山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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西川賢『ビル・クリントン』(中公新書) 7点

 ご存知、アメリカ大統領ビル・クリントンの評伝。クリントンの半生と大統領としての業績を辿りつつ、イデオロギー的な分極傾向が続くアメリカ政治の中で、クリントンがそれにいかに対処したかということが描かれています。
 クリントンの半生も面白いですし、クリントン政権を通して語られる「歴史」としての90年代にも興味深いものがあります(141pで触れられている、ロシアが民主化を進める代わりにアメリカがロシアに経済的な援助を行うことを約束した94年の「モスクワ宣言」などは現在のプーチン=オバマの関係からは考えられないですね)。また、当然ながらヒラリー・クリントンについても言及があり、大統領の座に近づいているヒラリー・クリントンの生い立ちや政治的スタンスを垣間見ることができます。

 ビル・クリントンの生い立ちはかなり複雑で、自ら「アダルトチルドレン」だと告白したことを覚えている人もいるかもしれません。
 クリントンの実の父親はクリントンが生まれる前に亡くなっており、母が再婚したことにより継父のもとで育つことになります。しかし、この継父はアルコール依存症であり、家族を虐待することもあったようです。
 
 そんな中でも学生時代のクリントンは精力的に活動しており、アーカンソー州の地元の高校では「どこに行ってもビル・クリントンの姿を見た」(8p)というほどだったそうです。
 クリントンは当初ミュージシャンや医者になることを考えていたようですが、1963年に夏期キャンプでケネディ大統領と会ったことから政治家になることを決意。この本の10pにはケネディ大統領と握手するクリントンの姿を写した写真が載っています。

 その後ジョージタウン大学に進学し、ローズ奨学金の奨学生としてイギリスに渡ります。徴兵もうまくすり抜け、イェール大学のロー・スクールへと進みました。
 このロー・スクールでクリントンはヒラリーと出会っています。ヒラリーはクリントンの第一印象を「毛穴からほとばしるようなバイタリティがあった」(19-20p)と評しており、2人は付き合うようになります。

 74年、クリントンは連邦下院議員選挙に立候補しますがあえなく落選。翌75年にヒラリーと正式に結婚しています。
 その後、クリントンは州政治でキャリアを積む道を選び、76年、州の司法長官に当選します。さらに78年には32歳の若さでアーカンソー州の知事に当選、当時の州知事のなかでは最も若い知事でした。
 80年の再選には失敗しますが、得意の弁舌を活かして82年の選挙で返り咲くと92年までアーカンソー州の知事を務めました。

 80年代後半になると、クリントンはレーガン政権下で劣勢に立たされていた民主党の将来を担う人材として期待されるようになります。
 30年代から60年代にかけて、民主党は南部の白人・黒人、労働者、インテリなど幅広い支持を得て黄金時代を築きましたが、60年代にジョンソン大統領が公民権法が制定すると、南部の白人は共和党へと支持を変え、民主党の勢いも低迷していきます。
 80年代の大統領選では民主党は1勝も出来ず、その立て直しが求められていたのです。
 そんな中で、クリントンはいわゆる「ニュー・デモクラット」の一員でした。彼らは「マイノリティの党、犯罪者に甘い、増税容認」といった民主党のイメージを書き換えるべく、より中道的な理念を掲げようとしました。

 クリントンは1992年の大統領選挙に挑戦するわけですが、冷戦を終わらせ湾岸戦争に勝利した現職のブッシュの支持率は91年の2月の時点で90%近くあり(46p)、民主党の大物は早々にブッシュへの挑戦を諦めていました。
 そこにあえて出馬したのがクリントンです。しかし、過去の女性スキャンダルなどもあって序盤は苦戦し、アイオワでもニュー・ハンプシャーでも首位を獲得できずに終わります。「大統領選に勝つにはアイオワかニュー・ハンプシャーのどちらかで勝利する必要がある」というのがアメリカ大統領選の一つのセオリーなのですが、クリントンはこれに失敗するのです。
 ところが、クリントンは撤退せずに粘り強く戦い、南部で勝利を得ると、ヒラリーの失言なども乗り越えてニューヨークやカリフォリニアで勝利。ついに民主党の大統領候補となります。

 本選では、自分の得意な経済問題を中心に掲げ、ブッシュが得意な外交・安全保障問題について正面から論戦をすることは避けました。
 また、この92年の大統領選挙では「第三の候補」として大富豪のロス・ペローが登場します。このロス・ペローがブッシュから票を奪い、クリントンの当選をアシストした、との見方がありますが、この本では、ペローはむしろクリントンから票を奪ったという研究が紹介されています(79-80p)。
 大統領選とともに行われた上院・下院選でも民主党は勝利。民主党の「統一政府」が実現し、クリントンは安定した基盤を確保しました。

 しかし、クリントン政権の第一期は迷走が目立ちました。
 クリントンは財政再建を掲げていましたが、その方法や規模をめぐって、経済チームのベンツェン財務長官やルービン国家経済会議議長と民主党のリベラル派が対立します。
 ヒラリーを特別委員会の議長に据えて国民皆保険の導入を図りますが、これに共和党が徹底抗戦、さらに民主党リベラル派からも「共和党寄り」の案だとの批判が起き、クリントンは挫折します(105-109p)。
 外交・安全保障においても、対中政策はうまくいかず、日本との経済摩擦を抱え、ソマリアでは米兵が殺される事件が起こります(映画『ブラックホーク・ダウン』で描かれた事件)。

 この後、国防長官(アスピン→ペリー)と大統領首席補佐官(マクラーティ→パネッタ)を交代させる人事を行い、体制を立て直し、ユーゴ内戦ではデイトン合意を成立させ、NAFTAの批准にも成功します。
 しかし、94年の中間選挙では、ギングリッチに指導された共和党の前に敗北。民主党は上下両院で過半数を失います。

 こうして見ていくと、「よくクリントンは再選できたな」、と思うのですが、逆境においてしぶといのがクリントンの特徴です。
 クリントンは選挙に勝つために「ヒトラーとマザー・テレサに同じ日に助言できる男」(152p)とも言われたディック・モリスを起用。民主・共和両党の主張のちょうど中観点に大統領の政治的スタンスを置く「三角測量」と呼ばれる選挙戦術(154p)で巻き返しを図ります。

 勢いにのるギングリッチは95年の議会で予算をめぐってクリントンと全面対決をする道を選びます。
 クリントンはある程度共和党に譲りつつも、大事な部分では絶対に譲歩せずに政府機能停止も受け入れます。この共和党との議会をめぐる戦いでクリントンは勝利、ギングリッチの路線は行き詰まります。

 そして、この長期戦は共和党の大統領候補であったボブ・ドールの選挙活動を遅らせます。さらにクリントン陣営は「ドール=ギングリッチを打ち負かせ」という選挙広告を大量投入、ギングリッチの不人気をドールに結びつける作戦に出ます(172p)。
 また、当時順調だったアメリカの経済状態もクリントンの追い風となり、クリントンは再選を決めます。結果的にギングリッチがドールの足を引っ張ったとも言えるわけですが、この辺りが中央の統制が弱いアメリカの政党の弱点と言えるかもしれません。

 再選を果たしたクリントンの第二期政権は第一期よりも順調で、堅実な経済の情勢のもと99年には財政黒字を計上するなど、財政再建を果たしました。
 一方、外交に関してはパレスチナ和平の交渉をまとめきれず、オサマ・ビン=ラディンを取り逃がしました。また、日本との関係に関しては日米安保の再定義を成し遂げるものの、アジア通貨危機における日本のAMF(アジア通貨基金)構想をめぐってぎくしゃくするなど、日本政府内部で「民主党政権は日本に批判的で中国寄り」という印象を刷り込むことになります(196p)。

 そして何といってもクリントン政権の第二期を騒がせたのはスキャンダルと弾劾裁判です。
 詳しくは本書にあたって欲しいのですが、この本を読むと独立検察官のケネス・スターが非常に「党派的」だったこともわかりますし、クリントンの脇の甘さというのもわかります。

 このようなスキャンダルの印象が強いクリントンですが、終章で著者はその優れた部分としてそのエネルギッシュさや記憶力の良さをあげています。特に記憶力については抜群で、一度会った人物は忘れなかったそうです(イメージは全然違いますが田中角栄もそういう人物)。
 
 最後に著者は、オバマ政権はクリントンの中道政権に対する「民主党左派の反動」という顔を持ち、オバマ政権のもとでアメリカのイデオロギー的分断と等は対立が深まったとしています(246ー247p)。
 個人的には、ここはちょっとわからない所で、オバマ大統領はそんなに「左派的」には見えないんですよね。むしろ、「黒人」であるオバマ大統領に対して共和党が必要以上にその「左派色」を強調しているだけにも見えるのですが、どうなんでしょう?
 また、クリントン政権の路線を引き継ごうとしたゴアが負けた理由についても触れて欲しかったです。

