日本学術会議の問題でも注目を集めた著者による「民主主義」の入門書。まさに絶妙なタイミングで出版されることになりましたが、著者の本をこの本で初めて読んだ人にとっては、「なぜこの本の著者が拒否されるのか?」と思うでしょう。非常に王道的な本であり、特に過激なところはないようにみえます(読み終えるとラディカルな部分もあるのですが)。
 ただし、王道的な流れの中にも刺激的な内容が含まれているのが本書の魅力で、古代ギリシャ、ルソー、トクヴィル、J・S・ミル、ダール、ロールズといった王道的なラインナップを並べているにもかかわらず、そこから一歩踏み込んだ議論を展開しています。民主主義の歴史について一通り知っていると思っている人にも「なるほど」と思わせるのが本書の魅力であり、著者の力量ということになるでしょう。

 目次は以下の通り。
序 民主主義の危機 
第1章 民主主義の「誕生」 
第2章 ヨーロッパへの「継承」 
第3章 自由主義との「結合」 
第4章 民主主義の「実現」 
終章 日本の民主主義 
結び 民主主義の未来

 冒頭には「民主主義とは多数決なのか?」「民主主義とは選挙なのか?」「民主主義とは制度なのか理念なのか?」という問が掲げられています。
 良識的な答えとしては、「多数決だけではなく少数者の権利が重要である」「選挙だけでなくデモなども民主主義の手段である」「制度であって理念でもある」ということになるでしょうし、実際に「結び」で提示される答えもそういったものです。

 つづいて、民主主義の危機として、ポピュリズム、独裁的指導者の増加、第4次産業革命とも呼ばれる技術革新、コロナ危機の4つをあげていますが、ここでも背景にある格差の拡大の指摘、AIの発展に伴って人間の主体的な判断が失われていくことへの懸念などを含めて、問題設定としてはある意味で平凡だと思います。
 ですから、本書は「答え」よりも「過程」が重要な本と言えるでしょう。

 本書は民主主義の「誕生」を古代ギリシャのポリスに求めています。このあたりも西洋中心主義的に思えますし、古代ギリシャ以外にも民主主義の源流を求める近年の動きからするとやや古臭く感じる面もあるかもしれません。
 しかし、著者は古代ギリシャが民主主義に対して徹底的で、なおかつ自覚的だったところに独自性を見出します。
 そして、同時に古代ギリシャの民主主義が現在の民主主義とは少し違ったものであったことにも注意を向けます。例えば、現在では民主主義といえば選挙ですが、古代ギリシャにおいては公職を選ぶときは抽選が基本で、選挙は「優れた人選ぶ」という点から貴族政的であると見られていました。古代ギリシャではオリエントの帝国にあった官僚制と職業制を廃し、「平等な市民」(もちろん女性や奴隷は排除されているわけですが)による政治を追求したのです。古代ギリシャにおける「政治」とは、「自由で相互に独立した人々の間における共同の自己統治」(49p)のことでした。
 開かれた公共の議論によって意思決定が行われ、市民がそれに自発的に服従する、この2つが古代ギリシャの民主主義の特徴でした。

 ただし、古代ギリシャの民主主義は自然に生まれたというわけではありません。中小農民が貧窮から債務奴隷に転落する状況に対処するためにソロンの改革が行われ、その後、クレイステネスの改革によってアテナイの民主主義は確立しました。クレイステネスは人為的な部族の設定によって従来の貴族の力を削ぎ、民主主義の基盤をつくったのです。
 この背景には軍事的な理由もありました。当時のポリスの軍事力の中心は重装歩兵であり、中小農民の没落は軍事力の弱体化にも繋がります。軍事的な貢献と政治での発言権が結びつくことで、アテナイは繁栄を築きました。

 このアテナイの民主主義に対しては批判もあります。デマゴーグが登場し、スパルタとの覇権争いに敗れたとの説明はよく聞くことですし、師のソクラテスを多数派によって死に追い込まれたと考えたプラトンは民主主義を否定し、「哲人王」による政治を理想としました。
 しかし、アテナイの民主主義は一方的に衰えたわけではなく、復活して「違法提案に対する公訴(グラフェー・パラノモン)」といった新たな制度(現在の違憲審査権に少し似ている)も生んでいます。アテナイの民主政はマケドニアに屈服するまで続いたのです。
 その後のローマでは君主政・貴族政・民主政をミックスした政治のスタイルが「共和政」として確立していきます。以降、民主主義は否定的に語られることが多くなり、その状況は18世紀まで続いていきます。

