日本語ノート(表現・成句)

「深読みする」と「行間を読む」

read現在、『スーパー・アンカー和英辞典』の「ふかよみする深読みする)」の項には「read too much ((into)), overinterpret+(目)」という2つの訳語を上げてある。この語に多くのスペースを割くよりも、ほかに、スペースを割きたいと思う語句がいくらでもあったから、という編集上の都合による簡単な取扱いだ。これを見た某氏から、「『深読みする』にread between the linesを付記してはいかがでしょう」というご提案をいただいた。
 だが、これをそのまま採用するわけにはいかない。なぜなら、日本語の「深読み」とは「他人の言動や物事の事情などを、必要以上に読み取ること。うがちすぎること」(『デジタル大辞林』)ということだ。つまりその定義からも分かるように、「必要以上に深く解釈すること」、「憶測が過ぎること」をいう。
 これに対して英語の read between the lines(日本語の「行間を読む」のもとになった句)は to understand all of a writer's meaning by guessing at what he has left unsaid (A Dict. of Amereican Idioms )ということだ。つまり、「文章には直接表現されていない筆者の真意をくみとる」(前掲書)ということになる。両者の意味・用法は微妙に違うのだ。
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「深読み(する)」の例:
例1)最近、男性部長から褒められることが多くなった女子社員Aさん。「何か魂胆があるのでは? いや、きっとそうに違いない」と深読みし、後日、部長からは、「純粋に君の最近の仕事ぶりを褒めているだけだから誤解しないでね。もっと自分の言動に自信を持ちなさい。」と言われて、ひどく恥ずかしい思いをした。
例2)女子新入社員のAさんが、新入社員歓迎会で隣合せた時、何気なく言った、「私、体臭の強い男性は苦手なんですよね〜。」という言葉を自分に向けられたもので、自分では気づかなかったけれど、自分には体臭があるんだろうと深読みして、その後、体臭予防グッヅや制汗剤を買い出した同じ新入社員のB君。

「行間を読む」の例:
例1)叔父から来た手紙を見て、叔父は私に自分の跡を継いでその老舗の経営に当たってほしいと願っているらしいことが行間から読み取れた
例2)彼は他人から来た手紙やメールの行間を読むことが苦手で、それが禍(わざわい)して、顧客からの婉曲的な断りに気づかずにあとで面倒なことになったり、逆に、折角の申し込みをそれと気づかずに、よい商談の機会をみすみす見逃してしまったりするというようなことが時々あった。

"お待ちどおさま"と"お待ちどうさま" 

p『スーパー・アンカー和英辞典』の「おまちどさまお待ち遠さま)」の用例に関して意見を寄せて下さった某氏が、「おまちどさま:『⦅注文、出前、宅配などを届けて)お待ちどさま…ではいかがでしょう。」というご意見を寄せてくださった。私の興味を引いたのは、その内容ではなく、「おまちどさま」の表記を「おまちどさま」としておられたことだ。これは漢字を見ればわかるように、「お待ち・さま」ということで「さま」だから、当然、読み方も「さま」となり、全体的には「おまちどさま」と表記すべきものだ。
 だが、昨今ではそれまでの正用法が誤用法にその座を明け渡しつつあるように思う。Google検索に掛ければ、以下の数字がヒットする。

"おまちどさま"  約 9,420 件
"おまちどさま"    約 101,000 件

"お待ちどさま"  約 8,290 件
"お待ちどさま"  約 42,400 件

"お待ち遠さま"      5 件
"お待ち遠さま"  約 41 件

dc これを見れば分かるように、誤用法のヒット数のほうが圧倒的に多い。これはいつも例に引く「押しも押されもせ」という正用法を「押しも押されぬ」という誤用法が圧倒しているのと同じことが言える(ただし、インターネット利用者の“年齢層”を考慮に入れる必要がある;誤用法は若い世代に圧倒的に多いはずだ)。文字や意味を考えながら言葉を使うというのではなく、周囲の人たちが使っている日本語の「」を頼りに自分もそれを覚え使っているということがよく分かる。言葉は習慣であるからこれも致し方のないことだが、正しいと認識される語法を使う人がまだ多くいる以上(年配者に多いはずだ)、若い人たち、若手の人たちには、TPOに従って適宜言葉遣いを変えられるだけの日本語運用能力を持ってもらいたいものだもちろん、その逆も言えることだが

✖「やむ・おえない」、◯「やむを・えない」

キャンペーン「 世界遺産を口実に、奄美や沖縄の猫を安易に殺処分しないでください! 」を進めている某NPO法人が、メーリングリストでその進捗状況を知らせて来たのだが、その中に次のような一文があった。 

下記、付帯決議を参照ください。 1、今回の捕獲は明らかに駆除目的です。2、行政の言い訳としては、「希少種の絶滅を避けるためのやむおえない駆除」というでしょうが、これは猫にかけられた冤罪であるのは署名内容の通りです。

d 私の視覚を刺激したのは「避けるためのやむえない駆除」という個所の「やむえない」という表記だ。これは正しくは、平仮名で書けば「やむえない」となり、漢字交じりで書けば「止む得ない」となる。「止むを」、「得ない」と二つに切って言うべきものであり、それに従って表記すべきものだ。この点については前にも言及したことがある(こちら→…せざるをおえない」?ざるを得ない、「ざる終えない」、ざる負えない)。そこでも書いたことだが、大学教授やジャーナリストや政治活動家などにもこの間違いを犯している人たちが少なくない。ひとたび間違って覚えてしまうと、社会的にどれだけ有意な人材になっても、その間違いを間違いと気づかずに生きて行かなければならない。いつも言うように、「人間は、叱られ、注意されるうちが花」なのだ。
*値下がらないのは、高価買取を維持するためのやむえない事なんです
*入場料金値上げ等でお客さんへの影響を与えたく無いためのやむえない措置です
*自衛のためのやむえない戦争を正当化するためのストーリーを 北を使ってやるつもりか ? 
*したがって、結婚は子供を生むためのやむえない手段としてのみ認められる(性の三要素[欲望、行為、生殖]のうち欲望を否定)。
*タナカは、フジモリはペルー人であるので、日本国籍の問題は前大統領がペルーの司法から逃れるためのやむえない手段にすぎないと述べた。

有料では「ふるまう(振る舞う)」ことにならない。

sk一昨日の早朝、某テレビニュースを見ていたら、" 第30回 新潟県五泉市さといもまつり"の様子が紹介された。若い女性レポーターがさといも料理を食べさせる食堂に行き、(値段は聴き落としたが)「*円でふるまっています」と言った。私は「おカネをとって“ふるまう”はないでしょ!」というふうに思った。

 「ふるまう振る舞う)」(名詞形は「ふるまい振る舞い)」は「来客に酒や食事でもてなす(こと)」であって、古くは日本の伝統文化である《共食》から生まれた考え方だ。意味は、「慶事の折りの共食」ということだ。したがって、「同じ釜の飯を食うこと」でもある。つまり、慶事に事寄せた《共食》は金銭を取って行うものではない。だから、“有料”では「ふるまう」ことにならない。「ふるまい酒」も「椀飯(おおばん)ぶるまい」も「(せち)ぶるまい」ももてなしを受ける側にとっては“無料”のものだ。江戸時代には、暑中、「ふるまい水」が路傍に置かれて、行き交う人の喉を潤したが、もちろんそれも“無料”だ。したがって、「あのレストランはリーズナブルな値段で美味しい料理をふるまってくれる」などという言い方は不自然な日本語だということになる。ところがネット検索をしてみると、「〜円でふるまう」という用例がいくらでも見つかる。以下に5例だけあげておく。いつも書くように、「誤用法 みんが犯せば 正用法」ということだ。
*讃岐うどんを150円でふるまう田村神社が面白い!
*神奈川・足柄市のB級グルメ「足柄まさカリー」を1円でふるまう
*ランチタイムタイムサービス(平日11:30〜16:00)では、各種麺類にプラス100円でライス食べ放題、麺類を食べた方には、杏仁豆腐も150円でふるまう
*要(かなめ)町あさやけ子ども食堂」(豊島区要町1丁目)は、地元のNPO法人が運営し、月に2回、ボランティアが手作りの夕食を1食300円でふるまう
*5/22(金)の秋葉原店オープンを記念し、5/22(金)と23(土)の2日間のみ、各日先着1000名に通常600円のスタミナ丼、通称「すた丼」もしくは「生姜丼」を、なんと100円でふるまうというのだ。
  ちなみに、次のような例も「ふるまう(こと)」が「有料」であることを強く示している。
*山形の日本一の芋煮会フェスティバルって、芋煮が有料だったんですね。今回2千人に払い戻しのニュースを見て、ただじゃなかったのかwとがっかりしました。
*ホテルのようなきれいなお部屋に一流のシェフが振舞う美味しい食事にいざというときの万全な医療体制がしっかりと整っていると本当に老後は自宅で独りぼっちで生活をするよりも、有料老人ホームでのんびりと過ごしているほうがゆとりのあるシニアライフを送ることができそうですよ。
 こういう誤用法が生まれる背景には、国語辞典における「ふるまう(振る舞う)」、「ふるまい(振る舞い)」の定義の曖昧さがあるように思う。手元の国語辞典の定義をご覧いただきたい。
 「今回の〜フェスティバルでは、先着様500名に〜がふるまわれます」などという文句に釣られて、「タダならば…」と勇んで出かけて行ったら《有料》だったということがあり得るだろう。勇んで行ったかどうかは知らないが、上の「山形の日本一芋煮会フェスティバル」の場合、「ふるまう」という言葉の意味を正しく理解していた人が落胆したのは気の毒だ。「ふるまう(振る舞う)」、「ふるまい(振る舞い)」の正用法を勉強しておこう…。

「役者ばか」、「親ばか」の「―ばか」って?

