副題は「マイクロファイナンスの可能性」。著者の名前はシン・テジュンと読みますが、なかなか独特の経歴を持った人物で、過去の著作には『外資系金融のExcel作成術』、『ルポ 児童相談所』といった一見すると同一人物の書いた本とは思えないものが並んでいます。
 これは著者が外資系金融機関に勤めてから、五常・アンド・カンパニーという途上国でマイクロファイナンスを行う会社の共同経営者となり、同時に日本児童相談所評価機関でも働いているからです(ちなみに五常は二宮尊徳の「五常講」からきている)。

 マイクロファイナンスというと、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスのグラミン銀行を思い浮かべる人が多いと思います。
 本書は、もちろんグラミン銀行についてもとり上げているのですが、面白いのは著者の会社も加わっている「ポスト・グラミン銀行」の動きの部分ですね。
 デュフロらの研究によって、マイクロファイナンスが必ずしも貧困撲滅のための魔法の杖でないことが明らかになりましたが、その後のマイクロファイナンスはどのようなビジネスに意義を見出しているのか? 貧困層を搾取しない形でのビジナスは可能なのか? といった問題が、実際のプレーヤーの視点から語られています。
 前半の話は知っている人は知っているかもしれませんが、後半は刺激的です。

 目次は以下の通り。
序 章 「機会の平等」のための金融包摂
第1章 お金はいかにして回っているのか
第2章 生きるための金融サービス
第3章 金融排除から金融アクセス、金融包摂へ
第4章 マイクロファイナンスの現代史
第5章 金融包摂におけるフィンテックの成果と課題
第6章 マイクロファイナンスは本当に役立っているのか
第7章 未来のマイクロファイナンスはどうあるべきか
終 章 日本や先進国からできること 

 本書のテーマとなっているのは「金融包摂」です。これは「有益(useful)かつ手頃な価格(affordable)の金融サービスへのアクセスがある状態」(1p)を指します。
 素朴に「お金を借りないで済むのが一番いいのではないか?」と考える人もいるかもしれませんが、貧困層の収入というのは不安定であり、また、金融サービスは必ずしもお金を借りることだけではありません。

 世界の貧困層を見ると、毎月決まった給料をもらっている人というのは少なく、その稼ぎは農作物の出来不出来や、日雇いの仕事のあるなし、零細事業への風向きなどによって大きく左右されます。
 人間はとにかく何かを食べて生きていく必要があるので、本当に金がなければ高利あって借りざるを得ません。高利貸しに土地を奪われる農民の存在は歴史の中で繰り返されています。

 こうした状況に対して、高利ではない貸付を行い、低価格で口座を提供し、その他さまざまな金融サービスを提供するのが金融包摂であり、著者が目指しているものです。

 途上国の農村に金融の仕組みがないわけではありません。知り合い同士のお金の貸し借りは行われてきましたし、集金屋(デポジット・コレクター)やマネー・ガードと呼ばれる人がいます。
 集金屋は、貧しい人の家を回って毎週たとえば100円を徴収します。その時、手数料として5円が徴収され、50週続けると払込も総額が5000円、手数料を差し引くと4750円になります。
 貯蓄をしているのにお金がマイナスになるのはおかしいし、こんなのは意味がないと考える人もいるかもしれませんが、途上国で銀行口座を作るのは大変ですし(だいたい高額の口座維持手数料がかかる)、農村から銀行に行くのも大変です。また、ダイエットと同じで1人だと貯蓄は難しいですが、集金人が家まで集めに来てくれるので計画的な貯蓄が可能です。

 他にも何人かで集まってお金を出し合う日本の講(無尽講、頼母子講)のような仕組みも世界的に見られます(二宮尊徳の五常講もそう)。
 ただし、みんなが出し合ったお金を誰かが受け取ってそのまま逃げてしまえばこの仕組みは成り立たないので、あくまでも顔見知りの規模で行う必要があります。

