女川町の最高峰:石投山に登ってきた。
この山も以前、盛んに県内の藪山に登りまくっていた時期に山頂に立った一山である。
当時は北東尾根からアプローチしたが、尾根はかなりな藪で、たどり着いた山頂は三角点も木々の根っこに埋もれるような場所だった。
腰を下ろして休む気にもならず、休憩なしで北西に伸びる尾根を下り始めたほど印象が薄い山である。
ところが近年、女川ネイチャーガイド協会が南尾根から北東尾根への周回路を整備したとの情報を知り、葉が茂らない今の時期を狙っていたのである。

【 1/18 石投山(456m)から黒森山(401m) 宮城・南三陸 】
清水町、奥の駐車スペース~相馬神社石碑~南尾根~タコ足の赤松~石投山~454m峰~雄勝峠~安野平~通信反射板~373m峰~林道日蕨小萩山線~小萩山~384m峰~344m独標~黒森山~東尾根経由:林道弓入線~日蕨地区仮設住宅~清水町、奥の駐車スペース

石投山は南三陸随一の端正な山容をした山だと思っている。
震災前に女川港にあったマリンパル女川に、何度も新鮮な魚介類を買いに行ったが、その駐車場から北側に二等辺三角形の均整の取れた山容をした石投山が見えていた。
北の硯上山に登った折にも、南に抑揚のないだらだらした尾根筋の上に、すっくと立った石投山を眺めて、素晴らしい形をした山だなぁ~と何時も思っていた。

山名の由来は郷土の歴史に詳しい方が調べても分からなかったと言う。
『たぶん「ナゲ」は崩れた所、崖という意味の「ナグレ・ナギ」からきていると思う』と言う説もあるが、黒森山方面から眺めてみると、西側に喰いこんだ急峻な沢が山抜けを起こして崩れていたので、満更当たっている山名の由来かもしれない。

朝起きてみると5cm程度雪が積もっていて、慌てて雪かきをする。
そんな訳でやる事が多く、落ち着かない気分でバタバタして家を出、途中でmorinoさんを拾って、三陸道を走行している時にカメラ一式とGPSを家に置き忘れたことに気が付いた。
もう家に戻れないので、仕方なく私が昔使っていてマスさんにあげたコンデジを借りて写真と動画を撮ることにした。
このコンデジは動画がフルハイビジョンでは撮れず、手ブレ補正も今の機種に比べてプアなので、動画は観られるギリギリの性能しか持っていない。
それにズーム機能が駄目になっていて、一番広角でしか撮れないものちょっと厳しい。
マスさんは料理とハナちゃんしか撮影しないので、別に望遠ズームがなくても問題ないんだとか(笑)

三陸道で石巻地方に入ったら強風が吹き荒れている。
でも道路に全然雪が積もっていないので、この方面に登山に来て正解だと思った。

津波で大きな被害を被った女川港は、港湾施設はかなり復旧しているが、それ以外の復旧作業は目に見えて進んではいない。
もうすぐ震災から4年の歳月が流れるが、海辺の街は復興とはほど遠い印象を受けた。

土地のかさ上げ中で何も建築物が建っていない川沿いの場所から、秀麗な山容をした石投山が望める。
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途中の車道の分岐を間違って、左手の雄勝峠方面に向かう道に入ってしまったが、Uターンして戻り三叉路を川の右俣に入った。
カラフルな色彩のトレーラーハウスが目印となっている。

地図を読んで、下山口に当たる林道分岐左側の広場に車を止める。
中型のバスが奥に止まっていて、これから登る石投山の姿も見えていた。
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整備された林道を歩いていくと前方に散歩している地元の方が現れた。
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何処まで行かれるのか伺うと神社まで、という返事。
伐採された杉林の右手に相馬神社と刻まれた山神様の石碑が鎮座していた。
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地図では神社の左手の尾根を登ることになる。
スレート状の石が散在する小沢を渡って、整備されたブル道と言った感じの山道を登っていく。
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一旦、鋭角に道が右折し、尾根に向かう途中で、黒森山の姿が一望できた。
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この南尾根は取り付きからほぼ直登で標高差400mも登る。
道は仮払いがほぼ完ぺきだが、登山者が少ないためにステップが薄く、アキレス腱が伸びるような登りが続いたのは参った。

途中、コナラの美しい雑木林を抜ける。
この付近は風も弱く、陽だまりハイキングをいった感じだった。
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周辺がアカマツの林になる。
秋にはキノコが生えそうだ、なんて会話をしながら登って行くと、タコ足のようなアカマツが出現した。
この先、何本も同じ形状のアカマツが生えていて、風が強いためにこんな形になったのであろうか?
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最後の急坂で歩いたばかりの大人数の足跡がある事に気が付いた。
おそらく駐車場で止まっていたバスの方々だろうと思いながら登っていくと、山頂で結構な人数のパーティに出会う。
こんなマイナーな山で大勢の登山者に会ったのには驚いたが、伺ってみるとゆうゆう館主催の登山ツアーだとか。
その内の女性お二人に、ブログをされている方でしょ?と言われた。

