岸信介のオーラスヒストリーをまとめ、岩波新書から『岸信介』を出しているという、一見するとわかりにくい立ち位置を持つ国際政治学である著者が、「戦後日本」についての自らの考えをまとめたもの。
 近年は軽武装・経済優先の吉田路線を評価する声が高く、特に安倍政権の平和安全法制と関連してそれが強まっていたようにも感じますが、本書はその吉田路線を批判しており、さらにその吉田路線に乗っている戦後に日本そのものを批判しています。方向性としては文芸評論家の加藤典洋の考えに近いと言えるかもしれません。
 日本の外交力の弱さを日本語の言語文化に求めている部分などはさすがに言い過ぎのようにも感じますが、日本の安全保障や外交を考える上で「あまり見ようとはしてこなかった部分」に光を当てた本と言えるでしょう。
 
 目次は以下の通り。
第1章 戦後日本の母型
第2章 憲法九条と国際政治
第3章 日米非対称システムの内実
第4章 冷戦が終わって
第5章 安全保障政策と外交力
第6章 政治的「自立」への道

 本書において戦後の日本を貫くとされているのが、日本の無条件降伏とアメリカの対日占領の中で生まれた日米非対称システムであり、その基層となっているのが「天皇制」「日本国憲法」「日米安保条約」の3つになります。
 戦争の勝者と敗者という立場は、もちろん対等ではありえないわけですが、著者に言わせれば戦後75年経っても日米間では両者の非対称性が解消されていません。この関係を支えているのが、「天皇制」「日本国憲法」「日米安保条約」というわけです。

 まずは天皇制ですが、アメリカはポツダム宣言でも天皇制を頭から否定はせずに、占領においてはこれを利用する姿勢で臨みました。
 この天皇制の利用は占領政策をスムーズに進ませ、敗戦後の日本社会に安定をもたらしましたが、著者は同時に米日関係において支配・従属の関係を強めたとも考えています。昭和天皇はアメリカに対して沖縄の長期租借を求めるメッセージを送るなど、戦後はアメリカを頼りにする姿勢を濃厚に見せました。

 次に日本国憲法ですが、始めアメリカは憲法改正を日本主導で行うべきだと考えていました。しかし、日本の改正案(松本案)があまりに守旧的であったために、GHQは自ら草案を起草することになります。西ドイツは自らイニシアチブをとって基本法を成立させましたが、日本はアメリカが与えたチャンスを活かせなかったのです。
 GHQ草案は日本の保守派にとっては驚くべきものでしたが、GHQのホイットニー民政局長は、天皇制の存続と保守勢力の生き残りをちらつかせてこれを押し切ります。「この新憲法をアメリカに「押しつけられた」として、戦後一貫して新憲法の更なる改正を叫んできた保守勢力ではありますが、実はこの「押しつけ」憲法を受け入れてはじめて、保守が今日に至るまで戦後政治のなかで中道化しつつ国民の支持をつなぎとめてきた」(39−40p)わけです。

 3つ目が日米安保条約です。この条約でアメリカは占領軍の既得権だった「在日基地自由使用権」を維持しました。
 しかし、これは日本側が希望したことでもあり、片山哲内閣のときに早くもアメリカに対して安全保障の協定を結びたいという考えが芦田均外相から示されています。その後、吉田茂は「対等な協力者」としての条約を結ぼうとしましたが、日米安保条約に米軍の日本防衛の義務は盛り込まれず、在日米軍が「極東の平和・安全」に「寄与」するために使用されるという極東条項が盛り込まれました。
 日本は9条第2項の範囲内で集団的自衛権も行使できるという立場も示しますが、アメリカの「自助・相互援助」の力をもたない国とは集団的取極を結ぶことができないというバンデンバーグ決議の前に阻まれて、この試みは挫折します。
 
