タイトル通り、戦争がどのように終わったのかについて、第1次世界大戦、第2次世界対戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争を分析した本。
 戦争がいかに始まったかについてはずっと議論があり、例えば第1次世界大戦や太平洋戦争がなぜ起こってしまったのかについて数々の本が書かれてきました。一方、本書のように終わり方にフォーカスをあてた本というのはあまりなく(日本の「終戦」に関する本も国内の終戦工作を追った本が多い印象)、まずはアイディアの勝利です。
 また、単純に戦争終結の過程を追うだけではなく、それを「将来の危険」と「現在の義性」をめぐるジレンマとして理論化しており、「戦争の終わり方」を考える視座を与えてくれるものとなっています。

 目次は以下の通り。
序章 戦争終結への視角―「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマ
第1章 第一次世界大戦―「勝利なき平和」か、懲罰的和平か
第2章 第二次世界大戦“ヨーロッパ”―無条件降伏政策の貫徹
第3章 第二次世界大戦“アジア太平洋”―「幻想の外交」の悲劇
第4章 朝鮮戦争―「勝利にかわるもの」を求めて
第5章 ベトナム戦争―終幕をひかえた離脱
第6章 湾岸戦争・アフガニスタン戦争・イラク戦争―共存から打倒へ
終章 教訓と出口戦略―日本の安全保障への示唆

 戦争は勝敗がついた時点で終わるかというと、そうとも言えません。第2次世界大戦のときのドイツや日本は敗北が明らかになっても戦い続けましたし、湾岸戦争における多国籍軍はフセインにとどめを刺さずに戦争を終わらせました。
 本書では、優勢な側は「紛争原因の根本的解決」をとるか「妥協的平和」をとるかのジレンマを抱えていると考えます。今後のことを考えれば敵国の首都を占領して、その国の体制を完全に覆してしまうのが安心ですが、それにはさらなる兵士の死傷などの犠牲を払う必要があります。
 つまり、「将来の危険」と「現在の犠牲」を秤にかけながら、どのように戦争を終結させるべきなのかを考えるのです。

 一方、劣勢側からすると、もし相手が「現在の犠牲」に敏感であれば交渉の余地が出てきます。また、「将来の危険」を低く見せることができれば(戦争終結とともに自発的に体制変革を行うなど)、相手の妥協を引き出す余地ができるかもしれません。
 他にも国内政治の要因から分析するやり方もありますが、本書は「紛争原因の根本的解決」と「妥協的平和」のジレンマを中心に戦争の終結を分析しています。

 まずは、第1次世界大戦です。西部戦線ではドイツがフランス領内に攻め込む形になりましたが、イギリスやフランスはドイツとの講和は考えませんでした。これはアメリカの参戦に対する期待があったからです。
 アメリカではウィルソンが「勝利なき平和」という理念を掲げて仲介を試みますが、ドイツが無制限潜水艦作戦を再開すると、1917年4月にドイツに対して宣戦することになります。

 一方、東部戦線では革命によってロシアが脱落します。ボリシェヴィキ政権は「無賠償・無併合・民族自決」の原則に基づく全面講和を呼びかけますが、ドイツはこの原則を拒否し、ポーランド、リトアニア、ラトビアの西部の放棄を要求し、それが受け入れられないと、全面的な攻勢に出てペトログラードに迫りました。
 結局、ロシアはポーランド、リトアニア、ラトビアに加えてエストニア、フィンランド、ベラルーシ、ウクライナの独立と、それらの国のドイツの事実上の保護国化という大きな譲歩をします。
 ドイツとしてはボリシェヴィキ政権の弱さを見越し、「現在の犠牲」を低く見積もって強気に出ることができました。しかし、この講和によるドイツの強大化は、連合国側にドイツの「将来の危険」を強く意識させることにもなります。

