副題は「国際政治から見る感染症と健康格差」。新型コロナウイルス問題を受けて、これから感染症についての本のリリースラッシュが続くのではないかと思われますが、本書のポイントは「国際政治から見る」という点にあります。
 今回の新型コロナウイルスの問題も見てもわかるように、感染症はまさに国際問題です。ウイルスはやすやすと国境を越えますし、自国が抑え込みに成功しても他の国で流行が続いていれば、国をまたいだ活動は難しくなります。
 だからこそ、WHOがつくられ、国際的な感染症対策が行われ、その1つの成果として天然痘は根絶されました。しかし、今回の新型コロナウイルスをめぐる米中の鞘当などを見ても、常に国際社会が協力して病に立ち向かうわけではありません。
 そうした力学を、国際政治の面から読み解いたのが本書です。ここでは、大国や大企業の打算がせめぎ合っていますが、同時に平時の対立関係を越えた協力も行われています。
 企画から5年かかったということですが、まだにドンピシャのタイミングで書き上げられた本と言えるでしょう。

 目次は以下の通り。
序章 感染症との闘い
第1章 二度の世界大戦と感染症
第2章 感染症の「根絶」
第3章 新たな脅威と国際協力の変容
第4章 生活習慣病対策の難しさ
第5章 「健康への権利」をめぐる闘い

 本書はペストの話から始まっています。14世紀の中世ヨーロッパを襲い人口の1/3近くを犠牲にしたと言われるペストは、その後もたびたびヨーロッパを襲いました。19世紀末にペスト菌が発見されるまで、ペストに対しては腐敗した食物や空気の汚染によって起こるという瘴気説(身アスマ説)と、人の体内で毒素が変成され、それが他者に伝染るという感染説(コンテイジョン説)がありました。前者では対策として疲れない生活や郊外への避難が推奨され、後者では検疫と隔離が推奨されました。

 19世紀、植民地支配の広がりとともにヨーロッパに入ってきたのがコレラです。コレラはベンガル地域の風土病でしたが、19世紀になると世界中に広がりました。
 感染のメカニズムはわかりませんでしたが、不衛生な環境が問題だとして、コレラ対策として下水道の整備など公衆衛生インフラの整備が進むことになります。また、フランスやドイツはインドでの対策や検疫の教化などをイギリスに求めましたが、瘴気説をとるイギリスは検疫の強化よりも公衆衛生に対策の力点を置きました。
 スエズ運河が完成すると、イギリスはその支配のために1882年にエジプトを保護国化します。しかし、翌83年にエジプトでコレラが流行します。翌84年にはフランスのマルセイユとトゥーロンでコレラが流行しすると、イギリスに対して検疫を求める声は強まり、1903年に史上初の国際衛生協定が結ばれます。
 このコレラはクリミア戦争でも流行し、戦死者よりも多くの死者を出しました。このクリミア戦争はナイチンゲールが活躍してもでも有名で(ただし、病院の下水が漏れて飲料水に混入していたことには気づけなかった(21p))、こうした流れの中で1863年には赤十字国際委員会が設立されます。

 こうした感染症の脅威が改めてクローズアップされたのが2度の世界大戦です。
 第一次世界大戦といえば、何といってもスペイン風邪が有名ですが、バルカン半島の戦線ではマラリアが猛威をふるいました。
 そして大戦の終盤にスペイン風邪が登場します。スペイン風邪と呼ばれていますがアメリカで発生した新型のインフルエンザで、アメリカの参戦とともにヨーロッパ、そして全世界へと拡大しました。参戦国が士気の低下を恐れて病気の流行を報道しない中、中立国のスペインから情報が発信されたためにスペイン風邪という名前で知られるようになります。正確な犠牲者の数はわかっていませんが1918〜23年にかけて全世界で7500万人が犠牲になったという統計もあります。

 大戦後にはさらにチフスが流行することとなりますが、このチフスへの対処が国際的な感染症対策のきっかけとなります。
 チフスはもともとロシアやセルビアの風土病でしたが、大戦中の人の移動、ロシア革命からの逃れる人々などによって拡大していきます。このときポーランドが支援を依頼にしますが、これに応えようとしたのがアメリカ人のでヘンリー・ダヴィソンでした。彼は調査団を派遣し、新たにできた国際連盟に支援を求めます。連盟の初代事務総長のドラモンドは自らイニシアティブをとって1920年に国際保健会議を開き、そこでポーランドへの支援とともに国際連盟に常設の保健機関を設立することが決まり、国際連盟保健機関が設立されます。

 国際連盟保健機関の取り組みとしては、まずマラリア対策があげられます。1924年に設立されたマラリア委員会はロックフェラー財団の資金を得て、専門家の育成や植民地の調査などを行いました。また、感染症情報の管理を行い、感染症情報のネットワークの構築を助けました。他にも血清やビタミンの国際標準化なども行っています。
 また、この国際的な保健事業は政治的対立の緩和剤として用いられるケースもありました。ドイツは当初連盟から排除されていましたが、ドイツは医学の先進国であり、保健分野ではドイツとの協力関係が模索されました。日本も、1933年に連盟を脱退しますが、その後も保健事業にはとどまって38年まで協力を続けています。
 
