3日の日曜日は単独で福島と宮城の阿武隈山地の低山を歩いてきた。
ぎっくり腰の調子は大分良くなり違和感程度まで改善したが、未だ雪山に行く自信はなかったので、藪漕ぎをしてみて痛みが出ないか確認の意味も兼ねて出かけた。

【 2╱3 羽黒山(345m)相馬市初野 & 鬼形山(262m)丸森町金山 】
●羽黒山:常磐道側道入口~登山口~羽山~林道~羽黒山~羽黒霊泉~常磐道側道入口
●鬼形山:瑞雲寺駐車場~工女の墓~小富士山古墳~小富士山~小富士山登山口~立石~185m峰~244m峰~鬼形山~渓水寺~瑞雲寺駐車場

しばらくぶりに常磐道を南下し新地ICで下道に下りる。
大野台にある相馬中核工業団地西地区に植栽されている紅梅の花が開花していた。
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これから登る羽山を見上げる。
過去に一度、常磐道の工事が始まる前に藪漕ぎで北東側から登った事がある。
山頂に着くと石祠が祀られ、微かな踏み跡が東側の急斜面に下っていて、石祠への参拝道が存在するのが分かった。
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今回はマロ7さんの山行記事を参考に羽黒山を周回する。

払川地区から常磐道を潜り、すぐ右手に登っていく側道が羽山の登山口である。
そのT字路の広い路肩に駐車して側道を登ると、左手にプラスチック製の階段が出てくる。
ここが羽山の登山口だ。
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階段を登り切ったところから相馬港方面を望む
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広い尾根筋を登る。左斜面で杉の間伐が行われたので日当たりが良い道だった。
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この広い道はやがて右手に尾根を外れて行く。
途中から薮が繁茂していたので、正規の登山ルートではない事が分かり、獣道を使って尾根に戻る。
そこから先は間伐と低木伐採が行われたスギ林の急坂を登って行く。
かなりな急坂にもかかわらず、つかむ枝が伐採されてしまって皆無なので、落ちていた枝を杖にしてじりじりと登って行った。
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たどり着いた山頂は四等三角点と石祠がある。
木々に囲まれて展望はない。
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山頂から南西へ稜線をたどって羽黒山を目指す。
途中、「大野村」の境界杭の石柱が倒れていた。
相馬郡大野村は昭和29年の町村大合併の際に相馬市に組み込まれたとか。

次の小ピークを越えるところで踏み跡が不確かになり、獣道へ間違って導かれるが直ぐに修正。
小ピークの西側は露石が出ている。
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270m峰の南側を巻くように地形図で破線ルートが表示されている。
しかしこの区間の道は完全に無くなっていた。
払川方面から登ってくる作業道らしき道は上部から確認できたが、北西方面へは笹薮が繁茂して斜面をトラバースできない。
仕方なく尾根まで登り返し、濃い笹薮を直線的に強引に下ったら林道に合流できた。
登り返しの途中、羽黒山が梢越しに見えていた。
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林道を南に進む。
羽山方面から羽黒山を目指す場合、
270m峰の南側から左下のスギ林まで下って、薮の薄いスギ林内の沢源頭を登り返した方が楽そうだ。

斜面左手がスギの造林地になっている林道をしばらく歩く。
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羽黒山の北側から最短距離で道のない雑木林を登る。
林道の先でチェンソーの音がずっと木霊していて、伐採作業が行われていたようなので、それを避けた意味もある。
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やがて三等三角点と出羽神社が建つ羽黒山山頂に着く。
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この神社は過去に羽黒大権現といい、陸奥守で胆沢城鎮守府将軍でもあった平良文が勧請した神社と伝えられる。例祭は10月17日。藩政時代には多数の参拝者で賑わったと言われる。
慶応4年の戊辰戦争で戦火を受けたが直ぐに修復し、明治3年に出羽神社と改められた。

表参道を下って行くと、階段の下で急に道は右手に回り込む。
その先に石仏や供養塔が祀られていた。
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宮城県との県境の車道から近い鳥居の所に着く。
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この鳥居の直ぐ南側に払川へ下る作業道が地形図に記載されているが、探しても見つからない。
仕方なく濃い笹薮を数m無理やり下ると杉の間伐地に出た。
何となく昔の道形が分かる造林地を下り沢筋に出る。

沢の左岸についている作業道は崩落が激しく、しばらくはちょろちょろと水が流れている沢筋を下る
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やがて足場が悪い作業道をたどれるようになると、突然立派な林道に出た。
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林道が舗装道に変わると左手に建物が建っている。
ここが皮膚病に効くと言われる羽黒霊泉だ。
水曜と木曜がお休みで、営業時間は8:00〜17:00。
入浴料金は500円とか。
こんな場所に鉱泉があったとは知らなかった。
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車道を東に歩いて行くと、出羽神社の鳥居が建っていた。
ここが本来の表参道なのであろう。
地形図を取りだして確認してみたら、270m峰の南側のところに伸びる道のようだ。
おそらく現在はほとんど利用されていない参道であろう。
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ほとんど展望が利かない山歩きに終始したので、印象が薄い山歩きだった。