 金を貸す側としては、マネー・レンダーと呼ばれる村の金貸しが存在します。
 相場は月に10〜30%の金利で、複利ではなく単利で計算されることが多いです。金利からするとかなり割高ですが、すぐに貸してくれる、返済期間や額について融通がきく、少額から借り入れできるということで一定のニーズがあります。

 こうした状況の中で登場したのがマイクロクレジットです。具体的な説明はここでは省略しますが、成功の秘訣としては近隣の人とグループを作って融資を受けることにより、貸し倒れが減り、また審査のための人件費を圧縮することで少額の融資が可能になったことがあるといいます。

 その他、マイクロファイナンスにはこうした貸付以外にも、預金を扱うマイクロセービング、保険の役割を提供しているマイクロインシュランス、送金を扱うマイクロレミッタンスといったものがあります。

 マイクロクレジットに関しては、年利に換算すると30%程度の利息をとっており、日本の消費者金融と変わらない、それよりもひどいという見方もありますが、著者によると日本のような先進国と途上国では資本の収益性がまった違い、必ずしも暴利ではないといいます。例えば、カンボジアでは子豚が5000円で買え、8ヶ月すると2万円で売れるといいます。もちろん、エサ代や人件費はかかりますが、エサは残飯、人件費は家族の誰かが面倒を見るというような形であれば、100%を上回るようなリターンが得られるそうです。
 さらには資金の調達コスト、貸す相手の情報が十分に得られない情報の非対称性、インフレなどを考えれば、途上国での30%の金利というのは決して高いものではないのです。

 マイクロファイナンスというとユヌスのグラミン銀行が圧倒的に有名であり、マイクロファイナンスの代名詞としても語られていますが、同じバングラデシュで始まったファズレ・ハサン・アベットが創業したBRCAとシャフィクアル・ハーク・チョウドリーが創業したASAも非常に重要な存在です。
 BRCAはユヌスが事業を始めた1976年より前の1972年から低所得層の女性に向けたマイクロファイナンス事業を始めていましたし、ASAはグループではなく個人にも貸付をはじめ、わかりやすくシンプルな事業体系を構築するなど、のちのマイクロファイナンス事業のモデルを築きました。
 ユヌスはスピーチも上手くカリスマ性があるために、マイクロファイナンスといえばグラミン銀行というイメージが世界的に広がりましたが、マイクロファイナンスが「ユヌスの発明」というわけではないのです。

 次に、これらの組織に続く第2世代のマイクロファイナンスが紹介されていますが、第1世代との違いを紹介した部分は面白いです。
 第1世代のマイクロファイナンスは社会事業のような形で行われましたが、マイクロファイナンスで利益を上げることができると知って、株式会社の形態でマイクロファイナンスに参入する組織が増えてきます。経営者にもマッキンゼーなどのコンサル出身者が目立つようになりました。

 2007年にはマイクロファイナンス機関であるメキシコのコンパルタモス銀行が上場を果たします。ユヌスら第1世代の人々はこの動きを貧しい人から得た金を世界中の投資家に分配するものとして批判しましたが(コンパルタモス銀行は年利80%という高金利を取っていた)、第2世代の経営者からは規模拡大のためには外部資金が必要であり、ビジネスと社会事業は両立できると考えています。
 こうした背景には第1世代が寄付に頼ることができたのに対して、第2世代はそれができなくなったということもあります。

 インドではSKSというマイクロファイナンスの苛烈な資金回収が原因で自殺する者が出るという事件が起こり、一部の州では最近までマイクロファイナンスが禁止されていました。
 著者がSKSの創業者のヴィクラム・アクラに聞いたところ、彼はベンチャーキャピタルなどが多い資本構成が問題だったと述べています。顧客の利益と投資家の利益は必ずしも両立するわけではないのです。

