「シリーズ 歴史総合を学ぶ」の第1巻。今年度から始まった高校の「歴史総合」を見据えて、「歴史総合」の議論にも大きな影響を与えてきた著者2人が、岸本美緒、長谷川貴彦・貴堂嘉之・永原陽子・臼杵陽をゲストに迎えて、歴史に関する本を読みながら近現代を中心とした世界史と歴史学について考えるという構成になります。
 章ごとに3冊の本がとり上げられており、それを著者2人+ゲストが紹介しながら、時代の特徴や歴史学の展開を語っていく形で、刺激的な議論がなされています。
 ただ、前半については文句がなしですが、後半の本のセレクションについては個人的には大いに問題があるように感じます。

第一章 近世から近代への移行
とり上げられている本:大塚久雄『社会科学の方法』、川北稔『砂糖の世界史』、岸本美緒『東アジアの「近世」』
ゲスト:岸本美緒

 まずは戦後を代表する知識人でもある大塚久雄の著作がとり上げられています。大塚は日本の「近代」が不十分なものであったとの反省のもと、イギリスの「近代」を生み出した人々の精神に迫ろうとしています。
 大塚は「ロビンソン・クルーソー」というわかりやすい類型をとり上げながら、近代を生み出した人々のエートスを分析したわけですが、「合理性」や生産の局面を強調する議論には批判もあります。
 また、大塚の時代は海外に行くことは難しく、欧米の二次文献にあたって理論を組み立てていましたが、その後、日本の研究者も海外で一次文献にあたるようになり、大塚の研究が参照されることは少なくなりますが、歴史教育の分野ではまだ大塚の枠組みの影響は強いと言います。

 一転して、川北稔『砂糖の世界史』は砂糖という商品に注目して国の枠を超えた歴史を描こうとするもので、産業革命を生み出したものはイギリスの小経営のエートスなどではなく、カリブの奴隷を使った砂糖のプランテーションがイギリス本国にもたらした富こそがその原動力だったという主張をしています。
 『砂糖の世界史』は世界システム論に依拠しているわけですが、同時に消費の局面にも目を配っているのが特徴と言えます。

 これら2冊の紹介が終わってから岸本美緒が登場するわけですが、まずは「近世」という「近代」の前の時代を表す概念が検討されています。
 岸本はあえて「近世」という時代区分の内容的指標については論じておらず、16〜18世紀にかけてアジアに登場した銀というモノの流れを軸にした新たな世界といった意味合いでこの言葉を使っています。
 世界システム論のような中心−周辺の図式ではなく、銀、さらには生糸やニンジンといった商品でつながりながら、東アジアに中国・朝鮮・日本といったそれぞれに特徴のある社会が成立したことを論じていくのです。
 単線的な発展論ではない歴史の姿が打ち出された議論と言えるでしょう。


第二章 近代の構造・近代の展開
とり上げられている本:遅塚忠躬『フランス革命』、長谷川貴彦『産業革命』、良知力『向う岸からの世界史』
ゲスト:長谷川貴彦

 遅塚忠躬(ちづかただみ)『フランス革命』は「歴史における劇薬」との副題があるように、フランス革命の理想と悲惨さを表裏一体のものとして描いた本になります。
 ここでは、フランス革命における犠牲の大きさと三谷博が『日本史のなかの「普遍」』で指摘する明治維新の死者の少なさを比較したり、革命主体の決断に焦点を合わせる遅塚忠躬『フランス革命』と革命を生み出した諸要因の相互作用に注目した柴田三千雄『フランス革命はなぜおこったか』を対比させたりしながら、「近代」という時代に対するフランス革命の意味を探っています。

 一方、同じ「革命」という名がついていながらドラマ性がないのが産業革命です。ここでは『産業革命』の著者の長谷川貴彦をゲストに迎えて議論が行われています。
 産業革命については実はGNPの伸びなどは大したことがなかったという指摘もありますが、労働力の移動や都市化、労働時間の増加、栄養状態の悪化などさまざまな変化がありましたし、何よりも「有機物依存経済」から「鉱物依存経済」への大きな転換があったと言います。これによって土地の有限性という足枷が外れたのです。

