近年、デジタル化に関しては中国が日本の先を行っており、〜Payなどのサービスやシェア自転車など、中国で発達したサービスが日本に輸入されることも珍しくなくなりました。また、インド人プログラマーがたくさんいたり、エストニアでは行政のIT化が進んでいるという話を聞いたことのある人もいると思います。デジタル化に関しては、新興国が先進国を追い抜いているような事例も見られるのです。
 本書は、そんな新興国のデジタル事情を探りながら、その可能性と脆弱性を探っています。著者は中国経済を専門とする研究者ですが、さまざまな国に実際に足を運んで調査しており、アフリカの事情などもとり上げられています。また、基本的には経済分野が中心ですが、後半ではデジタル化がもたらす「監視国家」の問題にも言及しており、経済以外の分野に興味を持つ人が読んでも面白い内容を含んでいます。

 目次は以下の通り。
序章 想像を超える新興国
第1章 デジタル化と新興国の現在
第2章 課題解決の地殻変動
第3章 飛び越え型発展の論理
第4章 新興国リスクの虚実
第5章 デジタル権威主義とポスト・トゥルース
第6章 共創パートナーとしての日本へ

 デジタル化は、新興国だけではなく先進国でも求められていますし、進行していますが、著者は特に新興国に注目する理由として次の3つをあげています。
 まず、第一に売り手と買い手を仲立ちする「プラットフォーム」の登場が新興国に先進国以上の大きな変化をもたらすという点です。今まで新興国では信頼の欠如から取引が円滑に進まないケースが多くありましたが、それを劇的に変える可能性があるのです。
 次に、デジタル化が新興国に元来あった「可能性」と「脆弱性」の双方を増幅させる可能性があるという点です。デジタル化は新興国の人々を自由にするかもしれませんが、同時に自由や権利が侵害されるリスクももたらします。
 最後に、デジタル化には今まで語られてきた工業化と似ている面と違った面がある点です。これは今後の途上国の経済発展などを考える上でも重要な視点です。
 ちなみに本書では「新興国」を「先進国以外」という意味合いで使っており、現代のデジタルから見た「発展途上国論」といった趣もあります。

 IT技術やネットサービスは以前から注目されていましたが、それが先進国以外にも大きく広がったのは2010年代以降です。2009年にOECD諸国のネットユーザーの割合が50%を切り、それ以降、ネットユーザーは先進国以外で大幅に増加しています、また、ネット以上に新興国に普及したのが携帯電話で、2017年には下位中所得国でも携帯電話の契約数が人口100人あたり97人となっており、もはや1人1台が当たり前になりつつあります(22−24p)。
 
 デジタル経済の特徴として、シャピロとバリアンは次の3点をあげています。まず、コンテンツの複製コストと流通コストが低下することによって限界費用が低くなり、個人ごとにサービス内容を変えることが用意になること。次に利用者がサービスを切り替えるのにコストがかかるため、ロックイン効果が生じること。最後により多く利用者を集めるサービスの利便性がさらに高まること(ネットワーク外部生)になります。この特徴からいわゆる一人勝ちが起こりやすくなります。
 
 この特徴は新興国でも同じだと考えられます。今までは、いかに工業化するのか、あるいは、いかに市場をつくり上げるかといったことが新興国の課題でしたが、今度はデジタル化にどう対応していくかが問われることになります。
 80〜90年代には韓国・台湾・香港・シンガポールが「後発性の利益」を活かしながら急速な工業化に成功しましたが、このデジタル化の局面でも新興国が「後発性の利益」を活かして長足の進歩を遂げる可能性があります。一方、デジタル化は格差を拡大させるかもしれませんし、権威主義体制を強化するかもしれません。デジタル化は新興国の「可能性」と「脆弱性」の双方を増幅させる可能性があるのです。

 第2章では新興国における具体的な事業展開を見ていきます。
 まずはマレーシアで創業されたグラブという企業がとり上げられています。この企業の出発点は「なぜ安全に車に乗る手段がないのか?」というものです。日本ではまったくピンとこない問いですが、新興国ではタクシーはわざと遠回りしたり料金のボッタクリを狙ったりというケースがあり、運転手に安心して任せられないこともあります。
 グラブは利用者と運転手の取引を成立させるプラットフォームとなり、運転手の評価を蓄積していくことで問題のある運転手を排除することに成功しています。中国のアリペイなどもそうですが、新興国では信頼のない者同士の取引を仲介するしくみをつくることに大きなビジネスチャンスがあるのです。
 
