山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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山本芳久『トマス・アクィナス』(岩波新書) 7点

 トマス・アクィナスというと「スコラ哲学の大成者」として多くの人は名前を知っているが、実際に読んだことのある人はほとんどいないという哲学者だと思います。
 この本のはじめに「カトリック教会の伝統的な教えを正当化するために数多くの体系的な著作を残した権威主義的な神学者」(2p)という世間一般の人が抱くトマス・アクィナスのイメージが紹介されていますが、自分も以前はそんな印象を抱いていました。

 そんなトマス・アクィナスのイメージを打破し、トマスの思想がある種のチャレンジであり、今なおアクチュアルであることを示そうとしたのがこの本。
 少し前に同じ岩波新書から出た出村和彦『アウグスティヌス』は、その生涯と思想のポイントをまとめたものでしたが、本書はトマスの生涯についてはほんとうに簡単に触れるだけで、紙幅のほとんどを『神学大全』を中心としたトマスのテクストの読解にあてています。
 そのため入門書としてはややハードに見えるかもしれませんが、著者の粘り強い解説によってトマスの思想が1つずつ見えてくるような内容になっています。

 目次は以下の通り。
第1章 トマス・アクィナスの根本精神
第2章 「徳」という「力」―「枢要徳」の構造
第3章 「神学的徳」としての信仰と希望
第4章 肯定の原理としての愛徳
第5章 「理性」と「神秘」

 トマス・アクィナスは13世紀半ばに活躍した人物で、彼の思想のポイントを一言で表すとしたら、「キリスト教とアリストテレスの統合」ということになるでしょう。
 アリストテレスのギリシア語の著作は、一部の論理学的著作を除いては西ヨーロッパには伝わっていなかったのですが、12世紀にイスラーム世界を通じてアリストテレスの著作が伝わってくることになります。
 これは単純に良いことにも思えますが、「動物論・自然学から倫理学・政治学を経て形而上学や宇宙論に至る体系的な世界観を提示するアリストテレスのテクストは、キリスト教に取って代わりうる、もう一つの知的世界の可能性を示唆して」(8p)おり、キリスト教世界に緊張をもたらすものでもありました。

 このアリストテレスの思想に対して大きく分けて3つの態度がありました。キリスト教と衝突しない部分のみを受け入れる「保守的アウグスティヌス主義」、「信仰の真理」と「哲学の真理」を区別してキリスト教信仰に反する部分も受け入れる「急進的アリストテレス主義」や「ラテン・アヴェロエス主義」、そしてアリストテレスの思想を使ってキリスト教神学をより理性的な仕方で構築し直す「中道的アリストテレス主義」の3つです(8ー11p)。
 そして、「中道的アリストテレス主義」を代表する思想家がトマス・アクィナスです。

 トマス・アクィナスは49歳で亡くなっていますが、それまでに驚異的な量の著作を残しました。日本語訳で45巻ある『神学大全』も彼の全著作の1/7を占めるにすぎません(26p)。
 また、その著作は多くの引用によって成り立っており、それぞれの著作は密接な関連を持っています。しかも、これらの著作を「読解不能な文字」(40p)と言われるほど崩れた字を使いながら信じられないようなペースで書いたと考えられます。

  この本ではトマスの思想を「徳」という概念から読み解いています。
 「徳」というと、日本語では社会から求められる徳目やあるいは人柄のようなものを想定しがちですが、ラテン語のvirtus(ヴィルトゥース)は「力」または「徳」と訳される言葉で、「徳」には人生を切り開いていく「力」でもあるのです(50p)。
 ピアノを習う子どもが、最初はつまらなく感じるものの「技術」を身につけるにしたがってピアノが楽しくなってくるように、「徳」を身につけることによって人生はより生きやすく充実したものになっていくのです。

 トマスが提唱する徳として、まずアリストテレスの提唱した「賢慮」、「正義」、「勇気」、「節制」の4つの「枢要徳」があります。
 その内容についても基本的にアリストテレスの説明を受け継いでいるので、アリストテレスを読んだことのある人にはトマスの議論はわかりやすいと思います。
 ただ、アリストテレスが4つの徳の間の関連性を特に述べなったのに対して、トマスはその徳の関連性も考察しています。トマスによれば徳には理性によって身につく「知的徳」と習慣によって身につく「倫理的徳」があり、この2つの徳をつなぐのが「賢慮」です。そして他者の善に的確に配慮する力が「正義」であり、この2つの徳を補うのが「勇気」と「節制」です(59-61p)。

 ただし、こういった関連性についての考察はあっても、「枢要徳」の基本はアリストテレスの考えです。この本の77p以下で行われている「節制」と「抑制」の違いを巡る議論も興味深いものですが、基本的にはアリストテレスの枠内のものです。
 では、トマスのオリジナリティはどこにあるかというと、「枢要徳」に付け加えられた、「信仰」、「希望」、「愛」の「神学的徳」です。
 本書では「アリストテレスの理論に洗礼が施される」(99p)という表現が使われていますが、トマスはアリストテレスの徳をキリスト教によって整理し、拡張するのです。

 まず、「信仰」ですが、この「信仰」において知性のはたらきを重視しているのがトマスの思想の特徴です。トマスは「信じる」ことと「知る」ことが互いに補い、支えあうと考えています。
 キリスト教において神は究極の知をもつ存在です。そしてその神の「知」を人間に伝えたのが預言者や使徒です。預言者や使徒による神の言葉を信じることは、思考の放棄ではなく、まさに思考を究極後に向かって確実に前進させるために必要不可欠なものなのです。

 では、このような「信仰」はどのようにもたらされるのか? キリスト教ではそれが「恩寵」によってもたらされるのか、「自由意志」によってもたらされるのか、という点で大きな議論があります。
 ペラギウス派は信仰の原因として人間の自由意志のみを考え異端とされました。一方、トマスよりも後の時代のマルティン・ルターは「恩寵のみ」と主張し、『奴隷意思論』を著しました。「ルターは、人間が救われるのは「恩寵のみ」「信仰のみ」「聖書のみ」によるのであって、「自由意志」とか「哲学」や「理性」などは無用の長物だと主張した」(146p)のです。

 これに対して、信仰は恩寵と自由意志の協働によってもたらされると考えるのがトマスの立場です。
 トマスは「我々の行為は、神によって恩寵を通じて動かされた自由意志から出てくるものである限りにおいて功徳あるものである」(151p)と述べています。友人から説得され自殺を思いとどまった人が、「友人の説得」+「本人の決断」で自殺を思いとどまったのと同じように、信仰も「恩寵」+「自由意志」によって成り立つというのです。

 次に「希望」です。「トマスによると、キリストには「信仰」も「希望」も存在しなかった」といいます(171p)。これだけ聞くと、「トマスはキリストが誰にも理解されない絶望の中をさまよっていたと考えていたのか?」と思ってしまいますが、そうではなく、キリストはすでに完全な存在であったため、「信仰」も「希望」も必要なかったのです。
 「「希望」の概念のうちには、「自分のまだ所有していないものを獲得することを期待する」という意味が含まれて」(171p)おり、キリスト教における「永遠の至福」を目指すための原動力となるものが「希望」です。

 最後に説明されるのが「愛徳」です。「愛徳」とはラテン語のcaritasという言葉の翻訳で、この本では「愛徳」、「愛」、または「カリタス」と訳されています。「愛徳」とは一時の「感情」ではなく、持続的で安定的な神学的な徳を表すときに用いられてきた表現です。
 キリスト教の愛というと隣人愛が思い浮かびますが、この本ではトマスの意外な見方が紹介されています。
 「献身的で自己犠牲的な隣人愛の教え」というキリスト教に対して多くの人が抱いている通念を前提にすると、トマスはかなり意外なことを述べている。それは、自己愛の隣人愛に対する優位というトマスの基本的な見解だ。(184p)

 このことから、「トマスは愛の根源に自己愛を置いた」(187p)と主張されることがありますが、著者に言わせるとこれは一面的な理解です。
 トマスによると自分自身が一致していること、つまり自己愛のあることが愛の根源にあり、それが神への愛へとつながっていきます。
 このあたりのことを著者は次のように述べています。
 神が私に直接的に愛(カリタス)を注ぎこんでくれるということは、この世界全体の根源である神が私の存在全体を受容し、肯定してくれているということほかならない。〜私は、自分がいかに不完全で欠点の多い存在であったとしても、その神からの根源的な受容と肯定を原動力とすることによって―愛(カリタス)を分有することによって―自己を自己自身によって受容し肯定することができる。それが自己愛の成立だ。そして、そのような自己肯定力が原動力となってこそ、私は、他者に対しても肯定的な仕方で関与していくことができるようになっているのである。(216ー217p)

 スコラ哲学というとなんとなく陰気な印象を持つ人も多いと思いますが、こうしたトマスの思想を読み解いていくと、実はかなりポジティブなものだということがわかります。
 著者は「トマスのカリタス論を理解すると、キリスト教を「自己犠牲」の宗教と捉える通念がいかに一面的なものであるのかが見えてくる」(225p)と書いていますが、この記述は、第5章でとり上げられる「善の自己伝達性・自己拡散性」という考えを見るとさらに納得できるものとなるでしょう。神は自らの善性を伝えるためにこの世界を創造したのです(236ー238p)。

 このようにこの本は、多くの人が小難しいイメージしか抱いていなかったトマス・アクィナスという思想家の生き生きとした面を、丁寧なテクストの読解を通して取り出してみせます。また、この本を読むとマルティン・ルターがスコラ哲学を嫌った理由も明確にわかると思います。
 
 個人的には、全体を通して非常に明快な説明がなされている中で、猛スピードで著作を書いていたトマスが晩年に「私が見、私に示されたことに比べると、私が書いたすべてのことは藁屑のように見えるのだ」という言葉を残し、『神学大全』の完成も放棄して沈黙したことについて説明した部分(39ー41p)だけは、ややレトリックでごまかされているような気もするのですが、その他の部分はできるだけ明解であろうとする粘り強い説明がなされており、トマス・アクィナスを知らなかった人でもあってもかなり深い部分まで連れて行ってくれる本だと言えるでしょう。

トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)
山本 芳久
400431691X

アリステア・ホーン『ナポレオン時代』(中公新書) 6点

 ナポレオンについての本ですが、タイトルが「ナポレオン時代」となっていることからもわかるように、この本はナポレオンの評伝ではなく、ナポレオンが反革命王党派の反乱を鎮圧した1795年からセントヘレナ島で死ぬ前年の1820年までの25年間を「ナポレオン時代」として、その期間の政治家・人間としてのナポレオンの動き(軍人としての活躍は軽く触れられている程度)と、ナポレオン統治下のパリの文化や風俗を描いたものになります。

 著者のアリステア・ホーンは1925年生まれのイギリス人で、ケンブリッジに学び、軍人として英国諜報部付き士官として中東に駐在したりしたのち、『デイリー・テレグラフ』の特派員としてドイツに滞在、その後著述活動に入り、19世紀のフランス史を中心に数々の著作を発表している人物です。
 修士号はとっているものの歴史学者というわけではないので文章は硬くないですし、またイギリス人ならでは皮肉も入っていてクスリとさせられますが、嫌味が効きすぎている面がなくもないです。このあたりは好みが分かれるところでしょう。

