移植医療といえば、「脳死は人の死か?」という問題を巡って長年日本では論争が繰り広げられてきましたが、この本は帯に「脳死論議の陰に隠された問題を追う」とあるように、脳死論争によって見えにくくなってしまった問題をとり上げた本です。
著者のひとりの橳島次郎は米本昌平などと『優生学と人間社会』(講談社現代新書)などを書いた研究者、もうひとりの出河雅彦は朝日新聞の記者になります。
目次は以下のとおり。
まず、第1章では、「脳死からの臓器提供によって死因の解明が不十分になるのではないか?」という問題が提起されています。
2011年の9月に改正臓器移植法の施行後初の脳死からの臓器提供(本人の意志表示がなかったものの家族の意志で提供)が行われましたが、このドナーは交通事故の被害者でもありました。
日本臓器移植ネットワークの発表ではドナーの死因は「交通外傷」でしたが、遺族に告げられていた死因は「脂肪塞栓症候群」。詳しくは本書を読んで欲しいのですが、それが本当に脳死の原因だったのか疑問とする声もあるようです。
他にも、「低酸素脳症」「頭部外傷」「蘇生後脳症」など、その言葉だけでは直接の死因がわからない形で死因が発表されているケースも目立ちます。もちろん、プライバシーの保護という観点からのものなのでしょうけど(「蘇生後脳症」には複数の自殺企図例も含まれるそうです(45p))、著者はこの不透明さを日本の移植医療の問題点の一つとして指摘しています。
第2章でとり上がられるのは心停止後の臓器提供の問題です。
臓器移植というと「脳死」と連想していしまいますが、現在、海外では生命維持装置を停止した上で心肺停止後に臓器の摘出することが行われています。いわば「消極的安楽死ドナー」(61p)とも言えるものですが、日本でもこれからこれを受け入れるかどうかの議論が必要になります(本書の論調はやや否定的)。
第3章では、脳死ドナーからの移植が厳しく規制されている一方で、法制度が追いついない生体移植の問題です。
2012年の1月に移植を受けるために他人の腎臓を金で買ったとして都内の医師が逮捕されました。この医師は暴力団員などを通じてドナーを探し、見つけたドナーと養子縁組をして宇和島徳洲会病院で生体から腎臓移植手術を受けていました。
日本では脳死ドナーからの移植に対して生体からの異色の割合が非常に高く、そうでありながら法規制はなく、日本移植学会の倫理指針があるだけでした。
この章では、そうした状況に警鐘を鳴らしつつ、ドナーの健康にも大きな影響を与える生体移植についての法規制を求めています。
第4章は膵島・心臓弁・血管・皮膚といった臓器以外の移植の問題をとり上げていますが、ここでも日本の法規制は追いついていません。臓器ではないということで売買の禁止も定められていないのです。
また、この章では海外で初められた手や顔の移植事例(両手や顔面全体の移植の例もあるそうです)がとり上げられており、何だか少し怖いです。
第5章では、宇和島徳洲会病院で行われた病気腎移植の問題から、医療現場における「医療」と「研究」の問題に切り込んでいます。
医療は患者のためになされる行為ですが、研究は必ずしもそうではありません。だからこそ、臨床研究は厳しい管理下に置かれなければならないのですが、日本はこの医療」と「研究」の境界が曖昧です。
その上で、著者は病気腎移植の問題に対して次のように述べています。
そして最終章では、臓器移植に取って代わる可能性のあるiPS細胞などをつかった再生医療の進展について触れながら、再び日本の法制度の不備を指摘しています。
このように、この本は「脳死は人の死か?」論争の陰に隠れてしまった問題点を丁寧に掬いあげた本です。派手な議論の裏で見えにくくなっている問題の数々がわかります。
脳死からの臓器移植に関しては、初期にマスコミがあまりにも騒ぎ過ぎたために、病院やドナーの遺族が情報公開に消極的になってしまった面もあるような気がしますが、そうした狂騒がおさまってきたいま、この本で取り上げられている問題を国会などの場で冷静に検討していくべきでしょうね。
移植医療 (岩波新書)
〓島(ぬでしま) 次郎 出河 雅彦

著者のひとりの橳島次郎は米本昌平などと『優生学と人間社会』(講談社現代新書)などを書いた研究者、もうひとりの出河雅彦は朝日新聞の記者になります。
目次は以下のとおり。
