山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

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赤江達也『矢内原忠雄』(岩波新書) 8点

 矢内原忠雄は東京帝国大学で「植民政策学」を講じた社会科学者であり、内村鑑三の影響を受けた無教会主義のキリスト教徒であり、矢内原事件で大学を追われた人物であり、戦後は東大の総長となった戦後民主主義を象徴する人物ともなりました。
 このような経歴を見ていくと、矢内原は時代の圧力に逆らった平和主義者であり、良心的知識人であった、とまとめたくなりますが、矢内原にはそうした「良心的知識人」の枠には収まりきらない宗教的なパッションがあります。それを含めて矢内原の生涯と思想を改めて検討してみせたのがこの本です。

 矢内原は晩年に次のように記しています。
 私が各地で平和や民主主義や教育について一般講演をするとき、聴衆の間から、「矢内原さんの話はよいが、終わりのところになってキリスト教のことを言われる。あれがなければもっとよいのに」、という批評があるそうである。(225p)
 矢内原本人は、日本におけるキリスト教への理解のなさを嘆いてこのような文章を書いたのでしょうが、この本を読むと、矢内原の多くの人から受け入れられた部分と、受け入れられなかった「あれ」の部分というのが見えてくると思います。

 目次は以下の通り。
第1章 無教会キリスト者の誕生―一九一〇年代
第2章 植民政策学者の理想―一九二〇~三七年
第3章 東京帝大教授の伝道―一九三〇年代の危機と召命
第4章 戦争の時代と非戦の預言者―一九三七~四五年
第5章 キリスト教知識人の戦後啓蒙―一九四五~六一年

 目次を見ても分かるように、この本は矢内原の評伝であり、その誕生から死までが描かれているわけですが、中心となるのはやはり矢内原のキリスト教思想になります。

 矢内原は1893年に現在の愛媛県今治市に生まれています。父はこの地方で最初の西洋医であり、その子の忠雄も幼い頃からその秀才ぶりを発揮し、わずか5歳で尋常小学校に通い始めています。
 その後、神戸中学校に進み、1910年には第一高等学校に入学しています。まさにエリートと言っていいでしょう。
 矢内原の同級生には芥川龍之介、菊池寛、久米正雄ら、1つ上には近衛文麿、2つ上には河合栄治郎、田中耕太郎らがいます(12p)。また、当時の校長は新渡戸稲造でした。

 この一高時代に矢内原に決定的な影響を与えたのが内村鑑三です。友人の三谷隆信の影響もあってキリスト教に強い関心を持つようになった矢内原は、内村鑑三の聖書研究会に入会し、さらに内村門下の帝大生や一高生の集まりである柏会にも入会します。
 この本では1912年に内村の娘が亡くなった際の内村の振る舞いに、矢内原が「抵抗する事のできない権威」を感じたということが紹介されています。自分の娘の告別式において「この式はルツ子の結婚式であります」「天国に嫁入れさするのであります」と述べた内村の行動は字として読むとエキセントリックにしか思えませんが、何か得も言われぬ迫力があったのでしょう(19-20p)。

 1913年、矢内原は東京帝国大学法科大学政治学科に進学します。その後、朝鮮で働くことを模索したりしましたが、結局は1917年に住友に就職し、別子銅山で働きました。
 1920年、矢内原は大学からの誘いを受けて東京帝国大学経済学部助教授に就任します。経済学部は前年に法科大学から分離したばかりの新設学部で、新渡戸稲造の植民政策講座の後任として矢内原は採用されました。
 その後、矢内原は2年余りの欧米留学い出発し、ロンドンやベルリンなどで過ごしたあと、1923年から講義を担当します。

 植民政策とは移民などによる植民活動や植民地統治に関する学問で、矢内原はこれを経済学、社会学、政治学を横断する独立した学問として確立しようとしました(58p)。
 矢内原は英帝国モデルを高く評価しています。英帝国には植民地が自主国民へと発展していくプロセスや、統治関係が互恵的関係に発展していくプロセスがあり(65p)、日本と朝鮮や台湾の関係においても現地に議会を設置する自治主義を模索していました。
 また、中国に対しては中国ナショナリズムを評価する立場から、南京政府と平和的な関係を築くべきだと主張しています(80p)。
 ただ、小林英夫『<満洲>の歴史』(講談社現代新書)でとり上げられている「満洲農業移民不可能論」は紹介されていませんし、社会科学者としての矢内原については記述はやや弱いと思います。

 一方、キリスト教者としての矢内原に関する記述は充実しています。
 1930年に内村鑑三が亡くなり、その遺志に従って聖書研究会は解散されます。内村鑑三の無教会主義は組織などを残さないものでしたが、その「預言者」としての立ち位置のようなものが矢内原へと引き継がれていくのです。

 内村は「日本的キリスト教」という言葉を使い、「日本」という国家単位で「罪」や「迫害」などを考えたところに一つの特徴がありますが(104-106p)、矢内原もこの「日本」という単位にこだわりました。
 矢内原は天皇を信奉してもいるのですが、その天皇と国民がキリスト教の<絶対神>を信仰することが必要だというのです(109-111p)。

 矢内原は二・二六事件に衝撃を受け、ある種の終末的な考えを深めていきます。
 そして日中戦争が勃発した1937年にはいわゆる矢内原事件によって大学を追われることになります。『中央公論』に掲載しようとした「国家の理想」という論文と、「神の国」という講演がとり上げられ、特に「神の国」の中の「一先づ此の国を葬つてください」という表現が問題視されました。
 この矢内原事件については将基面貴巳『言論抑圧』(中公新書)という優れた研究もありますが、本書を読むと、矢内原の「預言者」的な振る舞いが引き起こした事件という印象も強くなります。

 大学を追われたあとも矢内原の言論活動・伝道活動はつづきました。『嘉信』という雑誌を創刊し、「自由ヶ丘集会」と呼ばれる集会を開くなど、警察などによる監視がつづく中でも矢内原の活動は衰えませんでした。
 
 しかし、このころの矢内原の言説には奇妙な点もあります。この本ではそのあたりが深く掘り下げられています。
 矢内原は内村の考えを引き継ぎ、日本でこそ「神の国」が実現すると考えていたのですが、日中戦争によってその希望は失われつつあるといいます。矢内原は日中双方に戦争を止めるように呼びかけるのですが、そこには中国に対して「降参」を呼びかけているようにみえる箇所もあります(152p)。
  
 矢内原の議論の特徴として「個人の悔い改めが日本国民の救いへと飛躍するところ」(154p)があります。「悔い改め」というのはキリスト教で重視されている概念ですが、その個人的行為が日本の運命のようなものに結びつくのです。そして、それを媒介するものとして天皇が想定されているということを考えると、矢内原が「リベラリスト」のようなカテゴリーにはあてはまらない人物であるということが見えてくると思います。
 
 また、矢内原は「非戦」を訴えましたが、実際の戦争への抵抗といった考えは希薄です。戦争は一種の耐えるべき受難と捉えられています。 
 矢内原は、植民地朝鮮の人びとに対して植民本国である日本への「服従」を求め、日本に侵略されている中国の国民に対しては「降参」を勧める。そして、日本の青年には死を受け入れる姿勢を説いている。そこの共通しているのは、目の前の苦難は神から与えられた試練であり、それを受容することこそが信仰的な態度だという考えである。(176p)

 矢内原にとって、終戦は日本国民がキリスト教を受け入れ、日本において「神の国」が実現されることに近づいたことを意味していました。
 特にこの時期、天皇がキリスト教に改宗することにかなり期待していたようで、45年12月の公演では「陛下よどうぞ聖書をお学び下さい」と呼びかけていますし(187p)、昭和天皇の「人間宣言」については「之れ日本の救の基礎なり、出発なり」と日記の欄外に記してています(189p)。さらに49年11月には昭和天皇に対して「新渡戸稲造について」というテーマで進講を行っています。

 しかし、50年頃になると天皇がキリスト教に改宗する望みが消えていき、矢内原は戦後の日本や天皇に失望していくことになります。  
 一方で、大学に復帰した矢内原は南原繁学長のもとで要職を務め、1951年には東京大学の総長となります。学生運動への対応などに苦慮することもありましたが、総長就任もあって『嘉信』の読者は増え、無教会キリスト者の数も増えていきます。
 ただし、冒頭にも引用したようにキリスト教へのアレルギーというのも根強く、「公共的知識人としての矢内原への期待と、矢内原自身が抱いている「預言者」としての自覚や使命感との間のズレがあらわれ」(226p)ることになるのです。

 このようにこの本は、矢内原の生涯を追いつつ、矢内原自身の思想と世間からのイメージの「ズレ」を丁寧に描き出しています。
 戦争の時代の「狂気」に対抗するにはそれに負けない「良識」が必要だと考えられていますが、時代に逆らった矢内原を支えたものは「良識」だけではなく、やや非合理的とも言える「信仰」でもあったのです。
 さらにここから近代日本におけるキリスト教の位置づけや、キリスト教の信仰そのものについても考えさせる、重厚な内容の本だといえるでしょう。

矢内原忠雄――戦争と知識人の使命 (岩波新書)
赤江 達也
4004316650

マーク・マゾワー『バルカン』(中公新書) 7点

 20世紀のヨーロッパ史について幅広く論じた『暗黒の大陸』をはじめ、『国連と帝国』、『国際協調の先駆者たち』といった著作で知られる歴史学者マーク・マゾワーの本が中公新書から登場。
 この『バルカン』の原著は17年前の2000年に書かれた本で、もともと近代ギリシャ史を研究していたマゾワーがユーゴスラビア内戦を受けて書いた本になります。

 「バルカン」と言えば、まず思い浮かぶのは「バルカンの火薬庫」といった言葉や、実際にその火薬庫が破裂したサラエボ事件であり、その「バルカンの火薬庫」のイメージが再び蘇り強化されたのが1990年代に起きたユーゴスラビア内戦でした。
 キリスト教徒とイスラム教徒の対立やクロアチア人とセルビア人の対立、スレブレニツァの虐殺に見られるような蛮行、さらに背景として14世紀のオスマン帝国とセルビア王国の激突である「コソヴォの戦い」が持ち出されたこの内戦は、「バルカン」という場所に「血塗られ呪われた歴史」というイメージを植え付けるのに十分なものでした。

