単行本で出た時に「読みたいな」と思いつつ読めずにいた本ですが、今回、香港デモついての新章を加えて新書化されたの機に読んでみました。単行本がすでに、第50回大宅壮一ノンフィクション賞と第5回城山三郎賞を受賞しているだけあって面白さは折り紙付きなわけですが、やはり面白い本だと思います。
 中心となるのは天安門事件の関係者へのインタビューですが、事件について聞くだけではなく、現在(取材は2015年前後に行われている)の状況と照らし合わせるような形で質問を重ねており、事件から四半世紀の関係者と中国の変化を浮き彫りにしています。
 さらに、天安門事件に参加しながら中国の現状を肯定する人、現在でも、中国に民主化が必要だと考える市井の人、香港のデモに参加する人の声なども聞くことで、「天安門事件とは結局なんだったのか?」「今後、中国で民主化運動は成功するのか?」といった問にも答えるような内容になっています。
 
 目次は以下の通り。
序章 君は八九六四を知っているか?
第一章 ふたつの北京
第二章 僕らの反抗と挫折
第三章 持たざる者たち
第四章 生真面目な抵抗者
第五章 「天安門の都」の変質
第六章 馬上、少年過ぐ
終章 未来への夢が終わった先に
あとがき
新章 〇七二一 香港動乱

 香港デモに関するインタビューも含めれば25人以上に話しを聞いており、一人ひとりのインタビューを詳しく紹介していくことはなかなか難しいので、ここではいくつかのタイプにまとめながら、その声を拾っていきたいと思います。
 ちなみに本書でインタビューされている人物の名前はほとんどが仮名になっています。

 一番、最初に出てくるのは郭定京という人物です。事件当時19歳の浪人生で、2011年に酒の席で彼が「六四」について語り始めたことが、本書の誕生の1つのきっかけとなっています。
 彼は、1989年に運動に参加して軍に投石したりしたものの、現在、もしデモがあっても「行かない」と言います。「現代の中国には社会問題が山積みだけれど、国民が体制を変えるために立ち上がるほどひどい国でもないんだ」(27p)という認識です。
 こうした感覚は在日中国人の民主化活動家の葉子明にもあって、活動家の看板をおろしたわけではありませんが、天安門事件は過去のものとなっています。

 第1章の後半に出てくる魏陽樹もそうした人物の1人です。魏は当時、警察系大学の学生で、デモに参加しながら、同時にデモを抑え込む側でもありました。この魏のインタビューからは当時の天安門の様子もよくわかり、警察の中にもデモ隊にシンパシーを持つものが多く、5月20日の戒厳令の発令までは牧歌的であったこともわかります。
 しかし、それは軍の実力行使によって一変し、魏もとにかく脱出せねばと列車に乗り込みましたが、そこには北京から避難する人びとでごった返していたといいます。
 そんな体験を持つ魏は、「天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどの国のどの政権が、たった25年でこれだけの発展を導けると思う? だから、いまの中国では決して学生運動なんて起きない」(85p)と言います。当時憧れた生活は、少なくとも物質面に関しては十二分に実現されたのです。

 ただし、やはり天安門事件での弾圧は関係者に大きな傷を残しました。そのことを教えてくれるのが第2章の、当時、在中日本人留学生だった佐伯加奈子へのインタビューです。
 彼女は当時、北京師範大学に留学しており、家族ぐるみで仲良くしていた恋人の徐尚文もいました。また、彼女はアルバイトでNHKのリサーチャーもしており、天安門事件広場の数々の写真も残しています(本書のカラー口絵の写真の多くは彼女が撮ったもの)。
 彼女も恋人の徐も軍による鎮圧には巻き込まれずにすみましたが、恋人の徐の性格は事件によってすっかり変わってしまったといいます。日本人の恋人がいることを周囲に自慢するようなひねた人間になってしまい、結局は別れることになりました。事件は多くの若者の運命を変えたのです。

 同じく第2章の、当時北京大学の教員だった余明のインタビューからはも当時の雰囲気、そして、中国における知識人のあり方なども見えてきます。
 北京大学の教員や職員の中にもデモにシンパシーを持つものは多く、「五四運動の生き残り」である90歳を超えた老人も学生を支援するデモに加わっていたといいます。
 中国では、昔から「士庶の別」と呼ばれる、知識人こそが政治を担うべきだという考えがあり、余明も「知識人こそモノを言うべき存在だ、中国を救う存在だと考えていた」(106p)と言います。
 そして、「士大夫」の予備軍である自分たちが殺されるはずはないという思いもあったのでしょう。前にとり上げた魏は「あのデモは結局、子どもが親に文句を言った行動だったと思うんだよ」(119p)と述べています。

