山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

ここブログでは新書を10点満点で採点しています。

薬師寺克行『公明党』(中公新書) 7点

 サブタイトルは「創価学会と50年の軌跡」。長年、朝日新聞の政治記者などを務めた著者が、その歴史をたどることで外部からは見えにくい公明党の実態に迫った本です。
 目新しい分析がなされているわけではありませんが、さまざまな資料や関係者へのインタビューなどを駆使することで、過大評価でも過小評価でもない公明党の姿に迫ることができていると思います。

 目次は以下の通り。
序章 五〇年目の苦悶
第1章 嫌われた新興宗教―敗戦~一九五〇年代
第2章 結党―創価学会の政界進出
第3章 言論出版妨害事件―一九七〇年という転機
第4章 中国への熱い思いと日米安保体制
第5章 共産党、そして自民党への接近―権力を追い求めて
第6章 非自民連立政権、新進党の失敗―一九八九~九七年
第7章 現代の宗教戦争―公明党・創価学会への陰湿な追及
第8章 自自公から自公連立政権―一九九七~九九年
第9章 タカ派の台頭、後退する主張―自公連立の変容
第10章 特殊な「選挙協力」連立政権―二〇〇九年~
終章 内部構造と未来―変質する基盤、創価学会との距離

 創価学会は、1930年に牧口常三郎が結成した日蓮正宗の信者の団体「創価教育学会」に始まりますが1946年に創価学会に改称)、教団として巨大化し、政界にも打って出たのは1951年に戸田城聖が2代目の会長となってからでした。
 戸田は「折伏大行進」と言われる大規模な布教活動を進めるとともに、1955年の統一地方選挙に候補者を擁立して53人を当選させ、翌56年の参議院選挙では3人を当選させました(40p)。

 1957年には池田大作が公職選挙法で逮捕され(証拠不十分で無罪)、1958年には戸田城聖が急逝しますが、3代目会長の池田大作のもとで組織はさらに拡大、1964年には参議院で15議席、1000人以上の地方議会議員を擁する組織に拡大します(29p)。
 そして1964年には、形式的には創価学会から政治部門が切り離される形で公明党が結成されたのです。

 政治の世界に進出した頃の創価学会は、戸田のもと、日蓮正宗の教えを人々に広く伝える「広宣流布」を行い、国の許可を得て建立される戒壇である「国立戒壇」の完成を目指していました(41p)。
 今から見るとどう考えても政教分離の原則からアウトになる主張ですが、結成当時の公明党は、この他にも、結党大会で仏法を政治の世界に反映させる「王仏冥合」を理念として掲げるなど、宗教色の強い政党でした。

 また、結党当初は国会対策費問題に切り込み、沖縄の米軍基地問題に関する調査を行い国会でとり上げるなど、「野党らしい野党」でした。
 この姿勢が変化するのが、1969年末から表面化した「言論出版妨害事件」です。これは共産党が、「公明党が明治大の教授の藤原弘達教授の『創価学会を斬る』の出版を妨害している」と告発した事件で、『赤旗』では「公明党の竹入委員長が自民党の田中角栄幹事長に出版差し止めの協力を働きかけている」と報じられました。

 この事件で、公明党は野党各党から国会で激しく追求されることになります。一方、自民党は公明党バッシングから距離をおき、公明党を助けます。当時、公明党の書記長だった矢野絢也は「それからは角栄さんにも頭の上がらんことといったらなかったですな」と回想しています(67p)。
 この事件をきっかけに、創価学会と公明党の「政教分離」が進み、公明党の執行部は自民とつながりを持つようになっていくのです。

 この後、公明党は日中国交正常化において大きな役割を果たしますが、田中角栄が失脚し、革新陣営が勢いづくと公明党はそのスタンスをくるくると変化させていきます。
 1975年には作家の松本清張の仲介によって、創価学会の池田大作と共産党の宮本顕治が会談し、いわゆる「創共協定」と呼ばれるものが結ばれます。「双方間の誹謗中傷は行わないこと」などを定めたものでしたが(96p)、今まで敵対していた現場の反発は強く、短期間で空文化してしまいます。
 一方、1979年の自民党の「四十日抗争」のときは、大平首相から連立の誘いを受けるなど、自民党から秋波を送られたこともありました。

 公明党というと創価学会会長池田大作のもとで一糸乱れず、といった印象があるかもしれませんが、この本を読むと1970年代から1980年代後半にかけては竹入委員長、矢野書記長というコンビのカラーが強かったことがわかります。
 ところが、1986年に竹入委員長が引退すると、跡をついた矢野委員長は金銭スキャンダルで1989年に失脚。委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一というコンビで、政界再編の流れに突入していくことになります。

 御存知の通り、公明党の市川と小沢一郎とのコンビで細川連立政権崩壊後の新進党結成の流れを主導していきます。
 多くの地方議員や職員を抱える公明党にとって党の消滅ということは受け入れがたいことでしたが、市川は衆議院議員と参議院議員の一部を「分党」させ、新進党に参加します。
 ところが、1995年の参院選で新進党が集票力を示すと、自民党は執拗な「学会攻撃」を始めます。これに対し、小沢一郎は政務会長の市川と国会運営委員長の神崎武法を更迭して、攻撃をかわそうとしますが、これが小沢一郎と公明党の間に大きな亀裂を生むことになります。
 結局、1997年に新進党は解党。この新進党の結成と解答は、現在の公明党にとってもあまり触れたくない過去となっています(146p)。

 公明党と喧嘩別れしてしまった小沢一郎とちがって、公明党をうまく取り込んだのが自民党でした。
 1995年には地下鉄サリン事件を受けて、宗教法人法の改正が問題となりますが、その隠れた狙いは自民党による創価学会への牽制でした。自民党は池田大作の国会への参考人招致を要求するなど創価学会への攻撃を強め、それに屈する形で創価学会は自民党への接近を始めます。
 新進党が解党すると、自民は機関紙の『自由新報』に創価学会に対する謝罪記事を掲載し(166ー167p)、自公連立へと動いていくことになるのです。

 この創価学会(公明党)の防衛的な姿勢は、この本を読むと随所に感じるところです。創価学会が政界進出を始めたころ、特に力を入れていたのが東京都議会議員選挙でしたが、それは当時の宗教法人法に基づいて、創価学会を認証する自治体が東京都だったからだといいます(45ー47p)。
 「組織防衛」が創価学会(公明党)の大きな行動原理なのです。

 この後、タカ派の清和会が主流となった自民党との連立に苦心する公明党の様子などが描かれているのですが、このあたりは近年のニュースを追っていれば特に目新しい発見のようなものはないと思います。
 ただ、著者が自公連立政権の特徴として「連立政権を一時的なものではなく永続的なものと位置づけていること、政権運営だけでなく国政選挙での全面的な選挙協力が成立していること」(231p)をあげているのは重要な事でしょう。
 小選挙区比例代表並立制という選挙制度で生き抜くために、自民は公明を公明は自民を必要としており、しかしなおかつ、公明党のその出自から自民と公明はひとつの政党にはなれないというところが奇妙な安定を生み出しているのだと思います。

 また、終章の公明党の候補者選考システムを紹介した部分も興味深いです。公明党では「出たい人より出したい人」という原則のもと、推薦などによって候補者が選ばれます。
 特に総選挙の候補者となるような人物は、党幹部から一本釣りが多いようで、突然、代表や幹事長から電話がかかってきて候補者となうケースが紹介されています。

 このように基本的に公明党の今までの歴史をたどりつつ、終章で現在の公明党の内部構造と将来について分析する構成になっています。
 終章の分析の「小選挙区比例代表並立制は、公明党にとってメリットがほとんどない制度だ」(253p)という分析には少し引っかかるのですが(議員数はともかく、中選挙区制の時よりも政治に対する影響力は明らかに増しているはず)、全体的に公明党や創価学会の外部の人間が知りたい公明党の歴史が手際よくまとめられている本だと思います。

公明党 - 創価学会と50年の軌跡 (中公新書)
薬師寺 克行
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飯田泰之・木下斉・川崎一泰・入山章栄・林直樹・熊谷俊人『地域再生の失敗学』(光文社新書) 8点