 そんな、「バルカン」の「血塗られ呪われた歴史」というイメージを解体しようとしたのがこの本です。
 著者はこの地域の近現代史をたどり、さまざまなエピソードを紹介することで、複合的な視点から「バルカン」という地域を描き直そうとしています。
 必ずしも通史のかたちにはなっていませんし、ある程度の歴史的事実が頭に入っていないと話を追うことが難しい部分もあると思いますが、固まってしまった歴史像を解体していく著者の筆の運びにはさすがのものがあります。

 目次は以下の通り。
プロローグ バルカンという呼称
第1章 国土と住民
第2章 ネイション以前
第3章 東方問題
第4章 国民国家の建設
エピローグ 暴力について

 まずは、「バルカン」という呼称ですが、これはもともと「バルカン山脈」を指すために用いられたもので、この地域を指すような言葉ではありませんでした。
 オスマン帝国がこの地域を支配していた時は「ルメリ」(「ローマ人の」といった意味)、「ヨーロッパ・トルコ」などと呼ばれていましたが、オスマン帝国の体調とともにそれらの呼び方はしっくりこなくなり、19世紀後半から20世紀初めには「バルカン」という呼称が一気に広がります。

 バルカン地域の発展が遅れた理由としてその地理的な条件があります。
 第1章に「使えない河川、敷けない鉄道」という小見出しがありますが(38p)、山が多いこの地域では、河川は急流で曲がりくねっており水運が発達しませんでした。また、山が多いということは当然ながら鉄道の敷設も難しいということであります。
 そのためオスマン帝国を除けば、この地域を広範囲に支配するような政治権力はあらわれませんでした。そして、山賊や海賊が跋扈することとなったのです。

 一般的にオスマン帝国の支配はこの地域に暗黒時代をもたらしたように考えられていますが、著者は「オスマン帝国の支配は、おそらく農民にとっては恩恵だった」(54p)といいます。
 この地域は地主による厳しい支配が続いていましたが、一部の地域を除いてオスマン帝国はこの地主の支配を緩め、農民たちは「プロイセンやハンガリーやロシアの農奴には与えられなかった移動の自由を得た」(55p)のです。

 また、バルカンにはオスマン帝国の支配のもとでさまざまな民族が暮らしていましたが、彼らには「民族」というアイデンティティは希薄で、まずは自分たちを「キリスト教徒」、「イスラム教徒」といった宗教的なカテゴリーで把握していました。
 「バルカン諸国の歴史は、たいてい先に述べたような愛国的ナショナリストの子孫たちが書いたものなので、彼らが啓発しようとしていた農民のためらいがちな、どっちつかずの声が記録に残っていることはめったにない」(88p)のですが、この本では自分たちを「~人」と考えることにピンとこない農民たちの声を紹介しています。

 オスマン帝国の支配のもとでイスラム教への改宗が進んだ地域もありましたし、また改宗してオスマン帝国内部で出世したスラヴ系の人物もいましたが、バルカンではアナトリアのようなイスラム化は進みませんでした。
 その背景には「キリスト教徒のほうが高い税金を払っていたので、集団で改宗されたら、帝国の税収が減ってしまう」(100p)ということもあったようです。
 
 正教会はオスマン帝国の支配体制に組み込まれて繁栄し、イスラム教の風習と混ざりあうような事態も進行しました。
 イスラム教では結婚の仮契約が可能で離婚も容易だったため、一部の地域では一定の金額を払って一時的な結婚関係を結ぶことが行われましたし(119-120p)、不幸な結婚に追い込まれた女性はイスラム教に改宗することで、夫が改宗しなければ結婚関係を解消することができました(121-122p)。

 18世紀後半になると、「オスマン帝国が衰退したとはいえ、バルカンのキリスト教徒はまだ弱すぎ、外国の支援がなければ自由を獲得することはできな」(151p)いという状況になります。
 この時期には各地のイスラム教徒のエリート層がスルタンから独立しはじめ、無政府的な状況が各地で生まれます。
 
 そんな中、列強の後押しを受けて1830年にギリシャが独立します。ただし、「ルーマニア」や「ブルガリア」といった概念は一部の知識人しか持っていませんでしたし、「アルバニア」や「マケドニア」といった概念はないも同然でした(165p)。
 しかし、列強のパワーゲームの中で実際にルーマニアやブルガリアといった国家が生まれオスマン帝国の支配から独立していきます。さらに、列強のパワーゲームの中で引かれた国境線の外には、「未回収」の同胞や領土が存在しており、バルカン諸国を領土拡張の使命へと駆り立てました(174p)。

 この領土拡張の使命とオーストリア、ロシア両国の思惑が不幸なかたちで重なり第一次世界大戦へと至ります。
 「両国とも、現地の協力者を必要としたため、バルカンの混乱した政治に引きずり込まれた。しかも、そうした協力者を扱うときの判断力に欠け、協力者の軍事力や外交力を過小評価することが多かったために、事態を改善させることもできなかった」(191p)のです。

 第一次世界大戦が終わると、「民族」という単位がこの地域の国境を区切るものとなります。
 そのために、集団殺戮や強制的な改宗が行われ、また多数の難民が出ました。当時のセルビアの情勢を示すための言葉として「人種戦争」や「組織的な絶滅政策」といった、のちのナチスを思い起こさせる言葉が使われています(206-207p)。
 さらにギリシャとトルコの間では強制的な「住民交換」も行なわれ、この地域で民族的・宗教的な「純化」が進みました。

 第二次世界大戦は各国の民族構成を再び揺り動かしました。1930年に約85万人いたユダヤ人は5万人以下に減り、数十万のドイツ系の人々がバルカンを追われ、ギリシャ北部からはスラヴ人とアルバニア人が逃げ出し、コソヴォからはセルビア人が逃げました(217-218p)。
     
 戦後の土地改革が行われたことによって多くの農民が経済的な恩恵を受けましたが、農民政党の政治力は弱く、国の抱える問題に対する政治的な解決策も持ち合わせていませんでした(222p)。
 結局、この地域はギリシャを除いて共産主義化されていくことになります。共産主義国家では急速な工業化が進められ、高い経済成長を示しましたが、80年代になるとそのスタイルは行き詰まり、東欧革命の波とともに共産主義国家は転覆されていきます。
 そしてユーゴスラビアでは、再びナショナリズムが盛り上がり、内戦へと突入していくのです。

 こうしたバルカンの歴史を受けて、エピローグの「暴力について」の中で著者は次のように述べています。
 コソヴォとセルビアに対するNATOの介入は、人間が関与していないかのように見える遠隔操作技術を利用して、今や軍事作戦が敵味方ともに最小限の死傷者と流血ですむことを欧米の大衆に納得させようとした。おそらくこのようにして、戦争そのものからも、かつての社会的暴力と同じように、人間的側面の排除が進行中なのだろう。バルカンの暴力を原始的で非近代的なものだと見なすことは、欧米がバルカンの暴力から望ましい距離を置くための
方法のひとつになった。(259-260p)

 この部分からもわかるように、この本にはユーゴ内戦とそれに対する欧米の「バルカン観」を受けて書かれた本であり、通史として読もうとするとややわかりにくいところもあります。また、少なくとも高校の世界史B程度の知識がないと内容を追うのが難しい部分もあると思います。
 ただ、エピソードを重ねながら重層的に描き出された歴史は面白く、読み応えは十分です(『暗黒の大陸』の読み応えはもっともっとすごいですが)。

バルカン―「ヨーロッパの火薬庫」の歴史 (中公新書)
マーク・マゾワー
4121024400

秋吉貴雄『入門 公共政策学』(中公新書) 7点

 この本の「はしがき」で著者は「ところで、公共政策学って何ですか?」と事あるごとに尋ねられ、面倒になってときに「行政学を教えています」「政治学を教えています」という答えていた過去があると書いていますが、確かに公共政策学とは一般の人にはあまり馴染みのない学問でしょう。

 そんな公共政策学についてのコンパクトな入門書がこの本。以下の目次を見ればわかりますが、問題の発見から政策の立案、決定、実施、評価の一連の流れに沿いながら公共政策学の知見を紹介しています。
 少子化問題や街づくり、生活保護行政など、具体的事例をあげて説明が行われているので、公共政策学について興味がある人だけでなく、政策決定や行政の構造など、広く政治に興味のある人にとっても興味深い内容になっていると思います。
第1章 なぜ公共政策学か
第2章 問題―いかに発見され、定義されるのか モデルケース:少子化対策
第3章 設計―解決案を考える モデルケース:中心市街地活性化政策
第4章 決定―官僚と政治家の動き モデルケース:一般用医薬品インターネット販売規制政策
第5章 実施―霞が関の意図と現場の動き モデルケース:生活保護政策
第6章 評価―効果の測定と活用 モデルケース:学力向上政策
第7章 公共政策をどのように改善するか

 第1章では公共政策学の来歴が語られています。
 公共政策学の源流は第二次世界大戦後のアメリカで提唱された「政策科学」です。政治学者のハロルド・ラスウェルは、総合的なアプローチと高度な計量分析を駆使することで、政治家の介入を排した合理的な政策決定を目指していました(これを「自動化の選好」という)。
 この考えは、ランド研究所を中心にアメリカの国防政策へととり入れられ、ジョンソン政権下ではPPBS(計画プログラム予算システム)として全省庁に導入されました。そこでは「費用便益分析」、「費用有効度分析」といった指標が重要視され、さらに「偉大な社会」プログラムでは貧困対策や医療問題などへもこうしたアプローチが行われました。
 そして、公共政策学もこの時期に誕生します。

 ところが、PPBSも「偉大な社会」プログラムも失敗に終わります。費用便益分析の負担は重さや、経済合理性のみに基づいた予算編成が政治的に受け入れられなかったことが要因でした(23p)。
 そこで、公共政策学は方針の転換をはかり、問題の発見や多元的な知識の投入などを重視するようになっていきます。
 
