一般の市民が検察の不起訴処分に対して異議を唱えることができる検察審査会。2009年の法改正によって、同一事件で2回、起訴すべきとの判断が出ると検察の意向にかかわらず強制的に起訴されることになり、実際に強制的に起訴される事件も起きています。

 ただし、この検察審査会というのは不思議な仕組みで、検察に市民の声を反映させることを目的としていながら、検察の公訴権限を抑制するのではなく、むしろ公訴を控えようとする検察に起訴させるという形になっています。権力を抑止する仕組みとも言い難いのです。

 本書はそんな検察審査会について、さまざまな角度から分析し、その意義が一体どのようなところにあるのかということを探った本になります。
 本書を読むと、一見するとわかりにくい検察審査会の存在意義と同時に、日本の検察や司法制度の問題点というものも見えてきます。

 目次は以下の通り。
第1章 検察官と検察審査会
第2章 検察審査会の誕生と運用
第3章 検察審査会の影響
第4章 強制起訴
第5章 教訓

 日本の検察官は起訴について大きな裁量をもっており、裁判所で有罪が得られる見込みが高いケースのみを起訴しています。その結果、日本の刑事裁判の有罪率は100%に近いものになっています。
 また、有罪になる見込みがあっても「起訴猶予」を選ぶこともでき、近年では送検された事件の55%以上が起訴猶予となっています(4p表1−1参照)。

 この結果、拘禁率(人口10万人あたりの受刑者数)はアメリカが639人、タイが549人、台湾が258人、ニュージーランドが188人、中国が121人、イギリスが114人、ドイツが69人に対して、日本は39人と非常に低くなっています(5p表1−2参照)。
 これは犯罪が少ないと同時に、日本の検察が保守的な起訴方針をとっているがゆえの数字と言えます。
 また、基本的に歓迎すべき数字かもしれませんが、この低い拘禁率の裏で、自らを傷つけた加害者が十分に罰せられていないと感じる被害者もいることでしょう。

 先ほども述べたように日本の検察官の裁量は大きく、その権限は強力です。一方で、その権力に見合った説明責任がなされているかというと、そうではないと感じる人が多いでしょう。
 裁判官が検察官の起訴権限を監視するといったことはありませんし、検察官の行動を外部からチェックする仕組みはほとんどありませんが、その例外とも言えるのが検察審査会なのです。

 本書ではまず、検察審査会に「被害者」「不処罰」「民主主義」という3つの観点からアプローチしています。
 近年まで、日本の司法制度は被害者のニーズに応えてきたとは言い難いものがありました。そこで2000年の刑事訴訟法の改正で被害者等が意見陳述できるようになり、08年の改正では被害者参加制度が導入され、情状に関する証人尋問や、被告人に直接質問することが可能になりました。
 このように法廷では被害者の立場は強化されましたが、そもそも日本では法廷で審理される事件が少ないわけで、そこに検察審査会の出番があるのです。

 「不処罰」については過剰拘禁よりはマシではないかという考えもあると思いますが、本書では特定の被疑者や犯罪が起訴されにくいことに注意を向けています。
 起訴されにくいのは、例えば、警察官や政治家であり、事件としてはホワイトカラー犯罪やDVなどの家庭内のもの、そして性的犯罪です。
 こうした傾向を修正することが検察審査会にはできるかもしれません。

 最後に「民主主義」ですが、例えば、アメリカでは地区検事長は選挙で選ばれており、検察においても民主主義のしくみが働いていると言えます。
 検察官についてはその独立性が重要だとされており、単純に政治家が統制することには問題もあります。検察と民主主義というのは難しい関係ではありますが、検察審査会は検察の民主化の一助になるかもしれません。

 日本の検察審査会という制度は世界的に見てもユニークな制度になります。
 戦前の日本には1923年に公布され、28年に施行された陪審法があり、死刑又は無期刑にあたる刑事事件は原則陪審(ただし辞退もできる)、懲役3年を超える刑事事件については請求陪審事件として被告人が請求した場合には陪審にかけられることになっていました。
 しかし、1930年代の後半から陪審の人気はなくなっていき、1935年以降、誰も請求陪審事件を選択しない状態となります。そして、1943年に陪審制は停止されました。

 日本の陪審制衰退の要因として文化的なものがあげられることも多いですが、本書では陪審制を選択した被告人は控訴ができなかったという制度的な問題を指摘しています。また、裁判官は、陪審員の出した結論と自らの心証が異なるときは陪審評決を拒否することができました。
 陪審裁判は裁判官裁判よりも多くの無罪判決を出しましたが、これも司法当局が陪審制を軽視する原因になったといいます。

 戦後、GHQは「検察の民主化」を目的に、検察の起訴権をチェックする一般市民で構成される大陪審と、公選で地方の主任検察官を選出する検察官公選制という2つの改革案を提出したといいます。
 これに対して、日本の検察は受け入れ難いとし、代わりに検察審査会という制度を提案したのです。GHQも日本側の強い反対を受けて、この検察審査会という制度を受け入れることになり、ここに世界的に見てもユニークな制度が始まるのです。