 目次は以下の通り。
序章 ナポレオン時代
第1章 権力への意志
第2章 時代はいつも次代を夢見る
第3章 運は女性のようなもの
第4章 栄光を求めて
第5章 建築・施工主
第6章 帝政様式
第7章 帝国の娯楽
第8章 ロマン主義の表象
第9章 没落
第10章 ラシーヌ通りにコサック兵が
終章 一つの時代の終焉

 ナポレオンは何よりも戦場での勝利によって成り上がった人物ですが、同時に革命の混乱を抑え込み、近代国家の枠組みをつくった優れた政治家でもありました。
 社会を安定に導いたものの一つがナポレオンの実利的な宗教政策です。ナポレオンはローマ教皇のピウス7世との間にコンコルダを結び、フランスをローマ・カトリックに復帰させましたが、それはナポレオンに篤い信仰心があったからというわけではありません。
 ナポレオンは1800年の時点で次のように述べていたといいます。
 宗教の助けなしに国家が円滑に統治され得るだろうか? 社会は富の不平等なしに存在し得ないものだが、その富の不平等は宗教がなければ維持され得ない……。ヴァンデ[フランス西部の県]を制圧できたのはカトリック教徒になったからだ……ユダヤ民族を統治するとなれば、私はソロモンの神殿を再建する! どれほど異なった道をたどっていようと、人々の魂は楽園を目指しているのであって、宗派によって道が異なるだけなのだ。(23-24p)

 フランス革命はさまざまな混乱をもたらしました。「道徳的にも軍事的、政治的にもぽっかり穴があいた。そこにナポレオンがすんなり滑り込んだ」(30p)というわけなのです。

 また、機能不全に陥っていた政府の機能を回復させ、近代国家の枠組みをつくったのもナポレオンでした。
 なんといっても有名なのは民法典(ナポレオン法典)の編纂です。のちにナポレオンが民法典の編纂こそが自分の最も偉大な業績と振り返ったのは有名ですが、実際、民法典の編纂のための109回の会議のうち57回に出席するなど、この法典の編纂に熱心に取り組んでいます。
 この民法典に財産の息子たちによる均分相続が盛り込まれたためにフランス社会の平等化は進みました。一方で、コルシカ人らしく女性を平等視していなかったため、女性の権利は後退しました(54p)。

 ただし、階級的な区別に関してはコルシカ島から持ち込みませんでした。ナポレオンの軍隊を支えた元帥たちの多くは庶民の出で、こうした人材をナポレオンは抜擢しました。ナポレオンには「四十五歳になる頃にはどの司令官も根性、ガッツを失ってしまう」(57p)という考えがあり、思い切った抜擢が行われたのです。
 ナポレオンに対して批判的な部分も多い著者ですが、「一つのフランス、一つの祖国」をつくり上げることに関しては、「後継者は言うまでもなく、ほとんどの先駆者よりも成功すること」になったと述べています(57p)。
 国立高等学校(リセ)の制度をつくったのもナポレオンですし、ソルボンヌ大学を復活させたのもナポレオンでした。

 このようにさまざまなことを成し遂げたナポレオンですが、その能力について著者は第3章の扉でフランスの軍人・外交官であったコランクールの次の言葉を引いています。
 そのときどきの行動あるいは議論に、彼はあらんかぎりの手段、能力、注意を注ぎ込んだ。万事に情熱を注いだ。それだから敵対者に対して圧倒的優位な立場を貫くことができた。と言うのも、いっときに一つの考え、一つの行動に百パーセント没頭できる人間はまずいないからだ。(63p)

 ナポレオンにおいて特筆すべきはその行動力でしたが、同時に「ここぞという瞬間まで待っていられるという類まれな天分」(74p)もあり、それが彼の成功の秘訣でした。
 さらにカンバセレス、フーシェ、タレーランといった「人気のない」政治家をうまく使ったのもナポレオンの特徴です。

 ナポレオンはパリの改造にも没頭しましたが、ナポレオン自身はたびたび遠征のためにパリを離れていました。
 そこでナポレオンは郵便網を整備し、手紙や命令書を次々とパリに送りました。その数は1807年の春だけで300通を超えるといいます(100p)。
 ナポレオンはルーヴルをつくり、古い街並みを取り壊し、セーヌ川に橋をかけ、水不足を解消するためにウルク川から運河を引きました。計画倒れになったものも多いですが、パリの大改造はナポレオンによって始められ、甥のナポレオン3世によって完成することになります。

 ナポレオンの統治下では装飾工芸が発展しましたが、ナポレオン自身はどちらかというと質実剛健を好み、派手なファッションを嫌ったようで、ジョゼフィーヌのピンクと銀色に輝くラメのドレスが気に入らず、インク瓶を投げつけて二度と着られないようにしたこともあるそうです(141p)。

 ナポレオンは芸術分野にも介入しましたが、これはあまり良い効果をあげませんでした。
 ナポレオンは自らの道徳観を反映するようにしばしば演劇の内容に介入し、帝政に批判的な作品は片っ端から禁止しました。この時代には小説などにも見るべきものは少なく、ナポレオンの検閲が芸術分野に良くない影響を与えたことが窺えます。
 
 ナポレオンについては自国の芸術分野を発展させたというよりは、他国においてロマン主義のシンボルになったという面のほうが強いかもしれません。第8章ではナポレオンがイギリスやドイツの知識人や芸術家にどのように言及されたのかということが述べられています。

 しかし、ナポレオンにも没落のときが迫ります。マリー・ルイーズとの結婚と皇太子の誕生という慶事はありましたが、ナポレオン軍はスペインで苦戦し、そしてロシア遠征で大敗します。
 1813年のライプチィヒの戦いで決定的敗北を喫し、ナポレオンは退位し、エルバ島へと送られました。その後、ナポレオンはエルバ島を脱出し、いわゆる「百日天下」が始まりますが、ワーテルローの戦いで敗北。大西洋の孤島であるセントヘレナ島に送られることになるのです。

 終章で著者はアンドレ・モーロワのナポレオンは「平等を信じ、自由を信じていなかった。彼がフランス革命を称賛したのは、それが君主制と封建制を打破したからだった」(269p)という言葉を引いていますが、これは確かその通りかもしれません。
 この本を読むと、ナポレオンの壮大な野望と細かいところへのつまらない介入、進取的な部分と保守的な部分が見えてきますし、そのナポレオンが統治したフランス(パリ)がいかなるものだったのかということがわかります。

 ただし、叙述に関しては結構入り組んでいる部分はあります。また、はじめにも書いたように著者の書きぶりをアイロニーと取るか、たんなる嫌味と取るかで好き嫌いが別れる部分はあると思います。
 個人的には、ナポレオンのパリの改造が途中で挫折したことに関して、「もしパリの人々に感謝の気持があるのなら、町の救世主として、目ぼしい広場のどれか一つにでも「鉄の公爵[ウェリントンの異名]の名を冠するくらいのことをしてもバチは当たらないというものだ」(129ー130p)とか、「(ドラクロワは「現代絵画の父」と称えたが、金目当ての通俗画家という印象の拭えない)ダヴィッド」とかいうのは明らかに「書きすぎ」のような気もします。

 あと、「解題」があるのは親切なのですが、解題を担当した安達正勝の描くナポレオン像はかなり古典的で、もう少し近年の研究の動向なども知りたいと思いました。
 
ナポレオン時代 - 英雄は何を遺したか (中公新書)
アリステア・ホーン 大久保 庸子
4121024664

関満博『日本の中小企業』(中公新書) 7点

 長年、日本の中小企業を観察し続けてきた著者が、さまざまな事例を通じて現在の日本の中小企業が置かれている難しい環境とその突破口を探ろうとした本。製造業を中心とした豊富な事例はどれも興味深いものですし、また、「事業承継」という日本の中小企業の最大の問題をわかりやすい形で指摘しています。

 目次は以下の通り。
第1章 減少する日本の事業所と中小企業
第2章 既存事業部門で起業
第3章 新たな事業分野に踏み込む創業企業
第4章 事業承継が中小企業の最大の課題
第5章 人口減少・高齢化、そしてグローバル化を前にして
終章 新たな構図へのチャレンジ

 1980年頃まで、中小企業政策の分野では「小さい企業が多すぎる」という「過小過多」の問題がしばしばあげられていましたが、現在、中小企業はその数を急速に減らしています。
 1991年には655万9377あった民営事業所は2016年には535万9975となっています。特に製造業の事業所の現象は著しく、1986年に87万4471あった事業所は2016年には45万3810と、その数をほぼ半減させています(6-9p)。
 「ベンチャー」、「起業」といった言葉がもてはやされるようになった昨今ですが、その数を増加させているのは「医療・福祉」、「農業・林業」くらいです。

 日本で廃業率が開業率を上回るようになったのは90年代前半です。特に製造業では90年前後から一貫して廃業率が開業率を上回る状態が続いています(20pの表1-5参照)。
 製造業の退出は、設備投資の負担が大きく、重量級であり、3K色の強い部門から進んでいきます。機械金属産業だと、鍛造、熱処理、メッキ、大物製缶溶接、大物機械加工といった順番です(22p)。
 3K色の弱い金型でも、以前は中古のフライス盤1台、数十万円の投資で起業できましたが、現在はマシニングセンター(MC)、放電加工機、研削盤などを揃える必要があり、初期投資に少なくとも1億円が必要だと言われています(25p)。
 製造業の起業は以前に比べて格段に難しくなっているのです。

 第2章、第3章では、創業についての数多くの事例があげられていますが、ここでは興味深いと思ったいくつかのものを紹介したいと思います。
 まずは、富山の匠技研です。1971年生まれの石田竜也氏は不二越と関係のふかいテクノ工房という企業で、キサゲと呼ばれる機械にミクロの傷をつけてそこを油溜まりとし円滑に動かす技術を習得します。
 ところが、テクノ工房は2008年のリーマンショックを機に倒産してしまうのです。石田氏が説明のために不二越に出向いたところ、「なくなっては困る。あなたがやりなさい」と起業を勧められ、起業したのが匠技研です。石田氏は「誇れる技術があれば、不況になっても仕事がまったくなくなることはない。ここは自分に賭けようと思った」と語っています(45-46p)。

 次は前橋に本社を置くファームドゥ。創業者は1954年生まれの岩田雅之氏で、もともとカインズホームの社員でした。
 岩田氏はカインズホームの農業資材関係の売れ行きが良いこと、同じく農業資材を扱うカクヤス商販の「農家の家」が賑わっているのに触発されて、農業資材販売店を立ち上げます。
 この店は「ファームドゥ農援'S」として軌道に乗り店舗数を増やしますが、吉岡店が苦戦。そこで岩田氏は地元の農家の食品などを扱う「食の駅」というビジネスを思い立ち、これを成功させます。さらに近年ではモンゴルやミャンマーなどにも進出しており、農業を中心に多角的な経営を行っています。

 起業というと、やはりITや先端技術を使ったものが思い浮かびますが、この本ではそうした事例も紹介されています。
 IT分野でとり上げられているのが、「サッポロバレー」とも呼ばれている札幌駅北口近辺で創業したインフィニットループです。
 インフィニットループの創業者は1977年生まれの松井健太郎氏。26歳のときに1人ででインフィニットループを立ち上げ、ゲームをヒットさせて会社を大きくしました。
 ゲーム業界というと人材の確保が課題ですが、インフィニットループではUターン、Iターンの人材を積極的に採用しています(Iターンは北海道の冬の厳しさもあって定着率はよくないらしい)。松井氏は「東京のお金で研修させてもらっているようなものだ」と語り、東京に本社を移転させるようなことは考えていません。「むしろ、東京の仕事を東京の価格で取ってきて、札幌のコストでこなし、利益を出す」と考えています(72p)。