 ドイツは東部戦線の兵力を転用して西部戦線で大攻勢をかけますが、1918年8月になるとその優勢はくつがえり、ドイツでも和平を模索する動きが出てきます。
 ヒンデンブルクやルーデンドルフらは、この年の1月に発表されたウィルソンの「14か条の原則」に基づく講和を考えていました。この原則には交渉の余地があると思われたからです。

 しかし、ウィルソンとイギリスのロイド・ジョージやフランスのクレマンソーの間で意思の疎通はとれていませんでした。アメリカ国内でも、南北戦争における南軍の無条件降伏のような状況を目指すべきだという声もあり、ウィルソンはドイツに対して政体変更の要求を出します。
 ドイツはウィルソンの真意を測りかね、国内ではこれを受け入れるか拒否するかで対立が起きます。こうしている間に、18年の10月末にはオーストリアが連合国・アメリカ側に単独講和を申し入れ、ドイツは孤立しました。

 ドイツが劣勢になると、英仏は「根本的解決」を志向するようになります。そうした中でドイツで革命が起こり、ドイツの帝政は内部から崩壊します。一定の条件のもとで休戦を志向していたドイツはなし崩し的に追い込まれ、結果は「根本的解決」に近いものとなりました。ドイツは14か条の原則に乗っかることで「妥協的平和」が実現できるものと考えましたが、英仏により14か条の原則は骨抜きにされていきました。
 著者は、英仏とアメリカがドイツを完全に打ち負かしていない状況で「根本的解決」を押し付けたことだ第2次世界大戦につながったとみています。ベルサイユ条約を押し付けるなら「現在の犠牲」を払ってでもドイツ本土に侵攻すべきだったというのです。

 この第1次世界大戦の終わり方の問題もあり、第2次世界大戦が勃発します。
 ヨーロッパではまずはドイツの優勢に進みます。ポーランド制圧後にヒトラーは演説で英仏に和平を呼びかけ、フランスへの全面攻撃を開始した5日後にはゲーリングがフランスのレイノー首相に和平を打診しています。ドイツはイギリスを完全に屈服させるには大きな「現在の犠牲」が必要だと認識していたからです。 
 これに対しイギリス側は外相のハリファックス卿が和平を模索しますが、首相になったチャーチルは断固としてこれを拒否し、徹底抗戦を宣言します。民主主義を守るために「現在の犠牲」を払う価値があると訴えたのです。

 一方、フランスではレイノー首相らは北アフリカに逃れての徹底抗戦を考えますが、ドイツが打ち立てる新秩序の中でフランスを存続させるべきだという声もあがります。
 結局、レイノーは閣内で孤立して辞任し、後継となったペタンがドイツに休戦を申し入れます。パリを含むフランスの3/5がドイツの占領下に置かれるという「根本的解決」に近い形での終結でした。

 その後、第2次世界大戦は独ソ戦の開始、真珠湾攻撃をきっかけとしたアメリカの参戦と進み、1943年になると連合国軍が優勢となってきます。
 43年1月、カサブランカでのチャーチルとの会談の後、ローズヴェルトは「無条件降伏」を要求すると発言します。これは「現在の犠牲」を払ってでも「将来の危険」を取り除くという決意の現れでした。
 しかし、この方針はドイツに対しては明確だった一方、イタリアに対しては曖昧でした。連合国の間ではイタリアを枢軸側から離脱させることが検討されており、「将来の危険」の観点からも無条件降伏を求める必要はないという考えがあったのです(結局イタリアは無条件降伏に近い形で降伏する)。

 一方、ドイツに対しては「紛争原因の根本的解決」が求められました。そのため、ドイツから講和を模索する動きが出ても、それに呼応しようとする動きは起こりませんでした。
 ただし、そのために「現在の犠牲」をどの程度払うかには意見の隔たりもありました。イギリスは戦後のことも考えてベルリンを占領すべきだと主張したのに対して、アメリカはベルリン占領はソ連に任せてもいいと考えていました。ローズヴェルトの命を受けたアイゼンハワーはエルベ川で進軍を停止します。
 ヒムラーやゲーリングが西部戦線での降伏を画策しますが、ヒトラーはこれを許さず、ベルリンはソ連軍によって陥落しました。ナチズムとの間に「妥協的平和」は成立しなかったのです。