 ただ、クリントン本人に関しては非常にバランスよく書かれていると思いますし、最初に述べたようにヒラリー・クリントンへの言及も興味深いです(ヒラリーは64年の大統領選挙で共和党のゴールドウォーターを熱心に支持していた、など)。
 今年秋の大統領選挙を考える上でも非常に役立つ本だと思います。


ビル・クリントン - 停滞するアメリカをいかに建て直したか (中公新書)
西川 賢
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細谷雄一『安保論争』(ちくま新書) 6点

 国際政治学や外交史を専門とし、『国際秩序』(中公新書)などの著作で知られる著者が、昨年夏に大きく盛り上がった安保論争について自らの論考をまとめたもの。
 新聞や雑誌、ウェブメディなどに書いた記事を元にしているため、重複している部分もありますが、安保法制に賛成の立場から一貫した議論がなされています。

 目次は以下の通り。
1 平和はいかにして可能か
2 歴史から安全保障を学ぶ
3 われわれはどのような世界を生きているのか―現代の安全保障環境
4 日本の平和主義はどうあるべきか―安保法制を考える

 まず、著者は1992年の国連平和維持活動協力法の時の騒ぎを引き合いに出し、当時は「違憲だ」「平和主義を破壊する」と懸念されたが、25年近く経ってどうだったか? と問いかけます。
 さらに安保法製の審議において、反対する陣営から「平和を守れ!」との声が上がりましたが、彼らがウクライナ問題やイスラーム国の問題に対して、それを解決するための主張をしているのか? と疑問を呈します。

 また、10本の法改正と1本の新法制定からなる複雑な安保法制に「戦争法」とレッテルを貼ることについても著者は批判的です。
 このようなレッテル貼りや感情的な反発は建設的な議論を生みません。著者は憲法前文の「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分を引用し、国際平和のために日本が何ができるかを考えるべきだと主張します。

 軍縮が進めば平和になると考える人もいますが、著者は歴史を振りかえると「力の真空」こそが平和を壊すと主張します。
 19世紀後半にはオスマン帝国の衰退がバルカン半島での「力の真空」を生み出し第一次世界大戦へと繋がりましたし、第一次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国の解体が中欧と東欧での「力の真空」を生み、それをヒトラーのナチスドイツが埋めようとしました。
 また、アジアでは日本が第二次世界大戦での敗北によってその勢力を大きく後退させたことが朝鮮戦争などをもたらしました。現在では、90年代前半にアメリカ軍がフィリピンから撤退したことが、南シナ海における中国の海洋進出をもたらしています。

 中立が平和をもたらすとも限りません。ベルギーは第一次世界大戦においても第二次世界大戦後においても中立を宣言していましたが、ドイツに侵攻されました。
 そこでベルギーは第二次世界大戦後に自ら指導力を発揮して1948年のブリュッセル条約によって「西欧同盟」を形成し、さらにNATOへも参加しました(105-106p)。同盟の「力」によって平和を確保しようとしたのです。

 近年、日本をめぐる安全保障環境も以前とは変わってきています。
 アメリカのアジア太平洋地域における存在感は以前ほどのものではなく、経済成長とともに中国の存在感が増しています。さらにこの地域の不安定要因としては北朝鮮の存在もあります。
 日本としてはうまく外交を進める必要があるのですが、著者は「外交手段と軍事手段の二つを巧みに組み合わせてはじめて、「対話と交渉」もまた十分な効果を発揮する」(151p)としています。

 「違憲」との批判がつきまとった安保法制でしたが、そもそも集団的自衛権の行使に関して全面禁止という内閣法制局の見解が確立したのは1981年になってからでした。
 1950年代末から60年代にかけて、内閣法制局は集団的自衛権に関して部分的には容認するような態度をとっていましたが(170~174p)、ベトナム戦争への派兵などへの警戒が高まる中で、政局的な理由によって集団的自衛権の公使は違憲という見解がつくられていったのです(174~181p)。
 この後、内閣法制局は「過去の答弁を変更できない」と考えるようになっていくのですが(183p)、この硬直した考えには民主党政権も否定的で、内閣が憲法解釈を変更していくべきだと考えていました(184-186p)。

 この本は最後の部分で安保法制の中身について解説しています(そのため安保法制の中身について知りたい人はこの本の巻末にある別の文献を読んだほうがいいでしょう)。
 注目したいのは、著者が「今回の安保関連法案での最大の変更点は~国際平和協力活動と後方支援活動の拡充である」(228p)と述べている点です。
 「集団的自衛権」ばかりがとり上げられていますが、非国連統括型のPKO活動に参加の道を開き、「安全確保業務」、「駆けつけ警護」が可能になったのは著者の指摘するように大きな変更点です。
 ここがあまりクローズアップされなかったのは、たしかに著者の言うようにマスコミや反対派がレッテル貼りに終始したからだと言えるかもしれません。

 安保法制によって「アメリカの行う戦争に巻き込まれる」と危惧する人も多いですが、著者は日本が国連の安保理において必ずしも対米追従一辺倒ではないことを指摘し、さらに現在のハイテクを使って戦争においてアメリカは必ずしも同盟国に戦闘参加を求めていないことをアフガニスタン攻撃などを例に上げながら説明しています。

 このように傾聴すべき考えも多いですし、同意する点もある本なのですが、同時に「これでは反対派を説得することは出来ない」とも思いました。

 まず、著者は「戦争法」といったレッテル貼りを強く批判していて、それはそのとおりだと思うのですが、著者も認めるように安保法制の全体像は非常に複雑であり、それを一括して内閣が提出してくる以上、反対派は全体をまとめて論じるしかありません。今回、議論が深まらなかったのは反対派の感情的な態度だけではなく、政府の法案提出の方法にもあります。

 また、「反対派はウクライナやイスラーム国の問題をどう考えるのだ?」という批判については、「では、安保法制が成立すればウクライナの問題やイスラーム国の問題が解決するのか?」という反論が可能でしょう。
 世界平和を目指す考えは重要ですが、正直、ウクライナ問題やイスラーム国の問題は日本政府ではどうにもできない問題ではないでしょうか。

 この他にも、「国連での安保理決議への対応だけで対米追従の実態が測れるのか?」などといった疑問もありますが、最大の問題点は著者が反対派の感情論に反発するあまり、それに感情的に反発してしまっている点でしょう。
 「反対派」にまとめて反論するのではなく、反対派の論客の意見に反論していくべきだったと思います(その意味で、『本当の戦争の話をしよう』の伊勢崎賢治氏あたりと著者が対談したら面白いと思う)。

 ここからは私見になりますが、反対派、特に高齢者の中にある反発の核心は「エゴイズム」や「思考停止」ではなく、「政府への不信」なんだと思います。
 前回紹介した栗原俊雄『戦後補償問題』に見られるように、政府は先の大戦で被害を受けた民間人を切り捨てるような対応を取りました。また、日系の移民などに対しても政府は冷淡な対応をとってきています。
 こうした政府の態度が生み出した「結局、政府は一般人を犠牲にするのだ」という人々の「政府への不信」が、日本の安全保障問題の議論の余地を狭めているのではないでしょうか。
 
安保論争 (ちくま新書)
細谷 雄一
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栗原俊雄『戦後補償裁判』(NHK出版新書) 7点

 サブタイトルは「民間人たちの終わらない「戦争」」。毎日新聞の記者であり、『シベリア抑留』(岩波新書)、『特攻』(中公新書)など、先の大戦に関する著作を意欲的に発表している著者が、戦後、黙殺され続けてきた空襲などの民間人戦争被害者の「戦い」についてまとめた本。 
 日本の戦後処理というと、アジア諸国に向けたものが頭に浮かびますが、この本を読むと日本国内向けの戦後処理もまだまだ終わっていないということがわかると思います。

 目次は以下の通り。
第一章 「一億総懺悔論」の誕生と拡大
第二章 大空襲被害者への戦後「未」補償
第三章 シベリア抑留と「受忍論」
第四章 「元日本人兵士」たちの闘い
第五章 置き去りにされた戦没者遺骨
第六章 立法府の「不作為」
第七章 終わらない戦後補償問題

 まず、この本がとり上げるのは戦後すぐに出てきた「一億総懺悔論」とそこから出てくる戦争被害への「受忍論」です。
 「一億総懺悔論」は敗戦直後に東久邇宮首相によって唱えられたもので、戦争の責任を国民全体が背負うべきだというものでした。そして、同じようなロジックとして戦争被害への補償裁判で必ずと言ってもいいほど出てくる「受忍論」があります。
 「戦争でみんなひどい目にあったのだから、みんなが我慢すべきだ」というものです。

 戦時中の政府は「戦時災害保護法」によって民間の戦争被害者に補償や援護を与えようとしていましたが(18ー19p)、戦後になるとこの法律は廃止され、生活保護などの枠組みの中で支援が図られることになりました。
 しかし、「受忍論」が幅を利かせる一方で、1952年には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(援護法)が制定され、1953年には軍人恩給が復活します(21p)。さらにこの援護の対象は準軍属にも拡大され、遺族に対する年金なども充実していくます。

