2016年に世界に衝撃を与えたイギリスにおけるEU離脱の国民投票における離脱派の勝利、Brexitと呼ばれ、その要因についてさまざまな分析がなされてきました。2020年1月31日についに正式な離脱がなされましたが、離脱派の勝利の要因はいまだに多くの人を引きつける謎でもあります。
 一見するとこの本もそうした本の1つに思えますが、本書の特徴は「どうして離脱派が勝利したのか?」ではなく「どうして正式な離脱までにこんなに揉めたのか?」という問題を中心的に扱っている点です。離脱までの3年半を追いかけることで、イギリスとEUの今までとこれからの関係、イギリスの国内政治に与える影響、そして日本が考えるべき問題が見えてきます。
 Web連載がもとになっていて、専門家が書いたものでありながらジャーナリスティックでもあり、面白く読める内容です。

 目次は以下の通り。
第一章 国民投票から離脱交渉へ
第二章 延期される離脱
第三章 ジョンソン政権による仕切り直し
第四章 「主権を取り戻す」から国家の危機へ
第五章 北アイルランド国境問題とは何だったのか
第六章 再度の国民投票、離脱撤回はあり得たのか
第七章 離脱後のEU・イギリス関係の選択肢
第八章 イギリスなきEU、EUなきイギリスの行方
終章 ブレグジットは何をもたらすのか

 まず、「はじめに」で著者が指摘しているように、Brexitは必然ではありませんでした。賛成51.9%、反対48.1%と僅差でしたし、若年層が「残留」、高齢層が「離脱」というはっきりした傾向を示していたことを考えると(18p図表1参照)、数年後に投票が行われていたら賛否は逆転していたかもしれません。
 そして、次のポイントがBrexitはイギリスだけでなく、EUにとっても大きな問題だということです。ここで対処を誤れば次なる離脱が起きかねません。

 国民投票は残留/離脱の二択で行われました。だからEUに残る(100)か離脱する(0)という話だと多くの人が理解しましたが、著者はこれこそがボタンの掛け違いだったと見ています。離脱後のイギリスとEUの関係にはさまざまなグラデーションがあり、0か100かの問題ではなかったのです。
 ハード・ブレグジット派は「主権を取り戻す」とのスローガンのもとで欧州司法裁判所の管轄権の廃止などを求めましたが、それではソフト・ブレグジット派の求める単一市場は維持できません。こうした思惑の違いの中でメイ政権は迷走を続けました。

 2018年11月、メイ政権は交渉の末、EUとの離脱協定案をまとめ上げます。しかし、その案は否決され続け。メイ首相の辞任に行き着きました。
 これは北アイルランドとアイルランドの自由な国境を維持するための「安全策(バックストップ」がネックとなり、強硬離脱派の保守党の議員の支持を得られなかったからです。この北アイルランドの国境問題は第5章で詳述されていますが、場合によっては北アイルランドの現状を維持するために、いつまでもイギリスがEUの関税同盟から抜けられないという警戒から、メイ政権のまとめた協定案は反発を受けました。
 結局、2019年1月、そして3月と協定案は否決されます。メイ首相は労働党との協議で、合意案を承認するための国民投票を提示しますが、これが保守党内の強硬離脱派の反発を生み、5月24日にメイ首相は万策尽きて退陣します。

 2019年7月、ボリス・ジョンソンが首相になります。ジョンソンは「合意なき離脱」も辞さずという姿勢をとってEUとの再交渉に臨みました。ジョンソンは「やるか死ぬか(do or die)」というスローガンを掲げ、強硬な姿勢を示しましたが、ジョンソンだからこそ強硬派を抑え込み、ブレグジットに大きな変更を加えることができるという期待も混じっていました。一方、強硬派から見るとメイ政権の協定案の3回目の投票で賛成票を入れるなど、ジョンソンに対して100%信頼できない部分もあったのです。

 強引に「合意なき離脱」に持ち込むかと見られてもいたジョンソンでしたが、10月17日に新たな合意案をまとめ上げます。これは北アイルランドの自由な国境を維持するための「安全策」をイギリス全土ではなく北アイルランドに限るというものでした。しかし、19日に迫っていた期限内にこの合意案を議会で通すことはできず、ジョンソンは下院の解散へと動きます。
 そして、ジョンソンはこの賭けに勝ちます。保守党は650議席中365議席を獲得したのです。ただし、保守党は大勝したものの得票率は43.6%。ブレグジット党の2.0%を足しても過半数にはなりません(102−103p)。ジョンソンの「離脱に決着をつける(get Brexit done)」という主張は支持されたものの、ブレグジットに関する世論は変化しなかったとも言えます。
 こうして2020年1月末でのEUからの離脱が決まったのです。

