山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書) 6点

 話題の書。とりあえずの全体の感想としては、著者の熱い思い入れが伝わってくる本ですけど、その「思い入れ」が「思い込み」に転化してしまっている部分もあるな、というものです。
 ただ、著者が切り込んでいかなければ、「日本会議」という組織についてきちんと検討しようとする機運も高まらなかったわけで、そうした意味で貴重な仕事と言えるでしょう。

 Amazonのページにある本書の紹介文は以下の通り。
「右傾化」の淵源はどこなのか?
「日本会議」とは何なのか?

市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、
そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた「一群の人々」がいた。

彼らは地道な運動を通し、「日本会議」をフロント団体として政権に影響を与えるまでに至った。
そして今、彼らの運動が結実し、日本の民主主義は殺されんとしている。――

安倍政権を支える「日本会議」の真の姿とは? 中核にはどのような思想があるのか?
膨大な資料と関係者への取材により明らかになる「日本の保守圧力団体」の真の姿。

 2014年の衆議院選挙後に成立した第三次安倍内閣は、閣僚19人のうち16人が「日本会議国会議員懇談会」に所属していました。もっとも、「神道議連」は19人中18人(公明党の太田昭宏国交大臣以外全員)、「靖国議連」は19人中16人なので、日本会議だけが突出しているわけではないのですが、神道議連や靖国議連と違ってどんな団体なのかがよくわからないのが日本会議の特徴といえるでしょう。

 まず、この本を読むと日本会議と宗教団体の関係が見えてきます。
 この本の31pに載っている日本会議の役員の表を見ると、神社本庁から靖国神社、明治神宮、比叡山延暦寺、黒住教、霊友会、崇教真光など、さまざまな宗教団体の関係者が名を連ねています。
 
 また、この本の第4章では、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催した2015年の11月10日の「今こそ憲法改正を! 武道館一万人大会」の模様がレポートされていますが、そこでは「崇教真光から3000人」など、宗教団体を通じての動員が行われていました(123ー128p)。
 宗教団体という確実に票や動員を計算できる団体とのつながりが日本会議の強みの一つなのです。さらに政治家とすると、根強い批判のある新興宗教に直接支援を受けるよりも、日本会議というワンクッションが入ったほうが付き合いやすいという面もあるのかもしれません。

 このさまざまな宗教団体を通じて動員を図るという日本会議の手法が確立したのが、1977年に始まった「元号法制化運動」でした。
 日本会議の前身は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」であり(39p)、特に「日本を守る会」は「元号法制化運動」の中心となって元号法制化を成功させました。
 このときに使われたのが、地方会議での意見書採択運動や各地でのデモ、シンポジウムの開催といった手法であり、この手法が現在の日本会議の運動にも生かされています。

 では、この日本会議や前身の「日本を守る会」をつくったのはどのような人々なのか? 著者はそれを「生長の家」の関係者だとします。
 「生長の家」は、1930年に谷口雅春によって設立された宗教団体で、現在はエコロジー路線をとり政治とは距離をおいているものの、かつては反共意識に基づく右派的な教義を説く団体でもありました(42p)。

 「生長の家」は、学生運動がさかんだった60年代後半に「生長の家学生会全国総連合」(生学連)を結成。左翼的な学生組織に対抗しようとしました。
 そんな「生長の家」が主導した学生運動の輝かしい成果が、左翼学生が選挙し授業が中断していた長崎大学の「正常化」でした(44p)。
 この運動の中心となったのが椛島有三であり、彼こそが現在の日本会議の事務総長になります。

 この「生長の家」の関係者には、一時期「参院の法王」とよばれた村上正邦、安倍首相のブレーンの一人とも言われる日本政策研究センター所長の伊藤哲夫、平和安全法制において合憲の立場をとった憲法学者の百地章、「親学」を提唱する高橋史朗、安倍首相の補佐官を務める参議院議員の衛藤晟一などがいるされています。
 村上正邦は別としても、残りの人物はいずれも安倍首相と近い距離にあり、安倍首相の靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことに対し「我々の方が失望した」と発言した衛藤晟一を見ればわかるように、「復古的」とも言える価値観を主張する人々でもあります。

 著者はこうした一群の人々の存在を指摘した上で、さらにこれらの一群の人々を束ねるキーパーソンとして安東巖という人物の名前をあげています。
 安東巖は、椛島有三とともに長崎大学の「正常化」を成し遂げ、その後、「生長の家学生会全国総連合」(生学連)の書記長となりました。この生学連の委員長にはのちに一水会を結成し有名となる鈴木邦男が就任しましたが、安東の謀略によって失脚したそうです(278-283p)。
 この本は、この安東のカリスマ性についていくつかエピソードを紹介し、安東こそが中心人物であると結論づけています。

 ただ、安東巖がいくらカリスマ性に満ちた人物であったとしても、それが現在の日本会議に大きな影響を与えているとは結論付けられないのではないかと思います。
 例えば、この本には「いまだに、樺島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月、安東巖さんの家でミーティングしているはずです。少なくとも、元号が平成に変わる頃までは、毎月、安東さんの家に集まっていた」という関係者の証言を載せています(292p)。しかし、「元号が平成に変わる頃」とは四半世紀も前のことであり、現在の日本会議との関係をこの証言で裏付けるのは厳しいと思います。
 この本に書かれている安東巖の影響力というのは、あくまでも可能性の話でしかないと思います。

 また、2015年の12月に最高裁が「女性の再婚禁止期間」については違憲判決を、「夫婦同姓義務」については合憲判決を出しましたが、著者はその裏に「夫婦別姓阻止」を掲げる日本会議の存在を見ています。
 「最高裁の判断にまで、日本会議の影響を考えるのはいささか陰謀論めいてはいる」(93p)と断ってはいますが、やはりこの部分は陰謀論でしょう。最高裁の判断はある程度予想通りのものだったはずです。

 このように著者の「思い込み」が目立ってしまっている部分もあるのですが、日本会議が陳情や署名活動、デモなどの民主的な手法を地道に積み重ねながら影響力を増してきたという指摘は重要なものだと思います。政治には組織力や持続力が必要であり、日本会議に対抗すべきリベラル勢力にはそれが欠けていたと考えられるからです。
 政治に興味がある人は目を通しておいたほうがよい本だと思います。

日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完
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八代尚宏『シルバー民主主義』(中公新書) 6点

 有権者の中心が高齢者になることで、高齢者が政治に大きな影響力を持つようになるというシルバー民主主義。高齢化が急速に進む日本では、まさにシルバー民主主義となりつつあると言われていますが、そのシルバー民主主義のもとでの社会保障や税制、雇用などの問題を論じたのがこの本です。
 シルバー民主主義の実態を解明するというよりも、シルバー民主主義という現実を受け入れた上で、いかにしてその弊害をなくしていくかということを論じた本になります。

 190ページほどの紙幅でさまざまな問題が論じられているので、個々の問題を深く分析しているわけではないですが、著者がかなりはっきりとした新自由主義者であるため、新自由主義の考え方をコンパクトに知ることができる本として面白いかもしれません。

 いわゆる「リベラル」陣営からは何かを批判するときの枕詞のように「新自由主義」という言葉が使われていますが、実は「リベラル」と「新自由主義」にも共通点はあって、例えば、この本の60p以下では選択的夫婦別姓制度や同性婚を、個人の選択を国が規制すべきではないという理由から支持しています。
 
 では、どこが違うのか?
 その辺りもこの本を読んでいくとわかると思います。

 まず、民主主義に対する以下の捉え方があります。
 納税者が団結することで、政府の持続的な歳出増加を通じた際限なき税負担の増加を防ぐことが、納税者民主主義の根幹にある。これに対して、高齢化の進展により税や社会保険料で賄われる社会保障給付の受益者層が持続的に増加し、政治力を高めるシルバー民主主義は、この納税者民主主義の基本原則を脅かす。(19p)

