副題は「崩れゆくイタリア政治」。第1章と第2章ではベルルスコーニの政界入り前の姿をかなり詳細に書いており、ベルルスコーニの評伝のようですが、「はじめに」にもあるようにこの本はベルルスコーニの評伝ではなく、彼を中心に据えたイタリアン現代政治史の本になります。
 スキャンダルにまみれながら(より正確に言えば犯罪行為を重ねながら)なぜベルルスコーニは首相にまでなり長期間イタリア政治の中心でありつづけているのか、ベルルスコーニはイタリアの政治の風景をいかに変えたのか、そうした疑問を解き明かそうとしています。
 
 イタリアの戦後政治というのは、極右から極左までの政党の多さに、秘密結社やマフィアの影響力、さらには度重なる制度変更と、まさに複雑怪奇としか言いようのないものなのですが、この本は可能な限りわかりやすく書かれていると思います。
 また、ベルルスコーニだけでなく北部同盟のボッシの動きなども丁寧に追っており、現在のイタリア情勢を理解するのにも役立つと思いますし、同じ90年代前半に一党優位性が崩れた国として日本と比較しながら読んでも面白いと思います。

 目次は以下の通り。
第1章 実業界の覇者
第2章 闇を支配する
第3章 政治の覇者へ
第4章 長い過渡期―模索するイタリア
第5章 ポップなカリスマ―長期政権
終章 “パルティートクラツィア”から“ポルノクラツィア”へ

 シルヴィオ・ベルルスコーニは1936年にミラノで生まれています。家はそれほど豊かではありませんでしたが、シルヴィオは友達の宿題の肩代わりをしたりして金銭を得てミラノ大学の法学部に進みます。
 在学中から父親が勤める銀行の顧客の建設会社で働き、1950年代後半~60年代前半のイタリアの不動産ブームに乗るかたちで、大学卒業後にすぐさま独立します。そして、複合住宅団地の開発を成功させていくわけですが、この開発資金の出処はマフィアの資金だったのではないかという疑惑もあります(15-18p)。

 ベルルスコーニは不動産事業とともにケーブルテレビ事業を手がけていましたが、979年に持株会社フィニンヴェスト、番組制作会社レーテ・イタリア、広告代理店プブリタリアを設立し、テレビ事業に本格的に進出します。
 ベルルスコーニはアメリカの映画やドラマなどを大量に買い付けてそれを全国の地方民間テレビに売るやり方で急成長を遂げます。この勢いで他の民間テレビ局を次々と買収し、1984年には主要な民間テレビ局をすべて傘下に収めました。

 当然、独占禁止法に引っかかりそうなところですが、ベルルスコーニにはクラクシという政治家の後ろ盾がありました。クラクシは社会党の書記長で1983年には首相になった人物です。
 1980年代初めにはクラクシは週末ごとにベルルスコーニのアルコレ邸を訪ねるような親密な関係で、1984年に裁判所がベルルスコーニの参加のテレビ局に閉鎖命令を出すと、当時の首相だったクラクシは暫定措置法を出してベルルスコーニを救っています。ベルルスコーニの成功の背景には政治の力があったのです。

 ベルルスコーニとクラクシをつなぐきっかけの一つとなったのが秘密結社のP2です(クラクシはP2のメンバーではなかったが深い関係にあったとされている)。P2はフリーメイソンを源流に持つ組織ですが、リーチョ・ジェッリという男のもとで、軍人や政治家、財界人などをメンバーに抱えた独自の秘密結社へと成長します。
 P2はヴァチカン銀行から資金提供を受けて、イタリア最大の日刊紙『コッリエレ・デッラ・セーラ』の乗っ取りを行い編集方針を右旋回させるなど(56-58p)、反共産主義的な活動を行っており、最終的には国家体制の変革を目指すとされていました。

 1981年にこのP2の名簿が流出し、そこにはベルルスコーニの名前もありましたが、ベルルスコーニは会合にも出席したことはないと弁明しています。
 しかし、ベルルスコーニの会社はジェッリから資金援助を受けており、ベルルスコーニの経済界での成功の陰にはP2の存在があったと考えるほうが自然です。
 1986年にベルルスコーニはACミランを買収、ACミランがヨーロッパ有数の強豪クラブとなると、ベルルスコーニの名声は高まり、彼の事業はさらに拡大していきました。

