2005年に起きた反日デモ、あるいは韓国のTHAAD配備に対する韓国企業に対するボイコットなど、現在の中国共産党指導部は国民のナショナリズムを煽っているようにも見えます。また、習近平の掲げる「中国の夢」なる標語もそれを裏付けているようにも思えます。
 一方で、中国のナショナリズムはすべて政府がコントロールしているものかというとそんなことはなく、ときに政府が懸命にナショナリズムを押さえつけているような場面も見受けられます。

 そんな中国のナショナリズムについて、日清戦争以降の中国近現代史に沿いながら、その特徴と変化を分析してみせたのがこの本。
 「上からの公定ナショナリズム」か「下からの民衆ナショナリズム」か、「民族主義」とも訳されるナショナリズムだが中国ナショナリズムの想定する民族は何なのか?といった点に着目しながら中国のナショナリズムを読み解いています。

 目次は以下の通り。
序章 伝統中国の世界観
第1章 中国ナショナリズムの起源―一八九五~一九一一
第2章 模索する中華民国―一九一二~一九二四
第3章 反帝国主義の時代―一九二五~一九四五
第4章 東西冷戦と社会主義の時代―一九四五~一九七一
第5章 現代の世界と中国―一九七二~~二〇一六
終章 「大国」中国のゆくえ

 もともと皇帝の治める「中華」と、その徳を慕って朝貢する国々、その外の「夷狄」や「化外」というかたちで世界を捉える中華思想はナショナリズムとは縁遠いものでした。
 特に清は満州族によってつくられた王朝であり、その皇帝は中国では皇帝として、モンゴルにはハーンとして、チベットには仏教の保護者として君臨するなど、多民族の上に立つ支配者でした。

 ところが、日清戦争で日本に敗北すると、清も西洋や日本のような国家にならなければならないという考えが強まってきます。
 康有為らの戊戌の変法はあっけなく終わってしまいますが、このころから「守るべき中国」というものが意識されるようになり、民衆の中からも義和団の乱に見られるような排外的なナショナリズムが立ち上がってきます。
 また、戊戌の変法失敗後に日本に亡命した梁啓超は、活発な言論活動を行い、大きな影響を与えました。

 「われわれが最も慙愧におもうのは、我が国に国名がないことである」と梁啓超は書いていますが(27p)、当時の中国には王朝はあっても、それらを超えて一つの国家を差示す言葉がない状況で(結局、「中国」という呼び名が定着する)、この「国家」「国民」観念の希薄さが中国の抱える問題だと認識されました。
 一方で、清の領土は「瓜分」という言葉に示されるように、列強によって削り取られていきます。
 この危機感のなか、例えば梁啓超は孔子の生まれた年を基準とする暦を提案しますし(33p)、中国最初の帝王とされる黄帝ブームが起きたりしました。

 また、この時期に成立した中国ナショナリズムの特徴として、「集会や組織の結成、新聞や雑誌を通じた宣伝、外国製品不買運動といった様式」(39p)や、「烈士記念」や「国恥記念」といったものがあります。
 「国恥記念」は日本の三国干渉に対する「記念会」をモデルにしたもので、自国の屈辱を思い将来の雪辱を期すというものです。この「国恥記念」の考えはこの後の中国で重要な役割を果たしました。

 しかし、中国のナショナリズムというものを考える時に問題となるのが、ナショナリズムにおける「民族」をどのように考えるかです。
 梁啓超らは現行の清朝の枠組みの中で「満漢不分」を主張しましたが、それに対して「漢族」中心のナショナリズムを唱え、清朝の打倒を目指しました。
 もし、漢人=「中国人」としての国家をつくる場合、満州人やモンゴル人、チベット人、回民(トルコ系ムスリム)などはどうなるのかという問題があります。しかし、「清末の革命派の多くが、故地(満州のこと)や藩部から遠く離れた南方出身の漢人だった」(57p)ことによってこの問題は明確に意識されませんでした。
 この後、革命派は梁啓超との論争などを通じて、次第に「清国内の他のエスニック集団を「同化」することで、現行の版図を維持しつつ漢人の単一民族国家を目指すという方向に転じ」(60p)ていきます。

 1911年に辛亥革命が起き中華民国が成立すると、大総統に孫文が選出されます。孫文は漢・満・蒙・回・蔵の五族の協力をうたい、いわゆる「五族協和」の理念を打ち出しましたが、私的な講演では「種族同化を実行する」と言っていましたし、また「五族協和」というスローガンが流行したのもその曖昧さのゆえでした(69ー71p)。

 中華民国では「上からの近代化」が行われましたが、それが民衆を「抑圧」することにもつながりました。著者は「天皇という存在を介して近代的な諸価値を巧妙に(かつ選択的に)「創られた伝統」に組み込んでいった明治日本との違い」(77p)を指摘しています。
 また、国語統一問題も持ち上がり、陳独秀からは漢字を廃止しローマ字で記述する案などが出ています(79ー83p)。

 1914年に日本が二十一カ条要求を行うと、中国のナショナリズムは激しく燃え上がります。義和団事件以来しばらく列強の進出はおさまっていましたが、その小康状態を日本は打ち壊したのです。
 これ以後、「国恥記念日」といえば要求を受諾した5月9日のことになりましたし、対日感情のターニングポイントともなりました。
 さらに1919年のパリ講和会議で二十一カ条要求の取り消しが認められないことがわかると五・四運動が起こります。著者はこの運動の影響として「政治がナショナリズムに基づく要求を実現できない場合、暴力含む社会の直接行動でそれを行う、そしてその行動は既存の法律に反しても正当化されるという観念が広まったこと」(92p)をあげています。