 また、その後の出来事によって運動への評価が変わった人もいます。第2章に出てくる呉凱は事件当時、日本に留学しており、事件後しばらくは民主化を熱心に叫んでいましたが、ソ連の崩壊と、短期留学したドイツで東ドイツ人が見下されている様子を見て、天安門事件での鎮圧は正しいことだと思うようになったといいます。

 一方、いまだに民主化運動を行ったり、強いシンパシーを抱いている者は、知識人でない人々だったりします。第1章に出てくる張宝成や第3章に出てくる姜野飛、マー運転手がそんな人びとです。
 
 張宝成は、2013年に北京の繁華街で党官僚の財産公開を求める横断幕を掲げる運動を行ったことから逮捕され、1年弱投獄されていました。
 張は、中国共産党の支配を認めた上でその改革を目指す新公民運動を進める団体である「公盟」(公民)のメンバーでした。中国では集会を開くことが難しいため、毎月末の土曜日に賛同者が集まる「食事会」を開き、胡錦濤政権末期の最盛期には10万人近い参加者がいたといいます。

 張は、1976年の第一次天安門事件にも参加したという筋金入りの人物で、89年の第二次天安門事件には29歳の時に参加しています。当時、張は小さな家具会社を開いていましたが、学生に差し入れをしたりして運動を応援していました。そして、軍が発泡を始めた6月3日の夜にも北京の街中にいて、銃弾の中を逃げ回ったといいます。
 その後、妻が起こした殺人事件などに巻き込まれて会社も潰れるなか、張は民主化運動に身を投じる決意をしました。ただ、運動はほぼ抑え込まれており、張自身も現在の中国で民主化運動が成功する可能性が薄いことは認めています。

 張がある意味で筋金入りの運動家であるのに対して、なんとなく運動家になってしまい、タイに流れ着いたのが姜野飛です。
 姜は、父が会社を経営していたこともあって文革で批判され、幼い頃は貧しい生活を強いられたといいます。89年の天安門事件当時は児童修理工として成都にいて、成都でのデモに参加したりしていました。当時、情報は流通しておらず、デモは成都だけで起きているものだと考えていたといいます。また、ほとんど報道はされていませんが、成都のデモ隊に対しても武力鎮圧が行われたと姜は証言しています。

 そんな姜が再び運動に足を突っ込むきっかけとなったのがインターネットでした。ネットのチャットルームで党批判を行ったところ多くの人から称賛を浴び、ネットでちょっとした有名人となります。
 2012年頃まで、ネットでの言論は比較的見逃されていましたが、姜は、法輪功系の北京五輪の聖火リレー反対運動に賛意を示したことから公安に目をつけられ、さらに2008年の四川大地震のときに現地の情報を海外に発信したことから逮捕され、殴られたりスタンガンを押し付けられる拷問を受けたといいます。
 この後、姜はタイへと逃れ、難民申請も行いましたが門前払いされています。姜は、天安門事件の日に行われる中国大使館前の抗議運動にも加わったりしていますが、経済的には困窮した生活を送っており、取材後にはついに中国に強制送還となり、「罪」を告白させられていました。

 マー運転手は、深センのタクシーの運転手で著者とたまたま知り合った人物ですが、タクシーの運転手には柄の悪い人物が多い中で日本のエプソンの現地法人の運転手をしていたこともあって非常に物腰の丁寧な人物でした。

 マー運転手は遼寧省生まれで、中学を中退してアイスキャンディーを売る露天商の仕事をしていました。この仕事をしていた24歳のときに買付で北京に立ち寄り、デモの現場に遭遇したといいます。デモの学生の言っていることは理解できなかったといいますし、そもそも天安門でデモが行わていたことも知らなかったといいますが、その後、ダンプカーの運転手をしているときに利権にむらがるマフィアの抗争に巻き込まれそうになり、ここで天安門で叫ばれていた「反腐敗」の意味を知ったそうです。

 その後、エプソンで働いて日本人の礼儀正しさを知ったマー運転手は、「日本は民主主義の国だから、日本人はみんな優しくてちゃんとしているのだ」(166p)という認識にたどりつきました。
 その後は、ネットでさまざまな情報を知り、「むかしの自分はなぜデモに参加しなかったんだと悔しくて仕方なかったよ」(168p)との考えを持つようになりました。今デモが起きたら「参加する」と言い切ります。
 
