タイトルだけを見れば、「このような大胆なタイトルの本を書くのは哲学者か、よほど大御所の学者か?」と思いますが、著者は40代前半の気鋭の国際政治学者で、戦争を「科学的」に解明しようという野心作です。
 序章で「戦争は数えられるが、平和は数えられない」という話が出てきますが、本書は戦争を数えられるデータとして扱い、「なぜ戦争が起きるのか?(終わらないのか?)」ということをデータの分析やゲーム理論を通じて明らかにしようとしています(おそらく本書の内容を的確に表すタイトルは「戦争とは何か」ではなく「なぜ戦争が起きるのか」だと思う)。
 とにかく明解であり、かつ自信に溢れた本でもあります。「エビデンスを備えた科学的な研究は、戦争と平和をめぐる一般的な傾向の把握を可能にし、ひいては戦争の予測さえも現実的なものにしていく」(20p)などという言葉はなかなか言えないものではないかと思うのですが、それを言い切る点にこの本のかっこよさがあります。
 ただ、そうはいっても個人的には疑問も残るので、それは最後に書いておきます。

 目次は以下の通り。
序章 戦争と平和をどのように論じるべきか
第1章 科学的説明の作法
第2章 戦争の条件
第3章 平和の条件
第4章 内戦という難問
第5章 日本への示唆
第6章 国際政治学にできること

 本書では、戦争を「①当事者同士が一致できない問題が存在し、しかも②その対立を解決する交渉に失敗して組織的、継続的に暴力で訴えるという共通項」(26p)で捉えています。特に「国家間」という条件はないので内戦も含まれます。「紛争」はもう少し広い概念で「暴力の仕様の程度がそこまで達しない緊張・対立状態も含まれ」(13p)、尖閣諸島をめぐる日中の対立も国際紛争として認識されています。

 戦争には大きなコストがかかります。戦費がかかり、戦死者が出て、国土が破壊されるかもしれませんし、負ければ為政者は政権を失うかもしれません。。ですから、基本的には交渉が優先されるはずです。また、第2次世界対戦における日本のように敗色が濃厚になってから戦い続けるケースがあります。「なぜ戦争は(もっと早く)おわらないのか?」というのも本書がとり上げる問になります。
 ただし、すべての戦争を数え上げるのは難しく、組織的暴力の継続期間をどう取るかといったことはデータを構築する観察者によってブレも生じますし、漏れも生じるでしょう。

 スウェーデンのウプサラ大学とノルウェーのオスロ平和研究所が構築しているデータセットでは、1400年から現在まで起こった戦争がまとめられていますが(43p図1参照)、これを見ると、三十年戦争と、第一次・二次の両大戦が突出して大きな戦争だったことがわかりますし、戦争と戦死者は1950年以降確実に減っていることがわかります。
 47p図4のグラフでは、1500年以降の大国間の戦争の数が示していありますが、この数は減少傾向にあり、2000年以降は発生していません。大国同士の戦争は確実に減っています。

 では、なぜ大国同士の戦争は減ったのか? もし、戦争の勝敗が国力によって決まり、勝敗が確率的に計算できるのであれば、そもそも戦争は起こらずに交渉が選択されると「合理的」には考えられます。
 ジェームズ・フィアロンは合理的な意思決定者でも次の3つのケースでは戦争が選択されることもあると考えました。
 1つは情報の不確実性(非対称性)です。交渉において相手の国力や意志の強さをを正確に見積もっているおは限りませんし、交渉ではこの情報の不確実性を利用したブラフ(はったり)も使われます。1990年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争はいずれもイラクが相手側の戦争への決意を低く見積もったために起こったとも説明できます(イラク戦争のケースではたとえイラク側が正しい情報を出しているのにアメリカ側がそれを信じようとはしなかったという要因もある)。
 2つ目は、コミットメントの問題から起こってしまうケースです。国際社会では「世界政府」が不在のため、国家同士の約束が守られるとは限りません。そうした状況においてA国の国力が低下しつつありB国の国力が伸びているような状況では、A国から見ると、今妥協したとしても将来B国が約束を破って武力行使に訴えてくる可能性を考えざるを得ません。そこで、力が拮抗している現時点でのイチかバチかの戦争にかける選択肢が浮上するのです。日本の真珠湾攻撃もこのロジックで説明する事が可能です。石油を止められた日本と軍需品の生産に力を入れ始めたアメリカの国力は将来的に開く一方だと考えられ、日本としてはイチかバチかの武力行使が魅力的に見えることとなるのです。
 3つ目は「宗教的聖地」「固有の領土」など価値不可分な対象をめぐる争いです。これらのものは交渉による妥協が難しいです。エルサレムの帰属問題などがそうなります。

