副題は「官僚たちのアベノミクス2」。2018年に刊行された『官僚たちのアベノミクス』(岩波新書)の続編ということになります。
 『官僚たちのアベノミクス』に関しては、面白く読めた部分はあったものの、とり上げられている期間が2012年11月から2013年の7月までとかなり短く、その後が知りたいという気持ちが残りました。今回続編が出たことでその思いは叶えられた形です。
 内容はというと、プロローグに書かれている日銀の総裁・副総裁人事の話など読ませる部分も多いのですが、全体を通して読むと少し物足りない部分もあります。これは2018年春までの時期をとり上げながら、第2次安倍政権以降で次第に政策の中心となっていったと思われる今井尚哉内閣総理大臣補佐官など、官邸の中心人物への取材があまりないからではないかと思います。菅官房長官への言及も少ないですし、日銀・財務省への取材は充実している一方で、肝心のアベノミクスの中心地の様子は見えにくいという面があります。

 目次は以下の通り。
プロローグ
第1章 賃上げ介入
第2章 内閣人事局の船出
第3章 「政労使」発足めぐる攻防
第4章 消費税増税延期へ
第5章 「一強」政権下の日銀
第6章 「為替市場に介入せよ」
第7章 伝統か、非伝統か
エピローグ

 本書は2017年12月の麻生太郎と福井俊彦の会談から始まります。この会談は日銀OB会の会長でもある福井が2018年の春に任期が切れる黒田東彦日銀総裁と副総裁の人事について話すためにセッティングされたものでした。
 日銀OBの黒田日銀に対する評価は低く、現役幹部がOBから「日銀と言っても、誰が日銀なのかという問題がある。もちろん狭義の日銀は黒田総裁以下現役の諸君で構成される。しかし広義の日銀はわれわれOBも含んだ概念上の組織としての日銀だ」(4p)と言われたこともあるそうです。
 福井の意向はできれば中曽宏副総裁の総裁昇格、黒田総裁の留任でも中曽を副総裁として留任させてほしいというものでした。実は中曽副総裁は辞意をもらしており、政権内では黒田総裁の留任、雨宮正佳副総裁は既定路線となっていました。それでも日銀OBたちは口出しをせずにはいられなかったのです。

 さらにプロローグでは2019年の大蔵・財務の事務次官を経験した者が一同に集まる新年会の様子も伝えています。この席で86〜88年まで事務次官を務めた吉野良彦は主計局長の太田充に対して「太田君もいやいややらされているのだろうが、韓信の股くぐりにも限度があるぞ」(22p)と言ったそうです。
 これは消費税アップのために官邸に譲歩し続ける現財務省への苦言なのですが、さきほどの福井俊彦の総裁人事への口出しも、この吉野の発言も「時代が変わった」ことを印象づける一幕です。時の政権を動かした旧大蔵省の力というものは失われているのです。
 個人的にはこのプロローグの部分が一番面白く感じました。

 第1章と第3章では、安倍政権による賃上げ介入の経緯が描かれています。この賃上げ介入は、例えば、同じ「新自由主義」というレッテルが貼られることが多い小泉内閣などでは考えられない政策だと思います(だから「新自由主義」という言葉は取り扱い注意だと思う)。
 アベノミクスは2%の物価上昇を目標としていましたが、それを実現させるためにも、また、景気回復の実感を持たせるためにも賃金の上昇は必要でした。しかし、政府は直接民間の給与を引き上げるような手段を持ちません。そこで、政権がさまざまなチャンネルを使ってそれを働きかけることになります。
 
 この賃上げへの介入は、経済財政諮問会議の委員で日本総研理事長の高橋進と、同じく日本総研のエコノミスト山田久が官邸に持ち込んだといいます。高橋が安倍首相に、山田が内閣府政策統括官の石井裕晶に話をし、そこからオランダの「ワッセナー合意」のような政労使の三者による賃上げのための合意ができないか、ということになったのです(ただし82年のワッセナー合意ではとん銀抑制と労働時間の短縮・雇用維持が合意された)。
 
 ここから経団連への働きかけが始まりますが、問題は金融緩和や靖国参拝を批判した経団連の米倉弘昌会長と安倍首相の仲が非常に悪いということでした。また、安倍首相の民主党の支持母体である連合に対する嫌悪感も障害となりましたが、これを官房副長官補だった財務省出身の古谷一之がまとめていくことになります。
 安倍首相にも連合にも警戒感はありましたが、古谷らが根回しをして政労使の会議が行われることが決まります。

 しかし、それでも企業に賃上げを飲ませるためには何かが必要です。そこで経済産業省の産業政策局長の菅原郁郎は古谷に法人税の実効税率の引き下げを持ちかけます。財務省にとって減税は飲み難い政策でしたが、ここで両者は復興特別法人税の一年前倒し廃止という案に落ち着きます。景気回復により法人税の税収は上振れが見込まれており、復興特別法人税の廃止を行っても財源に穴が開く恐れはなかったからです。
 主税局長の田中一穂はこれに強く反対しますが、部下は「カブキプレー」(99p)と見ていました。ここであっさりと譲れば法人税の本体の引き下げが持ちだされる恐れもあったからです。
 財務省全体としては、2014年の消費税8%引き上げを実現させるためには、何か大きなタマが必要であり、復興特別法人税の廃止を受け入れる雰囲気が広がっていきます。