某国語大辞典の「ばか[馬鹿/莫迦]」の定義を見ていたら、「知能が劣り愚かなこと。また、その人や、そのさま。人をののしっていうときにも用いる。あほう。『―なやつ』」⇔利口社会的な常識にひどく欠けていること」。また、その人。『役者―』『親―』 つまらないこと。無益なこと。また、そのさま。『―を言う』『―なまねはよせ』」(以下省略)と出て来た。私が気になったのはの「社会的常識にひどく欠けていること」という定義と、それに添えられた語例だ。この定義は、私には不十分な定義に思える(も問題にしようと思えば出来る)。なぜなら、国語辞典でありながら、「社会的常識にひどく欠けていること」という、抽象的で分かりにくい定義をしており、「役者―」や「親―」を「社会的常識をひどく欠いていること」と決めつけているからだ。
 
 私に言わせれば、「役者ばか」も「親ばか」も「社会的常識をひどく欠いたこと・人」だとは思えない。別の国語辞典には、「一つのことだけにかか鴈わっていて、広い視野からの判断ができないこと。『専門―・親―』」とあるが、この定義も不十分だ。ほかの国語辞典の定義も上記のものとは五十歩百歩だ。

 昭和を代表する歌舞伎役者の一人、二代目中村鴈治郎 (1902 - 1983)はしばしば「役者ばか」と呼ばれた。その点は本人もよく承知していたようで、『役者馬鹿』 (日本経済新聞出版社、1974)と題した著書まで遺している。鴈治郎が演じた《殺陣師段平》、すなわち市川段平(実在の殺陣師)もまた「殺陣(師)ばか」だ。女優の清川虹子(1912 - 2002)も同じく「役者ばか」と呼ばれた。昔の役者にはそういう「ばか」が少なくなかった。
虹  こういう人は、こと役作りの上では自他に対して妥協を許さない「芸一筋の人」、「一徹者(いってつもの)」であり、多少悪く言っても、「一筋縄でいかない頑固者」だ。だが、世間の人たちが用いる「役者ばか」には、普通は、マイナスイメージの「社会的常識にひどく欠けていること」という含みはほとんどないはずだ。むしろ敬愛・尊敬・畏敬の念さえ感じさせるほどの「ばか」だ。そうでなければ、中村鴈治郎も清川虹子も《名優》として現代にまでその名が残るはずがない。こういう名優たちは、自分たちが「役者ばか」と呼ばれることをむしろ喜んでいたか、それを誇りに思っていたかだと私は思う。【かく言う私も、死ぬまで《英語ばか》、《辞書ばか》でありたい。】

  「親ばか」にしても同様だ。こう呼ばれる親はマイナスイメージの「社会的常識にひどく欠けていること」が前面に出ることはまずないだろう。我が子のことになると夢中になり、周囲のことに気が回らなくなることはあっても、それは「社会的常識にひどく欠けていること」と同一ではない。子供の親は、だれもが皆、多かれ少なかれ「親ばか」だ。我が子の七五三祝いの際、幼稚園・小学校ka(以後の各学校)の入園・入学式、卒園式・卒業式の際、運動会の際など、「親ばか」ぶりを発揮している親は無数にいる。だが、この人たちに「社会的常識にひどく欠けていること」が認められることはほとんどないはずだ。
 ちなみに、書店の戸棚には、『親ばか力―子どもの才能を引き出す10の法則』『親バカのすすめ― 赤ちゃんともち を活用した我が子を天才に育てる 子育て術』と題された単行本さえ並んでいる。これは「親ばか」という語が、日常的には否定的に解釈されていないことの証拠だといえよう。
 
 そう言えば、昔、渋谷天外 (二代目)・藤山寛美による「親ばか子ばか」と題する松竹新喜劇が人気を博した。親は我が子をひたすら可愛がり [我が子に甘く、子はそうした親の愛情に無条件に甘えるという、人間(日本人)が持つ“煩悩”をうまく描き出した優れた喜劇だった。

 繰り返しになるが、同国語辞典が辞典でありながら「社会的常識」をどう考えているのかが明確になっていない点が問題だが、「役者ばか」、「親ばか」には人々が認め納得できる《一途さ》《ひたむきさ》があることを忘れてはなるまい。

 「専門ばか」という語が出て来るが、この語には「社会的常識にひどく欠けていること」という定義が似合いそうな点がある。なぜなら、自分の専門分野に関しては深く広い知識を持っているが、それ以外のことには「社会的常識をひどく欠いている」場合が観察されるからだ。
 類似のことは「学者ばか」という語にも言える。知的レベルは高いが、社会常識レベルは(極めて/大tいに)低いという人たちが往々にして見られるからだ。《社会常識》を具体例でいえば、「専門ばか」「学者ばか」と揶揄される人たちの中には、勤務先において周囲の人たちと日常的な挨拶すらまともに交わせない人たちが少なからずいる。返事の受け答えも《独りよがり》で、時に的外れということもある。それこそ「専門ばか」、「学者ばか」の具体例だといえよう。
  ちなみに、「専門ばか」、「学者ばか」に共通することとして、ドイツの古い諺にDie gelehrten Narren sind ὕber alle Narren.学問のある馬鹿は一番の馬鹿)というのがあるが、言い得て妙である。

 いずれにせよ、辞書に定義を付すことは決して容易なことではない。私も辞書を4点編纂して来て、その点を身に染みて感じている。

color blindness 色覚異常、色盲→color vision variation 色覚多様性

日本遺伝学会の「遺伝学用語改訂について」(2017.9.11)によれば、同学会は「<color blindness>色覚異常、色盲」に対して、次のような呼称(概念)の提案をしている。
<color blindness>色覚異常、色盲→color vision variation色覚多様性
 英語の color blindness に相当する日本語は、教科書でもメディアでも「色盲」を避けて「色覚異常」に統一されている。日本医学会の改訂用語(2008)でも「2色覚」 (旧来の色盲)、「異常3色覚」(旧来の色弱)が提示されている。しかし、一般集団中にごくありふれていて(日本人男性の5%、西欧では9%の地域も)日常生活にとくに不便さがない遺伝形質に対して、「異常」と呼称することに違和感をもつ人は多い。 Color blindness に対する邦語の適訳がないので、この用語集では(日本人類 遺伝学会との共同で)邦語と英語をペアにしたかたちで、色覚多様性(color vision variation)という呼称(概念)を提案する。
 「色覚多様性(color vision variation)」…、私には分かったような分からないような呼称だ。なぜなら、「多様性」とは「性質の異なる群が幅広く存在すること」をいうから、「色覚多様性」とすると、「色覚の異なる人たちが幅広く存在すること」と解釈でき、色覚に全く問題のない人たちも含まれてしまうと感じられる。つまり、「色覚多様性(color vision variation)」とは、私には、あくまでも「色覚にも多様性があること」としか解釈できないのだ。日本人男性の5%にcolor blindnessが見られることをもって「一般集団中にごくありふれていて」と言えるものかどうか、専門的なことはいまひとつよく分からないが、「 Color blindness に対する邦語の適訳がないので」、「色覚多様性(color vision variation)という呼称(概念)を提案する」という直結的なところに私は何か納得できないものを感じる。 

c 赤・青・緑の「光の三原色」感じ取る視細胞に機能異常があれば色の区別に障害が発生するわけだが、色覚に全く問題のない人たちを「色覚正常者」と認識するなら、そういう機能異常を持つ人たちはやはり「色覚正常者」ではないだろう。「色覚異常」、「色盲」の《異常》、《》という語に“抵抗感”や“違和感”があるというのなら、たとえば、「色覚疾患()」という用語でもいいのではないか。

」が差別用語だから「目の不自由な人」と言い換えれば、私のように若い頃から近視と乱視とに悩まされてきた者も「」と同じになってしまう。「目が不自由」だから眼鏡を掛けているわけだから…。同じ理屈だが、「色覚多様性」という呼称は「色覚正常者」(《色覚無疾患者》でもよい)に対する“逆差別”にもなりかねない。関係者のご教示を得たい。

「足枷(あしかせ)」の意味

あるテレビ局が深夜の東京・渋谷センター街で、そこを往来する若者たちにインタビューを行っていた。そのうちの1組に、和太鼓演奏集団を支援しているという若者二人(共に25、6歳に見えた)がいた。女性レポーターの「どんな国の人たちに和太鼓を聞いてもらいたいですか」という質問に、一人の若者が「(今話題になっている)アメリカとか韓国とか、そこらあたりの方々も来てくれて、そこで一緒に共鳴してくれれば、まあちょっとの足枷あしかせになればと思ってます」と言った。
 
li 「足枷」になっちゃあいけないでしょ?! 私はそう思った。比喩的な意味で用いる「足枷」とは、「自由な行動を妨げる物事、足手まとい」ということであって、この若者が使ったような用法はしないものだ。当人が単に言い間違いをしたものか、それとも「足枷」という語をそのような文脈で用いるものだと思い込んでいるのかは不明だ。おそらく、当人が言いたかったことは「起爆剤」あるいは「刺激剤」ということだろう 。(昔の若者なら、謙虚に、「〜のための“一木一草”(いちぼくいっそう)にでもなれれば幸いです」とか、「一助(いちじょ)になることを願っております」とか、と言ったかも知れない

 しつこいほど書いて来たことだが、こういう誤用法でも、若者のほとんどがそれと気づかずに或る意味で用い始めれば、それは正用法になる。言葉とはそうしたものだ。だが、言葉に敏感で、正用法を心得ている人たちが大多数を占めている限り、そうした《問題語法》の使用は回避し、誰からも非難をされないような無難な(あるいは安全な)語句を用いるはずだ。

「私は早生まれ(の人)だ」?

『スーパー・アンカー和英辞典』の「早生まれ」の項の用例の1つに「私は早生まれだ I was born (early in the year) between January 1 and April 1.」というのがある。日本の4月から始まる学制から生まれた表現なので、例文のように意味を汲んで英訳するしかないから、その言い方を示した。

 この用例の日本語に対して、この辞典に目を通してもらっている某氏から、本記事の表題にあるように「私は早生まれ(の人)」というように、「の人」を丸括弧に入れてはどうかという提案をもらった。だが、私は「私は早生まれだ」という日本語で十分に意は尽くされていると思っているし、何よりも、私の語感の中に“自分自身”を指して「〜の人」という語法を認める余地はない。

b いつの頃からか、中年を過ぎた人たちでも、「私は朝型[夜型]のです」、「はちょっと神経質なです」、「私は平成生まれのです」、「私は男のです」、「あなたは私のです」などという言い方をするようになった。このいずれも私の語感では日本語として不自然だ《甘ったるい》言い方でもある。もちろん、いつも言うように、言語は全て時代と共に変化する。したがって、(これもいつも言うように)「押しも押されもせぬ」という伝統的・慣用的な言い方が、「押しも押されぬ」という《誤用法》に取って代わられ始めているように、そのうちに私が感じる違和感を誰も抱かなくなる日が来るかも知れない。だが、同和英辞典の最終的責任者が私である以上、気付いた語法のうち、私が違和感を抱くものをそのまま収録するわけにはいかない。 
 
 それでは「私は朝型[夜型]のです」、「はちょっと神経質なです」、「私は平成生まれのです」、「私は男のです」、「あなたは私のです」を私が言い換えるとすればどう言うか。わたしなら最初の3例は全て「人間」と言い、第4例は「私は男です」と言う。そして最後の例の場合は「もの」と言う。もっと自然な日本語にすれば、「人間」を省略して「私は朝型[夜型]です」、「私はちょっと神経質です」、「私は平成生まれです」とする。したがって、ここで問題としている「私は早生まれ(の人)だ」はもとのとおり「私は早生まれだ」が好ましいということになる。