 そして、2004年の改正で強制起訴という制度が導入されるわけですが、この改革には3つの背景がありました。
 まず1つ目は犯罪被害者の権利運動であり、2つ目は司法制度改革でした。そして3つ目が2000年に起きた福岡高裁判事妻ストーカー事件でした。
 福岡高裁判事妻ストーカー事件は、判事の妻が彼女の元交際相手の男性と三角関係にあった女性に脅迫メールを送ったり、被害者の娘の通う小学校に被害者を中傷するビラを撒いたりした事件ですが、このとき福岡地方検察庁の次席検事が福岡高裁判事に操作情報を漏らし、さまざまなアドバイスまで行っていました。
 次席検事は国家公務員法の守秘義務違反に問われたものの、検察は「嫌疑不十分」とし、検察審査会が「不起訴不当」の結論を出したものの、検察は再びこの検事を不起訴としました。
 
 結局、次席検事は引責辞任、判事も退官し、判事の妻の懲役2年の実刑判決を受けることになるのですが、この事件は検察に対する国民の信頼を大きく傷つけました。
 検察の持つ起訴権の裁量が問題となり、これが強制起訴制度へとつながっていくことになったのです。

 検察審査会は全国に165か所あり、地方裁判所や主な地方裁判所の支部内に設置されています。検査審査会は選挙人名簿から無作為に選ばれた11人で構成され、任期は6ヶ月です。任用開始期間をずらしているため、およそ3ヶ月で半分が入れ替わります。ですから、検察審査会の1回目の議決と2回目の議決ではメンバーの顔ぶれが変わっていることもあります。
 
 検察審査会は独立して職権を行使しますが、実際は裁判所の職員で構成される検察審査会事務局によって運営されており、事務局の担当者が非公式の法律顧問を務めるような状況になっています。
 検察審査会における2回目の審査では弁護士から選ばれる「審査補助員」がつくことになっており、法律面からのアドバイスを行います。

 検察審査会は犯罪被害者などからの審査申立を受けますが、申立がなくても検察審査会の過半数の議決によって独自に審査を行うこともできます。
 
 審査の結果としては、不起訴が適切という「不起訴相当」、「起訴されなかったことは不適切である」とする「不起訴不当」、「起訴所運が適切である」とする「起訴相当」があります。不起訴相当と不起訴不当は過半数の議決でできますが、起訴相当は2/3以上、つまり8人以上の特別過半数が必要になります。

 1949〜89年までの40年間で検察審査会は年平均1930件の事件を審査し、不起訴相当と起訴相当となったのはその6.8%ほどです。このうち検察が処分を変更したのは20%です。つまり検察審査会が扱った事件で検察が処分を変更したのは1.4%となります(68p)。
 
 では、検察審査会の存在は日本の司法制度にどのような影響を与えているのでしょうか?
 1989〜2019年の30年間に、検察審査会に対して年平均3268件の申立があります。ただし、これは1993年の申立数4万件超えという外れ値の影響(金丸信に対する捜査が国民の怒りを引き起こした)で、これを除くと年平均2000件ほどです(86p表3−1参照)。
 検察審査会の審査は申立を受けるケースと職権で行うケースがありますが、申立のケースが圧倒的に多く89〜19年の平均で12対1ほどです。
 扱う事件は2019年の統計では傷害・同致死が13.8%、職権乱用が12.8%、文書偽造が12.3%、詐欺が9.1%となっており、2〜4位はいわゆるホワイトカラー犯罪です(92p表3−2参照)。

 検察審査会が出す結論のうち、起訴相当と不起訴不当は検察への差し戻しであり「検審バック」と呼ばれるものになります。
 96−97pの表3−4に過去の検審バックの統計が示されていますが、最初の5年間は起訴相当が10%を超えており、かなり積極的に起訴相当の判断が示されています。ただし、この数字は低下していき、1978年以降1%を上回る年はないです。
 一方、当初は低かった不起訴不当は起訴相当の減少に従って増えますが、93年と94年の外れ値っぽいのを除くと高くても80年以降は3〜6%台です。
 
 検審バックの影響ですが、2001〜19年について見ると、検審バックの22%について検察は不起訴処分から起訴処分へとその判断を変えています(103p表3−5参照)。
 この数字を高いと見るか低いと見るかは判断の分かれるところかもしれませんが、一般的に譲歩しない検察官としてみれば大いに再考していると言えるかもしれませんし、この数字は近年になって上昇しています(105p表3−6参照)。
 特に起訴猶予を起訴に変更したケースは1997〜2019年にかけて34.3%にのぼります(107p表3−7参照)。一方、嫌疑不十分を起訴に変更したケースは19.2%です(108p表3−8参照)。
 検察バックを受けて、起訴された被告人のうち、実刑は11%、罰金刑60%、執行猶予の懲役刑(23%)、無罪6.6%であり(114p)、比較的軽い判決が多いと言えます(だから検察は起訴しなかったと考えられる)。