 これが新自由主義から見たシルバー民主主義の弊害です。勤労世代は「低負担低福祉か、高負担高福祉か」という選択を責任をもって選ばざるをえないのですが(高福祉を望めば高い税金を払わざるをえない)、高齢者は負担を現役世代に回すことで、「低負担高福祉」を望むことができるのです。

 その上で、著者は高齢者間の格差に目を向けます。
 大企業と中小企業の間で賃金格差のある日本では、特に勤続年数が増えるに連れて賃金に差がつきがちです。また、退職金にも差がありますし、現在の実質的に賦課方式となっている年金制度のもとでは、高所得者ほど現役世代から多くの所得移転を受け取っているともいえます(41-43p)。
 日本では世代間での所得移転が中心に考えられていますが、世代内、つまり高齢者間での所得の再分配が必要なのです。

 確かに高齢者の貧困問題は重要ですが、著者はそれ以上に子供の貧困が問題だとして、介護保険の子育て版としての「育児保険」を提唱しています。この「育児保険」を使って保育サービスの分野にも介護分野と同じような民間事業者の参入を促すべきだとしています(44-48p)。

 そして、この本で中心的に論じられているのが高齢化社会における社会保障制度の改革です。
 著者は現在のままでは財政は破綻すると見ており、また、年金における積立不足も深刻な問題だといいます。 
 年金財政の問題について、著者は支給年齢の引き上げを推しています。
 保険料の引き上げは現役世代の負担になりますし、給付額の削減についても現在のマクロスライド方式では低年金者に大きな負担になります(104p)。
 一方、支給年齢の引き上げは他国と比較して合理的だといいます。各国の支給開始年齢と平均寿命の差は10年程度ですが、日本は15年を超えています。支給年齢を70歳に引き上げることによって、他国と同じ程度の給付期間に抑えるべきだというのです。

 税制については、年金所得への課税を強化するとともに配偶者控除の廃止を訴えています。
 さらに消費税を社会保障目的消費税、あるいは年金目的消費税とすることで社会保障財源を確保し、税制を簡素化することを狙っています。消費税の逆進性については、低所得者向けの社会保障を充実させることで緩和可能だという立場です。
 また、相続税などの資産課税の強化も提唱しています。

 医療分野では混合診療の解禁という、いかにも新自由主義者らしい政策を主張するとともに、家庭医(ホームドクター)制度による過剰診療の抑制を主張しています。

 著者の専門ともいうべき雇用の分野では、年齢差別の禁止とそれによる定年制の廃止が主張されています。
 ただし、定年制がなくなった場合、今までのような年功賃金は維持できません。同一労働同一賃金へとシフトしていかざるをえないとしています。

 このように新自由主義の立場から一貫した主張がなされています。年金に関しては税方式を主張しつつも、積立方式への以降を主張している部分もあって著者の考える全体像がいまいち見えてこないのですが、その他の分野については明快だと思います。

 肝心のシルバー民主主義への対処としては、実情をきちんと説明する、高齢者の利他的な動機に期待する(孫のお年玉を取り上げるような年寄りはいないだろう(187ー188p))といったことがあげられています。
 この部分についてはやや物足りなくもあるのですが、高齢化社会に対する新自由主義の立場からの処方箋をざっと見ることができる便利な本だと思います。


シルバー民主主義 - 高齢者優遇をどう克服するか (中公新書)
八代 尚宏
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稲葉振一郎『不平等との闘い』(文春新書) 8点

 サブタイトルは「ルソーからピケティまで」。ピケティの名前が入っているということで、ピケティの解説本のようなものを期待する人もいるかもしれませんが、内容は「ピケティにたどりつくまで」といったもので、経済学のどのような文脈の中からピケティの研究が出てきたかということを明らかにしようとした本です。

 ご存知のようにピケティは、資本主義社会において「r(利子率)>g(成長率)」が一般的であり、格差が広がりつつあることを実証的な研究から明らかにしました。
 このピケティの研究から、全世界的に格差への関心が高まったわけですが、そうした人間の不平等について考えた思想家にルソーがいます。ルソーは私有財産制の始まりこそが、人類の不幸の大きな原因と考えていました。

 と、ここまで書くと、「なるほど、著者はルソーに立ち返ることで格差の問題を根源から考え直そうとしているのだな」と思う人もいるかもしれませんが(ある意味でそれをやろうとしたのが重田園江の『社会契約論』(ちくま新書))、この本はそうしたある意味でわかりやすい企みとも違います。

 この本は徹底的に経済学の文脈を追いながら、格差という問題が初期の経済学によっていかに捉えられ、いかに忘れられ、いかに問題として浮上してきたかを論じた本です。
 
 私有財産制度こそが不平等と公共の不幸の原因にほかならないと考えたルソーに対して、アダム・スミスは私有財産制の確立によって経済が発展し、それによって貧しい人の生活も改善されると説きました。
 つまり平等が大事だといっても、「みんなで貧しくなる」のでは意味がないと考えたのです。
 このスミスとルソーの間に、「成長か格差是正か」「成長と不平等緩和のトレードオフ」というべき議論の原型ができあがっているのですが(24p)、経済学はこの問題を単純に繰り返し論じてきたわけではありません。

 スミスやリカードウといった古典派経済学者の間では、資本家、地主、労働者という階級は固定的で、その階級の間を移動することはほとんど考えられていませんでした。
 スミスは、労働者の賃金が上がると労働者が子どもを増やすことで労働者人口が増加、それによって労働力の供給が増え賃金が下落するというメカニズムを考えており(32-33p)、労働者は基本的に低い所得しか得ることができまません。

 この不平等の問題に正面から取り組んだのがマルクスでした。
 マルクスは資本家が労働者を搾取していることが不平等の原因であり、また、技術革新によって常に生み出される失業者が労働者の賃金上昇を阻むと考えました。

 一方、19世紀後半から20世紀はじめにかけて成立した新古典派経済学では、階級のちがいといったものは後景に退き、市場における最適な生産、最適な消費といったものが分析の基本に据えられるようになります。
 特にアルフレッド・マーシャルは「人的資本」という概念を導入し、労働者も職業訓練などの投資によって賃金などが決まってくると考えました。
 労働者も日々の生活に追われるだけではなく、自らの「人的資本」に投資をする資本家としての側面があるというのです。

 さらに金融市場が整備されると、資本家と労働者を区別することの意味がますます薄れていきます。
 株式市場の発展によって、誰でも株主になれる社会が到来しますが、これはつまり「誰もが資本家になりうる」社会でもあります。
 格差の問題は、資本家と労働者の間の格差から、大企業と中小企業の間の格差に問題にシフトしていき、また正規雇用とパートタイマー、本工と期間工といった格差も浮上しました。

 そんな中、1950年代になると再びマクロ経済学成長論において、不平等や成長と分配の関係についての関心が復活します。著者はこれを「不平等ルネサンス」と名づけています。
 この関心のきっかけとなったのがクズネッツの提唱したクズネッツ曲線です。これは農業主体の経済から産業化が進むとそれに伴い格差は広がるが、一定以上産業化が進展すれば再び格差は縮小に向かうというものです。
 これは日本の現実にも当てはまるため飲み込みやすい考えだと思います。江戸時代が終わり日本の産業化が始まるとそれに伴い格差は広がったが、高度成長期になるとその格差は縮小に向かい、一億総中流社会が実現したというのが日本経済のわかりやすいストーリーであり、これはクズネッツ曲線をなぞるような過程になっています。

 しかし、1990年代になるとクズネッツ曲線の予測を外れる事態、つまり、先進国内で格差が拡大する傾向が観測されるようになるのです。
 そして、今までの新古典派経済学では、「自由な市場経済が存在しているところでは、人々の間における富や知識、能力の分配がどうであろうが、それらは最大限活用されるであろう」と考えられていましたが、「分配パターンが市場における生産と資本蓄積・経済成長に対して影響を与えることがある」(147p)と意識されるようになっていくのです。

