長年、日本の移民について研究し、政府の政策などにも関わり、OECDの移民政策会合メンバーも務めている著者が、日本の移民の現状と過去の政策、将来の展望について述べた本。
日本で排外主義の兆しが見られる中で、まさにタイムリーな1冊なのですが、同時に論争的な本でもあります。
とりわけ議論となりそうなのが、「日本に移民政策はなかった」とする「移民政策不在論」に対する批判と、入管行政には「埋め込まれたリベラリズム」があったとする主張でしょう。
一読しただけでも、それに対する反論・反例が思い浮かぶ人もいるでしょうが、とりあえずは著者の主張を追ってみたいと思います。
目次は以下の通り。
はじめに序章 増え続ける外国人第1章 「日本に移民政策はない」は本当か?――現代日本の移民政策第2章 少子高齢化と移民を考えるために――移民政策の歴史第3章 人はなぜ国境を越えて移動するのか?――移民理論の現在地第4章 技能実習制度は「現代の奴隷制度」なのか?――成長するアジアと日本終章 吹き荒れる排外主義の中で――移民政策の未来
日本においては「移民政策の不在」が指摘されていますが、定住する外国人の数は確実に増えています。本当に移民政策が不在であれば、定住する外国人は増えず、増えたとしてもそれはほとんどが正規の在留資格を持たない者であるはずだと著者は言います。
移民政策については、「経済的な要請や普遍的人権の観点からは開放的な移民政策が支持されるものの、それは一方のメンバーシップの閉鎖性という国民国家や福祉国家としての前提と矛盾する」(43p)という、「リベラル・パラドクス」という現象があり、それがゆえに公の目的と実態が乖離しがちです。
こうしたギャップは、一方で密入国者などを課題に見積もり、国境管理が破綻しているという認識にもつながるおそれがあります。
各国ごとの永住型移民の受け入れ規模を見ると、日本は年間8〜15万人程度で、2023年のデータでは先進29カ国中10位になります。
どんな理由での移住が行われているかというと、日本の特徴は家族の呼び寄せなどが少なく労働のためにやってくる人が多い点です(49p図2参照)。
過去に長期に渡って植民地支配をしていた国では、旧植民地からの移民が多くなり、そこから家族の呼び寄せが行われることが多いですが、日本では中国、ベトナム、フィリピンと一時期は支配したことがあるとはいえ、基本的には経済的な理由でやってきている人が多いと言えます。
また、留学生も2023年で約14万人おり、非英語圏の先進国としては最大規模であり、フランス(約10万人)、ドイツ(約6万人)を上回ります(53p)。
これを受けて著者は「受け入れの際に求める要件が比較的少ない(OECD 2024b)ことに加え、永住型の占める割合が多いといった特徴を踏まえるならば、日本は国際的に見てリベラルで開放的な労働移民政策をとる国(Kalicki 2021)として位置づけられる」(56p)としています。
近年の世界的な潮流として、期限付きの国際移住の増加があげられるといいます。
例えば、湾岸諸国は大量の外国人労働者を受け入れていますが、期限を限った出稼ぎ的なものがほとんどです。また、先進国で高技能の労働者を受け入れる動きが強まっていますが、期限付きのものが多くなっています。
かつてのヨーロッパでは、旧植民地からの移民、その家族の呼び寄せなどの「人権」をベースとした移民政策が行われてきましたが、近年では「マーケット」をベースにした移民政策に転換しつつあります。
こういった中で、日本は珍しく永住への道がある移民制度を持っているといいます。
これには歴史的な背景があります。
日本は20世紀半ばまでは移民の送り出し国でした。明治初期から1920年代までは北米へ、その後は南米へ、さらに朝鮮・台湾・満州へも移民を送り出しました。
戦後、日本は植民地を失ったことで移民先を失うと同時に、日本に住む植民地出身者をどう管理するかということが問題になりました。日本政府は植民地出身者から日本国籍を剥奪するとともに彼らの帰国を促すことになります。日本の入管行政は「管理と排除」が基本となり、指紋押捺制度などによる外国人の管理が行われることになります。
それとともに入管行政の「非政策化」が進みます。これは外国人政策が入管による行政事務として行われるようになったことを指します。入管行政は他の省庁からも孤立した形で進み、経済的・社会的影響をあまり考慮しない形で行われました。
1970年代になると、ベトナムからのボートピープルが問題となり、日本も79年から定住を前提とした受け入れを行っていきます。81年には難民条約、翌年には難民の地位に関する議定書にも加入し、これを受けて外国人への権利保障の拡充も行われます。
この時期には在日コリアンからの差別撤廃を求める動きなども盛んになり、91年には「特別永住」を盛り込んだ出入国管理特別法が成立しました。
こうした在日コリアンの待遇改善とともに外国人一般の待遇改善も進み、移民政策における「「埋め込まれたリベラリズム」(制度の中に人権尊重の考え方が組み込まれている状態を指す)」(95p)がつくり上げられたと著者は主張します。
80年代後半のバブル期になると人手不足から不法就労外国人が増加します。これを受けて1989年に入管法の改正が行われますが、そこでは「ハイスキル人材の受け入れ拡大」が打ち出され、専門的・技術的分野の外国人に対する在留資格永住資格への切替申請が可能な形で制度化されました。
