批評家であり、思想家でもある東浩紀が立ち上げた株式会社ゲンロンのここ10年の歩みを自身が振り返ったもの。
 本書は、まず起業の記録として読めると思います。事業計画の甘さ、会計処理の重要性など、企業を経営するときに降るかかる問題点を教えてくれます。さらに、もう少し広く、「組織論」としても読めます。能力のある仲間を集めても必ずしも組織としては機能しないということを教えてくれます。
 そして、著者による現代社会論、特にネット論としても読めると思います。もともと、著者はネットの可能性に大いに期待していた人物ですが、どこが上手くいかなかったのか、今のネットのどこが問題なのかということが見えてきます。もちろん、この10年でネットはさらに影響力を高めており、このネットの問題は、現実の政治や経済ともつながっています。本書を読むことは、現代の社会のあり方を問い直すことにもつながるでしょう。

 本書は、ノンフィクションライターの石戸諭のインタビューをもとにした語り下ろしですが、非常に濃密な内容になっています。
 ちなみに自分はゲンロン友の会にも短い期間ですが入っていたことがありますし、ゲンロンカフェにも数回行き、著者のツイッターもフォローしているので、ここで書かれているトラブルの多くや著者の考えの変化も断片的には知っているのですが、一冊の本にまとまった面白さというのは大きい思います。

 目次は以下の通り
第1章 はじまり
第2章 挫折
第3章 ひとが集まる場
第4章 友でもなく敵でもなく
第5章 再出発
第6章 新しい啓蒙へ

 株式会社ゲンロンの前身の会社であるコンテクチュアズが立ち上がったのは2010年の4月、評論家の宇野常寛、社会学者の濱野智史、建築家の浅子佳英、そして本書ではXさんとされている5名で設立の準備が進められ、すぐに宇野氏と濱野氏は抜けることになりますが、基本的には著者に近い人物が集まった会社と言っていいでしょう。
 著者はこれ以前にGLOCOMの副所長をしていたことがあり、人件費などを確認する立場でしたが、事務をする人間が正社員で、研究員が有期雇用や業務委託であったことに疑問を持ったといいます。「コンテンツをつくる人間だけが集まる組織であるべきだ、経理や総務のような面倒な部分はすべて外注で賄うべきだ」(31−32p)というのが著者のスタンスだったのです。

 しかし、最初に出した『思想地図β vol.1』が3万部という異例の売れ行きを示したものの、内部での資金の使い込み、震災について特集を組んだ『思想地図β vol.2』の売上の1/3を寄付することをぶち上げてしまったことなどで、資金の面では余裕がなくなります。
 さらに、「思想地図β vol.3」にあたる『日本2.0』は、コストの掛けすぎ、部数の刷りすぎといった要因で、失敗し借金を抱えることになります。
 一方で、社員はゲンロンカフェを開業するなど、さまざまな事業にお金を突っ込んでおり、後に著者自らがそれの後始末をすることとなりました。
 その後、チェルノブイリ原発を自ら取材した『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』は良かったものの、2013年11月の『福島第一原発観光地化計画』が失敗したことにより倒産の危機に陥ります。スタッフも減らすこととなります。
 2014年末には経理を任せていた社員が辞職し、著者自らが領収書の打ち込み作業などに追われることになります。デジタル化が叫ばれる時代ですが、「それだけでは社員は仕事の存在を忘れてしまう」(79p)と著者は言います。データではない物理的な存在が重要だというのです。

 ただし、調子に乗って広げた事業の中の一つ、ゲンロンカフェが会社を救うことになります。当初に構想されていたシェアオフィス+バーのような形は実現しませんでしたが、カフェでのイベントとニコ生で中継が予想以上の収益をあげていくことになったのです。
 ゲンロンカフェのトークイベントの特徴は長いことで。書店でのトークイベントは1時間半ほどで終わり、その後はサイン会という流れが多いですが、ゲンロンカフェでは3時間超え、場合によっては終電になってもつづくようなイベントもあります。話す方にとっては負担が大きいようにも思えますが、その時間の長さが登壇者の話したい欲求を満足させ、話を思わぬ方向に導くものとなっています。