 現在の公共政策学において重視されているものとして、著者は「問 志向」、「コンテクスト志向」、「多元性志向」、「規範志向」の4つの志向をあげ、さらに「inの知識」、「ofの知識」という2つの研究領域をあげています。
 このうち、「inの知識」とは「政策決定に利用される知識」であり、「ofの知識」は「政策プロセスの構造と動態に関する知識」になります(28p)。
 特定の問題を解決するために問題を発見・定義し、それを政策に落とし込み、決定・実施する。この一連の流れを隣接分野の知見もとり入れながら総合的に分析し、政策の改善を図ろうというのが公共政策学ということになります。

 第2章以降では実際に公共政策学がどのような問題を取り扱おうとしているのかが政策形成から実施・評価の過程にそって語られています。

 まずは第2章は問題の発見と定義についてです。
 少子化は現在大きな問題として捉えられていますが、この問題が多くの人に認識されるようになったのは1989年の「1.57ショック」からです。
 合計特殊出生率自体は1975年から2を下回っており、人口を維持できる水準であるおよそ2.07を下回っているので、その時から少子化が問題となってもおかしくはありませんでしたが、実際に問題となったのは「ひのえうま」である1966年の1.58を下回ってからになります。

 問題は何らかのかたちで人々に「解決されるべき問題」として認識される必要があります。セクハラも地球温暖化もかつては問題として認識されていませんでしたが、現在は多くの人々に「解決されるべき問題」として認識されるようになっています。
 また、問題をどのような枠組みで捉えるかという「フレーミング」も重要になります。例えば、少子化問題も、それを「女性の問題」として捉えるか、「家族の問題」として捉えるかなどによって、打ち出される政策も変わってくるはずです。
 
 これらのことを踏まえて、この章の後半では、公共政策学において、いかにして問題を発見し、構造化するかということが語られています。

 第3章は解決案(政策)の設計について。
 現在の社会問題の多くは複雑で、解決策もじゃんけんにおける「グーに対してはパーを出せば良い」というレベルのものではすまされません。
 この本では中心市街地活性化政策が例としてとり上げられていますが、そこには例えば周辺地域の人口予測が必要になるでしょうし、どのような形での活性化を目指すのか、何を目標とするのかといったことも決めていく必要がります。

 また、方向性や目標が決まったとしてもそれをどんな方法で達成するのかということが問題になります。
 この本では①直接供給・直接規制、②誘引、③情報提供という3つの方法に区分しています。
 例えば、まちづくりに関しては、公的セクターが中心となる建物を立てたり建築物の種類を規制したりするのが①、補助金の提供や税制上の特例措置などが②、ポスターやパンフレットの作成や各種イベントの実施などが③です。多くの場合、これらの政策は組み合わされて実行されます(ポリシー・ミックス)。
 さらにその政策がどの程度の効果を上げそうかということが、費用便益分析でチェックされます。

 第3章の最後の部分では、法律の簡単な読み方も紹介されています。法律には①総則規定、②本体規定、③罰則規定、④雑則規定、⑤附則規定の5つの構成要素があり、「地域商店街活性化法」を例に、それぞれの要素が簡単に解説されています。
 
 第4章は政策決定に過程について。
 この章では「一般医薬品のインターネット販売規制政策」を例にして、国政レベルでの政策決定過程が分析されています。
 日本では府省の官僚によって政策が形成されることが多いですが、彼らは業界団体や専門家などから情報や知識をとり入れつつ政策決定を行っています。
 府省では審議会や私的諮問機関が設置され、そこで業界団体や専門家の知識や情報をとり入れつつ同時に合意形成を図っていくのです。また、公聴会やパブリックコメントによって一般市民からの意見の聴取も行われます。

 以前は省庁で作成された政策が自民党の部会に回され、そこですり合わせが行われ国会へ提出という運びでしたが、橋本行革によって内閣官房の強化されて以来、内閣府でも政策のの企画・立案が行われるようになりました。
 特に中北浩爾『自民党』でも触れられていたように、首相直属の政策審議会を使うのは第二次安倍政権の特徴であり、官邸と各省の考えがぶつかることも出てきています。ここでとり上げられている「一般医薬品のインターネット販売規制政策」では、厚生労働省と規制改革会議が激突し、激しい対立を引き起こしました。
 さらにこの本では、国会での法案の成立過程についても簡単にフォローしています。

 第5章は政策の実施について。いくら素晴らしい政策でも実施のための財源や人員がなかったら「絵に描いた餅」に終わりますが、マスコミの報道などでも意外に見過ごされがちな点かもしれません。
 法律の下に政令・省令・通達・通知といったものがあり、さらに実際に政策を実施する人のために「実施要領」と呼ばれるマニュアルが作成されることもあります。学校教育の内容を決めている「学習指導要領」はおそらく最も有名なものでしょう。
 この章では生活保護行政を中心に、この仕組を見ていっています。

 政策の実施はさまざまな機関が連携して行われます。国と地方自治体はもちろんですが、そこに独立行政法人やNPO、民間企業も絡んでくる場合があります。民間企業についてはピンと来ない人もいるかもしれませんが、例えば自動車教習所は運転免許の技能検定の肩代わりをしており、まさに行政の一端を担っています(143ー144p)。
 こうした機関の連携方法としては、担当者連絡会議・協議会の設置というやり方がありますが、出向人事もその一つの方法となっています。

 実際の政策の実行は、もちろん第一線の職員によっても左右されます。特にこの章でとり上げられている生活保護行政においては現場の職員にそれなりの裁量があり、また、困窮者の「保護」と受給者の「自立」を同時に求められるというジレンマに直面しています。

 第6章は政策の評価について。
 評価には政策のデザインが妥当かというセオリー評価、実施がうまく行っているかというプロセス評価、結果についての業績測定やインパクト評価があります。この章では学力向上政策を例にとって、これらの評価を説明しています。

 このようにこの本を読むと、日本のにおける政策の立案から決定、実行、評価までの一連の流れがわかります。これは多少なりとも政治や社会問題に関わる人にとって役立つ知識となるでしょう。

 そして、この本ではそれを受けて第7章で「公共政策をどのように改善するのか」ということが論じられているのですが、個人的にはここが物足りなく感じました。
 今までの議論を振り返りながら、政策改善のキーとなる概念がいくつか提示されているのですが、公共政策学の有用性をアピールするにはやや弱いです。
 この本でとり上げられている少子化対策や中心市街地活性化、生活保護行政といったものはいずれも「あまりうまくいていない」と認識されている政策だと思います。ですから、公共政策学の知見をとり入れた海外や地方の優れた政策を紹介することが出来たなら、公共政策学の重要性がもっとアピールできたのではないでしょうか。

 公共政策学の内容を紹介する本としては、コンパクトかつ十分な内容だと思いますが、公共政策学の魅力のアピールという点については少し弱さも感じました。

入門 公共政策学 - 社会問題を解決する「新しい知」 (中公新書)
秋吉 貴雄
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飯田泰之『マクロ経済学の核心』(光文社新書) 8点

 『飯田のミクロ』(光文社新書)の姉妹編とも言うべき本が、『飯田のミクロ』から5年経って登場。ずいぶんと待たされましたが、著者の専攻がマクロ経済学ということもあって『飯田のミクロ』よりもわかりやすく興味深い内容に仕上がっていると思います。
 ただ、先日紹介した坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)が、経済学をまったく知らない人にも読めるようになっていたのに比べると、こちらは高校の政治経済レベルの知識をマスターした人、あるいはもうちょっと進んで初学者向けの経済学のテキストなどを読んだ人向けのレベルになります。
 数式もけっこう出てきますし、経済学の知識がまったくない人が読み通すにはちょっとつらい本かもしれません。
 
 目次は以下の通り。
第1章 マクロ経済を見る「目」
第2章 長期経済理論としての新古典派成長モデル
第3章 需要サイドによる景気循環モデル
第4章 マクロ経済学の基本モデルとしてのIS‐LM分析
第5章 労働と価格のマクロ経済学
 
 これに「日本は既に貿易立国ではない」、「経済効果って何ですか?」、「国際金融から見るトランポノミクスの帰結」、「アベノミクスの誤算と雇用者数」といったコラムが挟み込まれています。
 
  まず第1章はGDPの説明から。GDPの特徴について説明した上で、名目と実質、GDPの三面等価などについて説明し、さらに、需要面と生産面の両面からGDPを整理・分析しています。
 GDPに関しては、供給面から決まる(「セイの法則)、需要面から決まる(「有効需要の法則」)という2つの考え方がありますが、著者は潜在的な供給能力と潜在的な需要をくらべて、供給能力が需要を下回っている時は「セイの法則」が当てはまり、供給能力が潜在的な需要を上回っている時は「有効需要の法則」が当てはまるであろうと結論づけています(47p)。
 
 第2章では新古典派の成長モデルが検討されています。
 「経済がどうしたら成長するのか?」というのは長年議論が続いている問題ですが新古典派成長モデル(ソロー・スワンモデル)では、貯蓄と投資こそが長期的な成長の要因だと考えます。
 「投資とは供給能力の増強である」(64p)との視点のもと、所得の中で消費されなかった部分である貯蓄が投資を規定し、それが成長に結びつくと考えるのです。
 
 1人あたり生産を決めるのは1人あたりの資本であり、そして1人あたりの資本を決めるのは貯蓄です。
 1人あたりの資本については人口増加の影響も受けます。人口増加のペースが貯蓄の増加を上回っていれば、1人あたりの資本は減少していしまう可能性があります。
 この視点から行われる政策としては、貯蓄に対する税制上の優遇や強制貯蓄型の年金制度(いずれも貯蓄率を上昇させる)、一人っ子政策などの人口抑制策(人口増加のペースにブレーキをかけることで1人あたりの資本を充実させる)などがあります(79p)。
 また、このソロー・スワンモデルでは成長するにつれ投資による成長の伸びはしだいに衰え、各国の経済水準は次第に収束すると考えられています。貧しい国と豊かな国の差は次第に収縮していくと考えられているのです。
 