【付記】私は一度も見たことがなく、またその存在さえ知らなかったのだが、日本テレビ系のテレビドラマに、「ボク、運命の人です」というのがあったらしい。自分のことを「」と呼んでいるが、この場合は、自分(正木誠・亀梨和也)が自分にとって「運命の人(=女性)」(←自然な言い方)と信じ込んでいる相手(湖月晴子・木村文乃)の立場に立って、「私もあなたにとっては《運命の人 (=男性)》ですよ」と客観的に言っていると解釈できるから、許容できる用法だ。

「敷金」は日本独自のもの?

ps『スーパー・アンカー和英辞典』に目を通して下さっている某氏が、同書の「しききん(敷金)」に関して、「『日本独自の慣習』というような情報提供はいかがでしょう。 」という提案をしてくださった。英語教師を含めた多くの日本人英語学習者が、「英語圏には《敷金》なるものは存在しない」と思っているようで、某氏のその提案もそのことを示している。 
 だが、私が知る英語圏には security deposit あるいはdamage depositと呼ばれるものがある(単に deposit とも)。日本の「敷金」に相当するもので、借家などを退去する場合に、家屋内の損傷や汚れがなければ借主に返金される性質のものだ。私の場合は、昔、ロンドン郊外で借家住まいをした時には1か月分の security deposit を「敷金」として支払い、退去時に、家主による家屋内の点検 (inspection) を受けた後、何も問題はなかったので、全額を返してもらった。英語圏でも、たとえばオーストラリア、ニュージーランドなどのように、これをrental  bond と呼ぶところもある(単に bond とも;security deposit という語も通用するはずだ)。したがって、「敷金」は『日本独自の慣習』ではないと言える。

「差別語」云々より「人の心」が変わることの重要性

市原悦子がNHK番組で差別語連発 有働アナ謝罪、視聴者からは擁護や評価の声」と題した記事に行き当たった(2015/5/23 ⇒こちら)。要所だけを引用する。
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女優の市原悦子さん(79)が出演したNHKの番組で「かたわ」「毛唐」という言葉を口にし、アナウンサーが後で謝罪する一幕があった。
   いずれも体が不自由な人や外国人に対する表現で、メディアなどでは使用が避けられている。しかしネット上では市原さんの発言を非難する声はほとんどなく、「前後の文脈上問題ない」「差別意識はない」と擁護する意見が多い。
   市原さんは2015年5月22日に放送された「あさイチ」にゲスト出演。「まんが日本昔話」のナレーションを務めた思い出話に話題がおよび、「一歩一歩やっていくほかない」「風が吹いたらいい季節だなあと感じるようになった」と同番組に教えられたことが多いと振り返った。
   続けて、一番好きな話は「やまんば」だとし、

「私のやまんばの解釈は世の中から外れた人。たとえば『かたわ』になった人、人減らしで捨てられた人、外国から来た『毛唐』でバケモノだと言われた人」と発言。世間から疎外され、山に住んでいた人たちが「やまんばの原点」になったと思うと説明した。

   また、やまんばのキャラクターが「魅力的で大好き」な理由について、

 「彼らは反骨精神と憎しみがあって他人への攻撃がすごい。そのかわり心を通じた人とはこよなく手をつないでいく。その極端さが好き」と笑顔で語った。井ノ原快彦さんも「虐げられているから愛情を欲しがるんですね」と応じ、スタジオは「日本昔話」トークで盛り上がった。

 しかし番組の終盤、有働由美子アナが、さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びしますと謝罪。するとツイッターなどネットには番組の対応を疑問視する意見が相次いだ。

「『当時差別された人』の文脈で使ってるんでまったく問題ないと思う」
「昔話の解釈にちなみ、あえて使った表現だろう。綺麗な表現に置き換えたら、本質が伝わらない」
「番組は見たけれど、悪意が無い分さほど気にならなかった」
など、あくまで「表現の一手法」「悪意はない」とする意見が多かった。
   また有働アナの謝罪後、市原さんの表情がこわばっていたと指摘する声があり、同情する書き込みも目立った。
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 こういう話を見聞きするたびに、「またか」と気落ちする。それと、冒頭の見出しにある「市原悦子がNHK番組で差別語連発」という個所にある「連発」という語だ。どこに「連発」があるのか。「連発」とは、常識的には「続けざまに言うこと」ということだが、私にはそう形容する意味が分からない。つまり、市原さんの発言のどこをどう切り取っても「差別」に結び付けるべき要因は見当たらないのだ。
 有働アナウンサーの「謝罪」は《臭いもには蓋》の典型だ。NHKが一部の視聴者から文句が出るのを恐れて、先回りをして「謝罪」をしたに違いない(誰に対しての何のための謝罪)。
 
 市原さんは「まんが日本昔話」に言及して、その話が設定された時代の言葉や概念を念頭に置いて「かたわ」「毛唐」という語を用いたことは《常識人》にはよく分かる。それを有働アナウンサーが、「さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びします」と謝罪したというが、「謝罪」する必要などはない。どうしても現代的視点を反映させるなら、番組のあと、テロップでも流して、「先ほどの放送に現代的には差別用語とされるものが混じりましたが、時代との関係で発言されたものですのでご了承ください」とでも言っておけばよい(本当はこういう姑息なことをする必要もない)。

NH 我が国が誇る世界的細菌学者・野口英世 (1876-1928) は周知のように1歳の頃、囲炉裏に落ちて、左手にひどい火傷を負い、5本の指が全てくっついてしまい、物心ついた頃から、周囲の心無い者たちからは「てんぼう!てんぼう!」(「棒のような手」)とはやしたてられ、バカにされたそうだが、それは明らかに、身体に障害を持った者への差別的言動になるが、市原さんの「かたわ」も「毛唐」も差別的意図で発せられたものではない。ちなみに、野口英世が《てんぼう》でなかったら、後日、医学を志し、医学博士 (京都大学)、理学博士 (東京大学) の学位を取得することも、《世界の野口》になることもなかったかも知れない。野口は後年になって言っている。「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。」と。

 市原さんと常田富士男(ときた ふじお)さんが声優を務めた「まんが日本話」に出て来る語句・表現を現代の価値意識・基準を持って解釈するのは我が国の言語文化を棄損するものだし、時代の実相をゆがめるものだ
 勝新太郎主演映画「座頭市」に《どめくら》という語が頻出するが、それはその映画(台本)が描いている時代には普通に用いられた語だ。それを現代人たちが《音消し》をやったり、「差別用語が出て来ます」などと予防線を張る必要などまるでない。【拙稿参照→「病名としての『らい(病)』」と『ハンセン病』」

 何度も書いて来たように、この世に存在するいかなる語句・表現も全てが差別的に用いようと思えば用いられるし、どんな差別語もそれを用いる人の心的態度・状況・場面などで差別語にはならないものなのだ。問題になるのは、最初からもっぱら人を差別する目的で創造された語句・表現だけだ

【追記1】そう言えば、『五体不満足』の著者・乙武洋匡さんがかつて「週刊新潮」誌(だったか)に「なぜ僕は自分を『カタワ』と呼ぶのか―障害を笑えてこそ『真のバリアフリー』」と題した記事を書いておられたと記憶する。
【追記2】たとえ日本一有名な大学を卒業し、海外の著名大学院を修えて政治家になってもこういう言葉づかいをするようでは、人としては最低の部類に属することになってしまう。ここで観察されるのは、人を侮辱し差別する一人の政治家の心底の卑しさ・貧しさだ ご当人を嘲笑しようと思えば、こういう動画こういう動画、さらにはこういう動画を作ることさえできる

「絶える」と「耐える」

誤字と言えば、ネット上には、「えない」と書くべきところを「えない」と書く人が“絶えない”。「絶える」は「続いていたものが途中で切れて続かなくなる」ことをいうが、「耐える」は「苦しいこと、つらいこと、嫌なことなどをじっとがまんする」ことをいい、両者は意味が違う。
 この誤字を書く人たちは、おそらく「たえる」という音だけを頼りに、その意味の区別を考えずに安易に漢字入力をするのだろう。漢字変換を意識せずに入力したのかも知れない。いずれにせよ、以下に「人気が耐えない」の例を6例だけ引用しておく。
*人気が耐えないリンパマッサージ専門店. 
*刺激を与えないBESTファンデとして口コミ人気が耐えないミネラルファンデーション
*つまりシミウスの人気が耐えないということは、かなり期待が持てる商品であるということがわかる。
*小学校の人気が耐えない西片エリアの一画に佇む平成築の分譲マンションの一室に空き予定情報が登場!
*カラーは秋冬でも人気が耐えないマーメイドアッシュに☆自慢の炭酸泉AND極潤トリートメントでパーマスタイルも艶良く仕上げました!
*たとえば今でも人気が耐えない女性アイドルとか、男性グループというのも狙い目です。写真集は新品だと比較的値段が高いものもあるのですが、中古なら値段が下がっていて買いたいという人もでてきます。

「訳す」を「略す」と覚えている(らしい)人の例

Yahoo知恵袋を見ていたら、「英語を日本語に略してください。」と題した質問が掲載されているのに出くわした(こちら)。「英語を日本語に略す」? これは、間違いなく、「英語を日本語に訳す」のことだ。「訳す」を「略す」と間違えている(らしい)人が一部にいるようだ。以下はネット上で拾った実例。

*これを日本語に略してください
*この英語を日本語に略してください。
*この韓国語を日本語に略してください
*この英文を日本語に略してくださいっ
*誰かこの物語を日本語に略してください。

 この種の単純な間違いをそれとは知らずに使っている人の例を見ると、私はいつも、かのドイツの大詩人 Goethe の言葉を思い出す。
 
 Die Irrtumer des Menschen machen ihn eigentlich liebenswurdig.
    (人間をして愛らしくするのは元来人間の間違いであり誤りである。)

「びっこさん」という語 ―これを差別語と呼ぶのか。

本ブログのアクセス解析によると、読者がよく訪れる記事の1つに2015年01月26日付けの「びっこを引く』を差別表現とすること」がある。そのアクセス解析の結果を見ていて、「びっこ」という言い方で思い出したことがある。

b 私が小学校に上がった頃(昭和26年[1951年])の思い出だ。私は山口県宇部市で生まれ、小学校に上がる数か月前に小野田市(現・山陽小野田市)に引っ越した。そこでの生活が始まって間もなく、友だちになった周囲の子供たちが「びっこさん」と呼んでいる“おばさん”がいることを知った(お連れ合いは戦死したとも聞いた)。「びっこさん」は50歳前後で独り暮らしをしている女性だった。その名のとおり「びっこ」だった。たしか、左足が右足よりも目立つほどに短かった。だが、周辺の子供たちに"圧倒的な人気”があった。学校の行き帰りに、「びっこさん」のうちの前を通る子供たちは必ず「びっこさん、おはよー!」、「びっこさん、行って来ま〜す!」と声を掛けて行った。それに対して「びっこさん」は必ず、「おはよー! 行ってらっしゃ〜い!」と応えた。