 牛の尿を原料とする不思議な消臭剤で起業したのが環境ダイゼンの窪之内覚氏(1943年生まれ)です。
 北海道北見市では畜産が佐官ですが、牛の糞尿による悪臭や汚染が問題となっていました。窪之内氏は地元のホームセンター「ダイゼン」で店長をしていましたが、そこに地元の酪農家が牛の尿を善玉菌で発酵・分解した液体を園芸売り場で売って欲しいとやってきました。
 以前からアンモニアの悪臭を消せる消臭剤がないと思っていた窪之内氏はこの液体に注目し、大学などで安全性を確認した上で消臭剤「きえーる」として売り出します。この「きえーる」は順調に売上を伸ばしましたが、窪ノ内氏の定年も迫ってきました。「自分が関わらなくなったら、よくわからない商品として消えてしまうだろう」と考えた窪之内氏は、退職金代わりに商品の権利を受取り、63歳のときに環境ダイゼンを起業します(96-97p)。このビジネスは順調に伸び、現在は2億円以上を売り上げています。

 第4章では、この本のメインテーマの一つとも言える中小企業の事業継承の難しさが語られています。
 中小企業の跡継ぎは子どもや親族に限るべきではないというのは正論ですが、現実にはなかなか難しい面があります。特に日本で問題となるのが個人保証の問題です。
 例えば、創業者の社長が目をかけていた従業員に社長の座を譲ろうとしたとき、本人はともかくとしてその妻が反対するケースが考えられます。社長になるということは、大抵の場合、個人保証を引き受けることであり、自宅を抵当に入れることだからです。
 非親族の経営陣に譲渡するMBO、従業員に事業ごと譲渡するEBOも考えられますが、製造業の場合、億単位のお金が必要になることも多いのです。

 というわけで、現実的な候補は息子・娘・娘婿ということになります。
 3代目が家業を継承しつつ、他の中小企業から技能と事業を受け継いだのが、東京都墨田区の岩井金属金型製作所です。岩井金属金型製作所はシガレットライターのケースの深絞りなどを行っていましたが、3代目の岩井保王氏(1969生まれ)が家業に入った頃には100円ライターの普及もあって仕事は激減。保王氏は他の仕事をこなすために他工場で技術の習得に励みます。
 そんな中で、声をかけてきたのは六角矢突き加工という六角の穴を開ける加工を行っていた高橋プレスの高橋巌氏です。この時、高橋氏はガンを患い余命1年とされていましたが、このままでは客に迷惑がかかると考え、保王氏に話を持ちかけたのです。保王氏は泊まり込みで指導を受け、南関東で唯一、1個から対応する六角矢突き加工の事業所となりました。高橋プレスの事業は継承されませんでしたが、技能は保王氏に継承されたのです。

  室蘭のキメラはMBOが成功した例です。キメラの前身は協和精工という神奈川の企業でした。ところが、80年代、神奈川では人材が集まらず、定着もせずで、工場労働の求職者が多い室蘭に移転することを決意します(ちなみに第2章でこのキメラから独立したアルフという企業が紹介されている)。
 この後、キメラは順調にその規模を拡大させ、日本を代表する精密加工、金型部品企業として知られるようになっていきます。
 創業者の宮崎秀樹氏(1949年生まれ)は、当初から「60歳で引退する」と宣言しており、事業は取締役工場長の藤井徹也氏氏(1963年生まれ)に引き継がれました。宮崎氏の個人保証がほとんどなかったことも事業継承がうまくいった一因だといいます(130-131p)。
  
 高知県四万十市の大宮地区では閉鎖されるJAの店舗を住民出資の株式会社で再開したケースがあります。
 大宮地区は過疎の進む地域で、2011年に小学校が閉校となるなど地区の機能が次々と縮小されている地域でした。JAの店舗も2004〜05年に閉鎖の話が持ち上がり、06年に廃止されることが決まりました。
 しかし、JAの店舗がなくなってしまってはガソリンや日用品が手に入らなくなると考えた住民たちは存続のために動き出します。農業組合法人も考えられましたが、それではガソリンの氏入りと販売ができないということで株式会社の設立が決まりました。ボランティア的な手伝いもありますが、米の販売などに力を入れるなどして現在まで黒字を保っているそうです。
 このような地域による事業継承という形もあるのです。

 第5章では人口減少、高齢化、グローバル化という条件を活かして事業を伸ばして企業が紹介されています。
 農業は高齢化と担い手不足に悩まされている産業ですが、北海道江別市では7戸の農家が集団化し、農業生産法人・輝楽里を設立し、業績を伸ばしています。
 集団化することにより農業機械の削減が可能になり(日本では農家1戸に1台というケースが多い)、ホクレン(JA)に頼らない販路の開拓も可能になりました。また、今まで家事、育児、農作業、介護に追われてきた女性も、この法人化によって農作業の部分に余裕ができ、加工場などをつくったといいます(161-162p)。
 また、この他にもほっかほっか亭の店舗経営から、真空パック調理法を使った介護施設向けの食事提供事業、買い物代行や御用聞きサービスへと事業を展開している島根県出雲市のモルツウェルの事例などが紹介されています。

 グローバル化への対応としては、沖縄から中国の南寧に進出した金属加工のタイガー産業、中国に進出したプレス加工の第一金属工業、金型事業を中心に積極的に海外に進出しているゼノー・テックの事例が、イノベーションに果敢に挑戦した例としては染色整理仕上機械からフィルム部門へと転身を果たした市金工業社が紹介されています

 最後の終章では、1985年のプラザ合意から1992年のバブル崩壊にかけて日本の製造業の大きな転換点があり、それまではアメリカを目標としてひたすら努力すればよかったが、これ以降はアジアの比重が増え、また人口減少の中でいかに市場を見出すかという難しさが加わってるというまとめがなされています(ここで本土が1ドル=360円だったのに対して沖縄では1ドル=120B円と円高に設定されており、沖縄の製造業が育つ余地が少なかったという指摘は重要だと思う(199-200p))。

 このようにさまざまな創業や事業承継、新分野への進出などの事例が簡潔かつ的確に紹介されているのが本書の一番の魅力でしょう。「これからは起業だ!」とかそういう本ではありませんが、起業などを考えている人は目を通しておくと良いと思います。
 そして、起業などを考えていない人にも日本の中小企業の姿を切り取った本、あるいは日本の製造業の現状を描いた本として面白く読めると思います。

日本の中小企業 - 少子高齢化時代の起業・経営・承継 (中公新書)
関 満博
4121024680

2017年の新書

去年の「2016年の新書」というエントリーを書いてからここまで、56冊の新書を読んだようです。
 とりあえず1年の感想を言うならば去年に引き続き、今年も豊作だったと思います。特に今年の中公新書のラインナップは素晴らしく、他社のレーベルを引き離して「一強」状態だったのではないでしょうか。
 一応、順位をつけて並べる形にはなりますが、上位5冊、さらに次点としてあげる+4冊までほぼ横一線という形です。


ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か (中公新書)
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 発売は去年の本ですが、去年のランキングをつくった後に読んだ本なのでここに入れています。  昨今の政治を語る言葉としていささか氾濫気味の「ポピュリズム」という言葉。この本はその言葉に明確な定義を与えるというよりは、昨今のヨーロッパ政治に登場したさまざまなポピュリズム政党を見ていくことで、ポピュリズムの広がりとその戦略を捉えようとしています。  
 「リベラル」なポピュリズム、ポピュリズムの「イデオロギーの薄さ」、ポピュリズムにカリスマ的な指導者はいらないこと、国民投票制度の落とし穴など、普段新聞やテレビを見ているだけではわからないポピュリズムの融通無碍な姿(だからこそ厄介でもある)が見えてくると思います。(紹介記事はこちら


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 ハプスブルク帝国(本文では「ハプスブルク君主国」と表記)1000年の歴史を440ページ超のボリュームで描いた野心的な書物。中世から現代という時代の長さ、ドイツ(オーストリア)だけでなくハンガリーやチェコ、スペインという地理的な広がりをきちんと射程に収め、なおかつそれぞれの時代の社会や文化にも触れながら1000年の歴史が描かれています。  
 さらに「礫岩<のようなさまざまな要素の寄せ集めの>国家」といった最近の歴史学のキータームを盛り込みつつも、フェリーペ2世、ルードルフ2世、マリア・テレジア、ヨーゼフ2世といった有名人物のエピソードも忘れないという著者の叙述のバランス感覚には脱帽です。(紹介記事はこちら


分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)
近藤 康史

4480069704
筑摩書房 2017-06-06
売り上げランキング : 52042

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 去年のBrexit(EUからの離脱の国民投票)によって一気に注目をあつめることになったイギリスの政治について、その制度と歴史、さらに現在の機能不全を分析した本。  
 長年、「ウェストミンスター・モデル」として日本の政治改革などのモデルとされてきたイギリスの政治ですが、近年ではBrexitに代表されるような問題も目立ってきています。この本ではイギリスの戦後政治をたどりつつ、社会の変化がいかに制度の機能不全をもたらしたか、制度の変化がいかに政治の統合機能を弱めたかということが分析されています。  
 イギリス政治を知るだけではなく、「デュヴェルジェの法則」、「経路依存」、「マルチ・レベルでの選挙制度の混合応問題」など、政治学のキータームが学べる本でもあります。(紹介記事はこちら


脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦 (中公新書)
渡辺 正峰

4121024605
中央公論新社 2017-11-18
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 意識の謎や不思議を扱った新書としては、下條信輔の『サブリミナル・マインド』(中公新書)、『<意識>とは何だろうか』(講談社現代新書)という非常に面白い本がありましたが、その下條信輔の研究室にいたこともある著者が、意識に関する研究の最先端を紹介し、さらに意識の謎を解くための方向性を示した本。  
 下條信輔の本が人間の経験するマクロ的な現象から意識の謎を探ったのに対して、この本では、著者が脳神経科学者ということもあって、脳やシナプスといったミクロ的な面からアプローチがなされています。  
 紹介される実験や理論はやや難しいものも多いのですが、その筆致は非常に「熱く」、科学の最先端における人間のドラマといったものも感じさせ、読ませる力があります。(紹介記事はこちら


プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)
深井 智朗

4121024230
中央公論新社 2017-03-21
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 1517年にルターが「九五か条の提題」を貼り出してから500年。そこから始まった「プロテスタンティズム」について書かれたのがこの本です。  
 ただし、この本は必ずしも宗教改革だけに焦点を当てた本ではありません。また、ルターやカルヴァンの思想に焦点を当てた本でもありません。プロテスタンティズムがどのような政治的・社会的コンテクストの中で生まれ、そのプロテスタンティズムがどのようにその後の政治や社会に影響を与えていったのかということが、この本の中心的テーマになります。  
 大胆にキリスト教の中にプロテスタンティズムを位置づけ、プロテスタンティズムのその後の展開と政治や社会との関係を描き出す筆致は非常に刺激的で、政治学や社会学に興味のある人にも非常に面白く読めると思います。(紹介記事はこちら



