「事実は小説より奇なり」という言葉がピッタリとくる本です。
 本書は選挙マニアでブログなどを執筆している著者が、選挙にまつわる驚くべき話をまとめたものになります。267人も立候補者が出た村長選、「死んだ男」が立候補した都知事選、日本なのに選挙権が剥奪されていた地域など、考えられないような話が続くのですが、それらをトリビア的に消費するのではなく、丁寧に説明しているのが本書の特徴と言えるでしょう。
 ここでとり上げられているのは、かなり極端な話が多いですが、そこから選挙制度について改めて考え直すヒントが得られるような内容になっています。

 目次は以下の通り。
第1章 死人が立候補した都知事選
第2章 267人もの立候補者が出た村長選
第3章 選挙前に人口が増える「架空転入」の村
第4章 投票所が全焼、水没、連絡が取れない……
第5章 選挙権が剥奪されていた島
第6章 書類送検、辞職で議員がゼロに
第7章 450万円で立候補を取りやめさせる
第8章 無言の政見放送が流れた参院選
第9章 選挙で荒稼ぎする方法

 選挙戦の最中に候補者が亡くなってしまうことがあります。有名なところでは80年の衆院選の最中に大平首相が亡くなったことがありましたし、07年には長崎市長選の最中に現職の伊藤市長が銃撃されて亡くなりした。
 しかし、実は死んだはずの人が立候補していた事件というものもあったのです。1963年の東京都知事選において橋本勝(かつ)という候補者がいたのですが、この橋本勝は戸籍上、すでに死んでいたのです。この顛末を追ったのが第1章です。

 この橋本勝という候補者、選挙公報に「青少年非行防止のため女の人造人間を数万体造って東京都周辺にその部落を造り青年のエネルギー発散場所をつくってやる」(15p)と書くような、かなり強烈な人物だったのですが、東京都の選挙管理委員会が本籍地の大阪市福島区役所に問い合わせたところ、彼がこの年の2月に死んでいたことが判明したのです(選挙は4月)。
 選管は「候補者の橋本勝」には被選挙権がないと判断し、彼への得票は無効票とすることを決定します。
 
 では、なぜこのような候補者が出てきたのでしょうか? ヒントになるのがその名前です。この63年の都知事選は東京オリンピックを控え、現職の東龍太郎に革新統一候補の阪本勝が挑む構図でした。
 この阪本勝の名前に注目してほしいのですが、「橋本勝」と似ています。この選挙には右翼系の泡沫候補が大挙して立候補しており、いずれも自らの当選を目指すよりも阪本勝の選挙活動を妨害するために立候補したような候補でした。おそらく、橋本勝もそうした阪本勝の選挙を妨害するための候補の一人だったのでしょう。似たような名前で有権者の誤認を誘う作戦です(中山勝という候補もいた)。
 選挙後、自民党の選挙対策本部の事務主任であった松崎長作(戦中、諜報機関にいた人物)が逮捕されますが、その下にいた肥後亨という人物も逮捕されます。そして、この肥後が橋本勝、さらには中山勝の背後にいた人物だったのです。おそらく組織的な選挙妨害の一環だったと考えられます(肥後が拘置所内で死亡したため、真相はよくわからない)。
 ちなみに、「橋本勝は一体誰だったのか?」という謎についても著者はフォローしているので、興味を持った人は本書を読んでください。

 第2章では、267人も立候補者が出た1960年の栃木県桑絹村の村長選をとり上げています。このときの村の人口は約17000人。そんな小さな村でこれだけの大量立候補があったのです。
 この絹桑村は絹村と桑村が1956年に合併してできた村でしたが、実は絹村は「結城紬」の生産地であり、隣接する茨城県結城市とのつながりが深く、桑村とではなく結城市との県を超えた合併を目指す地区もありました。
 しかし、栃木県は「昭和の大合併」が行われる中で、桑村と絹村の合併を急ぎます。県当局がとりあえず合併して、その後に絹村南部地区は結城市との越境合併を目指せばとよいと言ったことから、絹村も合併を認めることになるのですが、その後に県が「合併後の分村は認めない」と言い出したことから、この問題は地域を巻き込んだ闘争へと発展します。
 絹村の南部の7つの集落は納税を拒否し、村政との絶縁を宣言するなど対決姿勢を強めます。さらに子どもを結城市の学校に集団転校させようとし、57年の村議選は集団でボイコットしました。さらには分村派と反対派の間で、農作物の抜き取りや放火騒ぎまで起きたと言います。
 