 経済学者の飯田泰之が、数々の地域再生プロジェクトを手がけている木下斉、地域経済学を専門とする川崎一泰、経営学者の入山章栄、限界集落の状況や集落移転について詳しい林直樹、そして千葉市長の熊谷俊人の5人と、地域再生について語った本になります。
 対談だけではなく、各章に飯田泰之によるイントロダクションを置き、さらに川崎一泰、入山章栄、林直樹の講義を挟むことで、単純な「地域おこし批判」ではなく、現在の地域再生が抱える問題が立体的に見えてくるような構成になっています。

 目次は以下の通り。
第1章 経営から見た「正しい地域再生」(木下斉)
第2章 官民連携の新しい戦略(川崎一泰)
第3章 フラット化しない地域経済(入山章栄)
第4章 人口減少社会の先進地としての過疎地域(林直樹)
第5章 現場から考えるこれからの地域再生(熊谷俊人)

 この本で繰り返し言及されているのが、地域再生におけるその成功の基準の明確化です。
 「はじめに」で、飯田泰之は「地域における平均所得が向上することをもって「再生」と呼びます」(5p)と定義していますが、こうした成功と失敗の基準が抜け落ちているのが現在の地域再生です。

 木下斉は、B級グルメ、ゆるキャラ、イベントの「まちおこし」3点セットを鋭く批判していますが、それはこれらがいずれも地域への中長期的なお金の流入につながらないからです。
 例えば、B級グルメのイベントには多くの人が集まります。そこで優勝したりすればやっている人間の満足は大きいでしょう。ところが、B級グルメは1食500円前後。それが数百食売れたからといって稼ぎは限られています。
 イベントも同じで、人が集まれば「成功」と判断されがちですが、イベントにかかった費用を回収できていないケース多いです。
 結局は、税金を使って人を集めてということを繰り返しているケースが少なくないのです。

 また、ゆるキャラの「経済効果」についても懐疑的です。くまモンの経済効果は2年間で1244億円と言われますが(25p)、これは今まで普通に売られた商品にくまモンマークが付けられたものの売上なども含んでいます。つまり、売上が付け替えられただけというケースも多いのです(もっとも、今度の大地震後の動きを見るとくまモンクラスになれば、それは地域の大きな財産だと思う)。

 第2章では川崎一泰が、地方自治体は地価上昇を目指すべきだと言っています(135p)。地価の上昇は経済が活性化している一つの証拠ですし、固定資産税を通じて税収の増加にもつながります。
 ところが、現在の固定資産税はさまざまな減免措置の影響で、地価の上昇がストレートに税収の増加につながりません。さらに地方交付税交付金の存在が大きく、地方自治体が自前で税収を増やそうとするインセンティブはなかなかはたらきません。

 また、第5章で熊谷俊人は、たんに「地域を元気にする」といった目的で行われる政策は福祉政策であり、それに商業振興の衣をまとわせうようなやり方は間違っていると述べています(270ー271p)。
 「人々の絆が深まった」というような抽象的な基準が掲げられるがゆえに、地域再生はその場では成功しつつも、長期的には失敗し続けるのです。

 もうひとつこの本で強調されるのは「人口減少という前提」です。
 日本の人口が減少し続けるというのは誰もが知っていることですが、いざ地域再生となると他地域からの移住をあてにしていたります。

 熊谷俊人は、例えば今までは水道普及率100%を目指して30世帯しかいない集落にまで水道を引っ張っていたけど、30年後に何世帯残っているのか? これからは給水車や浄水器付きの井戸という選択肢も検討していかなくてはならないのではないかといったことを述べています(282ー283p)。
 
 さらにこの本の第4章では、人口減少の現実に真正面から取り組んでいる林直樹が登場します。
 林直樹は集落移転について研究している研究者で、講義では選択肢としての集落移転を説いています。
 集落移転というと、どうしても「仕方なく」、「無念だが…」といった追い詰められた末の選択肢として考えられがちですが、2001年に行われた調査によると集落移転を行った人の多くが「移転してよかった」と答えており(196ー198p)、集落の維持が不可能になった時点で四散するよりも、ある程度余力のあるところで集落移転を行ったほうが住民にとってもプラスの面が多いようです。

 林直樹は、集落移転を強制する必要はもちろんないが、選択肢として保持しておくべきだといいます。
 この集落移転は国策として進めるようなものではありませんが、当該自治体にとっては財政負担を軽くする一つの手段にもなりますし、何よりも住民たちがコミュニティを存続させていく上でオルタナティブな手段となるものです。
 地域再生の本には、あまり出てこない内容であり、よく寄せられる批判への応答もなされているので、この章はこの本の売りの一つと言っていいと思います。

 他にも第2章で川崎一泰が行っている「PFIが自治体の借金を見えにくくするための道具になってしまっている」という指摘も重要ですし(114ー115p)、第3章の入山章栄の話もビジネスの話としては、興味深いものを含んでいます。

 地域再生について論じた本というと、地方の将来をマクロ的に論じた増田寛也『地方消滅』(中公新書)や、この本にも登場する木下斉がまちづくりをみくろてきに論じた『稼ぐまちが地方を変える』(NHK出版新書)などがありますが、この本はミクロとマクロの双方に目配せがしてある点が大きな特徴となっています。
 そして全体の議論を組み立てている飯田泰之が、そのミクロとマクロの話題をうまくつなぎあわせています。
 地域再生だけではなく、今後の日本を考えていく上でもさまざまな視点と、ヒントを与えてくれる本と言えるでしょう。

地域再生の失敗学 (光文社新書)
飯田 泰之 木下 斉 川崎 一泰 入山 章栄 林 直樹 熊谷 俊人
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今野晴貴『ブラックバイト』(岩波新書) 8点

 『ブラック企業』(文春新書)でブラック企業の手口や問題点に深く切り込んだ著者が、近年学生を悩ませている「ブラックバイト」について、同じようにその手口と問題点を明らかにした本。
 「ブラック企業」から生まれた「ブラック~」という言葉をむやみに拡散させていくことに疑問を持つ人もいるかもしれませんが、この本を読めば「ブラックバイト」という現象が、ネーミングはどうであれしっかりと論じられ、対策が立てられるべき問題だということがわかると思います。
 今ここにある問題を鋭く論じた本と言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
1章 学生が危ない―ブラックバイトの実態
2章 ブラックバイトの特徴
3章 雇う側の論理、働く側の意識
4章 どうすればいいの?―対策マニュアル
5章 労働社会の地殻変動

 まず、この本ではブラックバイトの実態が紹介されています。
 一例目は、ニュースなどにもなった「しゃぶしゃぶ温野菜」の事例。「しゃぶしゃぶ温野菜」のフランチャイズ店にアルバイトとして入った大学生のAさんは、人出が不足するなかでシフトを増やされ、毎日のように13時から26時頃まで働くようになります。
 さすがに退職を申し出たAさんでしたが、退職を切り出すと、脅迫やパワハラ、商品の自腹購入などを強要されるようになり、大学のテストも受けられず精神的に追い込まれていきます。「ブラックバイトユニオン」に相談し、ようやく退職できたAさんでしたが、店長からは「今から家に行くからな。ぶっ殺してやる」と脅迫を受けたそうです(12p)。

 つづいてはファミリーマートの関西のフランチャイズ店の事例。就活の資金を貯めるためにバイトを始めたBさんは、深夜のシフトを入れられ次第に就職活動自体もままならなくなっていきます。
 退職を申し出たBさんでしたが、「退職はできない」「損害賠償を請求する」などと言われ、シフトに来ないなら家や学校に行ってBさんを「連れ出す」とまで言われます(21p)。
 契約書には「一年以内は法令に定められる事由以外の理由で自己都合での退職はできない」との一文があり(16p)、これを盾にして執拗にBさんに働くことを求めたのです。

 3例目はスクールIEの個別指導の塾講師の事例。最初は週2日のシフトで始まったCさんのバイトは週5日まで増加。教室長に「担当生徒が多すぎる」と訴えるものの、そのたびに「こちらが給料を払って、お前は社会勉強をできるんだ」などと説教をされ、シフトは減りませんでした。 
 しかも、予習や講師同士の会議、ビラのポスティング、研修への出席、担当生徒が定期テストで点数が落ちた時の「反省レポート」など、十分な給与の発生しない仕事も多く、次第に追い込まれていくことになりました。