 政労使の第一回会議は2013年の9月20日に開かれます。会議の雰囲気は決して良いものというわけではありませんでしたが、10月1日に消費税を引き上げる決断をした安倍首相の会見で、首相自らが復興特別法人税の廃止と賃上げをリンクさせる発言をしたことで枠がはめられていきます。
 第3章の最後には安倍首相が口にする「瑞穂の国の資本主義」という話が出てきますが、このあたりはアベノミクスと例えば竹中平蔵的な考えとの違いとも言えるでしょう。

 順番は戻りますが、第2章は内閣人事局について。稲田朋美行政改革担当大臣を中心に、内閣人事局の発足までが描かれています。
 ただ、本書によると稲田大臣が「公務員改革を断行する」(69p)と決めたということになってますけど、こんな大事なことを稲田大臣の一存で決めたのでしょうか? 菅官房長官か麻生内閣でこの問題を担当した甘利明あたりがレールを敷いていたと見るのが自然だと思うのですがどうなんでしょう?
 ただ、この章で出てくる「人事院はガンジーみたいな組織。信念でがんばれば通じるみたいな」(79p)という表現は面白い。

 第4章は消費税増税再延期の舞台裏。安倍政権の経済政策を考える上でここが1つの肝だと思うのですが、この章の内容はやや物足りない。
 まずは2014年の秋に打ち出された消費税増税の18ヶ月延期(2015年10月→17年4月へ)についてですが、ここでは病身を押してそれに対抗した財務事務次官の香川俊介のエピソードが中心で、肝心の延期の決断に至った動きは殆ど触れられていません。
 
 その後、野田毅自民党税調会長の事実上の更迭とも言える交代劇や、経済産業省出身の新原浩朗が最低賃金引き上げなど、アベノミクスの分配的な政策を進めていくところが描かれたりしていうるのですが、2016年に行われた2回目の消費税増税延期に関しても、財務省側の動きを少し追うだけで、官邸での意思決定に関しては触れられていません。16年5月26日の伊勢志摩サミットの場で安倍首相は「リーマン・ショック級のリスク」という話を持ち出し、それは財務省にとっても唐突なことだったらしいですが、そこにいたる意思決定の過程はブラックボックスです。
 安倍首相はこのとき、「財務省はずっと間違えてきた。彼らのストーリーに従う必要はない」と言ったそうですが、そうなるに至った安倍首相側の判断についても知りたかったところです。

 第5章は、日銀内部の話。中曽副総裁らがまとめた中期経営計画と出口をにらんだ引当金制度をめぐる財務省とのやり取りがとり上げられています。興味のある人にはあるでしょうが、個人的にはそれほど興味は引きませんでした。
 ただ、最後に引当金制度に関する官邸への根回しを財務省側が日銀にもやってほしいと頼んだという話は、財務省と官邸の距離を感じさせる話です。

 第6章は為替介入をめぐる話。2016年の4月に円高を嫌った官邸が為替介入の道を探ったが、アメリカのオバマ大統領から反対の意向が伝えられ、結局話しになったというものです。為替のプロである財務省・日銀と素人である官邸の対立の構図が描かれています。

 第7章では2016年の秋から始まった日銀の長期金利誘導がとり上げられています。今まで「長期金利の誘導はできない/すべきでない」というのが日銀内での常識でしたが、ついに日銀が「イールド・カーブ・コントロール(YCC)」という名前をつけてこれに乗り出します。
 この新しい政策の導入をめぐって、日銀は市場への丁寧な説明につとめ、市場はこれを冷静に受け止めます。一方、これによって長期金利のコントールは、かつて大きな影響力ももっていた財務省の手から完全に離れたとも言えます。

 本書は以上のような内容ですが、個人的にはプロローグ、第1章と第3章を面白く読みました。ただ、やはり本書はやや期待はずれな部分もあって、それはアベノミクスを実際に動かしている人々への食い込みがない点です。
 著者は財務省や日銀に対して人脈もあり、深い取材を行っています。ただ、官邸への取材は弱いので、アベノミクスへの視点の基本的に財務省や日銀を通してのものであり、そこで浮かび上がってくる構図は「政権浮揚のために無茶な政策をねじ込んでくる官邸 VS それに翻弄される財政や金融のプロたち」というものです。
 もちろん、こうした場面がないわけではないと思いますが、では、マクロ経済運営に財務省(大蔵省)が大きな力を奮っていた時代、日銀がその独立性を発揮して政治と対立した時代の経済運営はうまくいっていたのか? というと、そうではないでしょう。
 そうした部分も含めて、できれば財務省が官邸の信認を失った過程の話なども読みたかったです。