 1990年頃、ベルルスコーニのビジネスでの成功は疑いのないものとなりますが、ちょうどその頃、イタリア政治は大きな変化の中にありました。
 P2事件によって長年イタリア政治の中心にあったキリスト教民主党は大きな打撃を受け、共産圏の崩壊によって共産党は左翼民主党とその名を変えますが、その過程で党は分裂しました。
 また、ウンベルト・ボッシが創設したロンバルディア同盟が1989年に北部同盟に発展し、イタリア北部にその勢力を伸長させていくことになります。

 この北部同盟伸長の影には1990年代前半のマフィアとの戦いがありました。
 マフィアはシチリアを起源にもつ犯罪結社ですが、第二次世界大戦時に連合軍が治安維持のためにマフィアの力を利用したことなどによってシチリアの政治に食い込んでいきます。
 また、共産主義を抑えるためにマフィアの力が必要とされたことなどから、シチリアではキリスト教民主党とマフィアが癒着し、それは中央政界にも大きな影響を与えました。
 1970年代末になると麻薬取引をめぐってマフィア同士の抗争が激化、政治家や捜査関係者が殺害される事件が相次ぎます。
 80年代にになると、マフィアのボスを逮捕し裁判にかける動きも出てきますが、マフィア絡みの混乱は南部に対する蔑視を一つの原動力とする北部同盟の追い風となりました。

 1992年、下院の選挙法の一部が国民投票によって改正され、ミラノ政界に対する汚職事件の捜査が始まると、イタリアの政治は大きく動き出します。
 4月に行われた総選挙において北部連合が躍進を遂げますが、キリスト教民主党や社会党などの与党連合が勝利します。このままイタリアの政治は現状維持がつづくかと思われましたが、マフィアに対する捜査を行っていたファルコーネが乗った車が高速道路ごと爆破される事件が起こると風向きが一変します。
 さらに通貨危機が起こり、イタリアは財政金融危機に陥ります。金権政治のイメージが強かったクラクシを嫌ったスカルファロ大統領によって首相に指名されていたアマートは、財政金融の専門家として、超緊縮予算を主導しこの危機に対処しますが、イタリアの政治・経済の危機は誰の目にも明らかでした。

 後ろ盾であったクラクシが失脚し、自らのテレビ局グループは独占禁止法で解体されるかもしれない。そんな危機の中でベルルスコーニが選んだ道が自らの政界への進出です。
 ベルルスコーニは1993年11月にフォルツァ・イタリア・クラブ全国協会を設立。全国の国民にフォルツァ・イタリア・クラブの設立を呼びかけます。クラブの会長は50万リラを払って「会長キット」(ロゴ入りの旗やワッペン、腕時計、ネクタイなどのガジェットが入ってる)を購入することになっており、フォルツァ・イタリアはそうした市民のネットワークということになっていましたが、実際はフィニンヴェスト社の社員などが組織を支えていました(133-136p)。
 
 ベルルスコーニは大量のテレビ・スポット広告を流すとともに、ファシストの流れをくみ南部に地盤を持つイタリア社会運動と北部同盟を結びつけることによって「右翼」を”発明”します(139p)。
 南部に対する蔑視を隠さない北部同盟と南部を地盤とするイタリア社会運動が直接結びつくことはありませんが、ベルルスコーニという媒介者が現れたことによって、「反左翼」の共闘が可能になったのです。

 1994年の総選挙でフォルツァ・イタリアを中心とした中道右派連合が勝利し、ベルルスコーニは首相となります。
 この選挙に前後する形でイタリアの伝統的主要政党の名前はすべて消え、イタリアの政治は共産党から名前を変えた左翼民主党とフォルツァ・イタリアなどの新興政党によって動いていくことになります。
 しかし、そのフォルツァ・イタリアの149人の上下両院議員のうち50人はプブリタリアの社員でしたし(145p)、中道右派政権の一角はイタリア社会運動から名前を変えた国民運動というネオ・ファシスト政党が入っていました。
 それまでイタリアでは「政府は不安定でも、政治家は安定している」と言われていましたが、この選挙で下院議員の約70%、上院議員の約60%が新人議員となりました(147-148p)。