 だれが「びっこ」という言葉を《差別語》だと断定したのかは知らない。だが、私に言わせれば、その人(たち)の心の奥底にこそ《差別意識》が渦巻いているのだ。だから、「臭いものにはフタ」ということになる。また、「差別だ! 差別だ!」と大声を上げ、騒ぎ立てることが《カネ》に繋がることを鋭い嗅覚で見つけた一部の人間たちが、その後《差別》を金儲けの道具にしたと思われる。世間が「差別だ」、「差別語だ」と騒げば騒ぐほど対象になっている人たちは自意識を持たざるを得なくなる。

 「びっこさん」自身が「びっこさん」と呼ばれることに、本当のところどう感じていたかは知らない。だが、推測を交えて言えば、そう呼ばれることを「びっこさん」は少しも嫌がっていなかった。むしろ周囲の子供たちがそう呼んで近づいて来てくれることを喜んでいた。その証拠に、「びっこさん」のうちは、戦後のものの無い時代に、「びっこさんのうちに行けばお菓子(駄菓子だが)がもらえる」ことも手伝って、いつも子供たちのたまり場になっていた。私たち子供も、「びっこさん」本人も、《びっこ》という語が《差別語》だなどと思ってはいなかった。なによりも、「びっこさん」本人が
自分のことを(「おばさん」と自称するのと同じように)「びっこさん」と呼んでいた事実がある。

 以前、何度か書いたことだが、この世に存在して悪い言葉などというものはない。言葉は必要があって生まれて来るものだ。大事なことはその言葉をいつ、だれが、どういう文脈で、どんな心持ちで、誰に対して使うかということだ。「教授」という肩書でさえ、軽蔑しようという気持ちがあれば、たとえば、「まあまあ、ご立派な教授さんでいらっしゃること」、「Fランク大学の教授はさすがに違いますねえ…」などとなる。この世に存在する言葉で、また、《差別語》にならないものはないのだ。

 私は中学2年を終えた時点で東京に出たから、「びっこさん」のその後については何も知らない。だが、たぶん、周囲の子供たち、大人たちから敬愛されながらその後の日々を送ったであろうことは推測に難くない。「びっこさん」、「びっこさん」、あれから60数年が経過した今、そうつぶやいても、少しも侮辱的に響かない。むしろ、「びっこさん」が懐かしく思い出され、胸が熱くなる。
 (そう言えば、「びっこさん」は子供たちのために、当時大人気の『冒険王』、『少年クラブ』、『少年画報』など、何点かの漫画雑誌を買ってくれていた。どのうちも貧しかった時代だ。そんな雑誌が買える経済的余裕のあるうちはむしろ少数派だったから、子供たちはそのことを喜び、「びっこさん」のうちに足繁く通っては、むさぼるようにそれを読み、楽しんだ。私自身、それらの雑誌で、小学校1、2年次に、難しい漢字を多く学んだ。例:雷電爲右衞門、谷風梶之助、赤胴鈴之助、等々

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【付記】
びっこ」は差別語だから「足の悪い人、足の不自由な人」と言えなどというのは噴飯物でしかない。私は昨年の心臓バイパス手術の際、左足の血管を30センチほど切り取って、それを心臓に転用するための手術を受け、そのために、しばらく「びっこを引いて」歩いたが、その事実を知らない人たちは私を「足の悪い人、足の不自由な人」と形容したのだろうか。私に言わせれば、これも滑稽だ。「足の悪い人、足の不自由な人」を使って差別表現を作文することなどいとも簡単だ。たとえば、次のような差別表現を作文することができる。

(例1)「足の悪い人は得だよな、身障者で割引があるんだから… 俺もなりたいよ…」
(例2)「足の不自由な人はみんなの同情が集まっていいねえ、道路もトイレも配慮して作ってもらえるんだから」

 この2例の
足の悪い人、足の不自由な人」と、私の頭の中にある「びっこ」の概念とはかなり大きく異なるのだが…  「めくら」は差別語だから、「目が不自由な人と呼べ」と言われたら、私も「めくら」と同じことになってしまう。私は「目が不自由」だから長年眼鏡を掛けて来たのだから(これなども噴飯物だ)。

 大事なことは、「びっこさん」に示した周囲の子供たちの信頼・友愛・敬意だ。その信頼や友愛や敬意がなければ、全ての言葉は差別語になり得るのだ。

もっと日英語のスピーチレベルを大切 に!

『スーパー・アンカー和英辞典』に目を通して下さっている某氏が「パクる」の項を次のようにしてはどうかという提案をして下さった(現在は snitch, lift, nab の3語が意味分けと共に収録されている)。

「パクる」という表記で:plagiarize(盗用する)、「パクり」plagiarizm(盗用)の付記はいかがでしょう。2020東京五輪のエンブレム盗用疑惑で、NHKニュースの副音声通訳で頻繁に聞こえてきました。 

 私は初版の原稿を書いた時から、同語をこの項目には入れずに、「盗用」「剽窃」の項で取り扱った。その理由はスピーチレベル (speech level) が違うからだ。ご本人が「plagiarize盗用する)、「パクりplagiarizm(盗用)」と書いておられるとおり、plagiarizeとplagiarizmとは共に堅い語で、日本語の「盗用」、「剽窃」に相当する。それに対して「パクる」はいかにも俗っぽい、砕けた語だ。
   したがって、「他人の論文の1節をパクる」を英訳するなら lift  a passage from someone else's paper [treatize] が適当であって、plagiarize  a passage from someone else's paper  [treatize] は文体的に不適当ということになる。つまり、同じ意味であっても、使う場面や場所や相手が異なる。自賛になるが、その点に特に留意して編纂された和英辞典が『スーパー・アンカー和英辞典』だ(ただし、まだまだ理想の和英辞典の行く道は遠いが)。

   同じく動詞だが、現在、「禿げる」の項には go  [get]  bald の訳語と共に文例が掲載されている。それに対して上掲の某氏が

「禿げる」:recede one's hairline の付記はいかがでしょう。 

という提案をして下さった。だが、これも無条件に掲載するわけには行かない。なぜなら、recede one's hairline は「額の毛の生え際が後退する」ということであって、婉曲表現の1つだ。「禿げる」とズバリで言っているのではない。したがって、「後退」の項の用例の1つに「父は額が後退している My father has a receding  hairline.」があがっている。

  もう1例、同じ某氏による提案である。「理由」の項に次のような用例が収録されている。
彼女は正当な理由もなく解雇された  She was dismissed without (good) cause. (➤決まり文句 /  She was dismissed  for no valid [good] reason.
 これに対して同氏は「was dismissed [fired] ....という表記ではいかがでしょう」と提案された。これもそのまま受け入れるわけにはいかない。なぜなら、確かに同義ではある、だが、was dismissed は日本語にある通り、「解雇された」という改まった言い方に相当するものだが、was firedとすれば「クビになった」という俗っぽい言い方になってしまう。その点を注記して「was dismissed [fired] 」と表記することも可能だが、スペース的にも、また英語のスピーチレベルという点からも好ましい取り扱い方とは言えない。was fired はしたがって「クビ(首)」の項で取り扱うのが適切だということになる。

   最後にもう1例、同氏は「びびる」の項に、「get overwhelmed の付記はいかがでしょう。」と言う提案を寄せてくださった。現在は「相手が強そうなんでびびっちゃったよ I got cold feet  because my opponent looked very strong.(➣get cold feetは「おじけづく」のインフォーマルな言い方)」となっている。だが、その提案にしたがって、これを「I got cold feet [got overwhelmed] because...」とするわけにはいかない。もちろん意味的にはそれで構わないのだが、スピーチレベルの点から言えばoverwhelmedという語は堅い語であってcold feet とは並列できないものなのだ(ところが、実際にはこういう点に対する配慮を欠いた和英辞典のほうが多い)。

 日本人英語教師を筆頭として、日本人英語使用者・学習者が注意すべき点の1つは、意味が同じであればスピーチレベルの違いに気づかずに暗記して、それをTPOを無視して使おうとする傾向を有することだ英語と日本語は異なった言語だが、スピーチレベルに可能な限り留意した和英辞典があれば、日本語を頼りに正しいスピーチラベルの英語を覚えることができるのだ。私の残された人生の限られた時間内でどこまでやれるか分からないが、命が尽きる日まで頑張って役に立つ和英辞典を作りたいと思っている。

【付記】スピーチレベルの問題については後日、別途、取り扱う。

「お疲れ様(です)」という日本語表現(続)

昨日私が問題とした日本語に対して、私なりの意見を書いておこう。

 屬感賚様です」とは本来、『目上の人が目下の人に使う言葉』なんです。常識がある上司がこのメールを見たら、「こいつはビジネスマナーを知らないやつ」という烙印を押されてしまう可能性があるので注意してくださいね。
 ◆これには異論がある。まず、上司から部下への挨拶なら、「ご苦労様です」と丁寧に言うことは普通は考えられないもちろん、故意に、あるいは意識的に相手 [部下] と距離を置きたいという気持ちがある場合なら成立し得るが。普通は、「ご苦労さん」、「ご苦労だった [でした] ね」ぐらいだろう。丁寧に「ご苦労様」と言う可能性は十分にある。
 次に、自分が平社員・平事務員で相手が部長・局長だったとしても「ご苦労様」は使えるただし、そのままでは使えないが。たとえば、部長・局長がその平社員・平事務員のいる課あるいは部を視察して帰る場合に、その平社員・平事務員がその部長・局長に向かって「ご苦労様でございました」と言ったとしても少しもおかしくはない到着時なら「ご苦労様でございます」となるだろう。時間を掛けた視察のあとならば、これを「お疲れ様でございました」と言うことも可能だ到着時なら「お疲れ様でございます」になり得る。「◯◯部長・局長、ご苦労様です [お疲れ様です] 」はいかにもなれなれしく響く。

⊆卞皀瓠璽襪砲いて、今度は「◯◯さん、お世話になっております。」と冒頭文に書いている方がいました。実はこれもNGなんです!
 ◆これにも異論がある。大きなオフィスが1つで間に合っているような小さな会社・役所、あるいはそれに類似の小規模の会社・役所なら、確かに社内・役所内メールで「◯◯さん、お世話になっております。」と書くのは滑稽だ。よそよそしく、わざとらしく響くからだ。だが、大会社・大官公庁など、規模の大きい、部課の多い組織では「◯◯さん、(いつもお世話になっております。」とメールで書くことも、それを言葉にすることもごく普通のことだ。

