対する(私が考える)解答に関連する事柄を含んでいるものは赤字とし、その下に下線を引いた。それに次ぐ有益な点を含む回答には下線だけを引いた。つまり、多くの回答は私の目からは解答になっていないということだ。 

1)動物の、お○○さん、は幼児語的な使い方でしょう。幼児に身近な動物の代表で、犬、猫は「わんわん」「にゃんこ」などがあるのに対し、馬、猿にはそれがないので、お○○さん、なんでしょう。あとは、馬や猿が日本人にとって他の動物よりも崇高なイメージがある、ということでしょうか

2)>馬と猿だけに接頭語「お」がつくのはなぜでしょうか?

「お巡りさん」「お相撲さん」と云うが如し。

3)お魚もありますね。

4)当て推量で回答してみますが、人間になつきやすいとか、人間に似ているとか、人間に近いという区分ですかね・・・。猿も、馬も目は人間に似ているような気がします。犬も似ていそうですが、番犬ということで人間を威嚇する要素も多いので使われづらいのかも。

5)接頭辞は単に聞きなれているかどうかです。「お猫さん」、「お熊さん」、「お猪さん」、「お豚さん」、「お狐さん」の中で「お」の代わりに「子」を付ければ通じます。「子」を付けても通じるものと通じないものがあります。子雀とか子鳩は通じますが、子ニワトリや子トンビは使いません。人が聞いて単に通じるかどうかで、理由などありません。子犬や小象はあっても子トカゲや子ミーアキャットとは言わないのと同じです。

6)江戸時代には、犬を「お犬様」と呼んだ時代があったそうです。お馬やお猿は、身近な動物で子供達にも馴染みがあるので親しみを込めた意味があるのではないでしょうか。猫も身近な動物ですが、童話などには出てこない動物ですし、子供には優しいイメージがない動物ですよね。昔の女性は、ツル・カメ・トラ・タカなど動物の名を使った名前が多かったですが、これらは「おツルさん」や「おタカさん」のように親しみを込めて呼ばれてたようです。

7)いくら考えてもわからない。現在のわれわれが「お馬」と呼んで「お牛」とはよばない。「お猿」と呼んで「お犬」とはよばない。「お馬」・・・お馬の親子はなかよしこよし。「お猿」・・・お猿の駕籠屋だホイサッサ。現在のわれわれは、子供のころに唄った童謡の歌詞が身についてしまっている。この童謡ができる以前に「お馬」「お猿」とよんでいたかどうかは不明です。もし、「お牛さん、モウモウサン・・・・」のような童謡ができていたら、現在の私たちは「お牛さん」とよんでいるのではないでしょうか。結論:童謡の歌詞にあるから。

8)思いつきに過ぎませんけど… 馬の発音が「ンま」に近くて一音である(関東方言でしょうか)ために言いにくいから、オをつけて語調を整えるというのと猿が去るに通じるのを避けるという“げんかつぎ”かなと。あと馬は乗り物なので持ち主(乗り手)に対する敬意の場合もあるかと。お狐は言いますよ、お稲荷様の意味で。あとは「お獅子」 →猪、鹿と区別するためでしょうかね。

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【私見】 
 農耕に馬を使い始めたのは比較的遅く、明治時代に入ってからと言われる。それまでの馬は貴重な生き物であり高価だったが、なによりも馬は神の乗り物であると考えられており、特に駿馬(しゅんめ、しゅんば)龍の仲間と見做されていた。そのようなことから、馬に特別な敬意を払って「お馬」と言うようになったのではないかと思う。

n また、猿はその馬を御する不思議な力を持ち、そのために馬の首に猿の首に似せた"縫いぐるみ”をぶら下げた。実際、「厩(うまや)」の守護神は猿だ。だから縁起を担いで、厩の入口も《申(さる)の方角》すなわち西南西に向けて作る傾向があった。このようなことから、やはり猿を特別な生き物と捉えて接頭辞の「」を付けたものと思われる。ちなみに、猿の黒焼きはかつては《万能の妙薬》として珍重された。
 ついでに言えば、
江戸時代に、煙草入れ・印籠などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具、すなわち根付(ねつけ、ねづけ)にしばしば馬に乗った猿をデザインしたものがあった(左写真)。

