ご存知、来年の大河の主人公でもある黒田官兵衛の評伝が中公新書から登場。中公新書だけあって内容は非常に手堅く、信頼のおける史料の中から官兵衛の事蹟を丁寧に取り出すような形になっています。
 また、文化への関わりにページを割いているの特徴です。特に連歌に関しては、実際に官兵衛が残した連歌をとり上げて紹介しており、官兵衛がかなり深く連歌に関わっていた(熱中していた)ことがわかるようになっています。

 黒田官兵衛というと、「軍師」、「飄々としながら天下を狙った野心家」といったイメージが流布していると思いますが、それをバッサリ否定するでも肯定するでもなく、史料を元にして丁寧に見ていくのがこの本のスタンスです。
 例えば、「軍師」としての官兵衛というと、高松城の水攻めが彼の献策とされています。この大掛かりな作戦は、まさに「軍師」ならではのものと思われがちですが、この本では「諸書では官兵衛が秀吉に「水攻め」自体を献策したことになっているが、事実のところとしては不明である」(88p)とだけ述べられています。

 基本的に「軍師」というのは江戸時代の講談などが生み出した産物であり、戦国時代にいわゆる「軍師」はいなかったというのが歴史学の中では共通の認識になりつつあります(『風林火山』の主人公の山本勘助はその存在からして疑われている)。
 この本でも、この「軍師」説については次のように述べています。
 軍師の広義の役割は、主君のもとにあって政治・軍事・外交を司ることである。この意味において官兵衛は軍師ではない。なぜならば、秀吉を支えていたのは弟の秀長と千利休だからである。「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(豊臣秀長)存じ候」(『大友家文書録』)と秀長(*秀吉の誤植だとも思う)が述べたように、豊臣政権を統制したのは秀長、側近として秀吉を支えていたのは千利休であって、官兵衛は豊臣政権を動かすような発言力は有していなかった。軍事に絞って見たとしても、秀吉に助言した確実な例は見出だせない。(123p)

 というわけで、「軍師」官兵衛の活躍をこの本に期待した人にとってはちょっとがっかりかもしれません。ただ、その分、外交官、あるいは現地司令官としての活躍が、さまざまな史料を使って描かれています。
 特に、秀吉と毛利氏との和睦交渉、九州攻め、さらには小田原攻めでの降伏をめぐる北条氏との交渉などにおいて官兵衛が非常にじゅうような役割を担っていたことがわかります。
 そこには、交渉相手から信頼され、そして何よりも秀吉の信頼を裏切らないために、秀吉への報告を怠らない官兵衛の姿があります。「軍師」ではなく、外交官、あるいは支社長のような役割だったのでしょうね。

 ところが、このように秀吉のために力を尽くしながら、秀吉の死後は、家康側に立って毛利家と交渉を行い、吉川広家との間で関ヶ原で「動かない」ことを約束させるなど、乱世の中を生き抜くしたたかさも持っています。
 このあたりの時代の先を読む力が、官兵衛を「軍師」と呼ばせるのかもしれません。

 この他に官兵衛の文化人としての側面や、キリシタンとしての姿も描いており、官兵衛の姿が総合的に浮かび上がるようになっています。「官兵衛は実は○○な人物だった!」みたいな記述はありませんが、これを読めば吉川英治や司馬遼太郎が描いたのとは違う黒田官兵衛像が浮かんでくるともいます。
 大河ドラマの予習としてもいい本ではないでしょうか。

黒田官兵衛 - 「天下を狙った軍師」の実像 (中公新書)
諏訪 勝則
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