 4例目はすき家の事例。大きく報道されたすき家の「ワンオペ」(ひとりでの勤務)によって疲弊するDさんの事例が紹介されています。

 バイトにハマって学業が疎かになる、バイトにハマって最終的には社員になった、といった話は昔からありましたし、社会学者の阿部真大は『搾取される若者たち』などでフリーターに対する「やりがい搾取」の問題を指摘していました。
 けれども、上記の事例を見ていくとそういったものと現在のブラックバイトが違うものだということがわかると思います。

 著者はブラックバイトの特徴として、「学生の「戦力化」」、「安く、従順な労働力」、「一度入ると、辞められない」という3つの点をあげています(58p)。
 
 まず、「学生の「戦力化」」ですが、これは学生バイトが正社員と同じような労働と責任を背負わされている現状を指します。
 他のバイトのシフトの穴埋めや他店へのヘルプ、クレーム対応や、売上金の管理など本来ならば正社員が行うべき業務が学生バイトに任されています。個別指導の塾などでは、ほぼ学生バイトのみによって運営されている教室もあるそうです(61-63p)。

 学生が「安く、従順な労働力」であることにつけ込む手口も見られます。
 研修中だと言って低い時給を適用する、仕事が伸びても残業代を払わない、ミスに対する罰金、ノルマや自腹購入の強要など、学生の無知や権利意識の低さにつけ込む違法行為です。
 ある元コンビニオーナーは「フリーターに比べ、学生は真面目に働くし、言うことを聞く」と話したそうですが(78p)、この「言うことを聞く」というのがポイントなのでしょう。

 「一度入ると、辞められない」というのも最近のブラックバイトの特徴になります。
 気軽に辞められると思われがちな学生バイトですが、ブラックバイトでは「戦力」となったバイトをそう簡単に辞めさせません。
 特に最近は、上記のBさんの事例で見られるように、契約を有期雇用にして期間内に辞めようとすると、契約違反だと言ったり、損害賠償を請求すると言って脅すケースが増えているようです。

 さらにこのブラックバイトは、さらに「安く、従順な労働力」である高校生にも広がっています。特にアルバイトが禁止されている高校に通う生徒に対しては「学校に通報する」などと言ってバイトを続けることを強要するケースもあるそうです(93p)。

 こうしたブラックバイトの背景として、著者は商業・サービス業で仕事のマニュアル化が進み、それとともに非正規化が進行していること、フランチャイズや「独立採算制」の導入、正社員のブラック化などをあげています。
 
 また、居酒屋、コンビニ、塾業界というブラックバイトの多い職種については個別の分析を行っています。
 コンビニに関しては、クリスマスケーキなどのギフト商品の売り方マニュアルも紹介されており、パートや学生バイトの人間関係によってギフト商品を消化させようする本部のやり方がわかります(111p)。そして「この取組を通して学生従業員の戦力化の切り口にすることもできます」(110ー112p)といった本部の「指導」も載っています。

 なぜ、このようにバイトに対する無茶が通ってしまうのか?
 著者は「想像の職場共同体」という言葉でそれを説明しようとしています。日本の企業は一種の「共同体」として苦しい時はその苦労を分け合う、といった形で運営されてきましたが、その「共同体」にバイトまでが「やりがい」や「責任感」、「達成感」といった言葉で取り込まれようとしているのです。
 もちろん、以前の日本企業であれば苦労を分け合うと同時に成果も分け合ったわけですが、当然ながらバイトがその成果の分前にあずかることはありません。
 そうでありながら、学生バイトたちはあたかも経営者のような考えを埋め込まれ、会社の利益のために無理な働き方を強いられているのです。

 また、このブラックバイトの背景には高騰する大学の授業料とそれを支払うための奨学金(学生ローン)の広がりがあります。
 日本の奨学金のほとんどは貸与型であり、若者たちに「前借金」を強いる制度になっています。こうした中で、学生たちは生活費を稼ぐためにブラックバイトを辞めることができないのです。

 こうした実態とその分析を踏まえた上で、第4章ではブラックバイトへの対処法が紹介されています。
 コンビニなどではフランチャイズか直営店を見極める、不必要な個人情報を集めていないかなど、ブラックバイトの見分け方が紹介されるとともに、トラブルになってしまった時の対処法も紹介されています。
 さらに、各地のユニオンの情報や地域の経営者団体と連携して解決した例なども載っており、「ブラックバイト対処マニュアル」として使える内容になっています。

 このようにこの本はブラックバイトの実態、背景の分析、対処法がコンパクトにまとまっており、ブラックバイトを知り、対処する上で「使える」本になっています。
 当事者である学生だけでなく、高校や大学の教員、そして学生の親にも広く読まれるべき本と言えるでしょう。

ブラックバイト――学生が危ない (岩波新書)
今野 晴貴
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宮城大蔵・渡辺豪『普天間・辺野古 歪められた二〇年』(集英社新書) 7点

 『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書)などの著作で知られる国際政治学者の宮城大蔵が毎日新聞や沖縄タイムズの記者を務めた渡辺豪と組んで、迷走を続ける普天間基地移設問題を追った本。
 ここ20年の動きをドキュメントタッチで追いながら、迷走の原因と打開策の方向性を探ろうとしています。

 目次は以下の通り。
第1章 橋本龍太郎の「賭け」と「代償」
第2章 小泉純一郎政権下の「普天間」
第3章 鳩山由紀夫政権と「最低でも県外」
第4章 「粛々と実行を」―安倍晋三政権
終章 「歪められた二〇年」

 普天間基地返還が日米の両政府で合意されたのは1996年の4月。そのきっかけとなったのが1995年9月の米海兵隊員による少女暴行事件でした。
 このショッキングな事件と、日米地位協定によって米兵の身柄が日本の警察に引き渡されなかったことによって沖縄県民の怒りはつのり、当時の大田昌彦知事による米軍用地の使用に関する代理署名の拒否へとつながります。

 この沖縄の怒りを当時の橋本龍太郎首相は「普天間返還」というサプライズで鎮めようとします。
 極秘に進められていた普天間基地の返還交渉は、1996年4月12日に日経新聞によってスクープされ、橋本首相はその日のうちに大田知事に電話をかけ協力を要請、夕方にはモンデール駐日大使と並んで普天間基地の返還を正式に発表します。

 このとき橋本首相は大田知事に電話口で「県内移設への協力」を求めたとされていますが、細かい部分では証言のずれもあり、政府と沖縄県の間でどの程度コンセンサスができていたのかはよくわからない状況でした。
 橋本首相は、のちに日経のスクープによって「大田さんに逃げる場所をつくってしまった」、「数日の差でそういうものを整とんする時間を失ってしまった」などと述べ情報の漏洩を悔いていますが(44ー45p)、著者はこれを「サプライズ」によって大田知事から協力を引き出したかった橋本首相の「賭け」と見ています(45ー46p)。

 普天間返還という「サプライズ」を打ち上げる一方で、橋本政権は特措法改正によって沖縄から代理署名拒否という武器を奪い、日米同盟の強化へと動きます。
 一方、普天間の移設先としては当初、「嘉手納統合案」が浮上しますが、橋本首相は「海上施設案」を押し、以降、海上施設案が中心となります。これは橋本首相が撤去可能ということにこだわったからだともされますが、ここから辺野古への移設が動き出して行くことになります。

 98年に大田知事に変わって稲嶺知事が誕生すると、稲嶺知事は「使用期限十五年」と「軍民共用」という条件のもとで、辺野古への移設を受け入れようとします。また、県内の業者のために海上施設に関してはメガフロートではなく埋め立てを主張します。
 当時の小渕首相の沖縄への肩入れもあってうまく進むかに見えた辺野古への移設ですが、安定政権を築いた小泉政権のもとではまた停滞することになります。
 
 2004年8月、普天間基地に隣接する沖縄国際大学の敷地に米軍のヘリが墜落、幸いにして周辺住民や学生に負傷者は出ませんでしたが、日本の警察を排除して行われた現場検証などに沖縄の日米地位協定に対する不満が高まります。