 戦争の終結に関しては、「圧倒的な勝利による終戦」と「交渉による終戦」の2つがあります。情報の不確実性が開戦理由だった場合、戦闘の推移とともに国力の差が明確となり、終戦の可能性は高まります。一方、コミットメントの問題や価値不可分の対象をめぐって起きた戦争は長引く可能性が高いです。第二次大戦の日本の場合、国力の差は1945年はじめの時点で明確で情報の不確実性の問題は消えていましたが、天皇制維持についてのコミットメントが確認できなかったことが戦争を長引かせたとも言えます。

 どうすれば戦争を防げるのか? どのような状況ならば戦争が起こりにくいのか? そのことを論じたのが第3章です。
 まず、「民主主義国同士は戦争をしにくい」という考えがあります。ブルーノ・ブエノ・デ・メスキータの定義によると、1816〜2013年の127件の戦争のうち、民主主義国同士の戦争は1974年のトルコ対キプロス、1993年のインド対パキスタンの2例のみです(72p)。
 これは、民主主義国では議会があり、軍備についても国民に説明する必要があるため、情報の不確実性の問題が少ないこと、威嚇や約束を実行しなかった場合に、国内の有権者からの支持がなくなってしまうコスト(観衆費用)などがあるため、戦争が起こりにくい(起こしにくい)と考えられています。

 一方、独裁国家についての研究も進んでいて、ジェシカ・ウィークスは独裁国を、軍/文民主導、カリスマ的個人/集団指導体制の2つの軸を使って4つに分類し、それぞれの武力紛争の生起確率を調べました。その結果、軍人・カリスマ>文民・カリスマ>軍人・集団指導>文民・集団指導の並びでその確率が大きかったとのことです。ちなみに、北朝鮮は文民・カリスマ、中国は文民・集団指導となります。
 また、民主化は平和をもたらすと考えられていますが、エドワード・マンスフィールドとジャック・スナイダーの研究によれば、民主化したばかりの体制移行国ほど対外冒険的な政策に訴え、戦争をしやすいとのことです。

 この他、民主主義よりも報道の自由が重要という説や、経済的相互依存が平和をもたらすという議論もあります。経済的相互依存に関しては、貿易よりも直接投資が戦争の防止に影響を与えているガーツキーの研究がありますが、これには批判もありはっきりとした結論は出ていないようです。
 国際連合の介入、特にPKOの効果についてもさまざまな研究がなされていますが、停戦合意が存在する場合は、紛争の再起確率を引き下げるという研究もあります。これは紛争当事者間の情報の非対称の問題を緩和するからだと考えられています。

 第4章では内戦がとり上げられています。現代の戦争の多くはこの内戦です。
 内戦には、唯一の政府としての存在を争う「首都をめぐるもの」と。ある国の中の一部地域の「自治権確立、または分離独立をめぐるもの」がありますが(90p)、後者のケースはチェコスロヴァキアの分離などのように交渉で解決することも可能です(ユーゴスラビアのように泥沼化する場合もある)。
 内戦を終結させる難しさはコミットメントの問題にあります。政府側と反政府勢力が一部地域の自治で合意したとしても、その約束を信じて武装解除に応じれば、約束を反故にされる可能性もあります。ですから武装解除をめぐって駆け引きが続くのです。
 
 原因として資源の原因があげられることがありますが(ポール・コリアーなどがこの議論をしている)、著者はサウジアラビアやイランなどの例をあげ、この議論に懐疑的な姿勢をとっています。
 著者がより重視するのは不平等、特に集団間の「水平的不平等」からの説明です。ラース・エリック・シダーマンらは集団間の水平的不平等に関するデータを構築し、政治体制に組み込まれていない集団がいると内戦が起こる確率が上がり、さらに経済的な面で水平的不平等があると、さらにその確率が上がることを示しました(ちなみにこの部分に関しては、マイケル・L・ロス『石油の呪い』の産油国では民主主義が後退するとの研究もあり、内戦に限らず対外戦争も含めれば資源は戦争の原因になり得るのではないか? と思いました)。
 
 内戦に対する介入の効果に関しては議論が分かれている状況のようですが、ここで紹介されていうるルワンダの虐殺事件をめぐるアラン・クーパーマンの議論は興味深いです。クーパーマンは国際社会の問題を認める一方で、ルワンダには大量の兵員や装甲車などを短時間で送り込めるインフラがなく、介入を決断できたとしても効果的な介入を行うことは難しかったと結論づけています(104−106p)。
 先述のフィアロンは、内戦の期間についても研究を行っていますが、それによると「首都をめぐる内戦」が平均3年ほどであるのに対して、「分離独立型の内戦」で、かつ「資源が絡む内戦」だと7〜30年とかなり長期化しています。これは首都をめぐる内戦ではお互いの能力差が早期に明らかになり、情報の非対称性が解消されますが、分離独立型ではそうはならないからだと考えられます(108−111p)。

