このところずっと話題になっているジェンダー格差の問題ですが、では、その解決方法は? というと一筋縄ではいきません。
別に男女問わずの競争をしているはずなのに、東大には男子学生が多いですし、政治家は男性ばかりです。
もちろん、東大に入ったり政治家になるのが「良いこと」なのかという根本的な問題はありますが、とりあえず、そこには女性にとって何らかな不利な状況があると考えられます。
本書は、実証経済学で行われてきたさまざまな研究を紹介することによって、このジェンダー格差の問題に迫っていきます。
「女性の労働参加が何をもたらすか」「学歴と結婚や出産の関係」「出産などについて女性が決める権利を持つことが何をもたらすか」など興味深いトピックについてのさまざまな研究が紹介されています。
中には、意外な結果となっているものもあるのですが、そうしたものを含めてみていくことで、エビデンスの重要性や、エビデンスを得るための手法の大切さを理解できるような構成になっています。
「実証経済学」というと難しい印象を持つ人もいるかもしれませんが、本書の記述は非常にわかりやすく、実証経済学に馴染みのない人でも面白く読めるのではないでしょうか。
目次は以下の通り
序章 ジェンダー格差の実証とは第1章 経済発展と女性の労働参加第2章 女性の労働参加は何をもたらすか第3章 歴史に根づいた格差―風土という地域差第4章 助長する「思い込み」―典型的な女性像第5章 女性を家庭に縛る規範とは第6章 高学歴女性ほど結婚し出産するか第7章 性・出産を決める権利をもつ意味第8章 母親の育児負担―制度はトップランナーの日本終章 なぜ男女の所得格差が続くのか
ジェンダー格差を表すものとして有名なのが「ジェンダーギャップ指数」です。日本の2023年で146カ国中125位という低い順位はよくとり上げられています。
「健康」「教育」「政治」「経済」のそれぞれの分野について男女の平等を測ろうとしたもので、日本は政治と経済が低い点数になっています。
ただし、国連開発計画(UNDP)の「ジェンダー不平等指数」では日本は170カ国中22位です。こちらは妊産婦の死亡率と20歳未満の女性の出産率が重視されており、いずれも低い日本は高い点数になるわけです。この指数では日本はアメリカ、イギリス、ニュージーランドよりも上位に来ます。
このように「何を測るのか?」という問題は大きいです。
経済学では、、因果関係をより厳密に測定するためのRCTや自然実験などの手法が開発され、特定の政策の影響なども分析できるようになっています(序章でこうした手法がわかりやすく紹介されています)。
女性の労働参加と経済成長には一般的に正の関係あると言われています。ただし、これは相関関係で必ずしも女性の労働参加→経済成長という因果推論ではありません。
複数の国を見ていくと中所得国で女性の労働参加率が下がるというU字の関係が見られます。
例えば、インドでは経済成長が続いていますが、女性の労働参加率は2005年頃から低下に転じ、30%以上あったものが20%程度まで落ち込んでいます(38p1−4参照)。
また、学歴別に見ていくと初等教育未満の女性の労働参加率が最も高く、中等教育レベルが最も低く、高等教育レベルになると少し上がります(39p1−5参照)。
この背景には女性が親族以外の男性との接触を嫌がる慣習もあると言われますが、経済学的には「所得効果」が「代替効果」を上回っていると説明できます。
この場合の所得効果とは男性働き手の所得の向上で、代替効果とは女性の賃金が上昇することで女性の労働参加を促すことです、つまり、経済成長で男性の賃金が伸び女性を養えるようなった割には女性の賃金の伸びはまだ不十分なので、家庭にとどまるインセンティブが働くというわけです。
これは日本の高度経済成長期にも見られたもので、かなり普遍的なものと見られます。
一方、産業構造の変化が女性の就労を促す可能性もあります。
一般的に男性は肉体労働に、女性は頭脳労働に比較優位を持っていると考えられます(比較優位なので女性のほうが頭がいいというわけではない)。
経済が発展すると、頭脳を使う仕事の収益率が上がる傾向があり、そのために女性の男性に比べた相対的な賃金が上がってきます。インドではBPOビジネス(オペレーターやデータ入力のアウトソーシング)の発展により、女性への教育投資が増えているという状況もあります。
では、女性の労働参加が進むとどうなるのでしょうか?