「お元気ですか」と言う場面で「お疲れ様です。」を使ってみましょう。
 ◆私に言わせれば、これは滑稽でしかない。「お元気ですか。」と言うべき時に、どうして「お疲れ様です。」という必要があるのか。久しぶりに出会った別の課の上司に対して「お疲れ様です。」と言ってみればよい。「ああ、こいつはいい [できた] 奴だ」などと思ってもらえるか。そんなことは普通はあり得ない。

い海良集修呂△蠅箸△蕕罎訃況で使えます。
 ◆私に言わせれば、これも滑稽でしかない。「お疲れ様です。」が「ありとあらゆる状況で使え」るはずがない。ちょっと考えれば分かるはずだ。たとえば、上司だった人が亡くなり、その葬式の際に、棺を霊柩車まで運ぶ同僚社員たちに対して「お疲れ様です。」と言って声をかけられるか。そんな挨拶は上司であった人の棺を運ぶ際に口にすべき言葉ではないのだもちろん、死者が部下であっても同じことだ。敬意・弔意を第一に示すべきは死者とその遺族に対してであって、同僚に対してではないし、葬儀で棺を運ぶ人たちが「疲れ」などという言葉を口にすべきではないのだ。“禁句”と称してもよい。語感の優れた遺族がいれば、そんな言葉遣いを耳にすれば、決していい気持ちはしないだろう。

f2 こういう指摘を「これが日本語です」と評して外国人に教えることに、私などは大いに違和感を抱く。こういうおかしな《日本語教育》《日本語指導》が一般的なものにならないことを強く願う。

 中国の作家・魯迅だったか、「みんなが歩けば、そこは道になる」と言った。みんながおかしな日本語をおかしいと思わなくなったら、それが立派な日本語になるということでもある。まさに、「赤信号 みんなで 渡れば 怖くない」というところだろう。

「お疲れ様(です)」という日本語表現

昨年の初夏に心臓バイパス手術を受け、一時、集中治療室で“身体拘束”を受けた。もちろん、これは施術中の薬剤その他が原因で私が意識障害を起こす懼(おそ)れがあって、暴れたり、点滴の管を抜いたりしないようにするたの必要措置だ。当然、医師からは詳細な事前説明を受けていた。

 その“身体拘束”について、ネットであれこれ調べていたら、ある人が入院中の身体拘束に関して質問しているのに出くわした。私が興味を持ったのは、そこで使われている日本語表現だ。回答者は質問者に対して、開口一番、「***さん お疲れ様です。色んな意見があると思いますが、私の意見として聞いて頂ければ幸いです。」と書いていた。またその回答に対して、質問者の礼の冒頭も「お疲れ様です(^^)丁寧に回答してくださりありがとうございます。」だった。

 今や日本中、「お疲れ様」ブームのようだ 日本人はみな疲れているのかも…。実際、ビジネス関連の諸表現を扱っている某サイトを見ると、「ビジネスメールで『お疲れ様です』と冒頭文に書くことは、今では常識になっていますよね。」と書いてある(「〜よね」となれなれしく言うのも昨今の日本語の特徴の1つだ)。【だが、私に言わせれば、「常識は常に疑ってかかれ!」だ。】 そのサイトは次のようにも書いている。
たまに社内メールで「◯◯さん、ご苦労様です」という冒頭文を書く方がいますよね。これって場合によっては『失礼になってしまう』のは知っていましたか? ご苦労様です」とは本来、『目上の人が目下の人に使う言葉』なんです。ですから上司へのメールに「ご苦労様です」と書いてしまうと、それは「上司君。いつも頑張っているね。これからもよろしく頼むよ。」というだいぶ上から目線になってしまうんですよ。常識がある上司がこのメールを見たら、「こいつはビジネスマナーを知らないやつ」という烙印を押されてしまう可能性があるので注意してくださいね

 また別の社内メールにおいて、今度は「◯◯さん、お世話になっております。」と冒頭文に書いている方がいました。実はこれもNGなんです! なぜなら「お世話になっております」は、『お客様・取引先』などに使う挨拶であって、社内では使えない言葉だからです。なので、社内宛のメール冒頭文に「お世話になっております」と打ち込んでしまうと、「◯◯さん、いつも当社をごひいきにしていただきありがとうございます。これからも宜しくお願いします。」という意味になってしまいます。
 書いた人にはこれが《常識》になっているのだろう。だが、私にはあちこちに異論・異見がある。その箇所に下線を施し、いちばんの問題点に番号を振っておいた。
 また、外国語としての日本語を教える某校のサイトには次のような文章があった。
素晴しい日本語の世界:お疲れ様です
 ついに日本で仕事を見つけたあなたは職場で数日を過ごした後、日本人の同僚と仲良くなりたいと思うようになります。そのような時に使える完璧な表現があります。
お疲れ様です。」(“otsukaresama desu”)
「お元気ですか」と言う場面で「お疲れ様です。」を使ってみましょう。
正直な所、この表現はありとあらゆる状況で使えます。社内ミーティングは参加者に感謝の意を伝えるために、「お疲れ様です。」が頻繁に使われます。同僚はあるタスクの終了を感謝したり、社外のミーティングから戻ってきた同僚に感謝する際に使われます。お疲れ様です。」はチームワークの重要性を示す表現なのです。
 日本人にとっては一人一人が会社の一部であることを認識することが重要です。
f1お疲れ様です。」は一日の仕事が終わって皆が会社を出る際にも使われます。まだ仕事中の同僚は「お疲れ様でした。」と答えます。
 この説明にも少なからず異論・異見がある。同じく、その箇所に下線を施しておいた。この場合も一番の問題点には連番を振っておいた。
 旧山岸ゼミ生諸君が現役の山岸ゼミ生だった頃、よくこういう日本語文例を出してその問題点を指摘し、専用掲示板に自分の意見を書いてもらったが、ここでも宿題としておくので、私の異論・異見の理由を考えながら、各人の回答を示してほしい。

おかしな日本語が多くなった ― ある動画のテロップから

暇 に飽かせて昭和歌謡の動画を見ていたら、私が大学院博士課程3年生の頃、爆発的な人気を博し始めていた歌手・ 天知真理の「水色の恋」 に出くわした。懐かしくなって、彼女のことを少々調べてみた。そうするうちに、偶然、「天地真理『国民的アイドルはなぜ消されたのか?』」と題された動画 に行き着いた。単なる興味本位からだが、その動画の最初の部分を見た。次のようなテロップが画面上 に流れた。
伝説的なTVドラマ「時間ですよ」(1971年)に出演していた天知真理。 そのあまりの可憐さに、当時の男達は胸騒ぎをおぼえずにはいられなかった。 しかも、コノ後「水色の恋」歌手デビュー。鼻にかかった高音の魔力はさらに男達を 凌駕した。いつしかマリちゃんは国民的アイドルで芸能界の顔になった。
 私は、普段、使い慣れていない言葉を使うことの危険性 についてあれこれ指摘しているが、この短いテロップでもおかしな個所を指摘することができる。日本語の用法として不自然なところ、間違った個所は最低でも3か所ある。 いつものように旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので、加除修正を施してほしい。「おかしなところがある」と指摘されてから問題点に気づくのではなく、日常的にそういう類いの日本語表現・用法に気づけるように、普段から語感を磨いておくことが大切だ。

✖「営業妨害になりかねます」、⦿「営業妨害になりかねません」

日頃教わることが多いので、よく弁護士ドットコムの記事を読んでいる ・・・ 中には首を傾げたくなるような回答をしている弁護士も混じる。先日は、彼氏と一緒に入った喫茶店で『何も注文しません』『水ください』…迷惑客の法的 問題と題した興味深い記事と担当弁護士の意見を読んだ(出典こちら)。それに対するコメントを読んでいたら、次のような文章を書いている読者がいるのに気づいた。
この弁護士の解釈は変でしょ。
>注文義務などの条件をしっかりと明示すると有効・・・と書いてあるけど、
飲食店は有料の飲食の提供を前提として席の利用を可能としているはずです。
席を自由に座って良いタイプと案内するタイプとあり、場合によっては4人席を2人で1人しか注文しない場合、営業妨害になりかねます
注文義務は法的にはないと言い切っていますが、法的には営業妨害になります。
 私の目についたのは「なりかねます」という表現だ。「かねる兼ねる)」という動詞 は、ほかの動詞の連用形に付いて、 〜しようとしてできない、〜することが難しい(例:「承諾しかねる」、「ご希望には添いかねる」、「申し上げかねる」)、 「〜かねない」の形で「〜するかもしれない」、「〜しそうだ」(例:「一触即発になりかねない」、「そう言い出しかねない」、「親子喧嘩でもやりかねない」)のような用い方をする。したがって、「営業妨害になりかねます」では、の意味にはなっても、ここではの意味だから、ナンセンスなものになってしまう。当然、「営業妨害になりかねない」と言わなくては [書かなくては] ならない原文のスピーチレベルに合わせれば「〜になりかねません」だ)。
 この勘違い語法を犯している日本人はかなり多いようで、ネット上にはいくらでもその用例が書き込まれている。以下にその実例を10例だけ引用する。

これってもうすこしで犯罪になりかねますよね?(正しくは⇒「なりかねませんよね?」)
国際法により危険な状態になりかねますのでご注意くださいませ。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
記載のお時間より前にお集まりになりますと他店舗様、お客様のご迷惑になりかねますのでご遠慮ください。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
お客さまとの円滑なお取引を損ねることになり、お客さまの信頼を失う結果になりかねますのでご留意ください。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
感情的な文章になりかねます。彼女の考えてることが、意味がわかりません。お互い20代、結婚も考えてます。(正しくは⇒「なりかねません」)
お菓子・金銭などは、食事制限をされておられる方、トラブルの原因になりかねますので、お控えくださいますようお願い申し上げます。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
クラスの15分前からスタジオにお入りいただけます。 お食事後すぐのご受講は体調不良の原因になりかねますので、クラスの2時間前までにお済ませくださることを ...(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
USED品にご理解頂けない方、神経質な方のご入札はトラブルになりかねますのでご入札をお控えくださいますようお願いいたします。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
ゲル化剤が完全に溶けてムラのない状態になったら、輸送ポンプにて各充填包装機のサブタンクに送り込む。 万が一、異物が混入すると不適合品になるばかりか、シール不良の原因になりかねます(正しくは⇒「なりかねません」)
工場で造られるものと違いその時その時の状況が違い、職人の経験と感が頼りになることがしばしばですが、もし剥落すると取り返しのつかない事態になりかねますので、細心の注意と品質管理システムで施工します。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)

niou 上に引用した誤用例の中には、有名企業・信用金庫・介護老人保健施設等が混じっている。こういう誤用法に関係者はだれも気付かないのだろうか そこに勤務している人たちのほとんどは大卒だろうに;もちろん学歴とは無関係に語感の優れた人には分かる問題点だが。「かねます」と書く人たちは、「〜かねません」の「ません」に引っ掛かってしまうのかも知れない。使い慣れない不確かな日本語を使うくらいなら、「営業妨害 [トラブルの原因] になる恐れがある)」のような分かりやすい言い方をすればよい。