 デジタル化は大きな設備投資が必要ではなく小さく始められるのも特徴です。本書では、エチオピアの病院のIT化を支援する企業、南アフリカのドローンで撮影した画像をもとに果樹の管理などを行う企業などが紹介されています。
 また、新興国では日本のような完璧なサービスが求められないことも1つの特徴で、例えば中国の宅配業者はラスト・ワンマイルの問題を解決するために各地にステーションをつくって、そこに「取りに来てもらう」という戦略をとっています。

 さらにデジタル化は社会問題の解決のためにも使われています。各地で携帯電話などを使った小口の決済サービスや小口の融資の仕組みなどが登場していますし、インドでは生体認証IDの導入によって複雑な行政手続きを簡素化し、貧困支援などにつなげようとしていいます。アフリカでは女性の起業家を応援する賞である「ミス・ギーク・アフリカ」があり、妊婦の健康状態をモニタリングする事業などが受賞しています。新興国が抱える様々な問題が、デジタル化によって解決されていくかもしれないのです。

 第3章では、いわゆる「後発性の利益」に注目しながら、デジタル化で新興国が先進国を追い越す局面を見ています。
 未上場にもかかわらず企業価値が10億ドル以上と推定されるユニコーンの企業は1位こそアメリカですが2位は中国、4位はインド、7位にブラジル、9位にインドネシアと新興国がランクインしています(95p図表3−1参照。日本はランクインせず)。この背景にあるのがネットビジネスの持つネットワーク外部生で、ランクインしている人口大国では大きな発展が望めるのです。
 また、ネットサービスは後追いがしやすいのも特徴で、いわゆる「タイムマシン経営」のように先進国のネットサービスを自国で展開することで成功の足がかりがつかめます。
 
 新興国ならではの現象が「スーパーアプリ」と呼ばれる統合的なスマホアプリです。中国のテンセントの微信(ウィーチャット)、アリババの支付宝(アリペイ)、東南アジアのゴジェックやグラブ、インドのPaytm(ペイティーエム)などがこれにあたります。
 例えば、ウィーチャット自体はLINEに似た機能を持つアプリですが、これに資産運用、タクシーの配車、さまざまなチケットの予約購入、公共料金の支払などの機能が加わり、社会のインフラの一部となりつつあります。
 先進国ではネット企業が事業を拡大する場合に、リアルの事業者がライバルとして現れますが、新興国ではそうしたライバルが弱いために、次々と機能を拡張し、その利便性でもってシェアを奪うことができるのです。

 また、例えば中国ではアメリカのグーグルやアマゾンをブロックすることで自国のネット企業が育ちました。幼稚産業を保護するやり方は、工業においては時代遅れの考えとされがちですが、ネットサービスに関してはそうではないのかもしれません。ちなみに中国とインドは対照的で、中国は工業部門では開放政策をネットでは閉鎖的政策をとったのに対して、インドは工業では閉鎖的政策をネットでは開放的政策をとっています。
 ただし、中国企業をみると別に政府の特別の保護を受けて育ったというわけではありませんし、中国の風土にあったサービスを中国企業が生み出せたという側面も大きいです。

 近年、新たなサービスの普及のために、時限的あるいは地域的に規制を緩和して実験を行う「規制のサンドボックス」という政策アプローチが注目されていますが、改革開放以来の中国は、この「規制のサンドボックス」的な部分があったとも言えます。
 とりあえずグレーゾーンであっても経済発展に資するならば事後的に認められるといった風潮がさまざまなネットサービスを育てたとも言えます。
 現在、新興国は巨大な実験場とも言える存在になっており、さまざまな試行錯誤の中から先進国に逆輸入されるようなものも現れているのです。

 第4章では新興国におけるデジタル化のリスクが検討されています。
 まず、デジタル化において新興国が強いのはアプリケーション層であり、OSや部品などのミドルウェア層、通信ネットワークや物理サーバやCPUなどの物理層は先進国がアドバンテージを持っています。中国を除けば、先進国が築いた土台の上で成長している段階です。
 