 本書に登場する人びとの中で、今でもが起きたら「参加する」と言い切ったのは、マー運転手と第4章に出てくる凌静思です。
 凌は天安門事件当時、夜間部ながらも大学生の立場で、デモの初期から毎日のように天安門広場にいました。現在では資料室の司書として働いており、インテリと言っていいでしょう。
 凌は、政治家に広場の衛生環境が悪いと言われたのに反発し、ホウキをもって掃除を始めました。そして、このときの様子がロイターのカメラマンに撮影されています(199pに毎日新聞に載ったこの写真が掲載されている)。

 凌は、5月30日にたまたま母親が大怪我をして入院したことから命拾いをすることになります。弾圧の夜、凌は病院で負傷者の搬送の手伝いなどをしました。戦車に轢かれて左足を失った学生もいたといいます。
 
 凌は50歳を超えた今でも民主化運動を支持していますが、同時に「秀才造反、三年不成(文弱の徒の反乱は、いつまでたっても成就し得ない)」(207p)といったことも言います。中国においてインテリが主導する革命は失敗するものだとわかっているのです。
 最後に、凌の口から妻を出産の時に亡くし、今は家族がいないことが語られますが、張宝成にしろ、マー運転手にしろ、凌にしろ、「持たざる者」がいまだに民主化の夢を追っていると言えるのかもしれません。

 このように中国での締め付けが厳しい中では民主化運動は海外で行わざるを得ません。
 しかし、第4章の王戴へのインタビューを読むと、ただでさえ運動が低調になる中で、民主化運動組織である「民主中国陣線」(民陣)の日本支部は内ゲバと銭ゲバによってグループが分裂を続けていることがわかります。

 著者は、王丹、ウアルカイシといった天安門事件のリーダー的存在にもインタビューを行っていますが、彼らの話の中身はあまり面白いものではなかったとのことです。
 特に王丹の応答に関しては、大学受験の小論文の模範解答のようであり、正しくはあるものの、没個性的で面白みはないのです。
 著者は途中で「あなたは毎回同じことを訊かれているのではないか?」と問いかけますが、王丹はそれは自分の役目であるとし、「やりたいことをやって、ずっと放棄(やめ)なかった。私はうまくやってきたと言えるのか、それはわかりません。しかし、今まで放棄なかった点だけは、自己評価としては満足しています」(283p)と答えています。

 ウアルカイシは人懐っこい感じで非常に魅力的な人柄ですが、喋っている内容は王丹とそれほど変わらず、ステレオタイプの民主化論です。
 でも、やはり王丹と同じように天安門事件について語り続けなければならないという覚悟のようなものは感じさせます。
 また、王丹もウアルカイシも台湾のひまわり運動の学生たちと接触があり、激励なども行っています。
 ある意味で、天安門事件の記憶がひまわり運動における学生たちの実力排除を躊躇させた面もあるわけで、王丹は「しばしば『天安門事件は中国を変えなかった』という批判がなされますが、しかし『たとえ中国を変えなくても世界を変えた』とは言えるはずですよ」(303p)と語っています。

 この他、在米民主派の中国人団体を主宰しながらスティーブ・バノンに仕えていた李建陽(仮名)や、日本の右翼論壇でも活躍する石平などにもインタビューをしています。

 そして、さらにこの本を立体的なものにしているのは、香港でのデモと天安門事件を重ね合わせながら取材している点です。
 香港といえば、長年に渡って天安門事件の追悼行事が行われてきた場所であり、中国民主化運動の大きな拠点だったイメージがありますが、著者は取材した2015年の天安門事件追悼デモは、親中派とともに、「本土派」と呼ばれる集団からも罵声を浴びせられていました。
 本土派は香港の中国からの離脱や独立を求める一派で、「私は中国人ではない」と考えるからレにとって、天安門事件は関係のない出来事なのです。

 ときに中国人を汚い言葉で罵倒する彼らは、2019年の大規模デモでも暴走し、さまざまな破壊行為も行いました。
 最終的に、香港のデモは中国政府の国家安全法によって窒息させられてしまったので、彼らの暴走が香港の民主化を失敗させたとは言えないでしょうが、香港に分断を作り出してしまった面はあるでしょう。

 本書はルポなのですが、過去の真相を掘り起こすというよりは、天安門事件の現在における意味をつねに問い続けるようになっています。
 天安門事件と香港デモの関係者へのインタビュー通じて、巨大に成長した中国と、同時に政治からある意味で切り離された中国の人びとと、今後どのような関係を築いていくべきかということを考えさせてくれる内容と言えるでしょう。