 第5章は「日本への示唆」へというタイトルで、実際に今まで紹介してきた理論を使って日本の安全保障について論じています。
 まず、日本の国力はCINCスコアによれば2002年、2012年とも世界第5位ですが、中国との差は02年が約3倍だったのに対して12年には約6倍に開いています(116−117p表5参照)。予防戦争論からすると、国力が衰えている国ほどイチかバチかの戦争にかける可能性が高く、日本の意思はともかくとして、外からはその可能性があると見られているかもしれません。
 
 日本は、北方領土問題、竹島・独島問題、尖閣諸島問題という3つの領土問題を抱えています。民主的平和論からすると、戦争のリスクが低いのはお互いが民主主義国家である竹島・独島問題です。また、経済的依存度が戦争のリスクを下げるとの考えからすると、リスクがあるのは経済的依存関係の薄いロシアとの間の北方領土問題です。ただし、日本の貿易依存度は低く、韓国や中国との経済的依存関係が強いと言っても、紛争発生の確率が下がるレベルまでにはいかないとのことです。

 著者らは、領土問題についてさまざまな想定をランダムに割り当てて行うサーベイ実験を行っていますが、紛争中の領土について他国と共同で主権を保持するような形には抵抗が強く、たとえ相手の国力が強くても、かえって自国の主権を主張する態度が強くなる傾向があります。
 全体の16%ほどいた妥協を許さないハードコアな価値不可分主義者は、8割近くが限定された武力行使を、6割が全面的な武力行使を示しています。ただし、ハードコアな価値不可分主義者でも国際機関の仲介に関しては支持を示しています。
 竹島・独島問題について行われた実験でも、二国間交渉で竹島を失うよりも、国際司法裁判所の判決で竹島を失う方が、内閣への不支持が高まらないという結果が出ていますし(136p図13参照)、この国際機関の仲介は日本だけでなく、他国でも一定の支持を得ています。

 自国の平和を維持するには抑止力が重要だと考えられてますが、防衛力を高めることは相手にとって驚異となってしまい、いわゆる囚人のジレンマになってしまうことが多いです。お互いに軍縮をしたほうが利得は高いのですが、相手の軍拡の可能性を考えると双方が軍拡を選択してしまうのです。
 ただし、繰り返しゲームの場合、この均衡は変化する可能性があります。お互いに将来の利得を重視すれば双方が軍縮を選ぶ可能性もあるのです。

 憲法9条についても一種の安全供与戦略だと考えることもできます。憲法9条に問題があったり、時代の変化にそぐわない面があったとしても、憲法改正が周辺国に軍拡のシグナルとして機能してしまうことは考えておく必要があります。
 また、現在のようにSNSが発達し、国境を超えて除法が飛び交うような社会では、軽率な発言が領土的野心などのシグナルとして伝わってしまうこともあります。

 最後の第6章では、マオツの平和愛好国(スウェーデン、スイス、ベネズエラなど)と戦争中毒国(イスラエル、パキスタン、インドなど)のデータを紹介した上で(159p表8参照)、戦争やクーデターの予測に関する研究を紹介しています。著者はさまざまな研究方法を紹介した上で次のように述べています。

 大事なのはどの方法であれ、透明性が高く、科学としての国際政治学の蓄積が増えれば、戦争の原因・平和の条件をさらに明らかにし、そして将来のより正確な予測も可能になると考える姿勢である。過去50年での達成度を考えれば、そして加速度的に進化するデータ社会科学のスピードを思えば、戦争と平和の科学が、信頼できる予測を行う日の到来を楽観的に期待してもよいのではないかと思う。(172p)

 このように本書は一貫して「科学」的に戦争と平和を分析しており、その論旨も明解です。個々の詳しい事例を知っている人だと、「そのロジックは実際に起ったことと違うのではないか」と言いたくなる部分もあると思いますが、「こういうロジックがある」、「このように説明できる」というが重要であり、そのようなロジックや説明が、現実の政治を見る上での一種のガイドの役割を果たすことになるはずです。
 
 ただし、最後の引用した部分については個人的にやや異議があります。確かに、戦争やクーデターの確率をさまざまなデータから推測することには意味があると思います。国際政治や経済活動の参考になるでしょう。
 しかし、人間の行動を扱うという社会科学の性質からいって正確な予測は不可能ではないでしょうか?
 例えば、クーデターの発生がかなりの精度で予測できるようになれば、その国の指導者はそれを見て行動を変えるでしょう。それは少数民族の権利を認めるような政策なのか、部下に金品を配るような政策なのかはわかりませんが、クーデターの発生確率を下げるような行動をとるはずです。社会科学の難しさとは観察する者と観察される者が同じ世界に住んでいることであり、途上国の独裁者も研究者の研究を見て行動を変えることができるのです。

 このように少し「言い過ぎ」ではないかと思われる部分もありますが、面白く刺激的な本であることは間違いないと思います。