 第1章で以上のような構造を説明した上で、第2章では憲法9条を更に詳しくみていきます。
 安保条約の片務性から、例えばカーター大統領の補佐官だったブレジンスキーは日本を「保護国」視するわけですが、この片務的な関係をもたらした大きな要因がアメリカの意向に従ってつくられた憲法9条です。
 ご存知のように憲法9条に関しては、審議過程でいわゆる「芦田修正」が入ることによって自衛戦争のための戦力が保持できる余地が生まれました。極東委員会で中国はこの修正に警戒感を示しますが、アメリカはこれを問題視せず、ケーディスなどはこれを歓迎しています。

 しかし、当初吉田首相は9条を「絶対平和主義」として解釈しました。著者はこの背景に吉田が国家の安全を国際連合に委ねることを期待していたからではないかとみていますが、吉田は一時的に自衛権さえも否定する考えを示したのでした。
 その後、吉田は、自衛権の発動としての戦争を認めるものの、「戦力」をめぐってはその発言が揺れました。そして自衛隊は「戦力に至らざる軍隊」という位置づけになります。吉田はアメリカからの軍備増強要求に対して9条を盾にしてこれを交わす戦略をとっていましたが、同時にこれ日米非対称システムを強めるはたらきもしました。

 9条の「非戦・非武装」は1つのメッセージとなりましたが、それが通用するかどうかは世界情勢にかかっています。モーゲンソーは「地球上の一、二の国民を力への欲求から解放しても、他の国民のそれ(力への欲求)がそのままならば、それは無益かつ自己破壊的でさえある」(92p)と述べていますが、結局、日本は国際社会において「九条的世界」をつくり得なかったと言えます。

 第3章では岸信介による安保改定の動きがとり上げられています。
 日米安保条約によって日本は自国の安全を確保することとなりましたが、そこには日本側が「不満」・「反米」の思いを抱く要素もありました。1つ目はアメリカは日本防衛の義務を負わないフリーハンドだったこと、2つ目は基地を日本の事前同意なく自由に使用できること、3つ目は日本以外の有事でも基地の仕様が可能な極東条項、4つ目はアメリカ側に有利な日米行政協定です。

 岸はこの安保における従属的な地位が「反米」の動きを生み、それが日米関係の障害になると、D・マッカーサーⅡ駐日大使に訴えます。そしてこれに応える形でアメリカ側も動き出します。
 岸は当初、新安保条約の起源を5年と考えていました。岸は安保の改定し、沖縄・小笠原の返還に道筋をつけ、憲法改正を成し遂げた上で、集団的自衛権行使を可能にした上で安保「再」改定に向かうというのが岸の戦略でした。
 
 岸は安保の改定案に、アメリカの日本防衛義務の明記、基地使用に対する日本側の事前同意、国連憲章の優位性、極東条項の削除、内乱条項の廃止、「米国の同意なき第三国駐兵の禁止」の除去、新条約の効力を「無期限」とし相手国に予告後1年で終了させることができるようにする、といったことを盛り込もうとします。
 この中で、日本防衛義務の明記、内乱条項の廃止、第三国駐兵の問題などは実現しますが、極東条項は残りました。また、事前同意制に対してはアメリカが「事前協議制」を提案して押し切ります。日本側の準備が不十分であり、アメリカに機先を制されたのです。
 このとき岸政権は日米行政協定の改定に踏み込めていませんでしたが、与党内の反岸派の突き上げもあって、日米行政協定の改定の申し入れも行われました。その結果、日米行政協定は日米地位協定と名を変え、日本側の要求も盛り込まれましたが、アメリカが基地自由使用権などの核心的な利益を手放すことはありませんでした。
 
 第4章では冷戦終結後の日米関係が描かれています。冷戦の終結によってソ連の脅威は消え去りましたが、95年にアメリカのジョセフ・ナイ国務次官補が出した「ナイ・レポート」では、アジア太平洋地域におけるアメリカのプレゼンスと地域の安定のために在日米軍基地は必要であるとのスタンスをとっていました。また、このときの国防長官のW・J・ペリーは、地域の不安定化の中で日本が核武装に走ることを危惧していたと言います。
 ここから安保条約の再定義が動き出しますが、この再定義は6条の極東条項を拡大する形で行われます。岸が削除を望んだ極東条項が新しい日米安保の基礎となったのです。

