昨年、中公新書から青木栄一『文部科学省』が出版されましたが、今度は新潮新書から『厚労省』が出ました。『文部科学省』が政治学者によるものでアカデミックな路線だったのに対して、こちらは東京新聞・中日新聞の論説委員によるもので、今までの取材の経験を活かしたジャーナリスティックな路線になります。
 厚生労働省は、国家予算の1/3近くを使い、3万人を超える職員が働く巨大官庁です。その仕事は多岐にわたり、さらに国民生活に密接に関わっているだけに非常に重要です。しかし、一方でそれが故に不祥事や機能不全が目立ってしまうという面もあるでしょう。
 本書はそんな厚労省の全体像をスケッチするとともに、各種審議会のあり方なのにも触れ、外野からは受け身に見える厚労省の政策決定過程がよくわかるようになっています。
 何か斬新な視点が打ち出されているわけではありませんが、厚労省の全体像を把握するにはちょうどよい本ではないでしょうか。

 目次は以下の通り。
第1章 歴史は繰り返す
第2章 使うカネも組織も巨大
第3章 政策はどう決まる
第4章 史上最長政権と厚労省
第5章 なくならない不祥事
第6章 人生を支える社会保障制度

 厚生省が設立されたのは盧溝橋事件の翌年となる1938年です。陸軍は当時の若者の体力の低下と結核の蔓延に危機感を持っており、戦争遂行と兵士の確保のためにも国民の健康を守るための期間が必要だと考えられたのです(このあたりの経緯は高岡裕之『総力戦体制と「福祉国家」』に詳しい)。
 当初は「社会保健省」「保健社会省」といった名称が考えられますが、「社会」が「社会主義」を連想させるという意見が枢密院から出て、中国の古典の「書経」にある「厚生」という言葉が使われることとなりました。また、母胎となったのは内務省です。

 また、戦時体制における生産力増強の必要もあって厚生省に労働局が置かれ、これが戦後の1947年に労働省として独立することになります。
 そして、2001年の省庁再編で再び厚生省と労働省が統合されて厚生労働省となったのです。

 2021年度の一般会計の歳出は106兆6097億円、そのうち社会保障費は35兆8421億円と割合にして33.6%を占めるわけですが、さらに保険料などから投入される社会保障の給付費の合計は20年度の予算で126兆8000億円で、一般会計の予算規模を超えています。
 厚労省が関わるお金というのはこれほど巨額のものなのです。

 ただし、年金や医療分野はすでに使い道が決まっているお金で、厚労省が自由に使えるお金は少ないです。以前は厚労省の官僚が新たな政策を考え予算を使えるのは水道事業くらいだと言われたそうですが、今は国が行う水道事業の割合は小さくなっています。
 また、特別会計として、年金特別会計71兆2855億円、労働保険特別会計(雇用保険と労災保険を管理)4兆9202億円(いずれも21年度予算)を管理しています。

 厚労省の管轄する分野は広く、国民の生活にも関わることが多いために、厚労相の国会での答弁回数は他の大臣よりも頭抜けて多くなっています。2018年の国会で、大臣、副大臣、政務官、政府参考人の合計答弁数は厚労省が8327回で断トツのトップです(2位は国交省の4280回(36p))。
 そのため国会のあるときには分野ごとの課長が毎朝5時に集まり、8時45分まで大臣レクを行います。終わらないときは昼休みもつづくそうです。
 レクをするためには国会に入る入館証が必要ですが、厚労省ではこの不足にも悩まされているそうです。

 厚労省には13の局があり、大きく厚生系と労働系に分かれます。
 厚生系は、保険局(医療保険)、医政局(医療提供体制の確保)、健康局(ガンや難病、感染症などへの対策など)、医薬・生活衛生局(医薬品のチェック、食品衛生、理容・美容店・公衆浴場などの管理)、年金局(年金)、老健局(介護保険)、社会・援護局(生活保護、障害者福祉、戦傷病者や戦没者遺族の援護政策)になります。
 労働系は労働基準局(労働基準法を所管、労災保険、最低賃金など)、職業安定局(ハローワーク)、雇用環境・均等局(女性や非正規の待遇改善、ワーク・ライフ・バランスなど)、子ども家庭局(保育所整備、虐待防止など)になります。
 これに省全体の政策調整、白書の作成、中長期の政策立案などを行う政策統括官、公的な職業訓練や技能検定の実施、能力開発などを行う人材開発統括官という部局があり、全部で13局の構成となっています。

 また、厚労省の組織の特徴としては事務次官の他に厚生労働審議官と医務技監という次官級のポジションがあるところです。厚生労働審議官については厚生系の人材が事務次官になると、旧労働系の次官候補はこのポジションに就くことが多いそうです。