 これに対して、政府内部では防衛庁の守屋武昌事務次官が中心となり計画の修正をはかります。ヘリ墜落事件を機に、普天間基地の早期の返還のためには埋め立て面積が少なくてすむ「シュワブ沿岸案」しかないとして、これを決定し押し進めようとします。
 より陸上から遠ざけようとする沖縄県側に対しては、守屋事務次官は「埋め立て面積を増やし、工期を八年よりさらに延ばしたい腹。沖縄の金権体質そのものだ」と批判(117p)。沖縄の狙いは金だと言わんばかりの姿勢で名護市の住民や地元業者などを切り崩していこうとします。
 しかし、守屋は2007年に収賄容疑で逮捕され失脚。普天間返還は再び漂流することになるのです。

 さらに普天間返還を漂流させることになるのが、ご存知、鳩山由紀夫首相による「最低でも県外」発言なのですが、この本ではたんに鳩山首相の「軽さ」を問題にするだけでなく、鳩山内閣や民主党の体質も問題にしています。
 鳩山首相が「県外移設」を模索する中で、岡田克也外相が模索していたのは「嘉手納統合案」でした。岡田外相は「100日」と期限を切った上でアメリカ側と「嘉手納統合案」について交渉し、ダメなら辺野古と考えていましたが、このことについて鳩山首相との意思疎通は十分でなく、期限を設定したことによってかえって政権を追い込みました。

 2009年12月21日、藤崎駐米大使が急遽、大雪の中クリントン国務長官から「呼び出し」を受けるという事件が起きます。日本のメディアは、これを「アメリカからの警告」、「鳩山政権への事実上の不信任」などを大きく報道しました。
 この件については、ヒラリー・クリントンのメール問題によって、キャンベル国務次官補と藤崎大使の会談のあとキャンベルが藤崎大使を連れてきただけ、ということが明らかになっています(147p)。当時の報道は、外務省とメディアが「外圧」を演出したものと言ってもいいでしょう。

 その他の証言などからも、外務省などが鳩山首相の「県外移設」への試みを妨害していたこともわかります。結局、鳩山首相はアメリカと交渉する体制をつくることができず自滅した結果になりました。

 再び政権に復帰した自民党の安倍政権は、菅義偉官房長官が中心となり「県外移設」を主張していた仲井真知事の説得にあたります。
 2013年12月、都内の病院に入院した仲井真知事は密かに菅官房長官らと会談。「有史以来の予算」(166p)と引き換えに、辺野古の埋め立て申請の承認へと動きます。
 この本では、この動きを「タガが外れた「アメとムチ」」(220p)という言葉で表現していますが、実際、このわかりやすすぎる「アメ」はかえって沖縄の人々の反発を招きました。
 
 2014年11月の沖縄県知事選挙では、「オール沖縄」を掲げた翁長雄志が現職の仲井真に大差で勝ち、再び辺野古移設は暗礁に乗り上げます。

 このようにこの本は、ここ20年の普天間返還と辺野古移設をめぐる政治の実態をさまざまな資料などを使って浮かび上がらせようとしています。時が経つにつれヘリポートだけだったはずの代替施設が巨大化していくさまなども、振り返ってみて改めて見えてくるところです。
 どちらかと言うと沖縄側の動きよりも日本政府側の動きについて詳しく書かれていますが、「アメとムチ」の間で行ったり来たりする日本政府に対して沖縄の人々の「心」が離れていっていく過程というものは十分にうかがえると思います(さらに沖縄側の動きを知りたければ櫻澤誠『沖縄現代史』(中公新書)を読むと良いでしょう)。
 完全に行き詰まった感のある辺野古移設や、沖縄の基地問題、そして日本の外交を考える上でも有益な本だと思います。

普天間・辺野古 歪められた二〇年 (集英社新書 831A)
宮城 大蔵 渡辺 豪
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岩下明裕『入門 国境学』(中公新書) 7点

 同じ中公新書の『北方領土問題』で、「1:3」、「面積等分」などの日露両国「引き分け」による解決方法を提示した著者の本。
 タイトルから、日本の領土問題を中心に国境をめぐる世界のさまざまな争いを概観するような本を想像しましたが、「ボーダースタディーズ」という近年になって登場した新しい学問領域とその活動を紹介する本になっています。

 目次は以下の通り。
はしがき 「日本の領土」、何が間違っているのか
序章 世界の境界・国境を比較する
第1章 境界の現場を歩く
第2章 ボーダースタディーズとは何か
第3章 国境・誰がこの線を引いたのか
第4章 領土問題の構築を解体する
第5章 透過性と分断から地域を考える
第6章 国際関係をボーダーから読み換える
第7章 日本の境界地域をデザインする
終章 国境のなかに光を見る
補論 新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか


 「ボーダースタディーズとは何か?」、この本の第2章の冒頭では次のように説明されています。
 ボーダースタディーズとは、人間が存在する実態空間そのものおよびその人間の有する空間および集合認識のなかで派生する差異化(自他の区別)をもたらす境界をめぐる現象を材料に、グローバル化する世界においてさまざまに形成され変容する空間の脱/最領域化とその境界を多面的に分析する学問領域である。(22p)

 なかなか難解な定義であり、この定義だけを読んで、面白そうと思う人は少ないかもしれません。しかし、この本ではさまざまな事例を上げていくことで、ボーダースタディーズが興味深い学問領域であることを教えてくれます。
 
 まず、この本のタイトルとなっているのは「国境学」ですが、本書のなかでは基本的に「ボーダースタディーズ」というように「ボーダー」という言葉を用いています。
 「国境」だと、国と国の境しかあつかえませんが、「ボーダー」となるともっといろいろなものが入ってきます。例えば、パレスチナの地にイスラエルが築いたフェンスは「国境」ではないですが、「ボーダー」として機能しています。そしてこれを「壁」と見るか「フェンス」と見るかでも争いがあります(63p)。

 イスラエルの築いたフェンスやベルリンの壁のようにはっきりと目に見える「ボーダー」もありますが、同時に目に見えない「ボーダー」もあります。
 EUのように国境がほとんど意識されないようなケースもありますし、領海に線が引かれていることもありません。また、根室のように事実上は「国境のまち」でありながら、政府の立場上、「国境」とはされないような場所もあります(52-54p)。

 また、「ボーダー」というものは人為的なものであり、国家などによって「構築」されたものです。この本の第4章では竹島(独島)がそのようなものの代表例としてとり上げられています。
 韓国における独島はたんなる領土というよりも、歴史的・国家的なシンボルであり、著者に言わせれば2012年にオープンした独島体験館では「わずか0.23平方キロメートル、そのあたりの公園よりも小さな島が、途方もない宇宙の中心のように描かれている」(114p)そうです。
 この「構築」されたものとしては日本の北方領土問題にもそういった要素があります。四島が「固有の領土」としてパッケージングされたのは、戦後すぐではなく日ソの平和条約締結が行き詰まった1950年代後半~60年代前半にかけてのことです(119-122p)。

 「ボーダー」が何を通し、何を通さないかというのも重要です。
 アメリカとメキシコの国境は、アメリカからメキシコに行くときは簡単に超えることが出来ます。一方、メキシコからアメリカにはいろうとすると大変です。不法移民や麻薬の密輸取り締まりのために、メキシコからの入国者は何時間も待たされることになります。
 ここ最近のヨーロッパに押し寄せる難民の問題などは、「ボーダー」が、まさに何を通し、何を通さないかということを改めて考えさせるものだったと言えましょう。

 さらに第6章では、国境に注目した地政学的な分析も紹介しています。
 陸続きの国境も持つということは、相手の国と嫌でも関係していかなければならないということになります。特に、その国境が紛争を抱えていたりすると、その紛争に外交全体が縛られます。
 一方、東アジア地域におけるアメリカはどこの国とも陸続きの国境がなく、比較的自由に振る舞えます。この本ではニクソンによる米中接近などをそうした国境紛争をめぐる地政学的な観点から分析しています。

 終章では、ボーダーツーリズムを提案するなど、地政学的な側面とはまったく違ったボーダースタディーズの可能性を打ち出しています。
 福岡から対馬に行って観光し、さらに高速船で釜山へ渡るプランなど、国境を意識させ通過するというツーリズムは、普通の旅行とはまた違った面白さがあるでしょう。

