生活仕事の休みだった今日は、朝からビーバップみのる監督の『完全版ドキュメント501』DOCUMENT 501 FULL VERSION (501分)を観た。途中、宅配ピザを食べた。風呂に入り、洗濯もした。観終えると外はすっかり暗くなっていて、なにやら焦る気持ちからゴッホの手紙を持って近所のモスバーガーへ出かけた。 しかし、1ページも進まなかった。どうしても生活仕事のことが脳裡をよぎるから(うんこをしたかったのもある)。昨日までの1週間も忙しかった。明日からも忙しい。自分で忙しくしているだけなのかもしれない。本当は毎日ひとりでいたい。しかしそれでは食えぬから、たくさんの人と関わっている。関われば楽しい瞬間もある。それぞれに生きている人を観るのはときに感動するから。いったい、この先はどうなるのでしょう。教えてください、5年後の自分。
2018年05月
生活仕事の休みだった今日は、朝からビーバップみのる監督の『完全版ドキュメント501』DOCUMENT 501 FULL VERSION (501分)を観た。途中、宅配ピザを食べた。風呂に入り、洗濯もした。観終えると外はすっかり暗くなっていて、なにやら焦る気持ちからゴッホの手紙を持って近所のモスバーガーへ出かけた。 しかし、1ページも進まなかった。どうしても生活仕事のことが脳裡をよぎるから(うんこをしたかったのもある)。昨日までの1週間も忙しかった。明日からも忙しい。自分で忙しくしているだけなのかもしれない。本当は毎日ひとりでいたい。しかしそれでは食えぬから、たくさんの人と関わっている。関われば楽しい瞬間もある。それぞれに生きている人を観るのはときに感動するから。いったい、この先はどうなるのでしょう。教えてください、5年後の自分。
元気を出していかんといかん。人に期待していてはいかん。もういよいよ人類はいいね!ボタンをもらうこと以外に興味を失ってしまった。自我肥大もここまでくると、かくれんぼすら人を集められなくなるだろう。どこを見渡してもコメンテーターばかりである。
「鬼のカウントはやくね?」イイね!×5
「なぜかくれんぼww」イイね!×20
「昔、かくれんぼ中、好きだった男の子と、一緒に隠れようってなって、掃除用具の、ロッカーの中で、チューしたこと、あるw」イイね!×68
「↑その後ビッチになりました」イイね!×128
「ビッチの文章w句読点多すぎwww」イイね!×83
「ビッチだからなw」イイね!×55
「ちょっとかくれんぼやりたくなったかも」イイね!×13
「なぜ木にのぼるwww」イイね!×36
「さえちゃんかわいい」イイね!×95
「↑きも」イイね!×28
「↑おまえがきもい」イイね!×72
「↑氏ね」イイね!×32
「鬼、探すの下手くそすぎね?」イイね!×33
「↑同感w」イイね!×48
「かくれんぼとかwww」イイね!×66
「さとしくんイケメンすぎる!」イイね!×90
「さとしくんめっちゃ優男w」イイね×72
「さえ惚れたなw」イイね!×38
「↑きもw」イイね!×13
「↑はっ?」イイね!×64
「鬼涙目ww」イイね!×55
「おれの卒論のテーマがかくれんぼだった件w」イイね!×12
「kwsk」イイね!×3
「2:38のさえちゃんw」イイね!×39
「4:21のさとしパネェwww」イイね!×44
「タイトルは、ドストエフスキー地下生活者の手記とかくれんぼwロシア文学専攻だったからw」イイね!×8
「↑関係ねぇだろww」イイね!×33
「↑はい未読確定w」イイね!×12
「さとしまじ裏山」イイね!×72
「これどこでやってんの?」イイね!×18
「↑タイトルよめカス」イイね!×20
「ラストふいたwww」イイね!×73
「ラストのぐだぐだ感w」イイね!×63
「ちょっとひとりでかくれんぼしてくるw」イイね!×34
「↑ふいたwww」イイね!×22
…
…