 これに対して、空襲などで被害にあった民間人は何ら補償のないままに放って置かれることになります。
 海外からの引揚者や被爆者に関しては、団体からの強い要求もあり60年代後半に補償が行われます。政府からすると、これらは補償対象の範囲が比較的明確であり(それでも被爆者の対象に関してはその後も裁判でたびたび争われた)、財源の想定も可能なものでした。
 
 一方で、対象者が多く、犠牲者数すらはっきりしない空襲の被害者などへの補償に関しては、政府はずっと及び腰であり、政府の懇談会などでも「寝た子を起こすな」、「パンドラの箱」といった言葉で語られていました(50ー67p)。
 また、被害者やその遺族から起こされた訴訟も、先程述べた「受忍論」によって退けられていったのです。

 この本では、空襲の被災者やシベリア抑留者、朝鮮半島や台湾出身の軍属などを取材しながら、この「受忍論」の不合理を訴えています。
 例えば、政府は軍人・軍属に対しては国の使用者責任があたっとの立場から補償を行っていますが、当時は民間人も国家の統制を強く受けていました。民間人も防空法などによって消化活動の義務を負わされており、勝手に逃げることは難しかったのです。
 シベリア抑留に関しては、南方の捕虜たちが政府から労働賃金を受け取っていたにもかかわらず、シベリア抑留者に関しては労働証明書がないなどの理由からそれが受け取れないということがありました。
 さらに朝鮮半島や台湾出身者は、1952年に一方的に日本国籍を抹消され、国籍ゆえに日本国籍の保有者のような補償を受けることが出来ませんでした。

 このような理不尽さを、著者は裁判を起こした人々に寄り添いながら指摘していきます。そして、いつまでたっても「受忍論」にとどまり続ける司法に怒りを示すのです。

 第五章では遺骨の問題もとり上げています。海外にはいまだにおよそ113万人分の遺骨が眠っていると言われています。もちろん、このすべてを収容することは現実的ではないかもしれませんが、著者は今まで政府がこの問題に熱心に取り組んでこなかったことを批判しています。

 しかし、これらの問題には前進もみられます。90年代以降、超党派でこうした問題に取り組む動きがあり、2000年には旧植民地出身の元日本軍人・軍属とその遺族に一時金を支給する法律が成立し、2010年にはシベリア特措法が成立しています。
 特にシベリア特措法に関しては、民主党への政権交代などの背景や、何よりも当事者たちの粘り強い動きが詳しく綴られています。
 
 ただ、空襲での被害者は救済されていませんし、沖縄戦の民間被害者への補償も不十分なものです。戦後71年が経ち、戦争被害者が高齢化し、亡くなる人が増えていく中でも、積み残した問題は大きいのです。

 この本を読むと、日本の戦後処理において不十分だったのは、アジア諸国向けの「外への謝罪」だけでなく、国民への「内への謝罪」についてもそうだったことがわかります。
 安全保障を巡る議論において、日本ではなかなか政府が国民から「信用されない」現状があると思うのですが、その根っこの一つはおそらく、この国内における戦後補償の問題にあるのでしょう。
  

戦後補償裁判―民間人たちの終わらない「戦争」 (NHK出版新書 489)
栗原 俊雄
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岩瀬昇『原油暴落の謎を解く』(文春新書) 7点

 ここ四半世紀ほどの経済において、その影響力の大きさと、理解不能なまでの乱高下を見せてきた原油価格。平野克己『経済大陸アフリカ』(中公新書)でとり上げられていた赤道ギニアのように、ほぼ原油価格の上昇という理由だけによって驚くべき経済発展を示した国もありましたし、2001年に1バレル25.93ドルだったWTI原油の価格は2008年には1バレル100ドルを突破し、08年7月11日に1バレル147.27ドルという史上最高値をマークしましたが、最近は1バレル40ドル前後をさまよっています。
 そんな原油価格の動きを、過去の暴落やシェール革命を中心とする現在の状況から探ろうとした本。著者は長年、商社で石油開発に携わってきた人物で、外からは見えにくい業界の動きをわかりやすく解説しています。

 目次は以下の通り。
第一章 原油大暴落の真相
第二章 今回が初めてではない
第三章 石油価格は誰が決めているか
第四章 石油の時代は終わるのか?
第五章 原油価格はどうなる?                               

 現在の原油価格の低迷に関しては、「サウジとイランの断交でOPECが減産で協調する目がなくなった」、「中国経済の減速」、「OPECがシェールオイル潰しのためにあえてやっている」、「制裁解除によるイランの国際市場への復帰」、「投機筋のしわざ」など、さまざまな原因があげられています。
 第1章では、これらの要因が検討されています。これを読むと、OPECがシェールオイル潰しのためにあえてやっている」、「投機筋のしわざ」以外はそれなりに根拠があるようですが(シェール潰しに関しては意図的なものではなく今までの石油開発とシェール開発の違いが大きい)、いろいろと想定外の事態が重なって現在の価格になっているのが現状のようです。

 そもそも、原油は昔からジェットコースターのように激しい価格変動を繰り返してきた商品であり、第2章のタイトルにもなっているように原油価格の暴落は今回が初めてではありません。
 石油の本格的な生産が始まった19世紀半ばから、原油価格は乱高下を繰り返していますし、1986年には1バレル30ドル以上で取引されていたものが半年で10ドルを割り込んだこともありました(81p)。
 
 こうした原油価格の動きには、「在来型」の石油開発の特性が絡んでいます。
 「在来型」の石油開発は、プロジェクトの開始から実際の石油の生産まで何年もかかるものであり、市況が悪化したから生産を取りやめるというわけにはいきません。
 さらに、「「在来型」の生産油田というものは、たとえば販売が不調だからといって生産を中断すると、貯留層内のガス圧が下がって回収率が悪化したり、最悪の場合は生産再開ができなくなることがある」(35p)そうです。
 普通の商品では生産者は価格によって供給を変動させますが、原油の場合はそれがなかなかできないのです。

 ですから、多くの産油国は価格にかかわらず生産能力をほぼフルに活用しているような状態です。
 ただし、そんな中で余剰生産能力を抱えているのがサウジアラビアと、経済制裁によって原油の輸出が思うようにできなかったイランです。
 特にポイントとなるのはいざとなれば供給を増やせるサウジアラビアの動きで、実際、1986年の原油価格の暴落は生産割り当てを守らない他のOPEC諸国に対して、ついにサウジアラビアの堪忍袋の緒が切れたことが原因でした(88ー94p)。
 今回の暴落でも、価格の低下にかかわらずサウジが減産をしていないということがその背景にあります。

 しかし、現在の原油価格の動向はサウジアラビアをはじめとするOPECの動きだけで決まるものではありません。近年のアメリカにおける「シェール革命」は、原油価格の動向にも大きな影響を与えていると考えられます。

 シェールは開発から生産までの期間が短く、また、抗井あたりの生産期間も短いです。つまり、より市況を反映した生産が可能になるわけです。
 さらに掘削を行いながらも、最後の水圧破砕などの仕上げの作業を延期することも可能で、価格の回復を待ってから本格的な生産を始めることもできます。
 つまり、「非在来型」とも呼ばれるシェール・オイルは、「在来型」と違い、市況によって供給を変動させることが可能なのです。

 この本の第四章では、BPの調査部門のトップであるスペンサー・デールの講演が紹介されています。
 それによると、今までの石油市場については、1・いつか枯渇する資源だ、2・需要量も供給量も、価格が変化してもすぐには変化しない、3・東から西へ流れる(中東から欧米へ)、4・OPECが市場を安定化させている、という4つの常識があったといいます。
 ところが、シェール革命によってこの4つの常識は書き換えられました。これからの常識は、1・枯渇しそうにない、2・需要、供給ともに価格変動に敏感になる、3・西から東に流れるようになる、4・OPECは一時的、短期的な変化への市場安定化能力は維持するが、変化が構造的なものかどうかを判断することが重要だ、の4つになります(168ー173p)。

 この中の「東から西へ」から「西から東へ」という変化は非常に重要なものかもしれません。アメリカのシェール革命が順調に進めば、アメリカは2030年代にも石油が自給できるようになります。さらに輸出能力まで持つようになれば、アメリカ(西)から経済成長が見込まれるアジア(東)へと石油が流れるようになる事態も考えられます。
 デールは、「この流れの変化に伴い、資金の流れも「東から西へ」と変り、中国の経常黒字と米国の経常赤字の両立という、「いわゆる世界のアンバランス(so-called global imbalances)」も変化するだろう」(201p)と考えています。
 
 このように短期的な原油価格の動きの話だけでなく、石油業界の動きや長期的な展望も語られているのがこの本の魅力といえるでしょう。
 やや本筋から離れたエピソードが挿入されることで話の流れが悪くなるところがありますが、そのエピソードの中にはなかなか興味深いものもあります(ドバイの成功の秘訣(152ー157p)や住友商事の巨額損失形状のからくり(182ー189p)など)。
 ただ、長期(ここ30年ほど)のWTIの価格の推移のグラフがあったほうが良かったですね。
 最後に、著者は原油価格は2017年頃から回復に向かうのではないかと見ています。この見立ての是非については本書を読んで考えてみてください。