 この種の誤用法が蔓延し始めれば、日本語が混乱かねる」ではなくしかねない。いつも言うように、英語学習やよし、されど母語としての日本語を磨くことにその何倍もの努力をしてほしい。ネット上の掲示板(匿名のものを含める)に書き込まれた日本語を見ていると、少なからぬ日本人は、習慣的に日本語を使っているだけで、「分かりやすい、読む人に誤解を与えないような、論理的な日本語を書こう」という意識を働かせながら書いているようには思えない。同じことが、英語を母語とする人たちいわゆるネイティブスピーカーたちにも言える。その実例 は本ブログで多数採り上げている。

?「わからないようなくらい」、⦿「わからないくらい」

眞子内親王のご婚約内定に続いて、「“美しすぎるプリンセス”秋篠宮家の次女・佳子さま(22)の行く末」(Aera dot.の表現;出典こちら)を報道した記事を見ていたら、記事の中ほどに次のような一文が出てくるのに気づいた。
「やっほー」とキャンパスであいさつする佳子さま 将来のお相手は?〈週刊朝日〉
ぱっと見には佳子さまとわからないようなくらい、食堂でフツーに座っているという。
わからないようなくらい」?? 雑誌記者か新聞記者か、いずれかが、表現を柔らかく響かせるために「―ような」を《クッション》として挿入したものだろうが、私には冗語的なものにしか思えない。しかし、ネット上を検索するとその例が多数出てくる。下に5例だけ引用しておこう。
*いつ降りだすかわからないようなくらい空。 まるで梅雨のようだ。
*特に強くもんだりせず、施術されたことがわからないようなくらいソフトで、 リラックスできました。
*シャワーの時はタオルに髪の毛が付くので髪の毛用のタオルを用意するレベルだったし、ベッドにはどこの毛だかわからないようなくらいには落ちてました。
*鉛筆の芯を削り出せたら、それを鍵穴に入れるのですが、入れる量はごく少量、本当に入ったかわからないようなくらいでも、目に見えて効果がありました。
*薬や道具など、かなり知識がないとわからないようなくらいでした。麻酔をせず、いきなりメスなどで切ることもでき、その場合は即手術終了でゲームオーバー。
 私なら上の5例の場合、いずれも「わからないくらい」とする。次のような例もある「―ぐらい」も含めた

*わが家にとてもメダカとは言えないようなくらい丸いメダカがいます。
*今まで経験したことのないような、これからも経験することのないようなくらいね(笑)
*そんな感じで日々を過ごしていますが、なんだか最近、自分の体じゃないようなくらいおかしいです 
*現実でも起こらないようなくらいのレベルで想像してしまって、動けなくなっている人はとても沢山います。
*自力で歩けないようなくらい酔っぱらうと罰金に! 旅先では、ついついお酒を飲みすぎてしまうこともあるでしょう。
*昆虫 - すごく小さいトカゲのエサを教えてください。 姿は大人と同じで尻尾を入れても4,5センチですごく細いです。小さいコオロギも口に入らないようなくらいです。
*会社の同僚も彼の会社の人間もまさか私と彼が週に1度は人に言えないようなくらい濃密な時間を過ごしているなんて絶対に言えませんし、親友にも言っていません。
*償いきれないようなぐらいの罪意識を皆さん持ってますか?
*卒業式に今までにないようなぐらいすごい事をしたいのですが何かありますか? 
*この世じゃないようなぐらい、すごい景色、絶景の写真があるサイトを教えてください。

  上の例も全て「ような」を省略するほうがすっきりして私は好きだ。こういう語法は他人から指摘されないと、自分では「わからない(×ようなくらい」癖になっているために、つい使ってしまうものだ。

「眞子さま、どのようにお断りしていたのか」という言い方

d「週刊女性」誌(2017年9月12日号)の記事らしい記事がYahoo!ニュースJapanに掲載されていた。題して、「眞子さま、ICUで言い寄ってきた男子学生をどのようにお断りしていたのか」。昨今の週刊誌の記者たちの日本語には首を傾(かし)げたくなるものが少なくないが、このタイトルを見て、「またか!」と思った。下線部の日本語を見て、即座に「おかしい」と感じられる日本人はどのくらいいるだろう。

 「言い寄ってきた男子学生」という言い方には今は注文をつけない。注文をつけたいのは「お断りしていた」という表現だ。書いた本人、つまり週刊誌記者は「」を付けて丁寧に言ったつもりだろう。だが、これに「していた」を続ける点は受け入れがたい今では普通になっているようだが、私にはやはり不自然だ。なぜなら、「お〜する」という形式は《謙譲表現》であって、《尊敬表現》ではないからだ 【謙譲表現の例:「伺 いする」、「電話する」、「訪ねする」】。

eye 眞子内親王のお身内の方々、たとえば御父君の秋篠宮殿下がご長女の眞子内親王に言及なさりながら、「(眞子内親王は)どのようにお断りしていたのか」という表現をお使いになるのなら構わない。秋篠宮殿下のお立場から見て《謙譲表現》をお使いになるのは自然だからだ。だが、上記週刊誌記者は身内の者ではない。したがって、「お〜する」の形式を用いるのは不自然だということになる。当然、「どのようにお断りになっていたのか」、「どのようにお断りなさっていたのか」のように言ったり書いたりする必要がある本当は「いたか」では敬意が払われていないが、今はその点には触れない

 こういう指摘をいくらしても、いつも言うように、「誤用法 みんなが犯せば 正用法」ということだから、もう手遅れだとは思うが語感の優れた人たちからは違和感を持って見られている [聞かれている] ということだけは知っておいてほしい

【後記】以前「『お断りしてください』???」と題した記事を書いたことがあった。

びっくりした「肉体的援助」という語

正直なところ、こんな語が野球の正式用語 になっているとは知らなかった。たまたま、要介護者・要支援者に関する英語表現を調べていたところもちろん知っていた単語だがphysical assistance という英語に出くわした。「これは《身体介助》あるいは《身体的な支援》のことだが、《肉体的援助》とも訳せるなあ… でも、《肉体的援助》ではデリバリーヘルス(派遣型風俗)みたいなものを連想してしまうなあ…。とにかく、何だか怪しい、想像力を掻き立てられる類いのものだなあ…。」などと思いながら、何とはなしに《肉体的援助》を検索してみて驚いた。日本の公認野球規則(7.09 (h) )には「肉体的援助」という言葉が記載されており、ベースコーチが肉体的に援助したと審判員が認めた場合にいうとあるこちらにYouTube動画がある。私は野球は全くの素人で、その規則には不案内だが、野球好きの人たちからも首を傾げられているらしい。次のようなTwitterの反応が見つかった(出典こちら)。
*昨日の試合を見てるけど「肉体的援助」って言い方が卑猥ですねw
*もう少し良い表現は無かったのだろうか…想像力が掻き立てられる表現だろ。
*肉体的援助なんて卑猥な言葉が野球で使われてるなんて…恐ろしい
*巨人対中日で肉体的援助の反則行為 聞きなれない視聴者は戸惑い 
#ldnews news.livedoor.com/article/detail… 新婚の長野に肉体的援助って。どんな援助交際かと思ったら。
 日本の公認野球規則 はアメリカのルールを基本にしているようだから、アメリカの野球規則を見てみれば physical assistanceという言葉が見つかるかと思い、それを見てみると、次の規則 に出合った(出典こちら)。

(8) In the judgment of the umpire, the base coach at third base, or first
base, by touching or holding the runner, physically assists him in
returning to or leaving third base or first base;

 これが「肉体的援助」という訳語を生む元となったのだろうか。野球規則に詳しい方のご教示を得たい。それにしてもやはり「肉体的援助」という語は私の語感ではどうにもいただけない。はてさて、近未来に、私が主幹を務める和英辞典に収録しなければならないだろうか…。正直なところ、少々気が重い。

「招ねかれなくなる」??? 

一昨日朝、某テレビ・ニュース番組を見ていたら、北朝鮮の核ミサイル問題に触れて、「北朝鮮は、『自分たちを非難する国々は自らに危険を招ねかれなくなる』」と言っている」と若い日本人女性アナウンサーが言った。「招ねかれなくなる」??? 文脈からして、そこは「招きかねなくなる」と言うか、もっと簡明 には「招きかねない」あるいは「招くことになる」と言わなくてはならない。原稿を書いたテレビ局関係者がおり、女性アナウンサー はそれを棒読みしただけかも知れないが、母語である日本語がきちんと分かるアナウンサーなら、文脈的 に「招きかねなくなる」とか「招きかねない」とか「招くことになる」とかだと判断して、自分の責任 においてそう言い換えられたはずだあるいは原稿にはきちんとした日本語が書かれてあったのかも知れない。多分そうだろう…

snail 正直なところ、昨今の若いテレビ(ラジオ)アナウンサー、タレント、芸能人の日本語を聞くのが怖いほどだ。だから一般のテレビ番組、とりわけ芸能バラエティー番組 は見ない。見るのはもっぱらニュース・歴史・科学番組だが、そのニュース番組の日本語さえも昨今ではなはだ怪しいものが混じる。この点はNHKのアナウンサーにも言える(例:こちらこちらの記事を参照)。
 
 いつも書くように、言葉は時代と共に変化するが、「論理的で、解釈が明瞭である限りにおいて」そうであってほしい。何を言っているのか、頭の中で考えながら聞かなければならないようではもはや「テレビ・ラジオ向き日本語」とは言えないのだ。

【付記】「招ねかれなくなる」はたとえば、次のように使う。
⦿退職すると、元の勤務先からは、そこでのいろいろな催し物 に「招ねかれなくなる」ものだ。
⦿どこからも「招ねかれなくなる」ということは、社会的 にはそれだけ必要とされない人間 になったということでもある。

「面長な顔の形」という冗語的な表現

面長な顔の形」という表現を含む日本語の短文をネット上で5例だけ拾って下に掲載する。
面長な顔の形がお悩みのあなた。
面長な顔の形は、日本人の顔の中でも多い形です。
*この髪型は面長な顔の形に似合うと思いますか?
面長な顔の形がコンプレックスで整形しようか迷っています・・・
*前髪も顔の横に流れるようにセットすることで、横のラインが強調され、面長な顔の形が目立たなくなります。