 このあと、この本では実際に経済成長と格差に関するモデルを構築し、それがどのような帰結を生むのかを見ています。
 なかなか要約しにくい部分であるので、ここでは詳しい内容は紹介しませんが、非常に経済学的な議論がなされているので、経済学者がどんなふうに物事を見ているのかを理解する上でも参考になる部分だと思います。
 また、その中で資本市場の重要性を指摘しつつも、人的資本を向上させるための教育ローンの分野に関しては情報の非対称性などからどうしても利子率が高くなりがちであり限界があると分析しています。

 ここでいよいよピケティが登場します。
 といっても登場するのは248pある本書の205pからであり、あくまでもピケティが今までの経済学者のどういった問題意識を受け継いで、どこが違うのか?というエッセンスの抽出のみを行っています。
 ピケティは人的資本よりも物的資本に注目し、その物的資本が生み出す格差に焦点を当てました。
 さらにクズネッツ曲線についても、それが背後にしっかりとした理論を持ったようなものではなく、2度の大戦やそれとともに進行した福祉国家的な政策によってもたらされたものだと分析しています。

 また、著者はピケティがインフレーションにプラスの効果を認めているとします。別にピケティはアベノミクスのような同時代の政策を念頭に置いているわけではありませんが、インフレーションが格差に与える影響というのは確認しておくべきものでしょう。

 このようにこの本は決して「ピケティ入門」のようなものではありませんし、単純に「不平等の歴史」を求めるのであれば、「貧困」の発見や社会政策の歴史などに紙幅をとった本のほうが良いのかもしれません。
 けれでも、「不平等を経済学がいかに捉えてきたのか」という観点のもとにまとめられたこの本は、そうした入門書とは違った読み応えがあり、独自の視点から構成された「経済学史」としても楽しめる本だと思います。

不平等との闘い ルソーからピケティまで (文春新書)
稲葉 振一郎
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牧原出『「安倍一強」の謎』(朝日新書) 6点

 NHKブックスから出た『権力移行』で、安定した政権移行のあり方や改革を行う上での官僚組織の使い方を論じた著者が、高い支持率を維持し続ける安倍政権の「一強」の謎に迫った本。
 政権移行のあり方については『権力移行』に引き続き、説得力のある議論がなされていると思いますが、「安倍一強」の謎ときについては、ややもやもやしたものも残るかもしれません。

 目次は以下の通り。
序章 国民の信頼は一瞬にして失われる
第1章 政権交代で何が変わったか?
第2章 菅義偉官房長官仕様の「官邸」
第3章 安保法制という混迷の政策転換
第4章 政権の性格を変えた2014年総選挙
第5章 安倍首相の言葉と野党党首の言葉
終章 野党が政権を奪い返す条件

 国会内での安倍首相のややムキになった答弁やヤジ、あるいは安保法制の進め方、甘利大臣をはじめとする閣僚の不祥事、そして今回の消費税延期を打ち出すまでの過程などを見ていると、第二次安倍政権は「盤石」との印象は受けません。
 実際、第一次安倍政権は、閣僚の不祥事や安倍首相本人のブレなどによってわずか一年で崩壊しました。
 しかし、安倍政権の支持率は「盤石」と言っていいものですし、自民党の中からも安倍首相を脅かすような存在は出てきていません。

 この安倍政権の「強さ」は、民主党の「弱さ」の裏返しと考えられることが多いですが、著者はそれだけではなく、自民党が民主党に負けて下野したことによって、よりまとまりをもった強い集団に生まれ変わった可能性を強調します。
 安倍政権が強いというよりは、政権交代を経て、自民党が強くなったのです。一方、民進党(民主党)はまだ再生の途上であるというのが著者の見立てです。

 また、安倍政権の強さの秘密としてたびたびとり上げられるのが、一連の改革によって強化された官邸と、それを率いる菅官房長官の存在です。
 橋本内閣による省庁再編によって内閣府にさまざまな機能が集まるようになり、それを上手く使って長期政権を築いたのが小泉首相です。しかし、その後の政権はその機能を使いこなすことが出来ず短命に終わっていました。

 そんな中、安倍政権では菅官房長官のもと、内閣人事局を設置し各省の幹部人事を握るとともに、国家安全保障局を設置し、外交や安全保障にも大きな影響力を持つことになりました。
 ただ、著者は一方で内閣官房・内閣府の業務の整理も進んでいることに注意を向けます。官邸に集められた官僚と少数の閣僚によって重要事項を進めていくのが安倍政権の特徴なのです。

 そしてその官邸の中心にいるのが菅官房長官です。
 まず、著者は「菅の特徴は人事への関心である」(86p)と述べ、日銀総裁や内閣法制局長など、人事から政策変更を狙う菅の動きに注目しています。また、アルジェリアでの邦人人質事件を機に官房長官に情報が一元化される体制ができあがり、同時に官僚の掌握も進んだとしています。
 菅官房長官の人事への影響力は内閣人事局の設置によってさらに高まっています。

 著者が官邸のキーパーソンとしてあげるもう一人が国家安全保障局の谷内正太郎局長です。
 アメリカのNSCをモデルとして新設された国家安全保障会議の事務局が国家安全保障局で、その初代局長が谷内正太郎になります。
 この国家安全保障局はウクライナ情勢の対応などでその役割を果たしたと言われていますが(112p)、安倍首相からの信頼があり、各省に睨みをきかせられる存在となると、谷内局長の代わりとなる人物はなかなかいないそうです。

 このように「盤石」かに見える官邸ですが、属人的な力に頼っている部分もあり、70歳を超えた谷内局長の後任人事は一つのポイントになるかもしれません。

 このあと、第3章では安保法制をめぐる国会論戦や安倍政権の対応を追っているのですが、ここは「安倍一強」の謎という話の本筋からは少しずれてしまっているかもしれません。
 安保法制の議論がここまでこじれた背景として、著者は反対派が憲法学者を中心に弁護士などの法曹関係者を含め分厚い論陣を張ったのに対して、賛成派は国際政治学者などが中心で、その言論が外部に広がっていかなかったことをあげています。
 このあたりの分析は興味深いのですが、「安倍一強」の謎からは外れた話です。

 さらに第4章以降では、2014年の解散総選挙の意味を探るとともに、民進党(民主党)が政権を狙える存在になるために必要なことを述べています。
 後半を読むと、著者が「安倍一強」を健全なものだとは思ってなく、政権交代が可能な野党の存在こそが今の日本政治には必要であるという認識を持っていることがわかります。
 政権を失った自民党が野党ぐらしを通じて強くなったように、今度は民進党が強くなる番なのです。

 という形できれいにまとめているのですが、「安倍一強」の謎という点からいうと、論じていない部分がまだまだあるのではないかと思います。
 特に個人的には、TPP交渉において甘利経済担当大臣に交渉を一元化し、自民党内からの反対の声をほとんどシャットアウトした手腕に、安倍政権の「強さ」を感じたりするのですが、TPP交渉についての言及はほぼ無いです。
 全体的に、安倍政権の自民党内に対する「強さ」への言及は少なく、そこは少し物足りなく感じました。

 ただ、第二次安倍政権のこれまでを振り返ることができますし、その中でいくつか新しい論点も提示されています。「安倍一強」の謎を考える出発点になる本と言えるでしょう。

「安倍一強」の謎 (朝日新書)
牧原 出
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深町隆・山口義正『内部告発の時代』(平凡社新書) 7点

 著者の一人の山口義正は月刊誌『FACTA』でオリンパスの不透明な買収案件を暴いたジャーナリスト。名前を耳にしたことのある人もいるかもしれません。
 一方、深町隆という名前は聞いたことがないでしょう。この人物こそ、オリンパスの内部告発を行った人物であり、著者紹介によると未だにオリンパスの現役社員だそうです。
 というわけで当然ながらこの「深町隆」は仮名なのです、当時の様子やその後の状況などが冷静な筆致で書かれていて読ませます。