 ここから96年の日米首脳会談で「日米安全保障共同宣言」が合意され、97年には新しいガイドラインが、そして99年にはガイドライン関連法が成立します。ここで成立した周辺事態法は、安倍政権のいわゆる平和安全法制の中で重要影響事態法に発展し、地理的な制約がなくなりました。さらに集団的自衛権の部分的行使も可能になりました。
 ただし、この限定された集団的自衛権は日米対等の関係を目指すものではなく、この本でいう日米非対称システムを強化するものとなっています。

 こうした冷戦後の日米関係において、大きな変化をもたらしているのが尖閣問題だと言います。
 沖縄返還のとき、アメリカは尖閣の領有権について「特定の立場」をとらないというスタンスでした。5条では防衛義務を日本の「施政下」としており「領有下」ではありません。つまり、日本が尖閣の施政権を失ってしまえばアメリカに防衛の義務はないのです。
 しかし、21世紀になると様相は変わってきます。2010年にクリントン国務長官が尖閣に安保条約が適用されると述べると、14年にはオバマ大統領が、17年にはトランプ大統領が尖閣が適用対象であると述べました。
 戦後ずっと、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることが問題視されていましたが、尖閣はアメリカが日本の戦争に巻き込まれる可能性をもたらすものであり、日米関係に今までとは少し違った状況をもたらしているのです。

 第5章は最初の節のタイトルが「「保護国」といわれて」となっているように、基本的にはアメリカと日本の関係の非対称さを指摘する内容なんですけど、個人的に興味深かったのが吉田茂への批判です。
 吉田は「敗けっ振りをよくする」ことを基本方針として敗戦後の日本の舵取りを行いましたが、著者は「アメリカにとって、この「敗けっ振り」が日本人の「従順さ」ないし「自立心の弱さ」に映ったことは十分ありえます」(195p)と指摘しています。
 吉田が望んだ日米対等の防衛条約は結局単なる「駐軍協定」に終わりましたし、サンフランシスコ平和会議での吉田の受諾演説はアメリカによって大きく修正されたものでした。

 さらにこの日米非対称システムは社会党が政権に参加しても動かすことはできませんでした。95年の沖縄での少女暴行事件のとき、村山首相は日米地位協定の見直しに前向きだったと言われていますが、外務省は現状維持を志向し、結局は変えることができませんでした。
 
 ここからさらに、著者は「マッカーサーへの手紙」に見られる日本人の「権力への弱さ」福沢諭吉以来指摘されてきた「自立心の弱さ」、言語文化の問題にまで話題を広げますが、ここは話半分という感じで読んでおけばいいのかなと思いました。

 第6章では今後の展望が述べられていますが、著者の主張は日米非対称システムを変えるには、安保条約をより対等なものにする必要があり、少なくとも西太平洋地域において相互防衛の条約を結ぶべきだというものです。そのためにはフルスペックの集団的自衛権が必要となり、もちろん憲法改正も必要になります。そして、同時に地位協定の改定もお香なうべきだというのです。
 そのためには外交力が必要であり、安全保障をしっかりと議論できる強い野党が必要であり、しっかりとした文民統制が必要であり、また、「戦前回帰」に陥らない歴史認識が必要だと言います。

 以上が本書の内容になりますが、これを読んでも著者が独特の立ち位置にいることがわかると思います。日本政治の対立軸として「親米・改憲」と「反米・護憲」の対立軸があるとしたら、著者のスタンスは「反米(反米というよりは対米自立か)・改憲」です。このスタンスはおそらく終戦後しばらくは珍しいものではなかったのでしょうが、近年ではあまり見られなくなったものです。
 細かい部分はもちろん、吉田茂の評価などをめぐっても異論は出ると思います。それでも著者のスタンスは興味深いものですし、今後の日本の安全保障や外交を考える上でも知っておくべき視点の1つなのではないかと思います。