 このように前半の第1章〜第3章は時系列的に離脱に向けた動きを追っています。そして、第4章以降は、EU離脱が持つ意味を改めて問い直しています。
 まず第4章では、著者はブレグジットを国家の危機と捉えています。

 結論を先取りすれば、EU離脱によって「主権を取り戻す」はずだったイギリスは、離脱によってさらに主権・影響力を失い、さらには連合王国としての自国の存続自体が危機にさらされる事態となっている。皮肉や逆説といった言葉を気軽に使いのが憚られるような帰結である。(108p)

 離脱派はイギリスの主権がEUによって奪われていると感じでいましたが、EU加盟国だからこそ、イギリスは単独で行使できる以上の影響力をヨーロッパと世界で行使できていたという面もあります。実際、EC懐疑派として認識されているサッチャーも、市場統合によってイギリスの利益を最大化しようとしていました。EU予算におけるリベート(払い戻し)などもサッチャーがEUから勝ち取った権利です。しかし、今回の離脱でイギリスはその特別待遇を失ったのです(もし再加盟したとしても今の立場は恐らく獲得できない)。
 
 EUは域内、そして域外にも影響を与えるさまざまなルールを策定してきましたが、今後イギリスは「ルールメーカー」から「ルールテーカー」に転落する可能性が高いです。離脱派は離脱によってEUのルールを無視できると考えましたが、EUとの貿易を続けようとすればより規模の小さいイギリスはEUのルールを受け入れざるを得ません。
 イギリス出身の元EU高官が「抜けるのが無理なのがEUで、そのように作ったのだ」と述べたという話からもわかるようにEUからの離脱は想像以上に難しいもので、メイ首相も「自分が想像したよりも厳しかった」と認めています(120p)。

 また、「憲政危機」という言葉も使われました。ジョンソン首相による議会の停会の強行など、今までの常識(コモンセンス)では考えられないような事態も起こりました。著者はその背景に、ジョンソン政権のドミニク・カミングス顧問の影響も見ています。彼は世論分析の専門家で政治家ではありません。「非政治家に乗っ取られた政権」(124p)と言うことも可能です。
 ブレグジットは連合王国の将来にも暗い影を投げかけました。EU残留派が多数を占めるスコットランドでは、2014年の住民投票で1度は抑えられた独立への動きが再燃するでしょうし、北アイルランドの問題をめぐって明らかになったのは、連合王国の他の地域と分離してでも離脱を実現したいというイングランド・ナショナリズムでした。

 第5章ではブレグジットにおいてもっとも厄介な問題となった北アイルランドの国境問題が詳しくとり上げられています。
 この問題の難しさは国境の自由な通行がアイルランド和平の1つの条件となっていたからです。イギリスがEUから離脱すれば、当然ながら北アイルランドとEU加盟国のアイルランドの間の国境で税関などの検査が必要となります、ところが、98年に成立した和平合意では北アイルランドとアイルランドの自由な往来が取り決められていました。
 この問題はEU離脱後の移行期間の中で開かれた国境を維持するための措置が取られることになっていましたが、移行期間内に適切な措置がとれないケースも考えられます。そのたまに導入されたのが「安全策(バックストップ)」です。EUとイギリスの間で「共通関税領域」のつくり、北アイルランドの開かれた国境維持のため、イギリスがEU関税同盟に残留するというものでした。
 しかし、離脱派はこれによって永久にイギリスがEUの関税同盟に残留させられる可能性があると強く反発したのです。

 問題の解決策としては、(1)北アイルランドとアイルランドの開かれた国境をあきらめる、(2)イギリス本土と北アイルランドの間に境界線を引く、(3)北アイルランドを含めたイギリス本土をEUの関税同盟内に置く、という3つのものがありますが、(1)はアイルランド和平の否定につながり、(2)は連合王国の一体性を毀損、(3)は離脱派にとっては容認し難いというもので、どの選択肢も問題を抱えていました。
 メイ政権はとりあえず(3)の選択肢を選びましたが失敗し、ジョンソン政権は(2)を選択しました。「ジョンソンは外相時代に北アイルランド国境問題などという「小さな問題が大きな問題(ブレグジット)を左右するのを許していること事態が信じられない」と発言して」(152p)おり、連合王国の一体性についてはそれほど深刻に考えていなかったことがうかがえます。
 ただし、もしイギリス本土と北アイルランドの間に境界線が引かれれば、アイルランド統一の声が高まっていくことが予想されます。