 本の構成として、第1部が山口義正による近年における内部告発の盛り上がりについてのまとめで、第2部が深町隆の手記となっています。やはり目玉はこの第2部になると思います。

 第1部は「内部告発をめぐる現在」というタイトルで、内部告発をした個人、その難しさ、内部告発で不正が暴かれたあとの企業の様子など、著者の山口義正が取材してきたこと、取材した上で感じたことなどがまとめられています。

 西東京市の知的障害者施設で日常的に暴行が行われていることを告発した看護師の女性の例や、運輸業界の闇カルテルを告発した所、29歳から定年の60歳まで研修所での草むしりなどの雑務しか与えられず退職を迫る脅しなどを受けた串岡弘昭の例が紹介され、いかに個人に大きな負担を負わせ、また解決までに時間がかかるものであるかが示されます。

 ただ、もう一方で示されるのは、そうした内部告発を行った人たちの持つ「強さ」です。串岡さんは自らを動かした力を「怒りです。」と述べていますが(55p)、こうした怒りや周囲から追い詰められていく中で固まっていく使命感のようなものが内部告発という孤独な行為を支えているのです。

 このように内部告発は告発者に孤独を強いるものなのですが、一方で、大企業となると一人内部告発者が出れば、内部告発者が群がり出るというのもひとつの特徴のようです。
 オリンパスにしろ東芝にしろ、一度内部告発が世にでると、次々と内部告発の情報が雑誌社などに持ち込まれるそうです。

 また、第1部の後半では、どうしたら内部告発がうまくいくかということを著者の経験も踏まえて書いています。勇気を持って内部告発を行っても、情報をどこに持っていくか、どのような形で持っていくかということが重要なのです。

 第2部は「オリンパス事件の真相」、著者の深町氏がいかにオリンパスの不正に気づき、どのように内部告発にまでもっていったのかということが語られています。
 著者の深町隆は一社員とのことですが、オリンパスの幹部だけではなく、監査法人や外部委員会を務めた弁護士、メーンバンクの人間まで、かなり幅広い範囲にわたってその責任を鋭く追求しており、自身の動きを順を追って書くだけではなく、オリンパス事件の構図を俯瞰的に描き出しています。

 オリンパスが行っていたのはいわゆる「飛ばし」というもので、バブル時代から行っていて財テクの含み損を表面化させないための不正な取引でした。
 含み損を抱えた金融商品を一時的に誰かに買ってもらうことで決算を乗り切り、なんとか市況の回復を待つという考えでしたが、市況は回復せず、オリンパスは96年末には800億円ほどの含み損を抱えていたといいます(157p)。

 2000年に企業が保有する金融商品に時価会計が導入されることになり、その前年、オリンパスの次期社長と目されていた藤井謙治取締役が最終処理を迫ったとのことですが、その提案入れられず藤井氏は辞任。2001年に社長になった菊川剛は、山田秀雄専務、森久志経営企画本部長とともにより巧妙な「飛ばし」を行っていくこといなるのです。

 もちろん、これらの「飛ばし」が一般の社員に明かされることはありませんでした。
 著者がおかしいと感じたのは2007年9月の中間決算だったといいます。決算における「その他関係会社有価証券」が07年3月期の160億円強から9月期末にはゼロになっており、不自然さを感じたといいます。「飛ばし」に使っている投資ファンドが連結決算に組み込まれそうになったので、それを精算したのです(162-164p)。

 一方、リーマンショック前のこの時期のオリンパスは絶好調でした。その勢いに乗ってオリンパスは英国の医療機器メーカー・ジャイラスの買収に乗り出すのですが、2100億円という買収価格は著者にとって明らかに割高と感じさせるものでした(174ー175p)。
 そして2008年3月の決算でオリンパスは過去最高の営業利益を計上しますが、著者はその時の取締役会資料にあった売り上げ数億円規模の会社の買収に600億円近くを投資する動きを知り、「あまりに高い買収価格、しかも相手は不明だ。取締役の特別背任に問われかねない案件だ」(165p)と直感したそうです。

 こうしたオリンパスの不透明な取引に対して、当時オリンパスの監査法人であったあずさ監査法人は減損処理を求め、オリンパスは分析機事業を売却してこれを乗り切りますが、菊川社長はあずさ監査法人を解任し、新日本監査法人に切り替えます。
 こうした不正な取引を重ねた挙句、2010年の3月期の決算でオリンパスはなんとか「飛ばし」の解消に成功するのです。

 こうした無理を隠ぺいするためにオリンパス社内では厳しい監視体制が取られ、役員の居室に盗聴器が仕掛けられているという噂もあったほどです(216p)。
 そんな中、著者の深町隆はこの本のもう一人の著者である山口義正に連絡を取り、その告発が『FACATA』にとり上げられることになります。
 さらに菊川社長の後任に据えられたイギリス人のウッドフォード社長がその記事を元に社内で調査をしようとした所、突如解任され、そこからオリンパスの問題が大いにマスコミを騒がせることになります。
 そして、オリンパスは上場廃止の瀬戸際まで行き、菊川前社長(元会長)、森前副社長らは逮捕され、有罪判決を受けることになるのです。

 このようにオリンパス事件は一件落着したようにも見えますが、著者の深町隆は、オリンパスの不正を調査した第三者委員会によって「腐った中心部」の一部が温存されてしまったことや、関与した社員への処分の甘さを問題視しています。
 さらに、メインバンクの担当者の責任を言及するなど(しかも当時の具体的な役職をあげて追求している)、関係者が読んだら背筋が寒くなるような内容になっています。

 第1部でオリンパス事件の経緯を時系列的に紹介してくれると第2部の内容がもっとわかりやすかったと思いますが(それは山口義正の別の著作で書かれているらしい)、第2部は当事者ならではの緊迫感に満ちており、ミステリー小説を読むような感覚があります。
 企業や組織を考えていく上で貴重な1冊といえるでしょう。

内部告発の時代 (平凡社新書)
深町 隆 山口 義正
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薬師寺克行『公明党』(中公新書) 7点

 サブタイトルは「創価学会と50年の軌跡」。長年、朝日新聞の政治記者などを務めた著者が、その歴史をたどることで外部からは見えにくい公明党の実態に迫った本です。
 目新しい分析がなされているわけではありませんが、さまざまな資料や関係者へのインタビューなどを駆使することで、過大評価でも過小評価でもない公明党の姿に迫ることができていると思います。

 目次は以下の通り。
序章 五〇年目の苦悶
第1章 嫌われた新興宗教―敗戦~一九五〇年代
第2章 結党―創価学会の政界進出
第3章 言論出版妨害事件―一九七〇年という転機
第4章 中国への熱い思いと日米安保体制
第5章 共産党、そして自民党への接近―権力を追い求めて
第6章 非自民連立政権、新進党の失敗―一九八九~九七年
第7章 現代の宗教戦争―公明党・創価学会への陰湿な追及
第8章 自自公から自公連立政権―一九九七~九九年
第9章 タカ派の台頭、後退する主張―自公連立の変容
第10章 特殊な「選挙協力」連立政権―二〇〇九年~
終章 内部構造と未来―変質する基盤、創価学会との距離

 創価学会は、1930年に牧口常三郎が結成した日蓮正宗の信者の団体「創価教育学会」に始まりますが1946年に創価学会に改称)、教団として巨大化し、政界にも打って出たのは1951年に戸田城聖が2代目の会長となってからでした。
 戸田は「折伏大行進」と言われる大規模な布教活動を進めるとともに、1955年の統一地方選挙に候補者を擁立して53人を当選させ、翌56年の参議院選挙では3人を当選させました(40p)。

