政治の世界でよく使われる「リベラル」という言葉ですが、では一体何を指すのかと言うと、意外と難しいのものがあります。「リベラル」の辞書的な意味は「自由な」、「自由主義の」、あるいは「寛大な」といったものになりますが、日本ではいわゆる左派が「リベラル」を名乗ることも多い一方で、自由民主党の英語名は「Liberal Democratic Party」です。
 こうした「リベラル」という言葉をめぐる混乱を歴史的経緯を踏まえて整理しつつ、リベラルという思想の可能性や、あるべきリベラルの政策を探った本になります。
 本書の特徴は、百花繚乱という形の「リベラル」という言葉の使われ方を一定の範囲で限定しながら論じている点で、それが例えば吉田徹『アフター・リベラル』(講談社現代新書)に比べたときに、わかりやすさを生んでいます。
 ただし、個人的にはそのわかりやすい整理の中で切り落とされたものもあるのではないかと感じました。

 目次は以下の通り。
第1章 自由放任主義からリベラルへ
第2章 新自由主義vs.文化的リベラル
第3章 グローバル化とワークフェア競争国家
第4章 現代リベラルの可能性
第5章 排外主義ポピュリズムの挑戦
第6章 日本のリベラル―日本のリベラルをどうとらえるか
終章 リベラルのゆくえ

 まず、本書の特徴は冒頭で「現代のリベラルとは「価値の多元性を前提として、すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治思想と立場」(i p)と明確な定義を与えている点です。
 これによって古典的な自由主義の系譜や、バーリンの「消極的自由」を擁護する立場などを対象から外しています。
 また、ヨーロッパの「リベラル」は「小さな政府」を求め、アメリカの「リベラル」は「大きな政府」を求めるという対比がありますが、本書ではこの対比がここまで強く考えられているのは日本くらいなもので、他の国々では、古典的自由主義と現代リベラリズムの対比こそが中心であり、ヨーロッパの「リベラル」も現代においては現代リベラリズムだという見方が採用されています。

 第1章では古典的自由主義の流れが簡単に整理されていますが、本書ではロックの思想をその出発点に置き、その特徴を個人の自然権と法の支配による国家権力の制約にもとめています。
 産業革命の進展とともに自由主義はブルジョワジーの経済的利益を代弁する思想になっていき、19世紀には「自由主義の黄金時代」を迎えました。
 しかし、労働者階級の長時間労働や貧困が問題になるにつれ、都市部の専門職やジャーナリストなどの自由業を中心にこうした問題の解決を求める声が強まります。彼らは「社会主義と異なり市場経済を肯定する一方で、「自由」をたんなる私的利益の追求と結びつけるのではなく、個人の尊厳や道徳的発展と結びつけた」(15p)のです。
 本書では、こうした動きを示すものとしてイギリスの「ニュー・リベラリズム」、フランスの「連帯主義」、アメリカの「革新主義」などがあげられています。

 世界恐慌が起こると、古典的な自由主義は社会主義とファシズムに挟撃され力を失いますが、新しいリベラルな思想も生まれてくることになります。ケインズは経済的な自由主義を修正して国家が経済に介入する道を開き(ただし、ケインズには個人の人格的発展や分配論について関心は薄い(27p)、ベヴァリッジは「ナショナル・ミニマム」を保障する社会保障制度を提案しました。
 そして、第2次大戦後には、労働者は経営者の協力して生産性を向上させ、経営者は労働者の雇用を保障して生産性の伸びに合わせて賃金を引き上げ、さらに国家が経済成長の果実を公共投資と社会保障へと回し個人の「自由な生活」を保障するという合意、「リベラル・コンセンサス」が出来上がります。

 しかし、このリベラル・コンセンサスは1970年代に行き詰まります。第2章では、この行き詰まりと、その後に出てきた新自由主義と文化的リベラルがとり上げられています。
 1973、79年の2度の石油危機は先進諸国の経済成長のペースを大きく低下させます。さらにグローバル化の進展はケインズ的福祉国家の維持を難しくさせました。産業構造も第2次産業から第3次産業へのシフトが起こり、人びとの価値観も多様化しました。
 そんな中で登場したのが新自由主義です。新自由主義と言うと市場万能主義のようにも思われていますが、その思想的バックボーンとなったハイエクやフリードマンは福祉国家が個人の生き方に介入することを批判しました。新自由主義のリベラル批判の中核には「価値の多元性」があります。
 新自由主義の考えを反映した政策を行ったのが、イギリスのサッチャー政権でありアメリカのレーガン政権でした。ただし、新自由主義は当初期待されたようなトリクルダウンを生み出さず、格差の拡大に対しては新自由主義政権は保守的な道徳を押し出すようになります。

