80年代末から90年代初頭にかけて、東欧とソ連において社会主義体制の崩壊し、複数政党制を前提とする政治体制に生まれ変わりました。
 本書はこうした国の政治について、多くの国が採用した「準大統領制」(「半大統領制」と言うこともある)という、大統領と首相がともに存在する政治体制(フランスなどが代表例)を切り口にして分析しています。分析の対象は、ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの5カ国です。
 
 なかなか興味深い題材を扱っている本ですが、正直読むのが大変な本でもあります。
 まず、準大統領制をいくつかのタイプに分けて分析しているのですが、その分類名が直観的に理解しにくいですし、出てくる国の政治情勢もポーランドとウクライナを除けば普段から耳に入っていないものばかりなので、その変遷は追いづらいです。
 ただし、後半になってくると、そのわかりづらさは安易な地政学的説明を回避しているから生じているものだということにも気づきます。親欧米VS親露、あるいは民族主義の噴出の裏には、恩顧政治を展開するオリガーク(「ボス政治家」と訳すのがわかりやすいでしょうか?)の身も蓋もない権力闘争があるのです。
 376ページでかなり読むのに骨の折れる本ですが、この地域についての新たな知見が得られる本であることは間違いないと思います。

 目次は以下の通り。
序章 準大統領制とは何か
第1章 共産党体制からの移行のロードマップ
第2章 ポーランド―首相大統領制の矛盾
第3章 リトアニア―首相大統領制とポピュリズム
第4章 アルメニア―一党優位制と強い議会の結合
第5章 ウクライナ―権力分散的準大統領制
第6章 モルドヴァ―議会大統領制から準大統領制への回帰
終章 地政学的対立とデモクラシー

 まず、序章で本書の分析枠組みである準大統領制が紹介されています。準大統領制は国民が選挙で選ぶ大統領と首相が併存している体制で、本書はそれを以下のようにさらに細かく分類しています(黒太字が準大統領制のバリエーション)。

大統領制 首相が存在しない アメリカなど
高度大統領制化準大統領制(Lv3 ) 大統領が首相を任命し、議会の承認を必要とせず
大統領議会制(Lv2) 大統領が議会の承認を得て首相を任命
首相大統領制(Lv1) 大統領は議会多数派が指名した候補を首相に任命。または議会多数派との事前協議が必要
議会制 議会大統領制 議会が大統領を選出(ドイツなど)(16pの表1をもとに作成)

 なかなか直観的に理解し難い用語なので、Lv1〜Lv3という言葉は評者がつけました。数字が上がるほど基本的に大統領の権力が強いと考えてください。
 社会主義体制が崩壊した後、多くの国が準大統領制をとっており、本書がとり上げるポーランド、リトアニア、アルメニア、モルドヴァのうちアルメニア以外は準大統領制ですし、アルメニアも一時は準大統領制でした。
 
 旧社会主義諸国では、もともと政府と支配政党(共産党など)による執行権力の二元性があり、大統領と首相が併存する体制は受け入れやすいものでした。また、新生国家の大統領たちは首相をスケープゴートにして権力を維持できること、議会選挙で負けても議会の連合形成に鑑賞できることなどを学びました。さらに執行権力を戦略的なものと日常的なものに分けるドゴール的な思考法も、旧支配者側、反体制側の双方にとっても受け入れやすいものでした。

 大統領にとっては「高度大統領制化準大統領制(Lv3)が理想と思われるかもしれませんが、ここまで大統領が強くなると首相に不人気政策を押し付けてトカゲの尻尾切りをすることができなくなります。台湾、韓国などで大統領(台湾は総統)が人気を維持することが難しく、任期の後半にレームダック化する要因はこれです。
 ですから、首相大統領制(Lv1)が1つの均衡になりそうですが、同じ制度であってもどのように運用され、どのように安定する(あるいはしない)かは各国の持つさまざまな条件によることになります。