メンバーの方に山頂で記念写真を撮っていただく。
しかし昔の木々に囲まれた陰気くさい山頂の印象は霧消して、さっぱりと伐採されて明るくなった山頂は別の場所に来た感じがした。
でも四周の展望は梢越しにしか利かず、唯一大船渡方面の岬が遠望できただけである。
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ツアー登山の面々はこれから雄勝峠を越えて、硯上山から味噌作に下るらしい。
随分、思い切ったルートを考えたものだ。
ガイドのお一人が周回コースを回り、バスを味噌作まで回すらしい。
個人で計画しても、車のデポに結構時間がかかるので、こんな面白ルートに参加した方はついていたと思う。
帰宅後にネットで料金を調べたら5800円だとか。これは安いと思う。

車からおおよそ1時間で山頂に着いてしまったので、まだ時間は11時。
周回コースを採ってお昼過ぎには車に戻れそうな感じであるが、それでは全然歩き足りない。
そこで急遽、雄勝峠から石巻緑のハイキングロードを小萩山まで歩いて、そこから南東尾根を黒森山までぶっ飛ばす案を考えた。
人数が少なく、足並みも揃っているので充分歩けると踏んだ。

石投山から雄勝峠間は昔歩いているが、その時の記憶はほとんどない。
この区間は基本的に林業用の作業道で、石投山の登山道と比較すると整備度は悪い。
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急ぎ足で下っていくと、直ぐにツアーパーティに追いついてしまい、抜かさせていただいた。
一山コブを越えたところでルートを誤認し、別な尾根に入ってしまう。
直ぐに気が付いてルートを修正したが、ここでまたツアーパーティに追い抜かれてしまった(笑)

道を外れて近道して、またツアーパーティをパスする。
我々は道に関係なく勝手に歩きやすそうな所を歩いているので、ツアーパーティとは距離が拓いたり縮まったりするのが面白い。

適当に薄い藪を歩いていると、彼方此方にウスタビガの繭を見つけた。
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これはニホンジカの食痕
今の時期は葉っぱがないので、こんなツタの表皮を食べている。
野生動物の強さを垣間見た感じである。
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電線がでてきたところでお昼休みにする。後続のツアーパーティもここでお昼のするようだ。
地形図上で南に下る沢筋に破線ルートがあるトップのところだが、そんな道は存在していない。
一段南に下ると風が遮られて理想的な休憩場所となった。
奥にこれから向かう黒森山が望める。
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ケーブルルートを辿ると雄勝峠に出た。
そこから南に林道を戻ると、日蕨から登ってくる林道安野平線に合流する。
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この付近は安野平と呼ばれ、同名を使用した三角点が付近に二点ある。
安野平は女川の地名の由来となった場所で、今から千年ほど前、源氏方との戦いに敗れた安倍貞任の婦女子が、戦いから逃れるために安野平に隠れ住み、後に渓谷を南に下ったことから、女の川→女川になったと言われている。

林道を少し南に歩くと、菱形に設置された珍しい形状の通信反射板を見る。
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その場所に登ってみたら上品山が辛うじて見えていた。
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林道と山道との分岐にはご覧の標識が設置されている。
以前、水沼山から小萩山まで歩いた時には無かった標識だ。
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ずっと雑木林と植林地の中を歩くので景色が開ける場所はない。
何か、先週歩いた七峰縦走路を今でも継続して歩いている錯覚に陥る。
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今度はニホンジカが角を研いだ木を見つけた。
ここまで木肌を剥けるなんて凄い力で研いでいたと思う。
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峠状のところに下って行くと、今度は林道日蕨小萩山線が横切る。
ススキの繁茂する林道の支線を登って行き、右の派生する山道を登りきると、右手に何の山名板もない小萩山の山頂に着く。
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ここで地形図を確認。
小萩山から南西方面に伸びる尾根の果てが黒森山なので、藪を漕いで一東側を並走する林道に降りる。
しかしここは密生した笹薮で、ツタが絡んで降りるのが大変であった。

黒森山への尾根は幅の広い防火帯を歩いていく。
倒木がほとんどなく、野芝の生えた防火帯は高速道路といった感じの山道であった。
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このまま楽勝で黒森山に着けるかな、と都合の良いことを思っていたら、そうは問屋が卸さず、344m独標の先でぷつりと防火帯が途切れてしまった。