 1957年には池田大作が公職選挙法で逮捕され(証拠不十分で無罪)、1958年には戸田城聖が急逝しますが、3代目会長の池田大作のもとで組織はさらに拡大、1964年には参議院で15議席、1000人以上の地方議会議員を擁する組織に拡大します(29p)。
 そして1964年には、形式的には創価学会から政治部門が切り離される形で公明党が結成されたのです。

 政治の世界に進出した頃の創価学会は、戸田のもと、日蓮正宗の教えを人々に広く伝える「広宣流布」を行い、国の許可を得て建立される戒壇である「国立戒壇」の完成を目指していました(41p)。
 今から見るとどう考えても政教分離の原則からアウトになる主張ですが、結成当時の公明党は、この他にも、結党大会で仏法を政治の世界に反映させる「王仏冥合」を理念として掲げるなど、宗教色の強い政党でした。

 また、結党当初は国会対策費問題に切り込み、沖縄の米軍基地問題に関する調査を行い国会でとり上げるなど、「野党らしい野党」でした。
 この姿勢が変化するのが、1969年末から表面化した「言論出版妨害事件」です。これは共産党が、「公明党が明治大の教授の藤原弘達教授の『創価学会を斬る』の出版を妨害している」と告発した事件で、『赤旗』では「公明党の竹入委員長が自民党の田中角栄幹事長に出版差し止めの協力を働きかけている」と報じられました。

 この事件で、公明党は野党各党から国会で激しく追求されることになります。一方、自民党は公明党バッシングから距離をおき、公明党を助けます。当時、公明党の書記長だった矢野絢也は「それからは角栄さんにも頭の上がらんことといったらなかったですな」と回想しています(67p)。
 この事件をきっかけに、創価学会と公明党の「政教分離」が進み、公明党の執行部は自民とつながりを持つようになっていくのです。

 この後、公明党は日中国交正常化において大きな役割を果たしますが、田中角栄が失脚し、革新陣営が勢いづくと公明党はそのスタンスをくるくると変化させていきます。
 1975年には作家の松本清張の仲介によって、創価学会の池田大作と共産党の宮本顕治が会談し、いわゆる「創共協定」と呼ばれるものが結ばれます。「双方間の誹謗中傷は行わないこと」などを定めたものでしたが(96p)、今まで敵対していた現場の反発は強く、短期間で空文化してしまいます。
 一方、1979年の自民党の「四十日抗争」のときは、大平首相から連立の誘いを受けるなど、自民党から秋波を送られたこともありました。

 公明党というと創価学会会長池田大作のもとで一糸乱れず、といった印象があるかもしれませんが、この本を読むと1970年代から1980年代後半にかけては竹入委員長、矢野書記長というコンビのカラーが強かったことがわかります。
 ところが、1986年に竹入委員長が引退すると、跡をついた矢野委員長は金銭スキャンダルで1989年に失脚。委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一というコンビで、政界再編の流れに突入していくことになります。

 御存知の通り、公明党の市川と小沢一郎とのコンビで細川連立政権崩壊後の新進党結成の流れを主導していきます。
 多くの地方議員や職員を抱える公明党にとって党の消滅ということは受け入れがたいことでしたが、市川は衆議院議員と参議院議員の一部を「分党」させ、新進党に参加します。
 ところが、1995年の参院選で新進党が集票力を示すと、自民党は執拗な「学会攻撃」を始めます。これに対し、小沢一郎は政務会長の市川と国会運営委員長の神崎武法を更迭して、攻撃をかわそうとしますが、これが小沢一郎と公明党の間に大きな亀裂を生むことになります。
 結局、1997年に新進党は解党。この新進党の結成と解答は、現在の公明党にとってもあまり触れたくない過去となっています(146p)。

 公明党と喧嘩別れしてしまった小沢一郎とちがって、公明党をうまく取り込んだのが自民党でした。
 1995年には地下鉄サリン事件を受けて、宗教法人法の改正が問題となりますが、その隠れた狙いは自民党による創価学会への牽制でした。自民党は池田大作の国会への参考人招致を要求するなど創価学会への攻撃を強め、それに屈する形で創価学会は自民党への接近を始めます。
 新進党が解党すると、自民は機関紙の『自由新報』に創価学会に対する謝罪記事を掲載し(166ー167p)、自公連立へと動いていくことになるのです。

 この創価学会(公明党)の防衛的な姿勢は、この本を読むと随所に感じるところです。創価学会が政界進出を始めたころ、特に力を入れていたのが東京都議会議員選挙でしたが、それは当時の宗教法人法に基づいて、創価学会を認証する自治体が東京都だったからだといいます(45ー47p)。
 「組織防衛」が創価学会(公明党)の大きな行動原理なのです。

 この後、タカ派の清和会が主流となった自民党との連立に苦心する公明党の様子などが描かれているのですが、このあたりは近年のニュースを追っていれば特に目新しい発見のようなものはないと思います。
 ただ、著者が自公連立政権の特徴として「連立政権を一時的なものではなく永続的なものと位置づけていること、政権運営だけでなく国政選挙での全面的な選挙協力が成立していること」(231p)をあげているのは重要な事でしょう。
 小選挙区比例代表並立制という選挙制度で生き抜くために、自民は公明を公明は自民を必要としており、しかしなおかつ、公明党のその出自から自民と公明はひとつの政党にはなれないというところが奇妙な安定を生み出しているのだと思います。

 また、終章の公明党の候補者選考システムを紹介した部分も興味深いです。公明党では「出たい人より出したい人」という原則のもと、推薦などによって候補者が選ばれます。
 特に総選挙の候補者となるような人物は、党幹部から一本釣りが多いようで、突然、代表や幹事長から電話がかかってきて候補者となうケースが紹介されています。

 このように基本的に公明党の今までの歴史をたどりつつ、終章で現在の公明党の内部構造と将来について分析する構成になっています。
 終章の分析の「小選挙区比例代表並立制は、公明党にとってメリットがほとんどない制度だ」(253p)という分析には少し引っかかるのですが(議員数はともかく、中選挙区制の時よりも政治に対する影響力は明らかに増しているはず)、全体的に公明党や創価学会の外部の人間が知りたい公明党の歴史が手際よくまとめられている本だと思います。

公明党 - 創価学会と50年の軌跡 (中公新書)
薬師寺 克行
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飯田泰之・木下斉・川崎一泰・入山章栄・林直樹・熊谷俊人『地域再生の失敗学』(光文社新書) 8点

 経済学者の飯田泰之が、数々の地域再生プロジェクトを手がけている木下斉、地域経済学を専門とする川崎一泰、経営学者の入山章栄、限界集落の状況や集落移転について詳しい林直樹、そして千葉市長の熊谷俊人の5人と、地域再生について語った本になります。
 対談だけではなく、各章に飯田泰之によるイントロダクションを置き、さらに川崎一泰、入山章栄、林直樹の講義を挟むことで、単純な「地域おこし批判」ではなく、現在の地域再生が抱える問題が立体的に見えてくるような構成になっています。

 目次は以下の通り。
第1章 経営から見た「正しい地域再生」(木下斉)
第2章 官民連携の新しい戦略(川崎一泰)
第3章 フラット化しない地域経済(入山章栄)
第4章 人口減少社会の先進地としての過疎地域(林直樹)
第5章 現場から考えるこれからの地域再生(熊谷俊人)

 この本で繰り返し言及されているのが、地域再生におけるその成功の基準の明確化です。
 「はじめに」で、飯田泰之は「地域における平均所得が向上することをもって「再生」と呼びます」(5p)と定義していますが、こうした成功と失敗の基準が抜け落ちているのが現在の地域再生です。

 木下斉は、B級グルメ、ゆるキャラ、イベントの「まちおこし」3点セットを鋭く批判していますが、それはこれらがいずれも地域への中長期的なお金の流入につながらないからです。
 例えば、B級グルメのイベントには多くの人が集まります。そこで優勝したりすればやっている人間の満足は大きいでしょう。ところが、B級グルメは1食500円前後。それが数百食売れたからといって稼ぎは限られています。
 イベントも同じで、人が集まれば「成功」と判断されがちですが、イベントにかかった費用を回収できていないケース多いです。
 結局は、税金を使って人を集めてということを繰り返しているケースが少なくないのです。