 ここで著者が以前から述べている「誤配」の考えも出てきます。狙った相手、狙った内容ではなく、意外なところにメッセージが届くことが重要だという考えですが、長時間のトークや観客との交流が、こうした「誤配」を生み出しているというのです。
 さらにこのゲンロンカフェから、芸術、批評、SF、漫画などのスクールが生まれ、これらもゲンロンの経営を支えていくことになります。

 また、著者はゲンロンカフェの成功の要因として価格設定をあげています。現在は前売り2700円、当日3200円(いずれもワンドリンク付き)で、ネット中継は1回1000円、見放題は当初9800円でした。
 これを高いか安いかと見るかは人それぞれですが、ネットのみを考えた場合は「高い」と感じる人が多いでしょう。しかし、ネットのいわゆる「フリー」戦略にのったり、月額2000円程度の価格にしたら、イベントの質は保てなかった著者は述べています。
 結果的に、現在では視聴者数が1000人を超えるイベントが月に1回程度はあるといいます。石田英敬をゲストに迎えた記号論の講義は900人を集めており、テーマからすると異例の集客と言っていいでしょう(110p)。そして、集客人数に応じて登壇者のギャラを増やすような仕組みも取り入れています。

 著者はある種の非合理性を大事にしており、TEDのスーパープレゼンテーションのような無駄のない主張ではなく、ときにメインの主張から外れるような部分こそが重要だと考えています。そこにこそ「考える」契機があるというのです。
 スクールについても、正規のプログラムが充実していることはもちろんですが、スクールが終わった後に行われている飲み会などがつくりだすコミュニティがゲンロンスクールの強みだといいます。今の大学では「親密さはリスク」(124p)と考えられていますが、ゲンロンスクールは大学ほどリスクを恐れずにそうした空間を生み出せるのです。
 また、スクールの卒業生が必ずしも自立する(芸術家になる、SF作家になる)とは限りませんが、良き「観客」になるのであればそれにも大きな価値があると著者は考えています。今はみんながスターを目指している社会で「新自由主義とSNSがその傾向を加速した」(128p)のですが、著者は原理的にそれは不可能で間違っているといいます。「観客」を含めた良きコミュニティが文化を作り出すのです。

 「観客」と似ていますが、もう1つ著者が持ち出すのが「観光客」という考えです。
 前にも述べたように、著者は2013年の4月にチェルノブイリを取材し『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』という本を出しています。「観光地化」されているチェルノブイリに強い印象を受けた著者は、この体験を共有できないかと考え、自らチェルノブイリへのツアーを企画し、今まで5回開催しています。
 ちなみに現在、ゲンロンの代表を務める上田洋子はチェルノブイリへの取材をきっかけに著者と知り合い、ゲンロンの活動に加わっていくことになります。

 この取材やツアーを通じて著者が重要だと考えたのが「観光客」の視点です。チェルノブイリを取材した日本人というとジャーナリストの広河隆一がいて、その成果は『チェルノブイリ報告』(岩波新書)にまとめられています。この本には健康には問題がない、自然は回復しているという声も拾われていますが、彼のチェルノブイリは「死の大地」であるというフレームは揺らいでいません。
 しかし、それほどチェルノブイリに詳しくなかった著者らは、イメージとの違いに衝撃を受けます。取材の目的がはっきりしていなかったことがむしろ良かったというのです。ガイドブックを手にして現地を訪れて、ときに裏切られる。そうした「観光客」の視点こそが重要だと著者は訴えています。
 ただし、福島に関しては上手くいかないところもあり、『福島第一原発観光地化計画』は商業的に失敗し、社会学者の開沼博とは福島とのコミットをめぐって決裂しています。
 一方で、「観光地化計画」の中で知り合い、ゲンロンのメルマガでの連載をまとめた小松理虔『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞し、「友」でも「敵」でもない関わり方というものの可能性を示しました。
 