原油暴落の謎を解く (文春新書)
岩瀬 昇
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宇野重規『保守主義とは何か』(中公新書) 7点

 『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)など、政治思想史の研究をもとに現代の政治についても分析を行っている著者が、近年、その存在感を増しつつある「保守主義」についてその来歴と現在について語った本。
 さすがに思想史的な部分のまとめ方はうまく、コンパクトに保守主義の歴史を知ることが出来る本に仕上がっています。

 目次は以下の通り。
序章 変質する保守主義―進歩主義の衰退のなかで
第1章 フランス革命と闘う
第2章 社会主義と闘う
第3章 「大きな政府」と闘う
第4章 日本の保守主義
終章 二一世紀の保守主義

 まずは、保守主義といえば必ず名前のあがるバークがとり上げられています。近代的な保守主義の始まりはバークのフランス革命への批判に求められることが多いです。
 しかし、バークは「頑迷な守旧主義者」という人物ではありませんでした。バークはアメリカの独立を容認し、アイルランドでは差別されていたカトリックの権利擁護に努めました。フランス革命においても、「多くの人は、バークがフランス革命を支持すると予想した」(9p)のです。
 
 ところが、その予想を裏切ってバークはフランス革命を痛烈に批判します。一貫して自由を擁護したバークでしたが、同じ自由を掲げながらも、歴史と断絶する姿勢を示すフランス革命には強い警戒感を示しました。そして、意図的に過去との繋がりを守っていこうとしたのです。
 ここに、進歩主義へのカウンターとして保守主義は生まれました。

 第2章はT・S・エリオット、ハイエク、オークショットについて。
 T・S・エリオットに関しては、詩人または文芸評論家として知られていると思いますが、この本では保守主義の重要人物としてとり上げられています。 
 エリオットは、文化を個人だけでなく階級や集団によって担われるものだとして、それは「一つの統一性のある生き方」(73p)だとしました。
 そして、この文化を伝達する経路として家族をもっとも重要なものだと考えました(73p)。
 
 ハイエクはよく保守主義者に引用される経済学者ですが、この本の小見出しに「ハイエクは保守主義者か」(79p)とあるように、本人は保守主義者であることを否定し、自らは自由主義者だと規定していました。
 ハイエクが否定したのは、社会主義やナチス・ドイツに見られるような集産主義、設計主義といったものであり、社会を合理的に管理できると考える理性の思いあがりでした。
 
 オークショットはイギリスの政治学者。彼は保守主義と王政や宗教を切り離し、政治スタイルとしての保守主義を打ち出しました。
 オークショットによれば、「統治とは、何かより良い社会を追い求めるものではない。統治の本質はむしろ、多様な企てや利害をもって生きる人々の衝突を回避することにある」(99p)のです。
 さらにオークショットは、相手を打ち負かしたり結論を出すことを目的としない「会話」こそが重要であるとしました。

 このようにイギリスの保守主義者(ハイエクはオーストリア出身。ただイギリスへのシンパシーを隠さなかった)は自由主義者でもあり、急激な変化や合理性に頼った改革が、むしろ自由を損なうという共通の認識をもっていたことがわかります。

 ところが、第3章に登場するアメリカの保守主義者たちは少し様子が違います。
 まず、リチャード・ウィーヴァー、ラッセル・カークというあまり名の知られていない人物がとり上げられているのですが、ウィーヴァーはキリスト教色の強い「南部農本主義の末裔」(115p)とも言うべき存在で、カークも典型的な保守主義とキリスト教的伝統、所有権の重要性の主張など、さまざまな要素が入り混じった思想家でした。

 また、第3章では保守主義の潮流の一つとしてリバタリアニズムがとり上げられ、フリードマンとノージックの議論が紹介されています。
 フリードマンやノージックの著作を読んだ人は、彼らの考えを「保守主義」だとは思わないと思いますし、著者も彼らを「保守主義者」として紹介しているわけではありません。
 しかし、アメリカの保守主義の特徴として、「大きな政府への抵抗」や「(反エリート主義としての)反知性主義」があり、そういった点からは、リバタリアニズムと保守主義は手を結ぶことができるのです。

 ブッシュ政権でイラク戦争を主導したとされるネオコン(新保守主義)も、もともとはトロツキストであった人が多く、イラク戦争に見られるような介入主義的な姿勢は、いわゆるイギリス流の「保守主義」とは違ったものです。
 
 このようにキリスト教の伝統を守ろうとする宗教主義や、市場主義、さらに国際政治上のリアリズムなど、さまざまな要素が混在しているのが、アメリカの保守主義の特徴であることが見えてきます。
 このイギリスの保守主義とアメリカの保守主義の違いというものは、この本が教えてくれる重要なポイントだと思います。

 第4章は日本の保守主義について、丸山眞男や福田恆存の議論を紹介し、敗戦や明治維新によって歴史が断絶している日本での保守主義の難しさを指摘しつつ、伊藤博文や陸奥宗光、原敬などに見られる漸進的な改革スタイルに日本の保守主義のあり方を見ています。
 ただ、伊藤〜原のラインを「保守主義」とすると、では。山県〜桂のラインは何なんだ?という疑問も湧いてきますし、紙幅の関係もあってそれほど説得力のある議論がされているわけではないと思います。
 
 この本を読むと、バーク以来の正統な「保守主義」というものがわかるとともに、現在の
「保守主義」にはかなり雑多な要素が流れ込んでいいることがわかると思います。
 しかし、雑多な中身であっても現在の政治において世界的に「保守主義」が力を持っていることは確かであって、そうした政治状況を考える上で役に立つ本となっています。

保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)
宇野 重規
4121023781

筒井淳也『結婚と家族のこれから』(光文社新書) 7点

 去年刊行された『仕事と家族』(中公新書)で、少子化をもたらしている日本の仕事と家族の問題点を幅広く分析した著者が、「家族の現在」についてまとめた本。
 前半はややぼやけている部分もあるのですが、後半では非常に鋭い問題提起がなされていると思います。

 第一章は「家族はどこからきたか」。
 「男女がともに相手を好きになり、合意の上で親密な仲になる。関係がうまくいかなければ、別れる。好きな相手ができたら、女性でも積極的に男性に求愛する」、「男女ともに財産の所有権を持つ」と聞けば、戦後以降の「新しい家族」のことだなと思う人が多いでしょうし、「男性は外で働き、女性は家庭で家事や育児をする」と聞けば、昭和までよく見られた「古い家族」だと思う人が多いでしょう。

 しかし、古代の日本では男女の関係は比較的「緩く」、いわゆる「家」制度的なものは確立していませんでした。そこには、現代の北欧社会に通じるような、「結婚」を重視しない関係性があったのです。
 ところが、次第に「家」や「血のつながり」を重視する考えが浸透してくるようになり、「姦通」なども厳しく罰せられるようになります。そして明治になると、家長が財産を独占し、家族のメンバーに大きな権力を振るうようになります。男性優位の家族が出来上がっていくのです。

 このように、この第一章では「古い家族」というのがもっと長いスパンで見れば「古くない」というように家族の形が相対化されているのですが、やや疑問が残りました。古代のようなはるか昔の社会の「現代性」のようなものを指摘することは、あまり意味がないと思うのです(例えば縄文時代の「平等」と現代の「平等」は比べられないと思う)。
 35p以下に、近世社会における農村の「夜這い」や商家の婿取りに触れている部分があるので、そうしたエピソードで十分だったのではないでしょうか。

 第二章の「家族はいまどこにいるのか」では、第二次世界大戦後に進んだ家族の変化を追っています。
 産業革命後、工場などで働き賃金をもらう労働者が増えてきます。当初は、工場で働く女性も大勢いましたが、男性労働者の賃金が上がってくると、家庭と「仕事の場」が切り離されたこともあって、「男は仕事、女は家庭」という規範が強まってきました。
 この動きは欧米では1950~60年代、日本では1970年代にピークを迎えます。日本では、戦後も農家や自営業の家庭が多かったので、専業主婦家庭の浸透はやや遅れたのです(61-63p)。

 また、戦後の日本の特徴として「見合い婚から恋愛婚へ」という流れがあります。
 67pのグラフを見ると、60年代後半を境にきれいに恋愛婚が見合い婚を逆転していますが、著者はそう単純には分析できないといいます。見合い婚の中には、出会いは親がセッティングするけど決定するのは当人というパターンもありますし、逆に恋愛婚の中にも出会いは自分たちでしたけど、結婚には親の同意が必要だったというパターンもあるからです。 
 そして、著者は、現在の日本において娘の結婚の方により親の同意が必要とされる現象に注目し、そこに男女の経済格差の問題を見ています。

 第三章は、「「家事分担」はもう古い?」。
 共稼ぎ世帯が増えるに連れて、「家事分担」が叫ばれるようになっていますが、実証研究によると日本では一日の平均の妻の労働時間が夫のそれと比べて1時間長くなると、一週間あたりの家事の頻度が0.05~0.08回ほど縮まるそうです(102p)。これを見る限り、いまだに夫婦間の家事負担には圧倒的な不公平があるといえるでしょう。