 また、ゆるキャラの「経済効果」についても懐疑的です。くまモンの経済効果は2年間で1244億円と言われますが(25p)、これは今まで普通に売られた商品にくまモンマークが付けられたものの売上なども含んでいます。つまり、売上が付け替えられただけというケースも多いのです(もっとも、今度の大地震後の動きを見るとくまモンクラスになれば、それは地域の大きな財産だと思う)。

 第2章では川崎一泰が、地方自治体は地価上昇を目指すべきだと言っています(135p)。地価の上昇は経済が活性化している一つの証拠ですし、固定資産税を通じて税収の増加にもつながります。
 ところが、現在の固定資産税はさまざまな減免措置の影響で、地価の上昇がストレートに税収の増加につながりません。さらに地方交付税交付金の存在が大きく、地方自治体が自前で税収を増やそうとするインセンティブはなかなかはたらきません。

 また、第5章で熊谷俊人は、たんに「地域を元気にする」といった目的で行われる政策は福祉政策であり、それに商業振興の衣をまとわせうようなやり方は間違っていると述べています(270ー271p)。
 「人々の絆が深まった」というような抽象的な基準が掲げられるがゆえに、地域再生はその場では成功しつつも、長期的には失敗し続けるのです。

 もうひとつこの本で強調されるのは「人口減少という前提」です。
 日本の人口が減少し続けるというのは誰もが知っていることですが、いざ地域再生となると他地域からの移住をあてにしていたります。

 熊谷俊人は、例えば今までは水道普及率100%を目指して30世帯しかいない集落にまで水道を引っ張っていたけど、30年後に何世帯残っているのか? これからは給水車や浄水器付きの井戸という選択肢も検討していかなくてはならないのではないかといったことを述べています(282ー283p)。
 
 さらにこの本の第4章では、人口減少の現実に真正面から取り組んでいる林直樹が登場します。
 林直樹は集落移転について研究している研究者で、講義では選択肢としての集落移転を説いています。
 集落移転というと、どうしても「仕方なく」、「無念だが…」といった追い詰められた末の選択肢として考えられがちですが、2001年に行われた調査によると集落移転を行った人の多くが「移転してよかった」と答えており(196ー198p)、集落の維持が不可能になった時点で四散するよりも、ある程度余力のあるところで集落移転を行ったほうが住民にとってもプラスの面が多いようです。

 林直樹は、集落移転を強制する必要はもちろんないが、選択肢として保持しておくべきだといいます。
 この集落移転は国策として進めるようなものではありませんが、当該自治体にとっては財政負担を軽くする一つの手段にもなりますし、何よりも住民たちがコミュニティを存続させていく上でオルタナティブな手段となるものです。
 地域再生の本には、あまり出てこない内容であり、よく寄せられる批判への応答もなされているので、この章はこの本の売りの一つと言っていいと思います。

 他にも第2章で川崎一泰が行っている「PFIが自治体の借金を見えにくくするための道具になってしまっている」という指摘も重要ですし(114ー115p)、第3章の入山章栄の話もビジネスの話としては、興味深いものを含んでいます。

 地域再生について論じた本というと、地方の将来をマクロ的に論じた増田寛也『地方消滅』(中公新書)や、この本にも登場する木下斉がまちづくりをみくろてきに論じた『稼ぐまちが地方を変える』(NHK出版新書)などがありますが、この本はミクロとマクロの双方に目配せがしてある点が大きな特徴となっています。
 そして全体の議論を組み立てている飯田泰之が、そのミクロとマクロの話題をうまくつなぎあわせています。
 地域再生だけではなく、今後の日本を考えていく上でもさまざまな視点と、ヒントを与えてくれる本と言えるでしょう。

地域再生の失敗学 (光文社新書)
飯田 泰之 木下 斉 川崎 一泰 入山 章栄 林 直樹 熊谷 俊人
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今野晴貴『ブラックバイト』(岩波新書) 8点

 『ブラック企業』(文春新書)でブラック企業の手口や問題点に深く切り込んだ著者が、近年学生を悩ませている「ブラックバイト」について、同じようにその手口と問題点を明らかにした本。
 「ブラック企業」から生まれた「ブラック~」という言葉をむやみに拡散させていくことに疑問を持つ人もいるかもしれませんが、この本を読めば「ブラックバイト」という現象が、ネーミングはどうであれしっかりと論じられ、対策が立てられるべき問題だということがわかると思います。
 今ここにある問題を鋭く論じた本と言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
1章 学生が危ない―ブラックバイトの実態
2章 ブラックバイトの特徴
3章 雇う側の論理、働く側の意識
4章 どうすればいいの?―対策マニュアル
5章 労働社会の地殻変動

 まず、この本ではブラックバイトの実態が紹介されています。
 一例目は、ニュースなどにもなった「しゃぶしゃぶ温野菜」の事例。「しゃぶしゃぶ温野菜」のフランチャイズ店にアルバイトとして入った大学生のAさんは、人出が不足するなかでシフトを増やされ、毎日のように13時から26時頃まで働くようになります。
 さすがに退職を申し出たAさんでしたが、退職を切り出すと、脅迫やパワハラ、商品の自腹購入などを強要されるようになり、大学のテストも受けられず精神的に追い込まれていきます。「ブラックバイトユニオン」に相談し、ようやく退職できたAさんでしたが、店長からは「今から家に行くからな。ぶっ殺してやる」と脅迫を受けたそうです(12p)。

 つづいてはファミリーマートの関西のフランチャイズ店の事例。就活の資金を貯めるためにバイトを始めたBさんは、深夜のシフトを入れられ次第に就職活動自体もままならなくなっていきます。
 退職を申し出たBさんでしたが、「退職はできない」「損害賠償を請求する」などと言われ、シフトに来ないなら家や学校に行ってBさんを「連れ出す」とまで言われます(21p)。
 契約書には「一年以内は法令に定められる事由以外の理由で自己都合での退職はできない」との一文があり(16p)、これを盾にして執拗にBさんに働くことを求めたのです。

 3例目はスクールIEの個別指導の塾講師の事例。最初は週2日のシフトで始まったCさんのバイトは週5日まで増加。教室長に「担当生徒が多すぎる」と訴えるものの、そのたびに「こちらが給料を払って、お前は社会勉強をできるんだ」などと説教をされ、シフトは減りませんでした。 
 しかも、予習や講師同士の会議、ビラのポスティング、研修への出席、担当生徒が定期テストで点数が落ちた時の「反省レポート」など、十分な給与の発生しない仕事も多く、次第に追い込まれていくことになりました。

 4例目はすき家の事例。大きく報道されたすき家の「ワンオペ」(ひとりでの勤務)によって疲弊するDさんの事例が紹介されています。

 バイトにハマって学業が疎かになる、バイトにハマって最終的には社員になった、といった話は昔からありましたし、社会学者の阿部真大は『搾取される若者たち』などでフリーターに対する「やりがい搾取」の問題を指摘していました。
 けれども、上記の事例を見ていくとそういったものと現在のブラックバイトが違うものだということがわかると思います。

 著者はブラックバイトの特徴として、「学生の「戦力化」」、「安く、従順な労働力」、「一度入ると、辞められない」という3つの点をあげています(58p)。
 
 まず、「学生の「戦力化」」ですが、これは学生バイトが正社員と同じような労働と責任を背負わされている現状を指します。
 他のバイトのシフトの穴埋めや他店へのヘルプ、クレーム対応や、売上金の管理など本来ならば正社員が行うべき業務が学生バイトに任されています。個別指導の塾などでは、ほぼ学生バイトのみによって運営されている教室もあるそうです(61-63p)。