 長谷川によれば、市場経済と共同体の解体を説明するときに、内部から市場が発展し共同体が解体するという内的要因を重視する説明と、外部から市場経済が浸透して共同体が解体するという外的要因を重視する説明がありますが、この両者をうまく結びつけようとしたのが自分の狙いだと言います。
 そして、イギリスでは長期的で緩慢な動きだった工業化が、他国に輸出されると、まさに「革命」というほどに激烈な変化を引き起こしたと言います。

 3冊目の良知力(らちちから)『向う岸からの世界史』は1848年の革命を扱った本になります。
 本書は1848年の革命において「プロレタリアート」と呼ばれた人々の内実を明らかにしようとした本になります。ウィーンにおける「プロレタリアート」はボヘミアの農村から仕事を求めて市壁の外側の区域に流れついたスラヴ系の住民であり、3月革命ではこの「プロレタリアート」が革命側に身を投じ、一方でハンガリーからの解放を願うクロアチア人の赤マント部隊が鎮圧側に回りました。
 マルクスはクロアチア人を買収された「ルンペン・プロレタリアート」だと批判しましたが、良知は「支配者VS被支配者」では分析できない、その地域の特殊性や「民族」の問題を見ていこうとします。
 また「向う岸」という言葉には、西欧中心の世界史に対する、「東」の存在といったものも込められています。
 
第三章 帝国主義の展開
とり上げられている本:江口朴郎『帝国主義と民族』、橋川文三『黄禍物語』、貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』
ゲスト:貴堂嘉之

 江口朴郎は「戦後歴史学」の旗手とも言われた人物で、『帝国主義と民族』はマルクス主義の立場に立ちつつも資本主義と帝国主義の関係性や民衆の主体性、民衆とナショナリズムの関わりなどを分析したものだと言います。本書の紹介だけだとややわかりにくいですね。
 
 『黄禍物語』の著者の橋川文三は、丸山真男のもとで政治思想史を学んだ人物ですが、現在では文学論などのほうが有名かもしれません。『黄禍物語』の中で、橋川は黄禍論に対して黄禍の主体として反発した中国と白人に意識を重ね合わせた日本を対比する形で論じ、近代日本がヨーロッパ人の人種主義を受け入れてしまったことを指摘しています。
 ただし、本書の編者の小川は、この本は「人種主義を白人社会の遺伝子であるかのように描いて」(162p)しまっており、「叙述の仕方がとても散漫」(164p)と批判的に述べています。

 ゲストの貴堂嘉之は『黄禍物語』に触れ、アメリカの人種主義が南北戦争における奴隷解放後に顕在化し、人種平等を求める政治がアジア系への移民排斥運動によって瓦解することに注目すべきだと言います。
 『移民国家アメリカの歴史』のタイトルにある「移民国家」は建国当初からのアメリカの変わらぬ姿だと思いがちですが、この本では「奴隷国家」だったアメリカが南北戦争を経て「移民国家」になっていった過程を描き出しています。
 奴隷は解放されるわけですが、「黒人」は二級市民としての扱いを受け、さらにアジア系も帰化の可能性を否定されて市民権から排除されていきます。さまざまな民族を受け入れてきたアメリカですが、そこでは「白人性」というものが中心に据えられることになったのです。
 「移民国家」というキャッチフレーズの中で隠蔽されたものを暴き出す試みとも言えるでしょう。

第四章 二〇世紀と二つの世界大戦
とり上げられている本:丸山真男『日本の思想』、荒井信一『空爆の歴史』、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』
ゲスト:永原陽子

 まずは丸山真男『日本の思想』ですが、個人的にはこのセレクトは大いに不満で本書の最大の欠点だと思います。
 『日本の思想』自体は優れた日本社会論であり日本人論だと思いますが、歴史の本ではないですし、丸山の語り口には魅力があるものの、実証的なところもありません。『日本の思想』を戦後を考える上での「史料」として扱うことは可能だと思いますが、そういったとり上げ方がされているわけでもありません。結果として「二〇世紀と二つの世界大戦」というタイトルの章でありながら、ロシア革命も第一次世界大戦も世界恐慌もほとんどとり上げられずに終わっています。

