外国に商品を売り込むときに、成功した本国と同じ商品・戦略で挑むのか、それとも進出する国ごとに合わせて商品や戦略を変えるのか、これは長年論じられてきた問題だと思います。経営学についてはほとんどフォローしていないので現在どんな議論がなされているのかはわかりませんが、以前読んだパンカジ・ゲマワット『コークの味は国ごとは違うべきか』がそうした本でした(ゲマワットは国ごとに戦略を変える派)。
 この本は、近年、消費市場として勃興しているアジアにおける日本企業の成功例と失敗例を分析しながら、国ごとに異なる商品に対する「意味づけ」「価値づけ」の重要性を指摘しています。
 理論的な部分はやや弱いですが、あげられている実例は非常に興味深く、勉強になると思います。

 目次は以下の通り。
序章 世界は意味と価値のモザイク
第1章 ポカリスエットはなぜインドネシアで人気なのか?
第2章 ドラッグストアに中国人観光客が集まる理由
第3章 意味づけを決める市場のコンテキスト
第4章 アジアの中間層市場―意味づけと市場拡大
終章 アジア市場の論理

 まず、国や地域ごとに異なる「意味づけ」という点ですが、これは第1章のタイトルにもなっているインドネシアのポカリスエットの例がわかりやすいでしょう。
 大塚製薬は1989年からインドネシアでポカリスエットの販売をはじめましたが、当初はなかなか売れませんでした。ポカリスエットは水分補給のための飲み物で、日本ではスポーツの後、風呂上がり、二日酔いの時、などが飲むシーンとして想定されていましたが、熱帯のインドネシアではスポーツで汗を流す人は少なく、湯に浸かる習慣もなく、国民の大部分がイスラム教徒のため二日酔いになることもなかったからです。
 このため、日本式のマーケティングはうまくいかず低迷が続きました。

 戦略を練り直した大塚製薬が注目したのはデング熱でした。高熱と下痢がつづき脱水症状になりやすいデング熱発症時の水分補給剤として医療機関や医師に売り込むこととしたのです。
 2000年から始まったこの戦略はすぐにはうまくいきませんでしたが、2004年のデング熱の大流行をきっかけにポカリスエットは広く認知されることになります。
 さらにこの「脱水症状に効く」ということが広まると、ラマダン時の脱水症状に効くものとしても売れ始めたのです。日中、断食をしなければならないラマダンですが、蒸し暑いインドネシアではとりわけこたえるもので、特に子どもや老人は深刻な脱水症状になりかねません。
 その脱水症状を治すものとしてポカリスエットは注目されるのです。一般的な飲料の1.5倍ほどの価格がするポカリスエットですが、こうした需要をつかむことによって広く売れるようになっていったのです。

 つまり、「スポーツドリンク」としてはインドネシアの人に価値を認めたもらえなかったポカリスエットですが、一種の「医薬品」的な意味付けを獲得することに成功したのです。

 他にも第1章では、吉野家が海外進出した際にカウンター席がアメリカでもアジアでも不評で、結局撤去に追い込まれた話や豚骨ラーメン人気の理由などが紹介されています。
 豚骨ラーメンについては、なぜか海外では「豚骨ラーメン=日本の味」の図式が成立していること、醤油スープは「透明で醤油を薄めただけの印象を受けるので価値が感じられない」などの声がある一方で豚骨には「価値を感じる」との声がある(64p)ことなどを紹介しています。
 さらに海外ではラーメンは麺料理というよりもスープ料理として受容される傾向があり、「スープが濃すぎるので薄めてほしい」との声も出るそうです(68p)。

 第2章では、まずタイトルにある「ドラッグストアに中国人観光客が集まる理由」を分析しています。
 中国には「日本に行ったら買わねばならない神薬」なるリストが出回っていて、そこには「サンテボーティエ」(目薬)や「アンメルツヨコヨコ」、「サカムケア」、「熱さまシート」などの大衆薬が書かれています。「神薬」と銘打っていますが、最先端の薬というわけではありません。
 
