「穢多」(「かわた」)と並んで、江戸時代の被差別身分であった「非人」。「穢多」が皮革関係、、芸能の仕事や草履づくりなどのさまざまな職業と結びついていたのに対して、その内実がわかりにくいのが「非人」です。
そんな「非人」ついて、大坂の非人集団を対象に、史料を使って、その来歴や生活、そして生業と社会的ポジションの変遷を明らかにした本。
かなり史料の読み込みを中心とした本で、そういった本に慣れていない人にとっては骨が折れると思いますし、やや煩雑すぎる面もあるのですが、それらの史料の解読を通して浮かび上がってくる「非人」の姿は非常に興味深いです。
大坂の非人は天王寺垣外(かいと)、鳶田垣外、道頓堀垣外、天満垣外と呼ばれる四カ所に集住していましたが、彼ら大坂の非人集団の中核にいたのが「転びキリシタン」と呼ばれる幕府のキリシタン弾圧により棄教した者たちでした。
この本では転びキリシタンが置かれていた境遇などについては書かれていませんが、幕府は17世紀後半まで、この転びキリシタンの類族(男は5代まで、女は3代まで)を詳細に調べており、そこから大坂の非人の長吏の家などの様子がわかるようになっています。
この本ではこの家系図を用いてかなり詳細な分析がなされていますが、大雑把に言うと、そこからこの転びキリシタンの家など古くからの非人を中心に、新しい非人が組織化されていったこと、初期の生業は乞食だったが、時が経つに連れそれ以外の生業につくものも現れたということなどがわかります。
キリシタンの類族の類族調査は18世紀後半(1774年)にも行われているのですが、そこで目立つ生業は「番人」、「非人番」です。
著者はこの変化を次のように説明しています。
非人たちは、17世紀の頃までは「乞食」として市中の家々を「勧進」して回っていたが、その中で特定の家や地域との関係が強くなってきた。一方で、与える側の町人たちの「志」の範囲を超えるねだり行為(悪ねだり)も行われるようになってくる(子どもの宮参りを取り囲んで祝儀をねだるといったことも行われたらしい(136p)。こうした悪ねだりの取り締まりのために、関係の深い垣外のメンバーが垣外番として抱えられていく。そしてその権利は「垣外番株」として相続されていくことになる。
「乞食を取り締まる仕事が乞食に任され、それが権利化して家督になっていく」ということが起こっているのです。なにか変な話ですが、非常に江戸時代の特徴を表しているような話でもあります。
さらに19世紀になると、非人たちは幕府の警察機構の一端を担っていきます。それは盗賊の捕物、役人の警護、さらには政治レベルの情報収集にまで及んでいたとのことです(例えば、幕末には天王寺垣外のメンバーが長州藩の動向を報告している(140p)。
ただ、こうした「御用」の増加は負担でもあったらしく、勤めを果たせない家が出てきたり、代勤者に御用を務めさせていた例がかなりあったことも史料から見えてきます。
また、こうした「御用」を勤めたことを背景として、差別の視線と戦い、自らの処遇を引き上げようとした非人たちの姿も見えてきます。
19世紀半ばになると、非人たちは「大坂絵図」の中に書かれた「非人村」の記述の削除を求めて与力に訴えています。もっとも、これは垣外仲間が他の非人たちと自分たちを区別してほしいと言ったもので、「非人身分」そのものの否定ではないのですが、四天王寺との由緒などを持ち出すことで、「長吏」と書き換えさせることに成功しています。
さらに四天王寺に対して、毎年白銀を奉納する代わりに扶持を与えてもらう取り決めをするなど、四天王寺という大寺院を使った自らの身分の引き上げの動きも起ってきます。
一方的に差別されていたという印象がある非人身分ですが、その中には実にしたたかに生きている人々がいたのです。
と、この本の内容の一部をまとめましたが、この本の特徴はこうしたマクロ的な動きを史料の中のミクロ的な動きから丹念に拾いだしているところです。いわゆる「新書レベル」ではない形で、史料の読み込みを行っているで正直マクロ的な動きは逆に捉えにくいかもしれません。
ただ、そうした細かい史料の流れをきちんとたどることができれば、今まで知らなかった江戸時代の人々の社会が見えてくると思います。