 次点は小川剛生『兼好法師』(中公新書)、池田嘉郎『ロシア革命』(岩波新書)、中北浩爾『自民党―「一強」の実像』(中公新書)、伊藤公一朗『データ分析の力』(光文社新書)といったところになります。

 さらにその後に続くのが、富田武『シベリア抑留』(中公新書)、梶谷懐『日本と中国経済』(ちくま新書)、金成隆一『ルポ トランプ王国』(岩波新書)といたところでしょうか。
 また、坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)、飯田泰之『マクロ経済学の核心』(光文社新書)と、ミクロ経済とマクロ経済でそれぞれ良い本がでたのも(難易度はけっこう違いますが)、今年の収穫といえるのではないかと思います。

 ここまで書名をあげたのは14冊ですが、そのうち中公新書が6冊。やはり2017年は中公の年だったと思います。

渡辺正峰『脳の意識 機械の意識』(中公新書) 9点

 意識の謎や不思議を扱った新書としては、下條信輔の『サブリミナル・マインド』(中公新書)、『<意識>とは何だろうか』(講談社現代新書)という非常に面白い本がありましたが、その下條信輔の研究室にいたこともある著者が、意識に関する研究の最先端を紹介し、さらに意識の謎を解くための方向性を示した本。
 下條信輔の本が人間の経験するマクロ的な現象から意識の謎を探ったのに対して、この本では、著者が脳神経科学者ということもあって、脳やシナプスといったミクロ的な面からアプローチがなされています。
 紹介される実験や理論はやや難しいものも多いのですが、その筆致は非常に「熱く」、科学の最先端における人間のドラマといったものも感じさせ、読ませる力があります。

 目次は以下の通り。
第1章 意識の不思議
第2章 脳に意識の幻を追って
第3章 実験的意識研究の切り札 操作実験
第4章 意識の自然則とどう向き合うか
第5章 意識は情報か、アルゴリズムか
終章 脳の意識と機械の意識
 
 AIが発達し、人間を追い越す、あるいは、もはや追い越していると言われている昨今ですが、果たしてAIが意識を持つようになるのか? というとそれはなかなか難しい問題でしょう。
 「意識があるのか?ないのか?」というのは外からは観測しがたいものですし、そもそも何をもって「意識がある」と判定できるのかというのも簡単に決められることではないからです。

 しかし、人間には意識があります。他人の顔を見れば「顔を見ている」という感覚がありますし、音楽を聞けば「音を聞いてる」という感覚があります。
 一方で、最近のデジカメやスマホのカメラには顔を認識する機能がありますが、デジカメに「顔を見ている」感覚があるかというと否定的に考える人が多いでしょう。
 この「顔を見ている」「音を聞いている」といった感覚をクオリアといいいます。人間の脳も基本的には複雑な電気回路にすぎないはずなのですが、デジカメにはクオリアは発生せず、人間の脳には発生する。これがクオリア問題、そして意識の問題の難しさです。

 この本では人間の五感の中の、特に視覚に重点を置いて話が進められています。
 私たちは「ありのままの世界」を見ているように感じているかもしれませんが、実際には視覚から得られた情報を脳が補ったり補正したりしています。錯視図形などは脳が勝手に視覚を補ってしまっていることを示す例です。
 そして、ときに「見ているはずなのに見ている感覚がない」ということもあります。2つの図形を片方の目でそれぞれ見るようにすると、両方見ているはずなのに片方の図形の模様しか見えないことがあるのです(19pの図1-4参照)。これを両眼視野闘争といいます。また、脳腫瘍の治療の為に第一次視覚野を切除された患者で、本人には見えている意識がないのに近くにある対象物を無理やり答えさせてみるとかなりの正解率で当ててしまうということが報告されています(17p)。どうやらクオリアなき視覚というのも存在するようなのです。

 DNAの二重らせん構造を発見し、意識の科学の黎明期にも貢献したフランシス・クリックは「あなたはニューロンの塊にすぎない」という言葉を残していますが(23p)、意識の源にもニューロン活動があります。
 このニューロンの活動については研究も進み、人間の脳が基本的には複雑な電気回路であることが突き止められました。しかし、その電気回路になぜか意識が宿るのです。

 では、脳のどこに意識は宿るのでしょうか? その問題にチャレンジしたのが著者の恩師でもロゴセシスです。
 第2章では、このロゴセシスの実験をはじめとしてさまざまな話題が盛り込まれており、ついていくのが大変な部分もあるのですが、冒頭に置かれた「良い実験」、「普通の実験」、「悪い実験」の話をはじめとして、興味深い話題が多いです。
 ここでいう「悪い実験」とはいかなる実験結果が出ようとも仮説に影響を与えない実験、「普通の実験」とは狙い通りの結果が出れば大きなインパクトが出る実験(だからこそ狙い通りの結果を出さねばというプレッシャーもあり、研究不正につながりやすい)、「良い実験」とは結果のいかんにかかわらず重大な知見をもたらす実験です(54-61p)。

 ロゴセシスの実験とはサルに両眼視野闘争を経験させ、その最中にニューロン活動を計測しようというものです。
 ロゴセシスはサルが画面上の一点を見つめられるようにすることから訓練を始め、3年かけて一匹のサルが近く報告を続けられるまでにこぎつけました。そして、サルに両眼視野闘争を経験させることに成功したのです。
 
 視覚の視覚対象の形を処理する経路は、第一次視覚野→第二次視覚野→第三次視覚野→第四次視覚野→IT(下則頭葉皮質)となっています。第一次視覚野では明点・暗点だったものが処理が進むに連れてそれが線分になり、さらに簡単な図形になって、さらには図形アルファベットと呼ばれる基本的な部品(顔や手などを特別に認識)として認識されます(86-90p)。
 ロゴセシスはサルに両眼視野闘争を経験させると、ITの8割を超えるニューロンが活動することを突き止めました。ただ、ITといえども両眼視野闘争をとは関係なく発火しているニューロンもあり、ITでも意識と無意識は共存しているらしいのです(95-99p)。
 その後、ロゴセシスはマックス・プランク研究所とマサチューセッツ工科大学からオファーを受けますが、サルの脳の動きをより詳細に研究するためのサル用のfMIRを開発を受け入れることを条件にマックス・プランク研究所を選び、fMIRとニューロンの同時計測に成功しました(113-114p)。

 こうした研究などを経て、現在ではNCC(「固有の感覚意識体験を生じさせるのに十分な最小限の神経活動と神経メカニズム」(117p))が探求されています。
 これには、例えば網膜なども含まれるように思えますが、夢の存在を考えると、網膜抜きの視覚体験というものも存在します。脳のどこかにNCCを担う場所があると考えられるのです。

 第3章でも引き続き、意識の宿る場を探す実験が紹介されています。
 まずはTMS(経頭蓋磁気刺激)と呼ばれる方法です。これは強力な電磁石によって頭蓋の上から脳に磁場を加え、そこから発生する電流でニューロンを直接刺激するものです。著者も経験したことがあるそうですが、この刺激を受けると本人の意志とは関係なく腕が肩よりも高く上がったそうです(130-132p)。
 このTMSを使って下條信輔らは、視覚刺激が未来を先取りしているという奇妙な現象を発見しました(132-134p)。

 ここで登場するのが有名なベンジャミン・リベットの実験です(下條信輔翻訳の『マインド・タイム』で詳しく紹介されている)。
 リベットはまず、開頭中の患者の脳に対し直接電気刺激を与える実験を行いました。この実験では刺激が0.5秒以上続かないと知覚されないことを明らかなり、それ以下の時間では知覚されなことがわかりました。さらに、リベットは脳への直接の電気刺激と皮膚刺激を同時に行う実験をしました。脳への電気刺激は0.5秒持続しないと知覚されないので、皮膚刺激のほうが早く知覚されそうなものですが、驚くべきことに両者は同時に知覚されました。どうやら皮膚刺激のほうも0.5秒遅れて知覚されており、しかもいざ近くが発生したときにはその近くのタイミングは遡って知覚されているようなのです(135-138p)。

 野球のピッチャーが投げる160キロのボールは0.4秒で打者に到達します。もし知覚に0.5秒の時間が必要なら、その球は誰も打てないはずです(気づいたときにはキャッチャーミットに収まっている)。しかし、160キロのボールを打つ打者は存在します。これをどう考えればいいのでしょうか?
 バッターのスイングは打者が球を意識する前から始まっています。そして、無意識のうちに動き出したバットが球を捉えます。ここでのインパクトも0.5秒遅れて経験されているはずですが、前出の遡った知覚によって一連の動作はスムーズに体験されるのです。

 リベットは動作は無意識のうちに始まるといっても、それを途中で止めることもできるということから自由意志を擁護しようとしましたが、そのドタキャンがいつ準備されているかということを考えると、これら一連の実験は自由意志を否定しかねないものです(リベットが自由意志を否定していないにも関わらず、「リベットの実験=自由意志の否定」と書いてある本があってずっと疑問に思ってきましたが、今回この本を読んで納得できました)。
  
 この本ではこの自由意志の否定を補強する実験として、2つの顔写真を見せて1枚を選択させて被験者に渡し選んだ理由を述べてもらう作業で、選択した写真を渡す瞬間に選ばなかったほうの写真をすり替えても被験者は気づかずに選んだ理由を滔々と語りだしてしまうというものを紹介しています(147-149p)。
 「脳が、自由意志という「壮大な錯覚」をわれわれに見せている」(149p)のです。

  このあと、3章では「オプトジェネティクス」と呼ばれる実験手法と、著者らはその手法を使ってマウスに対して行った実験とその結果が紹介されているのですが、かなり専門的なのでここでが割愛します(内容は難しいですが、実験アイディアを盗まれすっぱ抜かれそうになったエピソードなどは興味深いです)。

 第4章では、もしNCCが突き止められたとして、それで意識の謎が解けるのか? という問題がとり上げられています。    
 しかし、その答えは否です。目の前のリンゴに対してあるニューロン群が発火することが確かめられても、リンゴを見た「あの感じ」がなぜその神経回路から立ち上がってくるかはわからないからです。

 哲学者のデイヴィッド・チャーマーズはサーモスタットにも意識は宿ると主張しました(182p)。これは荒唐無稽な主張にも思えますが、主観と客観の間には大きな隔たりがあり、意識について何もわかっていない現在では、この主張を簡単に退けることもできないのです。

 これを突破する一つの方法は、「意識の自然則」を見つけることです。あらゆる科学の基盤には万有引力の法則や光速度不変の原理のような自然則があります。
 この自然則について、まだまだ探求は始まったばかりなのですが、この第4章の後半では自然則を見出すためのさまざまなアイディア、そして機械が意識を持つのか否かという問題が紹介されています。

 第5章は、「意識は情報か、アルゴリズムか」と題し、意識とは何かという問題が改めて追求されています。
 まず、意識を情報と考える見方ですが、ここでは複数の情報が統合されることで、個々の情報の和を超える情報が手に入ることがあることがポイントになります。センサーは隣のセンサーのことを気にしませんが、脳では複数のニューロンの情報が統合されています。そして、この統合が意識を生み出すというのです。