 ただし、同じ程度に家事負担が妻に偏っている夫婦でも、家事分担がより平等な国とそうでない国を比べてみると、平等な国のほうが妻の不満が出やすいという研究もあり(107p)、日本のように女性に家事分担が偏っている国では不満が出にくいという現状もあります。
 こうした「不公平」に対して、フェミニズム政治学者のスーザン・オーキンなどは「正義の不徹底」だと批判していますが(109p)、「私的領域」と考えられている家事の世界に政府が介入すべきかどうかということはなかなか難しい問題です。

 第四章は、「「男女平等家族」がもたらすもの」。ここからがこの本の面白いところといえるでしょう。
 近年、先進国では夫婦共働きの家族が増えており、先進国に限れば共働きカップルのほうが出生率も高いという傾向も出ています(147ー149p)。
 ここから共働きのカップルを支援する正当性といったものも出てくるのですが、著者はここにいくつかの「落とし穴」があるといいます。

 1つ目は育児などのケア労働がより貧しい人に振りかかるという問題です。育児への公的支援が貧弱なアメリカなどでは、育児に「ナニー」と呼ばれるベビーシッターが当たることが多いのですが、多くのナニーは貧しい階層の人間であり、自分の子どもの世話をせずに金持ちの子どもの世話をしているという現実があります。階層社会が共働きを可能にしている面もあるわけです。
 
 2つ目はアメリカの社会学者ホックシールドが唱える「過程と仕事の世界の逆転」とも言うべき現象(161p)。
 共働きカップルは家事や育児を二人で行っていくことが必要で、家庭のマネジメントが重要になってきますが、それが「安らげる家庭」というものを壊しているというのです。

 3つ目は共働きが格差をもたらすという問題。これは橘木俊詔・迫田さやか『夫婦格差社会』(中公新書)でもとり上げられていた問題で、以前は「夫の収入が高ければ専業主婦が多くなり、夫の収入が低ければ妻の有業率が高まる」という「ダグラス・有沢の法則」がはたらいていたが、今は豊かな男女が共働きによってさらに豊かになるという現象が起きています。
 豊かな人と貧しい人がランダムに結婚するような社会ならば問題は少ないかもしれませんが、現実の社会は豊かな人は豊かな人と結婚するという同類婚の傾向が強いです。
 また、課税に関しても共働き世帯が増えてくると、個人単位で課税するか世帯単位で課税するかという問題も出てきます。著者はいくつかの課税スタイルを分析し、共働きを促進し、出生率を上げ、世帯格差を縮めるという3つの目標を実現する方式はなかなかないということです(191p)。

 第五章は「「家族」のみらいのかたち」。
 家族にはセーフティネットとしての機能がありますが、あまりにそれが重視されるようになると、今度は家族が「リスク」になりかねません。そして、それが「家族からの逃避」を生み出す可能性もあります。
 著者は「家族がなくても生活できる社会」を目指すことで、逆に家族が形成しやすくなるとしています。

 また、最後にカップルにおける親密性と不倫などを許さない排他性の問題、さらに第三章でも触れられていた「私的領域における公正さ」の問題を分析しています。
 ややまとまりを欠いた分析になっていると思うのですが、特定の人を「特別扱い」しないリベラリズムと「特別扱い」が基本となる家族の緊張関係というものは、今後ますますクローズアップされてくるのではないでしょうか。

 このように多面的なアプローチから「現代の家族」に迫っています。前作の『仕事と家族』が少子化問題へのアプローチということで一貫していたのに比べると、いろんなアプローチが混在していて、やや議論をつかみにくいところもあるかもしれません。
 ただ、それは現在の家族が直面している「難しさ」の反映でもあり、この本はその「難しさ」について教えてくれる本です。

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)
筒井 淳也
4334039278

西山隆行『移民大国アメリカ』(ちくま新書) 9点

 先日のイギリスのEU離脱の国民投票においても「移民問題」が焦点となりましたし、移民や難民の問題はヨーロッパを大きく揺さぶっています。そして、「移民の国」であるはずのアメリカでも、メキシコとの国境に「万里の長城」を築いて不法移民を一掃すると主張するドナルド・トランプが下馬評を覆して共和党の大統領候補となってしまいました。
 こうした現象を「ポピュリズム」と切って捨ててしまうのは簡単ですが、やはりこの「トランプ現象」というのは立ち止まって考えるべきものでしょう。

 そんな「トランプ現象」を考える上で、非常に有益な知見を与えてくれるのがこの本。
 アメリカの移民をめぐる政策の変遷や、アメリカの教育制度や社会保障制度、そして犯罪と移民の関わりを読み解くことで、「トランプ現象」の背景が見えてくる構成になっています。 
 さらに、2007年6月に連邦議会下院で決議された「従軍慰安婦問題についての対日謝罪要求決議」で注目された、「エスニック・ロビイング」などもとり上げ、アメリカ政治に対して移民が与える影響についても分析しています。
 「トランプ現象」だけでなく、アメリア社会を読み解く上でも役に立つ本と言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
第1章 アメリカ移民略史
第2章 移民政策
第3章 移民の社会統合―教育・福祉・犯罪
第4章 エスニック・ロビイング
第5章 移民大国アメリカが示唆する日本の未来

 第1章では、アメリカの移民の歴史が語られています。
 アメリカは「移民の国」ですが、移民のめぐる問題は常にくすぶり続けていました。
 1790年台には、フランスやアイルランドからの移民へはフランス革命の急進的な思想の影響を受けているとの不信感が表明されましたし(27p)、1850年代にはアイルランド系移民への反発から反カトリックの「ノウ・ナッシング」と呼ばれる秘密結社が勢力を増大させました(30p)。

 その後、中国系移民への反発などから、1890年の国勢調査による外国生まれの人を基準として母国籍を同じくする人に移民枠を割り当てる1924年移民法が成立(34p)。さらに、1965年移民法ではこの割当が撤廃され、移民に関して高技能者とすでにアメリカに居住している人の近親者を優先することとしました(40p)。
 この結果、増大したのが中南米系の移民です。彼らは近親者の呼び寄せや、アメリカ生まれの子どもにアメリカ国籍を与えるという制度を利用して、その数を増やしていきました。

 ここから中南米系の移民が政治的な問題となってくるのですが、中南米系の移民に対する民主・共和両党の態度は複雑でした。
 中南米系の票がほしい民主党の政治家は移民に友好的ですが、労働組合に支持されている民主党の政治家は、賃金下落の恐れなどから移民に敵対的な立場を取ります。一方の共和党も企業経営者に近い政治家は移民を歓迎しますが、移民に対する不安を持つ地域から選出された政治家は移民の増加に反対します(43p)。
 このような中で、受け入れるにしろ規制するにしろなかなか思い切った対策を打ち出しにくいのが、今のアメリカの政治の状況なのです。

 この中南米系の移民の増加はアメリカの政治にも大きな影響を与えています。この移民の増加と最近のアメリカの政治情勢を読み解いたのが第2章です。
 1960年に総人口の85%を占めていた白人(中南米系を除く)の割合は2011年には63%にまで低下しています。一方、中南米系は17%にまで増加しました(50-51p)。
 こうした中、中南米系を含むマイノリティは民主党を支持し、白人は共和党を支持するという傾向が強まっています。
 しかし、一方で中南米系はつねに民主党を支持するわけではなく、レーガンやブッシュ(子)は大統領選挙で中南米系の3~4割の票を獲得しており、中南米系を攻略できるかが共和党の候補の勝利への鍵となります(52-53p)。

 そこで、今回の大統領選挙でもマルコ・ルビオとテッド・クルーズが注目されたわけです。両名ともキューバ系の移民の子で、その政治的な立ち位置は随分と違いますが、中南米系の支持が期待できる人物です。
 特にルビオは、2013年に提出された不法移民への合法的地位付与と国境管理強化の両立を図る法案の上院通過に尽力した人物でもあり、中南米系の支持を得られる可能性の高い候補でした(69-70p)。

 ところが、共和党の予備選挙は「白人のバックラッシュ」とも呼ばれる現象によってドナルド・トランプの勝利に終わります。
 80年代以降、黒人の福祉受給者への反発などからブルーカラーの白人が支持政党を民主党から共和党にシフトさせつつあるのですが、そうした支持層がトランプの移民批判を支持したのです。
 移民問題を取り上げればとり上げるほどし支持を増やすトランプに対して、他の候補もトランプに乗っかる形で移民問題をとり上げるようになり、いつの間にか移民対策が最重要課題となっていたのです。
 これは中南米系の票を獲得して大統領選挙に勝利しようと考えていた共和党主流派にとっては痛い展開ですが、結局、トランプが押し切ってしまいました。

 ここまででも薄めの新書1冊分くらいの内容はあると思いますが、さらに第3章では、教育・福祉・犯罪と移民の関係を探っていきます。著者の専攻は社会福祉政策や犯罪政策であり、この第3章が本書の肝といえるかもしれません。
 
