さまざまな問題を抱えている日韓関係ですが、その中でも特に厄介なのが本書がとり上げている「徴用工」問題でしょう。従軍慰安婦や韓国人被爆者の問題は、日韓基本条約で解決できなかった「例外」として捉えることも可能ですが、日本にとって「徴用工」の問題は、まさに日韓基本条約で解決したはずの問題だからです。
 本書は、その「徴用工」問題に対して、日本の植民地支配の実情と「徴用工」の位置づけ、日韓基本条約締結交渉でのこの問題の取り扱い、2018年の韓国最高裁の判決のロジックという3点に注目しながら論じたものです。
 著者は『幕僚たちの真珠湾』、『国家と歴史』(中公新書)などの著作がある日本近現代史の研究者で、「韓国(朝鮮半島)のことについてどの程度わかっているのか?」という疑問を持つ人もいるかもしれませんが、「あとがき」によると韓国政治を専門とする木村幹に草稿を見てコメントをもらっているということで、韓国側のロジックもそれなりに踏まえた内容となっています。

 目次は以下の通り。
第1章 帝国日本の朝鮮統治
第2章 移住朝鮮人、労務動員の実態
第3章 日韓会談と請求権問題―国交正常化までの対立
第4章 日韓請求権協定への収斂―「一括処理方式」へ
第5章 韓国最高裁判決の立論と歴史認識
終章 「徴用工」問題の構図―歴史と法理

 第1章と第2章では、日本の植民地支配と動員の実態が書かれています。
 まず、日本の植民地支配の特徴ですが、日本の植民地は朝鮮、台湾と日本に隣接した地域にありました。そのため、内地との一体化がはかられ、日本からの移住が推進されるとともに、植民地間の人口移動も大きく、さらに1つの経済圏として開発が行われました。戦間期において、日本、朝鮮、台湾は西欧十二カ国の倍以上の経済成長を遂げ、三地域とも同じような水準の成長だったといいます(5p)。

 日本は1905年の第2次日韓協約で韓国を保護国化すると、1910年に韓国併合を行います。朝鮮半島では大日本帝国憲法は施行されず、朝鮮人の政治的権利は大きく制限されましたが、日本と一体的な経済活動を行うための法は整備されました。官僚制に依拠する中央集権的な統治システムがとられ、朝鮮総督のもとで日本の中央官庁から派遣された官僚が統治を担いました。
 
 本書では日本による朝鮮統治を4つの時期に区分してみています。
 まず、第1期は1910〜19年の、いわゆる「武断政治」と呼ばれる時期で、寺内正毅朝鮮総督のもとで治安維持を重視した政治がなされ、土地調査事業も行われています。朝鮮人の土地が奪われ日本人に土地が渡ったという理解がされていますが、併合から1935年までに日本人の手に渡った土地は10%にも満たないということです(21p)。
 しかし、この武断政治は三・一独立運動を引き起こします。日本はこれを弾圧しますが、逃れた李承晩は大韓民国臨時政府を立ち上げます。
 第2期は1920〜30年まで。いわゆる「文化政治」が導入された時期で、朝鮮人の協力を得ながら統治を進めるという形に方向転換がなされます。ハングルの新聞の発行許可、地方自治制度の導入、朝鮮人官吏や「親日派」の育成が図られました。同時に、日本に対する米の供給基地としての開発が進められていきます。

 第3期は1931〜39年まで。満州事変後になると、再び朝鮮半島に対する陸軍の関与が強まり、大陸進出のための資源供給地として鉱工業が発展します。朝鮮南部には軽工業が、北部には重化学工業が発達し、朝鮮内部でも工業化、都市化が進展していきます。
 第4期は1940〜45年ですが、この時期になると朝鮮でも総動員体制が敷かれるようになります。日窒コンツェルンが独占的な地位を占めるようになり、朝鮮内での農村から工業地帯への動員が進みます。そして、戦争の拡大とともに日本での労働力不足が深刻になると、朝鮮は日本に対する労働力供給基地としての役割も期待されるようになるのです。

 「徴用工」の問題はこの第4期で問題になるわけですが、世界的に見ると、第1次世界大戦の総力戦から植民地の人員が本国の戦争に動員される仕組みができあがってきます。
 日本でも戦争の進展とともに植民地や占領地からの動員が行われましたが、朝鮮に関しては動員以前に、出稼ぎの形での自由移入がありました。
 併合時の朝鮮の人口は1300万人ほどと推定されていますが、終戦時には2500万人に増加しています。そして、内地に移住した朝鮮人は併合時には2500人ほどでしたが、1920年に4万人を超え、30年には42万人、38年には約80万人、終戦時には約200万人と急増しています(45p)。朝鮮の過剰な人口が内地に流れ込んだのです。
 1920年代末になると、朝鮮人の流入は社会問題化し、1934年には朝鮮人の渡航抑制に乗り出します。