 対日本戦においてもアメリカは「無条件降伏」を求めますが、イギリスやソ連と共同して戦っていたヨーロッパ戦線に比べると、太平洋戦争はアメリカの戦いであり、日本本土への上陸となるとアメリカの「現在の犠牲」も無視できないものでした。
 そこで、日本にはそれにつけ込んで少しでも有利な「妥協的平和」を得ようという考えが生まれます。どこかで一撃を加えて講和するという「一撃和平」の考えです。

 連合国側にも異論はありました。チャーチルはソ連の影響力拡大を防ぐためにトルーマンに「日本人に軍事的名誉を保たせ民族の生存を保証する」(126p)ことを提案していましたし、ジョン・マクロイ陸軍次官補は、まず天皇制存置を申し出、拒否されたら核の保有を示して警告するという方法をバーンズ国務長官に伝えていました。
 しかし、バーンズやトルーマンは、このような方法がさらなる譲歩を求める日本側のインセンティブを高めるとして、これを拒否しています。
 
 また、アメリカにはソ連の参戦と原爆の開発という問題もありました。原爆が完成するまではソ連の参戦が必要でしたが、いざ原爆が完成するとソ連の対日参戦の約束というのはアメリカにとって厄介なものとなったのです。
 それもあって、アメリカはソ連に対してポツダム宣言への書名を求めませんでした。原案には「今や巨大なるソ連の軍事力の参加を得て」(135p)との表現もありましたが、それも削除しています。

 しかし、これは日本の誤解を招きます。ソ連の仲介による和平を模索していた日本は、ポツダム宣言にソ連が名を連ねていないことに注目し、ソ連の仲介に期待をかけ続けることになるのです。もし、ポツダム宣言にソ連の名前があれば、日本はもっと早くに降伏を決断していたかもしれません。
 8月6日に広島に原爆が投下されますが、決断は遅れます。これは駐ソ大使の佐藤尚武から8日の夜にソ連のモロトフ外相と面会できるとの連絡が入ったからです。日本政府はこれを期待して待ちますが、そこにあったのは日本への宣戦布告でした。ここに至って日本は万事休すとなり、天皇制存置をめぐるやりとりをしたあとに、天皇の「聖断」という形で降伏します。
 ポツダム宣言の曖昧さは日本に交渉への期待を生みましたが、それは幻想に過ぎなかったのです。

 朝鮮戦争では、戦争目的が情勢とともに変化しました。
 当初の作戦の目的は開戦前の原状回復でしたが、戦争中に38度線以北の軍事行動が容認されたこともあって、マッカーサーは「朝鮮の再統一」を視野に入れて軍事行動を行います。
 しかし、ここで中国の人民義勇軍が参戦します。マッカーサーは中国への空爆や海軍による砲撃によって、中国を含めた「将来の危険」を除去することを考えましたが、トルーマンもイギリスも朝鮮の統一はあきらめて休戦するという方針でまとまります。
 
 一方、中国側の狙いも朝鮮半島の統一でした。毛沢東は後に「原子爆弾やミサイルを恐れるべきではない。どんな種類の戦争 ー 通常兵器であれ熱核兵器であれ ー が起きようとも、我々が勝利する。中国に関しては、帝国主義者が戦争をしかけたら三億人以上の人名が失われるだろう。それがどうしたというのだ。戦争は戦争だ。年月が経ち、前よりも多くの赤ん坊が生まれるだろう」(177p)という言葉を残していますが、中国は「現在の犠牲」を許容するスタンスでした。
 