 第2章から各国ごとの分析が始まりますが、まずとり上げられるのはポーランドです。
 ポーランドは大統領議会制(Lv2)か首相大統領制(Lv1)かはっきりなしない体制から、明確な首相大統領制(Lv1)に移行しました。
 ポーランドは一貫して二大政党(連合)制であり、二大陣営のうち選挙で勝ったほうが組閣し、大統領が連合形成に介入する余地はありません。また、有権者の抗議ポテンシャルが大きく、しばしば政権交代が起こっています。さらに大統領任期(5年)と議会任期(4年)がずれているために、しばしば大統領と議会の多数派の政党が違うコアビタシオンになります。そして、政治家や有権者の中にもコアビタシオンを「抑制均衡が効いてよい」と歓迎する考えが広がっています。

 ポーランドでは1988年の政府(統一労働者党)とワレンサ(ワレサ)率いる「連帯」の円卓会議で新たな政治体制が合意され、下院議員の35%を選挙で選ぶこと、大統領は議会から選出することなどが決められました。首相に関しては、大統領が首相候補を議会に提案して過半数の承認を必要とする大統領議会制(Lv2)が基本でしたが、大統領の意中の候補と議会で多数をとれる候補が一致しないときは議会に連立形成と組閣を任せるという首相大統領制(Lv1)の要素もありました。

 1990年、ポーランドは特に深い議論もないままに議会大統領制から準大統領制に移行します。そして公選となった大統領選を勝ち上がったのはワレンサでした。
 その後、ポーランドの議会では分裂した連帯の後継政党を中心とした離合集散が起こり、右派と左派に整理されていきます。
 95年の大統領選では左派のクワシニェフスキが勝利しましたが、97年の下院選では「コンビタシオンばね」が働いて右派が勝利するといった具合に右派と左派が拮抗する状況が続きました。

 97年には憲法改正も行われ、大統領の権限は縮小されました。首相に関しては大統領が任命し下院に絶対多数による信任を求め、失敗したら下院の過半数で首相が選出されるという形になり、首相大統領制(Lv1)に移行しました。

 政界再編を経て、2005年の9月の下院選と10月の大統領選で右派「法と正義」と左派「市民プラットフォーム」の二大政党制が定着します。
 この後、ポーランドでは大統領選と議会選の間隔が短いと片方の陣営が連勝し、間隔が開くと「コアビタシオンばね」が働くという状況になります。
 また、2010年4月、カチンの森事件を堆黄する式典のために「法と正義」のレフ・カチンスキ大統領を乗せていた飛行機が着陸に失敗し、乗客乗員の全員が死亡するという事件が起こります。このころから「法と正義」はポピュリスト政党色を強めていきました。

 2015年の大統領選挙では格差拡大への批判を追い風にして「法と正義」のドゥーダが勝利、さらに2015年の夏に欧州難民危機において市民プラットフォームの政府がEUからの難民割当を受け入れると、「法と正義」はこれを批判して10月の下院選でも勝利します。
 選挙間隔の短さもあって「コアビタシオンばね」は働かず、「法と正義」によるポピュリズム的な政治が進行することになるのです。

 第3章のリトアニアも基本的にはポーランドと同じような政治体制なのですが、政党システムが違うこともあって、その政治的風景は随分と違います。
 リトアニアではエストニアやラトヴィアとは違って基幹民族のリトアニア人の比率が高かったとこあり、ロシア語系住民から選挙権を剥奪したりするようなことは起こりませんでした。一方で、ロシアに対する警戒心も強くポーランドのようにEU懐疑論が力を持つこともありませんでした。
 
 リトアニアでは独立後の1992年に憲法がつくられましたが、それは大統領議会制(Lv2)なのか首相大統領制(Lv1)なのかはっきりしない憲法でした。
 その後、97〜98年の大統領選後の憲法裁判所の判断によって、リトアニアは首相大統領制(Lv1)であることがはっきりしました。

 ここまではポーランドと同じなのですが、ポーランドとの違いは政党にありました。リトアニアでは小党分立で与党内の派閥争いも激しかったため、大統領はそこに介入することで存在感を発揮しました。
 リトアニアは2004年にEUに加盟しましたが、それまで340万人だった人口が285万人へと16%も減少するなど(167p)、国民生活は必ずしもよくなりませんでした。そこで有権者はその不満を議会選挙にぶつけ、ポピュリスト政党が現れては消えていくような状況だったのです。

