カプセルホテルからひとりカラオケ、ひとり焼肉など、ひとり向けの空間が増えつつある現代日本の都市空間。この本は、そうした「ひとり空間」に焦点をあて、その特性や都市との関係を探ったものになります。
 著者は社会学者ですが、「あとがき」に「社会学に軸足を置きながら、建築学の領域にもはみ出して研究を続けている」(246p)と書いているように、「空間」にこだわって分析しているのがこの本の特徴と言えるでしょう。
 分析が多岐にわたっているために、分析の深さに関してはやや物足りない面もありますが、そのぶん都市における「ひとり」という存在を多面的に捉えるために材料はいろいろと出ていると思います。

 目次は以下の通り。
序章 『孤独のグルメ』の都市論
第1章 ひとり・ひとり空間・都市
第2章 住まい―単身者とモビリティ
第3章 飲食店・宿泊施設―日本的都市風景
第4章 モバイル・メディア―ウォークマンからスマートフォンまで
終章 都市の「ひとり空間」の行方

 序章では、『孤独のグルメ』から現代日本における都市とひとりの特性を探っています。
 ご存知のように『孤独のグルメ』は主人公の井の頭五郎がひとりで食事をするお話です。五郎が入る店は基本的に初めての店であり、店や周囲の客と会話することもなく、ひとりで料理を味わいます。物語の構成は、だいたい都市の描写→店の描写→食事という展開で進み、食事が終わると五郎はその街を去っていきます。

 この五郎のような存在が、この本では分析する「ひとり」の典型です。
 「ひとり」というと例えば近年増えている単身高齢者、あるいは「結婚できない」独身者なども想像されますが、この本が中心に据えるのは都市でひとりで生活をする人々と、必ずしも一人暮らしではなくても「ひとりで」さまざまな空間を利用する人々です。
 この本の定義する「状態としてのひとり」とは、「一定の時間、集団・組織から離れて「ひとり」であること」(31p)を指します。

 第1章では、こうした「ひとり」と都市の関係を過去の都市社会学の研究などから読み解いていこうとしています。
 都市と「ひとり」は分かち難い関係にあります。都市には進学や就職を機に単身者が上京していきますし、都市に住む人々は通勤などの移動中に一時的に「ひとり」となります。
 ジンメルは都市生活の特徴を「無関心」、「匿名」といった言葉で表しましたが、同時に「自由」であるとも考えました(50-51p)。
 また、シカゴ学派の社会学者は都市生活における「移動性」に注目し、これが他人との接触の機会を増やすとともに、その関係を不安定にすると考えました(55-58p)。

 第2章は、「ひとり」は住む住宅について。
 1970年代ごろまで単身者が住む部屋の象徴だったのが四畳半です。この四畳半は、公団の団地における子ども部屋が四畳半であったこと、鴨長明の方丈庵以来の伝統もあって単身者向きアパートの一つの形式となります。
 高度成長期において、上京してきた単身者はまずはこの四畳半や会社の寮などに住み、そこから公団の団地などを経由して庭付きの一戸建てにいたる「現代住宅双六」(84pに73年に朝日新聞に載ったものの引用がある)が想定されていました。
 単身者は四畳半を降り出しに、いずれは家族を形成して、一戸建てを手に入れることが想定されていたのです。

 ところが、70年代以降に登場したワンルームマンションとなると、その位置づけは少し変わってきます。
 71年に登場した「赤坂レジデンシャルホテル」や72年の「中銀カプセルタワー」は、ワンルームマンションの走りですが、それは郊外に家を持つビジネスマンが平日に泊まることを想定してつくられたものでした。
 その後、ワンルームマンションは都会における「個室」という形で定着していきます。

 ワンルームマンションの狭さは「うさぎ小屋」などと揶揄されましたが、都築響一が『TOKYO STYLE』で「本屋、洋服屋、レストランや飲み屋のそばに小さな部屋を確保して、あとは街を自分の部屋の延長にしてしまえばいい」と指摘したように(101p)、空間よりも時間を優先する人びとにはうってつけの住まいだったのです。

 このような住環境の変化に対応して、2007年に日本経済新聞で紹介された「新・現代住宅双六」は介護付老人ホーム、外国定住など、複数のあがりのあるものでした(114p)。