 しかし、現実の世界を見ると必ずしもそうはなっていません。韓国や中国など順調にキャッチアップしている国もありますが、先進国と最貧国の差が縮まっているとは言い難い状況でしょう。
 この状況を説明するものとして、経済がある程度の状態になるまでには、何か大きな資源の投入(ビッグプッシュ)が必要だという議論や、人的資本に注目するポール・ローマーの「内生的成長理論」があります。ちなみに、内生的成長理論をとると前提によっては先進国と途上国の差が永遠に縮まらないという結論が出てしまいます(89p)。
 
 第2章の後半でとり上げられるのは、ハロッド・ドーマーモデルです。これは資本と労働力を代替性が仮定されたモデルで、「資本を減らしても、それなりに労働を増やせば、同じだけの生産量を達成できる」(91p)と考えます。
 このモデルでは、労働が余っているときと資本が余っているときで成長を規定する要因が異なります。労働が余っているときは投資が成長の鍵になり、資本が余っているときは人口成長率が成長の鍵になります。
 
 これは、企業は短期的には資本と労働の組み合わせを変えることができないという仮定によっていますが、中長期的に見れば企業はオートメーション化などでこの組み合わせを変化させることができるはずです。
 そこで、著者はハロッド・ドーマーモデルを中長期の成長理論というよりは短期の景気循環モデルとして捉えるほうが適切だと言います(101p)。
 実際に、サミュエルソン=ヒックスの景気循環モデルは、このハロッド・ドーマーモデルと同じ考えだといいます。
 
 第3章では景気循環を分析するモデルとしてケインズの考え方が紹介されています。
 まずは45度線モデルの考え方を紹介し、さらにそこから45度線モデルにはない投資を扱うためのIS曲線、貨幣需要を取り込んだLM曲線を導出しています。
 乗数効果、貨幣需要といったケインズ経済学の概念が丁寧に説明されているので、今まで大雑把にケインズ経済学を理解していた人には勉強になるのではないでしょうか。
 
 第4章では第3章での分析を踏まえてIS-LM分析が説明されています。
 IS-LM分析については「時代遅れ」との評価もありますが(少なくともリーマン・ショックまではそうした見方がけっこうあった)、著者は「IS-LMモデルはすべての市場をその相互作用を考慮した上で組み上げている一般均衡モデル」であり「マクロ経済学入門の主役として取り上げるべきモデル」(149ー150p)と評価してます。
 
 IS-LMモデルの説明は本書に譲りますが、この本ではIS-LMモデルを使って、「フィスカル・ポリシーとビルト・イン・スタビライザーの間にはトレードオフ関係がある」(161p)(累進課税や社会保障制度の強い国では乗数効果は小さい)ことや、クラウディングアウト、金融政策の効果、流動性の罠などを説明しています。
 章の後半ではIS-LMモデルへの批判、例えば、ケインズ型消費関数への批判であるフリードマンの恒常所得仮説などを紹介しています。
 
 第5章ではフリップス曲線を中心に労働市場の問題が分析されています。
 フィリップス曲線はインフレと失業の関係を示したもので、一般的にインフレ率が高い時に失業率は低く、インフレ率が低い時に失業率が高いという関係を示したものです。
 ケインズ経済学ではこの理由は賃金の下方硬直性に求められます。労働者は名目賃金の低下に抵抗するため不景気になっても賃下げは難しいですが、物価上昇による実質賃金の低下には名目賃金の低下ほどの抵抗を示しません。よって、インフレ時には実質賃金の調整がスムーズに進み、雇用も増やしやすいと考えられています。
 この本では、ここからさらにAD−ASモデル(総需要・総供給モデル)を紹介しています。
 
 さらにこの本ではフリードマンによる貨幣錯覚説とルーカスらの合理的期待形成の考えを紹介しています。
 著者はケインズ的な解釈とフリードマン・ルーカス的な解釈を比較して、フィリップス曲線において前者が非自発的失業を問題にしているのに対して、後者は自発的失業を問題にしているのだといいます(216ー217p)。
 そして、総需要が不足している経済ではケインズ的なフリップス曲線の解釈が妥当であるとしています(218p)。
 
 こうした経済状況によるモデルの使い分けについて、著者は消費関数についての部分で次のように述べています。  
 講義で経済学の学説対立を説明すると、「結局どちらの説が正しいの?」という質問を受けることがあります。しかし、消費関数はもとより、これから取り上げる学説上の対立については論理的な白黒をつけることはできません。どちらの説がより妥当なものであるかは、その時、その国の状況によって決まるものなのです。このように考えると、マクロ経済理論は、統計的な検証(実証分析)と合わせて利用しなければならないことが理解できるでしょう。(177ー178p)
 
 これは、厳密なモデルの構築よりも実際の経済と見比べて使えるモデルを探っていこうという著者のスタンスをよく表している部分だと思います。
 
 第5章の後半では量的緩和やインフレーション・ターゲットといったアベノミクスのキーとなる概念を考察しています。
 アベノミクスに関しては肯定的な著者ですが、思ったように物価が上がらなかった理由としてコラム「アベノミクスの誤算と雇用者数」の中で、「想定以上に日本の労働市場に供給能力があったこと」をあげています。女性や高齢者を中心に日本には思った以上の潜在的な労働者がいて、それが賃金の伸びを抑制したというのです(これは玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』の中の川口・原論文の考えと同じですね)。
 
 最初に述べたようにややターゲットとなる読者を選ぶ本だと思いますが、個人的には現実の経済事象と経済学のモデルをつなぐ本として面白く読めました。
 この本を読めばマクロ経済学のモデルというものがどんなものなのかということがつかめますし、また、必要以上にマクロ経済学のモデルを盲信する必要もないということがわかると思います。
 
マクロ経済学の核心 (光文社新書)
飯田 泰之
4334039839

近藤康史『分解するイギリス』(ちくま新書) 9点

 去年のBrexit(EUからの離脱の国民投票)によって一気に注目をあつめることになったイギリスの政治について、その制度と歴史、さらに現在の機能不全を分析した本。
 長年、「ウェストミンスター・モデル」として日本の政治改革などのモデルとされてきたイギリスの政治ですが、近年ではBrexitに代表されるような問題も目立ってきています。その背景としてグローバル化や格差社会といったことがよくあげられていますが、この本では長年イギリスの政治を研究してきた著者によって、あくまでも政治制度を中心に機能不全の背景が分析されています。
 そして、この政治制度にこだわった分析によって、イギリス政治の現在地や日本の政治への示唆がより明確な形で見えるようになっており、単純にイギリス政治の現状を知るだけではない面白さがあります。
 イギリスの現状分析にとどまらず、政治学の知見から現代のデモクラシーの混迷に光を当てた本と言えるでしょう。
 
 目次は以下の通り。
序章 モデルとしてのイギリス?
第1章 安定するイギリス
第2章 合意するイギリス
第3章 対立するイギリス
第4章 分解するイギリス
終章 イギリスはもはやモデルたりえないか?
 
 政治学者のレイプハルトは『民主主義対民主主義』において世界各国の民主主義の分類を行いましたが、その中でイギリスは多数決型民主主義の典型とみなされています。
 多数決型とは「一人でも多い多数派」の意見がそのまま決定につながるような民主主義のスタイルであり、対照的なのが「なるべく多くの人」の支持を得ようとするコンセンサス型民主主義になります(77p)。
 
 ご存知のようにイギリスでは小選挙区制で選挙が行われています。小選挙区制のもとでは1位の候補者しか当選しないため、政党は二大政党に収斂していきます。
 また、小選挙区制には民意をデフォルメする効果もあります。弱小政党の得票は議席に反映されることはありませんし、わずかな得票率の違いが大きな議席の差を生み出すこともあります。
 こうして、選挙制度によってつくられた保守党と労働党の二大政党のどちらかが単独政権をつくり、政権交代を繰り返すことでイギリスの政治は動いてきました。
 
 しかし、小選挙区制と二大政党制だけがイギリスの政治を特徴付けているわけではありません。
 例えば、アメリカも二大政党制で議員は小選挙区制で選ばれていますが、その政治の様子はずいぶん違います。アメリカの議会は両院とも権力を持つ二院制ですし、選挙で選ばれる大統領もいます。さらには三権分立の考えのもと司法も大きな権力をもっています。トランプ大統領の政策が議会や裁判所の判断によって立ち往生しているのは記憶にあたらしいところです。
 
 一方、イギリスでは議会主権の名のもとで政治権力は議会に集中するようになっていますし、その議会においても下院に権力が集中しています。さらにその下院の多数派から首相(執政)が選ばれるため、党内の分裂などがないかぎり首相は強いリーダーシップを発揮することができます。
 政党に関しても、一体性の弱いアメリカの政党などに比べるとイギリスの政党は規律が強く、その一体性も高いです。
 さらに連邦制の国家とは違ってイギリスは集権性の高い単一国家です(スコットランドなどについては後述)。
 つまり、議会主権、小選挙区制、二大政党制、政党の一体性、執政優位、単一国家といったそれぞれの制度がそれぞれ噛み合うことによって典型的な多数決型民主主義のシステムをつくりあげているのです(80pの図2を参照)。
 
 * ちなみに日本も90年代の政治改革以降、多数決型に近づいているが、衆議院議員選挙の比例部分、比較的強い参議院の存在もあってイギリスほど与党や執政に権力が集まるシステムにはなっていない。
 
 勝ったほうが総取りともいうべき多数決型民主主義では、政権交代にともなって政策が右から左へ左から右へと大きく変わりそうなものですが、著者はそうではないと言います。
 ダウンズの「注意投票者の理論」によって二大政党の政策は近づいていくといいますし(92p)、実際、戦後すぐに労働党が築いた福祉制度は保守党政権になっても引き継がれましたし、64年からはじまった労働党のウィルソン政権のもとでは経済停滞の中で福祉の制限や改革が行われました(97ー100p)
 
 しかし、この「合意」の政治は79年に首相となったサッチャーのもとで変化していくことになります。
 サッチャーは「小さな政府」を掲げ、労働党的な福祉政策を厳しく批判したのです。ただ、実際の数字を分析してみるとサッチャー政権において福祉分野への国家支出が大きく減ったわけではありません(106ー108p)。
 サッチャーといえども、政策の「経路依存性」を無視することはできなかったのです。
 
