副題は「「依法治国」の公法と私法」。長年、中国の契約法を中心に研究してきた著者が、中国における具体的な判例に沿いつつ、中国の法の特質を論じた本になります。
 判例を中心に法学的な議論がなされているので決してとっつきやすい本ではないのですが、読み進めていくと中国の法、そして政治や社会の原理といったものまでが見えてきて非常に面白いです。
 さらに、中国の法制度は欧米流の刑事司法の原則や法の支配、あるいは立憲主義といった考えからは明らかずれている部分があるのですが、その「ずれ」は、実は一般的な日本人にとって比較的受け入れやすい考えでもあり、欧米で発展してきた司法制度そのものがかなり特異なもの(だからこそ貴重)だということが見えてくるような内容になっています。
 
 目次は以下の通り。

序章 私法か公法か、法律認識のギャップがもたらした事態―尖閣諸島国有化問題
私法編
第1章 “中国では法はあって無きが如し”か
第2章 悪魔の証明を強いられた日本企業―三菱自動車株式会社損害賠償事件
第3章 対日損害賠償請求における法と政治―「商船三井」船舶差押事件とその後
第4章 教室の学生の誰一人として賛成しなかった民事判決―広東省五月花レストラン人身傷害賠償請求事件
公法編
第5章 二つの憲法―沈涯夫・牟春霖誹謗事件
第6章 拷問による自白の強要―殺されたはずの妻が舞い戻ってきた余祥林事件と、憐れ刑場の露と消えた劉涌事件
第7章 中国の「法院」は裁判機関か―莫兆軍職務懈怠罪事件
第8章 表の法と裏の法―南剡鋒不法所得罪事件

 中国の法律については「遅れている」というイメージを持つ人も多いでしょうが、例えば、中国の契約法は最近の国際的な動向を取り入れた法律であり、国際性という観点からは日本よりも「進んでいる」とも言えます(19p)。
 ただし、個人の権利義務関係を定めた私法の領域においては欧米や日本と同じように機能していると考えられる中国の法も、公権力の行使にかかわる公法の領域ではその様相が変わっているというのが本書の見立てになります。そして、私法と公法の領域自体も日本とはずれがあるのです。

 そのずれが表面化したのが、日本政府による尖閣諸島の購入です。野田政権は東京都に購入されるよりはと、地権者から尖閣諸島の土地を購入し、登記の手続きをしました。所有権移転登記は日本では完全に私法の領域であり、公権力の行使ではないように見えますが、社会主義の流れをくむ中国では都市部の土地はすべて国有地であり、国有財産の権利は憲法に由来する公権となります。「国有化」は単なる所有権移転登記にすぎないという日本の主張は、中国の法の下では受け入れがたいものなのです。

 中国では民事訴訟の件数は多く、例えば契約をめぐる訴訟だけでも2016年には67万件以上の訴訟が受理されています(48p)。これだけの訴訟があるということは、紛争解決の手段として人々が裁判に期待を持っている証拠になるでしょう。
 市場経済の浸透とともに契約をめぐるトラブルは増えていますが、そこで中国では泣き寝入りしない人が多いのです。
 ちなみに、中国の契約は約定重視であり、日本の民法のように契約の種類ごとに「原則」のようなものがあるわけではなく、約定こそが原則という形になっています。

 第2章と第3章は日本企業が巻き込まれた事件を扱っています。
 第2章の「三菱自動車株式会社損害賠償事件」については、製造物責任をめぐる問題で、走行中のフロントガラスの突然の破損の責任をめぐって争われた裁判で、被告側の三菱自動車が証拠のガラスを日本に持ち帰って鑑定したという行為が原告側の欠陥証明を妨害したとみなされて三菱自動車が敗訴しました。著者は被告側の中国の法や司法制度に対する無知や軽視が招いた判決だと論評しています。

 第3章の「「商船三井」船舶差押事件」は戦時中の船舶徴用の賠償として中国に停泊中だった商船三井の船舶が差し押さえられた事件です。
 日中戦争当時の1937年に日本の大同海運が原告(の父)から貸借していた船が日本海軍が徴用し、それが沈没して返還されなかったことの損害賠償を求めたものになります。
 賠償を日本政府に求める場合だと、日中共同声明によって賠償権は消滅しているわけですが(被告となった大同海運の業務を受け継いだ商船三井や日本政府は本裁判でもこの主張をした)、中国はこの商船三井相手の訴訟を私人間の訴訟として取り扱いました。
 1930年代の出来事にどのような法を適用するのか?(当時は中華民国だった) あるいは、時効の問題などさまざまな問題を含んだ訴訟ですが(詳しくは本書を読んでください)、政治と裁判の関わりを感じさせる事件でもあります。

