2025年05月06日
便利さと豊かさの話(2025年のゴールデンウィークの過ごし方)
静かなゴールデンウィークでした。
仕事柄、特別GWに移動する必要もなく、意味があるとすれば友人知人が休みで会いやすいくらい。とはいえ、本当に会いたい人は結局時間がなくても会えるものなので…と考えたら、特別なことしなくてもいいんじゃないかということでした。
そもそも、僕は日常が好きなんですね、きっと。特別なことはそこまでなくていい。自分と周囲が健康で、そこそこならいいということです。そこそこってのが大事ですね。極論、別に毎日楽しくなくてもいいんですよ。
楽しんだもん勝ち、みたいなのは全く思いません。人間らしくないですからね、そういうの。
というわけで、GWに何かしたといえば実家に帰ったくらいです。
実家といえば、実家の近くに見つけた公園が、とても好きで。なぜ好きかわからないけど、好きに理由なんてないですよね。好きだから好き。
その公園を見つけた瞬間に、実家の価値がかなり上がった気がします。
そんなゴールデンウィークでしたが、家族や友人との会話の中で、便利さについて考えることが2回ありました。
1回は、プロ野球をどこでも観られるようになったこと。昔は巨人戦くらいしか観られなかったのが、今は契約すればパソコンでもスマホでも、外出先でも観られる。何なら後から追っかけてみることもできる。
もう1回は、古い友人とのやり取りで、大学の頃はレンタルDVDとかで観ていた映画を、今はサブスクとかでいつでも観られるということ。レンタルDVDなんてもはや死語に近いですよね。行ったよなぁ〜、TSUTAYA。行ったよなぁ〜、ビデオインアメリカ(京都北野白梅町)。今はそんなことしなくていい、家で契約したらみられます。
というわけで、すっかり便利になったなと思いますね。
とはいえ、一方で思うんですよね。便利になればなるほど豊かになるのかと。
なんかこんなこというと日曜朝の民放の爺さんみたいですが(笑)。
テレビ中継がない時代、本当にラジオにかじりついて野球を聴いていたんですよ。当然、風呂場にはラジオを持っていきますよね。栃木にいると愛知県のラジオはなかなか入らなくて、庭にラジオを持って行ったり、昼間だと河川敷まで車を出してもらって、自動車のラジオで聴いたり…。昼間はラジオが入りにくいんですよ。
ラジコなんてもちろんない時代です。
レンタルビデオといえば、高校の頃、夜中に自転車で5キロ以上先のTSUTAYAに行くのが楽しみでした。
『スタンドバイミー』とか『ショーシャンクの空に』とかを借りて観ました。競馬のビデオも借りたかな。当時はDVDですらないですね、まだVHSです。杉本清のG1みたいなのも借りて繰り返し見たものです。
今だったら、普通にそんなことしなくてもテレビでもネットでも観られるし、映画なんてサブスクで観られるし、G1レースなんてYoutubeで検索すれば無料ですぐ観られます。
贅沢な話です。
でも、なんかこうそこにまつわる、不便さの中にあるストーリーみたいなのもいいもんだと思うんですよね。
必死になって得た情報とか、そのために頑張ったプロセスとかって、ある意味で豊かさなんじゃないかなと。
あの頃にスマホやサブスクがあったらたぶん便利だっただろうし、それはそれで得るものもできる時間もたくさんあったかもしれないけど、同時に得ていないものもあったんじゃないかなって気がするんですね。
もっと具体的なことを言うと、ラジオで聴いた野球中継は、僕の中の語彙を増やしてくれたし、想像力を育んでくれました。
映像の情報がない野球中継ってなんかハラハラするんですよね。
便利さとか金銭で得られる贅沢みたいなものは求めだすと際限がない。もちろん、別に貧乏が良いとは全く思わないですよ。
ただ、贅沢に慣れると感性が貧困になると思うので、そういう部分は自分の中で常にコントロールしていたいなと思うんですよ。わかりますかね。
金銭的に豊かでも何もない(ようにみえる)人って世に溢れていて、やっぱりそれって寂しいじゃないですか。
書いていて思い出したんですが、当時聴いていたラジオの野球中継。僕が一番好きだったのは東海ラジオの北山靖さんというアナウンサーなんですけど、その人についてのいい話を最近いろいろ知ったので、また次回書こうと思います。
今回はここまでで。