 一方、荒井信一『空爆の歴史』は未読ですが、タイトルから想像される以上にスケール感のある本。空爆という戦術について、第二次世界大戦だけではなく、1911年のイタリア・トルコ戦争から始まりベトナム戦争に至るまでの20世紀の戦争を俯瞰する形で論じています。
 残虐な戦術いうものは大規模な戦争とともに生まれたと考えられがちですが、空爆がイタリア・トルコ戦争におけるイタリア軍のリビアに対する空爆から始まったように、対植民地戦争でこそ残虐な戦術がとられてきた面もあります。空爆というものは文明/野蛮という非対称な認識のもとに行われてきました。
 日本の重慶爆撃、アメリカによる日本への爆撃、ベトナム戦争での爆撃、いずれも敵を「劣位」な集団だとする人種主義が見え隠れしているのです。

 つづいて内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』ですが、この本は日本軍の軍属して捕虜の管理などにあたり、そのことが理由で戦後になった戦犯として処罰された朝鮮人を追っています(処罰された中には台湾人も多い)。
 戦争犯罪においても加害者と被害者という立場があるわけですが、朝鮮人BC級戦犯は捕虜を虐待した「加害者」であると同時に、日本の植民地支配による「被害者」とも言える存在です。
 しかも、講和条約の発効時に日本政府が彼らの日本国籍を剥奪したことによって、日本人であれば受けられた補償などからも排除されました。まさに戦争と植民地支配の負の影響を理不尽な形で受けたと言えます。
 
 ゲストの永原陽子も指摘していることですが、『空爆の歴史』と『朝鮮人BC級戦犯の記録』は、戦争責任を問いつつ、さらにそれを超えて植民地支配の責任についても問う内容になっています。植民地支配と現在の問題のつながりを考えていくような議論がなされています。

第五章 現代世界と私たち
とり上げられている本:中村政則『戦後史』、臼杵陽『イスラエル』、峯陽一『2100年の世界地図 アフラシアの時代』
ゲスト:臼杵陽

 中村政則『戦後史』は戦後60年の2005年に出版された本で、「戦前」を克服するものとしての「戦後」を自らの体感に重ね合わせるように論じています。ただし、戦前と戦後をまったく別のものとして描くのではなく、「日本の戦後史の源流・原型は1920年代に始まり戦時動員体制の中で形成された」(294p)という「貫戦史」という視点を打ち出しています。
 ただし、本書の持つナショナルな枠組み(例えば「下から湧き上がる日本人のエネルギー」を成功要因にあげている点など)に対して、小川はやや批判的です。
 
 同じ1つの国の歴史に注目しながら「ナショナル」の難しさを教えてくれるのが臼杵陽『イスラエル』です。
 イスラエルと言えば「ユダヤ人」の国ですが、「ユダヤ人」は民族なのか、それともユダヤ教の信者を指すのか、という問題がありますし、ユダヤ人・教徒にもスペイン系で地中海沿岸地域を中心に離散したラディーノ語を話す「スファラディーム」、ドイツ系(のちに東欧・ロシアに移住)でイディッシュ語を話す「アシュケナジーム」、さらにイスラエル建国後にアラブ諸国やイスラーム世界からきた「ミズラヒーム」がいます。
 そして、イスラエルにはアラブ人(パレスチナ人)も住んでいます。

 イスラエルはシオニズムの考えのもとで建国されますが、60年代頃からホロコーストがイスラエル統合のシンボルになっていきます。しかし、このホロコーストをシンボル化するということが、さまざまな問題を引き起こしていると、ゲストの臼杵陽も考えています。

 3冊目が峯陽一『2100年の世界地図 アフラシアの時代』ですが、以前このブログで紹介したときにも書いたように、個人的にこの本についてはあまり評価していません。
 欧米列強によって植民地支配された「アジア+アフリカ=アフラシア」という枠組みは、植民地主義を批判してきた本書の論調からは魅力的なものかもしれませんが、「反西洋」で一つのまとまりを構想するというのは往年の「アジア主義」のようですし、健全ではないと思います。
 歴史を学んだ上で未来を構想したいというのはわかりますが、ここは禁欲すべきでしょう。

 いくつか文句もつけましたが、全体を通して非常に密度の濃い議論がなされており、別に「歴史総合」に関わらない人にとっても非常に刺激的で面白い本になっていると思います。
 近現代をたどりながら、歴史学がどのように変化・発展してきたのかということがわかりますし、その歴史学がさまざまな枠組みを揺さぶっていることもわかると思います。
 「歴史」に対する入門書と「歴史学」に対する入門書を兼ね備えた内容になっていると言えるでしょう。