 このようなボーダースタディーズにはかなりいろいろな要素が詰め込まれています。
 まだ可能性として示唆されている部分も多いですが、確かにエリア・スタディーズとはまた違った切り口を与えてくれそうです。
 また、ここではボーダースタディーズのエッセンス的な部分だけを紹介しましたが、この本では著者の体験や研究遍歴とともにボーダースタディーズの内容が語られており、補論の「新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか」を含め、学者の一つのロールモデルを教えてくれる本でもあります。

入門 国境学 - 領土、主権、イデオロギー (中公新書)
岩下 明裕
4121023668

山下一仁『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書) 6点

 元農林水産省の官僚で、『農協の大罪』などの著作のある著者が最近のバター不足の真の原因について迫った本。
 2014年から続いているバター不足に関して、農林水産省は、夏の猛暑で乳牛に病気が発生したことと、酪農家の離農などで乳牛の頭数自体が減っていることをその原因としてあげています。生乳の生産量が減り、さらにバターに回される分が減ったのでバター不足が起きたというのです。
 しかし、著者は2010年と2011年に2013年を上回るバター生産量の減少があったにもかかわらず、バター不足が起きなかったことを指摘し、バター不足の原因をその乳価の決まり方と複雑な流通過程に求めていくのです。

 バター不足の原因という1つのテーマを扱うにしては245pもある本で、正直、もう少し端的に結論を提示することもできたのではないかと思いますが、この本に積み上げられた制度の説明からは、複雑になりすぎて前例を踏襲するしかできなくなった日本の農政の姿が見えてきます。

 目次は以下のとおり。
第1章 消えたバターについての酪農村の主張
第2章 日本の酪農とアメリカの切れない関係
第3章 牛乳・乳製品は不思議な食品
第4章 複雑な酪農事情と政策の歴史
第5章 乳製品の輸入制度はこうしてできあがった
第6章 さあ、謎解きです―バターが消えた本当の理由
第7章 日本の酪農に明日はあるか?

 酪農家の年間所得は2014年度で974万円、休みが取れないなどの厳しさはありますが、コメ農家の412万円などと比べると倍以上の所得があり、農業経営のなかでは比較的うまく言っている部類だと言えます(28p)。
 これは酪農家が一戸あたりの乳牛の頭数を年々増加させているためで、日本の農業の課題となっている規模拡大に酪農家は成功しているのです。

 では、酪農家は安泰かというとそうではありません。
 牛乳の消費量は徐々に減少していますし(著者はその要因として緑茶飲料の伸びをあげているけど、ここは少子化とかもう少しいろいろあるんだと思う)、コストの大半を占めるエサ代は高止まりしています。
 日本の酪農は乳牛のエサとして配合飼料を与えています。この配合飼料は主にアメリカから輸入されたとうもろこしでできているのですが、日本の配合飼料の価格はアメリカの倍近い価格になっています(第2章でそのことがとり上げられていて、エサ米振興の問題などが書かれているのですが、結局のところ、なぜ日本の配合飼料が高いのか?という理由はよくわからないです)。

 乳牛から絞られた生乳からはさまざまな製品が生まれます。生乳を殺菌・遠心分離をするとクリームと脱脂乳になり、クリームからはバターが、脱脂乳からは脱脂粉乳がつくられます。
 牛乳は保存が効きませんが、バターや脱脂粉乳は保存が効きます。その一方で、乳製品には可逆性があり、バターと脱脂粉乳に水を加えると本の牛乳(加工乳)になります。
 冬場は牛乳の消費量が落ちるので、冬にあまった牛乳からバターと脱脂粉乳をつくり、それを夏に牛乳(加工乳)として供給することもあるそうです(96p)。

 それにもかかわらず、日本では飲用向け乳価と乳製品向けの乳価は別々となっており、流通、価格決定のメカニズムとも複雑なものになっているのです。
 基本的に飲用向け乳価は高く、乳製品向け乳価は安くなっています。そして、乳製品向けの乳価には政府による不足払い制度がつくられ、酪農家は乳製品向けの生乳について一定の価格保証を受けることになりました。
 この不足払い制度はGATTのウルグアイ・ラウンド交渉によって変更され、以前のような価格保証制度ではなくなりましたが、2つの乳価というしくみは維持されたままになっています。

 こうしたことを踏まえて、ようやく第6章の「さあ、謎解きです―バターが消えた本当の理由」に辿り着くわけです。
 著者がまず指摘することは「バター不足が言われても、脱脂粉乳不足が言われることはない」ということです。
 単純に言うと牛乳から脱脂粉乳を取り出したものがバターになります。脱脂粉乳というと「昔の給食」というイメージがあるかもしれませんが、低脂肪乳などの成分調整牛乳の原料で、今も一定の需要があります。
 
 しかし、この成分調整牛乳の需要を大きく減らしたのが2000年に起きた雪印事件です。脱脂粉乳からつくられた「雪印低脂肪乳」が引き起こした食中毒事件により低脂肪乳の
イメージは悪化、脱脂粉乳の需要は減少します。
 バターの需要に合わせて生産を行うと脱脂粉乳が余ってしまい、脱脂粉乳の需要に合わせて生産を行うとバター不足になってしまう状況となったのです。

 以前は不足する脱脂粉乳を海外から輸入していましたが、現在不足しているのはバターです。当然、不足分は輸入でということになるのですが、バターの輸入は国の機関(農畜産業振興機構alic)が一元的に行っており、民間業者が自由に行えるわけではありません。
 2011年度には1万4千トン、2012年には9千トンの輸入が行われたため、バターの生産量現象があっても現在のようなバター不足は起きませんでした。一方で、2013年度は3千トン、バター不足が社会問題化した2014年度は1万3千トンと、バター輸入量は抑えられています。
 著者はこれを民主党から自民党への政権交代の影響だと見ています(205p)。農林族の強い自民党に遠慮してバターの輸入拡大に踏み切れなかったというのです。

 まあ、最期の政権交代の影響についてはなんとも言えないところがありますが、確かにマスコミがあまり報じない(報じているメディアもあったかもしれませんが)バター不足の原因というのはわかりました。
 けれども、やはり回りくどすぎる面はあると思います。コメをはじめとする日本の農政について言いたいとことは分かりますし、著者の意見に賛同する部分も多いのですが、バターから離れる部分については別に章立てをするなりコラムにまとめたほうが良かったと思います。
 そういった意味で、もうちょっと編集がきちんとなされていれば、もっと読みやすい本になった感があります。

バターが買えない不都合な真実 (幻冬舎新書)
山下 一仁
4344984161

佐藤洋一郎『食の人類史』(中公新書) 9点

 サブタイトルは「ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧」。タイトル、サブタイトルともにスケール感がありますが、そのタイトルに負けない広く深い内容になっていると思います。
 「食べる」という視点から、狩猟採集、農耕、牧畜という3つの生業に注目し、ユーラシア大陸におけるそれぞれのあり方を歴史的、地理的に探っていく内容で、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を思い起こさせるような本になっています。

 目次は以下のとおり。
第1章 人が生きるということ
第2章 農耕という生業
第3章 アジア夏穀類ゾーンの生業
第4章 麦農耕ゾーンの生業
第5章 三つの生業のまじわり
終章 未来に向けて

 まず、この本では人間が生きるためには糖類とタンパク質という栄養素が必要であると指摘します。
 ユーラシア大陸では糖類は穀物(米や麦や雑穀)やジャガイモから取られ、タンパク質は肉や魚やミルクや豆から取られています。
 ポイントは糖類とタンパク質の両方が必要であるということで、「米だけ」「肉だけ」という生活は成り立ちません。また、ダイズを除くとタンパク質は保存が効きにくく、農耕を行う人々はタンパク質をどう摂取するかがひとつの課題でした。
 そこで、日本では魚が必要とされましたし、他の地域ではチーズやソーセージなどの形でタンパク質を保存する技術が開発されたのです。

 そうした栄養面での必要性を踏まえた上で、第2章では農耕について検討していきます。
 この本では農耕を「自らが生きるために主に植物性の食材を生産する営み、生業」、農業を「他人、それも不特定多数の他者のために、食料だけでなくその衣食住にかかわる資材を生産する産業」(38p)と定義し、まずは農耕のおこりを探っていきます。

