ちーちゃんは悠久の向こう
ちーちゃんは悠久の向こう
         著:日日日(あきら)  新風舎文庫

 文章というものは絶え間なく書き続けることによって成長するものかというとあながちそうとも言い切れない。成長はある。無論、ある。だが、書き続けることによって書き出される文章に起こるのは変質だ。
 書く行為の積み重ねは、己の内部にある言葉を外部に文章という形で現出させる行為に対して影響を及ぼす。それが洗練であるか、磨耗であるか、または確立であるか、崩壊であるかは人それぞれである。結局は単一ではない様々な変化を内包するのだから、変質と言ってもいいだろう。

 さて、今ここにまだ高校生だという小説家が現れた。17歳だという。ということは、かの人物が湧き出す言葉を文章に仕立てる行為に夢中になり始めてから未ださほどの年月は経ていないということだ。
 今、彼は嬉々としてあの文章を書き始めた頃の、書かずにはいられない欲求に身を委ねているのだろうかと想像を抱く。他にも若い作家は数多くいるというのに、彼の出現にそんな益体も無い感傷を抱くのは、やはり新人賞荒らしのごとくこの短い期間に幾多の賞に作品を送りつけたその姿に書くことへの渇望を垣間見てしまったからかもしれない。
 だがそんな彼にも何年後かには、自分が織り成す執筆という行為がかつての姿と変わっていることをふと顧みて、その変質に迷い悩み、或いは確信を深めることがあるはずだ。いや、それとも振り返りもせず突き進む寵児なのだろうか。
 小説家という生き方の始まりをロケットスタートで飾った『日日日』という作家が如何様に変質していくのか。まだ高校生というかの人物の若さには如何なる価値も無いものの、その若さという記号は私の心を大きく揺さぶる波を誘うのだ。
 この先、この小説家の紡ぐ物語は、如何なる変質を経ていくのだろうという途方も無い期待と無辺の不安を。
 かの人物が迎える変質が、紡ぐ力の希薄化や崩壊でなく、自在化であり昇華であることを、ひとりの読者として切に願う。



 さて、一方の作品の方だが、ちょいと肩透かし。いや、これはあまりに私が期待を膨らませすぎていたからなんだが。なんせ、見たことも読んだこともないこれまでの概念を覆し、今いる作家すべてを旧弊の枠に押し込めてしまうような革命的世紀の大傑作か!? とまで期待してしまったら、そりゃかわいそうだ(苦笑)
 でも、ちょっとは『日本文学界は日日日登場以後と以前で区別される』みたいなものを期待していた、というのは大仰すぎるか。
 とはいえ、そうした過剰なフィルターを外してみれば、なるほど上手い。良く出来ている。パーツパーツは素朴で解りやすいものを、実に鮮やかに断ち割り、組み立て、おおっと思わせてくれる形に仕上げている。
 面白い。
 
 が。
 これが<日日日>だ!! と思い知らされるものはどこかにあっただろうか? 見つからない。思い至らない。残念だ。私の琴線とはすれ違ってしまった。
 脳髄に直接打ち込まれるような、思わず表紙を見返して作者の名前をマジマジと見つめてしまうような、鮮烈な感動、圧倒的な衝撃、甘い陶酔、抉るような痛み。私が傑作に求めるのはそれなのだから。
 しかし、始まりとしてはこれで充分なのかもしれない。なんしろ、これがデビュー作なのだ。年齢としての若さは理由にならないが、作家としての若さは莫大な可能性を秘めているなのだから。最も始めに訪れる変質は、やはり成長なのであるからして。
 本作は膨大すぎる期待を満たしてはくれなかったが、この傑作を読めるというゾクゾク感を奪うことはせず、予感を提示してくれた。期待はまだ、裏切られてはいない。傑作を待望するこの期待感は潰えていない。
 
 近々続々と現れるだろう各新人賞入賞作品を手薬煉ひいて待つばかりだ。