5.11〜17まで気仙沼、陸前高田を中心にボランティア活動をしてきました。

実際の被災地の2ヵ月後を皆さんに知って欲しくて
自分が実際に行ってきた体験をブログに残す事にしました。


ボランティアと言っても個人で全てを揃えて参加というわけではなく
東京ボランティア・市民活動センター
のボランティア活動の第七期として参加しました。

道具から交通手段、そして宿泊先まで準備してくれるので
非常に有難かったです。

最低限の経費はボランティア保険の1400円と
現地での最低限の食料や銭湯代(約2000円/1日)程度でしょうか。


第七期の一関チームは80名15グループ(正確な数は違います。)で活動。
グループごとに様々な活動をしました。

瓦礫の撤去やヘドロの掃き出しだけではなく
他のグループは
・炊き出し
・救援物資の仕分け
・足湯サービス
などの活動をしました。


この文章で瓦礫の山とかという表現が沢山出てきます。
でも、現地の人にとっては瓦礫の山ではなくて
生まれ育った故郷なんですよ。
でも、それ以外の言葉が見つからなくて・・・
機嫌を悪くする方がいたらすみません。

あと
参加したボランティア協会のルールとして
被災地での写真は一切は撮っていません。

写真はこのサイトを見てもらえるといいかも
Japan Earthquake: Two Months Later / In Focus




5/11(水)
作業内容(1日目):移動
東京から一関市へバスで移動。
移動でほぼ終了。

一関が近づくにつれて
高速道路ですら、所々亀裂があって
東京とは違う感じでした。

そして宿について銭湯やらメシを食べて
ミーティングなどしてました。

さ〜て寝ようかなと寝袋に入ったら
さっそく初日の夜から余震に襲われました。
関東のゆっくり、ながい地震とはタイプが違って
短く、突然来る小刻みな地震にちょっとビビりました。

あとこの日の夜に分かった事ですが
同じ部屋の方々の夜が賑やかで賑やかで
イビキを筆頭に歯ぎしり、叫び声。
いろんな人がいるなぁ。
寝ている時に叫ぶ人ってのは初めてだった。




5/12〜13(木.金)
作業内容(2,3日目):漁港に隣接する民家の瓦礫撤去。

車が斜めに突き刺さってたり
ガソリンスタンドの屋根の上に家の屋根があったり
え?どうゆうこと?と目を疑う光景がいくつもありました。

高台の木の枝をよく見ると色々な物が引っかかってる。
目の前に広がってる穏やかな海が
あの高さまで津波でかけあがった痕跡が残ってた。
それが現実なんだろうけれども、想像が出来ない。
Youtubeでいくつもの津波の映像を見たけれども
それはきっと実際の津波の恐ろしさの半分も伝え切れてないんじゃないかと
思った。

家と海の距離が近い。
家の前に道路があって、その道路を挟んで海。
地盤沈下した影響なのはわかるんだけど、普通あり得ない光景。

撤去作業については
木材とそれ以外の瓦礫に分別はされていて
担当は木材の撤去。

高さ2メートルの木材の山を撤去するのに10人いても
2,3時間かかる。
本当に重労働。
怪我防止の為、カッパを着ての作業なので汗びっしょり。
天気が曇りだったので本当に助かった。

木材には釘が刺さっている事が多い。
気をつけないと作業着などが切れ目が入る。
実際切れ目が入った人は沢山いた。

地面に目をやると
津波で打ち上げられた貝殻よりガラスが多かった。

瓦礫の中に家族の写真などが沢山あって
開始1時間もしないのに見つかる。
慎重に作業しないといけないと思った。


漁港近くの民家は土台しか残っていなくて
住民の方と接する事はありませんでした。

そんな場所でも
ウグイスが「ホーホケキョ」って鳴いてて
高台に咲いてる桜の花びらが浜風に乗って
あたり一面に舞ってた。



5/14(土)
作業内容(4日目):陸前高田で個人宅のヘドロと瓦礫の撤去

辺り一面、瓦礫の山が続く景色。
先日、あれほど苦労した瓦礫の山が
見渡す限り延々といくつも数えられない・・・
このボランティア活動で陸前高田の風景が一番心に残った。

そんな風景を目にして作業休憩中の
同じチームの人達の会話
「いい街だったでしょうねぇ」Aさん
「今でもいい街ですよ。」Bさん
「そうですよね、すみません。」Aさん
って会話がありました。

Aさんが良いとか悪いって事じゃなくて
ちょっと心に残った会話なので、ここにも残します。

ここでの作業でも写真や身分証明書などが見つかりました。
家の人に見せると、写真の殆どがご近所の方の写真だそうで
作業した家はちょっと周辺と比べて高い場所にあり
津波が片方からではなく両方から迫って来たと言ってました。