 農耕を行う上で一つのポイントとなるのが野生種からの「選抜」です。人間によって栽培されている作物の多くは、実が大きいなど人間にとって都合の良い性質を持っていますが、それは人間が長い時間をかけてそのような種を「選抜」してきたからです。これは家畜でも同じで、家畜も人間に都合の良いように長い年月をかけて「改良」されてきました。
 
 そのため栽培種は野生種に比べて圧倒的にDNAの多様性がないといいます。ラオスのイネの野生種が自生している場所では、RM1と呼ばれる領域の遺伝子の配列パターンが23種確認できましたが、日本で栽培されているイネは3種のみだそうです(45-49p)。
 そして、この遺伝子のパターンの乏しさが農耕のはじまりを考え上でのポイントとなります。
 例えば、青森県の三内丸山遺跡では周囲にクリの林があったことが知られていますが、三内丸山遺跡で見つからクリの殻のDNAの多様性は野生のそれよりも少なく、これは縄文時代にも農耕の要素があった証拠といえるかもしれません(98-101p)。

 この本ではユーラシア大陸を「アジア夏穀類ゾーン」と「麦農耕ゾーン」に分け、ユーラシア大陸の農耕を分析しています。
 「アジア夏穀類ゾーン」とは、東南アジアから日本にかけて広がる地域で、多雨(多くの場所では夏に雨が多い)で森林が発達しているのが特徴です。 
 一方、「麦農耕ゾーン」の特徴は、冬雨地帯で「アジア夏穀類ゾーン」に比べると降水量が少ないことです。

 「アジア夏穀類ゾーン」には、針葉樹林、落葉広葉樹林、照葉樹林、熱帯林といった森林があり、それぞれに生態系、そこに暮らす人間の生業は違ってきます。

 日本には落葉広葉樹林と照葉樹林があり、これが東日本と西日本の文化の違いにつながっているという説もあります。
 東北や東日本に広がる落葉広葉樹林はナラ、ブナ、ケヤキなどの森林で、この森林が生み出すドングリやクリ、そして川を遡上するサケなどが縄文文化を支えました。
 一方、西日本に広がる秋になっても葉の落ちない照葉樹林の林は落葉広葉樹林に比べると薄暗く、人間にとっては利用しにくい森林でした。人々は森を焼き払いながら農耕を行い、稲作へと進んでいったと考えられています。

 水田での稲作は中国の江南で始まったと考えられています。この地域の湖沼や水田のためにつくられた水路は淡水魚の棲家となり、コメからはデンプン、サクナからはタンパク質を摂取する食生活が出来上がりました。
 熱帯林においても、後年になって森林が切り開かれ、稲作が普及していくことになります。

 一方、「アジア夏穀ゾーン」と「麦農耕ゾーン」のちょうど間に位置するのがインドです。
 インドでは一般的に肉食が忌避されてきました。代わりに人々にタンパク質を供給したのはマメになります。
 インドで肉食が忌避されているのは、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教といったインドの宗教が肉食を嫌ったからですが、著者はインドの人口が昔から過密で、食肉にするための家畜を飼うだけの余裕がなかったからではないかと推理しています(145-147p)。
 また、ミルクも多く飲まれましたが、インドのウシ(セブウシ)やスイギュウは、年中妊娠が可能で年間を通して搾乳ができたために、チーズを食べる文化は発展しなかったそうです(150ー151p)。

 「麦農耕ゾーン」において中心となるのは当然コムギですが、タンパク質を供給するのは家畜からつくられるミルクや肉です。
 この家畜の存在が必須である点が、タンパク質を天然の魚から摂っていた日本などとの大きな違いになります。
 また、小麦の育ちにくい寒冷な地域では糖質の摂取が課題となっていましたが(タンパク質についてはニシンなどの水産資源もあった)、それを解決したのが新大陸からもたらされたジャガイモでした。

 ムギに関しては粉にしてからパンなどにする粉食が発展しました。粉食が発展した理由として、著者は「ふすまの部分を取り除くため」という通説に疑問を呈し、ムギ栽培が始まったころに西アジアには土器がなかったこと指摘しています。
 人は加熱しないとデンプンをうまく吸収することができませんが、煮るには土器が必要となります。土器は東アジアで発明されたため、西アジアの人々は粉にして水でこねて焼いたのではないかというのです(190ー192p)。

 コムギに関してはどのように中国に伝わたのか?という謎もあります。
 今のコムギであるパンコムギは、今から8000ないし9000年前にアナトリア地方からカスピ海の南岸の地域で生まれたと考えられています(181p)。
 中国にはそこからシルクロードのオアシスを通って伝わったという説が有力ですが、中国の遺跡からみつからコムギの初見は、むしろ東ほど古く西ほど新しいものになっています。ここから、コムギの「中国起源説」も出てくるわけですが、著者はこれを否定した上で、コムギは遊牧民によって運ばれたのではないか?という考えを提示しています(236-239p)。

 農耕に適さない中央アジアでは遊牧が生業の中心となりましたが、遊牧生活では肉やミルクからタンパク質はとれるものの、糖質は不足しがちです。
 そこで遊牧民たちは農耕民と交易をしたりして糖質を手に入れたわけですが、著者は遊牧民による農耕民の「連れ回し」のようなものがあったのではないかと考えています。そして、これがコムギを西から東へと運んだのではないかというのです(171p)。

 さらに第5章では、農耕、遊牧、狩猟採集の3つの生業の対立と補完関係について触れています。
 土地を囲い込み、そこに農地をつくり上げる農耕民は、ときに家畜を連れて移動する遊牧民や、自然物を食料とする狩猟採集の民と対立しますが、農耕と遊牧の混合形態として牧畜が生まれましたし、また、日本でも100%農耕というわけではなく、人々は山菜やきのこなどを採取したり、漁労を行ったりしながら暮らしてきました。これらの生業はきれいに分けられるものではないのです。

 引用した部分のページがけっこう前後しているように、もっと整理できた部分もあったと思いますが、とり上げられるエピソードの豊富さと、「人」ではなく「自然環境」をして語らしめるような歴史は非常に面白いです(これこそが「地理」なのかもしれませんが)。
 
 例えば、先日ユネスコの世界無形文化遺産に「和食」が登録されたましたが、そのときにさかんに言われ矢野は「日本人の文化」といった言葉です。一方、この本では次のような切り口で語っています。
 一汁三菜の「汁」は豊富な水の存在を背景にする。出汁のうまさは、多様な魚種があることのほか、軟水であることが条件になる。内陸に塩がなく、しかも川が急流であることが、日本列島の水を軟水にしたといわれる。(271p)

 歴史の教科書とはまったく違う角度からスポットライトを当てた本であり、多くの発見がある本だと思います。

食の人類史 - ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧 (中公新書)
佐藤 洋一郎
4121023676

佐藤親賢『プーチンとG8の終焉』(岩波新書) 6点

 2003年末から07年初めまでと、08年9月から12年末までの二度、共同通信のモスクワ支局長を務めた著者が、ウクライナ情勢を中心としてプーチンの動きやその思考を追った本。
 クリミア編入の制裁によってG8から排除されたロシアの動きを、ウクラらいなとロシアの歴史的な関係、そしてプーチンの政治スタイル、思想から読み解こうとした本になります。

 目次は以下の通り。
序章 「戦後七〇年」の国際社会
第1章 ウクライナの政変とクリミア編入
第2章 戦略なき独立―ウクライナ略史
第3章 漂流する世界
第4章 ロシアの将来―プーチンなくしてロシアなし

 冷戦の終結後、「唯一の超大国アメリカとそれに挑戦する中国」というのが大きな流れとしてあったわけですが、近年、国力はともかくとして国際政治のプレイヤーとしては米中に負けない存在感を示しているのが、プーチンのロシアです。
 特にクリミア編入とウクライナへの干渉、そしてシリアへの軍事介入は、「冷戦の再来」とも言われる事態を生み出すとともに、ロシアの存在感を改めて示しました。

 プーチンの存在感も増しており、フランスのマリー・ルペンをはじめとする欧州の極右勢力はプーチンへの親近感を隠そうとしません(この本では欧州の極右勢力に対するロシアの資金援助についても指摘されている(149-151p))。
 「反グローバリズム」、「国益重視」の強いリーダーとしてプーチンはひとつのモデルとなっているのです。

