『〇〇の世界史』というのは新書の一つの定番で、この本の巻末の中公新書の目録を見ても『ワインの世界史』、『茶の世界史』、『チョコレートの世界史』といったタイトルが並んでいますが、「トラクター」とはまた意外な所を突いてきた感じです。
 ガソリンによって動くトラクターが登場したのは19世紀末で、100年ちょっとの歴史しかありませんが、そこには農民や技術者の夢だけではなく、戦争と社会主義という20世紀に大きな影響を与えたものが絡んでいます。
 著者は農業史などを専門とする研究者ですが、トラクターが農業に与えた影響をきちんと押さえつつ、戦争との関わりや社会主義におけるトラクターの位置づけ、さらには小林旭の「赤いトラクター」まで、トラクターにまつわる歴史を縦横無尽に描いています。

 目次は以下の通り。
第1章 誕生―革新主義時代のなかで
第2章 トラクター王国アメリカ―量産体制の確立
第3章 革命と戦争の牽引―ソ独英での展開
第4章 冷戦時代の飛躍と限界―各国の諸相
第5章 日本のトラクター―後進国から先進国へ
終章 機械が変えた歴史の土壌

 農業において「土を耕す」という行為は非常に重要であると同時に大変な労力が必要な物でした。
 この本に「トラクターが革新的に見えたし、実際そうだったのは、小麦の生産のうち投入するすべての労力の60%を占める耕耘作業を、最後の最後で一気に機械化したからなのである」(28p)と書かれていますが、それほどまでに「土を耕す」という作業は労力のかかるものでした。
 
 この重労働はずっと人間や馬や牛が担っていましたが、蒸気機関が登場するとそれを機械化しようという試みがあらわれます。
 しかし、蒸気機関は常に石炭と水を補給する必要がり重量もあります。さらに、蒸気機関から出る火花が干し草や藁に燃え移る可能性もあり、実用化には難しい面がありました。
 そうした問題を解決したのは内燃機関の発明です。アメリカの発明家J・フローリッチが1892年に前後双方向に進めるトラクターの開発に成功すると、その技術を利用したウォータールー・ボーイが売れ、さまざまな企業がトラクターの開発に参入します。

 1917年、自動車王のヘンリー・フォードはトラクター製造会社をつくりトラクターの大量生産に乗り出します。このフォードによって生産されたのがフォードソンと呼ばれるトラクターです。
 フォードソンには転倒しやすいなどの欠点もありましたが、400ドルを切る価格はトラクターが大々的に普及するきっかけとなり、1923年にはフォードソンがアメリカ市場のシェアの77%を獲得するに至りました(32p)。

 そして、この普及のきっかけとなった要因の一つが第一次世界大戦です。
 イギリスやフランスでは徴兵による労働力不足、馬が軍馬として徴発されたことを補うものとしてトラクターの導入が進みましたし、戦争による食料価格の高騰はアメリカの農民にトラクターを購入する余裕を与えました。

 このように戦争の影響もあって順調に普及したトラクターでしたが、良いことばかりではありませんでした。
 馬の食べる牧草は自前で育てることができますが、ガソリンは買うしかありません。また、馬の糞尿は肥料としても利用できましたが、その馬がトラクターに置き換えられると、肥料は化学肥料が主役になります。
 さらに農業生産力の向上は農産物価格の低迷をもたらし農業恐慌をもたらしましたし、トラクターによる土壌の圧縮と化学肥料の普及はグレートプレーンズにおけるダストボウルと呼ばれる砂塵と土壌侵食を生みました(62ー63p)。
 
 このアメリカで生まれたトラクターを国家主導で導入したのがソ連でした。
 
 社会主義の歴史の中では、農業の機械化・集団化を進めるべきだとするカール・カウツキーの理論と大規模経営よりも家族労働力を中心とする小規模経営のほうが農業にはふさわしいとするエードゥアルト・ダーフィットの理論がありましたが、レーニンはカウツキーの理論を擁護しました。
 
 レーニンは1919年3月の第8回答大会で次のように述べています。

 
 もし明日われわれが10万台の第一級のトラクターを供給し、トラクターに燃料と運転手を与えることができるならば、これは現段階ではまぎれもない空想であることはご承知の通りだが、中規模農家はこういうだろう。「わたしは共産主義に賛成する」と。(75p)

 
 つまり、レーニンにとってトラクターは社会主義を農村に浸透させるための欠かせない道具だったのです。
 

 この機械化と集団化の考えはスターリンにも受け継がれました。1927年の第15回党大会をきっかけに、農業集団化路線は復活し、暴力も伴いながら農民たちをコルホーズに加入させていきます。

