『新しい労働社会』(岩波新書)、『若者と労働』(中公新書ラクレ)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)、『働く女子の運命』(文春新書)などの著作で日本的雇用の特徴と問題を鋭く指摘してきた濱口桂一郎が、海老原嗣生が発行する雑誌『HRmics』で行った連載をまとめたものになります。
 連載の内容は労働問題の古典を解説するというもので、以下の目次に掲げるようにウェッブ夫妻の『産業民主制論』から古めの本がズラッと並んでいます。読んでいくと、日本とはまったく違う原理で動いているイギリスやアメリカなどの労働組合の考え方がわかって勉強になります。最初に海老原嗣生による導入もありますし、最後にまとめの対談もあり、わかりやすく工夫されています。
 
 ただ、本書の中盤以降はそういった「勉強」を超えた面白さがあります。アメリカやイギリスで「経営」と「労働」を峻別したがゆえに「経営」がコントロールを失っていくさまや、「日本的雇用」を思い起こさせる一部のアメリカ企業の存在は、「権力」といったものを考える上でも非常に興味深いものです。また、最後にとり上げられている藤林敬三の日本の労使関係についての洞察にも、運動論・組織論的な面白さがあります。
 労働問題に興味がある人だけでなく、組織や運動や権力の問題(つまり政治か)に興味がある人が読んでも得るものが多い内容だと思います。

 目次は以下の通り。
序章 日本人が煙たがる「労働運動」というもの
第1章 トレードからジョブへ(第1講〜第3講)
第2章 パートナーシップ型労使関係という奇跡(第4講〜第6講)
第3章 パートナーシップなき企業内労使関係の苦悩(第7講〜第11講)
第4章 片翼だけの労使関係(第12講)
第5章 労働思想ってそういうことだったのか対談

 第1講 シドニー&ベアトリス・ウェッブ『産業民主制論』
 ウェッブ夫妻はフェビアン協会や労働党の理論的指導者でもあった人物で、1897年に出版された本書はイギリス型雇用システムの原型をくっきりと示していると言います。 
 本書が描くのはジョブ(職務)が成立する前のトレード(職業)の時代の雇用システムです。本書の中心的概念はコレクティブ・バーゲニング(集合取引)です。これは「団体交渉」のことではなく、労働力という商品を高く売るためのしくみです。
 職工たちは組合(トレード・ユニオン)をつくって標準賃金を要求し、それが受け入れられなければその職場をさります(個別罷業)。ここで組合が中心するのは「雇用」ではなく、あくまでもある仕事に対する「標準賃金」であり、それを実現させるために組合は存在するのです。

 第2講 サミュエル・ゴンパーズ『サミュエル・ゴンパーズ自伝』
 ゴンパーズはアメリカの労働運動家でAFL(アメリカ労働総同盟)を率いた人物です。
 日本人からすると、労働組合は特定の政党(特に社会主義的な)と結びつき、選挙においても政党の下部組織として活動しているイメージがありますが、ゴンパーズは労働組合が政党の下部機関となることを拒否し、社会主義に対して「諸君の主義は経済的に不健全であり、社会的には不正であり、産業的には実現不可能である」(41p)ときっぱりと否定しました。
 さらに彼は労働時間規制などの立法措置にも否定的でした。それはあくまでも企業と組合の集合取引によって決まるべき問題だったからです。一方、アメリカでは反トラスト法を労働組合にも適用する動きが起きたため、ゴンパーズは「人間の労働は商品ではない」として適用除外を求めて戦いました。

 第3講 セリグ・パールマン『労働運動の理論』
 パールマンはポーランド生まれのユダヤ人で、マルクス主義の影響を強く受けていましたが、アメリカで労働運動の実態に触れるにつれマルクス主義から離れ、「ジョブ・コントロール」という考えに注目した人物です。「労働運動が目指すのは階級闘争なんかではなく「職業の支配」(ジョブ・コントロール)である」(53p)というのです。
 そうしたジョブ・コントロールの完成形は、「雇用の機会を組合の独裁下におくこと」(56p)であり、組合員であることを雇用の条件とするクローズド・ショップ制になります。
 資本主義のもとでは当然景気変動に伴う仕事量の変化もありますが、不況時において誰を解雇するかも経営者には委ねず、後から雇われたものが先に解雇されるという「先任権(セニョリティ)」のしくみがあります。また、残業は他の組合員の仕事を奪う行為であり許されません。一方、不況時には組合員の中でワーク・シェアリングが行われることもあります。
 こうした職場におけるジョブ・コントロールこそが、労働者の勝ち取った「自由」だというのがパールマンの認識なります。