 共産軍を押し返したマッカーサーは再び大陸への攻撃を主張しますが、51年4月にマッカーサーは解任されます。
 中国側も第5次攻勢が失敗したことで北朝鮮による統一をあきらめ、休戦会談が始まることになります。スターリンも休戦に前向きだったこともあり、休戦の話し合いは順調に進みますが、捕虜交換方式をめぐる問題で1年以上停滞します。
 共産軍の捕虜の中には帰国を拒否する者が5万人もおり、彼らの扱いをめぐって対立が起きたのです。最終的に1953年に休戦協定が結ばれ、これによって朝鮮半島の分断は固定化されました。
 朝鮮戦争では、アメリカ、中国ともに一時期は「根本的解決」を志向しながら、「現在の犠牲」を考慮して、「妥協的平和」にたどり着いたケースと言えます。

 ベトナム戦争では、アメリカが「現在の犠牲」に耐えきれなくなったのに対して、北ベトナム側は「現在の犠牲」を払う覚悟がありました。
 アメリカは南ベトナムの存続を方針としていましたが、北ベトナムの打倒という「根本的解決」までは考えませんでした。そこまでいけば、中国やソ連が出てくる恐れがあるからです。
 1965年5月、ジョンソン政権はハノイに対して北爆の停止の見返りにハノイが南ベトナムでの軍事行動を縮小するという案を非公式に打診しますが、ハノイはアメリカの南ベトナムからの撤退を求めてこの案には乗ってきませんでした。北ベトナムの損害受忍度はアメリカの想像以上だったのです。

 ジョンソンに代わったニクソンは交渉に懐疑的でしたが、同時にサイゴン防衛に無条件にコミットするつもりもありませんでした。サイゴンを強化したうえで、アメリカのコミットメントを縮小していくのがニクソンの戦略だったのです。
 北ベトナムはあくまでもサイゴンの打倒を目指しましたが、72年3月の「イースター攻勢」が失敗すると、和平を模索すべきという動きが強まります。中国が和平を望んだこともあって、73年にはパリ協定が結ばれました。
 交渉を行ったキッシンジャーは自軍の撤退とサイゴン陥落の「時間的間隔」を置くことにこだわったとされており、結果的にパリ協定からサイゴン陥落まで2年ちょっとの月日がかかることになります。

 最後の第6章では湾岸戦争、アフガニスタン戦争、対テロ戦争がまとめてとり上げられています。
 ここで注目すべきは、やはり湾岸戦争の終わり方とイラク戦争の関係でしょう。湾岸戦争では、アメリカを中心とした多国籍軍はイラクを圧倒してクウェートを奪還したものの、イラク領内には攻め込まず、フセイン体制は温存されました。
 これはアメリカが「現在の犠牲」を考慮して、フセインという「将来の危険」を軽視した(フセイン体制は自然に倒れると想定されていた)からでした。もちろん、イラク領内に侵攻すれば多国籍軍に参加しているアラブ諸国の支持が得られない、フセイン体制が崩壊することでこの地域がかえって不安定になるという恐れもありましたが、攻撃の停止が早かったことでイラクの精鋭部隊はイラクに帰還することができたのです。

 アフガニスタン戦争とイラク戦争はいずれも「紛争原因の根本的解決」を目指したものとなりました。イラク戦争では、湾岸戦争では果たせなかったフセイン政権の打倒が成し遂げられています(ただ、終わってみればフセイン政権は「将来の危険」とは言えなかったのかも)。
 しかし、フセイン政権があっさりと倒れた後にイラクが混乱に陥り、先日、タリバンがカブールを奪還したのも見ると果たして「根本的解決」だったのかどうかは疑問も湧いていきます。

 このように、本書は戦争の「終わり方」に注目したものでオリジナリティがあります。また、第2次世界大戦における日本の降伏に関しては近年の研究をもとに細かい点にまで分析が及んでおり、「なるほど」と思わせます。
 理論化という点でも非常にわかりやすく整理されていると思いますが、イラク戦争、そして何よりも今年8月のカブール陥落のあとだと、果たして現在における「紛争原因の根本的解決」とは何なんだろうか? ということも考えました。