 この後、労働党の党首として保守党から政権を奪い返したのはブレアでした。ブレアは産業の国有化といった目標を捨て、保守党の新自由主義的な路線に寄ることによって新たな支持を獲得しました。
 この政策転換を「ネオ・リベラルの合意」と位置づけることもできます(115p)。実際、保守党のキャメロン首相は「社会の重視」を打ち出し、サッチャーの路線から距離を取り、ブレアの路線に近づきました。
 
 しかし、このブレア政権のころからイギリス政治を支えてきた制度が変化し始めます。
 まずは地方分権の動きです。以前からスコットランドは分権を求めてきましたが、これに応えようとしたのがブレアでした。ブレアは立法権を持ったスコットランド議会、ウェールズ議会の設立についての住民投票を行うことをマニフェストに明記し、97年にはスコットランドとウェールズの議会が98年には北アイルランドの議会が誕生します。
 これは住民の要望に応えた措置と言えますが、同時に単一国家であったイギリスの仕組みを変更し、またスコットランド国民党(SNP)が伸長する場を与えるものでした。
 
 また、ブレア政権では内閣ではなくブレア個人に権力が集中しました。ブレアは他の閣僚や省庁のスタッフよりも首相官邸に集めたアドバイザーを重用し、リーダーシップを発揮しました。これを政治の「大統領制化」とも言います(163ー168p)。
 しかし、このブレアのリーダーシップはイラク戦争で躓きました。労働党内部からの造反も出る中でイラク戦争への参加を強行したブレア首相でしたが、大量破壊兵器が見つからなかったこともあって厳しい批判に晒され、ブレアの党内での求心力は落ちていきます。
 また、イラク戦争に関しては保守党も賛成したために、第三党の自由民主党が支持を集めることになりました。2005年の総選挙で自由民主党は22%の得票率で62議席を獲得しています(172-173p)。
 
 さらに多党化の傾向はEUとの関係においても進みます。EUには欧州議会が設けられ、各国から議員が選ばれているのですが、1999年からイギリスでも比例代表制によって欧州議会の議員が選ばれるようになりました。
 そこで伸長したのがUKIP(英国独立党)です。UKIPは反EUを打ち出す新興の単一争点政党で、大政党しか勝ち上がれない小選挙区では存続が難しいタイプの政党です。
 ところが、欧州議会の比例代表選挙はUKIPのような政党が育つ土壌を提供しました。EUの作った制度が反EU政党を育てたというのは皮肉ですが、UKIPは欧州議会の選挙を通じて勢力を広げ、2014年の欧州議会選挙では小選挙区では得票率27.5%でついにイギリスでの第一党となりました(146-148p)(遠藤乾『統合の終焉』に「欧州議会選挙は、ヨーロッパ次元というよりも国内次元の政治争点をめぐって争われる「二流の総選挙」の傾向が強い」と書かれているように欧州議会選挙への関心は全体的に低い)。
 
 この本では、こうした選挙制度の混合がどのような帰結を産むのかということや、第3の政党の出現によって一番議席を減らすのは第2党であり、一党優位化が進みやすいといった政治学の知見の紹介しています(194-202p)。
 このあたりはさまざまな選挙制度が混合している日本の政治を考える上でも示唆に富むものです。
 
 このような多党化が進む中で問題となるのが「民意の漏れ」の問題です。
 イギリスの二大政党の得票率は低下しており、1970年までは90%近くあった得票率が60%代後半にまで落ちてきています。しかし、小選挙区制の仕組みもあって議席率は 依然として85%以上を占めています(189pの図9参照)。
 得票レベルでは二大政党制は崩れつつあるのに、議席的には二大政党制が続いているという、有権者の意思が議会構成にうまく伝わらないような状況になっているのです。
 
 こうした「民意の漏れ」に対応し、同時に政党内部の対立を抑えるために近年多用されるようになっったのが国民投票です。
 国民投票は、「二大政党制に基づくイギリス民主主義の機能不全を、「究極の多数決」に基づいて補う役割」(228p)を持っているのです。
 しかし、キャメロン首相が保守党内をまとめ上げ、UKIPに見られる反EU世論のガス抜きをはかるために行った国民投票は、まさかの「EU離脱」という結果に終わりました。
 
 このようにイギリス政治は、今までウェストミンスター・モデルを支えてきた、二大政党制や議会主権、単一国家といったパーツの組み合わせが崩れ、機能不全を起こしています。
 「EU離脱」という決定だけでなく、この政治制度の機能不全がイギリス政治を「分解」させていくことになるかもしれません。
 一時期は、日本の政治改革のモデルとされたウェストミンスター・モデルですが、もはやモデルとしての輝きを失いつつあるのです(ただ、日本には欧州議会もスコットランドのような存在もないので純粋な多数決型民主主義を目指す道は可能性は残ってはいるな、と賛否は別にして個人的には思いました)。
 
 以上のように、イギリスの政治状況を読み解くととともに、政治制度そのものを考えるためのさまざま知見が散りばめられた非常に面白い本です。
 やや専門的な議論も登場しますが、語り口は平易で図などを用いた説明もわかりやすいですし、政治について興味のある人に幅広くお薦めしたいですね。
 
分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)
近藤 康史
4480069704

倉本一宏『戦争の日本古代史』(講談社現代新書) 7点

 副題は「好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで」。この副題からも分かるように日本古代の対外戦争の歴史を扱った本になります。
 ですが、日本古代史を知っている人ならわかると思いますが、基本的に古代において日本に行った対外戦争というのは、上記の好太王との戦い、白村江の戦い、刀伊の入寇くらいでその数は少ないです。そのため、この本も戦争の部分だけでなくそれに付随する外交に関する部分に多くの紙幅を割いています。
 特に朝鮮半島との外交関係についてはかなり詳細に書かれており、「古代における日本と朝鮮半島の外交史」としても面白く読めると思います。
 
 目次は以下の通り。
はじめに 倭国・日本と対外戦争
第一章 高句麗好太王との戦い 四~五世紀
第二章 「任那」をめぐる争い 六~七世紀
第三章 白村江の戦 対唐・新羅戦争 七世紀
第四章 藤原仲麻呂の新羅出兵計画 八世紀
第五章 「敵国」としての新羅・高麗 九~十世紀
第六章 刀伊の入寇 十一世紀
終章 戦争の日本史
おわりに
 
 古代における日本と朝鮮半島の関係に関してはわかっていない部分も多いですが、日本の朝鮮半島への軍事的進出を示す史料として、「高句麗好太王碑文」があります。
 この史料についてはさまざまな読み方が言われていますが、著者は高句麗の圧迫を受けた百済が倭国に対して軍事的援助を要請し、それに応えた倭国の軍が好太王に敗れたといったかたちで解釈しています。
 史料の中には倭国が百済や新羅を「臣民」としたという記述もありますが、これは倭国が対高句麗連合軍において指導的地位に立った局面があったからではないかと著者は推論しています(34p)。
 また、倭国が敗北した要因としては、倭国の兵が短甲と大刀で武装した重装歩兵であったのに対して、高句麗には長い矛で武装した騎兵がいたことなどがあげられています(37p)。この敗戦のインパクトは、古墳の副葬品に馬具などが増えてくること、馬を駒=高麗(高句麗のこと)と呼ぶことなどに現れているといいます(38p)。
 
 この後、倭の五王などの時代を経て、6~7世紀になると朝鮮半島南部の任那と呼ばれる地域の帰趨が問題となります。
 倭の五王の時代は日本国内で鉄資源が生産できなかったために倭国は朝鮮半島にこだわらざるを得ませんでしたが、6世紀になると日本でも鉄が本格的に生産できるようになりました。著者は中国への遣使が途絶えた背景の一つをここに見ています(63p)。
 
 このころ半島南部の加耶諸国(ここが任那と呼ばれることになる)は百済、新羅の双方から圧迫を受けるようになっており、倭国への協力関係を強めましたが、磐井の乱などの影響もあり効果的な派兵を行うことはできませんでした。
 結局、562年に加耶諸国は新羅によって滅ぼされます。倭国では反新羅の動きが強まりますが、新羅は倭国に「調(みつき)」(貢物)を送ることでこの動きを抑えようとします。
 この「調」は「任那の調」と称されたそうですが、これが日本側の勝手な認識なのか、新羅もそう称したのかはよくわかりません。ただ、対百済関係の悪化もあって新羅が倭国に対して下手に出たのは確かであり、それが後の日本の新羅に対する優越感につながったと著者は見ています。
 
 推古朝のときも新羅への出兵(任那復興)の計画は何度か持ち上がりますが、本格的な出兵は行われなかったようです(『日本書紀』にはそういった記述があるが著者は否定的に見ている(93-97p))。
 その間に東アジアの国際情勢は大きく変化し、660年、倭国と友好関係にあった百済が唐と新羅の連合軍によって滅ぼされます。
 しかし、滅亡したといっても王都が陥落し国王とその一族が唐に連行されただけであり、すぐに百済の遺臣たちによる反乱が起こります。そして、この反乱が一時期かなり力を持ったことが、倭国を白村江の戦いに引き込んでいくことになるのです。
 
 白村江戦いの詳しい経過に関しては本書を読んでほしいのですが、倭国軍は地方豪族や国造の寄せ集めの軍であり、しかも決戦の地である白村江に倭国の軍船は長い帯のような状態で順番に到着したらしく、戦列を固めていた唐の水軍の餌食になりました(145p)。火攻めによって溺死したものも多かったとのことです(148p)。
 
 この白村江の戦いは唐にとってはさしたる重要な戦いではなく、新羅にとっても主たる戦場ではありませんでした(152p)。しかし、倭国にとっては大きな意味を持つ戦いで、この戦いを機に中央集権国家をつくる動きが加速しています。
 著者は、中大兄皇子や中臣鎌足にはたとえ敗北しても、戦争に向けた動員が中央集権国家をつくる好機になるという読みがあったのでは?という見方を披露していますが、個人的にはこれは後知恵で当時の情勢からするとあまりにも危険すぎる賭けではないかと感じました。
 