 しかし、著者は情報はそれだけでは意味を持たず、解釈されることが必要なことから、意識を情報と捉える見方に否定的です。
 著者が意識の自然則の客観的対象として提案するのは、情報としてのニューロンの発火ではなく、その情報を処理・解釈する「神経アルゴリズム」です。

 著者は脳の中に一種の仮想現実があると考えます。現実世界の一部分が脳の中だけで再現される夢はそのもっとも特徴的な例です。また、夢以外でも241pの錯視図形などを見れば、脳が「見え方」をつくりあげていることがわかります。他にも、あるはずのない手が痛む「幻肢」など、脳が外の世界を認識し、身体を動かすために、ある種のシミュレータを動かしていることが推定できます。

 このあと、生成モデルや逆誤差伝播法について説明があるのですが、ここも自分に噛み砕いて説明する能力がないので、詳しくは本書を見てください。
 視覚というと、網膜で捉えられたものがだんだんとリアルな形へと処理されていくと考えられがちですが、どうやら記号的な表現から低次の表現をつくりだす機能もあるようで、この実際に見たものと記号の誤差の計算と修正が脳の中で行われているというのです。
 
 このモデルはリベットの見つけた「意識の遅れ」の問題もうまく説明します。生成モデルの神経アルゴリズムでは、生成誤差(生成過程の結果と感覚入力との間の誤差)が最小になるまで繰り返し計算されます。そして、その計算が終わるまでその結果を意識からブロックする仕組みがあると想定されるのです(277p)。
 バッターはピッチャーが投げた瞬間にそのボールに反応します。しかし、そのボールの正確な姿は処理しきれていません。とりあえずの刺激に体は反応しますが、その正確な姿は修正を受けた後に遅れて登場するのです(278-279p)。

 終章では意識を機械に移植できるのか? という問題がとり上げられています。そして終章の中のコラム「意識の自然則最高」の中で、著者は次のように述べています。
 神経アルゴリズムとしての生成モデルは、世界を取り込む鏡のようなものと考えられる。表面の見てくれだけでなく、その因果的関係性を含めて取り込む鏡だ。その取り込みが生じたときに、取り込んだなりの感覚意識体験が生じるのではないだろうか。(中略)
 意識の自然則の一般形は、この「取り込む」にあるのだろうと筆者は考えている。必ずしも、地球型の中枢神経の形をとっていなくとも、何かが何かの因果的関係性を取り込んだとき、そこには、取り込んだものの感覚体験=クオリアが生じるのではないだろうか。
 だとすれば、自動運転車などには、すでに意識が生じていることになる。各種センサー情報をとおして、外界の因果的関係性を取り込み、事故回避などの自らの行動に反映させているからだ。(303-304p)

 必ずしもわかりやすい本ではないですし、自分に脳科学などの知識があまりないこともあって、このまとめも不十分なものだと思います。また、専門家が見れば、やや「勇み足」に思える部分もあるのかもしれません。
 それでも、意識の謎を解くために積み重ねられた実験や研究の巧妙さや大胆さと、その実験や研究を踏み台にして、さらに探求を進めようとする著者の熱意が伝わってくる本です。若い人の中にはわからないなりにも読み通して、この本の熱に「やられてしまう」人もいるのではないかと思います。この本はそういう「エネルギー」を持っています。

脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦 (中公新書)
渡辺 正峰
4121024605

渡邉泉『会計学の誕生』(岩波新書) 6点

 副題は「複式簿記が変えた世界」。副題から複式簿記の発明や、その後の会計の発展が社会にどのような影響を与えたかということを書いた本かと思いましたが、どちらかと言うと複式簿記やキャッシュ・フロー計算書のような現在の会計を構成する要素が、どのような歴史の中で生まれてきたかを論じた本になります。
 中世イタリアの商人たちの記録から近世のオランダを経て、産業革命後のイギリス、そしてアメリカで発展していった会計の歴史を辿っていきます。

 目次は以下の通り。
序章 複式簿記のルーツを探る―ルネサンス前夜
第1章 複式簿記の誕生―債権債務の備忘録
第2章 複式簿記の完成―有高計算を帳簿記録で検証
第3章 世界最初の簿記書とその後の進化―年次決算の確立に向けて
第4章 会計学の誕生―決算書類の登場と会計士
第5章 キャッシュ・フロー計算書―利益はどこに消えたのか
終章 会計の本来の役割―会計学と経済学の違い

 現存する最古の勘定記録は1211年にフィレンツェの銀行家が定期市で記録した2枚の羊皮紙だとされています。記録されているのは貸付記録(借方)のみです。
 記録はローマ数字で書かれており、簿記の記入に便利なアラビア数字はまだ使われていません。アラビア数字が使われた最も初期の帳簿はフィレンツェのファロルフィ商会サロン支店の帳簿(1299~1300)だと言われています。
 
 このころのイタリアでは商売のための組合が設立されていました。ヴェネツィアでは血縁によって構成された家族組合が、フィレンツェでは市民が3~5年の期間を区切って事業を行う期間組合が数多くつくられました。
 家族組合では期間を区切って損益を計算する必要はあまりありませんが、期間組合の場合は一定期間での損益計算が必須となります。そのためにビランチオと呼ばれる利益処分計算書と財産目録が一緒になった財務表がつくられました。
 しかし、この利益計算を実地棚卸のみで行うと、その信憑性には疑問がつきます。棚卸しをごまかすことも可能だからです。そこで、実際の取引記録に基づく損益計算書が求められることになります。ここから複式簿記が生まれてくることになります。

 簿記の姿を大きく進展させたのが1333~1338年にかけてのフィレンツェのコルビッチ商会の帳簿だといいます。
 コルビッチ紹介はヤコポ・ジラルミ、フィリッポ・コルビッチ、トマーソ・コルビッチの3人が結成した金融業の組合で、それぞれ別の場所に支店を開いて営業していました。
 コルビッチ商会の経営自体はあまりうまくいっていなかったようですが、帳簿は毎年2月1日に1年間の利益を計算して出資者に分配し、棚卸しに基づいた利益の修正も帳簿上で行っています。著者は「コルビッチ商会の帳簿によって複式簿記の完成を見ることになります」(44p)と書いています。
 17世紀のオランダで完成したとされている期間損益計算も行われている非常に先進的なものだったのです。

 それまで利益は実地の棚卸しから、つまりストックの面から計算されていました。一方、コルビッチ商会の帳簿は、取引の記録、つまりフローの面からも利益を計算しようとしています。
 著者は、「「もの」の世界(現金や土地や建物といった取引の結果としての具体的な事物)を「こと」の世界(現金や土地や建物を生み出した原因としての抽象的事実)で立証しようとしたところに、複式簿記の本質」(49-50p)があるといいます。
 ストックよりもフローを重視するのが現代の会計の基本なのです。

 世界最初の簿記書は、数学者でもあり僧侶でもあり大学教授でもあったルカ・パチョーリによって1494年に出版された『スンマ』です。『スンマ』は簿記の専門書ではなく、数学に関する615頁におよぶ大著で、その中の26頁が簿記にあてられています。 
 パチョーリはレオナルド・ダ・ヴィンチにも影響を与えた人物で、この『スンマ』には商人の心得や帳簿の繰越の仕方などが書かれています。

 会計をさらに発展させたのが17世紀のオランダでした。オランダでは本格的な株式会社である東インド会社がつくられ、そうした企業の誕生にともなって新しい簿記システムが生み出されました。
 ①一年ごとに利益を計算する期間損益計算書の確立、②精算表の出現、③固定資産や棚卸資産の時価による評価替えの登場、④口別損益勘定の統括化の登場、⑤貸借対照表の萌芽的形態としての資本金勘定、などです(73p)。

 18世紀のイギリスになると、商業数学や簿記の教科書が登場し、アカデミーやグラマー・スクールで用いられるようになります。
 また、小規模の小売商などの間では、複式簿記は複雑すぎるとして単式簿記が普及します。『ロビンソン・クルーソー』で知られるダニエル・デフォーは経済思想家でもあり、単式簿記の提唱者でもありました。単式簿記では債務と債権と残高が計算され、利益を求めることはできません(著者は単式簿記といっても借方・貸方の双方を記録した複式簿記の簡易版であり、単式簿記と呼ぶのは不適切だと述べています(85p))。
 一方、海外貿易に従事する商人たちはより複雑な実用簿記と呼ばれるものを求める声もありました。

 また、株式会社が一般化してくると株主に資産や負債や利益を報告する必要が出てきます。
 しかし、不特定多数の株主に元帳を公開するのは手間ですし、営業上の秘密を暴露してしまうことにもなります。そこで1年間の利益を出し、記帳責任者や経営責任者のサインの入った残高帳がつくられることになります。この本で紹介されているフィンレイ商会の1789年の残高帳はその早い時期の例です。

 19世紀のイギリスでは鉄道事業の発展が会計の進化を生み出しました。巨額の投資が必要になってくると利益と手元投資資金のギャップが問題になります。そこで比較貸借対照表が登場します。
 また、購入した蒸気機関車は時間とともにその価値を失っていきますが、それが減価償却の考えを誕生させました。
 イギリスでは1844年に世界最初の登記法(会社法)が制定され、貸借対照表の作成が規定として盛り込まれました。さらに、貸借対照表は株主総会で掲示することと、総会の10日前までにすべての株主に賃借対照表と監査役報告書を送付することが盛り込まれました。また、1856年の改正では賃借対照表の雛形が例示され、企業の会計が制度化されていくことになります(105-116p)。公認会計士の制度も19世紀半ばにイギリスでスタートしました。
  
 近年の会計において重視されるのがキャッシュ・フローですが、このキャッシュ・フローが注目されるようになったのも19世紀のイギリスです。
 18世紀半ばにつくられたダウライス製鉄会社は順調にその規模を拡大しますが、1850年代前半になると経営不振に陥ります。ところが、クリミア戦争でロシアに対し鉄道レールを低価格で提供する契約を破棄できたこともあって再び業績は改善します。
 そこで経営陣は新たな設備投資を決め、その代金を支払おうとするのですが、そこで利益は出ているのに手元に現金がないことに気づきます。
 この消えた利益を探すために、業績が悪かった1852年と業績が回復した1863年の賃借対照表を比較しました。こうして生まれたのが比較貸借対照表です。
 この比較貸借対照表を見て、ダウライスの工場長は取締役に「私は、この七年近くで獲得された「利益」と呼ばれているものが、原材料や商品の在庫の巨大な蓄積であることに気がつきました」(135p)という手紙を書いています。発生主義会計で求めた損益計算書や賃借対照表の利益は、それに見合う現金があることを保証してはくれないのです。

 この比較貸借対照表は20世紀のアメリカでさらに発展します。20世紀はじめに、フィニーは「実際に企業が短期に活用できる資金の総額を知ることができる運転資本明細表の必要性」(147p)を説き、不況のあおりを受けても倒産しないような経営を求めました。
 さらに資金を現金+現金同等物と狭義に捉える考えが生まれ、これがキャッシュ・フロー計算書につながっていきます。
 
 終章では、エンロンの問題やリーマン・ショックなどで揺れる現在の会計について触れています。
 著者は今日の会計が未来の「価値」まで測ろうとしていることが問題ではないか、として次のように述べています。
 今日のアメリカ会計学は、経済学を基盤に置いた考え方を会計学の中心に据えて、会計学を公正価値といった価値の世界、経済学の領域に踏み込ませてしまいました。しかし、会計学は、価値論では成立しません。価格でなければ生きていけないのです。いくら工場の土地が値上がりしても、それを持っているだけでは利益が出たとは言えません。売却しなければ利益を手にすることはできないのです。(179p)

