2014年のウクライナ危機とクリミア併合、2016年のアメリカ大統領選挙への大規模な干渉など、近年のロシアは特殊部隊から民間軍事会社、さらにサイバー攻撃まで、あらゆる手段を駆使しながら、敵対する国に揺さぶりをかけています。
 本書はそんなロシアの複合的な揺さぶりを「ハイブリッド戦争」と名付け、その実態を明らかにしようとしています。
 秘密に包まれている部分も多いため、全貌が明らかになっているわけではないのですが、サイバー戦や民間軍事会社の実態、アフリカでの活動、ロシアの安全保障戦略に影響を与えるロシア流の地政学的な見方など、非常に情報量が多く、さまざまな知識を得ることができます。
 また、さまざまな組織が乱立し、怪しげな人物が暗躍する、ロシアの権力構造も垣間見えて、そこも面白い部分だと思います。

 目次は以下の通り。
プロローグ
第1章 ロシアのハイブリッド戦争とは
第2章 ロシアのサイバー攻撃と情報戦・宣伝戦
第3章 ロシア外交のバックボーン―地政学
第4章 重点領域―北極圏・中南米・中東・アジア
第5章 ハイブリッド戦争の最前線・アフリカをめぐって
エピローグ

 本書のプロローグには、「大統領の料理長」とも言われるエブゲニー・プリゴジンという人物が紹介されています。
 プリゴジンはソ連時代に詐欺や強盗などで刑務所に入っていた人物ですが、90年代にビジネスで成功し、サンクトペテルブルクに開いたレストランを拠点にプーチンと接近し、その信頼を得ています。彼のレストランでは、プーチンをホストとしてたびたび外国の首脳が招かれているのですが、プリゴジンは裏の顔も持っています。
 軍への食事の提供サービスなどから軍にも食い込んだプリゴジンは、「インターネット・リサーチ・エージェント(IRA)」というサイバー攻撃を行う組織を運営し、ロシアの民間軍事会社(PMC)ワグネルにも出資しています。
 このような怪しげな人物も巻き込みながら展開されているのがロシアのハイブリッド戦争です。

 ハイブリッド戦争という言葉自体は2014年のウクライナ危機から使わえるようになったものですが、ロシアでは以前から「同盟の弱体化・自身の同盟の拡充」(29p)を目的としてさまざまな活動を行っており、21世紀以降のロシアの行動を理解するためのキーワードとなっています。
 2019年の時点で、ロシアの軍事費は世界第4位に後退しており(米、中、印、ロの順)、軍事的超大国とは言えなくなっていますが、それをカバーするのが軍事力以外の多様な手段なのです。

 このハイブリッド戦争には、特殊任務部隊、インテリジェンス、さまざまな政治工作を行う政治技術者、民間軍事会社(PMC)などがかかわっています(本書ではコサックもあげられているけど、これをPMCと見ていいのがどうかは本書の記述からは判断し難い)。
 特殊任務部隊に関しては、ロシアではロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)、連邦保安庁(FSB)、連邦対外情報庁(SVR)などの各機関にそれぞれ部隊がいるのが特徴で、その組織は多元的です(48p図1−1参照)。
 
 ロシアのPMCは世界的に見れば大きな規模のものではありませんが、ロシアのハイブリッド戦争の遂行には欠かせないものとなっているといいます。正規軍であれば、問題を起こせばすぐさまその責任が問われますが、PMCであれば関与を否定することができるからです。
 そのロシアのPMCの中でも最大規模を誇るのが、前述のプリゴジンも関係しているワグネルです。ワグネルはウクライナ危機やシリア紛争にも関与しており、シリアの2018年2月7日の戦闘ではワグネルの戦闘員200人近くが犠牲になったという情報もあります(67p)。ワグネルはGRUが民間企業を装って設立したロシア軍の別働隊だという指摘もあり、その訓練にも軍が関与するなど、「国営」軍事会社に近い存在でもあります。
 2018年には中央アフリカでワグネルの活動を取材していたジャーナリストが暗殺されるなど、きな臭い存在でもあります。

 また、ハイブリッド戦争にはシャープパワーを使ったものもあります。シャープパワーとはテレビやSNSなどで偽情報の流布などを行い、その他の手段と組み合わせることで相手国の世論を誘導しようとするもので、ソフトパワーの悪質版とでも言うべきものです。
 2014年、前年から始まったウクライナにおけるユーロマイダンとヤヌコーヴィチの失脚の流れの中で、ロシアによるクリミアの併合が行われました。国際社会から大きな批判を浴びたこの行動ですが、ロシアは以前から以前から政治技術者をウクライナ東部などに送り込み、政治的なプロパガンダを広め、親ロ派の支援を行うなど、さまざまな工作を行っていました。