ここから先、山頂までは以前歩いたときは伐採された、展望の良い歩きやすい道があったが、現在は低木+茨+倒木の密生した藪で、歩きやすいところを右往左往しながら進む。
進路を少し東斜面に振ったら、藪っぽいが歩ける範囲のブル道が出現し、出来るだけ上に登るブル道跡を探しながら山頂を目指した。

しかしこのブル道からは石投山がばっちり全貌を見せてくれて、今までの展望に飢えていた気持ちを和らげてくれた。
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振り返ると、先ほど登った小萩山(右)と、レイダードームがある上品山が一望であった。
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最後にブル道も消失し、再び茨と低木藪を漕いで登って行く。
倒木の上に登ると女川漁港が眼下に望めた。
真っ青な海原の奥に江の島群島も見えている。
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赤テープが一番高い木につけられていて、ここが黒森山の山頂である。
三角点のない山なので、三角点を探す手間がいらない。
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山頂で休憩しようと考えていたが、強風が吹き抜けて寒くて休める雰囲気ではないので、直ぐに下ることにした。

ここからの下山路が一番の問題である。
元の防火帯に戻って、林道弓入線に降りるのは、あの茨と倒木の迷路のような藪を漕がねばならない。
先ほど少し辿ったブル道を下る事も考えたが、ブル道って支線が数多く派生し、どれが正規の下山路か判別が難しい。
これは先月歩いた蕃山の違法伐採現場の様子から想像できる。

そこで以前、私がこの山に登った時の東尾根ルートを下ってみる事にした。
山頂から南尾根方面に赤テープが伸びているが、そこを下ると車からどんどん離れて、車に戻るほうが苦労するので、その案は一切考えなかった。

しかし東尾根ルートが一番最善のルートだったかは、今でも判断に苦しむ。
東尾根は最初の下り出しはヒノキの植林地で、下草がなくガンガン下れた。
でも途中で植林地は消失。
その後は尾根の両側が笹薮の密生した激藪下りになってしまう。
藪漕ぎに慣れている私がトップで下るが、注意して踏み跡を辿らないと、踏み跡か獣道かが判別つきかねる場所が多々あった。
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踏み跡は248m独標の尾根に続いているように感じたので、途中のトラバース道で北へ方向修正。
尾根通りに辿ろうとするが、鹿の糞が沢山ある獣道の様で直ぐに踏み跡は消失。
少し戻って猛烈な藪を平泳ぎでかき下ると、やっと道形がはっきりしてきた。

これで楽勝と思ったら、そのブル道は何処までも斜面を水平に走っている。
仕方なく、スパイク長靴の走破性能を信じて、低木が密生した窪状の急斜面を木に掴まって降りた。
最後は土石流の跡を下ってやっと水の流れた沢筋まで降りる。
 
ここから作業道がはっきりしたので、黒森山の山頂で休んで食べる予定だった、マスさんお手製の『SAKEケイク』をいただいた。
日本酒の染みた、少し甘酒の香りと、レモンの風味が豊かなケーキで、コーヒーを飲みながら一息つけた。
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沢から僅かの距離で荒れた林道弓入線に出る。
林道を下って行くと、伐採作業現場で二人の方が、ドラム缶に焚き木をして休んでいた。
その方と話をしたら、黒森山周辺はここ5年間は仮払いの手が入らず、笹薮が密生している状態らしい。
結局、山の東側は何処から下っても同じような感じだったようだ。
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林道の入口は公園として整備され、ご覧のような看板が設置されている。
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ここから舗装道路を日蕨地区まで下り、仮設住宅の建つ地域を抜けて車に戻った。
以前は伐採されて楽々歩けた黒森山だったが、今は荒れ放題で東側から登るのは不可能な山になったようである。
但し、南側の林道からは簡単な藪漕ぎで登れるらしい。
折角、女川漁港や太平洋の大海原が眼下にできる展望の山なんだから、女川町で登山道を整備すれば、登山客も来て活性化の一助になると思うのだが・・・
そういう発想がでてこない県民性なんだよね、宮城県は。

(注)黒森山は猛烈な藪山のため、GPSの軌跡通りに歩くのは不可能に近いと思います。密藪の藪漕ぎを全然苦にせず、地図読みが確実にできる方以外は近寄らない方が身のためです。
また、累積標高差が1300m強、歩行距離が14kmあり、藪漕ぎ要素もプラスされるので、完全に上級者ルートと言っても過言ではありません。

GPS軌跡です。(morinoさんにログをいただきました。)

isinage


動画です。

フルハイビジョン撮影ができるコンデジを忘れて、720pのハイビジョンで撮影したため、画質が悪く、手ブレも激しい動画になってしまいました。