 第3章では、いかにも日本的な「ひとり」向けの飲食店や宿泊施設を見ていきます。
 駅前に並ぶ牛丼店、ハンバーガーショップ、ラーメン店、カフェ。いずれもひとり客の利用を想定してつくられています。
 また宿泊施設としてカプセルホテルがありますし、その他、「個室ビデオ」などの日本の都市には「ひとり空間」が数多くあります。

 この本では日本における「ひとり空間」の多さを、中根千枝、神島二郎、上田篤、李御寧、オギュスタン・ベルクなどの議論から探っていますが、興味深いのは神島二郎の議論ですね。
 神島は、日本の都市が農村から出てきた次男・三男などの単身者からなる存在だとし、男性単身者の「浮浪性」や異性遍歴が都市を日本の都市を形作っていると考えました。飲み屋やバー、キャバレーなどはもちろん男性単身者向けのものですし、神島によるとデパートや映画館、遊園地なども、男性中心的な単身者主義が女性にも浸透、開放された結果だといいます(140ー142p)。
 また、上田やベルクは日本の空間の特徴を空間の分割や仕切りに求め、流動的なウチとソトの仕切りに注目しています。

 この第3章の巻末に置かれた「ケーススタディ」では、牛丼店やラーメン店一蘭の仕切り付きのカウンターなどを紹介しています。
 さらには、日本の鉄道中心の交通体系と「ひとり空間」の親和性についても述べているのですが、ここでは車社会では車が「ひとり空間」になっている可能性を指摘すべきじゃないかな、と思いました。

 第4章は空間がなくても「状態としてのひとり」をつくり出すモバイル・メディアについて。
 まず、この本がとり上げるのがウォークマンです。ウォークマンで音楽を聞くことによってその人は周囲から切り離され、また他人に対して「話しかけないでほしい」という意思を表示することもできます。
 
 この周囲から切り離される機能はケータイやスマホにも受け継がれますが、ケータイやスマホがウォークマンと違う点は、周囲から切り離されつつ、別の場所の誰かとつながっている点です。
 特に近年はスマホを使ったSNSの利用が活発ですが、このスマホとSNSの利用においては「つながりたい」と「つながりを絶ちたい」という欲求がせめぎ合っているといいます。
 人によってはさまざまなSNSやアカウントをスイッチングすることで、これらの欲求に対処しています。

 第4章のケーススタディでは「ひとりカラオケ」がとり上げられています。今までのカラオケでは、仲間同士が拍手などをしつつも相手をじっと見ることもなく次々と歌っていくという儀礼的コミュニケーションが繰り広げられていましたが、そうしたコミュニケーションと仲間をバッサリと排除したのが「ひとりカラオケ」です。
 ここでライブ配信などをする人もいますが、これなどはつながりを絶ちつつ、つながりを求めるという現代的なコミュニケーションの一つの形と言えるでしょう。

 また、都市における「個室」である多機能トイレについても扱っています(ここでとり上げている多機能トイレはバリアフリーのために設けられた公共的なものではなく、デパート等が設置する商業的なもの)。
 「ひとり空間」の提供をマーケティングに結びつけようとするやり方は興味深いです。

 終章の「都市の「ひとり空間」の行方」では、P2PやIoTといった技術やシェアリングエコノミーと都市の「ひとり」の問題を考察しています。
 ここは個人的にはあまり興味がわかなかったです。

 全体としてみると、なかなかおもしろい材料が並べられている本だと思います。この本を読むと、普段見ている都市の風景を改めて捉え直すことができるのではないでしょうか。
 ただ、全体的な分析の枠組みがはっきりしていない点がこの本の弱点だと思います。都市における「ひとり」の問題とは普遍的なものなのか、それとも日本に特有なものなのか、それが判然としないです。
 もちろん、普遍的な問題であり、同時に日本的な問題でもあるということなのでしょうけど、第1章と終章で普遍的側面をクローズアップしつつ、第2~4章では日本ならではの面を強調する構成にはわかりにくい面があります。
 このあたりは、例えば前述の車の所有の問題や、シェアハウスや飲食店などの国際比較した分析などがあれば、もう少しクリアーになったのではないでしょうか。


ひとり空間の都市論 (ちくま新書)
南後 由和
4480071075