 もっともこの後、中央集権国家の建設は進みますし、唐と新羅の関係が悪化したことによって事態は中大兄(天智天皇)の都合のいいように進みます。
 671年には唐からの使節がやってきます。この使節は倭国に新羅への出兵を促したとも考えられており、実際に東国で徴兵が行われたようです。しかし、この兵は海を渡ることはなく、壬申の乱において大海人皇子の軍に接収されたというのです(173ー179p)。
 
 先ほど、中央集権国家をつくるために白村江に兵を送ったという解釈は苦しいのではないかと述べましたが、出兵計画が国内の引き締めに使われたと考えられるのが藤原仲麻呂の新羅出兵計画です。
 唐との関係が悪化した新羅は、日本に「調」を送っていました(新羅の贈り物を日本側が「調」と称した可能性が高い(187p))。しかし、8世紀になると唐と新羅の関係は安定し、新羅は日本に対して下手に出なくなります。
 
 こうした中、751年に当時独裁的権力を握っていた藤原仲麻呂が新羅征討計画を表明します。仲麻呂は諸国に500艘の船を3年以内につくるように命じたのです(197ー198p)。
 その背景には渤海のはたらきかけや安史の乱による唐の混乱などがあるわけですが、それにしても3年以内というのは悠長な話です。
 著者は、軍事的な権力を仲麻呂に集中させるために対外的な要因が利用された(だから実際に出兵するかどうかの重要性は二の次)と考える鬼頭清明の見方をとっています。
 
 この本の第五章、第六章では、その後の新羅、そして新羅に代わって朝鮮半島を支配した高麗との関係、さらには刀伊の入寇がとり上げられているのですが、読みどころの一つは朝廷の貴族たちの平和ボケぶりです。
 刀伊の入寇に関しては、日本側の死者365人、拉致者1289人というかなりの被害が出た出来事なのですが、朝廷の対応は基本的には現地に丸投げで、都の予定でキャンセルされたものは摂政・藤原頼通の賀茂詣だけです(241p)。
 また、勅符が届く前に戦闘で手柄を立てた者に対して行賞をおこなうべきかということが議論されています。藤原実資の意見により行賞がおこなわれることになりましたが、当時の貴族の認識とはこの程度のものなのです(逆に実資が有能な人物であったことはわかる)。
 
 さらに終章では元寇や秀吉の朝鮮出兵に関してもそれなりに紙幅をとって説明しています。
 近代以前の日本の対外戦争が、朝鮮への蔑視などを通じて近代以降の対外戦争へ影響を与えているという著者の主張に関しては判断がつきかねる部分はありますが、古代の戦争と外交をみとすことのできる面白い本だと思います。
 歴史の教科書では短い出来事として語られてしまう戦争の前後にさまざまな背景や思惑があることを教えてくれる本です。
 
 
戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで (講談社現代新書)
倉本 一宏
4062884283

加藤典洋『敗者の想像力』(集英社新書) 7点

 季刊誌『kotoba』に連載された文章に、「シン・ゴジラ論(ネタバレ注意)」と大江健三郎の『水死』を論じた「『水死』のほうへ」を加えて1冊としたもの。
 新書という形になっていますが、以前であれば文芸評論の単行本として出版された企画でしょうね。
 
 カバーの見返しやAmazonのページに載っている紹介文は以下の通り。
一九四五年、日本は戦争に負け、他国に占領された。それから四半世紀。私たちはこの有史以来未曾有の経験を、正面から受けとめ、血肉化、思想化してきただろうか。日本の「戦後」認識にラディカルな一石を投じ、九〇年代の論壇を席巻したベストセラー『敗戦後論』から二〇年。戦争に敗れた日本が育んだ「想像力」を切り口に、敗北を礎石に据えた新たな戦後論を提示する。本書は、山口昌男、大江健三郎といった硬派な書き手から、カズオ・イシグロ、宮崎駿などの話題作までを射程に入れた、二一世紀を占う画期的な論考である。
 
 「二一世紀を占う画期的な論考」とありますが、加藤典洋の仕事を昔から読んできた者からすると「画期的な論考」ではないです。
 加藤典洋はそれこそデビュー作の『アメリカの影』から一貫して「敗戦ときちんと受け止めていないこと」、「戦後の日米関係をきちんと受け止めていないこと」ことを問題視しつづけており、この本もタイトルから想像できるようにそうした著者の仕事の流れの中にあります。
 
 著者の大まかなスタンスについては例えば以下の文章を読めばわかるでしょう。  
 (私は)誤りを反省し、先進の西洋思想から学ぶことを第一とする「戦後民主主義思想」に対し、いま自分たちに課せられた現実を基礎に、この第一の道に「抵抗」しつつ、自己形成する第二の流れをさして、これを「戦後思想」と呼んだことがある。前者の系列に並ぶ知識人には、丸山真男、加藤周一、桑原武夫、日高六郎がおり、後者の系列に並ぶ知識人には、吉本(隆明)、鶴見(俊輔)のほか、中野重治、竹内好、埴谷雄高、鮎川信夫、谷川雁、花田清輝、江藤淳、橋川文三といった知識人がいる。双方とも優れた知識人だが、流儀が違う。では両者の違いとはなんだろうか? 少し前まで英語で教えていた大学で、外国人の留学生を前に、こんな問にぶつかったとき、私に、それまでは私の語彙になかった、「敗者の想像力」という言葉が、ひらめいたのである。(160ー161p)
 
 この文章を読めば、だいたい著者の立ち位置というのはわかると思います。基本的に、著者は「戦後思想」の流れ、特に鶴見俊輔や吉本隆明の考え方に拠りながら、敗者であるということはどのようなことであるかということを深く考える「敗者の想像力」を、さまざまな作品から取り出そうとしています。
 
 ただ、著者の仕事の面白さというのはスタンスそのものよりも、そこからさまざまな作品を執拗に読み解いていく部分。
 例えば、ゴジラに関してはゴジラが太平洋戦争で死んだ死者たちの体現であるという指摘から始まり(だからいつも日本にやってくる(87-91p))、さらにこの手の評論で触れられることはごとんどない1998年のローランドエメリッヒによる『GODZILLA』、2014年のギャレス・エドワーズによる『GODZILLA ゴジラ』の読み解きを行っています。
 
 ローランド・エメリッヒ版『GODZILLA』については、ゴジラの誕生の原因がアメリカの水爆実験ではなくフランスの水爆実験にすり替えられている点を、「よくぞこんな破廉恥なマネができるものだ」(98p)とあきれつつ、そこに原爆投下に対する「うしろめたさ」を読み込んでいます(100-101p)。
 一方、ギャレス・エドワーズ版の『GODZILLA ゴジラ』は今までのゴジラがなかったことにされている作品ですが、そこに庵野秀明の『シン・ゴジラ』につながるものを見ています。
 
 「シン・ゴジラ論」については個人的にはそれほど鋭さは感じなかったのですが、第1作目の『ゴジラ』ができたばかりの自衛隊の戦闘行動を初めて描いた映画だという指摘は面白かったですね。航空自衛隊がこの時期には持っていなかったはずのF86セイバーを自衛隊機として登場させる一方、日本に駐留しているはずの米軍は一切出動していません(121ー123p)。
 
 そして、この本で一番面白いのは大江健三郎の『水死』論と、デビュー当時から続く曽野綾子とのある種の「因縁」の話。
 この本の第二章では、占領期の日本を描いた「第三の新人」がとり上げられています。
 1950年代になると、「自分に「正しさ」などどこにもない」(68p)という主人公を登場させる「第三の新人」と呼ばれる作家たちがあらわれ、「占領期」を描き始めます。
 その中の1人が曽野綾子であり、やや遅れて登場したのが大江健三郎でした。曽野綾子は「遠来の客たち」で箱根の米軍専用ホテルを舞台にアメリカ人との関係を「あっけらかん」とした筆致で描き、大江健三郎は「人間の羊」で占領期の屈辱を描きました。両者は「占領」という出来事にある意味で対照的なアプローチをしたのです。
 
 その後、曽野綾子と大江健三郎は政治的にも対照的なポジションをとることになりますが、両者の因縁はそれだけではありません。
 大江健三郎は1970年に『沖縄ノート』を発表し、沖縄の「集団自決」を告発しますが、その3年後の1973年、今度は曽野綾子が『ある神話の背景』を発表し、守備隊長が住民に自決を命じたことに疑問を呈します。
 さらにこの「集団自決」をめぐる問題は2005年に裁判に発展します。旧守備隊長の遺族らが大江らを相手取り名誉毀損の訴えを起こしたのです。
 
 著者は大江健三郎の現在のところ最後から2番目の小説にあたる『水死』を、この裁判に対する文学的な回答として読み解きます。
 詳しくは「『水死』のほうへ」を読んでほしいのですが、この読み解きは面白いですし、ノーベル文学賞受賞後の大江健三郎の言動にやや退屈さを覚えていた自分にとっても刺激的で興味深いものでした。
 
 『戦後入門』(ちくま新書)では、文芸評論的な部分はほぼ捨てられていましたが、やはり著書の本領は文芸評論であり、そこからはみ出してくるものなのだと思いました。
 
敗者の想像力 (集英社新書)
加藤 典洋
4087208826

坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書) 8点

タイトルは「ミクロ経済学入門」ではなく「ミクロ経済学入門の入門」。そのタイトル通り、「ミクロ経済学の世界に分け入っていく」というよりは「ミクロ経済学にはどんなアイディアあって、それは何に使えるのか?」ということを読者に見せるような内容になっています。
 
 数式はほとんどなく、くだけた文体とグラフを多用する視覚的な説明を行い、本文150ページ未満のコンパクトな量。こういうと中学や高校で習う需要と供給のグラフに毛の生えた程度のものを想像する人もいるかもしれませんが、そこはマーケットデザインなどの研究をしている著者だけあって、随所にゲーム理論が埋め込まれるかたちで説明がなされており、ミクロ経済学についてそれなりの知識のある人にも新たな捉え方をもたらすような内容になっています。
 また、150ページほどという量の部分については、前著の『多数決を疑う』(岩波新書)を読んだときも感じましたが、著者は高度な内容をコンパクトにまとめるのが非常にうまい書き手であるため、ページ数以上の読み応えは感じられると思います。
 