 09年の大統領選では、政府の対EU関連の役職を歴任したグリバウスカイテが当選します。彼女は政党政治、特に政党政治が引き起こす腐敗や利益誘導を嫌い、司法や治安機関の強化によってそれを正すというやり方を好みました。そのために裁判官を審査して、問題のある裁判官を辞めさせるなど、ある種ポピュリスト的な行いもしているですが、揺るぎない親EUでもあり、リトアニア政治にある種の安定をもたらしました。
 ポーランドの「法と正義」のような確固たるポピュリスト政党が育たなかった理由は、グリバウスカイテがそうした不満の受け皿になったからでもあります。

 第4章ではアルメニアがとり上げられています。去年(2020年)、ナゴルノ・カラバフをめぐってアゼルバイジャンとの戦争がありましたが、アルメニアは独立以来、このナゴルノ・カラバフをめぐる紛争を抱え続けていました。
 トルコとの仲も険悪であり、アルメニアが安全保障の面で頼れる国はロシアしかいません。そのため、親露VS親欧米という対立軸は生まれません。

 アルメニアでは独立前からカラバフのアルメニア帰属を求める民族運動が盛んであり、この運動が共産党を破る形で民主化が進み、テル−ペトロシャンの指導のもとで高度大統領制化準大統領制(Lv3 )が成立しました。そして独立後にテル−ペトロシャンが大統領になります。
 ただし、高度大統領制化準大統領制(Lv3)は大統領に責任が集中しますし、閣議を主催し、細々とした内政にも気を配る必要が出てきます。そこで、アルメニアの政治体制は徐々に首相大統領制(Lv1)に近い運用がなされるようになりました。
 その結果、改憲論議も起きるようになり、欧州評議家のヴェニス委員会(憲法の専門家のグループで憲法についてのアドバイスを行う)とのやり取りなども経て、2005年の憲法改正で首相大統領制(Lv1)に移行します。

 しかし、2008年の大統領選でテル−ペトロシャンが敗北を受け入れずに支持者を街頭に動員し流血の事態になったことから大統領公選制に疑問が持たれるようになります。そして、2015年の憲法改正で、議会が大統領を選ぶ議会大統領制に移行したのです。この背景には「戦時」であるアルメニアではコアビタシオンは許されず、一元的な権力が必要だと考えられたからです。
 しかし、大統領選挙という不満のはけ口を封じられた国民は再び街頭に繰り出すことになります。2018年の4月には街頭の抗議行動によって当時のサルキシャン首相が辞任に追い込まれる四月革命が起こるのです。

 第5章はウクライナ。ウクライナに関しては、2004〜05年のオレンジ革命、女性のティモシェンコ首相など、ある程度馴染みがあるかもしれませんが、本書が描き出すウクライナの政治は、親欧米VS親露という地政学的対立に還元できないグダグダなものです。
 
 1991年、ウクライナでは国民投票で独立が決まり、92年の憲法では高度大統領制化準大統領制(Lv3)に近い大統領議会制(Lv2)が採用されます。
 その後、95年に当時のクチマ大統領のもとで高度大統領制化準大統領制(Lv3)を目指す動きが起こりますが、結局、96年に憲法が改正され、大統領が議会の解散権を手放す代わりに、大統領が最高裁の判事を任命でき首相も解任できるという広範囲の人事権をもった大統領議会制(Lv2)が成立します。
 これは大統領と議会の間で抑制と均衡のメカニズムをもたらすものではなく、双方が相互不干渉に活動するようなモデルで、ウクライナ政治に混乱をもたらすことになりました。

 ウクライナでは保守系無所属の地方のボス的な議員が多く、大統領はこれらの議員を切り崩すことで政治の主導権を握ろうとしましたが、こうしたやり方は腐敗を生み、国民の不満は高まっていくことになります。
 2004年の大統領選挙でヤヌコヴィチが勝利すると、多くの市民がこれを認めずに座り込む、いわゆるオレンジ革命が起きました。与野党の妥協が成立して憲法が改正され、首相大統領制(Lv1)へと移行しました。