 ロシアがG8から離れることになったきっかけはウクライナでの政変と、その後に起きたロシアによるクリミア編入でした。この本の第1章では、その動きをドキュメントタッチに描いていきます。
 
 2013年11月のヤヌコビッチ大統領によるEUとの連合協定締結交渉凍結の発表から、ウクライナでは反ヤヌコビッチの動きが強まり、翌2014年の2月には市民と治安部隊が衝突、その後ヤヌコビッチ政権は崩壊します。
 そんな中、クリミアの空港が謎の武装集団に占拠され、親ロシア派がクリミアを支配していきます。

 当初、これらの武装集団を「地元の自警団だ」と語っていたプーチンでしたが(46p)、4月にはテレビのインタビューで「もちろん、われわれの部隊がいた」と答えるなど(67p)、欧米の制裁にも関わらず、堂々とクリミアの編入を進めました。
 さらにウクライナ東部でも、ロシア軍にバックアップされた親ロシア派がウクライナからの分離を画策するなど、ロシアの動きは止まりませんでした。
 外国における武力行使に非常に慎重な態度を示すアメリカのオバマ大統領に対して、プーチンは大胆な行動力を示したのです。

 ただ、この本を読むとプーチンの戦略の危うさも見えてきます。ウクライナ東部に樹立が宣言された親ロシア派の「ドネツク人民共和国」の国防相を名乗るストレルコフという男がいます。
 彼はロシアの諜報機関GRUに属する将校とされ、モルドバから事実上分離した「沿ドニエストル共和国」の親ロシア部隊に属したことがあり(この「沿ドニエストル共和国」については廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア』(光文社新書)が詳しい)、ユーゴ紛争やチェチェン紛争にも参加した武闘派です。
 ストレルコフはウクライナ東部における親ロシア派の部隊の指揮していましたが、ウクライナでのマレーシア機撃墜事件後、「国防相」のポストを降ろされています。

 おそろくプーチンの思惑を超えてストレルコフが暴走したために更迭されたと思われますが、ストレルコフはその後、「プーチンは自分の取り巻きからリベラルな連中を排除すべきだ。このままではプーチンはハーグの国際刑事裁判所(ICC)で裁かれることになる」(82p)と発言するなど、プーチンを批判しています。
 プーチンの強硬路線は、プーチンがコントロール出来ない存在を生み出す可能性もあるのです。

 第2章はウクライナ情勢をより深く理解するためウクライナの略史。
 ソ連崩壊い伴う独立と、ウクライナからの核兵器の撤去、そしてオレンジ革命前後の動きが触れられています。
 ティモシェンコの生い立ち(間違い電話の相手(共産党幹部の息子)と結婚、実は黒髪で染めている)など、「へぇ~」と思う部分もありますし、ウクライナ情勢の解説としてはまとまっていると思いますが、この第2章はプーチンのロシアというこの本の本筋からはやや外れています。

 第3章では、近年の発言などから改めてプーチンの世界観、思考といったものが読み解かれています。
 プーチンは冷戦終結後のアメリカの「一極支配」に強く反発しており、「突然百万の富を手にした成り金のようなものだ」(136-137p)と強く批判しています。
 一方で、「第二次大戦後につくられたシステムは十分に包括的であり、現状に適合した現代的内容を加える事ができる」(140p)とも述べており、国連をはじめとする場所でのロシアの「大国としての地位」が守られることが一つの目標となっていると考えられます。

 第4章はロシアの未来について。
 欧米の制裁によって経済情勢が悪化した2014年の年末のプーチンの記者会見において、ロシアの記者は次のように語りました。
 みんなが、プーチン氏はどんな雰囲気で会見するのだろうかと話していました。なぜなら、この国の多くの人の気分はそれによって左右されるからです。あなたはもう何度も笑顔をみせてくれました。あなたの楽観的な性格に感謝します。あなたがおっしゃった通りになると期待しています。(196p)

 もはや質問でも何でもないおべっかですが、これはロシアという国がプーチンという個人に左右されるようになっている証とも言えるべきやり取りです。
 野党はもちろん、与党内部にもプーチンの後継となるような人物は見当たらず、「ポスト・プーチン」は不透明な状況です。

 この本では、ロシアを支えてきた力として「国連重視」「エネルギー資源」、「核兵器」という三本柱をあげています(226p)。
 このうち、「エネルギー資源」はここ最近、原油価格の低迷によって、以前のような強みを発揮できなくなっています。その一方、ウクライナやシリアへの軍事介入などで国防費は膨張しており、経済的な余裕はますますなくなっています。
 イラク戦争に見られるアメリカの国連軽視、ロシアの核の威力をそぐMDの存在など、この三本柱は挑戦を受けており、その中で、どう「大国としての地位」を維持していくかが、プーチン、そして「ポスト・プーチン」の課題と言えるでしょう。

 個人的には、第2章の記述を削って、シリアにおけるロシアの動きをもう少し詳しく追って欲しかったという思いもありますが、プーチンのロシア、さらに「ポスト・プーチン」のロシアを考えるためのさまざまな材料を提供してくれる本だと思います。


プーチンとG8の終焉 (岩波新書)
佐藤 親賢
4004315948

安達誠司『中国経済はどこまで崩壊するのか』(PHP新書) 7点

 PHP新書でこのタイトルというと、妄想全開の「中国経済崩壊本」のように思えます。また、「おわりに」に書いてあるように、2月に出版の打診を受けて3月に緊急出版ということで中国経済に関する研究を読み込んで書かれた本ではありません。
 と、このように書くと中身が心配になりますが、そこは『円高の正体』(光文社新書)などでこれまで鋭い経済分析を見せてきた著者だけあって、最近のマーケットの動きから中国経済の今後を冷静に占っています。
 しっかりとした経済学的の素養があるエコノミストによる、現在の中国経済のスナップショットといった本です。

 目次は以下の通り。
第1章 「バブルリレー」のバトンは中国が握っている?
第2章 中国経済ハードランディング論の真実
第3章 崩壊サイクルに入った人民元の固定相場制
第4章 中国人の経済思想から未来を読み解く
第5章 これから十年、中国経済・三つのシナリオ
終章 AIIBから日本への影響まで―残された論点

 第1章にあるバブルリレーとは、1980年代後半以降、世界のどこかでバブルが起き、それが崩壊してはどこかの国で次のバブルが起きているいうもの。そして、バブルリレーのバトンは現在中国にあり、そろそろ調整があるのではないかというのが著者の見立てになります。
 
 このように書くと、「チャイナ・ショックがやってくる!」と思う人もいるかもしれませんが、バブルの崩壊が世界経済に大きな影響を与えるとは限りません。事実、日本のバブルの崩壊は、国内には大きな爪痕を残しましたが、世界経済に大きなインパクトを与えたわけではありませんでした。
 「「世界全体のGDPの二割超のシェアを有する中国でバブルが崩壊すれば、当然、他国への影響も大きいはずだ」と主張する識者の方もいるが、バブル当時の日本のGDPは、世界全体のGDPの三割近くを占めていた」(22p)のです。
 ちなみに著者は次のバブルの可能性としてオーストラリア、カナダ、ノルウェーなどの資源国の不動産をあげています(48-49p)。

 第2章は、今年のダボス会議でジョージ・ソロスがとり上げたことから話題になった、中国経済の「ハード・ランディング論」について。
 この「ハード・ランディング」の可能性といて、著者は人民元レートの切下げ(さらには変動相場制への移行)と不動産バブルの崩壊をあげています。
 このうち人民元レートについては第3章でもとり上げられている非常に重要な論点です。

 一方、不動産バブルの崩壊に関しては、著者は政府の力が強い中国では制御は可能と見ています。
 むしろ、中国経済の調整に関してはもう少し長期的な視点で見るべきだというのが著者の考えです。

 著者によると現在の中国経済は、ちょうど高度成長が終わった70年代の日本経済と重なるといいます(現在の中国の1人あたりのGDPは77~78年の日本経済とほぼ同じ(68p)。
 高度成長を終えた日本では、設備投資の伸びが鈍り安定成長へと移行しましたが、中国ではいまだに設備投資の伸びが一時ほどではないにしろ続いています。この資本ストックの調整が中国経済の課題になります。
 中国の内陸部にはまだまだ投資すべき地域が残っているという考えもありますが、田中角栄の「列島改造」がうまく行かなかったように、低成長への移行は回避できないだろうと著者は考えています。