 近年のマイクロファイナンスの進展はIT技術との連携によって生み出されています。いわゆるフィンテックと呼ばれるものですが、これを担うのは新興企業の場合もありますし、既存の金融機関の場合もあります。

 本書ではいくつかの具体的な企業が紹介されていますが、多くの新興企業は決済サービスから始め、そこから融資や預金受け入れなどの業務を広げています。
 決済業務はデジタル化によって利便性が大きく向上しますし、日々使うことになるのでそこから顧客を他のサービスに誘導できます。また、スマホでの決済サービスではネットワーク効果がはたらきやすく、最終的には独占に近い携帯になります(日本でも〜Payの淘汰が進んでいる)。そうなれば他の金融機関との取引でも優位に立てます。

 ただし、存在感が大きくなるので政治に影響されるケースもあります。中国のアントグループなどはそうですし、インドのペイティーエムも一時はインドでNo1の規模でしたが、大株主がアントグループだったこともあり、印中対立の影響を受けて規制当局から睨まれ、さらに銀行の免許も決済銀行のみしか獲得できずに苦戦が続いています。

 金融サービスの利便性を大きく高めたデジタル化ですが、同時に返済が滞ってブラックリストに載ってしまったりする問題もあります。また、デジタルで完結する融資の貸し倒れ率は対面のものと比べると高く、そのためにフィンテック企業の貸出金利は高くなりがちです。

 そこで近年ではインドを中心にデジタルと対面(フィジカル)を組み合わせた「フィジタル」と呼ばれるモデルが広がっています。
 これはすべてデジタルで完結させるのではなく、最初は営業社員と会って説明を受けて融資を受け、ミィーティング会場でスマホのQRコード決済などで返済を行いますが、こうした仕組みが返済の動機づけとなり、貸し倒れ率が下がるそうです。

 しかし、一方でマイクロファイナンスへの熱狂は一時期に比べて冷めています。これはデュフロラが、マイクロクレジットを提供するだけでは低所得者層の所得や消費にほとんど効果がないことを明らかにしたためでした(エステル・デュフロ『貧困と闘う知』参照)。
 ユヌスは「貧困層の女性らはみな優れた起業家であり、マイクロクレジットを提供することで貧困から脱却することができる」(185p)といった主張をしていましたが、必ずしもそうではなかったわけです。

 ラザフォードが指摘するように、貧困層には起業のために資金を必要とする人がいる一方で、日々の資金繰りのためにお金を借りたいと考えている人もいます。マイクロクレジットは前者には効果があるのですが、後者には使いにく面があるのです(返済の時期が決まっているなど)。
 一方、デュフロらは融資だけではなく預金機能も組み合わせることで効果が出てくると指摘しており、マイクロクレジット偏重ではないマイクロファイナンスが求められているとも言えます。

 さらに著者は、「営利企業のマイクロファイナンスが貧困の削減に貢献できるか?」という問題も検討していますが、著者によれば短期的な利益だけではなく長期的な視点を持つ株主のもとで、業界最大手になる必要があると考えています。
 先ほど述べたように決済サービスではネットワーク効果がはたらきやすいですし、また、最大手いになってこそ無理をせずに高い利益率を維持できるとしています。このハードルはかなり高く感じますが、著者はこれを目指しています。
 また、マイクロファイナンスの認証機関についても述べていますが、まだまだ課題も多いようです。

 このように本書はマイクロファイナンスの仕組みと現在位置を教えてくれる本です。グラミン銀行については調べたこともあったのでその仕組みも含めてよく知っていましたが、その後のマイクロファイナンスの展開や問題点についてはあまり知らなかったので勉強になりました。
 また、「ビジネスとしてのマイクロファイナンス」という視点から論じられており、その時に直面する問題が率直に論じられていたことも良かったと思います。
 本書はマイクロファイナンスの入門書であると同時に、グラミン銀行については知っている、あるいは、デュフロらのマイクロクレジット批判は知っているという人に、その先の課題と可能性を教えてくれる本になっています。