 各省庁別の一般職の職員数だと、厚労相は3万1518人で、国税庁、法務省、国土交通省についで第4位になります。約4000人が中央の霞が関におり、それ以外は地方の厚生局や労働局、検疫所、ハンセン病療養所などにいます。
 他の省庁と同じく厚労省もキャリアとノンキャリアから構成されています。出世していくのはキャリアが中心ですが、数年で異動を続けるキャリアに比べて、ノンキャリは1つの職場にとどまることが多く、年金などの複雑な制度に関してはノンキャリアの知識が必要になります。

 2020年7月時点で女性職員の割合は28.5%、管理職の課室長相当職では9.1%となっています。女性の働き方を支える政策を担う厚労省ですが、官庁の中でのこの数字は中位になります。
 ただし、旧労働省時代には松原亘子が、2013年には冤罪事件に巻き込まれた村木厚子が事務次官になっています。

 「ブラックな職場」として知られるようになった霞が関ですが、特に厚労省は長時間労働がひどく、霞が関の本省では月80時間以上100時間未満の超過勤務が1ヶ月以上続いた職員は1279人、月100時間以上が1ヶ月以上続いた職員が555人と、約4000人のうち半数近くが過重労働となっています。
 しかも、上記にあてはまる職員の半数近くは4〜5ヶ月にわたって超過勤務が続いていたといいます(72p)。
 忙しさの原因は、人手不足、不祥事などへの対応、国会対応といったもので、特に国会対応の負担を訴える職員が多いそうです。

 厚労省の他の官庁との違いの1つに専門職の多さがあります。医師や歯科医師の資格を持つ医系技官、看護師資格のある看護系技官、薬剤師資格や化学・生物分野の専門知識を持つ薬系技官、獣医師の資格を持つ獣医系技官もいます。
 これらの技官の多くは通常の試験とは違うルートで採用されており、医系技官だと現場経験をつんだ人物を採用しており、勤務時間外の診療業務も認められています。ちなみに64年の東京オリンピックのときに都知事だった東龍太郎や新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂が医系技官の出身です。

 ただし、近年はこの技官の確保が難しくなっています。特に医系技官は民間に対してどうしても収入面で見劣りします。2017年に新設された医務技監は医系技官を処遇するためのポストと言えるでしょう。
 
 他に厚労省の中の独自の職種としてあるのが、労働基準監督官と麻薬取締官です。どちらも逮捕・送検ができる司法警察職員になります。
 そのため労働基準監督署には取調室もあります。また、違反企業への立ち入り調査も可能で、2015年に電通で高橋まつりさんが過労自死した際には、東京労働局と三田労働基準監督署が電通の本社と支社に一斉に立ち入り調査に入りました。現在、労働基準監督官は3000人ほどいます。
 麻薬取締官は、近年では芸能人の逮捕なども行っています。そのために尾行や張り込みなども行います。2020年度で人員は295人です。
 
 ここでまで厚労省の組織についてですが、第3章では厚労省の政策決定過程が述べられています。
 厚労省の扱う分野は国民生活に直結し利害関係者も多いために、審議会に諮問してそこでの合意形成を通じて練り上げられるものが多いです。
 年金でも医療でも、多くは審議会にかけられた上で法案として国会に提出されるのです。

 例えば、年金は社会保障審議会の年金部会で審議されます。こうした審議会に注目が集まるのは大きな改正などがあるときですし、多くは厚労省の意向を受けた上で審議がなされるのですが、ガチンコの議論がなされるのが中央社会保険医療協議会(中医協)です。
 中医協は診療報酬の配分を決めるのですが、これは医師の報酬や、健康保険組合の財政に直結します。そこで公益委員の他に、報酬を払う側の健康保険組合連合会などと、報酬を受け取る側の日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会などが激しい議論を行うのです。
 ただし、2004年に中医協の委員が日本歯科医師会幹部から贈賄を受けた事件を受けて、診療報酬の改定率は内閣が決め、中医協がその中で診療報酬を決める形になりました。

 労働系の審議会も基本的には労使が対立するケースが多いです。労使間の問題は経営側、労働側、公益側の「三者構成」がルールとなっており、近年では「高度プロフェッショナル制度」をめぐって労使が対立しました。安倍政権は労働側を懐柔するために、残業時間の上限規制を抱き合わせの形にして法案提出を了承させています。
 しかし、2013年に設置された「一般用医薬品のインターネット販売等の新たなルールに関する検討会」では。慎重派の医療側と推進派のネット販売会社が真っ向から対立し、結論が先送りされました。