 日本人が日常的に口にする言い方だが、よく考えてみると、「面長」という句がすでに「顔が長めなこと)」という意味だから、「顔が長めの顔の形」と言っているようで冗語的だということになる。
 英語で言えば、an oval face shapeということだが、oval 自体はshaped like an gg卵の形をした)という意味だからoval face と表現してもおかしくない。
 私なら、上の例は全て、単純に「面長」の1語で済ませる。また、それで十分に意味は伝わる。以下の如しだ。すっきりしていると思うのだが…
面長がお悩みのあなた。
面長は、日本人の顔の中でも多い形です。
*この髪型は面長に似合うと思いますか?
面長がコンプレックスで整形しようか迷っています・・・
*前髪も顔の横に流れるようにセットすることで、横のラインが強調され、面長が目立たなくなります。

「洪水」「鉄砲水」―flood, flash flood

g周知のごとく、先月、九州北部で記録的豪雨が発生し、多くの死者や行方不明者を出した。亡くなった方々のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方々に心からのお見舞いを申し上げる。私が敬愛した岳母(故人)の故郷も大きな被害に遭った。

 そのことを海外に英語で発信しようとした、教え子で中学英語教師をしているW君からメールをもらった。要所だけを引用する。

「洪水」はfloodで、「鉄砲水」はflash floodですが、英語としての flood と flash flood との間には訳語以外に何か違いがあるのでしょうか。それとも訳語が全てなのでしょうか。英英辞典で flash flood を見ますと a sudden flood of water caused by heavy rain (OALD ) とあります。つまり sudden flood ということになります。「鉄砲水」という感じも分かります。その理解でよいのでしょうか。

以下はそれに対する私の回答だ。

基本的にはその理解でよいと思います。君も知ってのとおり、flood の大規模なものをdeluge と呼びますが(旧約聖書の「創世記」に出て来るノアの大洪水が the Deluge ですね)、お尋ねの flood と flash flood の場合、英語では異常降雨(豪雨)・ダムの決壊などが発生して6 時間を経過した場合のものを flood、6 時間以内のものをflash floodと呼んでいるようです。もう少し詳しく調べてみますが、私が現在理解しているところではそのようになります。

「発覚」という語の含み

Yahooニュースを見ていたら、「風見しんご夫妻、愛娘の事故の翌年に長男を死産していた『何でウチばっかり…』」と題した、タレント・風見しんご氏(54)とそのご家族に関する記事に目がとまった。その一部に次のような個所があった(「スポーツ報知」8/14(月) 20:59 配信の記事らしい)。

 タレント・風見しんご(54)と、妻の尚子さん(50)が14日放送のTBS系「結婚したら人生劇変!○○の妻たち」(月曜・後7時)に出演。10年前に交通事故で長女・大下えみるさんを亡くした翌年、長男を妊娠するも死産していたことをテレビで初告白した。(中略)事故から1年後に尚子さんの妊娠が発覚

pr わずかこれだけの日本文の中に、私が気になった個所が2か所あった。1つ目は「初告白」という言い方。何が言いたいのかは理解出来るが、「」は不要だ。「告白」とは「人に告げずにいたことを述べること」をいうのだから、その1語だけで意味は十分だ。二度目を「再告白」などと言わないように、「初告白」は不自然な日本語ということになる(書いた記者には不自然ではないのだろう)。2つ目は「妊娠が発覚」という個所の「発覚」という言い方。「発覚」とは《隠しておきたいことが表面に出てしまったような場合》、それも《悪事が露見したような場合》を言うのが慣用的だ。ちなみに、『デジタル大辞泉』は「発覚」を「隠していた悪事・陰謀などが明るみに出ること」と定義し、「不正が発覚する」という用例を添えている。こういう場合なら「妊娠が判明」、もしくは「〜が明らかになった /〜が分かった」などと言う必要がある。

 続いて、同記事は次のように続く。

「(妊娠が)分かったのが、えみるの一回忌の時で、きっとえみるが連れてきてくれたんだなって、すごく嬉しかった」と喜んだが、妊娠5か月のときに胎児に染色体の異常がわかりダウン症を患っていることが発覚した

 この場合の「ダウン症を患っていることが発覚した」の「発覚」も言葉の選択としては大いに不自然だし、見方によれば、風見氏とそのお連れ合いに対して失礼な言い方になる。その理由は上記したこと、あるいは『デジタル大辞泉』の定義を見ればわかるだろう。
 どのくらいの年齢の男性記者あるいは女性記者が書いたものか、それは分からないが、ほかにも加除修正を施したい個所が散見される記事だ妊娠5か月のときに胎児に染色体の異常がわかり」という個所の日本語の不自然さに気づけるだろうか。常々言うように、日本人だから(新聞・雑誌記者だから)きちんとした日本語が書けるとは限らないのだ。本ブログにはそれを証明する実例が多数収録されている。

「蛇苺(へびいちご)」のこと

鬼平犯科帳 第6シリーズ 第01話―蛇苺の女」の中に、凶 賊・沼目の太四郎(中尾 彬)が、女房のおさわ(余貴美子)を用無しになった時点で殺害するつもりだと仲間の浪人に打ち明けるところが出て来る。その時、太四郎は「とんだ蛇苺ですよ、あの女。見てくれはうまそうだが、うっかり手を出すと命を落とすってことですよ」と嘆息する(57:45辺り)。この時代は「蛇苺」(こちらに多数の写真がある)には毒があり、蛇が食べるという俗説がまことしやかに言い伝えられていたようだ。
 ところが、実際には無毒で、人間が食べても死にはしない。私は小学生・中学生の頃、学校の行き帰りに、小川の土手になっている蛇苺を取って食べた。ただし、決して美味ではない。それでも戦後の物のない時代だったから、それなりに《おやつ》代わりにはなった。最近の子供たちは、道端になっている蛇苺を見ても、まったく興味を示さない。それが食べられることを教わってもいないし、また教わったとしても、ほかに山ほど美味しい食べ物があるのだから、一度でも口にしたら、二度と食べようとは思わないかも知れない。

妻 [夫] が夫 [妻] を「お父さん [Father] / お母さん [Mother]」と呼ぶこと(続)

先日の宿題の私の解答を示しておこう。
 英語の世界において、子供の面前以外で、あるいはそれに近い状況がない場面で、妻が夫を Father (Dad / Daddy) と、また夫を妻が Mother (Mom [Mum] / Mommy [Mummy])と呼び掛けた場合、通例、第三者の耳にはどのように響くだろうか。

t 個人差もあるだろうが、英語を母語とする成人がそれを聞いた場合、その夫婦は「感情的・情緒的関係(emotional contact)が希薄なのだろう」、「子供中心 (child-centered)で、夫婦関係の《スキンシップ》は欠乏しているのだろう」、「妻に対する夫の役割・夫に対する妻の役割は夫・妻というよりも父親・母親のそれなのだろう」などと解釈・邪推される可能性が高いだろう。英語の世界では相手をfirst nameで呼び合うのが普通だからだ。
 日本人の場合、夫婦間の相互依存 [甘え]・密接度の濃さを感じさせるが、個人主義の国では、日本人が感じるようなそうした感情は希薄なのだ。したがって、日本の文化、日本人の物の考え方・感じ方に疎(うと)い外国人の前では要注意の言語習慣であると言ってよいだろう。

✖「襟元を正す」、⦿「襟を正す」

ある内親王を扱った動画を興味本位で見ていたら、その題名に「*さま 激やせの本当の真相 に襟元を正す」と出て来た。「襟を正す」という言い方には馴染みがあるが、「襟元を正す」という言い方には馴染みはない。
 「襟を正す」は「姿勢・服装の乱れを整え、きちんとすること」の意味から、比喩的 に「心を引き締めること」を意味するようになったものだ。つまり、「襟を正す」の形で慣用句として認められるものだ。ネット上には非慣用的な「襟元を正す」の例も少なくない。以下に5例だけ挙げておく。
*麻布十番は大人の遊び場であり、襟元を正すべき街でもある。
*子供の生徒さんもそうだが、 年齢の近い、日本人女性の生徒さんたちには本当に襟元を正す想いすることがある。
*だから会社の社長や政治家などが、日々の行動を反省し、襟元を正すための言葉としては大切ですが、目標をあきらめたり、向上心を捨てたりする事 …
*慈父のような三国の言葉に虎仙は頭を下げて礼を言い、「アジアでも充分な注意が必要でしょうか」と襟元を正すように質問した。
*イギリス海軍の制服の色が紺色だったことから、“navy”という言葉は濃い紺色を指すようになりました。深い海を思わせる落ち着きと襟元を正すような凛々しさと。

「真摯に受け止める」(その後)

g今から5年半前(2012年01月19日)、私は「『真摯に受け止める』という表現」と題する記事を書いて、「真摯に受け止める」という言い方に対する私の違和感を述べた。その違和感はその後消滅するどころか、以前よりも大きく感じられるようになった。そこでもう一度その問題に言及しておきたい。

 いつだったか、著名な公人・某氏が、報道関係者のインタビューに対して、「いろいろご批判がありまして、真摯に受け止めまして、(公用車は)原則的には利用しないということに…」と言ったことがある。その後も、気を付けて聴いていると、自分の行動に言及して「真摯に受け止める」と言っている人がじつに多い。「真摯」は、中国語の「(まこと)」+「(至る、極まる)」が語源で、日本語では「心がまっすぐで真面目なこと[さま]」、「ひたむきで嘘、偽りがないこと[さま]」、「他事を顧みず、一生懸命やること[さま]」、「真面目でひたむきなこと[さま]」、「真面目で熱心なこと[さま]」などという意味で理解されている。ネット上でもこの例はいくらでも拾える。以下に5例だけ挙げておく。
批判があることには首相として真摯に受け止めたい
一喜一憂することはないと考えるが、真摯に受け止めていきたい
当金庫は、当金庫の事業運営に関してお客様よりいただく「不満足の表明」を真摯に受け止めます
私たちは、お客様のあらゆる声を積極的に受け止め、特に「ご不満・ご要望」に対しては、真摯に受け止め、お客様サービスの向上・業務改善に活かします。
ご意見、ご要望を一つひとつ大切に、また真摯に受け止め、今までより一層お客様にご満足していただける、信頼していただける店づくりに役立たせていただき、「心地よいお店、信頼される平和堂」の実現に精進してまいりたいと思います。
 この用法を悪いとは言わないし、それに対する(悪意的)批判はしない。きわめて一般的な語法だからだ。だが、私の語感では、この語は上位者が自分以外の人(同位者・下位者)に対して使うのが好ましいような気がするのだ。もっとも、上の用例の1つに《首相》が用いている例があるが、使用者が社会の(極めて)高位にある人なら私の語感もかなり容認・受容的なものになる(理想的には別の言い方のほうが好ましいと思えるが)。
 私が抱く違和感は何に起因するのだろう。たぶん、「真摯」という語に「真面目」とか「熱心」とか「ひたむき」とか「いつわりがない」とかの意味が含まれていることと関係しているだろう。そういう意味の言葉(評価語)は他人から掛けられるものであって、自分の言動に対して自分が積極的に用いるものではないと思うのだ。