 著者は「会計は、期待の計算ではなく現実の計算」(182p)だとして、会計に未来予測などを持ち込むことに否定的です。あくまでも「会計の原点である、「信頼される性格な損益計算」に立ち戻」(189p)るべきだというのです。

 このようにこの本は中世から現代にいたるまでの会計の歴史を辿っています。
 最初にも述べたように、「会計が世界をどのように変えたか」というよりは、「世界の変化が会計にいかなる要素をもたらしたのか」という視点で書かれている本なので、会計に馴染みがない人にはややわかりにくい面もあるかもしれません。また、叙述も、会計の概念ごとにその発展を追うような形が多いので、自分もそうなのですが、会計にそれほど通じていない人にとってはやや内容を追いにくい部分もあると思います。
 興味深いところも多かったですが、副題の示す内容とは少し違うかもしれません。

会計学の誕生――複式簿記が変えた世界 (岩波新書)
渡邉 泉
4004316871

小川剛生『兼好法師』(中公新書) 9点

 徒然草とその作者の兼好法師については中学や高校で勉強することもあって、ほとんどん人が知っているでしょう。同時に兼好法師でいいのか、吉田兼好(よしだけんこう)なのか、卜部兼好(うらべかねよし)なのか、その作者名については国語と歴史でそれぞれバラバラだったという記憶を持っている人もいると思います。

 この本の副題は「徒然草に記されなかった真実」。徒然草の作者として誰もが知っていながら、その実像に関しては知られていない、あるいは歪められて伝えられていた兼好法師の姿を多くの史料な中から取り出そうとした本になります。
 現在知られている兼好法師の出自や経歴はまったく信用できないとする主張は刺激的ですし、その主張を通して、鎌倉後期から南北朝期における武士と公家の関係、鎌倉と京の様子、和歌の世界などが見えてくる内容も非常に興味深く、兼好法師の謎だけではなく当時の社会の様子を読み解いてくれます。

 目次は以下の通り。
第一章 兼好法師とは誰か
第二章 無位無官の「四郎太郎」――鎌倉の兼好
第三章 出家、土地売買、歌壇デビュー――都の兼好(一)
第四章 内裏を覗く遁世者――都の兼好(二)
第五章 貴顕と交わる右筆――南北朝内乱時の兼好
第六章 破天荒な家集、晩年の妄執――歌壇の兼好
第七章 徒然草と「吉田兼好」

 現在、よく知られている兼好法師の経歴とは次のようなものです。
 朝廷の神祇官に使えた公家・卜部氏の出身であり、兼好はこの中でも吉田神社の神主も兼ねた流(のちに吉田と名乗る)の治部少輔・兼顕の子で、後二条天皇の六位蔵人となり、その後、従五位下に叙され左兵衛佐に任じたというものです。兼好は堀川家の家司(私的な職員)でもあり、堀川家を外戚とする後二条天皇が即位したことから蔵人に抜擢され、そこで徒然草でも触れられる有職故実などに通じるようになったと考えられているのです(2-4p)。

 しかし、著者は、蔵人であったはずの兼好の名が同時代の公家の日記にまったく見えない、蔵人だったはずの時期に鎌倉に長期滞在している、卜部姓から蔵人、さらに左兵衛佐となることが異例であること、兼好の父そして兄弟は実在する人物であるものの同時代の史料からは彼らが赤の他人である、といった理由をあげて、この出自と経歴は信用できないといいます。
 
 著者はまず、室町時代の歌僧・正徹が残した「官が滝口にてありければ」という証言から兼好が侍の身分ではなかったかと推測します。
 当時の身分はおおよそ、公卿(三位以上)・殿上人(四位)-諸大夫(五位)-侍(六位)、という三層構造になっていました(9-10p)。
 和歌の勅撰集において、諸大夫以上は顕名、侍以下は匿名という原則があり、出家者は侍以下でも法名が取られ、「○○法師」と表記されます。「兼好法師」という表記からは兼好が侍の身分であったことが窺えるのです。

 兼好が出家する前の動向を伝える唯一の史料が、金沢文庫の古文書になります。
 金沢文庫に、北条家金沢流の人々が残した書状の裏に称名寺の学侶たちが仏典を書写したものが奇跡的に残されていたのですが、その中の金沢貞顕と称名寺2代目長老明忍坊釼阿(けんな)との交際圏に、「兼好」「卜部兼好」「うらへのかねよし」と名乗る人物が登場するのです。

 金沢貞顕は六波羅探題を務めた人物で、この時期、金沢の家では鎌倉と京の間でさかんに書状が取り交わされていました。
 ある書状には使者として「兼好」の名前が見え、またある書状には亡父の仏事を催す人物として「うらへのかねよし」の名前が見えるのです。
 著者はこれらの書状から次のように推測しています。兼好の家は伊勢にルーツがあり、そこから伊勢の守護を務めた金沢流北条氏のもとに赴き、亡父は明忍坊釼阿とも交流があった。そして、父の死後、母は京に戻ったが姉は鎌倉に留まり貞顕の家臣だった倉栖兼雄の室だった可能性もある。兼好は母とともに京にいたが、姉を頼って鎌倉に下向したというものです(53ー54p)。
 
 応長元年(1311年)には兼好は京で暮らしていたようです。これは貞顕が再び六波羅探題に任じられてからだと考えられます。
 徒然草にも六波羅周辺のことが書かれており、このあたりが兼好の行動範囲だったことが窺えます。
 また、土地をめぐる記録から兼好は洛中洛外に複数の不動産を持っていたようで、山城国小野荘の名田一町をめぐる売買記録が残っています。この名田に関して、兼好の「一所懸命の土地」とみなしている解釈もありますが、著者は当時の取れ高からしてこの説を否定しています(73ー74p)。

 また、兼好というと仁和寺に旧居があったとの言い伝えもありますが、この兼好と仁和寺の関係も金沢貞顕の庶長子・顕如が仁和寺真乗院に迎えられ、8代目の院主となったことと関係があるといいます。
 また、堀川家との関係も貞顕の娘が堀川家に迎えられたことから生まれたと考えられます。兼好の広い人脈は六波羅から広がっていったのです。

 第4章では、冒頭に徒然草二十二段における内裏の描写が引用され、そこから兼好と宮中のかかわりが探られています。
 まず、内裏というと平安京の中央北に設けられた大内裏を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、大内裏は平安中期にはすでに維持が難しくなっており、廷臣の邸を借り受ける里内裏が一般的でした。
 そのため内裏といえども四周が道路に面しており、閉ざされた空間ではありませんでした。それどころか、政務朝議が行われる日は見物人で溢れかえっていました。寛喜3年(1231年)に、殿上人や蔵人は略装で出てくるなとの法令が出ていますが、これはそうしないと群衆と紛れてしまうためです(105ー106p)。

 一般人が宮中に入り込むなど現在からは考えられませんが、著者はこの理由について「それは天皇以下自分たちが「見られる」身体であることを承知していたからであろう」(108p)と述べています(絶対王政下のヴェルサイユ宮殿が立ち入り自由だったことを思い出す)。
 ですから、兼好も蔵人でなくとも宮中に入り込むことはできたのです(頭に頭巾などをかぶり目だけを出す「裹頭(かとう)」になればそこにいないものとして扱われた)。
 著者は徒然草に現れる人間関係などから、兼好が検非違使庁にかかわる仕事をしていた可能性もあると推測しています。兼好の宮廷への興味は、公家社会の出自ゆえではなく、その周縁にいたからこそだと著者は述べています(135ー136p)。

 正慶2年(1333年)に鎌倉幕府は滅亡します。その後、建武の新政が始まりますが、このころの兼好の動静はあまり伝わっていません。六波羅探題の滅亡にも関わらず、その累が兼好に及ぶことはなかったようです。
 太平記に高師直の艶書(ラブレター)を代筆したという話がありますが、このエピソードは兼好が師直のもとに出入りしていたこと以外が虚構だそうです(148p)。

 兼好が師直のもとに出入りしていたことは、当時の太政大臣洞院公賢の日記・園太暦の「兼好法師入来す、武蔵守師直の狩衣以下これを談ず」(151p)といった記述からも窺えます。
 室町幕府が京に置かれ、武家が公家社会と接点を持つようになるわけですが、非公式に公家のしきたりなどを問い合わせるときに兼好のような遁世者が重宝されたのです。

 兼好は同時代ではまず歌人として知られました。兼好の歌道の師は二条為世で、藤原定家のひ孫にあたる人物になります。
 為世の歌は基本的に保守的で現在ではあまり人気がないのですが、弟子の教育には力を入れた人物で、その指導は武士や僧侶、地下の人物にまで及びました。その弟子の中で地下門弟四天王と呼ばれたのが頓阿、慶運、浄弁、そして兼好です(四天王のメンバーには諸説がある)。
 とはいえ、為世がすべての弟子を指導できたわけではありません。そこで活躍したのが兼好のような地下の門弟でした。身軽な彼らが身分にとらわれずに幅広く指導することで二条派は拡大していったのです。
 
 歌人としての兼好の評価は、他の四天王のメンバーである頓阿や慶運に比べるとやや落ちるようです。二条良基も、三人を比較して「兼好は、この中にちとおとりたるやうに人も存ぜしやらむ。」(187p)との回想を残しています。
 しかし、自選の歌集においては、統一的な編纂方針を放棄すると宣言しつつも、その排列には巧さがあり、やはりエディターとして優れていたようです(185p)。
 一方、最後まで四代作者(4つの勅撰和歌集に歌が載ること)を目指すなど、歌人としての兼好は世俗的な名声を目指していたようで、徒然草での世捨て人的な風情とはsまた違った顔が見えてきます。

 そして、この本は最後に兼好の呼び名の謎を解いて見せています。
 兼好の本名を「吉田兼好」と習った人もいるかもしれませんが、この本によるとそれは唯一神道を唱えた吉田兼倶の捏造です。生涯、家格を上げることに執念を燃やした兼倶は、過去の有名人を系図に取り込み、吉田家が以前から特筆すべき人物を輩出していたことをアピールしようとしたのです。兼好が六位蔵人から従五位下左兵衛佐になったというのも、兼倶が一族を蔵人や左兵衛佐につけるための捏造と考えられます。
 著者は「「吉田兼好」とは兼倶のペテンそのものであり、五百年にわたって徒然草の読者を欺き続けたのである」(219p)と書いています。

 このようにさまざまな史料を駆使して兼好の姿を描いていくさまは非常に刺激的です。多くの人がこの本によって兼好のイメージを新たにするでしょう。兼好は世捨て人というよりも、世俗的な身分社会の隙間を動く遁世者だったのです。
 また、同時にこの本は鎌倉後期から南北朝期にかけての社会の姿を教えてくれる本でもあります。鎌倉時代以降は、どうしても武士と鎌倉に焦点があたり、朝廷や公家社会がどうなっていたのか、京の街がどのようになっていたのかということは見えにくいのですが、兼好の事績を通して、それらが見えてきます。
 徒然草に興味がある人はもちろんのこと、たとえ徒然草に興味がないとしても非常に面白く読める本になっているといえるでしょう。