 2015年からは今までの『思想地図β』に代わって『ゲンロン』という雑誌の刊行を始めます。毎号スタイルを変えていた『思想地図β』とは違い、『ゲンロン』は一般的な論壇誌と同じ判型で日本の「批評」の伝統を受け継ごうとする内容でした。
 浅田彰へのインタビューが載った『ゲンロン4』は1万部超え、著者の書き下ろしとなった『ゲンロン0 観光客の哲学』は3万部超えのヒットとなり、毎日出版文化賞も受賞しました。ここでゲンロンは一時期の経営危機からは完全に抜け出し、会社の体制も拡大していきます。
 しかし、この体制の拡大が再び危機をもたらすことになります。まずは独自の動画配信プラットフォームをつくろうと、著者の読者でもあったエンジニアに業務を委託しますが、これがうまくいきませんでした。また、経理を手伝ってもらっていたアルバイトがやる気を見せていたので、社員にしたところ、彼がアルバイトを増やすなど経営者的な動きをし、経理が放置されるという事態が起こります。結局、彼は退社するわけですが、それに伴ってアルバイトも次々と辞め、2018年末には著者はゲンロンを畳むことを決意します。著者は変な話だが、自分が「ゲンロンに搾取されているという不満をいだいていた」(212p)と言います。

 一度は会社自体をやめることを決意した著者ですが、周囲の説得や上田洋子が自ら代表になると言ったことで、ゲンロンは存続します。当初は自分が代表でなければゲンロンは回らないと考えっていた著者でしたが、自らが経営にかかわらなくなっても、というかかかわらなくなったからこそうまく回るようになった面があるといいます。
 著者は「ゲンロンを強くするためには「ぼくみたいなやつ」を集めなければならないと考えていた」のですが、「でも、その欲望自体が最大の弱点だった」(220p)ことに気づきます。新しく代表となった上田洋子は「ぼくみたいなやつ」ではありませんが、それが組織を上手く回すこととなり、ゲンロンに根強くあったホモソーシャル性から距離をとることにもつながったといいます。

 こうして安定したゲンロンの経営ですが、コロナ禍はゲンロンカフェやスクールの運営に大きな影響を与えています。スクールの後の飲み会にこそ勝ちがあると考える著者にとって、単純なオンラインへの移行は解決にはなりません。著者は現在の状況について次のように述べています。

 感染症への恐怖に駆動されて、多くのひとが、「オンラインで可能な清潔な情報交換だけがコミュニケーションの本体であり、感染症リスクの高い身体的接触はノイズである」と考えるようになってしまいました。
 コロナ禍が長期的な負の影響を残すとしたら、まさにこの価値観こそがそれだと思います。コロナ禍のもとで、多くの人々は、かつてにもまして「誤配」を避けるようになってしまった。(235−236p)

 そんな中で著者が取り組んでいるのがシラスというどいうが配信のプラットフォームです。以前、取り組んだ配信のプラットフォームの計画は挫折しましたが、紆余曲折を経て2020年の10月にサービスがスタートしています。
 シラスのポイントはスケールを追わないことで、Youtubeのように100万人の視聴者の獲得を目指すようなものではありません。無料放送はなしにして、小さなスケールでもサービスが成り立つような仕組みとなっています。
 ここでもキーとなるのは「観客」という考えで、無料でのべつ幕なしに人を集めるのでも、会員制のサロンのようでもなく、「友」でもなく「敵」でもなく、興味を持ってお金を払う「観客」を集めたいと著者は考えています。
 そして、著者は、啓蒙とは人は「見たいものしか見ようとしない」という前提を持った上で、「彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか」であり、「啓蒙というのは、ほんとうは観客をつくる作業」(259p)だと言います。「信者」ではなく「観客」を、というのが著者のスタンスなのです。

 以上が、本書のまとめですが、最初にも述べたようにさまざまな楽しみ方ができる本だと思います。本書は「ある起業家の悪戦苦闘の体験記」としても読めますし、「ネット社会に対する東浩紀の応答」としても読めますし、「東浩紀のここ10年の自伝」としても読めるかもしれません。それだけ「入り口」の多い本だと言えます。そして、この「入り口」の多さが、著者の言う「誤配」という考えの実践にもなっていると言えるでしょう。
 個人的には最近、興味が「人文知」的なものから「社会科学」的なものに移行しているので、近年のゲンロンの活動は追えていないのですが、著者の「ファン」ではなくても非常に面白く読める本だと思います。