 検察審査会は検察に正当性を与えているだけだとの見方もありまが、検察バックに対してそれなりの割合で処分を変更していること、また、検察審査会が存在することが検察に与えるプレッシャーというのもあるはずで、著者たちはそれなりにポジティブな影響を与えていると見ています。

 強制起訴の制度ができてから12年で実際に強制起訴に至ったのは10件です。本書の第4章ではそのすべてがとり上げられています。
 ①「明石花火大会歩道橋事件」、②「JRA福知山線脱線事件」は、それぞれ責任が上の立場の者の責任を問うために強制起訴となりましたが、①は時効が完成しているとして免訴、②は無罪判決となっています。

 ③「沖縄未公開株詐欺被告事件」は知名度のない事件ですが、投資会社の社長の被告人が上場する見込みのない未公開株の購入を持ちかけて3600万円を騙し取ったという事件です。不起訴にした検察に対して検察審査会は強制起訴という判断を下しましたが、立証が難しい詐欺罪ということもあって無罪になっています。

 ④「陸山会事件」は小沢一郎が強制起訴されましたが、無罪となっています。この事件に関しては、現役の政治家が巻き込まれた事件でもあり、政治的な意向なども取り沙汰されましたが、裁判で秘書の供述調書の一部が虚偽であることが明らかになるなど、検察の問題点も明るみに出ました。

 ⑤「尖閣諸島中国漁船衝突事件」では、すでに帰国した船長を強制起訴しましたが、起訴から2ヵ月以内に起訴状の謄本が被告人に送付されない場合は公訴の提起はさかのぼってその効力を失うという刑事訴訟法の規定によって、公訴は棄却されました。

 ⑥「徳島県石井町長暴行事件」は強制起訴された事件で初めて有罪判決が下された事件です。被告人は石井町の町長で、地元のバーでフィリピン人ホステスの顔に左拳を押し付けて暴行したとされました。検察は起訴猶予の不起訴処分としましたが、検察審査会が2度に渡って起訴相当の議決を出し、強制起訴の結果、科料9000円の有罪判決が下っています。

 ⑦「ゴルフインストラクター準強姦被告事件」は、鹿児島のゴルフインストラクターの男性が当時18歳の生徒の女性に対して強引に性行為に及んだ事件です。被告人は女性の両親の前で謝罪し、二度と姿を見せない、ジュニアの選手の指導しないといったことを約束したために告訴をしないことで合意しましたが、その後、他のジュニア選手の指導を続けていたことを知り、被害届を出しました。
 検察は不起訴処分にしましたが、検察審査会は2度に渡って起訴相当の議決を強制起訴に至っています。結局、被告人は無罪となりましたが、この裁判で明らかになった事実などをもとに、民事では男性に330万円を支払うように命じる判決が下っています。

 ⑧「柔道教室学生重傷事件」は強制起訴で有罪判決が下された2件目の事件です。長野県の柔道教室の指導者が小学校6年の男子児童に片襟体落としという投技をかけて児童は意識不明の重体となりました。
 この有罪判決は柔道事故において刑事責任が認められた画期的なものとなり、これが1つのきっかけとなって柔道指導における事故防止の重要性が認識されることになりました。

 ⑨「東名高速道路あおり運転をめぐる名誉毀損事件」は、あおり運転によって高速道路で車を停止させ、その結果夫婦二人が亡くなった事件から派生した事件です。この事件では、被告人とたまたま同姓であるということから福岡県の建設会社の社長の家に脅迫メールや電話が殺到し、福岡県警はネットに虚偽の書き込みをした11人を書類送検しますが、全員不起訴となりました。
 これに対して、検察審査会は11人のうち9人を起訴相当と判断します。検察はこのうち6名を略式起訴しますが、検察審査会は残った3人のうち1人を強制起訴としました。しかし、強制起訴された被告人は裁判開始前に遺体で発見されています(自死と見られる)。
 日本における「起訴」というものの衝撃の大きさを感じさせる事件でもあります。

 ⑩「福島第一原発事件」は東電幹部の原発事故の責任を問おうとしたものですが、無罪となっています。ただし、裁判の過程の中で東電が虚偽のデータを出していことや隠されていた安全上の問題が明らかになりました。

 これらの事件を見ると、①、②、③、④、⑩は組織的なホワイトカラー犯罪で、これらの犯罪を立証することの難しさや、世間の判断と法的な責任のズレを感じさせるものとなっています。検察審査会の判断はこうした犯罪をどのように扱うべきかということを問いかけているのかもしれません。
 また、第5章でもとり上げられているように、⑦にみられる性犯罪も有罪にするのが難しいという問題を抱えています。

 このように本書はなかなか一般的に知られていない検察審査会の実態と影響を分析しています。
 検察審査会は検察の起訴を制限するのではなく、不起訴の見直しを求める組織で、国家権力を制限しているものとは言えません。ただし、検察にアカウンタビリティを求める存在でもあり、本書に書いてあるようにプラスの影響もあります。
 検察審査会がどの程度まで活性化し、どのくらいの影響力をもつべきなのかということは本書を読み終わったあとも判断できませんが、興味深い内容を持った本であるのは間違いないです。