 第4講 フリッツ・ナフタリ編『経済民主主義ー本質・方途・目標』
 ここでとり上げられてるのはドイツの労使関係です。ドイツでは「外との関係では基礎的な労働条件は産業別組合が団交する形で決め、内には「共同決定」と「従業員代表制」という仕組みを作り上げました」(68p)。労働者の経営への参加を目指した点がイギリスやアメリカの労働運動との大きな違いです。
 本書はワイマール期のドイツの労使関係を論じた本ですが、タイトルに有るように「経済民主主義」がポイントです。本書では、政治的民主主義と同じように経時的民主主義を捉え、労働者の生存は働いている企業の経営と結びついており、そこへの参加が不可欠だと主張しています。企業という「共同体」の決定への参加こそが経済民主主義の鍵だというのです。
 この企業への意思決定への参加は、ワイマール期には達成できませんでしたが、第2次世界大戦後に実現していくことになります。

 第5講 ギード・フィッシャー『労使共同経営』
 前講に引き続きドイツに関する本ですが、本書は戦後のドイツの経営に関して経営学者が書いたものにあります。
 本書は「ドイツ的経営」の神髄をまとめた本とも言われますが、そのポイントが「経営パートナーシャフト」、つまり経営パートナーシップであり、経営者と従業員の精神的なものも含めたつながりです。
 労働能率も重視されていますが、そのために必要なのは従業員が「自己の最大の労働能率を経営共同体のために発揮」(87p)することであり、そのためには「従業員同士の関係や、上役と部下の関係は、真の仲間意識から生まれるものでなければならない」(87p)のです。そして、こえを可能にする仕組みが従業員代表制といったものです。
 なんだか日本と似ていますが、経営パートナーシャフトの基礎には「明確に規定された職務」(89p)があるとしている点は日本のメンバーシップ型雇用と違っています。

 第6講 W・E・フォン・ケテラー『労働者問題とキリスト教』
 大陸の労働運動を支えた思想としてマルクス主義とともにカトリシズムがあります。日本ではあまり馴染みのないこの思想を、このケテラーの本を通じて紹介しているのがこの第6講です。
 ケテラーは19世紀に労働者の貧困問題に取り組んだカトリックの司祭ですが、彼は商品として買い叩かれる労働者の光景を目にして自由主義を批判します。そして持ち出すのが中世以来のツンフト強制(同業組合に加入しないものに対する営業権の拒否)、つまりギルドになります。
 自由主義あるいは市場主義への批判として、ヨーロッパではカトリシズムが大きな存在感を持っており、それが労働の場における人間性や共同性を後押しするものとなっているのです。

 第7講 G・D・H・コール『労働者―その新しい地位と役割』
 原題は『労使パートナーシップの論拠』、つまり集合的取引中心だったイギリスに、ドイツ的、あるいは日本的な、パートナーシップの考えを導入しようとした本になります。コールは「社会的地位の相違をなくすこと」(114p)を目指しており、そのために労働者が共働者(パートナー)のような地位につくべきだと考えました。
 コールは労働者がパートナーの地位につき、自分たちの仕事についての諸条件を決めるのに一定の役割を果たすようになれば、労働者は一層働くようになると考えました。本書は1950年代に書かれており、完全雇用がほぼ達成されていた時代でした。失業の恐怖によって労働者を働かせることはもはやできず、それに替わるものが必要だとコールは考えたのです。
 しかし、本書のあとに続く60〜70年代のイギリスは、「コールのいうパートナーシップを欠いたまま、職場で命令する「権威」が失われ、「怠けぐせ」が広がった時代」(119-120p)でした。

 第8講 アラン・フランダース『イギリスの団体交渉ー改革への処方箋』
 60年代にあるとイギリスの労使関係は徐々に行き詰まりを見せますが、その問題点を指摘したのがこの本になります。
 フランダースはイギリスの労使関係の問題点として、コレクティブ・レッセフェール(集団的自由放任)のため国による後ろ盾が不十分であること、団体交渉が公共の利益を犠牲にする傾向があること、事業所レベルの労使関係である経営者と職場委員(ショップ・スチュワード)間の労使関係が無秩序化する傾向にあることをあげました。
 どういうかというと、労働組合も使用者団体も関わらない経営側と職場集団の交渉が職場規律の弛緩をもたらしたというのです。経営側は、ときに作業の停止や残業の拒否をちらつかせる職場集団と交渉する必要がありますが、経営権を守るためにその交渉はインフォーマルなものにとどめ、場当たり的な対応に終始しました。しかし、それが経営側の統制力を弱めたのです。
 フランダースはこれに対して、経営側は作業集団の成員、つまり労働者をパートナーとして扱うことを求めました。それが「「経営者が労働者に分担させることを拒んだためにかえって失ってしまった管理権の現実」に対する処方箋」(132p)だというのです。