 
 ソ連へのトラクターの本格的な導入は、ウクライナにおけるジョイント(アメリカユダヤ人合同分配委員会)によって始められました。これはロシアのユダヤ人の救援のために作られた組織で、クリミア半島に入植したユダヤ人を救うためにアメリカ製のトラクター・ウォータールー・ボーイが送られました(77-81p)。

 

 この動きはソ連、アメリカの双方から評価され、ソ連は大規模なトラクターの輸入(フォードソンが中心)に踏み切ります。
 
 さらにスターリンはトラクターなどの農業機械を共同利用するための組織「機械トラクターステーション」(MTS)を組織して、農業の集団化を進め、同時に農民を管理しようとしました。
 
 実際には故障するトラクターが続出し、3/4が故障していたともいいますが(85p)、農民が出資を求められた「トラクター購買予約金」は農民の党への忠誠心をはかる物差しにもなり(86p)、トラクターは農村における社会主義化や農業の集団化の一種のシンボルともなりました。

 

 この国家主導のトラクター導入はナチスドイツでも試みられ、ポルシェによってフォルクストラクターの生産も計画されましたが軌道には乗りませんでした。第二次世界大戦が始まると戦車の開発へとシフトしたからです。

 
 著者は「トラクターと戦車はいわば双生児」(111p)と述べています。キャタピラーなどの技術はそのまま戦車へと転用できるものでしたし、多くのトラクターメイカーが戦争中は戦車の製造に従事し、戦争を支えたのです。

 

 戦後も、アメリカのトラクター利用台数は増加しますが、それは1960年代に飽和状態に達します。132pに「アメリカにおけるトラクターの総馬力数と農場数の変遷」というグラフがありますが、馬力数が増加するとともに農場数は減っていっています。アメリカでは農場の大規模化がますます進み、トラクターの数はそれほど必要とされなくなったのです。
 
 

 一方、ソ連でもトラクターの台数は増えていったものの、西側諸国の普及水準にはおよびませんでした。
 
 ただし、その他の社会主義諸国ではトラクターは一種のシンボルとして戦後も機能しました。この本では、ポーランド、東ドイツ、ヴェトナム、中国などのトラクター事情に触れています。特に中国に関しては、トラクター技術を教えるために中国にやってきたアメリカ人技師ウィリアム・ヒントンの回想などを詳しくとり上げています。

 

 さらにガーナの事例も紹介されています。ガーナではトラクターを導入した大規模経営が試みられましたが、なかなか効果を上げることはできませんでした。国家主導の農園は非効率でしたし、ガーナのような半乾燥地域ではトラクターによる深耕が土壌侵食を引き起こすこともあったからです(166ー169p)。

 第5章では日本のトラクターの歴史が主要なトラクターメーカーの歴史とともに語られています。
 戦前に満州で農業の機械化を目指す動きがあり、小松製作所などがトラクターの製造に取り組みますが、これは失敗に終わっています。
 日本のトラクターの特徴の一つは歩行型が多いことで、その開発に情熱を傾けたのが岡山県出身の藤井康弘と島根県出身の米原清男でした。ともに農家出身で、またトラクターに必要なたたら製鉄の盛んな地域に生まれています。
 特に岡山県における野鍛冶とも呼ばれる人々がおり、農業機械を研究する者も多くいました。そうした人々のネットワークが藤井の研究を後押しし、藤井製作所、そしてヤンマー農機へとつながっていく様子は興味深いです。
 
 他にもホンダ、クボタ、イセキ、ヤンマー、三菱農機といったトラクターメーカーを紹介し、ヤンマーのCMに使われた小林旭の「赤いトラクター」に関しては歌詞を全部引用して紹介しています。著者に「女性を排除した男性とトラクターのみの「二人」の関係性は、暑苦しいとしか言いようがない」(225p)と評されているこの歌の歌詞は改めて面白いですね。 

 ただ、日本の部分に関してはややトラクターメーカーに寄りすぎている部分もあって、個人的に日本の農業に与えた影響といったものをもっと知りたかったですね。

 このように世界各国のトラクターの歴史をたどった本書ですが、やはりトラクターが戦争と社会主義にガッチリと組み込まれているところがトラクターというものとこの本の面白さなのだと思います。思わぬ切り口の20世紀史と言えるのではないでしょうか。


トラクターの世界史 - 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち (中公新書)
藤原 辰史
4121024516