 袁世凱との政争に敗れた孫文は1919年に中国国民党を組織します。1924年には「連ソ容共」を掲げて共産党と連携し、ソ連の支援も受けてその勢力を拡大させていきます。
 1925年の3月に孫文は死去し、国民党は蒋介石・汪兆銘らの集団指導体制に移行しますが、その矢先に起こったのが五・三〇運動でした。
 五・三〇運動は日系の紡績工場の労働争議において中国人労働者が死亡した事件から始まりましたが、イギリス中心の上海租界警察がデモ隊に発泡したこともあって、大規模な外国製品不買運動などが展開されます。
 この五・三〇運動では、今までの「上からのナショナリズム」が批判され、「下からのナショナリズム」が中心となったのが一つのポイントです。

 1926年、蒋介石による北伐が開始されます。国民革命軍や共産党は亡くなった孫文を使った宣伝作戦を展開し、ナショナリズムを煽りながらその勢力を広げていきます。
 この孫文の利用はこの後もさかんに行われますが、特に135pに載っている孫文の遺体を運んだ特別列車の写真はすごいですね。「どこの独裁者だ?」という感じです。

 この北伐のさなかに済南事件が起きますが、これは中国ナショナリズムの主要敵をイギリスから日本へと変えさせることになります。
 中国の国家統一・利権回収の一番の障害は日本だと認識されるようになり、実際それは1931年の満州事変で現実となります。
 
 そんな中で蒋介石は「下からのナショナリズム」を抑圧しつつ、「上からのナショナリズム」によって近代国家建設を進めようとします。「国恥記念日」のデモは国民意識を高めましたが、同時に体制を揺るがす可能性があるものでもあったのです。
 一方で、「上からのナショナリズム」によって漢人の居住地域以外への支配が強まると、チベット、新疆、内モンゴルなどで衝突や自治運動が起こってきます(136p)。

 また、国民政府は近代化を目指して陰暦を廃止し陽暦の使用を強制したり、「上からのナショナリズム」の一貫として、朝鮮や琉球、インドシナ半島やマレー半島など一度でも中国王朝の版図となったり朝貢したことのある地域を示した「国恥図」を作成し、「失地」を印象づけました(現在問題になっている南シナ海の「九段線」はこの地図の「十一段線」から2本の線を消したもの(142ー145p))。

 こうした国民政府の政策は、基本的にその後の共産党に引き継がれていると言ってもいいでしょう。インターナショナリズムを掲げていた中国共産党でしたが、1935年から当面の敵であるファシズムの打倒を第一の目標とし、ナショナリズムとも親和的な姿勢をとり始めます。
 毛沢東は「愛国主義と国際主義は矛盾しない」と主張し(159p)、また、陰暦の使用も認めるなど国民政府よりも民衆に寄り添う姿勢を見せました。

 日中戦争が集結すると、国共内戦が起こり、経済混乱などで国民の支持を失った国民政府は共産党に敗れます。これは国民党への不満とともに「中国の統一や発展というナショナリズムに基づく要求を、共産党の方がよりよく達成できるという期待によるもの」(171-172p)でした。
 成立した中華人民共和国は朝鮮戦争の危機においても「愛国」イデオロギーによってそれを乗り越えようとし、「上からのナショナリズム」は強まりました。

 さらに中華人民共和国では、「国民」と「人民」が区別され、「国民」よりも社会主義的な階級概念に基づいた「人民」が重視されました。そして、誰が「人民」で誰が「人民の敵」であるかは非常に曖昧であり(180p)、これが反右派闘争でも文化大革命でも利用されました。
 また、少数民族に対しては国家の多民族生を前提としたソ連をモデルとした政策がとられたものの、連邦制は採用されませんでした(187p)。

 第5章では現在の中国のナショナリズムが分析されていますが、ここでは日本との歴史認識問題や南シナ海の領土問題などで吹き上がるナショナリズム、チベットや新疆などでのエスニック・ナショナリズムの噴出、天安門事件や劉暁波氏の問題などででてくる反西洋的なナショナリズムなどがとり上げられており、中国のナショナリズムがかなり複雑な様相を見せていることがわかります。
 さらに台湾の「ひまわり学生運動」や香港の「雨傘運動」といった、中国本土からは容認できないようなナショナリズムの動きもあり、「中国ナショナリズム」といってももはや一口では説明できない状況なのです。

 著者は最後に、中国は西洋的な「国民国家」を目指しつつも、同時に西洋がつくったそうした枠組みへの拭いがたい不信感があるとし、「国民国家「中国」を単位として西洋のやり方を批判するという行為自体が、一種の逃れがたいジレンマをはらんでいるとも言える」(238p)と述べています。

 長いまとめになってしまいましたが、それだけ中国のナショナリズムはさまざまな側面と問題をはらんでいるということです。そして、本書はその中国のナショナリズムの多面性を中国近現代史の中からうまくすくい出しています。
 読みやすい本ではないかもしれませんが、中国の歴史や、現在の中国との接し方、あるいは中国の将来を考えていく上で有益な本だと思います。

中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書)
小野寺 史郎
4121024370