私が子供の頃、今から64、5年も前のことだが、我が家では一年中で今日(30日)が一番忙しかった。一年を納めるために餅つきを行ない、明晩・大晦日の夕方家族そろって食べる“大ご馳走”を準備する日だからだ。我が家には、最初は大きな“木臼”があったが、その後“石臼”に変わった。餅つきがある時以外は納屋にしまってあった。

 当時、我が家は総勢10人の家族で、男手は子供の私を除いて6人分あったから餅つきのための“労働力”に不足はなかった。鏡餅用、切り餅用などと、突きあがった餅を、片栗粉などの“餅とり粉”を丁寧にまぶしたあと、6畳と10畳の部屋に所狭しと並べていた。黒豆(時に赤エンドウ)の入った餅を作るのは母のお得意だった。私の役目と言えば、突きあがった餅を新聞紙を広げてその上に並べることぐらいだったが、子供心にそれがとても楽しかった思い出がある。

 前にも書いたことがあるが、我が家の“板長”は父だった。とにかく、料理、とりわけ和食作りにかけては母の出る幕はないほどだった。だから私の遠足や運動会の料理も全て父が中心に作ってくれた。私は父のその“才能”を全く受け継いでいない。

 翌晩は「歳取り(の晩)」で、家族そろって1つ(皆で一緒に)歳を取るための準備をする。現代のように、「誕生日で一つ歳を取る」という考え方は一般家庭にはなかった。 普段使わないお膳を出してきても並べきれないほど、多種多様な料理が作られた。

 そういう歳の取り方をしなくなっていったい何十年経つだろう。核家族が多くなった現代、日本の家族のどのくらいの人たちが類似の「歳取り」をするのだろう。遠く、懐かしい思い出だ。戦後の誰もが貧しかった時代、家族が揃って「歳取り」が出来ることは本当に幸せなことだった。