 第9講 バリー&アーヴィング・ブルースストーン『対決に未来はない―従業員参加の経営革命』
 著者の二人は親子で、父のアーヴィングはGMで働いた組合活動家、息子のバリーは労働経済学者です。1992年に書かれたこの本は、それまでのアメリカの労使関係を反省する内容となっています。
 パールマンの本に書かれていたように、アメリカでは団体交渉によって詳細な労働協約を締結する一方で、それ以外の面は全面的に経営側に任せるというものでした。作業規則と職務分類も詳細に定められており、例えばゴミを拾った監督には本来の仕事以外のことをしたとして苦情が入りました。
 こうした仕組みは、職場での組合の力を極大化する代わりに、経営には組合を一切口出しさせないという仕組みでもありました。そのため生産性の向上について考えるのは経営の役割であり、現場はむしろ口出ししてはならないという形になっていきます。
 ブルースストーン親子はこの組合と経営の敵対的な関係を問題視し、経営への従業員の参加を求めますが、そこに書かれているのが「日本的経営」と言ってもいいような姿です。
 
 第10講 サンフォード・ジャコービィ『会社荘園制』
 第7〜9講を読んでくると「実は日本的経営がいいんじゃない?」とも思えますが、実はアメリカにも日本のようにメンバーシップを重んじた企業はありました。イーストマン・コダック、シアーズ・ローバック、トムソン・プロダクツといった企業です。
 これらの企業では雇用の維持が重視され、解雇を回避するために配置転換が行われました。これらの企業に入れば何らかの仕事があてがわれ、労働者は「互換性のある従業員」(156p)となりました。
 特にコダックでは、仮にレイオフがあってもコダックは失業給付をその内部留保から支払い、二世代、三世代とコダックに雇われることもざらでした。これは「規律を守らせ、また労働組合を信奉する家族を排除する、巧妙な方法」(157p)でもありました。
 第3講でとり上げたように、アメリカには先任権という考えがあり、レイオフもこれに従って行われます。ただし、この仕組みは需要が減少した際にレイオフに頼るという慣行も生み出しました。賃金の硬直性が強く、賃金カットは難しかったですし、職務も細かく決められていたために配置転換も困難でした。一方、コダックのような非組合企業では賃金カットや配置転換が可能でした。
 しかし、80年代に入るとコダックもレイオフに追い込まれます。そして2012年に経営破綻してしまうのです。日本的経営が行き詰まっているように、このやり方も時代の波を乗り切ることはできませんでした。
 
 第11講 エドモン・メール『自主管理への道』
 今まで登場してこなかったフランスについての本です。フランスではエリートと現場の乖離が著しく、それを打ち破るために「自主管理」の考えが持ち出されています。それ以外のフランスの労働組合の事情などに関しては実際に本をお読みください。

 第12講 藤林敬三『労使関係と労使協議制』
 唯一の日本に関する本ですが、この本の内容も面白いです。著者は経済学者で、同時に中央労働委員会の委員長も3年務め、三井三池争議の調整にも携わっています。
 藤林は労使関係は二元的であるとして、経営対従業員の第一次関係、経営対組合の第二次関係という2つの関係から成り立っていると言います。第一次関係では労使の親和や友好、強力が求められる一方で、第二次関係では賃金や労働条件をめぐって利害対立があります。
 日本の労働組合は企業別組合となっていますが。藤林はこれを「名は労働組合であるが、明らかに形態上は従業員組合」(193p)だと言います。そして、こうした組合と経営の関係は、一見すると第二次関係に見えるが、そこには第一次関係も含まれていて、両者が癒着しているというのです。
 組合は上部組織とつながっており、その指導のもとでストライキなどが行われます。組合と経営の関係は第二次関係の側に引っ張られ緊迫の度合いが強まりますが、その緊迫に耐えられなくなると企業内組合の分裂、第二組合の誕生が起こります。
 日本の組合は左翼理論に指導されていることが多かったですが、これは組合を第一次関係から引き離し第二次関係に引っ張るために必要なものだったと藤林は考えています。従業員組合には基本的には経営との対立の契機はないのですが、そこに対立を起こすために季節闘争という「雰囲気闘争」(201p)がきまって行われたのです。
 そして現在、日本の労働組合の多くは第一次関係のみに引っ張れれ、第二次関係は限りなく希薄化しています(「では、どうするか?」ということに関しては、第5章の対談で濱口桂一郎が展望を述べている)。

 長々と紹介していしまいましたが、最初に述べたように、日本とはまったく違った労使関係のあり方や歴史を勉強するだけではなく、組織や運動や権力に興味がある人が読んでも面白い内容が含まれているということがわかっていただけたのではないかと思います。
 そして、政治や経営に単純な正解がないように、労働組合のあり方にもまた単純な正解がないということを教えてくれる本でもありますね。