GPS軌跡。
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次の山は国道113号線の大沢峠を越えて宮城県丸森町に入り、金山地区にある小富士山から丸森富士を目指す。タイトルと山名が違うがその点については本文に記載する。

小富士山は最近まで山名を知らなかった。
以前、当時名前が不明だった小富士山を越えて、稜線を歩いて丸森富士を往復した事がある。
今回は小富士山の名が判明したために、どうしても再び歩いてみたくなったのだ。

丸森町の石倉地区から鬼形山を望む。
この時点ではこの日、登ろうとは思っていなかった。
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そして金山地区のシンボルのような小富士山
この位置から見ると片富士だね。
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車の駐車は瑞雲寺の広い駐車場をお借りする。
そこから見た金山城跡がある金山
写真の右手の電柱が建つ奥の土地が、かつて金山(佐野)製糸場があった土地だ。
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工女の墓の標識に導かれて車道を西に向かう。
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そして工女の墓を見学。
小富士山の麓にあるこの工女の墓は、佐野製糸場の社主が、遠隔の地で両親に看取られる事なく病没した工女を手厚く葬り建立したもので、28基ある。
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以前来た時は、工女の墓と言うと『ああ野麦峠』(山本茂実)、のような若い女性に過酷な労働を強いた事を想像してしまい悲しくなったが、現実は違う。
2014年6月に「富岡製糸場と絹産業群遺産」が世界文化遺産に登録され、妙義山に登った折に富岡製糸場を見学した。その時、工女たちが熟練工として素晴らしい待遇を得ている事が分かり驚いた。
開国間もない日本にとって絹は最重要な輸出しなであり、養蚕が盛んだった地域に、洋式製糸機械を取り入れた製糸場が各地で作られた。
ここ金山で開業した佐野製糸場を起こしたのは佐野理八という人物で、初めは二本松で事業を行っていた。ところが製糸に欠かせない清水が付近の植林によって濁り、事業の継続が難しくなった事から二本松製糸場を譲渡し、宮城県伊具郡兼山村に別名・弘栄館とも呼ばれる製糸場を創立する。
敷地は3710坪、釜数150、フランス製の「ケンネル式器械製糸機」を設置し、年間12900㎏の製糸を生産した。
工員は男女合わせて250名、その内200余名の工女を寄宿生活された。工女は新潟や北陸など遠隔地出身の方が多かったという。
尚、大正中期以降、世界的な不況を受け、佐野製糸場は昭和12年に閉鎖され、今は敷地跡の石垣だけが残っている。


お墓に手を合わせてから車道に戻る。
車道を僅かに南に進むと「小富士山古墳入口」の標識が立っている。
かなり整備度が悪いこの道を登って行くと、倒木が倒れ道が不鮮明になる。
奥にコンクリートの標柱が確認できたので近づいてみると、『お富士山第一古墳』と書かれていた。
中にはなにもないが、石室の内部も見られる。
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この先、小富士山山頂までの道はない。
薄い薮を左右に避けて雑木林の中を登って行く。
すると日本国旗が掲揚されている山頂に出た。
他に交通安全などの幡が立てられ、雑然とした雰囲気だった。
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山頂には富士権現社の石祠が祀られている。
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以前登った時の記憶は曖昧で石祠があったピークとしか思えていない。
その時はマツ林に囲まれ見晴らしはなかったが、現在は東側の樹木が伐採され、眼下に見える金山の街並みと、亘理地塁山地が一望できた。
余談だが金山の地名は小富士山の裾にあり、良質な鉄鉱石を産出した蛭田鉄山に由来していると言われる。
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山頂の北端まで移動すると鹿狼山が今まで見た事なかったアングルで望める。
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山頂でカップ麺とおにぎりを食べてゆっくり休憩をとる。
西側に正式な登山道が拓かれていて、その道を下っていくと突然広大な伐採地に飛び出した。
伐採された斜面に痛々しく伸びるブル道の奥に、次郎太郎山が大きく見えている。
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南側に対峙した尾根上に立石が飛び出している。
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北西に稜線続きの次のピークの鞍部まで下ると、左から合流したブル道が登山道になっているらしい。
このまま伐採地をたどって丸森富士を目指すか、登山道と登山口の様子を確認するか二択になってしまったが、丸森富士までは以前歩いたので、登山道を確認する方を優先しブル道を下った。
下りの途中、北西を見ると南蔵王が遠望できた。
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この頃から急激に空が曇ってくる。
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ブル道はジグザグに斜面に付けられているが、瑞雲寺から羽入地区を結ぶ林道まで下ると、小富士山登山口の標識がない。
これは何処かでブル道を離れるところがあったと思い、林道の峠のところまで登ったら登山口の標識を見つけた。一応GPSログを取るため、ブル道の分岐まで登り返す。
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さて丸森富士を割愛してしまったが、まだ時間は充分にある。
地図を取りだして後の行動を考える。

