日本の雇用の問題について鋭い分析を行ってきた濱口桂一郎の新刊は女性と雇用の問題を扱ったもの。『若者と労働』(中公新書ラクレ)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)につづく三部作の完結編と言っていいのですかね。
 若者と中高年(男性)に関しては、「今までは日本型雇用の受益者の面も強かったが、現在はそうとも言えなくなってきた」という存在だと思います。一方、日本型雇用において一貫して不利を被っていたのが女性です。この本では、歴史的経緯を丁寧に紐解くことで、問題の所在と今後の展望を明らかにしようとしています。

 目次は以下の通り。
序章 日本の女性はなぜ「活躍」できないのか?
第1章 女子という身分
第2章 女房子供を養う賃金
第3章 日本型男女平等のねじれ
第4章 均等世代から育休世代へ
終章 日本型雇用と女子の運命

 教員などをしていると、学校(中学や高校)では女子のほうがリーダーシップを取るケースが多いように見えますが、企業となると事情は違ってきます。日本では女性のトップや女性管理職はまだまだ珍しい存在です。
 これに対して、「日本は男尊女卑だから」、「封建的だから」といった理由がすぐさまあがりますが、本書が指摘するように1960・70年代までは、欧米の職場も男性中心であり、女性は排除されていたのです。ところが、欧米社会ではその後、女性の職場への進出が進んだのに対して、日本では男女雇用機会均等法などの法整備はなされたものの、職場における女性の地位は低迷したままでした。
 その理由は、日本の雇用システムの特徴にあります。

 まずポイントとなるのが「生活給」という考え方です。
 「生活給」とは、労働者の賃金を決める際の基準として労働者の家計が成り立つかどうかを重視するもので、家族を扶養する必要がない若年期は安くてもよいが、家族を扶養しなければならない壮年期以後はそれなりの額が必要だという形になります。
 この本では、そうした「生活給」の考えが、1920年代に労働者の「思想悪化」(=共産主義化)を憂う管理者側(呉海軍工廠の伍堂卓雄)から出てきたことを紹介し、さらにそれが戦時体制の中で強化されていったことを指摘しています。

 この「生活給」は、戦後GHQなどによって批判され、さらに財界の中からも仕事の内容に応じて賃金が決まる「職務給」を目指す動きが出てきますが、労働組合は逆に「生活給」を主張します。「生活給」は、賃金を「労働の価格」ではなく「労働力の価格」と考えるマルクス経済学と相性がよく(この辺はややこしいので本書の104-110pを読んでください)、左派色の強かった労働組合は、「生活のための昇給」を目指してくことになります。

 この「生活給」の考えは、「年功賃金」として定着し、その「年功賃金」は小池和夫によって「知的熟練」の対価であるとして理論化され(しかも、この小池理論のバックボーンにもマルクス経済学がある)、日本企業の「強み」、「先進性」を表すものとして称揚されていくことなるのです。

 しかし、この「生活給」や年功に伴う「知的熟練」といった考えによって犠牲になるのが女性です。
 いずれ結婚して夫に扶養してもらう女性に「生活給」は不要ですし、結婚や出産を機に退職する女性は「知的熟練」を重ねていくわけではありません。
 戦後の労働基準法によって男女同一賃金の原則が盛り込まれましたが、「生活給」や年功型賃金のもと、女性の賃金は低く抑えこまれました。 

 この本のタイトルの「女子」という言葉に反発を感じる人もいるかもしれませんが、日本の企業は女性を、まさに「女子」として扱ってきました。
 企業(特に大企業)が雇用する女性は、あくまでも学校を卒業してから結婚するまで短期間働く「女子」であり、その女子が「家族を扶養するための生活給」をもらうということは想定外なのです。
 ですから、多くの企業で女子は結婚したら仕事を辞めなければならないという結婚退職制が設けられ、某銀行の人事担当者は「ここにいらっしゃるお嬢さんがたが、めでたく御嫁入りの日には、銀行としては、心から前途をお祝いして、御退行ねがうということを今からお約束しておきます」(55-56p)などと入行式で語ったりしたのです。

 1985年に男女雇用機会均等法が制定され、雇用の場での男女平等が推進されていくことになりますが、企業と社員の間に「ある意味では婚姻にも似た強い結びつき」(167pで紹介されている日本生産性本部の報告書より)が要求される日本において、生活のほぼすべてを企業に捧げることのできない女性社員は周縁的な存在でした。
 結局、多くの企業が、「総合職」「一般職」というコースを設けて、男女をある意味で隔離していくことになります。

 90年代の不況の中で、企業は徐々に「一般職」のOLを減らし派遣などに切り替えていきます。同時に女性総合職を活かしていこうという風潮も出てくるのですが、彼女たちの競争相手は「ワークライフバランス」の「ライフ」の部分を専業主婦である妻に丸投げした男性であり、よほどのスーパーウーマンか結婚・出産といった「ライフ」をあきらめない限り、勝つことが難しい相手でした。
 また、出産後の女性は「マミートラック」と呼ばれる以前よりも軽い業務に移ることが多いのですが、そこにはやりがいをなくしていく女性と、業務のしわ寄せによって疲弊するその他の社員がいます。

 こうした現状に対する著者の回答は、「女性の「活躍」はもうやめよう」(237p)というものです。
 著者の持論とも言える、「限定正社員」「ジョブ型正社員」という職務や勤務地が限定される代わりにやや待遇の低い正社員の導入によって、女性に「活躍」を求めるのではなく、普通の「仕事」と「生活」の両立(つまりワークライフバランス)を求めるものです。

 このように女性をめぐる雇用の問題と来歴を広範な知識で説明してくる面白い本ですし、「ジョブ型正社員」という回答も間違ってはいないと思うのですが、『若者と労働』や『日本の雇用と中高年』が雇用システムと教育や福祉といった外部のシステムとの「噛み合い」を鋭く指摘していたのに比べると、この本はそういった部分がやや弱いと思います。
 最後に海老原嗣生の新卒採用はそのままに35歳くらいから「ジョブ型正社員」にチェンジしていくというアイディアが、高齢出産との兼ね合いの問題から検討されていますが、個人的にはこうした部分がもっと読みたかったです。

 ここからは本書から離れた完全な私見ですが、日本の女性の雇用問題を解決する一つの鍵は、公務員の数とそのあり方だと思います。
 北欧の国というと男女平等のお手本のような国に見えますが、G・エスピン‐アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』でも指摘されているように、北欧諸国の女性の雇用は公的セクターに偏っています。つまり、女性の安定した雇用の多くは公務員なのです。そして、前田健太郎『市民を雇わない国家』が指摘するように、日本はその公務員が世界的に見ても極めて少ない国です。
 少なすぎる公務員と、民間の大企業のような公務員の賃金体系、この2つの問題の改革が必要なのではないかなと考えています。

働く女子の運命 (文春新書)
濱口 桂一郎
4166610627