 私の語感がすっきりと受け入れることのできる用例を作文すれば、たとえば、次のようなものだ。いずれも上位者が同位者・下位者に言及したり、上位者から受けた批判に言及したりするものばかりだ。
大槻文彦君は真摯なる学究の徒でありまして、その前途も大いに有望なる青年であります。
吉田松陰は幼い頃から何事にも真摯な態度でのぞみ、それらに真面目に取り組む長州人の一人であった。
きみは今回の問題を当初からもっと真摯に受け止めておくべきだった。
「批判を真摯に受け止めよ」というお叱り、ご注意は深く心に留めて、こういうことを繰り返さないよう努めます。
彼のその後の言動から、彼が自分に対する周囲からの批判や非難を真摯に受け止めたことがよく理解できる。

妻 [夫] が夫 [妻] を「お父さん [Father] / お母さん [Mother]」と呼ぶこと

f我が国では、その年齢にかかわらず、妻が夫を、夫が妻を「お父さん」「お母さん」(あるいは「パパ」、「ママ」)と呼びかけることはごく普通だ。これは間違いなく、我が子の立場を中心に《我が子目線》で相手を見ていることの証しだ。ほとんどの場合、その文脈で、「お父さん」「お母さん」(あるいは「パパ」、「ママ」)と呼びかけられているのが夫のほうか妻のほうか、あるいは親子関係にある者なのかは判断できるが、時に紛らわしいこともある。

(例1) 先日、テレビ番組の「各駅停車の旅」を見ていたら、某民家の内部を見せてほしいという《旅人》に対して、聞かれた男性(60代後半)は、家の中にいたお連れ合いに向かって、「お母さ〜ん!」と呼びかけた。

(例2) また、夫・砂川啓介さん(享年80歳)と斎場で最後の対面をした時、妻の大山のぶ代さん(83歳)は「棺で眠る砂川さんに『お父さん!』と呼びかけていた」そうだ。認知症を患っている大山さんにも生涯を共に歩んだ砂川さんのことが一瞬認識できたのだろう。

(例3) いっぽう、学校法人森友学園(大阪市)による補助金不正受給事件で最近注目されている籠池(かごいけ)泰典・前理事長(64)とお連れ合いで塚本幼稚園前副園長・諄子さん(60)のところに大阪地検特捜部から出頭命令があったことは周知の事実だが、それを報じているテレビニュースを見ていたら、お連れ合いが籠池氏に呼びかけて「お父さ〜ん!」と言われた。

 私は言葉に興味があるから、この3例を耳にして、本ブログに記事を書いておきたくなった次第だ。この用法は英語にもある。だが、日英語間にはかなり明確な意味差(特に“含み”の違い)がある。それではそれはどんなこと[もの]だろう。いつものように旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので考えてみてほしい。

「ご健勝」と書くことが憚(はばか)られる場合。

*先生にはご健勝にて何よりと存じます。
*山岸先生にはその後ますますご健勝のことと存じます。
*先生におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
*先生には、その後、お元気でお過ごしの事と存じます。
*【文末で】先生のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

f
 上の文例 はいずれも私が昨年夏から最近までに受け取った葉書き、メールなどで出合ったものだ送り手は学会・研究会・同窓会の類いが多い。まず間違いなく、私の健康状態を知らない人たちが世間一般の常套句を用いて書いたものだろう。つまり、あくまでも《社交辞令》で書いただけだと考えられる。したがって、書く方に《悪気》はなかったはずだ。

 「健勝」とは、国語の辞書を引くまでもなく、「健康で元気なこと」の意味だ。通例は手紙・葉書き・メールなどで用いる。だが、私のように大手術後、「健勝」「元気」という言葉の不似合いな人間もいる。

hx 私は《個人》に宛てた手紙・葉書き・メールなどにこの慣用句を用いるのは、「健勝」「元気」が確認できている場合に限るべきだと思っている。「お祈り申し上げます」などという社交辞令がある場合、余計、不愉快に感じる受け手もいるずだ。ほかにもっと適切な言い方がいくらでもあるし、またそちらの方が《人間的温かみ》が感じられて好ましいと思う。たとえば、次のような言い方だ。

*先生には、その後、いかがお過しでいらっしゃいますか。お伺い申し上げます。
*先生には、その後、ご健康にお変わりはございませんか。お伺い申し上げます。
*先生には、その後、ご壮健にてお過しでいらっしゃいましょうか。お伺い申し上げます。
*【文末で】暑中、くれぐれもご自愛下さいますようにお祈り申し上げます

 
私は冒頭で示したような《心の感じられない言葉》を用いて書かれた手紙・葉書き・メールなどには、返事を出さないか、出すとしても最低限の言葉で要点を事務的に応えるだけにしている。言葉とは「思想が衣(ころも)を着たもの」だからだ。

「よい」と「よろしい」の意味の違い?

気分のよい時は《断捨離》をしている。先日、残っていた古い大学ノートを数十冊分処分した。中に、大学1年次に必修科目として履修した「文学講読」のノートが1冊あった。「文学」は英米文学、日本文学を問わず好きな学科だったから、「英語学」、「言語学」同様、結構真面目にノートを取っていた(ようだ)。
 その1頁に興味深いことが書いてあった。「よし⇒100%完全」、「よろしい⇒まあまあよい」 私のノートだから、私がメモしたことはたしかだ。だが、どういう状況の中で、そういう説明をノートしたかについては記憶にない。いずれにせよ、その記述は、「よし」と「よろしい」とは意味が少し違うということだ。
 現代の国語辞典で「よろしい」を引くと「よいの改まった言い方」とある。半世紀以上も昔のことなので、よく思い出せないが、面白いことなのでそのうち詳しく調べてみようと思っている。

その後の「知ってか知らずか」という言い方

owl産経デジタルニュース (iza)を見ていて、松居一代に『バイアグラ不倫』疑われた女性が訴訟へ 巨額賠償金支払いの可能性も」 という長い見出しのニュース記事があるのに気づいた(こちら)。興味本位に読み進んでいると、そんな動きを知ってか知らずか、松居は8日未明に新たな動画を公開。船越のことを『ヤツ』と呼びながら、バッグに入っているバイアグラについて問い詰めた一部始終を改めて説明。という個所が出て来た。

 私の注意を引いたのは、「知ってか知らずか」という言い方だ。これについては今から11年近く前(2006年11月19日)に「『知ってか知らずか』という言い方」と題して、それまで非慣用的だったその言い方が日常的になり、慣用的だった「知ってか知らずでか」の影が薄くなっていることを指摘した(こちら)。その時(11月19日午前零時現在)に行ったGoogle検索(粗数字)では、「知ってか知らずでか」のヒット数がわずか約6,060件であったのに対して、「知ってか知らずか」のヒット数は何と約314,000件にも上った。それから約11年後の昨日(2017年7月15日午前2時半)に行った検索では「知ってか知らずでか」のヒット数がわずか約1,500件、それに対して「知ってか知らずか」のヒット数が何と約405,000 件だった。非慣用的表現がさらに一般的 になり、それまでの慣用的表現を駆逐しつつある。ちなみに、同じく正用法とされた「知ってか知らでか」のヒット数は約 3,350 件だった。こちらも現代日本語では一般的な言い方ではなくなりつつある。

97940a29.jpg こういう状態が言語のあるがままの姿だということは私も認める。だが、身に付いた言語習慣というものはそう簡単には払拭できない。私は今でも「知ってか知らずでか」あるいは「知ってか知らでか」のほうを好んでいる。これは「押しも押されぬ」(約 527,000 件)が伝統的な「押しも押されもせぬ」(約 168,000 件)よりも日常的 になってしまった今日でも、後者を好んでいる現状と軌を一にする。

「天に召された小林麻央さん」?

Yahooニュースを見ていたら、先ごろ亡くなった小林麻央さんに言及したニュースがあった(こちら)。題して、「小林麻央さん、標準治療を受け入れず… 命を奪った忌わしき『民間療法』(上)」。その記事は次のように始まっていた。

乳がんとの2年8カ月の闘いの末、天に召された小林麻央さん(享年34)。病院での再検査を急ぎ、標準治療を受け入れ、命を奪うことになる忌わしき「民間療法」を拒絶すべきだったのだが……。

私が気になったのは「天に召された」という表現だ。私の理解しているところでは、「天に召される」とはキリスト教、とりわけプロテスタントの世界で、信者が召天(しょうてん)、すなわち「天に召される」ことを言う。
 周知のごとく、麻央さんの夫である市川海老蔵さんは麻央さんの葬儀を《神式》でなさった。「」には違いないが、唯一絶対の神のGodではなく、あくまでも日本の伝統的神道の神のことだ。
 日本人は宗教心が薄かったり、宗教意識が希薄であったりするところから、非キリスト教徒の日本人が非キリスト教徒の日本人の死に言及する場合にも、「天に召される」、「天国に行く」、「神に召される」などと表現することが多い。たぶん、そのほうが《抹香臭くなく》、なんとなく《洒落た感じ》に響くためかも知れない。しかし、宗教用語はやはりきちんと使いたいものだ。

「勤(いそ)しむ」という語の含み

北朝鮮の『撮影禁止区域』で隠し撮りした闇深い画像集!! 闇に包まれている内部の実態が明らかに!!」と題された動画を見ていたら、そのテロップに次の2文が出て来た。写真はフランス人写真家のエリック・ラフォルグ氏によって撮影されたらしい。
*幼くして過酷な肉体労働に勤しむ子供達、その一方で裕福な暮らしを満喫する特権階級の人々など、北朝鮮の生々しい実態を撮影した写真集をご紹介。
*北朝鮮の軍人は、武器を手に取り戦うよりも地味な肉体労働に勤しむ必要があります。
 私の注意を引いたのは、そこに出て来る「勤しむ」という動詞だ。私にとって、「勤しむ」とは「勉学に勤しむ」、「読書に勤しむ」、「仕事に勤しむ」「ピアノの稽古に勤しむ」などのように、「熱心に勤め励む」、「精を出す」ということで、含みとしては、「自らの意思で」、「進んで」、「楽しんで」、「積極的に」、「せっせと」などというプラス評価のものだ。したがって、上記の例のような「過酷な肉体労働に勤しむ」「地味な肉体労働に勤しむ」という表現法には違和感を覚える。それは、そこに添えられた、栄養失調の痩せ細った裸の子供たち4人のうつろな目 (0:08辺り)や、材木を運ぶ1人の少年兵の無表情な顔(2:00辺り)から感じられる《負》のイメージと、「勤しむ」という動詞が持つ《正》のイメージとが衝突するからだろう。

【後刻記】上掲の動画は、その後、削除されたようだ。
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