 一方、70年代には文化的リベラルとも言われる動きも起こってきます。イングルハートは1970年に20歳前後になった世代から、「物質主義的価値観」を持つ人よりも「脱物質的価値観」を持つ人が増えてきたと指摘し、これを「静かな革命」と呼びました。経済的安定や治安などリベラル・コンセンサスが約束した価値に代わって、政治や職場での決定への参加、環境、人権の尊重などをより抽象的な価値や自己決定を重視する人が増えたのです。
 こうした考えの転換を背景に、環境運動、反戦運動、人種的マイノリティの権利運動、フェミニズム運動などがさかんになります。
 また、新自由主義が価値の多元性を表明しつつも政策面では経済的な価値に集約されるような政策をとったのに対して、文化的リベラルはあくまでも価値の多元性を主張しました。

 こうした結果、キッチェルトによると、今までの「市場中心か国家中心か」という右と左の政治の対立軸は、それに社会秩序や文化に関して個人の自由と平等を最大限に尊重する「リベラル」と社会の秩序が階層と権威によって成り立つと考える「保守」という対立軸を加えたものになります。
 そして、現代の政治の対立軸は、経済的には国家中心で文化的には「リベラル」の「左派リベラル」と、経済的には市場中心で文化的には「保守」の「右派保守主義」が中心になります。
 ただし、文化的リベラルはキッチェルトが想定したほどには大きな政治勢力にはなりませんでした。この理由として、当初、支持層として想定されていたサービス業の従事者や中産階級が、グローバル化の中でその地位が不安定になり、文化的リベラルの運動が「一握りの恵まれた社会層による高踏的な理想論だというイメージ」(67p)を持たれてしまったことなどが考えられます。

 一般的に新自由主義の隆盛によって「小さな政府」がもたらされたと考えられがちですが、実態は違います。このあたりを論じているのが第3章です。
 確かにOECD諸国の平均法人税率は2000年の30.4%から2018年の22.3%へと下がりましたが、平均総税収(GDP比)は2000年の33.8%から2018年の34.3%へ微増しています(71‐72p)。公的社会支出(GDP比)に関しても1990年と2015年の比較で、日・米・英・仏・スウェーデンの中で減少しているのはスウェーデンだけです(72p図表3−1参照)。
 もちろん、高齢化という要因もあるのですが、格差の拡大や不安定な雇用の増大で、政府支出拡大の要求は高まっているのです。

 労働市場はギグ・エコノミーの登場などでますます流動化しつつありますが、そうした中で「インサイダーとアウトサイダーの二分化」が進行しています。安定した雇用で社会保険によって守られた正規労働者と、断片的で不安定な雇用で社会保険からも弾かれがちな非正規労働者に大きく分かれてしまっているのです。さらに、家族構成も変化し、共働き世帯、一人親世帯、単身世帯が増え、以前のような「男性稼ぎ主モデル」にあてはまらない家族が増えています。
 こうした中で、以前のような定型的なリスクに対応する社会保険だけでは人びとの生活を守りきれなくなっています。

 そこで、アメリカの民主党やイギリスの労働党などの中道左派政権は、新自由主義を修正し、「ワークフェア競争国家」とも言われるスタイルを模索します。
 これは、市場の活力を重視しつつ、同時に国家が教育や福祉を通じて人びとに働きかけ労働参加を促すスタイルになります。70年代以降、貧困層への手厚い福祉が問題視され、それが中産階級の左派離れを引き起こしていましたが、福祉(ウェルフェア)を就労(ワーク)へ方向づけることで、新しい福祉の形を目指したのです。
 こうした政策では表向きでは多元性が尊重されましたが、実際は経済的繁栄を価値の中心に置くもので、社会秩序の次元でも保守的であったと著者は診断しています。

 本書ではこのように、「ワークフェア競争国家」はリベラルが対抗すべきものと想定されているわけですが、では、リベラルの取るべき道を考えたのが第4章です。
 本章の前半ではロールズの『正義論』、センのケイパビリティ、エリザベス・アンダーソンの運の平等論に対する批判(ロールズは才能や境遇の違いは運・不運によるものであり、これらは是正されるべきだと考えたが、アンダーソンはそれに加えて個人の選択が引き起こす格差問題にも対処する必要があると考えた)が紹介されています。

 リベラルに担い手となるべき左派政党はジレンマに直面しています。正規労働に従事するインサイダーは雇用の保護や社会保障の維持を求めますが、不安定な職業に従事するアウトサイダーは就労支援や再分配の拡大を望みます。インサイダーの考えを重視すればアウトサイダーは棄権か極右か極左のポピュリズムに流れるかもしれませんし、アウトサイダーを重視すればインサイダーは右派政党に流れるでしょう。
 さらに経済的な対立よりも文化的な対立が良い先鋭化している問題もあります。グローバル化とともにコスモポリタン的な価値観を持つ人々と、安定した生活が失われたと感じ伝統的な共同体を守ろうとする人々に分裂しつつあるのです。
 