 また、デジタル化は雇用を奪う懸念もあります。工業化は多くの雇用を生み、幅広い人々の所得を底上げしましたが、デジタル化でそのような雇用が生まれるとは限りませんし、自動化は工場から労働者を追い出すかもしれません(本書では完全な自動化はないだろうと予測している)。
 一般的に情報通信技術産業が生み出す雇用はそれほど多いものではなく、例えば、インドでは情報通信技術産業が付加価値の6.3%を生み出していますが、雇用は全雇用の0.9%に過ぎません(147−148p)。
 どの程度自動化が進むのかということに関しては、研究者によって意見が違いますが、セルフレジは日本よりも人件費が安いはずの中国で急速に普及しているなど、人件費だけではなく、どの程度のサービスを求めるのかという問題も関わってきます。
 
 おそらくデジタル化が進展すれば、自動化によって失われる雇用もありますし、新たな技術の登場にともなって生まれる雇用もあります。一般的にデジタル化では、プログラマー、クリエイター、そして、宅配などに代表されるラスト・ワンマイルの人材が求められると考えられます。
 しかし、このラスト・ワンマイル人材の多くは非正規であったり、あるいはギグワーカーとも呼ばれる単発の仕事を請け負う存在だったりして、その待遇は良いとは言えません。こうした労働者の置かれた境遇はケン・ローチの『家族を想うとき』でも告発されていました。
 ただし、この「痛み」は新興国ではあまり感じられないかもしれません。そもそも新興国ではインフォーマル雇用が多く、アナログなインフォーマル雇用がデジタルなインフォーマル雇用に置き換わるだけかもしれないのです。
 また、新興国では財閥がデジタル分野に進出しているケースも多く見られます。そうなると、ロックイン効果も相まって健全な競争が損なわれるかもしれません。

 第5章では、「デジタル権威主義」とも呼ばれる政治の動きをとり上げています。
 2011年に本格化した「アラブの春」はネットを使った民主化運動の先駆けと見られましたが、その後は中国に見られるようにネットを使って権威主義的な支配を強めようという動きも目立ってきています。 
 デジタル化は人々を自由にする面もありますが、監視のために便利なツールにもなります。監視カメラだけではなく、中国で普及が進む信用スコアなども、権威主義国家が国民を監視するには便利なツールであり、権威主義をより盤石なものにするかもしれないのです。

 このデジタル技術の進歩は先進国の政治にも大きな影響を与えています。国家の監視はともかくとして、先進国でも巨大IT企業が膨大なプライバシー情報を握っていますし、ネットではフェイクニュースが跋扈しています。単純にアクセスを集めたいがためのでっち上げもあれば、意図的にライバルを抽象するための偽情報もあります。
 このフェイクニュースに関しては何らかの取締が必要だと感じる人も多いでしょうが、フェイクニュースの取締法を制定したのが、タイ、マレーシア、シンガポール、ロシアなどという話を聞けば、権力者が自分にとって都合の悪いニュースを「フェイクニュース」として取り締まる事態も十分に考えられます。

 そんな中、トランプ政権のもとでは米中対立がエスカレートし、米中のデカップリングという所まで取り沙汰されるようになりました。
 中国はそのデジタル技術を同じ権威主義体制の国に輸出しており、特に国際的な経済・貿易体制へ統合されていない国に関してはますます中国の影響力が強まってくると考えられます。

 第6章で、コロナ以降の動きと日本の課題がとり上げられています。
 新型コロナウイルスの流行は、デジタル技術の重要性を再認識させました。リモートワークの普及等だけでなく、感染者の追跡などにもその威力を発揮しました。そうした中で今までとは逆に中国からプライバシーを危惧する声があがったりもしました。
 日本に関しては、デジタル化において先を走っているは言い難い状況ですが、デジタル化がもたらす脆弱性を最小限にする取り組みなどを意識しつつ、新興国との共創を目指すべきだというのが著者の主張になります。

 以上のように、非常にタイムリーな話題を扱った本になります。もともと『中央公論』における連載がもとになっていることもあり、きっちりとした構成というよりは、その都度話題が広がっていくような形で書かれていますが、そうした中に今後の社会を考えるヒントが詰まっています。
 また、最後にコロナのことが出てきますけど、現在の状況ではもはや世界の新興国を飛び回るようなことはできないわけで、そうした点でもタイムリーだった本と言えるかもしれません。