なお、上の回答の6)に「江戸時代には、犬を『お犬様』と呼んだ時代があったそうです。」と出て来るが、周知のごとく、徳川第5代将軍・綱吉(戌 (いぬ) 年生れ)が発した生類憐みの令の影響による、犬に対する人々の恐怖心が生んだ俗称だ。接頭辞の「」のみならず「」という接尾辞まで付けている(お医者」と、医師の存在が希少価値を持っていた時代に「」と「」を付けて尊敬を表した日本人の心理に通じるものがある。だが、綱吉の時代を除けば、「お馬」、「お猿」と異なり、「お犬」とは普通は呼ばない。多分私の推測でよいと思うが、今後とも調べてみようと思っている。 
  なお、8)に「
お狐は言いますよ、お稲荷様の意味で」と出て来るがこれは正しい。やはり稲荷信仰との関係で、私なども物心付いた頃から「さん」、「」という言い方は頻繁に聞いた。

「ご訪問された」という表現

f最近、著名人・有名人が国内外のどこかを訪問した際、それをテレビ・新聞・インターネット等で報告する人たちが、丁寧な表現のつもりだろうが、「〜を(ご)訪問された」、「〜を(ご)訪問されました」と言ったり書いたりすることが多くなった。天皇皇后両陛下の場合には特にそうだ。以下に、その例を8例だけ挙げておく。
*2015/01/13 - 9月20日(木曜日)、天皇皇后両陛下が県立歴史と民俗の博物館(さいたま市)をご訪問されました
*2016/12/27 - 平成28年11月16日から18日にかけて、天皇皇后両陛下が私的御旅行のため飯田下伊那地域をご訪問されました
*2017年6月2日. 天皇皇后両陛下が高岡をご訪問されました
*ポポルプフ博物館を訪問された両殿下
*長崎県庁を訪問された海外からのお客様
*人と経営研究所の大久保寛司先生が弊社グループを訪問されました
*2017/03/24 - 3月13日(月曜日)木戸愛プロがご訪問されました.
*2017/06/12 - 6月12日(月)一志町歴史語り部の会の皆様が 当俱楽部の7番ホールと8番ホールの間にある蛇山 をご訪問されました

 他人がその言い方を使っていることに対してそれを非難するつもりはないが、私はこの言い方を好まない。その理由は、単純だが、昔から「ご訪問になった [なりました]」、「ご訪問なさった [なさいました]」と言いなれている [書きなれているからだ。「訪問する」という漢語を「訪ねる」という和語にしてみよう。「お訪ねになる」と「お訪ねなさる」は共に自然に響く。だが、「お訪ねされる」となると突然、違和感を覚える。この「お訪ねされる」に対する違和感が「訪問される」「ご訪問された」にも感じられるのだ。昨今のメディアの日本語表現の変化を《劣化》とまでは思わない。いつも書くように、「誤用法 みんなが使えば 正用法」(「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」に通じる)なのだから。

小林麻央さんと「みたまうつしの儀」のこと(続)

sa報道されているところでは(こちら参照)、麻央さんの亡きあと、気丈に振る舞って来られた海老蔵さんが、今、《喪失感》に襲われておられるらしい。「まお、あいたい、あいたいよ。」と漏らしておられるとも聞く。この世で一番愛した人を失った者の計り知れないほどの悲しさ・苦しさは、同じ経験をした私にはよく分かる。

 そういう海老蔵さんに関して意見を求められた日向野クリニック院長(精神科医)日向野春総氏は、「一番いいのは泣くこと。海老蔵さんも会見で涙を流したことはよかった」とコメントしておられるが、「泣くこと」が一番よいという点は私も賛成だ。私も泣いたただし、私の年代の男は他人の面前で泣くことを戒められたから、密かに泣いた。一人で泣きに泣いた。その喪失感・寂寥感は8年近く経った今でも完全には癒えていないが、多く泣いたおかげで、気持ちがずいぶん楽になった。そして《時の流れ》がそれに棹(さお)さしてくれた。

 不思議なもので、泣いているうちに少しずつ諦めがつくのだ。泣きに泣いても、頭を壁にぶつけにぶつけても、愛する人は二度と戻っては来ないということをそのたびに痛感するからだ。そうするといつの間にか、楽しかった、嬉しかった、充実していた日々の想い出のほうが次第に勝って来る。そうして、故人の肉体は滅びてもその魂魄はいつも私(たち家族)の周りにいるのだと思えるようになる。いつも書くように、だから私は「死してなお、生きているがごとく」故人を取り扱うのだ。
 
 お二人のお子さんがまだお小さいだけに、海老蔵さんもお辛いはずだ。ファンの一人として、残された皆さんの今後のご健康とご多幸を心からお祈りしている。遺族が悲しみ苦しむ姿を故人は遠く離れて見たくはないだろう。海老蔵さんは頻繁にブログを更新しておられるそうだ。それもよいことだと思う。気持ちを吐露することは精神衛生上、泣くことと同様の効果をもたらすはずだからだ。

【付記】麻央さんのブログを英訳して世界の人たちに読んで貰う計画を立てているそうだ(出典こちら)。よい計画だと思う。
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