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)
小川 剛生
412102463X

田中研之輔『ルポ 不法移民』(岩波新書) 7点

 「不法移民にはもううんざりだ!」というのが2016年のアメリカ大統領選挙でトランプを当選させた一つの要因と考えられていますが、実際のところ、不法移民たちはアメリカでどのような仕事をし、どのような生活をしているのかというと、日本に住むわれわれにとってはわからない面が多いと思います。
 本書の特徴は、そんな不法移民の暮らしを社会学者でもある著者が、実際に不法移民たちとともに仕事をし、ともに行動することで明らかにしようとしたところです。
 方法論的にはいわゆるエスノグラフィーの手法が取られており、不法移民の中に入り込むことによって、外側からはなかなか見えない彼らの持つ価値観やルールを取り出しています。

 テーマ的には今年2月に同じ岩波新書から出た金成隆一『ルポ トランプ王国』と対になるものと言えるかもしれませんし、マクロ的な統計や制度の面からアメリカの移民問題に迫った西山隆行『移民大国アメリカ』(ちくま新書)に対して、「不法移民」と呼ばれる人間の側からこの問題に迫った本とも言えるでしょう。

 著者はカリフォルニア大学のバークレー校で研究員と過ごしている中で、閑静な住宅街にあるハースト通りという道沿いに100名近い中南米系の男たちがたむろしているのに出くわします。何日か観察し、ネットなどでも調べることで彼らが仕事を求めている日雇い労働者であることが分かるのですが、著者はさらに自らその中に飛び込んで調査することを決意し、実際に、ハースト通りで仕事待ちを始めるのです(期間は2006~08年)。

 ハースト通りには、手配師のような仕事の斡旋をするような人物はいません。また、求人が掲示板に貼りだされたりすることもありません。
 ハースト通りに車が入ってくると、仕事を待つ男たちが手を上げてアイコンタクトをします。そして、その車が止まるとそこから交渉が始まります。仕事は清掃、片付け、建設現場の補助、塗装などさまざまで、車が止まると「仕事は何か?」「何人必要か?」「報酬はいくらか?」という交渉が始まり、まとめれば車に乗り込んで現場へと向かいます。

 それにしてもなぜ閑静な住宅街の通りに日雇い労働者が集まるのか? これについて、この本では、大型の材木店が隣接していたこと、フリーウェイの出口に近く交通の便が良いこと、住民の平均所得が高く賃金相場も高いこと、雇い主安全性が高くトラブルに巻き込まれにくいこと、の4つが理由としてあげられています(20ー21p)。

 アメリカにも日雇い労働の斡旋業者は存在しますが、これを利用できるのはあくまでもアメリカに滞在する資格を持っている者に限られます。そうした資格を持たない不法移民は、ハースト通りのようなストリートや材木店、日曜大工店、レンタカー会社の前などで、仕事を待つことになります。
 ロペスというメキシコ人の労働者は「仕事を待つことも仕事」と言っていますが(39p)、1時間10〜15ドル程度の仕事にありつけたとしても、待つ時間を考えると時給で1〜2ドル程度にしかならないことも多いのです。

 そんな彼らにもいくつかの流儀があります。例えば、フェルナンドは自分が仕事を取っても内容によってはその仕事を仲間に譲って、皆に仕事が行き渡るようにしていますし、交渉の上手いルイスは、一定以下の賃金の仕事を受けないことで、自分たちの価値を保とうとしています。
 また、雇い主を見極める目を持たなければなりません。この本では黒人二人組についていったところ殴られ賃金も支払われなかったという日雇い労働者の話が紹介されていますが(49ー51p)、たとえ暴力を振るわれても不法労働者である彼らは警察を呼ぶわけにはいかないのです。
 
  彼らのほとんどが陸路国境を越えてアメリカに入国しています。中には砂漠を命がけで歩いてきた者もいますが、「一度アメリカまで来てしまえば、死ぬことはない。仕事も食べることもなんとかなるのさ」(63p)と言います。また、コヨーテと呼ばれる密入国の案内人に金を払った人物は、その金をどうつくったのかという問に対して、「メキシコで麻薬を売っていた。短期間でまとまった金を稼ぐには、それしか方法はない。ドラッグディーラーを続けることはできない。他のギャングとの抗争になって命を落とすからな」(65p)と語っています。
 彼らはアメリカでさまざまなトラブルに巻き込まれていますが、母国に比べればはるかに「安全」な場所でもあるのです。

 しかし、彼らが当初の目的を果たしているかというとそれも疑問です。
 彼らの多くは母国の家族に仕送りをするために不法入国したわけですが、日雇いの不安定な仕事では決まった額の仕送りはできず、だんだん母国の家族と疎遠になっていくケースが多いようです。
 また、彼らは基本的に働いている時間よりも仕事を待っている時間のほうが多く、その時間を仲間と酒を飲むことで過ごしています。

 この本では、グアテマラ出身でグアテマラに遊びに来ていた30歳近く年上の白人女性と結婚したジョニーのことが紹介されています。彼は女性に養われており、働く必要はないのですが、仲間とのつながりを求めてハースト通りに週2、3回やってきます。ハースト通りにはそうした役割もあるのです。
 彼らは酒を飲み、人によってはマリファナを吸引します。それがつらい日雇いの日々をやり過ごす手段なのですが、当然ながらその日暮らしの生活から抜け出すのは難しくなります。

 このように彼らにとっては憩いの場でもあるハースト通りですが、付近の住民にとって彼らの存在は基本的に迷惑なことです。朝から夕方までたむろし、酒を飲み、小便をする者もいるということで、彼らは歓迎されない存在です。
 彼らは「うろつき」、「公共の場での飲酒」などの理由で警察に咎められ、数少ない所持金の中なら罰金を取られます。
 そうした取り締まりの中でルイスはマリファナと公共の場での飲酒の罪で刑務所送りになるのですが、ここでは警察に罰金を取られたり、逮捕されるイコール強制送還とはならないようです。また、最後の方では警察に捕まり強制送還されたものの、再びハースト通りに戻ってきたアルベルトというメキシコ人が紹介されています。

 この本は基本的にはルポですが、第6章で理論的な分析がなされています。
 アメリカの不法移民の約半分がメキシコ出身で585万人いるとされます。さらにエルサルバドル出身が70万人、グアテマラ出身が53万人、ホンジュラス出身が35万人いるといます。メキシコからは微減傾向ですが、国内の治安の悪化からエルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスからの不法移民は増加傾向にあるそうです。また、インド出身の50万人と中国出身の33万人が正規の滞在資格を持たずにアメリカにいるといいます(152-153p)。

 こうした不法移民は新自由主義の広がりとともに排除されつつある周縁層の底辺に位置します。
 そしてアメリカでは、こうした周縁層を刑罰によって刑務所に収監しています。刑務所に収監されているのは全世界で約900万人いるとされていますが、そのうち200万人以上がアメリカで収監されています(161p)。アメリカでは刑務所の建設がつづいており、監獄・産業複合体が形成されているといいます。
 そして、不法移民の多くも「不法に入国した」という罪ゆえに刑務所に収監され、そこで働かされているのです(不法移民と犯罪の関係については前掲の西山隆行『移民大国アメリカ』が詳しい)。

 この本の最後に、著者が2015年にハースト通りを再訪したときのことが描かれています。
 以前は100名近くがたむろしていましたが、数名の男の姿しかなかったといいます。著者は顔見知りのバルバスという男に他の人間はどこに行ったのか、国に帰ったのかと尋ねますが、バルバスは「どうだろうな。ここにいても仕事はない。どこかに移動したのさ。ハースト通りで日雇いはもう無理かもな。アメリカは貧困の国さ。みてみろよ。俺たちに金を払う奴はいねえ。~一つ言えるのは、ここに仕事がないから他の場所に移動していったとしても母国に帰るようなことはない。それだけはない」(179-180p)と答えています。

 ここでは大雑把にしか紹介しませんでしたが、著者の体験や著者が不法移民たちから聞いた話はリアルさがあり、どれも興味深いものばかりです。また、そこからは周縁に追いやられた者たちの生きる知恵や「自治」のようなものも見えてきます。
 最後の理論的な部分に関しては、確かにアメリカの「刑罰国家化」といったことは納得できるのですが、そうなると今度は、それにもかかわらず不法移民を送り出す側の国の実情のようなものも知りたくなります(おそらく、不法移民たちもあまり語りたがらない話なのでしょうが)。
 とはいえ、読み応えのあるルポであることは間違いないです。


ルポ 不法移民――アメリカ国境を越えた男たち (岩波新書)
田中 研之輔
4004316863

家近良樹『西郷隆盛 維新150年目の真実』(NHK出版新書) 7点

 今年、ミネルヴァ書房から西郷隆盛の本格的な評伝を書いた著者による新書。来年の大河ドラマが「西郷どん」ということで、西郷隆盛関連の本はこれからも数多く出版されると思いますが、この本はその中でも第一人者によるものと言っていいでしょう。
 ただし、600ページ近い評伝を書いた直後ということもあって、この本は評伝の落ち穂拾い的にかなり自由に書かれています。
 そのため、西郷のことをほとんど知らない人にはあまりお薦めできません。この本を面白く読めるのは、西郷についての本を読んだけれども(例えば、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』等)、いまいち西郷という人間がよく掴めないという人でしょう。

 目次は以下の通り。
第一章 なぜ西郷は愛されてきたのか
第二章 残された七つの〝謎〟を解く
第三章 何が西郷を押し上げたのか
第四章 西郷の人格と周囲のライバルたち
第五章 なぜ自滅したのか

 まず、西郷といえば上野の銅像のような服装などに頓着しないお相撲さんのようなイメージで、「清濁併せ呑む」人物の大きさがその魅力と考えられていますが、史料などにあたってみるとそのイメージは少し違うといいます。

 まず、著者があげるのが西郷の「男ぶり」の良さです。この「男ぶり」の良さとは振る舞いだけでなくルックスの面のことでもあり、いわゆる「イケメン」だったという証言が色々と残っています(ちなみに上野の銅像について西郷の糸夫人は「ちっとも似とらん」という感想を残しています(41-42p))。
 また、涙や微笑など、感情の表出や表情にも魅力がありました。

 また、西郷というと「人格者」というイメージですが、若いころは傲慢なところもあり、2回の遠島によって修練を積み、格段に慎重な人間になりました。
 とは言っても、人間に対する好き嫌いは激しいほうで、「清濁併せ呑む」とはいい難い面もありました

 こうしたことを踏まえた上で、第2章で著者は西郷を取り巻く「謎」に迫っていきます。
 まず、以前からとり上げられていた謎として、①戊辰戦争に従軍したあと郷里に引っ込んだのはなぜか、②なぜ廃藩置県に同意したのか、③武士の存続を願っていた西郷が徴兵制に同意したのはなぜか、④西郷が朝鮮使節を志願したのは征韓が狙いだったのか、とういうものです。
 しかし、この本ではこれらにはすでにほぼ決着がついているといいます。①は薩摩藩に対する諸藩の疑念を払しょくするために大久保と連れ立っての政府入りを避けた、②は中央集権国家の導入は不可避と考え諸藩に主導権を取られないためにも受け入れた、③は政権運営の上で長州藩の山県らと良好な関係を維持せざるを得なかった、④は征韓論者だったろうがその構想は曖昧模糊なものだった、というのが答えだというのです(74ー76p)。

