「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」などの用語を普及させ、日本の雇用システムについてその特徴を明らかにしてきた著者が日本の管理職の問題に迫った本。
以前の著者の本でも書かれていたことですが、日本だと中途採用の面接で来た中高年が「部長ならできます」と言えばそれは笑い話として消費されてしまいますが、欧米では当たり前の受け答えになります。「管理職」という職務がしっかりと確立しており、ビジネススクールでマネジメントについて学んできた人が就くポジションだからです。
本書は、そんな日本の管理職の特殊性を戦後の歴史を紐解きながら探り、アメリカの影響を受けた労働法と実際の日本の管理職のズレと、そこから生まれるさまざまな問題を論じています。
著者は複数のレーベルから新書を出していますが、同じ朝日新書から出た『賃金とは何か』と同じく、この新書もやや硬めで決して読みやすいとは言えませんが、「なぜ管理職が罰ゲームになってしまったのか?」ということがよく分かる内容になっています。
目次は以下の通り
序章 雇用システムと管理職第1章 労働組合のリーダーから経営側の尖兵へ第2章 管理監督者と管理職の間第3章 管理職問題の時代第4章 管理職組合の挑戦第5章 年俸制と企画業務型裁量労働制第6章 名ばかり管理職とホワイトカラーエグゼンプション第7章 女性活躍と高度プロフェッショナル制度第8章 管理職はつらいよ
日本でも戦前は管理職、あるいはそれになるべき人材と、それ以外の職員・工員などの間に厳然たるラインが引かれていました。ところが、戦後になると高等教育を受けたホワイトカラーも職員・工員も同じ会社の従業員(社員)だということになって平等化が進みます(ただし、臨時工・社外工などは社員ではない者として差別的に扱われた(31p図1・図2参照))。
国家公務員や国鉄などでは、いわゆるキャリア組という幹部候補生が残りましたが、多くの民間企業では事務員・技術員として採用された者が、年功的に昇進していって幹部職員になるというキャリアパターンが出現します。
それでも、中卒・高卒と大卒では昇進などに大きな差がありましたが、高学歴化が進むと、ますます「最初からエリート」のような存在はいなくなっていくことになるのです。
このように戦前にあった管理職と非管理職の線引は戦後になって曖昧になってくるのですが、これは戦後の労働運動にも現れています。
1947年に行われた調査によると、課長にまで組合員の資格を認めていた組合が26.7%もあります。そして、そうした管理職がリードする形で生産管理闘争が行われることもありました。
本書では、生産管理闘争として有名な45年の読売争議と49年の東芝争議のリーダーの学歴が紹介されていますが、東大卒などのエリート社員が参加していることがわかります(47p表2、49p表3参照)。
戦後すぐの日本では、物不足などの影響もあって「ストライキをしている場合ではない」という雰囲気があり、また、戦中の産業報国会的な考えと、ソヴィエト的な考えもあって、現場による生産管理が目指される傾向がありました。
そうした中で、管理職が労働組合に入り、労働運動を主導することも受け入れられていったのです。
戦後間もない頃には、地方労働委員会における話し合いの中で、ワンマン社長に対して、人事部長も営業部長も組合側につくといったこともあったといいます。
ただし、こうした部課長などの管理職が主導する労働運動が、その下の係長クラスから反発を受けて瓦解することもありました。
ヒラ社員から係長、課長、部長、経営陣と明確な切れ目がなく「労」と「使」が分離していない日本では、「労」と「使」の勢力図も流動的だったのです。
こうした中でも法的に「管理職」であるかどうかの基準は、労働基準法第41条第2号の「監督若しくは管理の地位にある者」に該当するかどうかが最大のポイントだとされています。
戦前の工場法の対象はブルーカラーである「職工」のみで、ホワイトカラーの事務員は含まれませんでした。前者は日給制が中心で、残業や早出をすれば手当がつき、早引けや遅刻をすれば賃金が差し引かれます。一方、後者は月給制で、残業や早出をしても手当がつかない代わりに、早引けや遅刻をしても賃金は差し引かれないという形でした。戦前のホワイトカラーのあり方は今の管理職を想起させます。
戦後、事務をまるごと労働基準法の適用除外にするような議論もありましたが、結局は「監督若しくは管理の地位にある者」だけが労働時間や時間外労働の残業手当の規定のから適用除外されることになりました。
しかし、時代が下るとともに「監督若しくは管理の地位にある者」とは言えないような管理職が出現します。
金融機関では、昇進の基準に達しているのに管理職のポストがないという状態が発生し、会社側はこれに課長代理、支社長代理などのポストを新設することで対応します。これに対して、組合側はこれらのポストであっても「待遇」を同じにするように要求します。