 まず、連邦制を取るアメリカでは、移民政策を決めるのは連邦政府である一方、移民に対する教育や福祉など社会統合に関しては州政府が担うことになります。
 州政府から見ると、連邦政府が移民を規制しないせいで自分たちに負担が押し付けられていると感じることになります。このため、州レベルでは「移民に対して厳しい政策」が打ち出されるケースが出てきます。

 教育の分野では、アメリカは中央の統制が緩く、教科書検定制度はありませんし、「国語」の授業もありません。その教育内容は学校区のレベルで決まることが多いのです(101p)。このため、中南米系の移民が多い地区では2か国語教育やスペイン語による教育が行われるケースもあります。
 この状況を憂慮したのがサミュエル・ハンチントンで、彼は中南米系の移民がアメリカ的価値観やアメリカへの忠誠を持とうとしないとして、それがアメリカの国家としての基盤を掘り崩すと考えました(99ー100p)。
 また、こうした状況への反発として、アリゾナ州では2010年に「特定のエスニック集団のために設計された、あるいは、エスニック的一体感を重視する可能性のある授業を、州内の公立学校で実施してはならないと定めた法律」が制定されました(89p)。

 福祉については、「アメリカの寛大な社会福祉政策が貧困な移民を引き寄せている」(109p)との指摘があります。
 著者は年金、公的扶助、医療保険の各分野について、アメリカの制度を説明しつつ、いずれも移民を引き寄せる要因にはなり難いと結論づけています(そもそも、アメリカ合衆国憲法には生存権の規定がない(115p))。
 しかし、「アメリカの公的扶助政策の縮減は、公的扶助受給者は身体的にも精神的にも労働可能であるにもかかわらず怠惰で労働していない人が多い、しかも、その大半は黒人に違いないという、二重の誤解に基づいて進行した」(114p)とも言われており、この「福祉へのタダ乗り批判」には根強い支持があります。実際、オバマ大統領の打ち出した「オバマケア」も不法移民に提供されるとして批判されました。

  次に犯罪ですが、中南米系の男性の収監者数の割合は白人男性を大きく上回っています(126p)。このデータを見ると、「移民は危険」となりますし、それを利用する保守派の政治家も多いのですが、このデータにはからくりがあります。
 中南米系の収監者の半分近くは移民法関連で収監されており、移民が犯罪を起こしているというよりは、不法移民が厳しく取り締まられるようになった影響で収監者数が増えているのです。
 また、アメリカでは民間の刑務所も増えており、移民法関連の収監に特化した民間刑務所も登場しています。そのような民間刑務所が移民取り締まりの強化を求める動きもあるそうです(133p)。

 第4章はエスニック・ロビイングについて。
 多くの人はユダヤ・ロビーという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。ユダヤ人が豊富な資金力を持って政府にロビイングするために、イスラエルを批判するような政策が通らないという話です。
 アメリカにはさまざまな国からの移民がいて、またアメリカという国の影響力も大きいです。そこで、特定のエスニック集団が自分たちの民族や母国のためにロビイング活動をするのです。

 例えば、アルメニア系はこのロビイングを積極的に行っており、2007年にはトルコによりアルメニア人の虐殺をジェノサイドと認めるように求める決議が下院の外交委員会で採択されました。
 この決議はトルコの反発を呼びましたが、アメリカでは時の国益と反するようなこのような決議がしばしば行われます。アメリカではエリートが外交を独占する伝統がなく、選挙区の事情などから国益とはまた違ったロジックで議会が動くことが多いのです。 
 この本では従軍慰安婦についての決議に関してもアルメニア系のロビイングとの絡みが指摘されています(142-147p)。

 また、ユダヤ系、キューバ系、メキシコ系のロビイングについても分析しており、これらが一種のトランスナショナル・ポリティクスの様相を示していることも指摘しています。
 さらに、アジア系のロビイングについても近年の日系から中国系へのパワーの変遷を紹介しています。予算の縮小にともなって日系の存在感は薄れており、その一方で中国系は潤沢な予算で存在感を示しています。ただ、中国は中国系のアメリカ人のコミュニティの動員には成功していない面もあります。

 第5章は、今後の日本への示唆などについて。技能実習生の問題や社会統合の問題などが簡単に触れられています。

 このように非常に内容が盛りだくさんの本です。トランプ現象の背景が読み解けるとともに、アメリカの教育・福祉・犯罪と移民の問題の関わりを知ることができ、さらにエスニック・ロビイングを通じて、国境を超えた政治活動についての知見を得ることができる。これだけの内容をコンパクトにまとめた新書というのはなかなかないと思います。
 今年の秋の大統領選挙を前に、多くの人に薦めたい本ですね。 

移民大国アメリカ (ちくま新書)
西山 隆行
4480068996

松沢裕作『自由民権運動』(岩波新書) 9点

 民衆が自由と民主主義を求めた運動、政変に敗れた板垣退助、後藤象二郎、大隈重信といった人物が再び政治的影響力を取り戻すために始めた運動、のちの大陸進出につながるナショナリズムをつくり上げていった運動など、自由民権運動についてはさまざまな見方、評価があります。
 そうした中で、この本は自由民権運動を近世社会から近代社会の移行期に、その新しい社会を自らで創りだそうとした運動として捉えています。
 このように書くとかなり格調高く聞こえますが、実際、この本で紹介されるいくつかのビジョンは時代錯誤であり、ご都合主義なものです。そうした、駄目な部分も含めてとり上げることで、自由民権運動に新しい光を当てた本と言えるでしょう。
  
 著者は『町村合併から生まれた日本近代』(非常に面白い本で、おすすめです)で、町村の再編によって、いかに近世社会から近代社会への移行が行われたかということを明らかにした松沢裕作。
 今作でも、近世から近代への移行期に生きた人々の姿を、さまざまなエピソードや史料から明らかにしようとしています。

 目次は以下の通り。
第1章 戊辰戦後デモクラシー
第2章 建白と結社
第3章 「私立国会」への道
第4章 与えられた舞台
第5章 暴力のゆくえ
終章 自由民権運動の終焉

 まず、著者は日本における「デモクラシー」が戦争の後に盛り上がったことに注目します。
 大正デモクラシーは日露戦争の後に起こりましたし、戦後民主主義も十五年戦争の後に起こりました。そして、戊辰戦争の後に起こったのが、この自由民権運動だというのです。

 自由民権運動の指導者というと、板垣にしろ大隈にしろ薩長の藩閥に敗れた「敗者」というイメージが強いですが、著者が光を当てるのはむしろ戊辰戦争の「勝者」としての立場です。
 この本では板垣退助と河野広中という二人の自由民権運動家を詳しくとり上げていますが、この二人は戊辰戦争の「勝者」になります。河野広中については福島出身ということで旧幕府側の人間と思う人もいるかもしれませんが、河野は奥羽越列藩同盟に参加していた三春藩を新政府側に恭順させるために努力した人物です(4ー8p)。
 しかし、板垣。そして特に河野は戊辰戦争に対する自らの貢献(というか貢献の自負)に見合った処遇を受けることは出来ませんでした。それが彼らを自由民権運動に結びつけることになります。

 河野広中は三春の魚問屋に生まれた人物で、近世社会であれば彼が政治的な発言権を持つことはありえません。
 著者は、近世の身分制を上下のヒエラルキーというよりは、人間がいくつかの「袋」にまとめられ、その積み重ねによって社会が出来上がっているようなものだといいます。
 武士は藩に所属し、百姓は村に所属しており、それぞれが袋のような形で中にいる人々を保護し、統制しているのが近世社会なのです(24ー26p)。
 しかし、明治維新によってこの「袋」は破れます。また、江戸時代の末期になると博徒や日用と呼ばれる日雇い労働者など、「袋」からはみ出すような存在も生まれていました。
 幕末の洋式軍隊では、このような博徒や日用が歩兵として集められました。西洋式の軍隊とそれまでの武士のやり方では、軍隊編成の根本が違い、こうした人々を集めざるを得なかったのです(17ー23p)。

 1874年、民撰議院設立建白書が提出されたことによって自由民権運動はスタートを切りますが、この建白書に対して二つの批判が寄せられました。
 一つは「有司専制」を批判していながら、主要な提出メンバーも少し前まで「有司」ではなかったのか? という批判、もう一つは民撰議院の設立は長期的な目標であって、今の日本では時期尚早であるという加藤弘之の批判です。
 ここで注目すべきなのは民撰議院設立そのものには誰も反対していない点です。民撰議院は誰もが同意する「錦の御旗」であり、それは「権力から追われたものが、ふたたび権力に「わりこむ」ための道具という側面をもっていた」(46p)のです。

 この後、自由民権運動推進のために各地で結社がつくられます。この結社は自由民権運動を進めるとともに、近世社会の「袋」を補完するようなものでもありました。
 板垣らが立ち上げた土佐の立志舎はよく知られた結社ですが、活動の大きな柱として困窮した士族への援助があり、県庁と癒着しながら「袋」を失った士族を保護しようとしました。
 立志社に関しては、西安戦争の際、西郷と呼応して武力蜂起をしようとしたと言われてますが、西南戦争で西郷は敗北。立志社の権力に「わりこむ」動きは挫折することになります。

