日本の国会をめぐる問題の中でも特に審議の問題に焦点を当てて論じた本。
 とにかくなにか政府や与党に問題が起こるたびに「審議拒否」のカードが切られ、与野党による日程調整に終始している感のある日本の国会、「なぜそのようになってしまったのか?」「どうしたら変えていけるのか?」ということをイギリス、フランスの議会などとの比較から考えています。改革案に関しては、完全に明快なものを提示しているわけではありませんが、現在の問題点に関してはかなり的確にえぐり出していると思います。

 衆議院の本会議審議時間はイギリスやフランスでは1000時間を越えるのに対して60時間程度。委員会の審議時間は1400時間ほどで他国と遜色ないが、1980年頃までは2000時間前後あったころから漸減傾向(3p)。また、戦後の国会において、内閣提出法案で施行日の変更などを除く実質的な修正を施された法案は全法案の16%(4p)。
 なぜ審議時間は減り、国会内で実質的な審議がなされなくなっていったしまったのか?
 この理由には、自民党の法案の事前審査制度、窮屈な会期、細かすぎる国会法の規定などさまざまな要因があげられますが、他にも逆説的ですが、「内閣の力が弱い」というのも理由の一つで、この本で中心的に論じられています。

 この国会において「内閣の力が弱い」というのは、野中尚人『自民党政治の終わり』にも出てきた論点で、日本の国会では一度内閣が国会に法案を提出すると、その成立を促すための手段がほぼなく、途中での修正もできないため、内閣は与党に頼らざるをえない、というものです。
 そして、この問題を解決するために自民党政権下では政務調査会の部会での事前審査が発達し、そこで十分に審議した上で党議拘束をかけることによって内閣提出の法案の成立を確実にしようとしたのです。

 これによって、例えば田中角栄が国会内の自由討議や議員立法を武器に活躍した戦後まもなくの国会の姿は影を潜め、「皮肉なことに、新人議員時代には大いに国会内で弁舌をふるった田中首相の下で、与党議員の自由な発言が封じられ、彼らの活躍の場は国会外の事前審査に移行することになったのである」(79ー80p)と評される状況になっていくのです。
 また、「自民党の事前審査では、議員の交渉相手は内閣でなく、法案を起草した省庁の官僚なのである。内閣は積極的に議論に介入しようとはせず、与党と官僚との決着を待つ「傍観者」のようにさえみえた」(82p)と書かれているように、与党議員と省庁の官僚が直接話しあうことで法案が決定され、国会の審議はますます空洞化していくことになります。
 このような与党と館長の間でがっちりと決まった法案を、何とか時間稼ぎによって廃案に追い込むのが野党のやり方であり、国会の焦点はあたかも法案の中身ではなくスケジュールであるかのようになっていきます。

 他にもこの本では参議院の問題点がよくまとめられ、深い考察がなされています。
 例えば、最近、参議院の選挙のあり方が問題になっていますが、次の部分などは参議院の選挙制度を考える上で忘れてはならない視点でしょう。
参議院が独自性を発揮するには、衆議院となるべく異なる選挙制度を採用するのが近道だ。しかし、衆議院の選挙制度が最も民意を適切に反映するように設計されているとすれば、参議院に衆議院と違う選挙制度を導入すると、参議院は多少とも民意から遠ざかることになる。少なくとも「政権選択」の民意とは遠くなる。(190p)
 また、ブレアの改革によって世襲議員が大幅に減らされた上院が、改革の結果、逆に発言権を強めている事例なども興味深いです。

 さらに小沢一郎をはじめとする政治家が理想とするイギリスのウェストミンスター・モデルの説明と問題点、さらには近年行われている改革についても論じられていて、小沢一郎と民主党政権が当初目指した国会像というのも改めてよくわかります。

 改革案に関してはさすがに包括的で明快な案を提示できているわけではありませんが、この本を読むと、現在の国会の姿が憲法のだけでなく、国会法の改正の積み重ねの中で出来上がってきたこともわかります。
 そういった意味で、「改憲」というなかなか難しいハードルをクリアーしなくても、国会を改善していく道を指し示してくれています。


日本の国会――審議する立法府へ (岩波新書)
大山 礼子
4004312884