仕事柄、特別GWに移動する必要もなく、意味があるとすれば友人知人が休みで会いやすいくらい。とはいえ、本当に会いたい人は結局時間がなくても会えるものなので…と考えたら、特別なことしなくてもいいんじゃないかということでした。
そもそも、僕は日常が好きなんですね、きっと。特別なことはそこまでなくていい。自分と周囲が健康で、そこそこならいいということです。そこそこってのが大事ですね。極論、別に毎日楽しくなくてもいいんですよ。
楽しんだもん勝ち、みたいなのは全く思いません。人間らしくないですからね、そういうの。
というわけで、GWに何かしたといえば実家に帰ったくらいです。
実家といえば、実家の近くに見つけた公園が、とても好きで。なぜ好きかわからないけど、好きに理由なんてないですよね。好きだから好き。
その公園を見つけた瞬間に、実家の価値がかなり上がった気がします。
そんなゴールデンウィークでしたが、家族や友人との会話の中で、便利さについて考えることが2回ありました。
1回は、プロ野球をどこでも観られるようになったこと。昔は巨人戦くらいしか観られなかったのが、今は契約すればパソコンでもスマホでも、外出先でも観られる。何なら後から追っかけてみることもできる。
もう1回は、古い友人とのやり取りで、大学の頃はレンタルDVDとかで観ていた映画を、今はサブスクとかでいつでも観られるということ。レンタルDVDなんてもはや死語に近いですよね。行ったよなぁ〜、TSUTAYA。行ったよなぁ〜、ビデオインアメリカ(京都北野白梅町)。今はそんなことしなくていい、家で契約したらみられます。
というわけで、すっかり便利になったなと思いますね。
とはいえ、一方で思うんですよね。便利になればなるほど豊かになるのかと。
なんかこんなこというと日曜朝の民放の爺さんみたいですが(笑)。
テレビ中継がない時代、本当にラジオにかじりついて野球を聴いていたんですよ。当然、風呂場にはラジオを持っていきますよね。栃木にいると愛知県のラジオはなかなか入らなくて、庭にラジオを持って行ったり、昼間だと河川敷まで車を出してもらって、自動車のラジオで聴いたり…。昼間はラジオが入りにくいんですよ。
ラジコなんてもちろんない時代です。
レンタルビデオといえば、高校の頃、夜中に自転車で5キロ以上先のTSUTAYAに行くのが楽しみでした。
『スタンドバイミー』とか『ショーシャンクの空に』とかを借りて観ました。競馬のビデオも借りたかな。当時はDVDですらないですね、まだVHSです。杉本清のG1みたいなのも借りて繰り返し見たものです。
今だったら、普通にそんなことしなくてもテレビでもネットでも観られるし、映画なんてサブスクで観られるし、G1レースなんてYoutubeで検索すれば無料ですぐ観られます。
贅沢な話です。
でも、なんかこうそこにまつわる、不便さの中にあるストーリーみたいなのもいいもんだと思うんですよね。
必死になって得た情報とか、そのために頑張ったプロセスとかって、ある意味で豊かさなんじゃないかなと。
あの頃にスマホやサブスクがあったらたぶん便利だっただろうし、それはそれで得るものもできる時間もたくさんあったかもしれないけど、同時に得ていないものもあったんじゃないかなって気がするんですね。
もっと具体的なことを言うと、ラジオで聴いた野球中継は、僕の中の語彙を増やしてくれたし、想像力を育んでくれました。
映像の情報がない野球中継ってなんかハラハラするんですよね。
便利さとか金銭で得られる贅沢みたいなものは求めだすと際限がない。もちろん、別に貧乏が良いとは全く思わないですよ。
ただ、贅沢に慣れると感性が貧困になると思うので、そういう部分は自分の中で常にコントロールしていたいなと思うんですよ。わかりますかね。
金銭的に豊かでも何もない(ようにみえる)人って世に溢れていて、やっぱりそれって寂しいじゃないですか。
書いていて思い出したんですが、当時聴いていたラジオの野球中継。僕が一番好きだったのは東海ラジオの北山靖さんというアナウンサーなんですけど、その人についてのいい話を最近いろいろ知ったので、また次回書こうと思います。
今回はここまでで。
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