 学生が「安く、従順な労働力」であることにつけ込む手口も見られます。
 研修中だと言って低い時給を適用する、仕事が伸びても残業代を払わない、ミスに対する罰金、ノルマや自腹購入の強要など、学生の無知や権利意識の低さにつけ込む違法行為です。
 ある元コンビニオーナーは「フリーターに比べ、学生は真面目に働くし、言うことを聞く」と話したそうですが(78p)、この「言うことを聞く」というのがポイントなのでしょう。

 「一度入ると、辞められない」というのも最近のブラックバイトの特徴になります。
 気軽に辞められると思われがちな学生バイトですが、ブラックバイトでは「戦力」となったバイトをそう簡単に辞めさせません。
 特に最近は、上記のBさんの事例で見られるように、契約を有期雇用にして期間内に辞めようとすると、契約違反だと言ったり、損害賠償を請求すると言って脅すケースが増えているようです。

 さらにこのブラックバイトは、さらに「安く、従順な労働力」である高校生にも広がっています。特にアルバイトが禁止されている高校に通う生徒に対しては「学校に通報する」などと言ってバイトを続けることを強要するケースもあるそうです(93p)。

 こうしたブラックバイトの背景として、著者は商業・サービス業で仕事のマニュアル化が進み、それとともに非正規化が進行していること、フランチャイズや「独立採算制」の導入、正社員のブラック化などをあげています。
 
 また、居酒屋、コンビニ、塾業界というブラックバイトの多い職種については個別の分析を行っています。
 コンビニに関しては、クリスマスケーキなどのギフト商品の売り方マニュアルも紹介されており、パートや学生バイトの人間関係によってギフト商品を消化させようする本部のやり方がわかります(111p)。そして「この取組を通して学生従業員の戦力化の切り口にすることもできます」(110ー112p)といった本部の「指導」も載っています。

 なぜ、このようにバイトに対する無茶が通ってしまうのか?
 著者は「想像の職場共同体」という言葉でそれを説明しようとしています。日本の企業は一種の「共同体」として苦しい時はその苦労を分け合う、といった形で運営されてきましたが、その「共同体」にバイトまでが「やりがい」や「責任感」、「達成感」といった言葉で取り込まれようとしているのです。
 もちろん、以前の日本企業であれば苦労を分け合うと同時に成果も分け合ったわけですが、当然ながらバイトがその成果の分前にあずかることはありません。
 そうでありながら、学生バイトたちはあたかも経営者のような考えを埋め込まれ、会社の利益のために無理な働き方を強いられているのです。

 また、このブラックバイトの背景には高騰する大学の授業料とそれを支払うための奨学金(学生ローン)の広がりがあります。
 日本の奨学金のほとんどは貸与型であり、若者たちに「前借金」を強いる制度になっています。こうした中で、学生たちは生活費を稼ぐためにブラックバイトを辞めることができないのです。

 こうした実態とその分析を踏まえた上で、第4章ではブラックバイトへの対処法が紹介されています。
 コンビニなどではフランチャイズか直営店を見極める、不必要な個人情報を集めていないかなど、ブラックバイトの見分け方が紹介されるとともに、トラブルになってしまった時の対処法も紹介されています。
 さらに、各地のユニオンの情報や地域の経営者団体と連携して解決した例なども載っており、「ブラックバイト対処マニュアル」として使える内容になっています。

 このようにこの本はブラックバイトの実態、背景の分析、対処法がコンパクトにまとまっており、ブラックバイトを知り、対処する上で「使える」本になっています。
 当事者である学生だけでなく、高校や大学の教員、そして学生の親にも広く読まれるべき本と言えるでしょう。

ブラックバイト――学生が危ない (岩波新書)
今野 晴貴
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宮城大蔵・渡辺豪『普天間・辺野古 歪められた二〇年』(集英社新書) 7点

 『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書)などの著作で知られる国際政治学者の宮城大蔵が毎日新聞や沖縄タイムズの記者を務めた渡辺豪と組んで、迷走を続ける普天間基地移設問題を追った本。
 ここ20年の動きをドキュメントタッチで追いながら、迷走の原因と打開策の方向性を探ろうとしています。

 目次は以下の通り。
第1章 橋本龍太郎の「賭け」と「代償」
第2章 小泉純一郎政権下の「普天間」
第3章 鳩山由紀夫政権と「最低でも県外」
第4章 「粛々と実行を」―安倍晋三政権
終章 「歪められた二〇年」

 普天間基地返還が日米の両政府で合意されたのは1996年の4月。そのきっかけとなったのが1995年9月の米海兵隊員による少女暴行事件でした。
 このショッキングな事件と、日米地位協定によって米兵の身柄が日本の警察に引き渡されなかったことによって沖縄県民の怒りはつのり、当時の大田昌彦知事による米軍用地の使用に関する代理署名の拒否へとつながります。

 この沖縄の怒りを当時の橋本龍太郎首相は「普天間返還」というサプライズで鎮めようとします。
 極秘に進められていた普天間基地の返還交渉は、1996年4月12日に日経新聞によってスクープされ、橋本首相はその日のうちに大田知事に電話をかけ協力を要請、夕方にはモンデール駐日大使と並んで普天間基地の返還を正式に発表します。

 このとき橋本首相は大田知事に電話口で「県内移設への協力」を求めたとされていますが、細かい部分では証言のずれもあり、政府と沖縄県の間でどの程度コンセンサスができていたのかはよくわからない状況でした。
 橋本首相は、のちに日経のスクープによって「大田さんに逃げる場所をつくってしまった」、「数日の差でそういうものを整とんする時間を失ってしまった」などと述べ情報の漏洩を悔いていますが(44ー45p)、著者はこれを「サプライズ」によって大田知事から協力を引き出したかった橋本首相の「賭け」と見ています(45ー46p)。

 普天間返還という「サプライズ」を打ち上げる一方で、橋本政権は特措法改正によって沖縄から代理署名拒否という武器を奪い、日米同盟の強化へと動きます。
 一方、普天間の移設先としては当初、「嘉手納統合案」が浮上しますが、橋本首相は「海上施設案」を押し、以降、海上施設案が中心となります。これは橋本首相が撤去可能ということにこだわったからだともされますが、ここから辺野古への移設が動き出して行くことになります。

 98年に大田知事に変わって稲嶺知事が誕生すると、稲嶺知事は「使用期限十五年」と「軍民共用」という条件のもとで、辺野古への移設を受け入れようとします。また、県内の業者のために海上施設に関してはメガフロートではなく埋め立てを主張します。
 当時の小渕首相の沖縄への肩入れもあってうまく進むかに見えた辺野古への移設ですが、安定政権を築いた小泉政権のもとではまた停滞することになります。
 
 2004年8月、普天間基地に隣接する沖縄国際大学の敷地に米軍のヘリが墜落、幸いにして周辺住民や学生に負傷者は出ませんでしたが、日本の警察を排除して行われた現場検証などに沖縄の日米地位協定に対する不満が高まります。

 これに対して、政府内部では防衛庁の守屋武昌事務次官が中心となり計画の修正をはかります。ヘリ墜落事件を機に、普天間基地の早期の返還のためには埋め立て面積が少なくてすむ「シュワブ沿岸案」しかないとして、これを決定し押し進めようとします。
 より陸上から遠ざけようとする沖縄県側に対しては、守屋事務次官は「埋め立て面積を増やし、工期を八年よりさらに延ばしたい腹。沖縄の金権体質そのものだ」と批判(117p)。沖縄の狙いは金だと言わんばかりの姿勢で名護市の住民や地元業者などを切り崩していこうとします。
 しかし、守屋は2007年に収賄容疑で逮捕され失脚。普天間返還は再び漂流することになるのです。