 このように大きな謎に簡単に触れた上で、著者はまだ残る謎として、①なぜ早い段階で自決をしなかったのか、②なぜ商人肌の人物を嫌ったのか、③なぜ写真が残されていないのか、④なぜ無類の犬好きとなったのか、⑤なぜ徳川慶喜を過大評価したのか、⑥なぜ庄内藩に対して寛大な措置を講じたのか、⑦立憲制の導入や共和政治をどう考えていたのか、という7つの謎を提示しています。

 この中で、個人的に特に面白く感じられたのが「④なぜ無類の犬好きとなったのか」の謎解きです。
 西郷の犬好きはやや常軌を逸したたころもあって、大金を出して犬に鰻丼を振る舞った、室内で犬と同居したため、家が不潔だったなどのエピソードが残っています(109-110p)。
 著者はこれを受けて、「私は、こうした西郷と犬の関わり方から、逆に西郷の不器用さと孤独の深さ、それにストレスの強さを感じさせられる」(111p)と書きます。

 西郷というと、どちらかといえば人間好き(特に若者好き)の側面が強調されますが、西郷は狩りに出る時は朝早くに家を出て、宿泊をせずに帰ってくるのが通常でした。これは宿をとると、それを聞きつけた者が西郷のもとにやってきてしまうため、それを避ける目的があったと考えられます(112p)。
 西郷は人間関係に対して潔癖さを求めるようなところがあり、当然ながらそれはストレスになります。そうしたストレスを避けるために西郷が密接な関係を持ったのが犬ではなかったのか、というのが著者の見立てです。

 ②の「なぜ商人肌の人物を嫌ったのか」の部分もなかなか面白いです。
 西郷は若い頃に農政も担当しており、珠算なども上手だったようですが、のちに井上馨を「三井の番頭さん」と揶揄したように、商業資本と癒着した武士を嫌いました。
 これについて著者は、一般的なイメージと違って薩摩武士は利に敏く、特に幕末期は藩財政の再建のために経済官僚的な武士が藩の実権を掌握していました。
 こうした中で、西郷が強く「理想の武士」であらねばならないと振る舞った結果、商人肌の武士を嫌ったのではないかというのです。そして、この西郷のイメージが他の薩摩武士にも投影されていくことになるのです。

 また、「③なぜ写真が残されていないのか」で紹介されているエピソードも興味深いです。
 岩倉使節団でアメリカに滞在中だった大久保に対して西郷が書いた書状に「貴兄の写真参り候処、如何にも醜体(態)を極め候間、もうは(=これからは)写真取りは御取り止め下さるべく候。誠に気の毒千万に御座候」(106-107p)という強烈な文面があります。
 西郷も洋装を体験しており、洋装のみでここまでの批判を浴びせたとは思えません。著者は、他のエピソードも引きながら、大久保の写真にどこか尊大で華美なところを感じ取り、それを含めて批判したのではないかと推測しています。

 大久保との関係については第4章でも触れられていますが、まず著者が強調するのは西郷は大久保よりも3歳年長であり、その関係は先輩後輩で、決して同輩(友人)という関係ではなかったということです(177ー178p)。
 
 それを受けて、第5章の「なぜ自滅したのか」では、征韓論で敗れて以降、西郷が大久保に面白からぬ感情を抱いていたのではないかと推測しています。
 明治6年の政変以降、大久保は台湾出兵、樺太・千島交換条約、日朝修好条規と、明治日本の外交懸案を一気に片付けます。川路利良は鹿児島に帰る警視に「かねて(私学校党が)憎む所の大久保、なんの罪がある。海外に対しては頗る西郷家の上に出るの功あり」との訓示を出していますが(197p)、こうした評価に西郷が内心面白くないものを感じていたかもしれないのです。
 「西郷はそんなに器の小さな人間ではない」という批判も聞こえてきそうですが、われわれがあまりにも西郷を「人格者」というイメージで見すぎている可能性も十分にあります。

 他にも島津久光の再評価を行うなど、いくつか読みどころがあります。
 最初にも述べたように、西郷の生涯がある程度頭に入っていないと十分に面白さは感じられないかもしれませんが、西郷についての本を読みながらも、その人物像がいまいち見えてこなかった人には面白い本だと思います。
 著者の指摘すべてに膝を打つわけではありませんが、個人的には今まで40%くらいしか見えていない感じだった西郷という人間が60%くらい見えてきたような気がします。


西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書 536)
家近 良樹
414088536X

出村和彦『アウグスティヌス』(岩波新書) 6点

 西欧最大のキリスト教思想家とも言われるアウグスティヌス。その名は世界史の教科書にも載っていますし、『告白』、『神の国』といった著作を知っている人も多いと思います。
 そんなアウグスティヌスの生涯を、当時の時代背景と主に描いたのがこの本。文献案内や「おわりに」も含めて180ページで、アウグスティヌスの生涯をコンパクトに知ることができます。

 目次は以下の通り。
第1章 アフリカに生まれて
第2章 遅れてきた青年
第3章 哲学と信仰と
第4章 一致を求めて
第5章 古代の黄昏
終章 危機をくぐり抜けて

 アウグスティヌスはローマ帝国の力が衰えつつある4世紀から5世紀にかけて生きた今から1500年以上前の人物なのですが、自ら前半生に関しては『告白』という本を書いていますし、晩年に93篇232巻におよぶ著作を読みなおし、コメント付きのカタログとして出版しています。しかも、そのカタログに書かれた著作はローマの教皇図書館にすべてが残されているという(v~vi p)、この時代の人としては例外的に資料の豊富な人物です。

 アウグスティヌスは354年に、ローマの都市タガステ(現アルジェリアのスーク・アラス)という町で生まれています。平民階級の家で豊かではなかったようですが、父パトリキウスはタガステの名士で市会議員も務めていました。母のモニカもある程度資産を持つ平民階級の出身で、モニカは熱心なキリスト教徒でした。

 しかし、アウグスティヌス自身は若い頃からキリスト教の信者だったわけではありませんでした。早くから修辞学の才能を見せていたアウグスティヌスでしたが、「私を喜ばせたのは「愛し愛されることだけでした」」(13p)と回想しているように、恋愛に夢中になり、身分の違いのため結婚はしなかったものの一人の女性との間に子どもも生まれています。

 また、当初アウグスティヌスはマニ教に傾倒しました。
 マニ教とは、二元論的な教義を持つ宗教で、「光の王国と闇の王国、善と悪の分離・対立・抗争・終結という二元論的な創世神話は、アウグスティヌスの関心を大いに引くものであった」(20p)といいます。また、マニ教は自分たちこそが真のキリスト教徒であるとも主張していました。

 その後、アウグスティヌスは30歳のときにミラノの公立修辞学学校の教授の職を得ます。
 ここでアウグスティヌスは司教アンブロシウスの説教などを聞き、徐々にキリスト教への関心を深めていきます。そして、ミラノで良家の息女と結婚するために、子どもをもうけた女性との別れを決意するのですが、この別れはアウグスティヌスに大きな苦悩をもたらすことになりました。

 新しい伴侶を自分で選んだはずなのに別れの苦悩は消えない、この経験によってアウグスティヌスは「アンブロシウスから教えられた「自分たちが悪をなす原因は自分たちの自由意志(意志の自由選択)にある」という考え方が、身につまされて理解できるようになった」(46p)のです。
 この後、新プラトン主義との出会いや様々な逡巡を経て、アウグスティヌスはキリスト教へと回心するのです。

 その後、33歳のときに洗礼を受け、ミラノを離れます。アフリカに帰ろうとしたアウグスティヌスでしたが、途中に母のモニカの死や戦乱などがあり、しばらくローマに足止めされることになります。
 ここでアウグスティヌスは自分がかつて傾倒したマニ教への論駁書を書いています。マニ教は善悪二元論の考えを持ちますが、アウグスティヌスは「神が善である以上、神が悪をなすということはない……悪人の誰しもが自分の悪しき行いの創始者なのである」(77p)として、悪を闇なる悪のエージェントの仕業とするマニ教の考えを退けました。

 アウグスティヌスは34歳のときに故郷のタガステに帰り、37歳のときにヒッポの教会の司祭となります。アウグスティヌスはのちに「アウグスティヌスの修道規則」として知られる規則をつくり、のちの修道院生活の原型をつくり上げていくことになります。

 ヒッポの司教となった後、43歳のときにアウグスティヌスは『告白』の執筆に着手します。『告白』は自らの前半生と『創世記』の解釈と人類の未来について書かれた本ですが、記憶(メモリア)や時間の問題などもとり上げられています。
 「それが誰かに問われないとき自分はそれを知っていると思う。しかし、問われてそれを説明しようとすると、それが分からないのです」と書くアウグスティヌスの時間についての問題意識はのちにフッサールによってとり上げられました(101p)。

 アウグスティヌスは著作を送り出すだけでなく、キリスト教の分派であるドナティスト分派と議論を戦わせたり、各地から寄せられる聖書解釈や教会運営などのについての手紙に返事を書いたり、説教をしたりと、司教としても目立った活躍をしました。

 一方、ローマ帝国はこの時期、その衰退が明らかになっていきます。410年にはローマ劫掠が起こり、多くの難民が北アフリカに押し寄せたといいます。
 こうした中、アウグスティヌスはアダムの罪はその後の人間には及ばないと考え幼児洗礼を否定するペラギウスと論争を行い(アウグスティヌスにとって「ペラギウスの主張は、人間の弱さに目をつむって自由意志に依り頼み、自力ですべて完全に成し遂げられると考える傲慢な主張以外の何物でもなかった(135p))、『三位一体』、『神の国』といった著作に取り組みます。

 『神の国』において、アウグスティヌスは「国」(キィウィタス)について、「国とは何らかの社会的な紐帯で結ばれた人間の集団」であり、その紐帯は「法的合意」と「利益の共有」であると分析しつつ、人間は愛のあり方を通じて、「神の国」と「地上の国」の二種類の集団を形成するといいます(146ー147p)。
 アウグスティヌスによれば、「二つの愛が二つの国を造った。すなわち、神を軽蔑するにいたる自己愛が地的な国を造り、他方、自分を軽蔑するにいたる神への愛が天的な国を造ったのである」(147p)とのことなのです。

 アウグスティヌスは、ヴァンダル族がアフリカの西からヒッポの街に迫るなか、76歳でその生涯を閉じました。
 最初にも述べたとおりに、アウグスティヌスの著作はローマで保存され、のちにルターなどの宗教家だけでなく、デカルトやフッサール、ウィトゲンシュタイン、アーレントといった思想家にも影響を与えました。また、西田幾多郎もたびたびアウグスティヌスに言及しています。

 このようにアウグスティヌスの生涯をコンパクトにまとめており、アウグスティヌスに関して詳しく知らなかった自分には勉強になりました。
 ただ、一方でもう少しアウグスティヌスの後世への影響を詳しく紹介してもらいたかったとも思います。自由意志の問題にしろ時間の問題にしろ、アウグスティヌスの考えや問題意識が後の思想家にどのような影響を与えたのかについてもっと説明してあると、宗教家としてのアウグスティヌスだけではなく、思想家としてのアウグスティヌスの大きさももっとよくわかったのではないでしょうか。


アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)
出村 和彦
4004316820
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通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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