 第6章では、サイドの国民投票による離脱の撤回はあり得たのか? という問題を検討しています。
 先程述べたように、離脱協定についての国民投票を行うというメイ首相の提案が保守党内からの反発を生み、メイ首相は退陣に追い込まれました。国民投票はその選択肢の設定が難しく(協定案への賛否を問うだけだと、残留派も合意なき離脱派の双方が反対することになる)、国民投票を行ったとしてゴタゴタに全て片がつくというものではなかったからです。
 ブレグジットに対する世論については、2017年後半以降、一貫して「誤り」とする人びとが「正しい」という人の割合を上回っていましたが、「誤り」だとする人の割合も50%を超えたことはなく(170p図表7参照)、再度の国民投票で残留派が勝利するという保証はありませんでした。
 また、イギリスにあった欧州医薬品庁や欧州銀行監督局はすでに移転を済ませており、残留を表明したとしても、EU内においてイギリスが今までのようなプレゼンスを持てるかは不透明でした。

 第7章と第8章では、離脱後のイギリスとEUの関係が展望されています。
 ノルウェー、スイスなど、ヨーロッパにはEUに加盟しながらEUと緊密な関係を保っている国があります。しかし、ノルウェーはECJの管轄権を認めていますし、スイスは人の移動の自由やEUの規制を受け入れ、両国ともEUへの予算を拠出しています。「バルニエの階段」(バルニエはEU側の首席交渉官)と呼ばれる188pの図表8を見る限り、「主権を取り戻す」ためにはカナダや韓国のようなEUとFTA関係を結んでいる国のような立場にならざるを得ないのです(現在では日本もEUとの間にEPAを締結しているので「主権を取り戻す」にこだわった場合のイギリスは日本と同じ立場になる)。
 
 先述したようにジョンソン合意は、いざとなったら北アイルランドを切り離すことを想定したものだとも考えられ、ジョンソンは北アイルランドを犠牲にしても「主権を取り戻す」事にこだわったとも言えます。イギリスはEUの規制を受け入れずにすむわけですが、これによって雇用や環境に対する規制水準が低下することも警戒されています(それがジョンソンの狙いだという考えもある)。
 ジョンソン合意における移行期間は2020年12月末までで、残された時間はわずかです。この期間にFTAが締結できなければ、結局は「合意なき離脱」に近い状況に陥るかもしれません。

 ブレグジットをめぐってイギリス国内が迷走する間、EUでは着々とイギリス外しが進んでいました。首脳レベルから事務レベルまで、さまざまな会合がEU27(イギリス抜き)で行われることが増えたのです。
 しかし、イギリスは必ずしも「厄介なパートナー」だったわけではありません。オランダやデンマークなど、外交における米欧協力の重視、自由貿易推進を掲げる国にとってイギリスはフランスなどに対抗するときの頼りになるパートナーでした。EUの中心である仏独を牽制できる第三の力がイギリスだったのです。
 また、EU内で最大の非ユーロ参加国だったイギリスが抜けることは、同じ非参加国のスウェーデンやデンマークの周辺化を招くかもしれません。EU内でもコアメンバーとそれ以外で階層化が進むかもしれません。
 
 外交面においてイギリスがいなくなることはマイナスではありますが、安全保障面などでは、EUとしての結束が強まるかもしれません。
 EUというパワーを失うことでイギリスの外交的な影響力は後退すると考えられます。それを補うかのように「グローバル・ブリテン」という構想が掲げられ、例えば、アメリカとのFTAやTPPへの参加なども検討されています。しかし、EUから抜けたことでイギリスの交渉力は確実に落ちています。弱みを見せながらの交渉となるのです。
 また、EUの玄関口(ゲートウェイ)としての地位を失います。特に日本は伝統的にイギリスをゲートウェイとしてヨーロッパ戦略を考えてきただけに、新たなゲートウェイを考える必要が出てきます。

 終章で、著者は2016年のBrexitとトランプ勝利後の世界について次のように述べています。

 トランプ政権になってからのNATO首脳会合やG7首脳会合などは、ツイートを含むトランプ大統領の言動により壊滅的にならなければ、「最悪の事態は回避された」としてポジティブな評価が与えられる。何をもってよしとするのか、何が当たり前で、何が当たり前でないのかに関する我々の判断基準自体が、大きく変化してしまった。このことが気づかれにくくなっているとすれば、それこそが最も懸念すべき事態なのだといえる。(238p)
 
 これに加えて著者は新しく就任したフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長が「我々のヨーロッパの生活様式の促進」を担当するポストを創設したことをあげ、この「ヨーロッパの生活様式」という概念に注意を向けています。これは新たな分断を生み出しかねない用語であり、分裂する世界を象徴する1つの言葉となるかもしれないのです。

 最初にも書いたようにWeb連載が元になっておりその時々の状況に応じて書かれたものです。そのため前半に関してはその時々の状況に関する記憶を思い出しながら読むような感じになり、ニュースを追っていなかった人には少しわかりにくい部分もあるかもしれません。
 ただし、そうした時事的な連載であるながら最終的には国際政治の大きな問題にまで引っ張っていってくれるのがこの本の魅力です。今後のイギリスとEUの関係のみならず、今後の世界を占うためにも役に立つ本です。