 第4章では、「広東省五月花レストラン人身傷害賠償請求事件」という事件が紹介されているのですが、章のタイトルにもあるように日本の司法からすると理解しがたい判決です。
 この事件は、原告が五月花レストランに行ったところ隣の個室で起きた爆発に巻き込まれ子どもが死亡、妻が重傷を負ったというものですが、この爆発は個室の客が料理とともに飲もうと思っていた酒に爆発物が仕掛けられていたことで発生しました。この事件において、原告は加害者ではなくレストランを被告として裁判に訴えたのです。
 普通、客が持ち込んだものに爆発物が仕掛けられているとは想像できず、レストランにはそれを予見する可能性や事故を防止する義務はまったくなかったように思われます(例えば、これが飛行機に爆発物が持ち込まれて爆発とかならわかりますが)。
 しかし、この事件の二審判決で二審法院は被告のレストランに30万元の補償を命じたのです。

 一審では被告は果たすべき注意義務を果たしており、不法行為はないために損害賠償は認められないとしました。日本で裁判をやってもこのような結論が出るでしょう。
 ところが、二審では被告の不法行為を認めなかったものの、「双方当事者の利益の均衡」という考えを持ち出して、補償を命じました。原告が受けた損害(家族の命)と被告の受けた損害(レストランの損傷と経営への打撃)を比べると、原告の受けた損害のほうが深刻であり、「社会各界」が原告に深い同情を示していることから、被告は原告に補償すべきだというのです。
 この判決に関して、清華大学教授の韓世遠は次のように述べています。

 二審は、輿論と民意に注目し、五月花レストランが補償すれば輿論の批判を引き起こさずにすむが、それをしなければ批判の的になると判断した。もしこのことが裁判を主導した決定力であるとしたら、これはその背後にある文化的特徴を反映するものである。それは”富を奪いて貧を救う”という文化的特徴である。(119p)

 こうした考えは、清の時代の裁判にはよく見られるものだったといいます。清代の民事裁判は地方長官が一段高い立場から双方に譲歩や妥協を求める「教諭的調停」をするものであり、そこでは「情理」のうちの「情」が特に重視されました。当事者の事情を汲むことによって、「法と理の厳格さを修正・緩和」(121p)したのです。
 こうした考えは、宋代の民事訴訟にはあまり見られず、清代になってから定着したものとのことですが、それでも中国の訴訟においてある種の伝統として機能していると言えそうです。

 後半では公法の分野が扱われていますが、ここにくると中国の裁判、あるいは法に関する考え方のずれが目立つようになります。
 第5章でとり上げられている「沈涯夫・牟春霖誹謗事件」は、沈涯夫・牟春霖の2人が、原告が上海に移住するために妻に精神病のふりをさせて精神病院に入院させたという記事を書き、その記事を見た人からの非難のために原告が正常な生活を営めなくなったというものです。その後の調べでは、妻が精神的疾患を持っていたが、移住するためい精神病のふりをさせたといったことはないということが明らかになっています。

 基本的には日本でもありそうな名誉毀損の裁判で、一審では原告の訴えを認めて損害賠償を命じています。二審でも原告の損害賠償が命じられているのですが、その判決の中では、憲法51条の憲法上の権利を行使するときに生じる義務である「国家、社会、集団の利益と、その他の市民の合法的自由と権利を害(そこな)ってはならない」という部分が引用されています。つまり私人間の名誉毀損の裁判に憲法が適用されているわけです。

 立憲主義憲法の下では、国家から個人の権利や自由を守るために憲法がありますが、ここでは憲法が表現の自由を宣言する根拠となっています。
 この51条の「国家、社会、集団の利益と、その他の市民の合法的自由と権利を害ってはならない」という規定は、「集会・デモ・示威法」などさまざまな法律に引用されており、市民の基本的権利一般を縛るものとなっています。
 では、51条の「「国家、社会、集団の利益」とは何かというと、それは憲法の序言に書き込まれた「党の指導」という部分になります(以前は「党の指導」と「社会主義」の2本柱だった)。中国においては「党政不分」、つまり党と公的な政治を分けることはできないのです。

 第6章では、2つの事件がとり上げられています。
 1つはしゃ(ひとやねに示)祥林という男が妻殺しの容疑で逮捕され服役したが、服役後に死んだと思われていた妻が帰ってきたという事件。2つ目の劉涌事件は、会社を経営しながら黒社会(犯罪組織)も組織していた劉涌が死刑になったという事件です。
 この2つの事件の共通点は、一審では執行延期のつかない死刑判決が出たものの、ニ審ではそれが覆された点で、その判決の背景には拷問の疑いが払拭できなかったことが考えられます。つまり、裁判では容疑者の有罪であろうという判断に違いはなかったものの、拷問があったかもしれないということを差し引いて執行延期のつかない死刑という一番重い刑罰が回避されたのです(劉涌事件に関しては二審では執行が猶予される死刑となりましたが、世間の反発が起こり(「民憤」という)、最高法院が再審に乗り出して執行延期のつかない死刑判決を出している。そして、この事件の裏には劉涌から政敵のスキャンダルをつかもうとした薄熙来の影があるとされる)。