 権力に「わりこむ」運動に挫折した人々は、今度は愛国社を中心に自分たちの力で身分社会にかわる新しい秩序を創ろうとします。
 このように書くと非常に立派なビジョンですが、この愛国社に集まった各地の結社はその性格も様々で、まさに「同床異夢」という言葉がピッタリとくるようなものでした(この結社がシーダ・スコッチポルが『失われた民主主義』で描いたようなアメリカの会員に保険を提供するようなものに育っていけば日本の社会も少し違うものになっていたのかもしれません)。

 頭山満らがいた福岡の向陽社(後の玄洋社)は、筑前国すべての人々を組織しようとした結社で、町村→郡→筑前国の積み上げによってつくられた一種の民会組織を目指していました(77ー79p)。
 越前の天真社は、地租改正不服運動を背景にして、村単位の参加を求めて結社をつくろうとしました一方、福沢諭吉が中心となった交詢社では、知識の交換や交流に主眼が置かれていました(80ー86p)。

 愛知県の愛国交親社は、戊辰戦争に参加した博徒など中心とした結社で、「撃剣会」の興行を行い、さらに「愛国交親社に加入されば二人扶持の俸禄が支給され、さらに腕力のあるものには帯刀が許される」「入社すれば兵役を免れる」「税金が免除される」といった文句で勧誘活動を行っていたそうです(92ー96p)。
 これは「自由民権」でもなんでもなく、要するに「愛国交親社に入れば武士になれますよ」ということです。
 著者はこれを「参加=解放」型の幻想と名付けています(96p)。結社に参加することで、社会的な上昇を果たすことできるという幻想が共有され、その時のイメージとして、誰もが知っている「武士」という身分が利用されたのです。
 
 このような人々の雑多な夢を取り込みながら、自由民権運動は展開していくことになります。
 1881年の明治十四年の政変によって国会の開設が決まったあとも、立憲改進党がすでにあった府県会での活動に熱心であったのに対して、自由党は既存の秩序である府県会には否定的でした。
 この本では1882年に起きた福島事件がそのような観点から分析されています。この事件で逮捕された河野広中は、県令・三島通庸の暴政に苦しめられている農民と連帯して戦ったわけではなく、県会でひたすら三島と対立し続け、その反政府的な動きがもとで逮捕されたのでした(146ー163p)。
 
 この福島事件を皮切りに、激化事件と呼ばれる自由党の関係した暴力事件が起きていくのですが、その背景には「暴力に訴えてでも新しい秩序を自分たちの手で創出する」(190p)という自由党の思想の中核にあるものがありました。
 その新しい秩序というものは現状否定以外の共通点を持つものとは言いがたいものでした。
 この本でとり上げられている秋田事件(秋田立志会のメンバーが資金調達のために強盗を行った事件)を起こした秋田立志会は、先ほど出てきた愛国交親社と同じように「参加すれば永世禄が支給される」「徴兵制を廃止し、立志会のメンバーが軍事力の担い手となる」といった謳い文句で勧誘を行っていましたし(172ー177p)、愛国交親社のメンバーも強盗事件を起こして逮捕されています(186p)。
 
 この現状否定路線は、自由党が解散し、激化事件の中でももっとも大規模なものとなった秩父事件が軍隊によって鎮圧されたことによって終りを迎えます。そして、著者はこの2つの出来事が起こった1884年をもって自由民権運動は終わったとしています(204p)。
 自分たちの手で新しい社会を創り上げる運動は挫折し、政府によってつくられた憲法や帝国議会という舞台の上で新しい政治がスタートすることになるのです。

 大隈重信の動きや松方デフレの影響などについては、この本ではあまり触れられていません。ですから、自由民権運動のすべてを描いた本だとは言えないと思います。
 しかし、近世社会から近代社会の移行という点に注目しながら、自由民権運動を語り直してみせたこの本は、歴史の理解に新しい視点を提供してくれるものですし、何よりも面白いです。また、コンパクトにまとまった本でありながら、「文献解題」もついており、今後、自由民権運動を考えていく上での「最初の一冊」となっていくのではないでしょうか。

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)
松沢 裕作
400431609X

角岡伸彦『ふしぎな部落問題』(ちくま新書) 8点

 自分は現在、東京で社会科の教員をしているのですが、教えるときにいつも難しさを感じるのが部落差別の問題です。
 今の東京の中学生や高校生だと部落差別についてまず知らないですし、「結婚や就職などで差別があったりする」と言ってもなかなかピンとこない様子です。結局、「江戸時代には「えた」、「ひにん」と呼ばれていて」といった歴史的な経緯を中心に話すのですが、いつも部落差別を知らない生徒に部落差別の存在を教えることに引っ掛かりを感じていました。

 そうした部落差別を語ることの難しさを、部落出身のライターである著者が解きほぐしてくれたのがこの本。
 部落差別をなくすための取り組みの相反する方向性を明らかにしつつ、橋下市長の出自をめぐる『週刊朝日』の問題や、映画「にくのひと」の上映をめぐる問題、さらに部落での新しい動きなどをとり上げることによって、今なお続く差別や、解消のための方向性を探ろうとしています。

 目次は以下の通り。
第1章 被差別部落一五〇年史
第2章 メディアと出自―『週刊朝日』問題から見えてきたもの
第3章 映画「にくのひと」は、なぜ上映されなかったのか
第4章 被差別部落の未来

 著者は「はじめに」の部分で、基本的に、あらゆる反差別運動は非差別当事者を残したまま、差別をなくすことを目指している、と言っています。障害者差別に反対する障害者は「障害者でなくなること」を目指しているわけではなく、「障害者のままで暮らせること」を目指しているわけです。
 しかし、部落解放運動に関しては「部落民のままで暮らすこと」と「部落民でなくなること」の間を揺れ動いてきました。
 このことについて著者は次のように述べています。
 部落解放運動は、部落民としての開放を志向しながら、「どこ」と「だれ」を暴く差別に対して抗議運動を続けてきた。しかしそれは出自を隠蔽することにもつながる営為であった。部落民としての解放を目指しながら、部落民からの解放の道を歩まざるを得なかった。
 差別をなくす過程で、部落を残すのか、それともなくすのかという課題を、私たちは整理できていないのである。現在起きているさまざまな問題は、この部落解放運動が抱える根本的矛盾から派生している、と私は考える。(9p)

 第1章では、全国水平社から始まる部落解放運動の歴史が振り返られています。
 水平社宣言のなかでは、「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」(26p)と、「部落民のままでの解放」が宣言されていますが、実際、すべての部落民が「部落民のままでの解放」を望んだわけではありませんでした。

 また、全国水平社の創立大会の参加者から「(宣言では)自らは、特殊部落民、エタといっていて、自分たち以外の人がこう呼ぶことはけしからん、というのは、どうも納得がいかない」との声も出たそうで(31p)、呼称の問題はこの後もずっと付きまとうことになります。
 著者は「あってはならない存在を固定化するという矛盾を、部落解放運動は当初から内包していたのである」(32p)と言います。

 その後も部落の暮らしは改善されず、1960年に発足した同和対策審議会の答申を受け、1969年に同和対策事業特別措置法が施行されることになります。
 しかし、この同和対策事業は、「どこ」と「だれ」を明らかにしなければしなければ前に進まないものでした。そして、33年間で15兆円が投じられた事業によって部落の環境は大きく改善されましたが、結果的に部落(同和地区)を残存させることにもなりました(44ー45p)。

 このように書いていくと、やはり「部落民でなくなること」(部落を解消していく)を目指していけばよかったのではないかと感じる人もいるかもしれませんが、差別というものはそう簡単なものではありません。
 
 この本の第4章には、大阪の箕面市の北芝という場所で、新しい部落の形を模索する人達の姿が紹介されてます。
 同和対策事業特別措置法の功罪や、それを乗りこえて新しい街づくりを進める人々の姿は非常に興味深いのですが、その個々人のエピソードの中に部落問題の根強さが顔を出しています。

 例えば、1950年代半ば生まれで新しい街づくりを始めた世代の人々は、部落出身でありながら、部落差別の話を聞いて、「この世の中に、そんな差別なんかあるかい」と答えたそうです(188p)。
 しかし、交際だ結婚だとなると差別にぶち当たります。当事者が「部落民でなくなっても」、周囲がそれにこだわるのです。21世紀になった今でも、こうした差別に直面する若者は少なくありません。

 そして、部落に対する「外からのこだわり」を露呈させたのが、この本の第2章で取り上げられている橋下市長をめぐる『週刊朝日』の記事の問題でした。
 ノンフィクション作家の佐野眞一によるこの記事では、橋下氏の父親が部落出身者であることが指摘した上で、その出自と橋下氏の性格や本性を結びつけるような記述がなされていました。
 この連載は橋下氏からの抗議もあり、すぐに打ち切られることになりましたが、この記事自体も部落に対する差別意識があってこそ成り立つような記事でした。