 著者はこれらの大衆薬が求められる背景に中国の医療制度があるといいます。
 中国では個人医院の開院が認められておらず、まもとな診察を治療を受けようとすると総合病院に行く必要があります。しかし、総合病院は大都市に偏在しており、大混雑しています。また、農村向けの医療保険では一旦は治療費の全額を払う必要がありますし、医師によって診察料が異なるなど(ベテランは高い)、庶民にとっては経済的にも大きな負担です。
 
 こうしたことから中国の庶民にとって病院に行くハードルは高く、できるだけ家庭薬によって治そうと考えます。
 そこで日本に行ったらドラッグストアで大衆薬を大量に買い込むのです(日本のドラッグストアが中国に進出すれば問題は解決する気もするが、中国では規制が厳しくなかなか展開できない(81p))。
 また、中国でキシリトールガムが大きく売れた背景にも、中国における歯科治療へのアクセスの難しさがあったといいます。

 さらに第2章の後半では、カルフールなどオンハイパーマーケットが日本では失敗したのにアジアで成功したのはなぜかという話が語られています。
 カルフールは、日本ではその低価格戦略と日本人の持つ「フランス」に対する高級イメージが噛み合わずにわずか4年で日本から撤退しましたが、東南アジアでは急成長しました。それもタイの東北部などかなり貧しい地域にも出店して成功しているのです。
 確かにカルフールの売りは「安さ」ですが、販売はケース単位などが多く、東南アジアの貧しい人々が買いやすいかというとそうではありません。
 では、なぜ成功したかというと、それはカルフールが零細商店の「現金問屋」の役割を果たしているからです。著者らが実際に着ている客にインタビューしたところ、95%は近隣の零細小売店や飲食店の経営者で、「卸売業」として機能していたのです(93ー98p)。

 第3章では、まず「東南アジアを中心になぜ屋台文化が広がっているのか?」という問題の考察から始まります。
 屋台というと衛生面で難があるような気がしますが、熱帯で食べ物が傷みやすい東南アジアでは調理の風景が見える屋台はある意味で衛生状態を保証するものになっています。
 こうした視認性は東南アジアをはじめとするアジアでは重視されており、ペッパーランチや香港のワタミは、客に火加減を任せるメニューで成功しました。

 こうした市場ごとの脈絡、ある意味は意味付けのしくみを、著者は「市場のコンテキスト」と呼んでいます。「context」は「コンテクスト」と表記することが多いですが、著者はあえて区別をするために「コンテキスト」と表記していますが、これはわかりにくいですし混乱を招くと思います。「市場のコンテクスト」ではダメなのでしょうか?

 第4章では急増するアジアの中間層に焦点が当てられています。
 著者は中間層をたんなる収入の範囲ではなく、「階級」として捉えることが鍵だと言います。中間層とはワンランク上の「上流階級」に憧れる存在であり、そこから生まれる「階級消費」を見ることが重要だと言うのです。

 著者はこの「階級消費」をピアノを例にとって説明しています。日本では、ピアノはもともと上流階級のものでしたが、だからこそ中間層にとってはアイコンとしての価値がありました。そして、ピアノの普及が一巡すると、ピアノの売上は落ちていきましたが、現在は中国で日本製の中古ピアノが売れています。まさに中国は「階級消費」の段階にいるのです。

 こうしたさまざまな事例を踏まえた上で、終章でこれを理論化しようとしているのですが、最初にも述べたようにこの部分は弱いです。
 「文化」という言葉を濫用するのは、その曖昧さや抜け落ちるファクターがあることからあまり良くない(194ー195p)という著者の考えはその通りだと思いますが、そのかわりに提示されているのがマイケル・ポランニー由来の「地域暗黙知」という概念だと、あんまり変わらないんじゃないかという気がします。

 ただ、理論面の弱さはあっても、とり上げられているj事例は興味深いものばかりなので、読み物としても面白いですし、何かビジネスでヒントを掴みたい人にとっても得るものがある本だと思います。あと、地理の教員のネタ本としてもいいでしょう。


消費大陸アジア: 巨大市場を読みとく (ちくま新書1277)
川端 基夫
4480069844