帰り際に
家の人に何度も頭をさげられて
帽子を取って最後まで見送ってくれました。
なんだか泣きそうになった。

ボランティア活動中には
都民ボランティアという緑のビブスを着用して活動するんですけど
車に乗っている人も自衛隊の人にも
道を通りすぎる人、殆どの人にお辞儀をされました。
お辞儀するのってなんかいいなぁと思いました。


あと他のグループですが
陸前高田で
自衛隊がご遺体を運ぶところを見たそうです。

二ヶ月過ぎてもまだ、このような状況です。

避難所にいる方だってまだまだ沢山います。
そういえば仮設住宅をあまり見てないんですよね。
気仙沼で一箇所だけ。
まだ仮設住宅は少ないようです。



5/15(日)
作業内容(5日目):気仙沼で地域の文化センターの瓦礫撤去と泥のかき出し。
男性七人、女性五人と地元のおじいちゃん二、三人。
合計15人ぐらいで一階の瓦礫の撤去。
作業時間は9:30〜12:00、13:00〜15:00。
(作業活動30分、休憩10分)

お昼の休憩時間に近所の人から
おにぎりとグレープフルーツとリポビタンDの差し入れが
非常に有難かった。

ここでちょっと番外編
このお昼の休憩時間にカラスが沢山いたんですが
同じグループの人が
「カラスの鳴き声って【ふかわ〜】って聞こえますよ。」
というのを聞いてから
カラスの鳴き声が【ふかわ〜】にしか聞こえなくて
面白かったです。
今度、よく聞いてみて下さい。

さてさて
午後の作業が終わって最後に現地の人が
「写真撮りましょう。」
と言ってくださって集合写真を撮りました。

そして最後に
『色々と本当にありがとうございます。復興に向けて頑張ります。』
と地元の人が挨拶。
【頑張ります。】という言葉。
今までの人生の中で
【頑張ります。】って言葉を沢山聞いてきたけど、
本当に重い言葉だった。



5/16(月)
作業内容(6日目):テント設営
被災地とは直接は関係ないけれども、救援物資の設置場所となるテントの設営。

運動会の本部ぐらいの大きさのテントをたくさん設営するものかと
思っていたら、とんでもなく大きいテントを設営する

WFP 国際世界食料計画
のテントで、大きさはテニスコート3面ぐらいなのかな。

専門的な所は大工さんが
素人でも出来るところは大工さんの指示を仰ぎながら
やってました。


この動画の10:15付近を見て頂けると作業内容がわかります。

テント設営が終わって
救援物資の毛布の運搬をやって、この日は終了。

救援物資保管先となっていた体育館の
天井は所々、天井が抜け落ちていて
「地震が来たら逃げてねー」って言われました。



この日で全ボランティア活動終了
タバコ吸わないんですけど、仲の良かった方々と喫煙所で話した事
・ボランティア活動は一年じゃ終わらない。
 長い長い活動が必要になる。
・これから夏を迎えるにあたってボランティア活動は過酷になる。
・(あとはここでは書けない話が多数)



5/17(火)
作業内容(7日目):掃除と移動

最後に部屋と宿の掃除をして、グループごとに活動報告をしたのですが
他のグループで記憶に残った話を

個人宅で神棚を片付ける時に
「神棚どこにしまいますか?」ボランティア
「神様はいないから捨てていいよ。」現地の人
と言われた。
返す言葉が見つからなかった。

一週間孤立していた場所では
情報が遮断されていたので世界が終わったのかと
心配ではなく絶望に近い感で覆われていた。
救援物資が届いた時には
救援物資が届いた事ではなくて
世界が終わっていない事を喜びあった。

気仙沼の近くにある大島で活動したグループは
フェリーで移動してしてボランティア活動を行いました。
フェリーでは喪服の人が多数、いらしたそうです。



最後に個人的な意見なんですが
安易に被災地に向かって「頑張れ!」って言うのは
どうなんだろ?と思いました。

「頑張れ!」って言われて
「よし!頑張るぞ!」って人もいるだろうけど
「これ以上何を頑張ればいいんだよ。」と思う人もいるんですよ。
「頑張らないで、是非頼って下さい。」
という言葉の方がいいのかなと思いました。

あとこれはボランティア参加した人達が共通に感じた事だと思うのですが
東北の人達は優しいというか優しすぎる。そして我慢強い。
3.11から二ヶ月過ぎて、そして三ヶ月を迎えるにあたって
被災者の方々の心境って変わると思うんですよね。
どう変化していくのか注目していきたいと思います。

報道番組では原発とか節電などの情報が報道の中心になると思うのですが
是非、被災地が現状どうなっているのかを気にして下さい。

参考リンク
住宅の復旧を手助け/都民ボランティア6期団長・根本利彦さん

だいあろ〜ぐ:東京彩人記 被災地支援 都民ボランティア団長・武藤香織さん 

togetter:都民ボランティア(2期)感想まとめ