 この時代には、サルファ剤、ペニシリン、抗マラリア薬クロロキン、殺虫剤のDDTなどが登場し、病気や感染症に対する対処法も徐々に整っていきました。
 その結果、第2次世界大戦では感染症による死者は大きく抑えられています。ただし、国際連盟保健機関の活動はもっぱら連合国相手のものとなり、連合国陣営を助けるものとなりました。

 こうした流れを受けて第2次大戦後にWHO(世界保健機関)がつくられます。
 WHO憲章起草のための国際会議にはドイツや日本といった敗戦国も呼ばれるなど、国連非加盟国にも加盟の道が開かれ、植民地などの非自治地域に関しても準加盟資格を認めました。
 冷戦の影響で憲章の批准が遅れたり、本部をどこに置くかで米ソが対立したりしましたが、1948年にWHOは発足しました。
 
 戦後、医学の発達とともに感染症対策も進みましたが、本書では天然痘、ポリオ、マラリアという3つの感染症をとり上げています。
 まず天然痘ですが、これは成功例になります。天然痘は18世紀末にジェンナーが種痘による予防法を発見するまでは患者の隔離くらいしか対処法のない病気でした。この種痘によって天然痘の死者は大きく減りますが、常温では2,3日しか持たず、天然痘の流行は断続的に見られていました。ところが、50年代末にフリーズドライの手法が確立し、先進国で製造したワクチンを熱帯地域にも届けることができるようになります。
 こうした中で、それまで代表を派遣してこなかったソ連が58年の世界保健総会に代表を派遣し、天然痘撲滅を訴えます。これはマラリア撲滅を掲げていたアメリカに対抗する意図もあったと考えられています。当初、西側はソ連のこの提案に乗り気ではありませんでしたが、60年代になるとベトナム戦争で国際的な威信を低下させたアメリカがこの動きに乗ってきます。そして、この米ソの協力と、ワクチンや接種法の改善、WHOの尽力などもあって1980年に天然痘の撲滅が宣言されるのです。 

 ポリオは子どもに身体麻痺を引き起こす病気ですが、感染しても発症しない人が多いのも特徴です。このポリオに対しては1950年代に不活化ワクチンと生ワクチンという2つのワクチンが開発されたことで対策が進みました。
 生ワクチンは安価で接種が容易という長所がありましたが、開発されたアメリカではすでに不活化ワクチンが普及しており、被験者となれる人は多くはありませんでした。そこで生ワクチンの大規模臨床実験が行われたのは、冷戦でアメリカと対立しながらポリオの流行に悩んでいたソ連でした。この治験の結果、WHOでも生ワクチンの有用性が認められ、世界で広く使われることとなりました。ただし、生ワクチンにはまれに麻痺症状を引き起こすことがあり、先進国を中心に不活化ワクチンのみが使われている国も多いです。
 このポリオに関しては未だに撲滅されてはいません。その理由として必ず症状が出るわけではなく患者が見つけにくいこと、紛争地域などでワクチン接種ができないことがあげられています。
 
 マラリアに関しては、先ほども触れたようにアメリカが力を入れていました。DDTの散布によりマラリアを媒介する蚊の根絶は可能と考えられたからです。実際、1951年にはアメリカでマラリアの患者は見られなくなり、55年からWHOのマラリア根絶プログラムが始まりました。
 しかし、この計画はDDTに耐性を持つ蚊の出現とクロロキンの効かない症例の出現によって挫折します。また、レイチェル・カーソンが『沈黙の春』でDDTの有害性を告発したこともあり、69年にはWHOのプログラムは中止されました。
 このように挫折したプログラムではありましたが、マラリアの患者を減らしたのも事実であり、このプログラムはグローバルな保健事業の土台を形成したとも言われます。
 近年、マラリアは再び注目を集めており、SDGsにもマラリアの抑制が入りましたし、ゲイツ財団も対策に力を入れています。ここでは住友化学が開発した防虫剤処理蚊帳も活用されています。

 天然痘のように撲滅に成功した感染症もありますが、同時に新しい感染症の脅威も広がっています。
 まずはエイズです。HIVに感染することによって起こりますが、現在新規の感染者は減りつつあるものの、患者の約7割がサブサハラ・アフリカに集中していて、この地域の人々の健康や寿命を大きく損なっています。
 このアフリカに集中しているという事実は、ときに「国際的な機関や先進国がアフリカ諸国に特別の対策を勧めることは、アフリカの性道徳に関する先進国の思い込みを感じさせ、屈辱的な思いにさせ」(118−119p)ることもあったといいます。
 ただし、95年に国連合同エイズ計画が設立されると国際的な対策が取られるようになりました。PKOの活動地域とHIVの流行地がほぼ重なっていることもあって(121p図3−5参照)、エイズは安全保障上の問題とも捉えられ、対策のための資金が集まるようになり、治療へのアクセスも向上しています。