 そんな中で、桑絹村の伊沢村長が亡くなったことから村長選が行われることになります。そして、このときに分村派の住民が大量立候補を行ったのです。
 桑絹村全体では分村派は少数でした。桑村の住民、絹村北部の住民は分村反対派であり、まともに候補を立てても分村派が勝つ見込みはありませんでした。そこで世間にアピールするためにとられた戦術が大量立候補でした(大量立候補は59年の栃木県栗野町の町議選でも行われていた)。当時の村長選は立候補を数日に渡り受け付けていましたが、1日目に18名、2日目に16名、3日目に205名と立候補が相次ぎ(52pに205名の立候補者名が書かれた新聞紙面が紹介されている)、最終的には267名になりました。
 中島という集落では被選挙権を持つ25歳以上全員が立候補したと言いますし、25歳から84歳まで分村派は全勢力をあげて立候補を行いました。立候補の取り下げもあり、最終的に202名まで減りましたが、それでも前代未聞の人数でした。

 結局、190名は得票数0に終わり選挙は桑村派の候補が勝利します。では、この大量立候補が無駄だったかというと、そうではありませんでした。
 選挙後に自治省の視察が行われ、南部7集落を結城市に合併させるという斡旋案が提示されたのです。しかし、これに栃木県と絹桑村が反発、用水を使わせないなどの「水攻め」が行われたりした結果、最終的には分村なしに落ち着きます。さらに65年に絹桑村が小山市と合併したことで、絹桑村自体もなくなりました。

 第3章では、選挙目的の架空転入をとり上げています。地方自治体の選挙に参加するためには3ヶ月前から当該自治体に継続して住民登録をし、居住実態があることが必要ですが、裏を返せばこの要件を満たせば特定の候補者を応援するために転入することも可能です。オウム真理教の麻原彰晃が90年の衆院選に旧・東京4区から立候補したとき杉並区の教団施設に200人以上が転入しています(告発されたが結果は不起訴)。
 本書では、村の人口の約5%にあたる128人が転入してきた1995年の栃木県栗山村の村長・村議選、選挙自体が無効になった1981年の滋賀県虎姫町の町議選を中心に取り上げています。
 特に虎姫町の町議選は、最高裁まで行って、大量の架空転入が疑われるのにもかかわらず形式的な照会のみで選挙人名簿を作成したのは違法で選挙は無効という前代未聞の判決が出ています。
 なお、栗山村も虎姫町も議会定数の変動がこのような不正の引き金となっていたことも指摘されています。

 第4章では突発的な災害によって投票ができなくなってしまったケースをとり上げています。比較的よく聞くのは台風などの来襲が予想されるために繰上投票が行われるケースですが(2017年の衆院選において台風が来襲したために九州・沖縄地方の離島を中心に繰上投票が行われた)、例は少ないながらも、突発的な災害などのために繰延投票が行われることも行われたこともあるのです。
 地方選挙では台風来襲を理由とする2014年沖縄県豊見城市長選、大津波警報が理由の2010年青森県おいらせ町長選などがありますが、国政選挙となると、1947年の参院選における長野県飯田市の一部、1965年の参院選における熊本県五木村と坂本村の一部、1974年の参院選における三重県御薗村および伊勢市の一部で起きた3例のみだと言います。

 47年の飯田市では4月20日の参院選の選挙当日に大火事が起きて各地の投票所も焼けてしまいました。このときは5日後の25日に衆院選が予定されていたことから、この日に参院選の繰延投票が行われることになりました。
 当時、参院選は地方区と大選挙区の2本立てで、しかもこのときは初回だったために上位当選者は任期6年、下位当選者は任期3年という変則的な仕組みとなっていました。そこで何が起きたかというと全国区の順位をめぐる延長戦です。100位の当選ラインが1000票ほど、任期が3年か6年かの50位の攻防も2000〜3000票差だったために、候補者15名が飯田市に殺到したのです。
 被災した有権者としては「それどころではない」という反応もありましたが、結果的に事前の予想を上回る人が投票に足を運びました。

 65年の五木村と坂本村の一部のケースは、事前に大雨で道路が寸断されてしまい、複数の自治体から繰延投票を求める声があがりました。自治省が難色を示したこともあり、最終的には五木村と坂本村の一部のみで繰延投票が行われることになります。
 当初は7月4日に投票が予定されていましたが、1週間の繰延で11日に投票が行われることになります。繰延投票の対象となった有権者は約1万人で、この票にかかわらず熊本県選挙区の当選者は動かない情勢でした。しかし、ここでも全国区の補充枠においてはこの票が意味を持つ可能性がありました。改選数は52で50位までは任期が6年、51位と52位は任期が3年になります。そこで50〜52位の候補が被災地へと向かったのです。この選挙戦では反発を避けるために大声で呼びかけるようなことはしない一方で、ポスター貼りは徹底されていて「水害で流れてきた流木や岩石にまでポスターが貼ってあった」(108p)そうです。
 ここでも50位の逆転劇は起きなかったものの、投票率は前回のものを上回ったそうです。