政府がどれだけ外国人の永住資格の取得を予想していたのかはわかりませんが、永住資格への道が含まれているところに日本の入管行政の特徴があります。
一方、ロースキル人材の受け入れに関しては1993年に技能実習制度が導入されます。しかも、これは「政令」「省令」よりさらに下の「告示」によって行われています。当初は「研修」、つづいて法務大臣の裁量で与えられる「特定活動」という在留資格によって、外国人の単純労働への就労が可能になったのです。
技能実習制度の問題点については、ここでは踏み込まず、2009年と2017年の制度改正で問題点の多くは修正されたとさらっと述べます。
「技能実習生は実態は禁止されている単純労働者なのに、研修という名目でやってきている」という、いわゆる「サイドドア」の議論もあります。
著者はこの見方を一定程度認めつつも、「技能形成」という目的を重視します。一部においてこれは形骸化していますが、これがロースキル人材を定住に向けたルートに乗せるという「意図せざる結果」を生んでいるというのです(確かに技能実習の延長として作られた特定技能では永住が視野に入っている)。
また、日系人もサイドドアとみなされがちですが、著者はこれについても在日コリアンの特別永住制度とバランスを取ったものであり、労働者の増加は「意図せざる結果」だったとしています。
第2次安倍政権において外国人労働者をめぐる政策に大きな進展が見られることになります。
ついに入管行政が政策化されはじめるのです。このときの政策の特徴を、著者は「ハイスキル人材の優遇における技能と永住資格の接続」「技能実習制度の拡大や経済連携協定(EPA)による「介護」人材受け入れなどによる中間的職種の「発見」」、「外国人労働者受け入れにおける制度所管、及び業所管としての他省庁の参加」の3つにまとめています(109−110p)。
1つ目のハイスキル人材については、ポイント制が導入され、「学歴」「職歴」「年収」などの項目ごとのポイントが一定数に達すると在留資格の「高度専門職」が与えられることになりました。こうした制度はカナダやオーストラリア、ニュージーランドでも導入されていますが、「永住」審査に必要な期間の大幅短縮と結びついているとことが日本の特徴です。
2つ目については、EPAを通して介護職、また特区制度を通して建設分野の技能実習生の受入期間が延長されるなど、外国人労働者の受け入れにいくつかの穴が開けられました。さらに技能実習に「3号」を設け、実習期間の上限を3年から5年に延長しています。
さらに2018年に導入が決定したのが特定技能です。「特定技能2号」は在留期間の更新に制限がなく、永住申請も可能であり、今まで拒否してきた単純労働者を正面から受け入れるという点で、入管行政における「ダムの決壊」という評価もあります。
この思い切った導入の背景には、「介護」などの既存の入管行政とは別ルートでの外国人労働者の受け入れが進もうとする中で、入管が自らの所管のもとで「介護」を含む受け入れスキームを作ろうとする意図があったと本書では分析されています。
また、この特定技能の制度には、技術を身につけることで永住資格にまで至る「技能形成を通じた永住」という日本独自の性格があるといいます。
こうした動きは「入管行政の政策化」ともとれます。
こうした「政策化」の背景には日本の人口減少があります。日本の生産年齢人口は21世紀に入った頃から大きく減り始めていますが、これを一定程度埋めているのが外国人の増加です。
第2次大戦後の欧州での移民の受け入れが景気の調整弁的な役割を期待されていたのに対して、日本では不可逆的に進む人口減少を補うものとして期待されている点にも大きな違いがあります。
第3章では、移民が起こる要因について分析がなされています。
一般的に、移民は貧しい国から豊かな国へと移動し、経済力の差が大きいほど起こると考えられがちです。ですから、アジア諸国の経済成長と日本経済の低迷によって「日本が選ばれなくなる」という懸念が語られているのです。
しかし、現実はそう単純でもないといいます。本書ではさまざまな理論が紹介されていますが、1つのポイントは自国の経済発展とともに移民が増えるということもあるということです。
当然ながら、移民をしたいと思っても先立つものがなければ外国へはいけません。移民をするには意欲だけでなくそれを裏付ける能力が必要です。自国が発展すれば外に出る移民意欲は薄れるかもしれませんが、移民能力は高まるというわけです(144p図5参照)。
アジアでは毎年520万人の労働移民が移動しているといいますが、そのうちの半分以上の約265万人は湾岸産油国へ向かっています。カファラ・システムとも呼ばれる期限付きの労働移民プログラムがとられています。その次にOECD諸国に約205万人、さらにASEANなどアジア諸国に約53万人が移動しています(150p図7参照)。
OECD諸国への移動について見てみると、1位日本約48万人/年、2位アメリカ約35万人/年、3位韓国約34万人/年(2022年)と、日本が第1位になっています。
日本に向かう移民のシェアは送り出し国の経済水準が高くなるほど大きくなっており、一人あたりのGDPが1万ドルを超えるとシェアが低下してくる韓国とは少し違った形になっています。