 さらに普天間返還を漂流させることになるのが、ご存知、鳩山由紀夫首相による「最低でも県外」発言なのですが、この本ではたんに鳩山首相の「軽さ」を問題にするだけでなく、鳩山内閣や民主党の体質も問題にしています。
 鳩山首相が「県外移設」を模索する中で、岡田克也外相が模索していたのは「嘉手納統合案」でした。岡田外相は「100日」と期限を切った上でアメリカ側と「嘉手納統合案」について交渉し、ダメなら辺野古と考えていましたが、このことについて鳩山首相との意思疎通は十分でなく、期限を設定したことによってかえって政権を追い込みました。

 2009年12月21日、藤崎駐米大使が急遽、大雪の中クリントン国務長官から「呼び出し」を受けるという事件が起きます。日本のメディアは、これを「アメリカからの警告」、「鳩山政権への事実上の不信任」などを大きく報道しました。
 この件については、ヒラリー・クリントンのメール問題によって、キャンベル国務次官補と藤崎大使の会談のあとキャンベルが藤崎大使を連れてきただけ、ということが明らかになっています(147p)。当時の報道は、外務省とメディアが「外圧」を演出したものと言ってもいいでしょう。

 その他の証言などからも、外務省などが鳩山首相の「県外移設」への試みを妨害していたこともわかります。結局、鳩山首相はアメリカと交渉する体制をつくることができず自滅した結果になりました。

 再び政権に復帰した自民党の安倍政権は、菅義偉官房長官が中心となり「県外移設」を主張していた仲井真知事の説得にあたります。
 2013年12月、都内の病院に入院した仲井真知事は密かに菅官房長官らと会談。「有史以来の予算」(166p)と引き換えに、辺野古の埋め立て申請の承認へと動きます。
 この本では、この動きを「タガが外れた「アメとムチ」」(220p)という言葉で表現していますが、実際、このわかりやすすぎる「アメ」はかえって沖縄の人々の反発を招きました。
 
 2014年11月の沖縄県知事選挙では、「オール沖縄」を掲げた翁長雄志が現職の仲井真に大差で勝ち、再び辺野古移設は暗礁に乗り上げます。

 このようにこの本は、ここ20年の普天間返還と辺野古移設をめぐる政治の実態をさまざまな資料などを使って浮かび上がらせようとしています。時が経つにつれヘリポートだけだったはずの代替施設が巨大化していくさまなども、振り返ってみて改めて見えてくるところです。
 どちらかと言うと沖縄側の動きよりも日本政府側の動きについて詳しく書かれていますが、「アメとムチ」の間で行ったり来たりする日本政府に対して沖縄の人々の「心」が離れていっていく過程というものは十分にうかがえると思います(さらに沖縄側の動きを知りたければ櫻澤誠『沖縄現代史』(中公新書)を読むと良いでしょう)。
 完全に行き詰まった感のある辺野古移設や、沖縄の基地問題、そして日本の外交を考える上でも有益な本だと思います。

普天間・辺野古 歪められた二〇年 (集英社新書 831A)
宮城 大蔵 渡辺 豪
4087208311

岩下明裕『入門 国境学』(中公新書) 7点

 同じ中公新書の『北方領土問題』で、「1:3」、「面積等分」などの日露両国「引き分け」による解決方法を提示した著者の本。
 タイトルから、日本の領土問題を中心に国境をめぐる世界のさまざまな争いを概観するような本を想像しましたが、「ボーダースタディーズ」という近年になって登場した新しい学問領域とその活動を紹介する本になっています。

 目次は以下の通り。
はしがき 「日本の領土」、何が間違っているのか
序章 世界の境界・国境を比較する
第1章 境界の現場を歩く
第2章 ボーダースタディーズとは何か
第3章 国境・誰がこの線を引いたのか
第4章 領土問題の構築を解体する
第5章 透過性と分断から地域を考える
第6章 国際関係をボーダーから読み換える
第7章 日本の境界地域をデザインする
終章 国境のなかに光を見る
補論 新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか


 「ボーダースタディーズとは何か?」、この本の第2章の冒頭では次のように説明されています。
 ボーダースタディーズとは、人間が存在する実態空間そのものおよびその人間の有する空間および集合認識のなかで派生する差異化(自他の区別)をもたらす境界をめぐる現象を材料に、グローバル化する世界においてさまざまに形成され変容する空間の脱/最領域化とその境界を多面的に分析する学問領域である。(22p)

 なかなか難解な定義であり、この定義だけを読んで、面白そうと思う人は少ないかもしれません。しかし、この本ではさまざまな事例を上げていくことで、ボーダースタディーズが興味深い学問領域であることを教えてくれます。
 
 まず、この本のタイトルとなっているのは「国境学」ですが、本書のなかでは基本的に「ボーダースタディーズ」というように「ボーダー」という言葉を用いています。
 「国境」だと、国と国の境しかあつかえませんが、「ボーダー」となるともっといろいろなものが入ってきます。例えば、パレスチナの地にイスラエルが築いたフェンスは「国境」ではないですが、「ボーダー」として機能しています。そしてこれを「壁」と見るか「フェンス」と見るかでも争いがあります(63p)。

 イスラエルの築いたフェンスやベルリンの壁のようにはっきりと目に見える「ボーダー」もありますが、同時に目に見えない「ボーダー」もあります。
 EUのように国境がほとんど意識されないようなケースもありますし、領海に線が引かれていることもありません。また、根室のように事実上は「国境のまち」でありながら、政府の立場上、「国境」とはされないような場所もあります(52-54p)。

 また、「ボーダー」というものは人為的なものであり、国家などによって「構築」されたものです。この本の第4章では竹島(独島)がそのようなものの代表例としてとり上げられています。
 韓国における独島はたんなる領土というよりも、歴史的・国家的なシンボルであり、著者に言わせれば2012年にオープンした独島体験館では「わずか0.23平方キロメートル、そのあたりの公園よりも小さな島が、途方もない宇宙の中心のように描かれている」(114p)そうです。
 この「構築」されたものとしては日本の北方領土問題にもそういった要素があります。四島が「固有の領土」としてパッケージングされたのは、戦後すぐではなく日ソの平和条約締結が行き詰まった1950年代後半~60年代前半にかけてのことです(119-122p)。

 「ボーダー」が何を通し、何を通さないかというのも重要です。
 アメリカとメキシコの国境は、アメリカからメキシコに行くときは簡単に超えることが出来ます。一方、メキシコからアメリカにはいろうとすると大変です。不法移民や麻薬の密輸取り締まりのために、メキシコからの入国者は何時間も待たされることになります。
 ここ最近のヨーロッパに押し寄せる難民の問題などは、「ボーダー」が、まさに何を通し、何を通さないかということを改めて考えさせるものだったと言えましょう。

 さらに第6章では、国境に注目した地政学的な分析も紹介しています。
 陸続きの国境も持つということは、相手の国と嫌でも関係していかなければならないということになります。特に、その国境が紛争を抱えていたりすると、その紛争に外交全体が縛られます。
 一方、東アジア地域におけるアメリカはどこの国とも陸続きの国境がなく、比較的自由に振る舞えます。この本ではニクソンによる米中接近などをそうした国境紛争をめぐる地政学的な観点から分析しています。

 終章では、ボーダーツーリズムを提案するなど、地政学的な側面とはまったく違ったボーダースタディーズの可能性を打ち出しています。
 福岡から対馬に行って観光し、さらに高速船で釜山へ渡るプランなど、国境を意識させ通過するというツーリズムは、普通の旅行とはまた違った面白さがあるでしょう。

 このようなボーダースタディーズにはかなりいろいろな要素が詰め込まれています。
 まだ可能性として示唆されている部分も多いですが、確かにエリア・スタディーズとはまた違った切り口を与えてくれそうです。
 また、ここではボーダースタディーズのエッセンス的な部分だけを紹介しましたが、この本では著者の体験や研究遍歴とともにボーダースタディーズの内容が語られており、補論の「新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか」を含め、学者の一つのロールモデルを教えてくれる本でもあります。

入門 国境学 - 領土、主権、イデオロギー (中公新書)
岩下 明裕
4121023668
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