 とりあえず、以下の詳しい目次を見れば、この本がどんな内容を取り扱っているかはわかるでしょう。
第1章 無差別曲線――ひとの好みを図に描く
無差別だということ/ペプシしか飲まない父/僕と父のあいだの普通の人/右の靴と左の靴(補完関係)/典型的な無差別曲線
第2章 予算線と最適化――何が買えて何を選ぶのか
購入できる買い物/予算線の作成と性質/予算線上の最適化/医療保険政策への応用
第3章 需要曲線――いくらなら、いくつ買うのか
最適解の変化/消費者余剰/独占販売店の価格設定/ベルトラン価格競争/弾力性/ギッフェン財
第4章 供給曲線――いくらなら、いくつ作るのか
限界費用の逓減/最適解/供給曲線
第5章 市場均衡――市場で価格はどう決まるのか
市場均衡/社会的余剰/従量税の下での市場均衡/狙い撃ち課税はなぜダメか
第6章 外部性――他人が与える迷惑や利益
負の外部性とピグー税/正の外部性/ネットワーク外部性と調整ゲーム
第7章 独占と寡占――さまざまな種類の市場
減産による価格の高騰/参入の阻止/展開形ゲーム/クールノー寡占市場
第8章 リスクと保険――確実性と不確実性
条件付き財/不確実性/リスク愛好とリスク中立/保険会社とリスクプレミアム/逆選抜
第9章 公共財――なぜ皆に大事なものは、いつも足りないのか
財の4分類/公共財の自発的供給
第10章 再分配――格差と貧困をどう測るか
所得再分配/ジニ係数/絶対的貧困と相対的貧困/市場、格差と貧困
読書案内
 
 本書の内容紹介としては以上で十分なような気もしますが、いくつかの部分についてコメントしておきたいと思います。
 
 まずは第2章の「予算線と最適化」における医療保険制度についての議論。
 日本の医療保険制度では患者が医療サービスを受けたときにかかった費用の3割を払い、残りの7割は患者の加入する健保が払う仕組みになっています。
 ここで紹介されるミクロ経済の考え方では、患者が医療サービスを受けたときに健保が残り7割を負担する制度(現物給付)よりも、患者になんでも使える見舞金を支給する制度(現金給付)のほうが、患者にとっても健保側にとっても好ましい状態を作り出せる可能性が示されています。
 しかし、直後に著者は、「制度が悪用される(わざと怪我をするなど)おそれ」、「人々が支持するか(例えば病人がそのお金でパチンコに行く)」、「必要原理(医療は人間にとって必要なもので社会が供給すべき)」という3つの理由を上げて、「ミクロ経済学が有効な政策分析のツールたりえること、またミクロ経済学だけで政策を論じるのは不十分ということ」(40p)を指摘しています。
 早い時期にミクロ経済学が「一つの見方」であることを示しているのです。
 
 また、最初にも述べたように、ミクロ経済学の一般的な概念の説明にゲーム理論による説明を挟み込んでくるのも、この本の特徴のひとつです。
 まずは第6章の外部性の説明の中で、SNSなどにおけるネットワーク外部性(利用者が多いほどユーザーが恩恵を受ける)を、調整ゲームを使って説明していますし、第7章では独占企業の行動を展開型ゲームを使って説明しています。
 さらに第9章では公共財に関してもゲーム理論で説明しています。非競合的(大勢が利用しても影響を受けない)で非排除的(お金を払わない人を排除することが難しい)なものを公共財といい、一般道路や国防などが代表例とされています。
 これらのものは多くの人にとって必要なものなので、個人個人が自発的にお金を出し合えば良さそうですが、そうなると費用を払わずにその財を利用するフリーライドの問題が出てきます。
 これは昔から知られていることですが、この本ではこのフリーライドの問題も、ゲーム理論を使って説明しています。
 本書は非常に初歩的な入門書なのですが、このようにミクロ経済学をできるだけゲーム理論で基礎づけようとする野心のようなものも感じさせます。
 
 最後に、この本では再分配の問題を取り上げているのですが、記述の大半はジニ係数の求め方や絶対的貧困と相対的貧困の概念の説明に費やされており、現在の格差問題に対する処方箋のようなものについては触れられていません。
 あくまでも「ミクロ経済学」という道具の中に禁欲的にとどまっている感じで、第2章の医療保険の例と同様に、この本のひとつの特徴を表していると思います。
 
 経済学がどんなものか知りたいという人にはもちろん薦められますし、経済学の知識を改めて整理したいという人にもいいでしょう。また、進路として経済学部あたりを考えているけど、実際に何を勉強するのかイメージできないという高校生に強く薦めたいですね。


ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)
坂井 豊貴
400431657X

前田正子『保育園問題』(中公新書) 7点

 中公新書らしく現在の保育園問題の現状について手堅くまとめた本。何か斬新な解決法が提案されているわけではありませんが、今の保育園を取り巻く問題が網羅的に分かるような本に仕上がっています。
 著者は学者であると同時に横浜市の副市長として待機児童問題の解決にも取り組んだ経験があり、現実的な処方箋が模索されると同時に、現在の制度の改善点なども浮かび上がるような内容です。
 
 目次は以下の通り。
序章 保活に翻弄される親たち
第1章 日本の保育制度をつかむ
第2章 待機児童はなぜ解消されないのか
第3章 なぜ保育士が足りないのか―給与だけが問題ではない
第4章 「量」も「質」ものジレンマ
第5章 大人が変われば、子育てが変わる
 
 序章では都心部での保育所探しの大変さが東京都杉並区の例を通して語られています。 
 妊娠中から始める保育所探し、難解な申し込み方法、厳しい1歳児の倍率とそれを避けるための0歳児からの保育所への入園、そのために年度末生まれは不利になるという問題など、待機児童問題の深刻さとそれに振り回される親の姿が描かれています。
 
 第1章では日本の保育制度の概要が語られています。
 2015年4月から「子ども・子育て支援新制度」が始まり、小規模保育所や保育ママなどの地域型保育も制度の中に位置づけられました。この章ではこうした新しい制度の概要をつかむことができます。
 また、保育所不足が叫ばれていますが、日本全体で見れば2014年から16年にかけて保育所は減っています(26p)。これは少子化が進んでいることと、認定こども園に移行する保育所が増えているからです。
 これを聞くと、民主党政権が力を入れていた認定こども園制度がうまく言っているようにも思えますが、期待されている都市部の幼稚園の認定こども園の移行は起こっておらず(都市部では幼稚園でも人が集まる)、待機児童対策としてはそれほど機能していないのが実情です(27ー28p)。
 
 また、保育所の問題というと都市部の問題と思われがちで、待機児童に関しては確かにそうなのですが、保育所に通う子どもの割合が高いのは地方で、小学1年制に占める幼稚園出身者の割合は埼玉・千葉・神奈川などが軒並み60%を超えるのに対して福井は18.9%(30p)。就学前の子どもの過ごし方に関して都市部と地方でかなり大きな差があるのです。
 
 さらにこの章の最後では保育料の問題に触れており、保育所に多くの税金を投入すれば専業主婦や認可外に子どもを通わせる人が不利になる、正社員のカップルが優遇されるという問題点があり、一方で応能負担を強化すると保育料の合計が私立大学の授業料をこえてしまうという問題が指摘されています(55ー58p)。
 
 第2章は「なぜ待機児童が解消されないのか?」という問題について。
 保育所の定員数は98年の約191万から2016年の約263万へと大きく伸びています。しかし、同時に保育利用率も高まっており、特に1〜2歳児に関しては09年の28.5%から16年の41.1%へと急速に上がってきています(62ー67p)。保育所が整備されることで就労を継続しようとする母親も増えてきたのです。
 
 実は日本全国の保育所を見ると定員割れが起こっており、待機児童は都市部に偏在しています。東京都では保育所の申し込み率が上がっているだけでなく、少子化の中でも子どもの数が増えており、これが待機児童を押し上げています。
 また、横浜市のケースでは東京に近い港北区、神奈川区、鶴見区などで定員を上回るような申し込みがある一方で、南部の金沢区や港南区などでは定員割れを起こしている保育所もあり(73p)、同じ市内でもその需要には偏りがあります。
 
 待機児童の解消には保育所の整備が必要ですが、保育所の整備が潜在需要を掘り起こすという面もあります。横浜市では2003年に25000ほどだった保育所の定員を08年には35000以上に引き上げましたが待機児童は解消できず、13年に定員を49000近くにして待機児童ゼロを達成しています。しかし、翌年には再び待機児童が発生するなどイタチごっこが続いています(83pの表)。
 
 第3章は近年クローズアップされている保育士不足の問題について。
 保育士不足は特に都市部で著しく、東京の保育士の求人倍率は2016年で5.68倍となっています(97p)。
 この保育士不足の要員のひとつが、資格を持っている人が辞めてしまう問題です。辞める原因のトップは賃金の問題ですが、それ以外にも「責任の重大さ・事故への不安」、「休暇が少ない・休暇がとりにくい」といった理由も上位にあがっており(98ー99p)、賃金以外の問題もあることがうかがえます。
 
 保育士の給与は市町村から入る運営費によってある程度単価が決まっています。厚生労働省の試算によると、働きはじめて5〜6年の保育士の給与は額面で370万円程度です(102p)。
 実際はもう少し低く抑えられているようで、全保育士の平均年収は317万円となっています(104p)。もちろん、都市部などでは独自の加算などもあるのですが、この金額は地方では他と比べて悪くないですが、都市部では他の仕事と比べて見劣りする数字かもしれません。そのために一層都市部での保育士不足に拍車がかかるわけです。
 保育士の年収を引き上げていくためには保育士のキャリアパスを整備していくことが必要ですが、一方で数十年後を考えると少子化の影響で保育の需要は確実に減るはずで、地域によっては一生保育士として働いていくことが難しい場所も出てくる事が考えられると著者は指摘しています(126ー128p)。
 