 その後に起こったウクライナ東部をめぐる内戦においても、ロシアは電磁波を利用した電子戦とサイバー戦を一体化させた作戦を展開しました。ロシアはウクライナ軍のGPSや無線を電波妨害で遮断し、携帯電話を使わざるを得なくなったところに、メールなどで偽の司令を送信し、それにもとづいて行動したウクライナ軍の部隊を待ち伏せして集中攻撃したのです。
 他にも2014年のウクライナ大統領選では、絶妙なタイミングで集計システムの全データを消去し、選挙結果に疑念をもたせることに成功しています。

 そんなロシアのサイバー攻撃について詳しく分析しているのが第2章です。
 サイバー攻撃に関しては、個人が愉快犯的に行っているものもあり、そのやり方も大量にデータを送りつけて麻痺させるやり方から、特定の情報を盗み出すもの、ウェブサイトの乗っ取りや改竄など、その手口もさまざまです。
 そうしたこともあってサイバー攻撃は誰が行ったのかがわかりにくく、比較的安価に行うことができ、またサイバー攻撃を武力攻撃と同じようなものとして扱っていいのかもはっきりしません。
 しかし、だからこそロシアのような国家にとっては都合のいい方法だとも言えます。

 ロシアには、政府系の組織、前述のIRAのような民間のサイバー攻撃会社、データを乗っ取って身代金を要求するような民間の犯罪集団、そしてロシアのために個人としてサイバー攻撃を行う愛国者がおり、どの攻撃が政府によるものなのかを見極めるのは難しくなっています。
 軍には15のサイバー部隊があり、サイバー軍の要員は1000人程度だとも言われています(中国には10万人のサイバー攻撃部隊がいるという)。
 
 ロシアの大規模なサイバー攻撃が注目されたのが2007年にエストニアに対して行われた攻撃です。エストニアはIT化の進んだ国としても有名ですが、07年4月にエストニアの国会がタリン市の旧ソビエト軍兵士像を撤去する決定を行ったことに対して、ロシア系の住民が反発し、さらにロシアからのサイバー攻撃も行われました。
 主に乗っ取られた70カ国8万台のPCからエストニアの銀行や通信、政府機関、報道機関等に大規模なDDoS攻撃が行われ、エストニアのさまざまな機能を麻痺させました。

 フェイクニュースの拡散も行われており、IRAは「トロール工場」とも呼ばれ、約400人が何十個ものSNSのアカウントを持って、さまざまな書き込みを行っているとされています。
 IRAは対外的な活動だけではなく、プーチンの政敵を攻撃する書き込みなども盛んに行っており、IRAの給料は大統領府から支払われているという話もあります。
 2016年のアメリカ大統領選に関しても、IRAはさまざまな関与を行っていたようで、SNSでの書き込みやフェイクニュースの拡散だけでなく、アメリカの激戦州を回って情勢を分析し、それぞれの属性にターゲットにしたアカウントやグループページをつくり、反ヒラリー・親トランプの運動を展開していくことになります。
 ただし、これが上手くいった代償として、プリゴジンやIRAの関係者はアメリカから制裁を受けることとなりました。
 2020年にはアメリカに対して今まで最大規模のサイバー攻撃を行っており、情報の流出は史上最悪レベルだとも言われています。

 第3章では、こうしたロシアのハイブリッド戦争の背景にある地政学的な背景がとり上げられています。
 まず、紹介されているのがプーチンのブレーンとも言われるアレクサンドル・ドゥーギンの考えなのですが、これがなかなか強烈な理論です。
 ドゥーギンの主張はユーラシアにおけるアメリカと大西洋主義の影響力を失わせ、そのために全欧州の「フィンランド化」を狙っています。「フィランランド化」とは、冷戦時に中立国でありながらソ連の強い影響下にあったフィンランドのあり方を他の欧州の国にも適用するということになります。

 ドゥーギンが重視するのがモスクワ・ベルリン枢軸で、ドイツとの友好関係の確立のためにはカリーニングラードの返還もありだとしています。フランスも根強い反大西洋主義を持つ国だと見ている一方、イギリスは欧州から切り離されるべきだとしています。さらにフィンランドはロシアの一部になるべきであり、ウクライナもロシアに併合されるべきだとしています。
 中東・コーカサス・中央アジアに関しては、モスクワ・テヘラン枢軸を基軸に、反大西洋主義に基づくロシア・イスラム同盟の重要性を指摘しています。親欧米路線のジョージアは解体されるべきであり、アゼルバイジャンも解体されるか、イランに属するべきだとされています。また、トルコについては危険視しています。

 アジアに関しては北方領土を返還する代わりに日本を親ロ国にしてモスクワ・東京枢軸を形成する一方、中国を危険視しています。中国との緩衝地帯としてチベット・新疆・モンゴル・満州といった地域が必要であり、この地域に影響力を強めつつ、ベトナムやインドと協力することが必要だといいます。