 しかし、第一次ベルルスコーニ政権は、北部同盟との軋轢や側近の起訴などによってわずか7ヶ月で崩壊します。後継はテクノクラートのディーニでした。
 1996年の総選挙でもベルルスコーニの中道右派連合の勝利が予想されていましたが、それを覆したのがプローディの率いる中道左派連合「オリーブの木」です。
 ベルルスコーニが北部同盟との選挙協力に失敗したのに対して、「オリーブの木」は共産主義再建党との協調に成功、小選挙区制の効果もあってギリギリの勝利を収めたのです。

 プローディはイタリアのユーロ参加を成功させますが、1998年に下院での信任投票に失敗して退陣します。
 後継は左翼民主党のダレーマでしたが、彼はベルルスコーニや国民運動のフィーニを対話相手として憲法改正を目指します。著者はダレーマがここでベルルスコーニに対話者として地位を認めたことが、失速していたベルルスコーニの政治生命を生き延びさせてしまったとみています(187p)。

 ベルルスコーニは2001年の総選挙に勝利し、再び首相となります。フォルツァ・イタリアの組織化を進めたこと、減税を掲げたことなども勝因の一つですが、北部同盟と組むことが出来たことが中道右派連合を勝利に導きました。
 また、この本では、多かれ少なかれ縁故主義や違法行為に染まっていた多くのイタリア人が中道左派の道徳主義を嫌った結果だという分析も紹介されています(219ー220p)。

 第2次ベルルスコーニ政権では、相続税の廃止、今までの脱税を申告して一定の税を払えば脱税が免責される仕組み、会計帳簿の不実記載を軽微な犯罪とする法律など、ベルルスコーニと関連会社のためになるような制度が導入されていきます(231ー237p)。
 著者はこの第2次政権について書かれた節に「「盗賊支配体制」の成立」という言葉を与えています。
 
 2006年の総選挙でベルルスコーニの中道右派連合が敗北し、再びプローディが首相となりますが、2008年の総選挙では中道右派連合が勝利し、ベルルスコーニが首相に返り咲きます。
 ベルルスコーニは「自分は世界で一番愛されている政治家だ」などと豪語するようになりますが(255p)、未成年女性との援助交際を皮切りに次々とセックススキャンダルが噴出(アルコレ邸で若い女性に猥褻なダンスをさせ、勝ったものが首相と一夜を共にするといった者も含む)。欧州のソブリン危機も直撃し、ベルルスコーニは政権の座を失うことになるのです。

 このように、この本はベルルスコーニを通じてイタリア政治の混乱を余すことなく描いています。
 もちろん混乱の中心にはベルルスコーニがいるわけですが、それとともにこの本を読むと、北部だけでのユーロへの参加から反EU・反移民へとその主張を変遷させる北部同盟とそのリーダーのボッシの存在が、混乱に拍車をかけていることも見えてきます。
 この本に直接書かれているわけではありませんが、EUの存在が北部同盟の無責任な行動を可能にしている面もあるのでしょう。

 そして、やはり日本の政治と比較しながら読むと面白いと思います。90年代前半に既成政党に対する不信が高まり、小選挙区比例代表並立制を採用したという点で日本とイタリアは共通していますが、政権交代を経ても自民党と自民党の古い政治家が生き残った日本に対して、イタリアで既成政党と政治家が一掃されました。
 自民党の古い政治家が一掃されなかったことに不満を覚えている人もいるとは思いますが、古いものを破壊しただけでは未来は開けないということもイタリアの政治は教えてくれます。
 参考文献がない、ベルルスコーニが政界に進出するまでのイタリアの政治情勢がややわかりにくい(これについては伊藤武『現代イタリア史』(中公新書)を読むとよい)といった欠点もありますが、さまざまなことを考えさせられる本です。


ベルルスコーニの時代――崩れゆくイタリア政治 (岩波新書)
村上 信一郎
4004317053