「植民地支配にはプラスの面もあったのか?」、これは非常に難しい問題であり、特に日本の朝鮮半島支配に関しては問いを立てることすら難しい問題です。
 日本の台湾統治に関しては、八田與一の存在やその後の国民政府の統治のまずさもあって「良いところもあった」と言えるかもしれませんが、朝鮮半島統治に関しては創氏改名などの施策もあって、民族の誇りを大きく傷つけたという評価は揺るがないと思います。
 けれども、「純粋に経済的な部分に限ればどうなのか?」、本書はそんな疑問に国際経済学や開発経済学を専攻し、朝鮮半島の経済史についても研究してきた著者が応えようとした本です。
 実は『日本統治下の朝鮮』という同タイトルの本は岩波新書で山辺健太郎が書いているのですが、著者はこの本を「はじめに結論ありき」の性格が強いとし、実証主義に徹した姿を提示したいとしています(iii-iv p)。
 取り扱いにやや注意すべき点もあると思いますが、あまり類書のない貴重な仕事となっています。

 目次は以下の通り。
序章 韓国併合時-1910年代初期の状態とは
第1章 日本の統治政策-財政の視点から
第2章 近代産業の発展-非農業への急速な移行
第3章 「貧困化」説の検証
第4章 戦時経済の急展開-日中戦争から帝国崩壊まで
第5章 北朝鮮・韓国への継承-帝国の遺産
終章 朝鮮統治から日本は何を得たのか

 韓国併合当時、朝鮮半島は農業中心の社会でした。当時の朝鮮の総人口は1500万~1600万程度と考えられていますが、朝鮮の全戸口の80%が農家でした(6-7p)。
 米の収量でいうと南朝鮮が一反あたり1石、北朝鮮が一反あたり0.8石程度、当時の日本が一反あたり2石程度だったことを考えると、生産性は高いとは言えませんでした(7-8p)。
 
 教育に関しては書堂(ソダン)と呼ばれる伝統的な初等教育機関が存在しましたが、基本的には男子のみで、儒学の古典を用いた教育が行われていました。
 儒学が盛んだったのは慶尚道などの南部ですが、書堂の教育に関しては北朝鮮のほうが普及していたといいます(16p)。

 1910年以降、朝鮮総督府を通じた日本の朝鮮統治が始まるわけですが、日本は総督府に多くの人員を送り込みました。
 1926年末の段階で、帝国の官僚総数は14.8万人でしたが、総督府が2.8万人で最大でした(19p)。また、人員構成では一貫して内地人が朝鮮人よりも多く、イギリスのインド統治などとは違って、日本の朝鮮統治が直接統治であったことを反映しています。
 
 総督府の歳入は地税や関税などの税と日本からの補充金、そして公債金で構成されていました。1911年の段階では税収に匹敵する補充金がありましたが、補充金は年々減少し、1919年についに全廃されています(30pの表1-6参照)。
 しかし、1919年の万歳騒擾事件(三・一独立運動)をきっかけに日本は統治のしくみを改め、憲兵を排除して普通警察への転換を図ります。この警察官の増員によって再び予算は膨張、補充金も復活することになります。

 総督府はまず土地調査事業を行いました。従来はこの土地調査事業によって朝鮮の多くの農民が土地を奪われたとされていますが、近年の研究ではこれは誤りだとされているといいます(41p)。
 また、租税負担率を見ると1911-1915年の段階で3.9%と内地の13.1%、台湾の9.6%とかなり低くなっています。この差は年とともにつまってくるのですが、経済力の劣る朝鮮では租税の負担も抑えられたのです(42pの表1-12参照)。

 第2章では、産業の発展についてとり上げられています。冒頭で産業構造の変化を示した表が掲げられており、1912年の段階では農林水産業68.1%・鉱工業4.9%だったのが1939年には農林水産業41.1%・鉱工業18.6%と、日本統治下において産業構造の変化が進んだことがわかります(46pの表2-1参照)。

 農業では米の生産が大きく伸びました。米の生産量は1910年代初め1200万石前後でしたが、1937年には2700万石を記録しています(48p)。これは品種改良や肥料の普及などにより反収が上がったからです。この朝鮮米の増産は内地の農家にも大きな影響を与え、1930年代になると朝鮮米の移入に対する反発が強まっています。
 一方、大麦、粟、大豆などの畑作は停滞しました。棉作は朝鮮総督府によって奨励され、なかなか計画通りには進まなかったものの、その生産量は1930年代末には1910年代初頭の6倍まで増加しています(58p)。

 鉱工業に関しては、今まで1910年に出された会社の設立を許可制とする「会社令」によって起業が抑圧されたとの見方が強くありましたが、朝鮮人の会社設立の許可率は高かったといいます(59-60p)。
 朝鮮において、まずさかんになったのが籾摺・精米業です。日本に輸出する前に米を精米する必要があり、そのための工場が各地につくられたのです。
 また、石炭の採掘もさかんに行われ、特に平壌の無煙炭は海軍に必要とされ、煉炭製造所もつくられました。
 さらに朝鮮半島の資源を活かす形で、製鉄や非鉄金属、セメント、製糸・綿紡織、製紙・パルプなどの工場もつくられていきます。