 この後、11世紀以降のイタリアでコネームと呼ばれる都市国家が発展し、民主主義的な政治が試みられますが、この政治は貴族独裁へと変化していきます。
 また、17世紀以降、イギリスで議会政治が発展していきますが、著者はこれを「民主主義」とみなすことにためらいをみせています。イギリスの議会はこの時点では特権者のための組織だったからです。

 そこで、まず重点的にとり上げられるのがアメリカ独立革命なのですが、ここでも独立当初のアメリカが「民主主義」であったかということに関して著者は留保をつけています。まずは黒人奴隷の存在がありましたし、「建国の父」たちは民主主義に対して懐疑的であり、エリートによって公共の利益が追求される「共和政」が前面に打ち出されました。
 ただし、アメリカの「建国の父」たちが、直接参加の民主政は小規模な都市にしか適用できず、大国では派閥の弊害を派閥をぶつけることによって緩和できると考えたことが、その後の民主主義に与えた影響は大きく、近代国家で可能な「民主主義」=「代議制民主主義」という考えが通説になっていくことになります。
 一方、アメリカの中に動かしがたい平等化の趨勢を見出し、それに人々の思考法や暮らし方を含めて「デモクラシー」という名を与えたのがトクヴィルです。

 フランス革命も革命勃発当時は立憲主義的な王政が目指されており、必ずしも手放しで「民主主義」が主張されたわけではありませんが、革命の進行とともにジャコバン派が権力を握ったことで過激化していきます。
 この一連の動きの背景にあったのがルソーの思想です。ルソーは貧富の差を批判し、支配と服従の契約を批判するなど古代ギリシャの民主政を思わせる議論を行うと同時に、「一般意志」という謎めいた考えを残しました。「一般意思」を具体的にどう導くのかということに関してはよくわからないことが多いのですが、派閥同士の対立という多元的な代議制民主主義とはまた別の形の民主主義をスケッチしたものと言えるかもしれません。

 18世紀以降しばらく、立法権こそが重要であり、議会こそが民主主義の中心だと考えられていました。
 法は一般的なものであり、それに基づいて行われる行政は特殊的なものです。当然ながら、一般的な法こそが重要であり、行政はその従属物のように考えられていたのです。その結果、政治においては議会が重視されます。
 そうした中で政党が注目されるようになります。古代においては否定されていた党派は、最初は消極的に認められ、やがて積極的に認められるようになっていきます。ヒュームは利害に基づく党派こそが害のないものだと主張し、バークは政党を積極的に位置づけます。
 ルソーもまた立法こそが政治の役割だと考え、主権を人民が持つ、つまり人民が立法を行うことが重要だと考えましたが、一方で、小説『アドルフ』などでも知られるバンジャマン・コンスタンは、主権の在り処よりもむしろ主権の適用される範囲が重要だと批判しました。

 一方、トクヴィルの「デモクラシー」という言葉の使い方はやや独特で、それは制度というよりは理念、あるいは人々の日々の営みを指しています。特にトクヴィルが注目するのはコミュニティレベルの自治活動で、この身近な政治からの積み重ねに大きな可能性を見ました。そして、さらに「デモクラシー」の中に平等への趨勢と、共同体中心の考えから「個人主義」への転換を見ました。

 トクヴィルとも交友関係のあったJ・S・ミルは代議制民主主義について考察し、『代議制統治論』という本を出版しています。この本で、ミルは代議制民主主義こそ最善の政治体制であると指摘しました。
 ミルは代議制民主主義の2つの良い点として、「国民の徳と知性を促進する」「機構それ自体の質」という2つの点をあげました。専制君主のもとでは国民は政治について関心を持ち考える必要はありませんが、民主主義では政治について関心を持ち考える必要があり、それが国民を向上させます。また、ミルは優秀な官僚を国民の代表者がが監督するというスタイルがもっとも優れた政治体制であると考えていました。
 ミルは大卒以上の有権者に2票以上与えても良いなど、今の感覚からするとエリート主義的な考えも持っているのですが、女性参政権を主張し、比例代表制の導入も訴えています。