 1938年に日本で国家総動員法が成立します。この法律は基本的に外地にも及ぶものとされましたが、朝鮮総督府は同法の直接適用を避け、総督権限に基づく規則や行政措置をもって臨みます。
 39〜41年にかけては8万人台の朝鮮人の内地への移入が計画されますが、34年の渡航抑制措置は生きており、その例外として集団募集が行われました。しかし、実際の移入は計画の46〜66%にとどまっています(50p2−2参照)。
 当初は事業者が独自に募集する方式が行われましたが、朝鮮総督府がかなり厳しい統制を行ったこともあって募集は簡単ではなかったようです。そして、この自由募集を上回る勢いで自由渡航が増加しました。
 
 42年になると、「朝鮮人労務者活用に関する方策」が閣議決定され、34年の渡航抑制規定が撤廃されます。優秀な朝鮮人青年を日本語の訓練などをした上で送り出し、内地の労働不足を補い、2年後に戻って朝鮮の産業発展に尽くすという動員計画でしたが(現在の技能実習制度の「理想」のよう)、当然ながらこのようにうまくはいきませんでした。
 大半の若い労働者はすでに朝鮮北部の工業地帯、内地、軍属や志願兵で動員されていましたし、総督府にも内地にも訓練を実施する余裕はありませんでした。
 労働力の再分配のために42年からは官斡旋方式が導入され、計画に近い数の移入が行われることになります。41年までは3割近い労務者が引き抜きなどによって作業場に定着しなかったために、「隊組織」をつくっての集団渡航が行われました。
 朝鮮人労務者は、土建業、炭鉱や金属鉱山、軍需工場などで働きましたは、特に炭鉱では朝鮮人労務者が求められ、北海道では43年末の段階で坑内労働者の65%、坑外労働者45%が朝鮮人だったといいます(60p)。

 44年9月になると、国民徴用令の朝鮮への適用が決まります。国民徴用令による動員は拒否すれば罰則があるものでしたが、徴用すれば衣食住や医療を保障する必要もあり、待遇としては今までの方式よりも恵まれていた面もあります。
 44〜45年の1年間で51万4000人の朝鮮人が徴用されますが、その6割は朝鮮半島内の就労で、残りが内地向けの動員となります。
 「徴用工」というと、この国民徴用令によって徴用された労務者ということになりますが、徴用令以前の動員に関しても「徴用」だと認識しているケースもあり、特に韓国では労務動員一般を「徴用」としていることが多いです。
 朝鮮人労務者の待遇は良いものではありませんでしたが、労働契約書に署名し、報酬を得ており、自ら望んで日本に渡った者もいます。一方、強引な人集めが行われたケースも有りましたし、また、当時の炭鉱の待遇は日本人にとっても過酷なものでした。

 第3章と第4章では日韓の国交正常化交渉が扱われています。
 戦後、大韓民国が成立すると、米韓協定によって朝鮮半島における日本の財産は韓国政府の管理下に移されます。また、李承晩政権は韓国併合以来の被害の補償を求めてサンフランシスコ講和会議への参加を要求します。日本政府も「在日朝鮮人が講和条約によって日本国内で連合国人の地位を取得しない」のであれば韓国政府の署名に意義はないと回答しますが、イギリスの反対もあって韓国の参加はなりませんでした(86p)。
 そこでアメリカは、対日請求権の処理は「特別取極」に委ねる一方で、米国の財産処理の効力を日本に認めさせます。

 その後、1952年2月から日韓会談が始まりますが、交渉は難航します。まずは日韓併合条約は有効か無効かという対立がありましたし、韓国の賠償請求や日本人の財産をめぐっても厳しく対立しました。
 日本政府は、私有財産に関しては正当な経済活動の成果であり、私有財産の保護を規定したハーグ陸戦条約などを根拠にその請求権を主張します。一方、韓国政府は「日本の統治はすべて不法という韓国人の国民感情を考慮して財産問題を処理しなければ合意点はない」(96p)と主張します。
 結局、53年10月の日本の植民地支配における韓国への投資を持ち出した久保田貫一郎首席代表の発言をきっかけに交渉は打ち切られ、4年以上に渡って中断します。

 その後、アメリカ側のサンフランシスコ講和条約に関する解釈が示され、日本の対韓請求権が主張できないということで、日韓が一致しますが、日本は相互放棄、または相殺を主張していくことになります。
 1960年になって池田内閣のもとで日韓交渉が始まると、日本は東南アジア諸国との間で結ばれた「経済協力」の方式で日韓交渉を妥結させようとする一方、韓国側は朝鮮人労働者の問題を持ち出します。韓国側は強制的な動員や虐待に対する補償を求めましたが、日本はそれならば人数や傷病の程度などの具体的な積み上げが必要だと応じます。