 第4章は保育所における「量」と「質」の問題。
 現在、保育所を探している人からすると、多少窮屈であっても子どもを受け入れてほしいと思うでしょうが、すでに子どもを認可の保育所に預けている人からすると、今の環境を守ってほしいと思うでしょう。
 もちろん、「量」も「質」も確保されるに越したことはないですが、予算にはかぎりがありますし、保育所のもつ性質上、理想の保育環境を整備するために何年か待ってもらうということはできません。
 また、近年では保育所をつくろうとすると近隣から反対運動が起こることもしばしばですが、だからといって子どもを預けてから出勤する親のことを考えると、人里離れた場所につくるわけにもいきません。
 
 この章では、こうした問題の他にも、保育士の資格の問題や保育事故の問題、保育事故を防ぐために求められる自治体の取り組みなどについて述べています。
 さらに、一部の論者から「待機児童対策の切り札」として期待されている「保育バウチャー」について、イギリスでの導入事例をもとに否定的な見解が示されています。
 1996年にイギリスのメージャー政権が導入したバウチャーでは、保育所の供給は思ったほど伸びず、一部の施設に人気が集中、低所得者は追加の料金を払えないといった自体が起きたとのことです(164ー165p)。
 他にも自由参入だと貧しい地域には業者が参入しないといった問題も起こる、スイッチングコストが高く(子供を簡単に転園させられない)市場での淘汰が容易に進まない、といった問題があります(166−167p)。
 
 このようになかなか待機児童解消のための切り札は見つからない状況ですが、そんな中で著者が第5章でやや踏み込んで提言を行っているのが0歳児保育の問題。
 現在、都市部では1歳児から枠が少なく、0歳児から預けないと認可の保育所には入れないということも言われていますが、0歳児保育は非常にコストがかかり(目黒区だと月45万以上)、また0歳児3人あたりに1人の保育士の配置が必要です(186p)。
 この0歳児保育に投じられる資金や保育士を1歳児以降の保育に振り向ければ、より多くの子どもを預かることができます(この本では触れられていないが0歳児保育は子どもにとって良い影響を与えないという研究もある。例えばエスピン=アンデルセン『平等と効率の福祉革命』を参照)。
 
 他にも、第5章では、日本の社会そのものが変わっていかなければならないといった議論などがなされています。
 最初に述べたように、何か大胆な提言を行っているような本ではありませんが、現在の保育が抱える問題をバランスよく紹介していると思います。短期的な問題から長期的問題まで目配りができており、保育の問題を考えるための基本図書と言えそうです。

保育園問題 - 待機児童、保育士不足、建設反対運動 (中公新書 2429)
前田正子 著
412102429X

伊藤公一朗『データ分析の力』(光文社新書) 8点

 現在、シカゴ大学の大学院で教鞭をとる気鋭の経済学者が因果推論について解説した入門書。数式を使わない初学者向けのスタイルでありながら、因果関係を考えるポイントについて的確に指摘しています。
 最近出た、中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』とかぶる内容ですが、新書ながらこちらのほうがやや硬めかもしれません(お互いに補うところもあるので、興味があれば両方読んでみるといいでしょう)。

 目次は以下の通り。
第1章 なぜデータから因果関係を導くのは難しいのか
第2章 現実の世界で「実際に実験をしてしまう」――ランダム化比較試験(RCT)
第3章 「境界線」を賢く使うRDデザイン
第4章 「階段状の変化」を賢く使う集積分析
第5章 「複数期間のデータ」を生かすパネル・データ分析
第6章 実践編:データ分析をビジネスや政策形成に生かすためには?
第7章 上級編:データ分析の不完全性や限界を知る
第8章 さらに学びたい方のために:参考図書の紹介

 中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』と同じく、この本でもまずは因果関係を推定する難しさを指摘した上で、ランダム化比較実験(RCT)の説明から入っています。
 例えば、広告を出したらアイスクリームの売上が増えたとしても、それは広告のせいではなく、暑さのせいかもしれませんし、口コミなどによるものかもしれません。広告の純粋な効果というのはなかなか推定しにくいものなのです。
 そこで、ランダムに広告を出す地域と出さない地域をつくり、それを比較してみようというのがRCTのやり方です。これによって「もしも広告を出さなかったら…」という介入を受けなかった比較グループをつくり出すことができ、その比較によって因果関係を推定できるのです。

 この本では、オバマ大統領が選挙のときに行ったウェブサイトのデザインの実験(どの写真やメッセージが寄付金を集められるか?)や、著者たちが行った北九州での電力に関する実証実験などが紹介されています。
 この北九州での実験では、ピーク時に価格を引き上げる価格政策が節電効果をもつこと、モラルに訴える節電要請もそれなりに効果を持つが、その効果は価格政策位比べて徐々に薄れていってしまうことなどが示されています。

 しかし、RCTには手間と費用がかかります。そうかんたんには行えないのが実情です。
 そこで、「まるで実験が起こったかのような状況を上手く利用する」のが「自然実験」と呼ばれる手法です(116p)。
 この本では「RDデザイン(回帰不連続設計法)」、「集積分析」、「パネル・データ分析」という3つの手法を紹介しています。

 RDデザインは「不連続」あるいは「境界線」という概念に注目します。
 例えば、日本の医療保険制度では70歳の誕生日を境に医療費の自己負担の割合が変化します(この本で紹介されている実験が行われた時は3割→1割、現在は3割→2割)。
 もし、患者が自己負担額によって医者にかかる回数を変化させるならば、70歳の人は69歳の人よりも医者に多く行っているはずです。
 実際に調べてみると65~69歳いかけて徐々に増えていった外来患者数は70歳でジャンプするようなかたちで増えています(120p)。69歳から70歳になると外来患者数は約10%増えており、これによって自己負担割合が低下すると医者に行く人が増えるという因果関係を示すことが出来たのです。

 他にもこの本ではカリフォルニア州オレンジ郡のなかで2つの電力会社のサービス地域境界線が引かれていることを利用して、電力価格の上昇が電力使用の低下をもたらすということを明らかにした著者たちの研究が紹介されています。

 集積分析は何らかのインセンティブが階段状になっているケースに注目します。例えば、日本の所得税の税率などは収入が高くなるほど階段状に上がっていきます。
 こうした例の中に自動車の燃費規制があります。日本では自動車の燃費は自動車の重量に従って階段状に規制がかかっており、重量が軽いほど燃費の規制が厳しくなっています。
 ですから、自動車メーカーが燃費の基準をクリアーしようとする時、燃費を向上させるという方法だけではなく、自動車の重量を重くするという方法も存在するのです。

 実際に日本で発売された車の重量を調べてみると、ちょうど基準の上限を少し超えたところに集中していることがわかります(156pのグラフを参照)。
 つまり燃費規制によって本来は意図しなかった自動車重量の増加が起きているのです。
 自動車重量が増加すると、燃費規制は当初の意図ほど効果を発揮しませんし、事故のときに相手により大きなダメージを与えることになります。著者たちの研究によると、この事故のときの安全性の点だけでも年間約1000億円の社会的損失になっているそうです(165p)。
 このように集積分析では、実際に運用されている制度から因果関係を推定することが出来るのです。

 パネル・データとは、複数のグループに対し、複数の期間のデータが手に入る場合のデータを指します。履歴的なデータが手に入る時、それを分析することで因果関係が推定できる場合があるのです。
 デンマークでは1991年に税制改正があり、年間所得が10万3000クローネ(約1200万円)を超える外国人労働者の所得税が大幅に低くなりました。もし、多くの人がこの制度改正のもたらすインセンティブに反応したとするなら、91年を境に年間所得が10万3000クローネ以上の外国人労働者が伸びているはずです。
 そして、実際にデンマーク政府のもつ納税データを分析してみると、91年以降、年間所得が10万3000クローネにわずかに届かないグループに比べて、年間所得が10万3000クローネ以上のグループの伸びが目立っています(181pのグラフを参照)。
 これをもって「税率の変更が移民に影響を与えた」という因果関係が推定できそうですが、この本ではそれまでのトレンドや、他の要因(他国で高所得者層への増税があった、など)を分析してみないと因果関係があるとはいえないということに注意を向けています。

 第6章では、本書で紹介したデータ分析の手法が実際にどのように使われているかということが紹介されています。
 特にウーバー社のビッグデータを用いた、価格と客の利用状況についての分析は興味深いです。ウーバーでは地域内で路上に出ている車よりも利用者が大幅に増えた場合、価格を1.2倍、1.5倍、2倍などを引き上げて需要を抑制しています。
 この引き上げはウーバーの計算する需要逼迫指数によって決めれらるのですが、この変化は階段上に行われており(一定の逼迫指数を超えると価格が次の段階へ引き上げられる)、先述のRDデザインの要件を満たしていると考えられます。
 この研究ではデータ分析によってウーバーのリアルな需要曲線を描くことに成功しています(230pのグラフ)。需要曲線や供給曲線は一種の「お約束」として捉えられがちなので、こういった実際のデータに基づくものを見ると「おおっ」となりますね(ちなみに神取道宏『ミクロ経済学の力』では平均費用や限界費用の曲線を東北電力の費用曲線を例にして見せてくれていて「おおっ」となった)。

 第7章では、それぞれの手法の注意すべき点やその限界が述べられています。特に実験参加者に対する因果関係が導かれているかという「内的妥当性」とそれが他のグループにも適用できるかという「外的妥当性」の問題についてはわかりやすく紹介されており、RCTが必ずしも万能ではないということが示されています。
 「内的妥当性の観点から言えば、RCTは王様」ですが、「外的妥当性を考慮すると、RCTが最も優れた分析手法とは言い切れなくなる場合も」あるのです(247p)。

 このようにデータからの因果推論の考え方を丁寧かつ鋭く教えてくれています。
 中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』に比べると紹介されている分析方法は少ないですが、RDデザインなどの説明はより丁寧かつ明解だと感じました。『「原因と結果」の経済学』が因果推論についてキャッチーな題材を使ってカタログ的に紹介してくれているのに対して、本書はもう少し手法の細かい点にまでこだわった紹介になっています。
 入門書でありながら、ある程度知識のある人にも重要なポイントを明確にし、新しい知見を与えてくれる優れた本だと思います。


データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)
伊藤 公一朗
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名前:山下ゆ
通勤途中に新書を読んでいる社会科の教員です。
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