 中国においては拷問がしばしば行われているようで、拷問の末に獄死するようなケースもあるといいます。
 そして、興味深いのが、中国では礼記などの古典にも登場し、唐代の法にもあった”疑わしきは軽きに従う”、つまり有罪どうか確信が持てない、あるいは拷問のような違法な手続きがあった場合は刑を軽くするという考えが、現代でも息づいているという点です(明代や清代にはみられなかったとのこと)。
 これは刑事司法の原則からするととんでもないことですが、もしも素人のみで裁判をしたら日本でも出てきそうな考えだと思います。警察が違法捜査をして真犯人を捕まえた場合、無罪を決断できる一般人は少なく、「減刑して有罪」が落とし所と考える人が多いのではないでしょうか。

 第7章では中国の法院がそもそも「裁判所」と言えるのか? さらに中国の「司法」をどう捉えるべきかという問題が検討されています。
 とり上げられている「莫兆軍職務懈怠罪事件」は、広東省四会市の法官(裁判官)だった莫兆軍が取り扱った民事事件で敗訴した被告が自殺をしたことがきっかけで法官の莫兆軍が職務懈怠罪で刑事告訴された事件です。
 この民事事件は借金の取り立てをめぐるものですが、実は借用書は被告が脅迫されて書いたものであり、このことは被告が自殺した後の捜査で判明しました。結果的に、ずさんな審判だったわけですが、だからといって担当した裁判官が刑事告訴されるような事態は日本では想定できないものでしょう。

 莫兆軍は一審こそ無罪でしたが、二審では「当該事件の処理意見を指導者に報告してから判決を下すことを求めるとの上司の支持に莫が従わ」(184p)なかったことが問題とされました。
 ここでも日本における「裁判官の独立」とはまったくちがった原則がはたらいています。結局、莫は上司の支持に従わなかったわけではなかったということで職務懈怠罪は成立しなかったのですが、日本では裁判官が判決について上司の支持を仰ぐこと自体が問題で、上司の意向を取り入れたらその方が問題となります。

 西洋の裁判官は「いかなる主人も持たない」ことが原則ですが、中国の法官はヒエラルヒー的な構造のもとで意思決定を行っており、そのあり方は行政官に近いものがあります。
 また、西洋の裁判官は「自らの下した決定に対して責任を問われることがない」(194−195p)ですが、中国の法官は莫のように責任を問われます。また、判決が確定した後でもしばしば再審がなされ、ときには法院が被告人に不利な方向で再審請求をすることもあります。
 マックス・ウェーバーは中国では「すべての裁判が行政の性質を帯びてくる」(197p)と述べましたが、その伝統はまだ続いていると言えるでしょう。

 第8章では、中国の「裏の法」について述べています。実は中国は1949〜79年まで30年間、刑法典も刑事訴訟法典も存在しない状態でした。当然、刑法典がなくても犯罪は起きるわけで、反革命処罰条例や、汚職処罰条例などを援用しながら裁判は行われていました。
 文化大革命の後に鄧小平が実験を握ると法典の整備が進み、2020年の民法典の制定をもって体系的な法体系が出来上がったと言えます。
 そうした事情もあるせいか、中国には公表されていない「裏の法」が存在し、それが裁判で明示はされないものの適用されることがあります。
 
 本章でとり上げられている「南剡鋒不法所得罪事件」は、南剡鋒という下級官吏の不正蓄財が疑われ不法所得罪で起訴された事件ですが、この蓄財が行われた1982〜85年にはこの不法所得罪は公布されていませんでした。しかし、82年に全人代常務委員委員会機関党組が先駆けて規制案を作成しており、それが内部規定として参照・試行するものとされていたのです。
 中国では法案の審議が常に公開されるわけではありません。「香港国家安全維持法」もまったくの密室で審議されています。法は秘密裏に作成され、ある時期に公表されるのです。そして、この公表されていない法がときとして裁判に適用されます。また、憲法に書き込まれた「裁判の独立」と「党の指導」のさじ加減を決めているのも党の内部文書になります。

 このように、本書は中国の異質な司法の姿を描き出しているのですが、面白いのはその「異質さ」は日本の一般の人々の常識と照らし合わせると、ある程度納得できる部分を含んでいる点です。例えば、第6章に出てきた「疑わしきは軽きに従う」という考えなどは、日本でも出てきておかしくない考えだと思います。
 ですから、本書を通して浮き上がってくるのは中国の司法の「異質さ」とともに、イギリスを中心とした西洋で発展してきた「法の支配」や「刑事司法の原則」といったものの「異質さ」でもあります。本書でも指摘されているように、日本にも北条泰時の御成敗式目に見られるような「法の支配」に近い考えが生まれたこともありましたが、やはり、「法の支配」や「刑事司法の原則」といったものは特定の歴史の中で生まれた特殊な考えでもあると思うのです。
 中国の法制度について知るとともに、中国と西洋という社会のあり方、さらにはその狭間に位置するような日本の社会のあり方についても考えさせられる非常に刺激的な本です。