 このようにドゥーギンの考えはかなり非現実的であり、プーチンもこれを現実の目標と考えているわけではないでしょう。しかし、「ロシアの夢」のようなものとして押さえておくことは重要でしょう。
 現実的には、旧ソ連を中心に一定の「勢力圏」を維持することもロシアの目標となります。クリミアを除けば領土の拡張は考えておらず、あくまでもロシアの影響力のもとに置くことを重視しているのです。

 第4章では、そうした地政学的な見方をもとに、ロシアが重視している地域として、北極圏、中南米、中東、アジアがあげられています。
 まず、北極圏ですが、近年の温暖化によって天然資源の開発が用意になるとともに北極圏航路が注目されています。また、ロシアの防衛を考え上でも北極圏は重要です。
 北極圏航路に関しては、未だに商業的な採算は取れない状況だとはいいますが、ロシア、そして中国がその利用を見越して砕氷船の建造を進めています。この北極圏航路の終点に位置するのが北方領土であり、ロシアが太平洋に出るための出口としても重要です。ドゥーギンは返還も考えていた北方領土ですが、それができない理由の1つがこれです。

 中南米ではニカラグアとベネズエラに対して軍事援助などを行っています。特にベネズエラでは欧米から辞任を求められているマドゥロ大統領を一貫して支持しています。
 アジアではインドとの関係を深めようとしています。アメリカや日本との接近が目立つモディ政権ですが、インドの兵器の70%はロシア製であり、昔から軍事的な関係には深いものがありました。ロシアの資源はインドにとっても魅力的なものであり、2019年にウラジオストクで行われた「東方経済フォーラム」にはモディ首相も出席しています。
 中東ではなんといってもシリアです。シリアはロシアが冷戦後も唯一維持した海軍基地があり、以前から関係が深かった国ですが、シリア内戦における大規模な介入はこの地域でのロシアの存在感を決定的に高めました。そして、このシリア内戦への介入を通じてイランやトルコとの関係も深めています(トルコに関しては一時期危機的な状況もありましたが)。

 第5章ではアフリカがとり上げられています。アフリカはロシアからすると遠い地域に見えますが、近年はアフリカでもロシアのハイブリッド戦争が展開されているのです。

 近年のロシアのアフリカにおける動きで注目されるのが「安全保障の輸出」です。
 アフリカの多くの国の課題は国防と治安であり、それに応えるかのようにロシアは武器を輸出し、対テロ対策のアドバイスなども行っています。ロシアはアフリカに植民地を持たなかったことから、しがらみや警戒心を持たれることも少ないのです。
 2013〜17年の間に、ロシアの武器輸出の13%をアフリカが累積的に占めるようになってきており、特にアルジェリアが最大の買い手でアフリカにおけるロシアの武器輸出の8割はアルジェリア向けだといいます(279−280p)。

 ロシアのPMCもアフリカに進出しており、プリゴジンもたびたびアフリカを訪れています。こうしたPMCも含めて、ロシアはアフリカの国家の指導部と秘密の軍事協定を結び、その代償として天然資源を獲得する手法を用いています。
 特にスーダン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国などで活動を活発化させており、ワグネルの構成員がスーダンや中央アフリカで活動していたという情報もあります。中央アフリカでは軍事顧問を送り込むとともに、内戦の当事者を交渉のテーブルにつかせることにも成功しています。そして、その代わりに金やダイヤモンドの採掘権を獲得しています。

 サイバー攻撃の発信地としてアフリカを利用しようとする動きもあります。アフリカは英語が公用語となっている国も多く、より自然な英語で書き込みができるからです。

 エピローグではロシアのハイブリッド戦争についての評価も行われています。クリミア併合にしろ、2016年のアメリカ大統領選への介入にしろ、ロシアは他国から警戒心を持たれ、また制裁を受けることになったということで、ロシアのハイブリッド戦争を「失敗」と見る向きもありますが、プーチン体制の強化ということを考えると成功と言っていいのではないかというのが著者の評価です。

 このように本書には註を含めて347pというボリュームの中にぎっしりと情報が詰め込まれています。もう少し整理されていたほうが読みやすいと思う面もありますが、ロシアの近年の外交、軍事作戦、謀略を掴む上で役に立つ情報が満載です。
 また、本書でとり上げられているさまざまなロシアの組織の姿は、ロシアの権力構造を教えてくれるものになっています。絶対的な権力をもつプーチンのもとでさまざまな組織が乱立しており、そこにプリゴジンのような怪しげな人間が食い込んでいる状況は、少しヒトラーのもとにさまざまな組織が乱立していた第三帝国を思い起こさせるものがあります。