大坂の非人: 乞食・四天王寺・転びキリシタン (ちくま新書)
塚田 孝

そんな「非人」ついて、大坂の非人集団を対象に、史料を使って、その来歴や生活、そして生業と社会的ポジションの変遷を明らかにした本。
かなり史料の読み込みを中心とした本で、そういった本に慣れていない人にとっては骨が折れると思いますし、やや煩雑すぎる面もあるのですが、それらの史料の解読を通して浮かび上がってくる「非人」の姿は非常に興味深いです。
大坂の非人は天王寺垣外(かいと)、鳶田垣外、道頓堀垣外、天満垣外と呼ばれる四カ所に集住していましたが、彼ら大坂の非人集団の中核にいたのが「転びキリシタン」と呼ばれる幕府のキリシタン弾圧により棄教した者たちでした。
この本では転びキリシタンが置かれていた境遇などについては書かれていませんが、幕府は17世紀後半まで、この転びキリシタンの類族(男は5代まで、女は3代まで)を詳細に調べており、そこから大坂の非人の長吏の家などの様子がわかるようになっています。
この本ではこの家系図を用いてかなり詳細な分析がなされていますが、大雑把に言うと、そこからこの転びキリシタンの家など古くからの非人を中心に、新しい非人が組織化されていったこと、初期の生業は乞食だったが、時が経つに連れそれ以外の生業につくものも現れたということなどがわかります。
キリシタンの類族の類族調査は18世紀後半(1774年)にも行われているのですが、そこで目立つ生業は「番人」、「非人番」です。
著者はこの変化を次のように説明しています。
非人たちは、17世紀の頃までは「乞食」として市中の家々を「勧進」して回っていたが、その中で特定の家や地域との関係が強くなってきた。一方で、与える側の町人たちの「志」の範囲を超えるねだり行為(悪ねだり)も行われるようになってくる(子どもの宮参りを取り囲んで祝儀をねだるといったことも行われたらしい(136p)。こうした悪ねだりの取り締まりのために、関係の深い垣外のメンバーが垣外番として抱えられていく。そしてその権利は「垣外番株」として相続されていくことになる。
「乞食を取り締まる仕事が乞食に任され、それが権利化して家督になっていく」ということが起こっているのです。なにか変な話ですが、非常に江戸時代の特徴を表しているような話でもあります。
さらに19世紀になると、非人たちは幕府の警察機構の一端を担っていきます。それは盗賊の捕物、役人の警護、さらには政治レベルの情報収集にまで及んでいたとのことです(例えば、幕末には天王寺垣外のメンバーが長州藩の動向を報告している(140p)。
ただ、こうした「御用」の増加は負担でもあったらしく、勤めを果たせない家が出てきたり、代勤者に御用を務めさせていた例がかなりあったことも史料から見えてきます。
また、こうした「御用」を勤めたことを背景として、差別の視線と戦い、自らの処遇を引き上げようとした非人たちの姿も見えてきます。
19世紀半ばになると、非人たちは「大坂絵図」の中に書かれた「非人村」の記述の削除を求めて与力に訴えています。もっとも、これは垣外仲間が他の非人たちと自分たちを区別してほしいと言ったもので、「非人身分」そのものの否定ではないのですが、四天王寺との由緒などを持ち出すことで、「長吏」と書き換えさせることに成功しています。
さらに四天王寺に対して、毎年白銀を奉納する代わりに扶持を与えてもらう取り決めをするなど、四天王寺という大寺院を使った自らの身分の引き上げの動きも起ってきます。
一方的に差別されていたという印象がある非人身分ですが、その中には実にしたたかに生きている人々がいたのです。
と、この本の内容の一部をまとめましたが、この本の特徴はこうしたマクロ的な動きを史料の中のミクロ的な動きから丹念に拾いだしているところです。いわゆる「新書レベル」ではない形で、史料の読み込みを行っているで正直マクロ的な動きは逆に捉えにくいかもしれません。
ただ、そうした細かい史料の流れをきちんとたどることができれば、今まで知らなかった江戸時代の人々の社会が見えてくると思います。
大坂の非人: 乞食・四天王寺・転びキリシタン (ちくま新書)
塚田 孝