この結果、ある銀行の支店には支店長代理が5名もいるような状況も生まれました。こうなると「果たして彼らは「監督若しくは管理の地位にある者」なのか?」という疑問が生まれてきます。
こうした中、労働行政の中では資格や職位の名称にかかわらず実態で判断するといた形になっていき、管理職よ非管理職の線引は不明瞭になっていきます。
さらに管理も監督もしていないスタッフ管理職が広がりを見せると、彼らを「経営者と一体的な立場」だとして管理職とみなす動きも起こり、管理職=「監督若しくは管理の地位にある者」とも言えないようになってくるのです。
このような管理職のあり方については経営側からも見直しの必要があると考えられていました。
1960年代後半から日経連は職務給の導入を目指しますが、管理職についてもその職務を明確化したうえで職務給への切り換えが必要だと考えていました。
1977年の日経連職務分析センター編『管理職 ー 活用と処遇 ー』でも、管理職が能力ではなく年功によってなるものとなりつつあり、必要以上の管理職の任用が行われ、「水増し課長」などが生まれているという問題が指摘されています。
そうした問題の処方箋が、スタッフ管理職や専門職なのですが、ここで「専門職」がラインのポストに就けなかった人のための処遇の場とされたことで、本来の意味での専門職が成り立ちにくくなるという副作用を生むことになります。
この後も経営側は、管理職のポストの不足にともなうモラールの維持の問題に悩まされることになります。
岩田龍子が分析するように、日本人は所属集団内での地位に敏感で、僅かな処遇の差が問題になります。経営側から見ると、この僅かな処遇の差をめぐって起こる競争は「有効でしかも経済的コストの安いインセンティブ・システムを形成して」(138p)います。
早期の段階で管理職になれる層となれない層を分けることはこのシステムを失うことであり、結局は補佐職や代理職、あるいは管理職定年制などを設けて、できるだけ多くの人を「管理職」待遇にするやり方が模索されたのです。
ただし、このやり方では基本的に管理職はダブつきます。そこで不景気になると管理職をターゲットにした人減らしが行われるようになります。
戦後まもなくの時期とは違って部課長は組合に入っていないので普通の社員よりも首が切りやすい面もあったのです。
こうした中、1976年に刊行された松岡三郎『椅子なき管理職』では管理職組合の結成が呼びかけられていました。
第4章ではそうした管理職組合がとり上げられていますが、ここでは90年代以降の動きだけを紹介します。
いくつかあった管理職組合の動きの中で90年代に注目を集めたのが93年12月に結成された東京管理職ユニオンでした。これは企業の外部につくられた地域ユニオンであり、個別労働紛争解決請負組織という性格でした。
東京管理職ユニオンの書記長だった設楽清によると、93年に不況でリストラが始まったとき、外国人→女性ときて次は中高年ではないかと思っていたところ、マスコミとの話の中から盛り上がってできたということですが、これが大きな注目を集めます。
相談や組合員も一気に増え、解雇されたり自宅待機を命じられた組合員に相談電話の受け応えをお願いし、活動を行ったといいます。
設楽もいうように管理職ユニオンは一種の「苦情処理機関」だったわけですが、当時の日本では個別の紛争処理システムが機能しておらず、「労働組合」という形を取る必要があったのです。
90年代に盛り上がった議論に年俸制の導入があります。
管理職になると残業手当がつかなくなって年収が下がってしまう問題に対応、管理職になったら自動昇給をストップさせたいという企業の思惑などもあり、年俸制の導入が議論されました。
また、年俸制には賃金と労働時間のリンクを弱めたいという狙いもあり、ここから企画業務型裁量労働制の議論も進んでいきます。
経営側からは、ホワイトカラーの中には管理監督者以外にも業務の遂行にあたって使用者から具体的な指示を受けずに自律的に働いている者がいるとして、一律の労働時間管理を行うことは適当でないと主張しました。
一方、労働弁護団は決して自律的に働いているわけではなく、所定労働時間内に終わらない仕事量を与えられているだけだと反論しています。
これはどちらかが間違っているというものではなく、エリートとノンエリートの差が小さい日本の企業社会では、末端のヒラ社員までもがある程度のPDCAサイクルを回しながら自律的に働いている一方、その仕事は上から降ってくるものであって自分が自主的に選択したものではないという状況から生まれてくるものであります。
どのような業務が対象かという点について、「高度に専門的」ということが強調されましたが、この「高度」も「専門的」も日本の企業の中での線引は極めて曖昧で、法案作成や法案審議の段階で、あれやこれやの限定や制限が設けられ、経営側にとっては非常に使い勝手の悪い制度としてスタートすることになります。
2008年1月に東京地裁が下した日本マクドナルド事件判決は「名ばかり管理職」の問題をクローズアップさせました。マクドナルドの「店長」が管理監督者ではないという判断が示されたのです。