伐採斜面に拓かれたブル道をたどって立石に登り、そこから鬼形山まで稜線を縦走すれば面白いと感じ、所々薮が被ったブル道を最短距離で進んでみた。

途中、小富士山(左)が見えている。
金山から見た端正な三角形と違い、西斜面が皆伐されてしまった情けない姿に悲しくなる。
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丸森富士も同様。
中間ピーク南斜面の伐採が痛々しい。
写真では分かり難いが山頂部に大岩が突き出ている。
このピークも羽山と呼ばれ、山頂部に石祠があったと記憶している。
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そして立石に到着。
私が立って写真を撮ってみたが、その大きさが分かるであろう。
この大岩は高さ12.3m、周囲25.1mの花崗岩で、岩の下からは土器や古銭が出土している。
伊具郡誌には安部貞任がこの岩に登ったと伝えられているが、手がかり足がかりが全くないので無理だと思う。
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尚、丸森町文化財辞典に羽山(丸森富士)と立石の伝説が記載されている。
昔、羽山と立石は大空を貫くこどの大石だった。
両者お互いに勢力争いを始め、大喧嘩になってしまった。
数日後、羽山は敗れ、その大石の半分が金山方面に飛ばされた。
怒った羽山の大石は最後の力を振り絞り立石に体当たりをする。
すると立石の一部は東の部分を削り取られ、山の下に落ちていった。
それは今も内川の川底に残っていて、口惜しさのあまりうなり散らしているため、土地の人々はうなり石と呼んでいる。
その後、羽山と立石には羽山大権現が祀られ、作神様として地域の方々の信仰の対象となっている。


立石から鬼形山までの行程は初めて歩く。
南東の小ピークまで踏み跡があったが、そこから先は伐採の作業道跡をたどる。
伐採地が終わり185m峰までの区間は枯死したアカマツの倒木が多く、それを避けるのに苦労する。

左手から作業道が合流する場所はヒノキの植林地で、この部分だけ藪から開放され楽に歩けた。

次の220mの平頂付近が難関で、濃い笹薮に倒木、そして時々ツタが邪魔をするので進むのが大変だった。藪漕ぎに忙しかったため写真は撮っていない。

破線ルートが十字に交わる峠越えに道は廃道。
しかし峠から南東側の稜線は顕著な踏み跡が出てきて、歩くペースが格段に上る。

途中、ウスタビガの美しい緑の繭を見つける。
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244m峰を越え、260mのジャンクションピークで稜線が90度左に曲がる。
この先、しばらく笹薮の尾根筋をたどる。
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尾根が右に曲がった地点の左斜面に大規模な伐採が入っていた。
この部分は笹ヤブの密度が薄く、踏み跡もあるので見た目より楽に通過できた。
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伐採されて少し見晴らしが良い。
小富士山から丸森富士に至る山並みが見えている。
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小富士山から見たのと、見る角度が異なる金山の街並み
中間には屈曲する阿武隈川。奥に見えるのは四方山。
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木々に囲まれた広場になっている鬼形山山頂
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東側にある鬼形山の山名由来になった鬼石を見るのを忘れて、早くコーヒーを飲みたいために、西側の伐採地まで戻った。

コーヒーを飲んで景色を眺めながらゆっくり休憩する。
立ちあがって北へ伸びる伐採された尾根を下る。
踏み跡はあるが、時々モミジイチゴの茨藪が出てきて、棘の痛さに耐えながら進む。
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伐採地下部のところが一番藪が濃かった。
下りは楽だが、登りでは使いたくない尾根である。

何やらブル道っぽい切り拓きが出て来たと思ったら、右手に尾根から突き出た岩場が現れた。
この大岩の展望も素晴らしい。
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右手に小富士山、左手に立石から辿ってきた稜線が一望できる。
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この先、道が消失するが適当に薮が薄いところを下るとブル道に出合う。
後は小沢である大沢川に沿った作業道を歩くと、民家の前に出た。
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舗装道路に出て、右手に佐野製糸場跡を眺めながら歩くと、渓水寺の門前に出る。
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そこから僅かな距離で車を停めた瑞雲寺の前に着いた。
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下山はちょうど16時。
もう少し早い時間から登り始めていれば丸森富士も回れたと思う。
しかし立石から鬼形山の区間はヤブ藪なので、あまり人にはお勧めできないと感じた。

この日、累積標高差は1000m越え。歩行距離も12km。
薮や倒木を跨いだり、潜ったりしても腰は痛くならなかったので、もうぎっくり腰はほとんど治ったと見て良いと思うし、雪山にようやく入れる確信を得た。
しかし腰痛ゆえに里山の歴史に触れる山歩きが出来た点では楽しかった。

GPS軌跡。
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