 74年の御薗村および伊勢市の一部のケースは、投票が終わった後に大雨のために投票所に行けなかった人がたくさんいたことが判明したケースです。中には眼鏡や雨合羽をなくしつつも15メートルを泳いで投票所にたどり着いた70歳という猛者もいましたが(111−112p)、投票所の周辺が首のあたりまで浸水していて投票所に行けなかった人が多かったのです。
 結局、全国で70%近い投票率があったにもかかわらず伊勢市は30%ほどで御薗村は44%。この投票率が決め手となって繰延投票が行われることになります。
 ここでも三重県選挙区の結果は決まっていたのですが、全国区の順位をめぐって候補者がこの地域にやってきました。ダンプカーやバキュームカーを投入して復旧活動を手伝う候補もあり、繰延投票では77%を超える高投票率を記録しました。ただし、順位の逆転は起きなかったとのことです。

 第5章は東京都の青ヶ島がとり上げられています。実はこの島、れっきとした日本の領土でありながら戦後の10年ほど投票する権利が剥奪されていたのです。
 投票する権利は憲法で保障されものですが、公職選挙法第8条に「交通至難の島その他の地域において、この法律の規定を適用し難い事項については、政令で特別の定をすることができる」(121p)という規定があり、これをもとにした政令で青ヶ島では選挙は当分行わないということが定められていたのです。
 青ヶ島は伊豆諸島の有人島としては最南端に位置する島であり、周囲の海岸がすべて断崖絶壁になっている島です。海が荒れると長くて5ヶ月以上も島外と人や物のやり取りができないことがあり、しかも通信手段も不安定な無線電信のみだったことから選挙の実施は難しいと考えられていたのです。
 本章では、そんな青ヶ島で選挙が行われるまでの経緯を描いています。

 第6章は、議員が逮捕されて議会が開けなくなったケースをとり上げています。2014年の青森県平川市では市議会議員の3/4が逮捕されるという事が起きていますが、この平川市のある青森県津軽地方は「津軽選挙」という言葉があるほど選挙違反の多い地域でもあります。
 太宰治の長兄津島文治も次兄津島英治も、ともに選挙違反で逮捕された経歴があります。この地域の選挙違反の特徴は選管までも巻き込んでいることで、1971年には青森県鰺ヶ沢町で選管が不正を行った結果、2人の町長が登庁しようとする事件も起きています。

 第7章は、選挙戦以前の不正行為である無投票工作をとり上げています。選挙になると金がかかるので、お金を積んで立候補を辞退してもらおうというやり方です。
 1994年の沖縄県伊良部町町議選では、前年に20年ぶりの町長選が行われて金がないということで町長や議員が立候補予定だった2人に金銭や町役場へのポストを用意して立候補を辞退させたものの、議長をめぐる対立から露見して関係者が逮捕されれるという事件が起きています(ちなみにこの事件の記述で伊良部「町」のはずなのに、なぜか村長派・反村長派という言葉が使われている(154−155p))。
 また、もう1つとり上げられている2003年の青森県の東北町町議選の話も強烈で、前章の話を合わせて青森の選管は大丈夫なのか? と不安になりました。

 第8章は政見放送について。現在行われている東京都知事選挙にも立候補している後藤輝樹候補は、2016年の都知事選にも立候補していますが、このときの政見放送はたびたび音声カットが入るという異様なものでした。性器の名前を連呼したためにそこがカットされたのです。
 この政見放送カットが最初に行われたのは1983年の雑民党の東郷健の政見放送です。このとき東郷は障害に関する差別的な用語を使ってカットされています(ちなみに東郷は性器の俗称を言ったこともあるが、それはカットされなかった)。この問題は最高裁まで争われますが、結局東郷が敗訴しています。
 一方、1987年の参院選では聾者の渡辺完一が立候補し、テレビでは字幕をラジオでは手話を音声化してくれる人をつけてくれることを求めましたが、容れられず、テレビでは手話のみが、ラジオでは当人の唸り声らしき音声のみが流れるという結果になりました。これに抗議が殺到し、自治省はアナウンサーが代読することを認めることになりました。

 第9章は金儲けの手段としての選挙がとり上げられています。かつて、自らの当選のためではなく特定候補を褒めたり中傷したりする「ほめ賃」「けなし賃」を得るために選挙に立候補する者がいました。他にも選挙管理委員会から交付される選挙はがきを横流しする者、新聞広告を載せ、広告代理店からリベートを受け取る者など、選挙公営制度を利用して金儲けを企む者がいました。
 その対策として供託金が引き上げられ、衆議院議員の小選挙区で300万円となっています。これによって金儲けのための出馬はなくなりましたが、国民の立候補する権利を大きく制限しているとも言えます。

 思わぬ長いまとめになってしまいましたが、それは本書が興味深い細部まで調べて書いてあるからです。「びっくりネタ」として消費されそうなネタでも、その背景を丹念に調べています。
 また、選挙制度の穴をついたような話も多いのですが、そこから見えてくる制度の問題というものもあります。「ヤバい選挙」を面白がるのもいいですが、そこから考えるべき制度的な問題が見えてくるのも本書の面白さだと思います。