序 章 臓器移植の限界―脳死論議の陰に隠された問題を追う
第1章 臓器提供者はどうして脳死になったか―死因究明と情報公開
第2章 安楽死ドナーは受け入れられるか―心停止後臓器提供の新展開
第3章 生体移植への依存―日本の臓器移植の最大の歪み
第4章 人体組織の移植―知られざる実態と課題
第5章 実験か医療か―病気腎移植にみる先端医療管理の問題点
終 章 限界をどう超えるか―再生医療の現状と課題
まず、第1章では、「脳死からの臓器提供によって死因の解明が不十分になるのではないか?」という問題が提起されています。
2011年の9月に改正臓器移植法の施行後初の脳死からの臓器提供(本人の意志表示がなかったものの家族の意志で提供)が行われましたが、このドナーは交通事故の被害者でもありました。
日本臓器移植ネットワークの発表ではドナーの死因は「交通外傷」でしたが、遺族に告げられていた死因は「脂肪塞栓症候群」。詳しくは本書を読んで欲しいのですが、それが本当に脳死の原因だったのか疑問とする声もあるようです。
他にも、「低酸素脳症」「頭部外傷」「蘇生後脳症」など、その言葉だけでは直接の死因がわからない形で死因が発表されているケースも目立ちます。もちろん、プライバシーの保護という観点からのものなのでしょうけど(「蘇生後脳症」には複数の自殺企図例も含まれるそうです(45p))、著者はこの不透明さを日本の移植医療の問題点の一つとして指摘しています。
第2章でとり上がられるのは心停止後の臓器提供の問題です。
臓器移植というと「脳死」と連想していしまいますが、現在、海外では生命維持装置を停止した上で心肺停止後に臓器の摘出することが行われています。いわば「消極的安楽死ドナー」(61p)とも言えるものですが、日本でもこれからこれを受け入れるかどうかの議論が必要になります(本書の論調はやや否定的)。
第3章では、脳死ドナーからの移植が厳しく規制されている一方で、法制度が追いついない生体移植の問題です。
2012年の1月に移植を受けるために他人の腎臓を金で買ったとして都内の医師が逮捕されました。この医師は暴力団員などを通じてドナーを探し、見つけたドナーと養子縁組をして宇和島徳洲会病院で生体から腎臓移植手術を受けていました。
日本では脳死ドナーからの移植に対して生体からの異色の割合が非常に高く、そうでありながら法規制はなく、日本移植学会の倫理指針があるだけでした。
この章では、そうした状況に警鐘を鳴らしつつ、ドナーの健康にも大きな影響を与える生体移植についての法規制を求めています。
第4章は膵島・心臓弁・血管・皮膚といった臓器以外の移植の問題をとり上げていますが、ここでも日本の法規制は追いついていません。臓器ではないということで売買の禁止も定められていないのです。
また、この章では海外で初められた手や顔の移植事例(両手や顔面全体の移植の例もあるそうです)がとり上げられており、何だか少し怖いです。
第5章では、宇和島徳洲会病院で行われた病気腎移植の問題から、医療現場における「医療」と「研究」の問題に切り込んでいます。
医療は患者のためになされる行為ですが、研究は必ずしもそうではありません。だからこそ、臨床研究は厳しい管理下に置かれなければならないのですが、日本はこの医療」と「研究」の境界が曖昧です。
その上で、著者は病気腎移植の問題に対して次のように述べています。
病気腎移植問題は、日本の二つの「無法地帯」が重なった領域で起こった「事件」だといえる。その二つとは、生体臓器移植と先端医療の臨床研究である。(139p)
そして最終章では、臓器移植に取って代わる可能性のあるiPS細胞などをつかった再生医療の進展について触れながら、再び日本の法制度の不備を指摘しています。
このように、この本は「脳死は人の死か?」論争の陰に隠れてしまった問題点を丁寧に掬いあげた本です。派手な議論の裏で見えにくくなっている問題の数々がわかります。
脳死からの臓器移植に関しては、初期にマスコミがあまりにも騒ぎ過ぎたために、病院やドナーの遺族が情報公開に消極的になってしまった面もあるような気がしますが、そうした狂騒がおさまってきたいま、この本で取り上げられている問題を国会などの場で冷静に検討していくべきでしょうね。
移植医療 (岩波新書)
〓島(ぬでしま) 次郎 出河 雅彦