アジアでは経済成長が続いていますが、移住先としての日本の人気は衰えておらず、2024年の調査ではアラブ諸国、アメリカにつづく第3位で、カナダやオーストラリアを上回っています。なお、以前はアメリカの人気が圧倒的でしたが、第1次トランプ政権の成立以降、急速に人気を落としています(153p図8参照)。
地域別に見ると日本は東南アジアで人気があり(155p表7参照)、また、学歴にかかわらず一定の人気があるのが特徴です(156p表8参照、例えば、アラブ諸国は学歴が低い層に人気だが大卒以上だとランク外になる)。
アジア諸国の経済成長によって日本に移住することの心理的ハードルは低くなり、今後も日本は移住先として一定の人気を持ち続けると考えられます。その結果、在留外国人は2050年に1000万人、人口比で10%近くになるのではないかと著者は考えています。
第4章は改めて「技能実習制度は「現代の奴隷制度」なのか?」と題されています。
ここまで読んできて多くの読者が引っかかっているのが技能実習制度の問題点をスルーしている点でしょう。
技能実習制度の問題点については、例えば、澤田晃宏『ルポ 技能実習生』(ちくま新書)、安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)に詳しいですが、そこで問題視されていたのは、送り出し機関と日本での監理団体が癒着する中で、実習生の待遇や人権が軽視されている状況です。
これに対して、本書は移住仲介機関の必要性を指摘します。こういった期間がなければ移住を希望する側は手続きや時間などのコストを払う必要がありますし、受け入れる側からすると相手のスキルがまったくわからないからです。
政府機関が介入することで外国人労働者の待遇や人権を守ろうとすることもでき、実際に韓国では政府機関が介入して受け入れを行っていますが、候補者の半数程度が職を得られないなど、マッチングに問題があり、著者はこうした公的機関が役割を果たすことに懐疑的です。
送り出し国の政府が民間の送り出し機関を管理し、実際の求人を政府機関がチェックするというフィリピンやスリランカなどが行っているやり方を評価していますが、逆に日本の監理団体の杜撰さについては言及されていません。
この第4章は、個人的にはあまり納得のいかない章でした。
これまで見たきたように著者は「外国人を受け入れていくべきだ/受け入れざるを得ない」というスタンスなのですが、現在、日本でも排外主義が台頭しています。終章ではこの問題をとり上げています。
移民というと貧しい国からやってくると考えられがちですが、日本と経済格差がなくなった韓国から日本への移住者の増加ペースは加速しています。大卒以上の優秀な若者が日本にやってきているわけです。
「移民が日本の社会保障にただ乗りする」という議論もありますが、若い世代が多い外国人労働者の増加は年金財政にプラスにはたらきます。また、健康保険に関しても、保険であるかぎり保険料を払わなければ利用できないわけで、「ただ乗り」論が成り立たないことがわかります(もちろん病人ばかりが移住してくるなら別ですが)。
今まで日本の移民受け入れは大都市か製造業の強い都市が中心で(在留外国人の1/3強は東京、大阪、名古屋の大都市圏に集中している)、そうした自治体には外国人受け入れのために独自のメニューを用意する財政的な余裕がありました。
しかし、現在は地方圏で外国人受け入れの意欲が高まっています。こうした自治体では独自の外国人受け入れ政策を展開することが難しく、国の政策的な支援が必要になるでしょう。
著者は欧米で吹き荒れる排外主義を憂いつつも、労働ルートが中心の日本に移民は欧米の移民とは少し違ったところがあるといいます。
著者の整理によれば欧米の移民政策はリベラルから排外主義へと動いているのに対して、日本の移民政策は排外主義からリベラルへと動いています(230p図10参照)。こういった日本の移民政策のベクトルを維持し、移民を受け入れていくべきだと著者は考えています。
本書は勉強になる本ですし、広く読まれる場基本であることは間違いないのですが、どうしても違和感が残る部分もあります。
まず、本書は日本について「移民政策の不在」を指摘することは現実に移民がいることから矛盾していると説きますが、技能実習制度が「告示」によって始まったように、日本の入管行政は国民からすると「政策未満」の部分で進められてきたのではないでしょうか?
戦後、日本は朝鮮半島や台湾の人びとの日本国籍を法務府民事局長の「通達」という形で剥奪していますが、「政策化」を避け続けてきたのが日本の入管行政でしょう。これは特定技能の導入においてもある程度はそうだったと思います(自民党が選挙公約に位置づけたりはしなかった)。
本書でも出入国管理が入管の専権事項でなくなってきたことを「入管行政の政策化」と表現していますし、やはり「政策」は不在だったのではないでしょうか?
そして、日本の移民の受け入れに他国とは違って永住への道が埋め込まれていたとしても、それを「リベラリズム」という言葉で形容していいのかという問題もあります。
技能実習制度の現場で起きてきた数々の人権侵害を思い起こさせば、あの裏に「リベラリズム」があるとは言えないです。
というわけで個人的には手放しで評価はできない本なのですが、多くの人が本書を読んで移民と日本の移民政策について改めて考えてほしいです。