 著者は、こうした橋下氏の出自を「暴く」記事が『週刊朝日』以前にもいくつかあったことを指摘し、その誤りについても書いています(橋下氏は大阪市の同和地区に引っ越して暮らしていたと報じられているが、そこは同和地区の隣接地区であって同和地区ではない、など)。
 橋下氏の主張や政策への批判があるのは当然ですし、人間的に好きになれないといった感情を持つ人もいるかもしれませんが、それが今なお「出自」や「血脈」と重ねられてしまう。そういった社会意識が、少なくともマスコミには生きているのです。

 また、部落問題がこじれているのは、部落解放運動を進める側の閉鎖性や定まらないスタンスにも原因があります。それを明らかにしているのが第3章の映画「にくのひと」の上映中止をめぐる問題です。
 2007年、ある大学生が食肉センターを取材したドキュメンタリー映画を撮影し、部落解放運動の研修会やアムネスティ映画祭で好評を博し、田原総一朗ノンフィクション賞の佳作を受賞しましたが、結局、一般上映されることはありませんでした。
 食肉センターのある地元の部落解放同盟の支部から「待った」がかかったからです。

 支部が問題にしたのは、「エッタ」という言葉が使われているシーンと、地名や食肉センターの住所が明記されているシーン。
 食肉センターの住所を表示するのは、どこが部落であるのか知らせているのと同じだという主張なのですが(143p)、これに対し、食肉センターの責任者で撮影を許可した中尾氏は「”寝た子を起こすな”という考え方と一緒や」(145p)と批判しています。
 解放同盟の中でも、「部落民のままで暮らすこと」と「部落民でなくなること」の両立し得ない二兎を追うような態度が見られるのです。
 こうした状況で、「触らぬ神にはたたりなし」と遠ざけられているのが現在の部落問題ではないでしょうか。

 この状況に風穴を開けるものとして紹介されているのが、先ほどの部分でも少し触れた、第4章の北芝という地区を紹介した部分です。
 部落であること隠すのではなく、また一方的に援助を受けるわけではなく地域として自立していこうとする姿は非常に興味深いものです。
 
 橋下市長は「いわゆる被差別部落の問題をひとつひとつ解決していこうと思えば、役割を終えたものはできる限りなくし、普通の地域にしていくのが僕の手法」と述べたそうですが(276p)、著者は「そう簡単に歴史が風化するわけではない」(277p)と言います。また、ネットの普及は「風化」を許さなくなっています。
 「出自」や「血」といった全近代的な感覚ではなく、「歴史を背負った地域」という見方で部落問題を考えていくことが必要なのでしょう。

 なお、この本の持つ問題意識については、梶谷懐氏のブログでより広い視野からとり上げられています。一読をおすすめします。

ふしぎな部落問題 (ちくま新書)
角岡 伸彦
4480068961

菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書) 6点

 話題の書。とりあえずの全体の感想としては、著者の熱い思い入れが伝わってくる本ですけど、その「思い入れ」が「思い込み」に転化してしまっている部分もあるな、というものです。
 ただ、著者が切り込んでいかなければ、「日本会議」という組織についてきちんと検討しようとする機運も高まらなかったわけで、そうした意味で貴重な仕事と言えるでしょう。

 Amazonのページにある本書の紹介文は以下の通り。
「右傾化」の淵源はどこなのか?
「日本会議」とは何なのか?

市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、
そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」がいた。

彼らは地道な運動を通し、「日本会議」をフロント団体として政権に影響を与えるまでに至った。
そして今、彼らの運動が結実し、日本の民主主義は殺されんとしている。――

安倍政権を支える「日本会議」の真の姿とは? 中核にはどのような思想があるのか?
膨大な資料と関係者への取材により明らかになる「日本の保守圧力団体」の真の姿。

 2014年の衆議院選挙後に成立した第三次安倍内閣は、閣僚19人のうち16人が「日本会議国会議員懇談会」に所属していました。もっとも、「神道議連」は19人中18人(公明党の太田昭宏国交大臣以外全員)、「靖国議連」は19人中16人なので、日本会議だけが突出しているわけではないのですが、神道議連や靖国議連と違ってどんな団体なのかがよくわからないのが日本会議の特徴といえるでしょう。

 まず、この本を読むと日本会議と宗教団体の関係が見えてきます。
 この本の31pに載っている日本会議の役員の表を見ると、神社本庁から靖国神社、明治神宮、比叡山延暦寺、黒住教、霊友会、崇教真光など、さまざまな宗教団体の関係者が名を連ねています。
 
 また、この本の第4章では、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催した2015年の11月10日の「今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会」の模様がレポートされていますが、そこでは「崇教真光から3000人」など、宗教団体を通じての動員が行われていました(123ー128p)。
 宗教団体という確実に票や動員を計算できる団体とのつながりが日本会議の強みの一つなのです。さらに政治家とすると、根強い批判のある新興宗教に直接支援を受けるよりも、日本会議というワンクッションが入ったほうが付き合いやすいという面もあるのかもしれません。

 このさまざまな宗教団体を通じて動員を図るという日本会議の手法が確立したのが、1977年に始まった「元号法制化運動」でした。
 日本会議の前身は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」であり(39p)、特に「日本を守る会」は「元号法制化運動」の中心となって元号法制化を成功させました。
 このときに使われたのが、地方会議での意見書採択運動や各地でのデモ、シンポジウムの開催といった手法であり、この手法が現在の日本会議の運動にも生かされています。

 では、この日本会議や前身の「日本を守る会」をつくったのはどのような人々なのか? 著者はそれを「生長の家」の関係者だとします。
 「生長の家」は、1930年に谷口雅春によって設立された宗教団体で、現在はエコロジー路線をとり政治とは距離をおいているものの、かつては反共意識に基づく右派的な教義を説く団体でもありました(42p)。

 「生長の家」は、学生運動がさかんだった60年代後半に「生長の家学生会全国総連合」(生学連)を結成。左翼的な学生組織に対抗しようとしました。
 そんな「生長の家」が主導した学生運動の輝かしい成果が、左翼学生が選挙し授業が中断していた長崎大学の「正常化」でした(44p)。
 この運動の中心となったのが椛島有三であり、彼こそが現在の日本会議の事務総長になります。

 この「生長の家」の関係者には、一時期「参院の法王」とよばれた村上正邦、安倍首相のブレーンの一人とも言われる日本政策研究センター所長の伊藤哲夫、平和安全法制において合憲の立場をとった憲法学者の百地章、「親学」を提唱する高橋史朗、安倍首相の補佐官を務める参議院議員の衛藤晟一などがいるされています。
 村上正邦は別としても、残りの人物はいずれも安倍首相と近い距離にあり、安倍首相の靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことに対し「我々の方が失望した」と発言した衛藤晟一を見ればわかるように、「復古的」とも言える価値観を主張する人々でもあります。

 著者はこうした一群の人々の存在を指摘した上で、さらにこれらの一群の人々を束ねるキーパーソンとして安東巖という人物の名前をあげています。
 安東巖は、椛島有三とともに長崎大学の「正常化」を成し遂げ、その後、「生長の家学生会全国総連合」(生学連)の書記長となりました。この生学連の委員長にはのちに一水会を結成し有名となる鈴木邦男が就任しましたが、安東の謀略によって失脚したそうです(278-283p)。
 この本は、この安東のカリスマ性についていくつかエピソードを紹介し、安東こそが中心人物であると結論づけています。

 ただ、安東巖がいくらカリスマ性に満ちた人物であったとしても、それが現在の日本会議に大きな影響を与えているとは結論付けられないのではないかと思います。
 例えば、この本には「いまだに、樺島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月、安東巖さんの家でミーティングしているはずです。少なくとも、元号が平成に変わる頃までは、毎月、安東さんの家に集まっていた」という関係者の証言を載せています(292p)。しかし、「元号が平成に変わる頃」とは四半世紀も前のことであり、現在の日本会議との関係をこの証言で裏付けるのは厳しいと思います。
 この本に書かれている安東巖の影響力というのは、あくまでも可能性の話でしかないと思います。

 また、2015年の12月に最高裁が「女性の再婚禁止期間」については違憲判決を、「夫婦同姓義務」については合憲判決を出しましたが、著者はその裏に「夫婦別姓阻止」を掲げる日本会議の存在を見ています。
 「最高裁の判断にまで、日本会議の影響を考えるのはいささか陰謀論めいてはいる」(93p)と断ってはいますが、やはりこの部分は陰謀論でしょう。最高裁の判断はある程度予想通りのものだったはずです。

 このように著者の「思い込み」が目立ってしまっている部分もあるのですが、日本会議が陳情や署名活動、デモなどの民主的な手法を地道に積み重ねながら影響力を増してきたという指摘は重要なものだと思います。政治には組織力や持続力が必要であり、日本会議に対抗すべきリベラル勢力にはそれが欠けていたと考えられるからです。
 政治に興味がある人は目を通しておいたほうがよい本だと思います。

日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完
4594074766
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通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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