基本的に女性の労働参加率と女性のエンパワーメントは正の関係にあるとされています。
このエンパワーメントを測るためのものはいくつか考えられますが、本書がまずとり上げているのが家庭内交渉力です。例えば、女性が自らの稼ぎを得るようになれば離婚の決断も容易になり、それを背景にして夫に対する交渉力が上がります。
世界では男児に比べて女児が少ない地域が見られます。特に中国とインドではそれが著しいです。
中国では一人っ子政策の影響が大きいとされていますが、ほぼ同時期に始まった農業改革によって農民が余剰生産物を自由に販売できるようになったことが男子を選別して産むことを可能にしたとの研究もあります。
インドでは花嫁の持参金であるダウリーが大きな問題では、「500ルピーをいま(中絶の費用として)払うのか、5万ルピーをのちほど(ダウリーとして)払うのか」という産婦人科の広告さえあるそうです(50p)。
この現象をアマルティア・センは「ミッシング・ウーマン現象」と名付けましたが、女性の労働参加が進むと性比が下がる、つまり女性の生存確率が上がるとの研究もあります。
また、中国の茶の栽培が盛んになった地域では、女性が茶摘みの仕事に向いているために性比が改善したという研究もあり、インドの深耕に向いた土壌の地域ではそうでない地域に比べてより力仕事が必要になるために性比が高くなったことを示した研究もあります。
さらに女性の就業機会の増加が児童婚を減らすというバングラデシュを対象にした研究もあります。
家庭内暴力については、アメリカで女性の賃金上昇が家庭内暴力を減らしたという研究がある一方、バングラデシュの教育水準が低く、年齢が低いなど、もともと家庭内交渉力が低そうな女性に関しては労働参加が家庭内暴力を増やしたとの研究もあります。
インドでも似たような研究がありますが、離婚という選択肢が考えられるかどうかがこうした違いを生み出している可能性があります。
では、こうしたジェンダーの格差はいつからあるのでしょうか? 現時点では、女性が男性に依存するようになったのは農耕文化が発達し、定住するようになってからという説が主流だそうです。
地域差に関しては農業のスタイルにその起源を求める研究もあります。
焼き畑中心の農業では土をそれほど掘り返す必要がなく鍬で十分ですが、定住するタイプの農業は土をより深く掘り起こす必要があるために鋤が必要になります。
鋤を使うにはより大きな力が必要なために男性中心の農業になって女性の地位が下がりますが、鍬ならば女性も十分に使えるために女性の地位が下がらず、それが今にまで続いているというのです。ちなみに日本も含めた東アジアは鋤の地域で、アフリカや南米などに鍬の地域が広がっています(74p3−2参照)。
男女の格差に対する説明の1つとして「男性の方が競争を好む」というものがあります。逆に女性は競争心が弱いために企業のトップなどになりにくいというのです。
この競争心と、父系社会、母系社会の関係を調べた研究があります。父系社会のタンザニアのマサイ族は男性がより競争を好みましたが、母系社会のインド北東部のカーシ族は女性がより競争を好みました。
ただし、カーシ族でも政治家や民間防衛、裁判官、司法など伝統的に権力を持ちそうな職業は男性中心です。
女性の社会進出を抑えるものとしてステレオタイプがあります。
内閣府が日本で行った調査では、例えば、たとえ共働きであっても男性の25%、女性の20%が子どもの看病は女性がすべきと考えており、男性の50%近くと女性の45%ほどが男性は仕事をして家計を支えるべきと答えています。
こうした考えが、例えば、採用時に男性の方が熱心に働くだろうと考えて能力が同じなら男性を採用する統計的差別を生んでいるかもしれません。
また、アメリカのSATの数学の点数において、トップ層では男性が多くなっています。ほとんどのスコアでは男女が重なっているのに、一部の優秀層だけをみて「男性が数学が得意」という思い込みが形成される可能性もあります。
さらに、こうした言説が実際の成績に影響するという研究もあります。女性は相手が男性である場合、男性が得意とされる分野における自己評価が下がる傾向があるのです。
これに関連して、日本では進学校の女子校の生徒は数学の成績は男子と変わらないという研究もあります。
こうした状況を打破するのに有効なのがロールモデルの存在です。そして、ロールモデルをつくるための1つの方法がクォータ制です。
特に政治家についてはクォータ制の導入が各国で進んでいます。このクォータ制にへの反論の1つとして「実力もない女性が選ばれてしまう」というものがありますが、クォータ制がむしろ有能でない男性の排除する結果に繋がったとの研究もあります(ただし、ここでの「有能」が何を意味するのかは気になる)