原告は2つの店舗の店長を兼任している人物で、月の残業時間は100時間を超えていました。原告は東京管理職ユニオン経由で会社と団交を行い、残業時間は緩和されましたが、さらに原告は自分は管理職ではないとして残業手当の支払いを求めたのです。
店長が管理職ではないというのは驚きをもって迎えられましたが、「経営者と一体的な立場」という面から考えると、店長も課長も、あるいは部長であっても「管理職」とはいえないかもしれません。
この事件について、著者は異常な長時間労働を訴える道が残業代の支払い請求という形でしかできないことを当時からも問題にしていましたが、このことは同じ時期に浮上したホワイトカラーエグゼンプションにも通じます。
ホワイトカラーエグゼンプションは、労働基準法の管理監督者に該当しない者の一部に対してそれを管理監督者に準ずる者として労働時間規制の適用除外を求めるものですが、もっぱら「残業代ゼロ法案」との批判が浴びせられました。
政府や経営側はあれこれと理屈を並べて制度の導入を図ろうとしますが、仕事の進め方に裁量はあっても業務量に裁量のない日本の企業社会では、「残業代ゼロ法案」という批判を乗り越えることは出来ませんでした。
ホワイトカラー・エグゼンプションの導入に失敗した安倍首相が首相に返り咲いたあとに勧めたのが女性活躍と高度プロフェッショナル制度です。
まずは女性活躍ですが、安倍内閣は2020年までに「指導的地位における女性の割合30%」を掲げました。企業内においては女性の「管理職」を増やすということになります。
ただし、女性活躍推進法に書かれている「管理職」は労働基準法の「管理監督者」とは違い、前者の方が広く、後者のほうが狭い概念となっています。
一方、高度プロフェッショナル制度はホワイトカラー・エグゼンプション失敗のリベンジという形で、経営側の要望を受けての再チャレンジでした。
しかし、ここでも長時間労働への懸念からさまざまな条件が付けられ、結果として利用する者があまりいない制度となっています。
一方、安倍内閣の中で大きく進んだのが「働き方改革」です。電通の女子社員の高橋まつりさんが過労自殺の認定を受けたこともあり、時間外労働の上限規制が導入されることとなりました。
今まで時間外労働の問題といえば、残業代ばかりに光が当たっていましたが、ようやく労働時間そのものを規制しようということになったのです。
これは基本的に大きな進歩でしたのが、ここでこぼれ落ちたのが今まで労働時間規制の適用外であった管理監督者です。
課長などの地位にあるプレイングマネージャーは、部下の労働時間やメンタルケアに気を配りつつ、部下の労働時間が減った部分に関しては管理職が引き取らざるを得ないような状況が生まれてしまったのです。
改めて、「管理監督者」の要件を明確化したうえで、いわゆる管理職の労働時間の問題を考える必要が出てきています。
もう1つ近年管理職を悩ませている問題がパワハラです。もちろん、ヤクザまがいの恫喝やいじめのような案件もありますが、「パワハラ」という言葉が広がるにつれて、部下に対する指導や教育がやりにくくなったと感じている管理職もいます。
時代といえば時代ですが、著者は「そもそも上司が部下の(指揮命令にとどまらず)「指導・教育」をしなければならないという点にこそ、これが問題となる最大の原因がある」(325p)と指摘しています。
ジョブ型の雇用システムでは、雇われた社員はその仕事ができるのが当たり前であり、できなければ雇うときに見る目がなかったとして解雇するしかありません。ジョブ型の雇用システムでは部下を雇用し解雇する権限を持っています。
一方、日本のメンバーシップ型の雇用システムでは、新入社員は仕事に関してはほぼ白紙の状態で入ってきます。それを「指導・教育」することが管理職の仕事とされています。「「新入社員は仕事が全然できないからクビにしてくれ」と人事部に文句など言おうものなら、「馬鹿者、それを鍛えてできるようにするのがお前の仕事だろう」と叱りつけられるだけです」(326p)。
欧米にもパワハラ的なものはあるのでしょうが、日本の場合はパワハラを生みやすい構造的な要因を抱えているわけです。
最後にこうした管理職問題を解決するための1つのアイディアとして、過半数代表者があげられています。労働組合がない企業において三六協定を結ぶときに出てくる過半数代表者ですが、この構成員には管理職も含まれています。
著者は管理職独自の過半数代表者を創設することで、管理職独自の利益代表システムがつくれるのではないかと考えています。
冒頭にも書きましたが、資料や法令などで管理職の実態を浮かび上がらせようとするスタイルは新書にしてはやや硬めかもしれません
個人的には今までの新書との重複を恐れずに、例えば、最後のほうのパワハラの話などを紙幅をとって論じたほうが多くの人が手に取りやすかったのではないかと思いますが、その代わりに日本の労働法と実態のズレといった部分は印象に残りました。
本書は、日本の管理職の困難を歴史と法制度の両面から教えてくれる内容になっています。
