予備校の「カリスマ英語講師」で、「金ピカ先生」の愛称で親しまれた佐藤忠志(ただし)さんが、都内の自宅で亡くなっていたそうだ(画像はこちら)。1951年(昭和26年)生まれだから私よりも7歳も若い。脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、養生が必要であったにも拘わらず、晩年は朝から酒をあおる不摂生を続けていたと聞く。

 明海大学外国語学部創設時に同僚になった、鈴木進教授(初代外国語学部長;故人)の慶應義塾大学時代の教え子ということで、鈴木教授を介して佐藤さんとは、一度、酒席を共にした。鈴木教授の前では、その態度は極めて温順だった。首から下げた“金ピカ”のネックレスが目立った。“虚勢”を張っているなと感じる一面もあったが、“人懐っこい”ところのある人だという印象の方が強かった。“笑顔”がよかった。一番“売れていた頃”は、普通の大学教授の年収のなんと15倍()も多く稼いでいたようだ。
 某予備校の有名講師は予備校にいつも超高級車ポルシェ・カレラで通勤していた。同じく超高級車フェラーリを所有していた講師もいた(佐藤さん自身も日本に1台しかないという、1億円のティファニー・クラシックを所有していたはずだ)。はっきり言って、こうした“カリスマ(予備校講師)”と呼ばれた人たちは「時代の仇花(あだばな)」だったような気がする。
 著名予備校で、何人の”カリスマ講師”の授業を参観した経験から言っても、彼らの“英語力”が特別優れていたとは思わない(し、思えない)。受講生をどのくらい多く“有名大学”に合格させるか、つまり“合格のためのテクニック”、“要所を押さえるテクニック”がどれほど卓越していたかということがポイントになった時代だ。いずれにせよ、時代が生み出した一社会現象だっただろう。

 報道によると、佐藤さんは「生活保護を受け、独り暮らしだった」そうだが、「生活保護」を受けていたというのは本当だろうか。あれだけ“稼いでいた大金”はどこに行ったのだろう収入を大事に取り扱っていれば、最低でも10億円近くの預貯金として残っていたのではないか。不動産、高価な所有物たとえば、前掲のティファニー・クラシックなどはどう処分されていたのだろう。それがうまく行っていれば、「生活保護」には無縁の人だったはずだが…。他人のことながら、心配になった。今頃、鈴木教授との再会を果たしているだろうか。いずれにせよ、彼の影響を受けた受験生は多くいるだろう。彼の多くの”ファン”と共に合掌。

【付記】ここに写っている佐藤さんの晩年の姿からは、かつての“金ピカ先生”の豪奢な生活をしていた頃の面影はまるで推測できない。他人様のことだが、あまりにも哀れな、胸の痛む姿だ。