 民主主義にとって、すべての市民の参加が重要であるならば、それが実現したのは20世紀初頭ということになります。この時期に多くの国で普通選挙制が導入され(男子のみのところも多かったが)、エリート以外が政治に参加できるようになります。
 ただし、この時代の民主主義に対しては懐疑の目を向ける人も少なくありませんでした。マックス・ウェーバーは無力な議会と政治的教育を受けていない国民を前にして、強力な大統領に期待をかけました。
 普通選挙によって、エリートではない人々=大衆も選挙権を得ましたが、それとともに彼らを動員するシステムが作られ、政党の幹部が大衆の預かり知らぬところで様々なことを決めていきます。民主化の進展がかえって非民主的な事態をもたらすことになったのです。
 ウェーバーの影響を受けたシュミットは、民主主義の本質を「同質性」だと考え、その同質性を維持するためには「異質なものの排除あるいは殲滅」(186p)が必要だと考えました。シュミットは権力分立や議会における討論などを自由主義的なものと考え、民主主義にはそうしたものは必ずしも必要ではないと考えたのです。
  
 こうした中で、新しい民主主義観を提示した人物の1人にシュンペーターがいます。古典的な理解では、民主主義は人民が自らの意志を実現するために代表者を選び公共の利益を実現するものとされていましたが、シュンペーターは代表者を選ぶことに重点を置き、公共の利益のようなものはその代表者が考えれば良いと考えました。政治家は選挙に勝つために競争し、有権者はそれを見て優劣を判定し、政治を任せればよいと考えたのです。
 ロバート・ダールもまた競争を重視した人物ですが、その競争は政治家同士の票を巡る競争ではなく、多様な利益集団によるものであり、そこに多元性が生まれると考えました。ダールは政治への参加の度合い(包括性)とともに、政治に対して異議申し立てができることを重視し、「ポリアーキー」(複数の支配)という概念を打ち立てました。

 ただし、いかに政治参加の道が万人に開かれていても、経済的な不平等が大きいのであれば、それは絵に描いた餅に過ぎないのかもしれませんし、また、政治的な帰属意識を持てないという問題も生まれています。
 アーレントが『全体主義の起源』で描いたのは、階級からこぼれ落ちてしまった「モッブ」の存在であり、誰にも代表されていないという感覚を強く持つ彼らは議会制民主主義を激しく攻撃しました。
 ロールズは、社会契約の考えと「無知のベール」のアイディアを使って格差を是正する政策の正当性を主張すると同時に、自らの価値観を「無知のベール」のもとで導き出された正義の原理と照らしわせることで、多様な価値観の調停をはかることができることができると考えました。また、一般的にロールズの正義の原理は福祉国家を正当化するものだと考えられていますが、ロールズ自身はさらに踏み込んで「財産所有の民主主義」(すべての人に一定の財産を保証する)を主張しています。
 
 本書は第5章で日本の民主主義についても触れています。日本の民主主義の出発点をどこに置くかは難しい問題ですが、本書では五箇条の御誓文に求めています。ペリー来航以来、日本では武士の中の身分の壁を超えた議論が起こりますが、それが五箇条の御誓文の「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」という考えに結実していきます。
 戦前の民主主義は、大正期に大きく盛り上がったものの、広がる格差や経済問題などに政党が有効に対処できず、消え去ってしまいます。
 しかし、戦争とその後の敗戦によるによる平等化や、今までの支配層がその地位を去ったことによって、民主主義の基盤が整い、それが戦後民主主義につながっていきます。この状況を生かした政治家の1人が田中角栄なのですが、著者は彼の立法活動に注目しつつも、その立法が一般的なものというよりは個別の利益を追求したものであったことを指摘し、そこからその後の政治へとつづく問題点をみています。

 「結び」の部分では、冒頭の問に対する著者による答えと、4つの危機に対する展望が述べられています。
 その上で、最後に私たちが信じていくべきものとして、「公開による透明性」、「参加を通じての当事者意識」、「判断に伴う責任」の3つをあげています。昨今の問題を考えるといろいろ考えさせられる並びではありますね。

 はじめにも述べたように、基本的に王道的な流れなのですが、読み進めていくと、やや古代ギリシャの民主主義に寄った視点から、著者ならではの形で民主主義の形がまとめられています。そして、古代ギリシャの民主主義に寄った分、現状の民主主義に対する批判的な視点を内包するものとなっています。
 同じように「民主主義」を正面から扱った新書としては、待鳥聡史『代議制民主主義』(中公新書)が思い浮かびますが、『代議制民主主義』がラディカルな語り口で現実的な民主主義を示した本だとすると、本書は穏健な語り口でややラディカルな民主主義を示した本だと言えるかもしれません。