 1961年の五・一六軍事クーデターで朴正煕政権が成立すると、朴政権は日韓交渉の早期妥結を目指します。朴政権は、賠償の金額とその「名目」を重要視しながら交渉を進めました。
 この交渉にはアメリカも介入し、韓国側が要求する8億ドルと日本の3億ドルをスタートラインとみなし、5億ドルという数字を落とし所として日本側にも伝えています。
 また、韓国側は「被徴用者」として韓国人労務者66万7684名、軍人・軍属36万5000人という数字をあげてその補償を求めます。日本側は被徴用者の未収金の支払いについては前向きでしたが、被徴用者の被害に対する保証に関しては日本人にも補償をしてないことからこれを拒否します。
 結局、韓国側も1つ1つ積み上げていく方式には限界を感じて、政治的決断によって日本政府が一定の金額に払うやり方に傾いていきます。

 1962年7月に大平正芳が第2次池田内閣の外相に就任すると、大平は日韓交渉妥結のために請求権問題と経済協力をパッケージで解決する「一括処理方式」を取ることを決め、金額の交渉に入っていきます。
 62年11月に大平と金鍾泌中央情報部長が会談し、無償供与3億ドル、有償借款2億ドル、民間借款1億ドルという金額で合意します。
 この後、このお金の支払い名目をどうするかという問題が起こり、また、金鍾泌が失脚したことで交渉は停滞しますが、1965年、ついに日韓基本条約が締結されます。民間借款を3億ドルまで増額し、韓国側の日本への請求権は「完全かつ最終的に解決されたこととなる」(143p)とされました。
 韓国側は交渉では請求権にこだわりつつも、受領した資金は主に経済建設に投入されることになり、軍人・軍属、労務者に対する補償にあてられたのは91億9000万ウォンで、無償提供された3億ドルの9.7%ほどでした(176p第5章の注2)。

 しかし、この「完全かつ最終的に解決」したという日韓基本条約の取り決めを覆したのが2018年の韓国の最高裁にあたる大法院の判決です。この判決のロジックを分析したのが第5章です。
 実は2018年の判決の前には2012年の大法院による、元韓国人労務者が敗訴した訴訟の原審判決の破棄・差戻しがあります。
 被告の日本企業は、日韓基本条約で解決済み、訴訟の請求原因となった事実はすべて日本で発生しており韓国の裁判所に管轄権はない、日本の最高裁で決着済み、との3点を主張しましたが、韓国大法院は、日本の植民地支配は不法な支配であり、大韓民国憲法は三・一独立宣言によって成立した大韓民国臨時政府の理念や精神を「核心的価値」として継承しており、「日本判決をそのまま承認する結果は、それ自体として大韓民国の善良な風俗やその他の社会秩序に違反するものであることは明らか」(151p)だと判断したのです。
 そして、2018年の判決は、この2012年の判断を受け継いでいます。

 この2012年の判断と2018年の判決に対しては、「条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用してはならない」と定める「条約法に関するウィーン条約」の第26条に違反しているとの指摘がありますし(157p)、行政府と議会が所管する条約の解釈に司法が誤った介入をしたものだとの批判もあります。
 この判決では植民地支配の不法性がポイントになっていますが、そもそも日韓会談とそれが依拠した講和条約体制は植民地支配の精算を意図したものではなく、また、この判決は講和条約体制を揺さぶるものです。

 ただし、日本も請求権自体が完全に消滅したとの解釈をとっているわけではなく、最高裁は国家が自国民の請求権につき国家として有する「外交保護権」を放棄したものだと捉えています。実は、2018年の韓国大法院の判決でも、反対意見では請求権は消滅していないが、その講師は制限されるという意見が出ており、日本の最高裁に近い考えになっています。
 そして、著者は「そこに、対話の余地が残されている、ともいえる」(172p)と考えています。

 さらに終章でいくつかの補足を交えながらまとめ直されていますが、だいたい以上のような内容になります。
 今回の韓国大法院の判決に注目するだけではなく、日韓基本条約に至る交渉の過程をかなり詳細に論じることで、日韓基本条約の「妥協」の内容と、今回の判決のそこからの「逸脱」がわかるようになっています。この問題を理解する上で有用な本だと言えます。
 しかし、韓国人がこの本を読んで納得するかと言えば、そうではないでしょう。
 本書の日本の植民地支配についての記述は「そこまでひどくはなかった」というニュアンスで書かれており(誤解されそうなので書いておくと、本書は「日本の植民地支配は良いものだった」というニュアン師で書かれているわけではない)、多くの韓国人は反発するでしょう。
 もしも、対話の糸口をつかみたいのであれば、「事実」はともかく「アプローチ」としては、「植民地支配はそこまでひどくなかったし問題は解決したはずだ」よりも「植民地支配はひどかったが問題は解決したはずだ」の方が可能性があるのではないかと思います(個人的に、日本の植民地支配全体を評価するだけの知識はありませんが、朝鮮人労務者の扱いなどに関しては、外村大『朝鮮人強制連行』(岩波新書)などから本書が描くよりももう少し「ひどい」心象をもっています)。 
 そのあたりは政治の話になるのでしょうが、本書を読んでも解決の糸口はまだ見えてこないというのが正直な感想です。