 2013年の生活保護基準部会では、保護費約90億円の減額を提示したものの、政府からの圧力を受けた厚労省が減額幅を580億円に拡大して、部会の意向が無視されるといったことも起こっています。
 2021年の感染症部会では、新型コロナウイルス対策の強化のために、入院等を拒んだ感染者に刑事罰を科す改正案が諮問されて「おおむね了承」となりましたが、出席した18名のうち罰則に賛成したのは3名だけで、8名が反対あるいは懸念を表明していた事例もありました。ちなみにこの改正案は国会審議の中で刑事罰から行政罰に変更されています。

 法案提出のための大きな関門が与党の了承です。特に社会保障の負担を増やす政策は選挙を控えた政治家には嫌われます。また、自民党にはいわゆる「族議員」もいて、ときには彼らも厄介な存在です。
 自民党の部会では、ときにわざと外に聞こえるような大きな声で法案への批判や持論をぶつける議員がいます。これは廊下の外で待機している記者たちに聞こえるようにするためだといいます。

 予算増を伴う政策では財務省が大きな壁となります。社会保障費はそもそもの額が巨額であり、これを抑制することは財務省の重要事項です。そのため、予算を査定する主計官は他の省庁が1人なのに対して厚労省担当は2人います。医療・介護担当の第1担当と、年金・労働担当の第2担当です。
 2012年度の診療報酬の改訂では、小宮山厚労相と安住財務相の間で+0.004%という数字で決着しましたが、厚労省はプラス改定を勝ち取る一方で、小数点二桁より下は四捨五入するというルールを持つ財務省からすると据え置きを勝ち取ったという形です。

 厚労省が政策を進めていく手段としては法改正意外にも、政令、省令・施行規則、通知・事務連絡といったものがあります。
 特に通知・事務連絡は省庁の裁量で出さるので小回りがききます。新型コロナウイルス対策では介護業者にさまざまな事務連絡を出し、それがうまくいった面もありますが、現場からはその量の多さに悲鳴も出たそうです。

 第4章では安倍政権下における厚労省について語られています。
 安倍政権の看板政策は「女性活躍」「一億総活躍社会」「働き方改革」「幼児教育・保育無償化」など厚労省の管轄する分野が多く、しかも「3年子ども抱っこし放題」「介護離職ゼロ」などのキーワードが打ち上げられるケースも多く、厚労省は既存の政策といかに接続するかということに苦労しました。
 一方で、「幼児教育・保育無償化」や「働き方改革」といった政策は官邸主導だからこそ進んだ政策でもあり、「働き方改革」では経産省出身の新原浩郎らがその推進力となりました。

 第5章では厚労省の不祥事がまとめられています(このあたりの構成が新潮新書っぽいか)。
 まず、とり上げられているのが薬害エイズ問題で、その反省から原因が必ずしも確定していなくても規制を行っていく「予防原則」へと切り替えていったといいます。
 01年のBSEにおける動物性飼料を与えられた国産牛の出荷停止や、96年のO157による集団食中毒事件で、「かいわれ大根が疑われる」と公表したのがその例です。O157のケースでは業者から訴訟を起こされて厚労省が敗訴しましたが、

 また、脳死をめぐる議論でその議論が公開されなかったことが混乱を生んだとの反省や、薬害エイズの問題もあり、その後は情報公開に積極的になっています。
 96年には事務次官だった岡光序治が、特別養護老人ホームを運営する会社からゴルフ場会員権や乗用車などの提供を受けたとして収賄罪で逮捕される事件も起きました。
 00年代になって大きな問題となったのが社会保険庁の不祥事です。年金記録の業務外閲覧、収賄、加入者本人が知らないところでの免除承認手続き、ヤミ専従、赤字を積み上げたグリーンピア事業、「消えた年金記録」など、次々と不祥事が明らかになり、ときには政権を揺るがしました。
 最近では統計をめぐる不祥事が問題となりましたが、この問題については、検証をする委員長を外郭団体の理事長に任せた検証作業のお粗末さも指摘されています。

 第5章は社会保障制度のおさらいという感じで、ある程度知識がある人には知っていることが多いでしょうが、年金、医療、介護、少子化対策、労働政策のそれぞれの課題を簡単に知るにはいいでしょう。

 このような形で厚労省という巨大官庁を紹介した本ですが、個人的には組織と政策決定過程を扱った前半が面白かったですね。記者が書くものだと、どうしても自分の取材経験を中心に書いてしまいがちですが、本書は比較的客観的な視点から厚労省を捉えることができていると思います。
 不祥事の構造的な要因にまで深く踏み込んであると、より面白い本になったのではないかと思いますが、厚労省の性格や全体像を知るには役に立つ本です。