 しかし、ウクライナの政治は安定しませんでした。大統領となったユシチェンコは当初はティモシェンコ首相と協力体制をとったものの、ティモシェンコが自分の存在を脅かすとみると、政敵だったヤヌコヴィチに接近し、その後またティモシェンコと協調するといった動きを見せたのです。
 こうした中でユシチェンコが頼ったのはウクライナの民族主義でした。経済が低迷し、自らの支持政党も低迷する中でユシチェンコは、ロシアから輸入された映画やテレビドラマにウクライナ語の翻訳を義務付ける言語政策や、対独協力者を復権させる歴史再評価問題などのアイデンティティ問題を争点に押し出します。

 2009〜10年の大統領選で勝利したヤヌコヴィチは、2004年の改憲は手続きに問題があり違憲であるとの判断を憲法裁判所から引き出し、96年憲法を復活させます。しかし、大統領権限の強化は、国民の不満が大統領に直接向かうことにも繋がり、ヤヌコヴィチの人気は失速します。
 2013年になるとヤヌコヴィチに抗議するユーロマイダン運動が盛んになり、2004年憲法の復活を要求します。この運動は結局は武力衝突とヤヌコヴィチの失脚をもたらしますが、ユシチェンコのもとでエスカレートした民族的・地政学的な対立と、ユーロマイダンでの暴力の噴出はウクライナを内戦に引き込んでいくことになります。

 最後にとり上げられているのはモルドヴァです。モルドヴァでは権威主義が確立しませんでしたが、それは民主主義が根付いたからではなく、指導者に能力がなかったからだといいます。
 モルドヴァは領内に沿ドニエストル共和国というロシアがバックアップする未承認国家を抱えており、対抗上、欧州諸国との関係を重視しました。
 憲法制定においても、欧州評議会への加盟を目指すためにヴェニス委員会に助言を求め、それを取り入れる形で首相大統領制(Lv1)の1994年憲法を制定しました。大統領には大統領令を出す権限がなく、拒否権も議会の単純多数で乗り越えることができました。大統領の権限はかなり弱かったと言えます。
 
 その後、大統領の権限をめぐって憲法改正が持ち上がりますが、大統領の影響力が弱かったこともあり、2000年の憲法改正で議会が大統領を選出する議会大統領制に移行します。準大統領制ではなくなったのです。
 モルドヴァの政治はロシアやアメリカの介入や(325pにアメリカの大統領選出に対する露骨な介入が紹介されている)、共産党が親欧米路線をとなるなど、かなり錯綜した状態になります。さらに2013年からは「世紀の窃盗」と呼ばれるモルドヴァの有力銀行から約748億円(モルドヴァのGDPの8%強)の不正融資が行われたという事件が表面化し、ますます混乱しました。
 2016年には、ウクライナと同じように、憲法裁判所が2000年の憲法改正を違憲だとして94年憲法を復活させたことで、首相大統領制(Lv1)に復帰します。

 こうした中で、モルドヴァではオリガークのプラホトニュクが長年権力を握ることになりますが、2019年には反プラホトニュクの連合がそれを打倒し、そしてその連合があっさりと崩壊するなど落ち着かない状況ですが、対立軸が錯綜しており、それ故にウクライナのような決定的な対立や分裂は起きない状況となっています。

 最後まで読んでくださった方は、なんとややこしい話だと思ったかもしれませんが、実際はもっと大量の人名や政党名が登場しており、もっとややこしい話です。
 ただ、そのややこしさこそが現実であって、本書を読むと、地政学的な要因のみの説明は、ある種の「わかりやすいストーリー」にすぎないことが見えてくると思います。
 最初に制度を前面に押し出しているために、各国ごとの記述ももっと制度面から簡潔に行ってもよかったのではないかと思いますが、いろいろな学びがある本であることは間違いありません。