 2002年末〜03年初頭にかけて中国南部で発生したのがSARSです。03年の3月には香港、上海、ハノイ、シンガポールでも流行が見られ、WHOは「世界規模の健康上の脅威」だとして広東省・香港への渡航自粛勧告を出しました。
 約800人の死者を出したものの、感染が始まって8ヶ月で流行の終息が宣言されたことはWHOの判断と指揮に基づく国際協力の成果でしたが、このときの渡航自粛勧告については効果の割に経済的な損失が大きかったとの声も出てくることになりました。

 2014年にエボラ出血熱が西アフリカで流行しましたが、エボラウイルス自体はすでに知られていたウイルスでした。それまでの流行は1国の規模にとどまるものでしたが、14年から始まった流行は複数の国にまたがり、終息に2年近い月日が必要でした。診断が難しかったこと、流行地域が紛争地域だったこともあってWHOの対応は遅れます。しかし、2014年9月の国連総会で「国連エボラ緊急対応ミッション」が設立されたこともあり、その後は抑え込みに成功していきます。

 さらに本書では、わずかではありますが新型コロナウイルスも扱っています。国際政治に関連すると、何といってもこの病気と米中対立の行方が気になりますが、冷戦期のポリオワクチンを米ソが協力して開発したことからもわかるように、国際保健事業が関係国の協力を深める契機になることもあるのです(今の所見られませんが)。

 本書の第4章では生活習慣病についても扱っています。WHOは感染症だけではなく生活習慣病の予防にも取り組んでいます。
 感染症とちがって生活習慣病の予防には政治的な要素はないように思えますが、そうではありません。例えば、糖分の過剰摂取はさまざまな病気を引き起こすために、WHOでは糖分の摂取量に関するガイドラインを作成していますが、これに対してアメリカの食品業界や砂糖産業が様々な手段で抵抗をしました。ガイドラインでは1日の糖分摂取量を25g程度に押さえれば健康効果は増大するとしているのですが、炭酸飲料350ccには約40gの糖分が含まれています。
 他にもWHOはFAOと健康な食事についてのガイドラインを出しており、それに基づいて各国がフードガイドを出していますが、アメリカで穀物・野菜・果物を序列の上に置いたフードガイドを作成したところ、肉と乳製品のロビイストから圧力を受け発行中止に追い込まれました。

 たばこについては国際的な規制が進んだと言える分野ですが、ここでもたばこ業界とそれを抱える各国からの抵抗があります。たばこに対する国際的な規制のために1995年から条約締結のための交渉が始まりましたが、アメリカ(特に共和党政権)はたばこ業界からの要請もあって消極的な姿勢を見せましたし、当時、世界4位のたばこ会社であるレームマツ社を抱えていたドイツもたばこ広告などの規制に対して表現の自由に反するとして抵抗しました。JTインターナショナルの大株主である日本政府も「マイルド」や「ライト」などの文言の使用禁止に反対しました。
 しかし、WHOがNGOなどとも協力して世論を盛り上げたこともあって2003年にたばこ規制枠組み条約が採択されました。本書の183〜184pには北朝鮮でもこの条約が批准され、わずかながらでもたばこの規制が始まったことが書かれています。

 最後の第5章では「「健康への権利」をめぐる闘い」と題し、国際的な健康格差をと論じています。
 まず、とり上げられているのが医薬品へのアクセスです。特に途上国では価格の問題によってなかなか医薬品にアクセスできないという問題があります。日本では薬価はかなり規制されていますが、途上国では規制が不十分で、一部の薬品を除いてかなり高額になってしまっているケースもあります。特許などの問題もありますが、近年ではMPPと呼ばれる先進国の医薬品メーカーから特許のライセンスを受けて途上国の製薬会社にサブライセンスする組織の登場や、NGOなどのはたらきかけによって医薬品へのアクセスが改善している分野もあります。
 
 ただし、製薬会社は売上の多くを先進国で占めており(アメリカで世界全体の33%を占める(197p))、研究開発費も先進国向けの薬に振り向けられています。
 そこで問題となっているのは「顧みられない熱帯病」と呼ばれる病気です。これにはデング熱やトラコーマ、リンパ系フィラリア症(象皮病)などが含まれ、年間53万人の死者が出ているとされています。しかし、貧困地域に多く、またマラリアやエイズほどの派手さもないため、対策は遅れています。ただし、08年の洞爺湖サミットでこの問題がとり上げられて以降、次第に対策も動き出しているとのことです。
 
 このように本書は病というものを国際政治の観点から概観しています。人類がある病を克服できるかどうかは、科学と政治という2つの歯車が噛み合うことが必要だということがわかる内容になっています。
 現在の新型コロナウイルス対策では、米中対立やWHOの政治性がクローズアップされていて、どちらかというと「政治が邪魔をする」局面が目立っているようにも感じられますが、本書に書いてあるように、国際連盟脱退後の日本も保健分野では協力体制を継続しましたし、冷戦下でも保健分野では米ソの協力がありました。感染症などと戦う保健分野が、新たな国際協調を生み出す可能性を持つことを教えてくれる本でもあります。