「男性が外で働き、女性は家で家事・育児をすべきだ」という考えは、先進国では古い考えだとみなされるようになりましたが、アメリカでも19世紀末〜1920年代にかけては、一部の専門職を除く働く女性の多くは貧しい未婚の女性でした。
アメリカでもかつては結婚退職制度がありました。ただし、この制度は事務職や教員などのホワイトカラーが中心でブルーカラーにはなかったといいます。人手不足の際には緩和されたりしながら1950年代まで運用されていました。
このように「男性は外、女性は家」という規範はアメリカにもありましたが、アメリカでは比較的短期間でこの規範が弱まり、1970年代には「革命的」とも言える変化が起こっています。
一方、南アジアなどでは「男性は外、女性は家」という規範が強いのですが、実際に女性が働こうとした時の妨げになるのは夫や父の反対だといいます。
南アジア、中東、北アフリカでは、女性の親族以外の男性との接触を良しとしないパルダという慣習があり、これが女性の就労を妨げていますが、やや例外となっているのが教師です。
これは教師が尊敬される職業だからという理由がありますが、一方で教師は名誉職のようでもあり、給与は低い状況です。パキスタンの2014年のデータでは工場勤務の半分にも達していません(115p5−4参照)。
この背景には南アジアには寺子屋のような私立学校が多いことがあります。女性の進学率が上がる中で、「教師だったら働いてもいい」と考える父親が多いため、女性教師が供給超過になっていることが考えられます。
また、パルダのような慣習は、他人の目を気にすることで強化しています。サウジアラビアを舞台にした研究では、男性たちは自分の妻が働くことに賛成していても、周囲の男性は反対するだろうと考えています。このケースでは間違った認識を是正することで妻が働いても良いと考える男性が増えました。
一方で、家族の意識改革を狙った介入が失敗したことを報告する実験もあります。
かつては高学歴女性ほど、結婚・出産をしないと考えられていました。学歴やスキルを身に着けた女性が家庭に入ることの逸失利益は大きいと考えられたからです。
しかし、先進国に限ると大卒女性の方が出産をしているという傾向が見られるようになっています(128p6−1参照)。離婚したとしてもすぐに以前と同じ様な条件で働ける環境があれば、女性はためらわずに産むというのです。
ただし、働けるとしても非正規の職にしかつけないようであれば、そうは言えないかもしれません。日本ではこれがひとり親家庭の貧困の大きな要因になっています。
女性の高学歴化、社会進出が進んだアメリカでも、男性よりも稼ぎそうな女性は結婚市場ではモテないという現実もあるそうです。高学歴の人も内心では「妻は夫よりも稼ぐべきではない」といった規範を持ち続けている可能性があるのです。
結婚において花婿側から花嫁側に婚資が贈られたり、花嫁側が結婚持参金(ダウリー)を持っていくケースがあります。
サハラ以南のアフリカでは女性が労働参加して家計の所得に貢献していることが多いため、その補填として花嫁側に婚資が贈られることが多く、一方、南アジアでは女性の労働参加率が低いために一人分の食い扶持が花嫁側から花婿側に移ることになり、その補償としてダウリーがあると説明されています。
ダウリーに関しては児童婚を招いているとの指摘もあり(花嫁の年齢が低いほどダウリーが安く住む傾向がある)、一方の婚資も離婚しにくくなるといった弊害があります。
ただし、ダウリーに関しては親からの生前贈与という性格もあり、女性に相続権がない場合はダウリーの額が多いほど、花嫁の家庭内での発言権が強まるとの研究もあります。また、婚資があるほうが女性の教育水準が上がるとの研究もあります(教育投資を婚資で回収できるため)。
ダウリーも婚資も一概に悪いとは言えない側面があります。
性や出産について女性が決める権利を持っていることも重要です。
アメリカではピルの合法化が女性の労働参加率を高めたと言われています。また、ピルは女性が産む子どもの数を減らしたわけではなかったが、第一子を産む年齢を遅くしたそうです。女性がより計画的にキャリアを築けるようになったからだと考えられます。
また、1973年の「ロー対ウェイド判決」での中絶の合法化も大きな影響を与えました。この中絶合法化については『ヤバい経済学』でスティーヴン・レヴィットらが、中絶の合法化が犯罪を照らしたと主張し物議を醸しましたが、2020年発表の論文でもその主張は変わっていないとのことです。
世界には一夫多妻制を認めている地域もありますが、一夫多妻制は子どもを増やすのでしょうか? 減らすのでしょうか?