 1920年代後半になると、日窒の野口遵が朝鮮半島に次々と事業を展開していきます。
 野口は1926年に朝鮮水力発電株式会社を設立し、鴨緑江の支流などで電源開発を行い、さらにその電力を使って北朝鮮東部の興南にコンビナートを建設しました。このコンビナートの規模は「帝国日本の全工業施設のなかでも屈指であるばかりでなく、世界でも有数といわれた」(77p)と言います。
 野口はさらに北朝鮮北東部の永安で石炭から造る人造石油の開発などにも取り組んでいます。

 大規模な工場に関しては無い知人経営のものが多いですが、工場全体で見ると朝鮮人経営の工場も増加し、1932年には朝鮮人経営の工場の数が内地人経営の工場の数を上回っています(83pの表2-3参照)。
 また、著者は第2章の最後で、注目すべきこととして朝鮮半島の経済における華人の存在感の薄さをあげ、これが朝鮮人がさまざまな事業に進出できた理由の1つだと考えています(86p)。

 近代的な産業が勃興したとしても、朝鮮人の生活が向上したかどうかはまた別の問題です。朝鮮人は一方的に収奪され、経済発展の恩恵を受けることができなかったというのが今までの見方です。
 この「収奪」を裏付けるものとして、自作農の減少と小作農の増加、1935年に東畑精一と大川一司が指摘した一人当たりの米消費量の減少などがあげられています。しかし、東畑と大川のデータは1939年に修正されており、さらに最近の研究ではさらに修正され、一人当たりの米消費量の減少は微減にとどまり、カロリー消費量はほとんど減少しなかったと言います(92-93p)。

 人びとの生活水準を客観的に示すと考えられるのが身長、体重などの体格のデータです。特に身長は生活水準が良ければ大きくなり、悪くなると小さくなります。朝鮮では学生と勤労者を比べると、豊かな階層出身である学生の方が平均身長が高くなっています(99pの表3-1参照)。
 著者は1930-40年のデータと、1895-1909のデータを比較していますが、これを見ると特に世代による差は見られません。ここから著者は日本の植民地支配によって急速に生活水準が悪化したということはなかったとみています。

 日本の朝鮮支配は1937年の日中戦争勃発以降、大きな急展開を見せます。第4章では、この大きな変化が語られています。
 まず、戦時体制に伴い、朝鮮総督府の人員と財政は膨張しました。増税と公債金の増加によって歳入は激増しましたが、同じように臨時軍事費などを中心に歳出も伸びました。また、1944-45年度の予算では、朝鮮人官僚の給与を内地官僚と同水準に引き上げる措置なども取られています(112p)。
 
 農業では統制が強化され、農村労働の組織化・共同作業化、営農共同施設の拡充、女子労働力の動員などが行われました。米の供出も強化され、1943年には米の自由販売が禁止され、強制供出となります。
 地主に対する統制も強化され、1939年の小作料統制令によって小作料を自由に変更することはできなくなりました(119p)。地主の権限は総督府に奪われて形骸化したのです。
 しかし、内地や鉱工業部門への労働力の流出、過大な供出を強いた結果による生産意欲の低下などによって、1940年代、農業生産は大きく低下します(122p)。

 工業に関しては内地から遅れること6年、1937年に重要産業統制法が施行されます。この後、工業の統制が進み、工場の国営化なども行われます。
 鉱業分野においては新資源の探索がさかんに行われ、コバルト、タングステンなどの希少鉱物の採掘が行われるとともに、原爆製造の研究のためにウランの探索も行われ、朝鮮のモナザイトが注目されました(140ー142p)。

 工業分野では、1940年代になると軍の要請などを受けて朝鮮での工場建設の動きが加速していきます。長期戦に備えるために、満州経済と一体化するかたちで本国から独立した経済体制の確立が目指されたのです。
 南朝鮮でも兵器や造船などの工場建設が進み、これらは空襲を受けなかったために戦後も無傷で残りました。
 1940年以降、農業生産とは対照的に朝鮮の鉱工業生産は増大しています(163p)。

 第5章では、日本の植民統治が韓国と北朝鮮にいかに継承されたのかという問題が検討されています。
 人的な面から言うと、韓国ではいわゆる「親日派」と呼ばれる人びとが政治や経済の世界で力を持ち続けたの対して、北朝鮮ではそうした人びとは徹底的に排除されました。ですから、韓国での「連続性」、北朝鮮での「非連続性」ということになるのですが、著者は逆に北朝鮮での「連続性」と韓国での「非連続性」に注目します。

 日本のファシズムと北朝鮮の共産主義は全体主義というイデオロギー面で共通していたという議論は少し粗いと思うのですが、統制経済の共通性や、日本人技術者を抑留し、工場生産の志津に当たらせた点、そして北朝鮮に残された日本の工場群など、確かに北朝鮮こそが帝国日本の遺産を受け継いだといえるのかもしれません。

 終章では、「朝鮮統治から日本は何を得たのか」と題し、朝鮮統治が日本経済にもたらした影響などを分析しています。朝鮮米の流入を除けば、朝鮮統治は日本経済に大きな影響をもたらさなかったとのことですが、朝鮮経済への影響ということはカッコに入れてあることは注意する必要があると思います。
 また、最後に「総合的にみれば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう」(202p)との一文がありますが、これは治安に関するデータや統治コストの国際比較などのデータがないと言えないのではないかと思います。やや勇み足ではないでしょうか。

 というわけで、やや取り扱いに注意すべき点もあると思うのですが、日本の朝鮮統治を経済データの面から明らかにしようとした貴重な仕事であり、日本の植民地支配に違った側面から光を当てるものとなっています。


日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか (中公新書 2482)
木村 光彦
4121024826