毎日の通勤中に少しずつ読み進めているゴッホの手紙も、残り四分の一くらいになった。
今週も忙しかった。日々ぐったりと疲れ切っての帰宅だった。が、眠るまでの束の間、素描をやることでどれだけ救われたかしれない。モデルは自分が心から尊敬する神谷まゆであり、似ているかはともかく描けば描くほど愛おしくなった。こんなこともあるんだなと思った。
「すべて悪は女からくる
曇らされた理性、もうけの欲、裏切り
金杯のワインに澱が混ぜられ、
すべての罪、すべての幸運なうそ、すべての狂気は女からくる
……されど、女を熱愛せよ
女を作ったのは神々だから、しかもそれは絶品だから」(だれの詩かわからん)
女への愛は、云わばそれを作った神への忠誠であって、女そのものはどうしようもない脂肪の塊である。すなわち、芸術は女だが女は芸術ではないということだ。なにかそこを勘違いした女らがセクハラを訴えたりMe too.運動をやったりしている。だからあんなものは放っておけばいいのだ。どうせ、絶対に、消えるから。
この苦痛は死ぬまで続くのだろうが、私淑する先人達も皆これと同じものと戦ったのだと思えば絶望も少しは和らぐ。一撃に所知を亡い、ただ物理的世界の偶然的事象の従順な奴隷になってしまえたら幸福だろうが、そうなれば徹底的に無関心を貫きいつまでも意地汚く沈黙し続ける創造主だかなんだかしらん奴の思うつぼである。そうでしょう、漱石先生。
ワイニンゲルとゴッホを誘って、恵比寿マスカッツのライブに行きたい。そんで三人並んで泣きたい。
たった数行の文章の組み立てに昨日まで三日間を費やし、今日こそはと思ったがだめだった。なかなかうまくはいかないモンである。だが、もう以前のようには焦らない。今回は確実におもろくなるモンを書いているからである。それに、書き上げた暁にはワイニンゲル先達があの世でゲラゲラと笑ってくれるだろうと信じるからである。
「自分の素描を売ることなんぞ当てにしていてはならず、ただそれをしかるべき値打ちのあるまじめな作品であるように仕上げることがその人間の義務であって、たとえ境遇に裏切られたといってもぞんざいになったり、いい加減になったりしてはいけないのだ。」ゴッホ
しかしゴッホはよう語る。こらたしかに手紙を読まんと絵だけ見てもわからんなという気がしてくる。ゴッホの弟テオに仕送りを求める遣り口はなかなか巧妙である。ちょっと笑けてくる。そして膨大な手紙を三分の一ほど読み進め、自分も少しずつゴッホの強烈な自我のペースに乗せられつつある。
本日は夕方から仲の良い仕事仲間に誘われ、新宿で飲んだ。
ただいま帰り道。小説「乳首がみたい」の文章を組み立てながら電車に揺られている。
本日も小説「乳首がみたい」の執筆。時折「性と性格」を捲りながら。ワイニンゲルが命を賭して書いたこの本を、かつて自分は藁にもすがる思いで手に取った。森鴎外が「恋愛の希望を前途に持っている君なんぞのためには、ワイニンゲルの論は残酷を極めているのです。女には恋愛というようなものはない。娼妓の型には色欲がある。母の型には繁殖の欲があるに過ぎない。恋愛の対象というものは、すべて男子の構成した幻影だというのです。それがワイニンゲルのためには非常に真面目な話で、当人が自殺したのも、その辺に根ざしているらしいのです」と紹介していたから。
はじめて読んだときの衝撃は、カラマーゾフの兄弟「大審問官」に於ける所謂"ドストエフスキー体験"を遥かに超えるものだった。
下巻ついては、写真の通りほぼすべての頁に折り目がついている。
書き終えて、部屋でひとり夕飯を食べていたら、突然なんの前触れもなく涙がこみ上げてきた。悲しくもなんともない、むしろゴボウサラダってうまいななどと思った瞬間だった。なんだコレ、わけわかんねーなと思った。
Amazonにて神谷まゆの作品を4本注文した。彼女は自分にとってウェヌスの象徴である。いまはどこでなにをしているのだろう。