なんとなく子どもが増えそうな気もしますが、子どもの数を決めるのが夫であれば減るかもしれません(妻が1人でも5人の子ども、2人でも5人の子どもならば女性一人あたりの出生数は減る)。
実証では、増える傾向が確認されています。これは妻同士の競争がはたらき、子どもが増えるからです。
また、一夫多妻制において教育水準が高く、リプロダクティブヘルス、妊娠出産についての意思決定ができる女性の方が出生率が上昇する可能性もあるといいます。
インドや中国では教育水準の高い女性の子どものほうが性比が高い(男子が多い)傾向があり、女性が知識や権利を持つことが手放しでいい結果を生むわけではないこともわかります。
他にもアフリカのHIVについて、女性の財産保障が強い大陸法を採用している国よりも財産保障の弱い英米法を採用している国のほうがHIV感染率が25%高いといった研究も興味深いです。
子どもを持つと賃金は下がるのか? この直截的な問いに答えようとしているのが第8章です。
ただし、この問いに答えることは非常に難しく、本書ではさまざまな自然実験が紹介されていますが決定打はないとのことです。
「子どもを持つことの賃金ペナルティ」も確認されていますが、厳密な因果関係を証明することは難しいといいます。
また、ジェンダー格差の小さい北欧などでは賃金ペナルティが小さいのですが、南欧でも小さいといいます。これは女性の社会参加が低い地域では、子どもがいても労働に参加する女性は特別にキャリア志向の強い女性だからです。
男性の育児休暇は基本的に女性を助けるものですが、逆に女性の昇進に不利になる可能性を示唆する研究もあります。研究者を対象とした研究では、育児休暇を取得した男性研究者はその間も研究を進め、テニュア取得に有利になったというのです。
終章では男女の賃金格差について改めてとり上げています。
OECD諸国のフルタイム勤労所得の男女格差を見ると1位が韓国で35%近く、2位が日本で24%となっていますが、ジャンダ‐格差が小さいと思われるスウェーデンやノルウェーでも5〜8%くらいの格差が残っています(191p9−1参照)。
これはなぜなのでしょうか?
今まで、学歴、キャリアの中断、差別といった要因があげられてきました、学歴に関しては先進国では女性が男性を上回る国が主流になっています(日本は別)。
他にも男女の職種の違い(この職種の分断の原因にセクハラがあるとの研究もある)、女性の方が柔軟な働き方を好む、競争や交渉を好まないなどの原因があげられています。
その根本には社会規範やステレオタイプがあるわけですが、同時に社会規範やステレオタイプといった概念のさらなる検討も必要なように思いました。
例えば、誰でも柔軟な働き方を好むはずなので、これを女性に比べて選ばない男性を取り巻く状況が歪んでいるという可能性もあるでしょう。
このように本書はさまざまな興味深い知見を紹介していくれています。このまとめでは書けませんでしたが、個々の実験デザインについても説明があり、そのアイディアも1つの読みどころだと思います。
また、先進国だけではなく途上国の事例を数多く紹介することで、男女差別の問題の深刻さを端的に示すことができていると思います。