 EUが2000年に採択したリスボン戦略では、「人への投資」が打ち出され、これらは「社会的投資」として発展していきます。事後の再分配よりも教育などの事前の投資を重視する政策です。
 ただし、これには経済的価値のみを重視しているとの批判の他、こういった福祉は富める者をますます富ませ貧しい人をより貧しくする「マタイ効果」があるとの批判もあります。例えば、共働きの支援策によってパワーカップルの所得が高まりますし、高等教育の強化も基本的には高所得層に利益をもたらす政策です。
 こうした中では、インサイダーとアウトサイダーの双方の合意が得られるような改革が必要になります。オランダの労働市場改革のようにうまくいったケースもありますが、アウトサイダーがどのような選好を持っているのかを捉えきれていない(例えば、雇用の保護と流動化のどちらを求めているのか?)のが現状で、ここにポピュリズムが台頭する余地があります。

 第5章では、そのポピュリズムに関して、外国人の排斥を訴える排外主義ポピュリズムに焦点を合わせながら分析しています。
 本書では、「既成政党を腐敗したエリートの代弁者として批判し、これまで無視されてきた人民の意思を直接的に代表する自称する運動を指す」(130p)というカス・ミュデらのポピュリズムの定義を採用し、今日の特徴として排外主義と結びつくことを指摘しています。

 以前の右派ポピュリズム政党は、経済的には市場中心、文化的には保守と、新自由主義なとと同じポジションをとっていましたが、グローバル化の進展によって経済的に不安定な層が増えると、右派ポピュリズム政党はその立ち位置を経済的には国家中心(つまり「大きな政府」)にシフトさせていきます。自国の福祉を守るために排外主義を取るというスタンスです。
 一方、多文化主義に対しては福祉のために必要な連帯意識を薄めるものだという批判が出てきます(アメリカの福祉国家の規模がヨーロッパよりも小さいのは民族的多様性のせいだという説もある(140p))。
 ただし、こうした分断を生まれるのは福祉が制度が選別的だからであり、普遍的な制度(誰でも受給対象になる)であればそうはならないという考えもあります。

 第6章では日本の「リベラル」について分析しています。
 日本において、「リベラル」という用語は「護憲・平和主義」を表すものとして使われることがあり、欧米とは異なる意味で使われることがあります。
 もともと日本は自由主義の伝統が弱く、リベラル・コンセンサスに関しても本書では「なかった」(生産性の向上はあったが経営者主導であった)と見ています、福祉に関しても経済成長の原動力として位置づけられており、公的社会支出は他国に比べて一貫して低いままでした(162p図表6−2参照)。
 80年代になると、人びとの生活は安定してきますが、それは企業による手厚い保障がもたらしたもので、職種やジェンダー関係なしに保証がなされたわけではありません。
 そして、バブル崩壊後の長い景気低迷の中で、非正規雇用が増え、「男性稼ぎ主型」家族は少数派になりつつあります。一方で、福祉のほうはそうした変化に追いついていないのが現状です。

 日本の政治において「リベラル」という用語が多く用いられた時期は、1994〜96年頃と、2017年前後です。
 まず90年代半ばに増えたのは、政界再編の中で、社会党系の議員が「革新」に代わって「リベラル」という言葉を使ったこと、自民・新進の保守二大政党に対抗する第三極を目指す勢力が「リベラル」を自称したからです。そして後者の流れは民主党政権へとつながっていくことになるのですが、民主党の政策パッケージは体系性を欠いたものであり、また、確固たる支持基盤をつくれないままに終わります。
 2017年に立憲民主党が結成されると、再び「リベラル」という言葉が多く用いられるようになりますが、立憲民主党の主張する「リベラル」は「法による国家権力の制約」という古典的自由主義の考えに力点が置かれたものでした。
 その一方、第2次安倍政権において、首相自ら「私がやっていることは(国際標準では)かなりリベラルだ」(185p)と発言することもありましたが、雇用や福祉への公的支出水準の低さなどから、著者は第2次安倍政権はリベラルではなく、ワークフェア競争国家に近いものだとみています。

 このように切れ味鋭く現代のリベラルについて解説した本で、わかりやすい見取り図のリベラルの課題を教えてくてます。
 ただ、最後に2点ほど疑問に思ったことを指摘しておきます。まず、1つは社会民主主義の位置づけです。現代の「リベラル」を古典的自由主義からの変質として描いているわけですが、では、欧州において大きな力をもった社会民主主義はどう位置づけられるのかということが気になります。
 もう1つは次の図式です(191pより)。
IMG_1086


 



















 このまとめでも書きましたが著者はイギリスのブレア政権やアメリカのクリントン政権によって推進されたワークフェア競争国家を図の右下に位置づけます。ただ、この右下にはワークフェア競争国家だけではなく、いわゆる新自由主義も入るでしょう。そうなると「イギリスの保守・労働両党、アメリカの共和・民主両党の対立軸はどこにあるのか?」という問題が出てきます。同じ象限にいるのであればあれだけ激しく対立するのはなぜなのでしょうか?
 これを二大政党の政策は限りなく接近すると考えるホテリングの定理で説明することも可能でしょうが、個人的には何かを間違えているのではないかと感じます。 
 確かに本書はわかりやすいのですが、「リベラル」を理想化することで、かえって「リベラル」の範囲を狭めてしまっているところがあるようにも思えるのです(ブレア政権やクリントン政権が右下ならば、左上や右上には何が入れられるんだ?ということ)。