 このように中国経済の減速は中国が安定成長へと移行するために不可避なものなのですが、厄介なのが固定された人民元相場と、それを維持するために起こっている副作用です。
 
 中国の人民元は、政府が事前に定めた一定の水準で為替レートが決まっています。
 現在、人民元には下落圧力がかかっており、こうした中で為替レートを維持するには、政策当局が外国為替市場で外国通貨を売って人民元を買うという介入を行うか、利上げによって人民元高を狙う必要があります。

 ところが、利上げはただでさえ減速している中国経済にブレーキをかける事になりますし、人民元買いの介入も国内の資金を吸収することになります。
 中国では2014年の11月以降累計で6回の利下げを実施していますが、市場金利は逆に上昇しています。為替レートを維持するために当局が資金を吸収してしまっているからです(53ー55p)。
 このあたりは中国経済を専門とする梶谷懐も指摘しているところで(ココココ)、人民元レートの維持のために、金融緩和の効果が封じられてしまっているというのが現在の中国経済の大きな問題点です。

 ですから、人民元の変動相場制への移行が中国経済の長期的な安定をもたらすというのが著者の考えです。
 ただ、なぜ中国当局が人民元安を嫌がっているかということに関しては、明快な理由は提示されていません。人民元安が予想されると富裕層が資産を海外に逃避させてしまうこと(キャピタル・フライト)などがあげられていますが(57ー59p)、それだけで説明することは難しいと思います。

 ただ、いつまでも人民元を高いレートで固定しようとすると、金融緩和の効果は封じられますし、ヘッジファンドなどから通過アタックを受ける恐れもあります。
 ジョージ・ソロスの発言については「ポジション・トーク」という意味合いがあるとしながらも、著者は中国の外貨準備は盤石ではないと見ています。

 第4章は小室直樹の「中国は儒教と法家の二重の思想体系を持つ」という指摘などから、中国の経済運営に関する考えを探ろうとしたもの。

 そして第5章では、著者の考える中国経済に関する3つのシナリヲが示されています。
 1つ目は「変動相場制の採用により、対外開放路線へ」(安定成長シナリオ、名目5%程度の成長)、2つ目は「「中所得国の罠」による長期停滞」(低成長シナリオ、名目1〜2%程度の成長)、3つ目は「統制経済の教科と対外強硬路線」(対外戦争の可能性が浮上し経済成長率を語る意味がなくなる)というものになります。
 
 筆者の主観的な見方としてそれぞれが起こる確率は1つ目のシナリオが40%、2つ目のシナリオが55%、3つ目のシナリオが5%(158p)。
 この確率については特に根拠が示されているわけではないですが、1つ目のシナリオではもう1回のバブルの可能性、2つ目のシナリオではスタグフレーションの可能性などが指摘してあって、この第5章の予想は興味深いです。

 最初にも書いたように、地道な分析を積み上げたような本ではないですが、「マーケットから見た中国経済」が見えてくる本です。また、「バブルリレー」についての分析など中国経済にとどまらないものもあり、世界経済を見ていく上でも有益な本だと思います。

中国経済はどこまで崩壊するのか (PHP新書)
安達 誠司
4569830579

田中浩『ホッブズ』(岩波新書) 6点

 1926年生まれ、今年90歳になる政治学者・田中浩が長年研究してきたホッブズについてまとめたもの。
 「はじめに」の部分でホッブズ評価、ホッブズ研究の歴史に触れ、本論ではホッブズの生涯と主要著作の解説、「おわりに」で安保法制問題をホッブズについて絡めて批判するという、非常に「岩波新書らしい」オーソドックスな内容になっています。
 
 目次は以下の通り。
第1章 危機の時代の申し子、ホッブズ
第2章 ホッブズ政治学の確立
第3章 近代国家論の生誕
第4章 『リヴァイアサン』の後衛戦
第5章 近代政治思想史上におけるホッブズの意義

 まず、ホッブズの伝記的な部分ですが、これはさすがに長年研究してきただけあって面白いです。
 ホッブズは自らの誕生について、スペイン無敵艦隊の襲来に母親が驚いて予定よりも早く産み落としたことから、「恐怖との双子である」と語っています。また、『リヴァイアサン』の中の人間観などからしても、かなりひねくれた人物を想像していしまいますが、実際は、大柄で快活、誰からも気に入られる質だったようです(14p)。

 ホッブズはキャヴェンディッシュ男爵(1618年以降にデヴォンシャー伯爵となった)の家の家庭教師となり、ヨーロッパ各地を旅し、大陸の科学者たちと交流し、ガリレオ・ガリレイとも会見しました(22p)。

 この当時の学者は、今では考えられないほど幅広い分野について思索を巡らせていますが、ホッブズも政治哲学だけではなく、「自然の哲学」や「人体の科学」についても論じたかったようで、チャールズ2世の王政復古後に書かれた『物体論』の序文で、「自然の哲学」はガリレイに「人体の科学」はハーヴイに先を越されたけど、「社会の哲学」はこのわたくしにはじまると書いています(23-24p)。

 1630年代になると、イギリスにおける国王(チャールズ1世)と議会の対立は激しさを増し、国王は議会を無視して政治を進めようとします。
 そんな中、ホッブズは『法の原理』を発表し、いかにして国内の平和を維持するかという問題を考えます。

 このとき、ホッブズが第一に考えたのが「生命の安全」です。
 ホッブズは「人間は生まれてから死ぬまで運動し続ける存在」だと考え、それを助長するものを「善」、「その生命運動を疎外する行為は「悪」と捉えました(41p)。
 既存の秩序を守ることや、神といったものを持ちださずに、「生命の安全」を基準に「善」と「悪」を規定したのです。

 そして、この「生命の安全」を守るために、強い主権者が要請されるのです。
 また、宗教対立に関しては、「「イエスは救い主である」という一点で和解せよ」と提案しています(47-48p)。

 1640年、ホッブズはフランスに亡命し、そこでチャールズ皇太子(のちのチャールズ2世)の数学の家庭教師をつとめたりしますが、その唯物論的考えは聖職者たちには嫌われたようです。

 この亡命時に、ホッブズは『市民論』と主著の『リヴァイアサン』を書き上げます。
 『リヴァイアサン』は一般的に絶対君主を擁護したものと受け取られがちですが、序文でホッブズは、「一方ではあまりにも強大な「権力」を欲する人々(王党派)、他方ではあまりに多くの「自由」を欲する人々(議会派)にたいして和解して平和を確立することをすすめてこの本を書いた」(69p)と述べています。
 ホッブズの想定する、「生命の安全」を守る強い主権者と、無限の権力を欲する絶対君主はイコールではないのです。

 また、「社会契約論」のアイディアがスペインのジェズイット(イエズス会修道士)の神学者たちによって述べられていたというのも興味深い指摘です。ジェズイットはローマ教会の財産と権威を守るために、「社会契約論」のロジックで暴君への抵抗を正当化しました(75ー78p)。
 さらにカルヴァン主義者たちも、国王への抵抗権を正当化しています(78ー82p)。

 このように『リヴァイアサン』に至る過程を解説した部分は面白いのですが、肝心の『リヴァイアサン』そのものの解説についてはやや物足りない部分があります。
 ホッブズの独自の人間観などに触れることが少なく、これならば中公の「世界の名著」シリーズの『ホッブズ』における永井道雄の解説のほうが面白いです。

 第5章の「近代政治思想史上におけるホッブズの意義」も、途中からイギリス・フランス系思想とドイツ系思想の対立の図式を持ちだして、前者とその源流としてのホッブズを持ち上げる内容になっており、やや単純すぎるのではないかと思います。

 というわけで、『リヴァイアサン』い至るまでの伝記的な事実や、「社会契約論」が生み出された思想史的な背景について書かれた部分は非常に面白いですけど、『リヴァイアサン』そのものの評価やその後のホッブズの影響といった部分に関しては物足りない感じがしました。

ホッブズ――リヴァイアサンの哲学者 (岩波新書)
田中 浩
4004315905
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